カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

休憩-103 『おどれの川やないやろっ』

2012年04月30日 | 日記







天気が悪いと「何処へ行く気もしないね」

海でも川でもいいから「ぼ~」と、いつまでも眺めていたい欲求がある。水辺は気持ちが安らぐからね。

昔、釣りの時間はおおかた、そんなので潰してたね。






「釣りか・・・」また、竿を引っ張り出すか。

独りで遊ぶつもりが、いつしか他人さんに取り囲まれてお話し相手に困らないんだけど「独りにさせておいて欲しいよ」



















昔、武庫川で川面を眺めてのんびりしていると、お孫さんだろうね、少年とお爺さんが鯉を狙って楽しそうに立てた投げ竿を見ながら話している。

やがて、鯉がかかったかして竿がキユ~ンとしなった。お爺さんが「おっ、来よったっ」って竿を手に取り大きくあおってリールを巻く。

少年に見せようとお爺さんが張り切っている。少年は川面を走る道糸の行方を目で追って興奮している。






阪神電車本線の鉄橋下辺りの右岸堤防はコンクリートで足場がいいし、汽水域手前で堰があるから溜りになってヘラブナ釣り師の姿も多い。

見ているとお爺さんの使用しているリールがちゃちなのか、ドラグを緩め過ぎて道糸が出すぎるのか、一向に鯉を近寄せることができない。

後ろで眺めているわたしの視界の右手にヘラブナ釣り師が居る。忌々しい顔つきでお爺さんを睨んでる。






お爺さんは竿をあおってはリールを巻いて、傍らの少年に満面笑みで誇らしくなにやら自慢げな口ぶり。

ドラグがギーギーと音立てて巻き取る量より糸出し量のほうが勝ってる感じ。

「こらぁ、あかんわ」って、水面を切る道糸の行方に目をやるとヘラブナ釣り師の方へ走ってる。






「コラッ、おっさんっ早よ上げたれやっ」どすこい怒声が響いたね。「興醒めさせよったね」






小柄なお爺さんが慌ててリールをおもくそ巻いている。少年を喜ばそうと遊びを入れていたんだね。

お爺さんを睨んでる釣り師を、わたしも睨みつけた。視線が合ったね。「いつでも遣ったるでっ」って、睨み返したら目を逸らしよった。

「おどれの川やないやろっ」って、珍しく頭にきたね。






同じ釣りするものが、なんで解らんのん? お爺さんの心を思い計ったれよ。少年の思いを大事にしたれよ。「この糞野郎がっ」



















見ず知らずの他人(ひと)さんでも、今、其の人の置かれた状況を瞬時に思い計って協力してあげろ。和やかなうちに終わらせてあげろ。

それしきの思い遣りもできずに「よお、大人やってるね」川へはまって浮いてろ、馬鹿め。

縄張り意識の強い釣り師が多いね。昔の話でした。武庫川か、ハエが綺麗な色を輝かせて次から次へと「よく釣れたね」




















独り言-389 『「忘却」は、精神を救い、心に安寧をもたらす』

2012年04月30日 | 日記







「相手の思いを読むことは、幾らかはできる」と、思っている。でも「相手の心の中を読み切ることはできない」

思いは脳からの指令が心を通過することに依って、柔らかくしたり、暖かくしたり、また冷たくもしたり、その状況に最も適しているであろう

色合いに染めつつ相手に伝えるんだろうね。瞬時の脚色だね。






言葉に剣があり、理屈のみに偏る人ってのは心が乏しいのかね?脳からの指示がそのままストレートに発せられるからだろうね。

だから人は、相手から発せられる言葉から、その思いや心の有り様などを反射的に捉えることができる。

この反射的に捉えた感覚ってのは、大方当っているんじゃないかな? 捏(こ)ねずに頂く素の味なんだろうね。


















知恵の働く人が居る。其れも半端じゃない人の知恵ってのは、心に溶け合って人格化するんだね。其の人を読むことは至難の業だろうね。

脳と知恵と心が一体化するんだろうね。正体が掴めない。其の才能を善に生かすか悪に利用するかは、その人次第だね。

知恵を振り回す者は、ぶれない軸の大切さを知っている。真実と汚してはいけない部分を心得て意外と整理が行き届き混乱を生じさせない。






わたしの見る限りでは、彼女がそのタイプだね。「だから解らない」






わたしも彼女と「似ているな」と思える部分を持っている。わたしの場合は、自分の弱さをとことん見詰めて知恵を授かった。

授かったというより、授かって生まれたことに気づいたんだろうね。

「恥ずかしい」と隠したい自分の弱さを突き詰めると見えてくるものがある。

「恥ずかしい、情けない」って、思いを誤魔化すのではなく、其れを包容してひとつの人格を形成するんだろうね。






己の弱点に目を逸らさず常に対峙して理解に及ぶまでもがき苦しみ思考を重ねる。人の痛みが解るようになる。人の心裡が見えてくる。

人の弱さに敏感になる。答えを見いだせなくても傍らで笑って寄り添ってあげようと思えるんだね。

















人は疎(うと)ましい。できるなら独りがいい。でも人さんが寄って来る。次から次へと寄って来る。

「何をしてあげるほどの力量もない」思いを心で包(くる)んで話し相手になるのが精一杯でしかない。

過去を振り返れば、遣り通して答えを見たこともない垂れ流しのような思い遣りで埋まってる。






ただ、それだけのことを積み重ねただけの人生だったね。

大まかに云えば、自分より人さんのために使い古した雑巾のような人生だったね。「べつに文句もないけどね」

「神さんは、何のために、このオレを、此の世に生まれさせたんかな?」って、いつも思うんだね。「意味のない人生の見本かね?」






借金だらけで誰一人に頭のあがらぬ時代があった。弟の世話にもなった。わけの解らぬ人格破綻一歩手前の弟が助けてくれた。

「奴隷になるな」って覚悟を強いた。馬鹿にされ罵られ剣もほろろに遣られたね。誇りはドブに落ちたね。

「返せっ、返せ」って、怒鳴られて警察署の前で土下座させられた。思い出したね。長い年月だったな。






人目の多い処をよったようにヤマ挙げよったね。みそかすに怒鳴られて耐えてる姿は、さぞかし格好悪いシーンだったんだろうね。






何を云っても通じない。どう謝っても通じない。泣いたね。声が出ないんだね。本当に泣くってのは声が出ないんだよ。声なき慟哭だね。

「おまえっ、大丈夫か?」って、あいつ、慌てていたね。誇りが地に落ちて「殺すっ」って、その時は、本気で思っていたね。

わたしは、弟に鍛えられたね。骨の髄まで鍛えられた。そう捉えると憎くもなければ恨みもない。残るのは「感謝かね」・・・変態だね。



















自分を殺すことは慣れている。自分を無にすることも知っている。ただ、誇りだけには意識が敏感なんだね。

ドブで汚れた誇りを二度とは汚さない。そんな思いがこびりついてるね。






他人(ひと)が理解の及ばぬ「思い」があるだろうね。






身に起こることは、取りようで全てが肥やしになる。マイナスは向上の糧だから無駄になるものはない。

「痛み」を知れば温(あった)かさが身に着く。「涙」は、心を潤わして豊かに育ててくれる。「怒り」は、自分の器を知らしめてくれる。

「笑い」は、人さんの心を和まして、自分の心の栄養になるよ。「言葉」は「弄んではいけないよ」って、戒めを教えてくれる。

「忘却」は、精神を救い、心に安寧をもたらしてくれるよ。





















「オレは、アホだから、なんでも、すぐに忘れてしまう。だから、いつも笑っていれるんだよ」

































独り言-388 『ゴマ如き人生』

2012年04月29日 | 日記






知らぬ間に冬は去って春真っ盛り、知らぬことはないけれど過ぎてしまえば、そのように感じてしまうね。



















午前中の空は真っ青に晴れていたけど午後になって曇ってきたよ。

「天気予報」じゃなくて「当れば幸いの天気予報」って、銘打てよ。明日のことも当らんのに週間予報なんかやめろ。



















今日も沢山の人が事故で亡くなっている。大変なGW初日になったね。「遊びに行くのも命がけだね」

金沢から千葉のディズニーランドへ向ってた観光バスが群馬県藤岡市の関越自動車道上り線で側壁に激突したらしい。運転手の居眠りだって。

沢山の客が、あんたを信頼し安心して乗ってんだよ。「そんなあんたが運転しながら寝てどうするんだよ」






襲い来る眠気ってのは、抗しがたい誘惑だからね。一度捉われたら払いのけるのは困難だから、勇気をもって、まず安全な場所に停めることだね。

「眠いです」なんて乗客に云えない気持ちは解るけど、ことが起きてから「眠ってました」なんて云っても全てが遅いよ。

ブレーキなしで激突した防音壁にバスは縦割りされた状態になってる。凄まじいもんだね。




















瞬時に明日を失った人が居ようが居まいが、世の中はなんの変化もなく今日一日を終えて明日を迎えようとしている。

その人にとって自分が何よりも全てだったろうに、自分が全てと思う人たちの集合体からすれば、所詮は「他人事に過ぎない」んだね。

働き蟻が地面をせかせか群がって餌を巣穴に運んでる。群れの一部を踏み潰しても乱れを整え餌を運ぶのをやめないね。「一緒だね」






個に焦点合わせれば大きいけれど、数に焦点おけば個はゴマ一粒如き存在に過ぎなくなる。

命の重さも此れに似て、数から見れば取るに足らずの出来事で忘れ去られる程の嵩でしかないのが「哀しいね」



















人生は「出会いで決まる」し「チョイスで決まる」もんだね。






















独り言-387 『遠くに霞む、昔の話』

2012年04月29日 | 日記







子供さんの登下校の列などに車が突入する悲惨な事故が相次いでいる。

結果としてそうなったのだから、どうのこうの云っても始まらないけど、不思議に思うのは、長い道が続く中で、

道路沿いに人の居らぬ処の方が圧倒的に多いのに、何故、人の居る処を狙ったように突っ込んでいくのかね?






誰も居なければ単なる自損事故で、無免許であろうが、居眠りであろうが、

余所見であろうが、飲酒であろうが自業自得の致すところで「馬鹿だね」で終わってるはずなのにね。

過去を辿れば、似たような処を、実際、自分も歩いたり自転車で走ったりした経験など山ほどある。車と自分が擦過するよな経験もある。






「運命なんだろうかね」



















昔、親父の仕事の手伝いで自転車乗って配達によく走った。10キロ20キロって長い道を走る。当時は、今ほど

車の数はなかったように思うけど、地域に依っては、今以上に危険極まりない処も多かった。

ダンプカーがグワン、グワンと走り行く車道を同じように走るんだけど、道路事情は最悪でアスファルトは熱で溶けて波打って






盛り上がったり凹んだり、凹凸が半端じゃなかったね。車道の端を走り通せない箇所が幾らでもあった。

タイヤが凹みにとられて倒れたら、確実にダンプに轢き殺されていただろうね。






大人になって車の教習所に通っている時、道路を走って居ると後ろからダンプや10トントラックが隣車線を追い越していく。

「引き込まれるなよ」って、教官が注意してる。吸い込まれそうな意識が働いて車を無意識に寄せる傾向があるらしい。

「そんなの働くようじゃ、オレは、もうとっくに死んでるよ」って、腹ん中で笑ってた。





いびつに盛り上がったアスファルトにバウンドしてふらつく真横を、怪物みたいなダンプが同じようにバウンドして

土煙とともに轟音立てて走り行く。そんなのが次から次へと真横を走り行く。

帰ったら「おう、無事に帰って来よったな」って、親父がよく云ってたのを覚えてる。



















交通法規も、今ほど神経質な時代じゃなかったから、飲酒して運転すると心地いいなんて平気で云ってるドライバーがゴロゴロいたよ。

ニュースで映る事故現場のような処をどれだけ走ったことか。それでも事故には遭わなかった。

もっとも、車と車の間から道路を横断しようとして出逢いがしらに宙を飛ばされたことは一度経験したね。






子供だったから右から来る奴が見えない。オートバイがかなりのスピードで来とったんやね。

「ドーンッ」って、まともにぶつかって7~8メートル近く飛ばされた。向かい車線で同じく停まっていた車の後ろ3台目のタクシーの

運転手さんが「大丈夫かっ?」てドアを開けて降りてくるのを、転がったまま目の前で見てたよ。






自転車のペダルの脚がグニャリとひん曲がっておったね。で、わたしは「無傷」だった。

「うん、大丈夫」って云って片足漕ぎで家へ帰ったら「アホッ」って怒られた。「相手のことも何も聞かずに帰る馬鹿居るかっ」って。






オートバイの人は慌てふためいて、何処へやら電話してる。話しながら「ボク、大丈夫かっ?ドウモナイカッ?」って汗かいてたよ。

「うん、どうもないわ」って、笑って帰って来ちゃった。このとき「後遺症」ってのをお袋から教わった。

そいでもって、自分の頭の悪いのは、其の時の「後遺症」って云って、皆さんを納得させる手段に活用したんだね。「馬鹿だねぇ」






遣った人も、遣られた人も、避けようのない宿命なのかな?って、そして、その結果は運命なんだろうなって、思ったりするね。



















オートバイで飛ばされたところは、谷町筋だったような記憶だね。ダンプが走り狂ってた道路が定かじゃない。やけに土煙が辺りを

覆って辺鄙な処だったね。築港のほうだったかな?って、記憶に自信がなさげ。昔風の映画館があったね。

吉永小百合と浜田なんとかの看板を覚えているけれど、土煙に視界が霞むように記憶も霞んで題名まで思い出せないね。






でも、吉永小百合って凄いね。当時は、まだ二十歳前じゃなかったかな?あの時の看板で笑っている顔も、アクオスの液晶テレビのCMの

笑顔も一緒やよ。「この人、幾つなの?」






話がバラけたけれど、今を無事に「生きている」ことを感謝して、欲にかまけて不満や愚痴を垂れ流すばかりの生き方は慎むほうがいいみたいだね。

自分の命は自分だけのためにあるのか、人を気づかすためにあるのか、人を救うためにあるのか、

なにかに対してこそ自分を知る場合があるからね。生かされていると云うのは、そういう「相互の存在」から悟り知るための命なのかも知れないね。
























休憩-102 『即日配達』

2012年04月28日 | 日記







今日は、頭ん中、全滅だね。なにひとつ浮かんで来ない。

出てくるのは、欠伸(あくび)ばかり。「やたらと眠たい」







今日の空は青々として「気持ちのいい」お天気でしたね。

公園の木々に若葉色した新鮮な葉っぱが活き活きと茂り始めてる。緑が最も綺麗な頃ですね。







あまりに空が青々しいのでカメラ取り出し、空をバックに木々の緑を「カシャッ、カシャッ」撮りました。

早速、撮りたての写真を貼ろうとしましたが、カメラのメモリーから取り込めません。カードリーダーがイカレタみたい。

マルチのカードリーダーをネットで検索して購入手続き済ませました。「安くて送料無料、即日配達」なんと便利なことでしょう。







ネットで買う癖つくと、わざわざ出歩いて買いに行くなんてしなくなるね。







今、使用しているモニターもネットで購入したんだすが、画面は27インチででかいし、映りは綺麗だし、全然、眼は疲れないし、

お勧めですね。三菱のDiamondcrysta RDT27IWV。「いいですよ」

値段は4万強だったかね、使って1年ほどになるけど「文句ないですわ」DVDの映画も綺麗な画面で楽しめますよ。







今日は、ホンマにあかんわ。なにも浮かんで来ないわ。


































独り言-385

2012年04月25日 | 日記







ちょっと軌道修正せんといかんなと思うところがある。

知らぬ間に流れができていて、其の道筋に流されるままってことがあるね。

そうは思っていなくとも惰性でしかない流れがある。「惰性から生まれるものに大したものはない」

そんなことを考えていたら、もう夜も更けて11時を回ってる。



















旅行(と云うほどではないけれど)に行ってから調子が狂っちゃったね。「わたしは一点集中型みたい」なにか削がれた感じがする。

さて、何かに集中するってことは、他を排除するに通じるから意外と楽な状態なのかも知れないね。

他の諸々気遣って集中するなんて無理な話だから、形を変えた気侭状態を云うんだろうね。






昔、釣りに没頭していた時なんか其れだったんだろうな。他の事で時間を取られることが苦痛だったね。






今の仕事に就いてから釣りをする機会を失った。

好きなことを失うと、他の諸々ごとが目に付き耳に入り関わってしまって自分自身をも見失う如きやね。

「小人閑居して不善を為す」?って、云うけど「わたしも例外ではないかも知れないね」




















今こそが「釣り」をすべき時なのかも知れんね。自然を相手に夢中に独り遊びが似合う歳じゃないのかね?




















独り言-384 『金沢』

2012年04月25日 | 日記





独り言-其の参百八十参の続きです。





お泊り宿の瑠璃光でのんびり。あまり旅行らしい旅行など縁がないけど、今まで泊まったお部屋では一番綺麗だったね。

其の部屋でお食事と思っていたら一階のお食事レストランへ足運んで行くらしい。「なんやねん」

都会に住んでる奴が旅行来て、なんでまた外食スタイルやのん? 綺麗なお部屋でくつろいで頂くから値打ちがあるんとちゃうのん?





食事前に「愉しみ」の温泉つかろって行ったら「銭湯かよ?」昔を思い出したよ。これ温泉かあ?

檜造りって何処にあるの? 安もんどもはタイル造りかよ。「差をつけよんなあ~」

其の上、食事前やからして人で一杯。「臭い男はオレ一人で充分よ。のんびりできないよ」





レストランは綺麗で上品なんだけど、一品づつ持ってくる度に説明やらなんやら落ち着かん。

一品と一品の間が長いので「サイクル速めて貰えませんか?」って注文つけてる。腹減ってんのに拷問やで。

「美味しいわ」奥さん一人感動してる。「不満やわ~」と、文句ブツブツ云ってるわたしと息子。



















翌朝、朝食済ませて山代から金沢へ。    (上の写真)









金沢駅周辺のビル。            (上の写真)












金沢駅から可愛い周遊バス乗って浅野川大橋まで。ワンマンカーの運転手さんは制服凛々しい綺麗なお姉さん。見惚れてました。(上の写真)

浅野川大橋交番所前で降りて、京都の先斗町みたいな街並みのひがし茶屋街をウロウロ。雨がシトシト風情はあるね。   (下二つ目からの写真)











浅野川交番所前の道路を渡って向い側の古~いお家。   (上の写真)

































このひがし茶屋街で彼女のお土産を買う。オレが、こんな可愛いお店に入るなんて信じられないね。





























ひがし茶屋街をぐるりと周って交番所前に戻り、浅野川を渡って向こう岸の川沿いに面する主計町茶屋街をウロウロ。(上の写真)

傘さして一眼レフ濡らさずなんて難しいから、ナイロン袋を被せて撮るんだけど「撮りにくいねえ~」焦点ボケるよ。













  浅野橋の袂に櫓が建ってる。






  主計町茶屋街の裏手の道。






  主計町茶屋街通りのわき道。






  主計町茶屋街通り。











浅野川大橋袂。   (上の写真)









主計町茶屋街通り。 (上の写真)









主計町茶屋街通りの橋の袂。橋の名前が解らない?   (上の写真)









其の橋の上。                    (上の写真)









主計町茶屋街通り。                 (上の写真)








雨はやまないし荷物は邪魔やし(金沢駅でコインロッカーに預けるの忘れた)カメラに被せたナイロン飛びそうやし「モ・カエロ」

ウロウロしながら金沢駅に向うけど方向がおかしい?「これ、兼六園に向ってるのと違うの?」ってオレ「おかん、計ったな?」「知らんで」

地図確かめると兼六園に向ってる。「兼六園ってなんやねん?食堂街か?」「いややなあ~この子、金沢城跡の横手にある公園やん」

「こんな雨の中、そんなとこもうええで」「金沢まで来て兼六園寄らんと帰るのはもったいないとは思うね。でも、モ・カエロ」





兼六園(金沢城跡)の横手に沿った道路を歩いていると大手堀左手に公園出入口、通り過ぎると堀が道路と平行して現れる。















兼六園(金沢城跡)の欠片だけ見て「モ・カエロ」振り返ると綺麗なホテルがある。KKRホテル金沢。1階の喫茶ルームで休憩。

「ああ~疲れたあ~」金沢駅までタクシーで戻ることにする。「コーヒーが美味いねぇ~」生き返るわ。

早めに駅に戻ったために駅で1時間ほど時間潰して、定刻、サンダーバードに乗り込み帰途に着く。















教訓、歩きの旅行では荷物は一切要らん。足らぬものは購入して賄えばよい。旅は身軽が一番。「ほんとなら一人旅が理想的やね」























独り言-383 『金沢』

2012年04月24日 | 日記






21日、22日、大阪駅、加賀温泉の山代、金沢で「カシャッ、カシャッ」撮った写真です。「今日は山代温泉街」











大阪駅で電車の待ち時間にホームから「カシャッ」   (上の写真)











加賀山代温泉駅 「なんにもない処だね」       (上の写真)












お泊りは「瑠璃光」送迎車から最初見た時は「病院かいな?」って思ったよ。中へ入って綺麗だったので「ホッ」っとした。(上の写真)













ちょっと街並みを散策したけど「なんやのん、ここは?」田舎の住宅街かいな? 温泉街の雰囲気なんかゼロ。それらしい一角を「カシャッ」











部分的写真で誤魔化そう。











70~200ミリのレンズだけ持っていったので全体写真が撮り難い。



























これから、もうちょい行くと「此処だけ」って感じの観光地広場がある。   (上の写真)











通りから入った処に古い陶器屋さんがある。扱っているものが「高そうよ」  (上の写真)



















陶器屋さんの横手の道をずっと戻ると池(真弧ヶ池)があった。此処で一服。 (上の写真)











池に張り出た休憩用のテラスのような処から、パンパン手を叩くと足元へ大きな鯉が寄って来る。

パン切れ放ってやると奪い合いで静かな水面が波立つ。「鯉ってデカい口してんね」























「あっ」こいつはドイツ鯉やね。   (上の写真)





ふつう、鯉にパンくずなんかをやる時って、上手投げにせよ下手投げにせよ優しく「ポイ」と放ってやるでしょ。ところが、うちの聖徳太子(息子)

は、柵に身を乗り出し水面にぶっつけるように投げよる。足元に寄っていた鯉どもが、吃驚してガボボッて水面割って逃げ散るの。

そして暫くすると、浮いてるパンを探すんだけど、水面には桜の花びらが沢山浮いているから迷いよるんやね。

迷って居るとこへ、また腕振りまくって投げよるから吃驚してガッボッ、ガッボッって逃げよる。「なんか恨みでもあるんかいな?」





身体支えてる柵もブルルルッって震えてる。「おまえ、はまるぞ」もっと優しく放ってやりって、云ったら「教えてもろうてない」

二十歳超えた奴が言う台詞かよ。「自分で考えて解るやろ?」笑っておるわ。「鯉も云うとおるで、落ち着かんって」





下手投げで優しく放ったら足元の床に落ちてる。「ほんまに鈍臭いね、おまえ」「オレ、投げたりするのんアカンねん」





オレと息子が鯉に餌やって遊んでる間、奥さんはボ~と考えごとしてる。パソコンで調べまくって「これかいな」って悔やんでるの?

悔やんで正解やね。思うに、此処は車で来て、車で他所へ遊びに行く中継所やで。「また失敗やったねぇ」




















休憩-101

2012年04月23日 | 日記







昨日、今日と、ちょっと金沢まで行ってきました。「疲れました」

















昨日は、金沢手前の加賀温泉で宿をとり一泊して、今日は金沢へ足を延ばしましたが、天気はあいにくで小雨が振り続く一日「うんざり」

どこぞへ出掛ける都度に思うけど部分的な見所を追いかけて移動を続けるって馬鹿らしいね。

気に入ったところで満足したら、その旅はそれで終わりってのがいいよ。「浅ましく次から次へと周り行くもんじゃないよ」














「べつに大したもんでもないよ」取って引っ付けたようなものばかり。ただただ疲れただけでした。






















遅く帰ってきてヘタヘタ「ブログ書く元気も残ってないよ」 今日はちょっと報告だけで終わりです。






















独り言-382 『メール』

2012年04月20日 | 日記






話す言葉は音を発して告げるごとに消えていく。





メールは一言、二言ごとに送受信しつつ疎通を図り、伝えた言葉は活字で残る。

手紙と似ているね。相手に伝えるインパクトは強いだろうと思う。つまり、余韻が残るんだね。

相手に好意をもっていれば「良いイメージ」に捉えやすい。魔法がかった力があるように思えるね。

















原語の洋画ではスーパーインポーズ(字幕)が訳した言葉を活字に代えている。要約されて無駄の無い台詞になっている。

同じ洋画を吹替えで観ると原語で観たイメージと少し異なって感じることがある。

言葉が軽くなっているように感じるんだね。

















携帯は持っているけど仕事関係で使うだけ。メールなんて関係ないに等しい。

でも、時折、小中学の男子や女子などが面白がって寄越してくる。これに相手なるのがひと苦労なんだね。

こっちはチョボチョボ打って返信するんだけど、向こうは跳ね返るように戻ってくる。一言、二言の応酬って感じで途切れない。





「★★ちゃん、何してんのん?」って、今年小5になったおませな女の子が覗き込んでくる。

「見りゃあ解るでしょ。女の娘(こ)にデートの申し込み中」覗き直してる。「ちゃうやん、誰これ?」読んでおるね。

「はあ~」疲れた。「よし発信っ」したと思ったら受信。「ええ~、もう戻ってきたのっ?」息つく間もないがな。





「★★ちゃん遅いなぁ」こんなもん速く打つ奴がおかしいよ。ちっこいボタンに大きな指。チョボ、チョボ「あっ」「あっ」「間違ってるやん」

「あっ、消してもたっ」「なにやってんのんっ」隣で怒っとおるわ。「かしてみいっ」取上げて「なんて打つ?」

「そうだね、今晩おヒマ?といくか」「ちゃうやろっ」なんでおまえが打つのよ。





こんなのでも伝わってるね。でも、こっちは必死に打って相手なってるから「いつ終わるの?」って思ってしまう。新世代の機器だね。

彼女なんか授業中にめくら打ちでこなすという。人間じゃないね。「恐るべしやね」



















交信終えてから、今しがたの遣り取りをチェックすると会話になってるね。「なるほどね、よく伝わってるよ」

相手の交信中の姿を悪いようには想像しないね。こっちの方は、小5のおませな女の子との合作なんだけど相手には解らない。





クリスチャンに成り代わってロクサーヌに恋文を送り続けたシラノ・ド・ベルジュラックじゃないけれど、遠い昔からの文通に似て

言葉が独り歩きする傾向があるね。受け取る側の期待度が、相手のイメージを善くも悪くもする影響を孕んでおるように思うね。





今日、高3の女子が「ほかのと付き合うなよ」って、言うねん。「新しい彼氏か?」「うん」「どんな子なの?」「知らんねん」「ええ~っ?」

「向こうは、おまえを知ってる・・わな?」「知らんねん」「ええ~っ?」この女子と話してると、自分は石器人かな?って思うわ。

メールだけの遣り取りで「ほかのと付き合うなよ」って「ある意味、凄いね」こいつの厚かましいとこ、ちょっと分けて欲しいわ。





























休憩-100

2012年04月20日 | 日記






今日で366回目、ブログ始めて1年を経過しましたね。

独り言を381回、休憩を100回、計481回まで駄文の山を積み上げました。





此の一年、お付き合い頂きました皆様には、大変ありがとうございます。





誤字や妙な文につきましては「困ったね」程度で流してやってください。

気侭に思いつくままの駄文にて、読まれる方の寛容なる解釈にお任せしております。















「努力」って、「女」の「股」に「力」、そして、また「力」と書くんですね。産み出すってことなんでしょうね。

女は命張って子を産み続けますが、今の男は、鉄砲持って命を賭けることもなく「ただ、働くだけでは立場は弱くなるわねぇ」金玉の価値も落ちたね。





















独り言-380 『笛にならない口笛はオーケストラ』

2012年04月19日 | 日記







「あっははははは・・・困ったね」時間がないね。なんにも浮かんで来ないね。もう、2時間近くパソコン眺めて動かないね。

昔から、心が沈んだりして意気が上がらんときは、脳裏に残る映画のシーンを思い浮かべて、其の映画音楽を口ずさむ癖がある。

パソコン眺めながら2時間ほど遣ってたね。「いいねぇ」







口笛にならない程度の要領で、霞んだ音が出るか出ないかの微妙なものなの。

この霞んだような音質は自分ではオーケストラ風に聞こえるのよ。「ホンマかいな?」ホンマです。

「ふっふっふぅいいぃぃ~ふふふふふぃ~ふぃ~・・・」なんてね。これは「史上最大の作戦のマーチ」なんだよ。「どこがやねん?」







歌など歌ったことがないけれど、自分では音感はいいほうだと思ってる。解らん奴には解らん。

「ほぉ~ふふふふう、ふいっふふふぃ~ふぅっふふふふうふいぃ~・・・」なんてね。これは「騎兵隊のマーチ」だよ。「一緒やんけ」

馬鹿だね、活字で現わしてんだから一緒のように思うだろうが、音で現わしたら「ウ~ム・・なるほど」って膝を叩くよ。

わたしなんかCDで聴くより此方の方がのってくるよ。「だから、今は気分がいいよ」「ちょっと、おかしいんとちゃうかぁ?」







他に、わたしが日頃口ずさむレパートリーは「大脱走」「砦の29人」南北戦争で謳われた「ジョニーの凱旋(?だったかな)」

「シェナンドー」「テキサスの黄色い薔薇」そして「西部開拓史」





















それと、とっておきが、題名不明なんだけど、ジョン・フォード監督が好んで用いる、西洋の民謡・・・なんじゃないかね?

「リオ・グランデの砦」のタイトル・バックでも使われているね。「この曲が好きだねぇ」

哀愁漂うというか、逆に、心温まるっていうか、おそらく、開拓時代に生きた人々の夢や希望を謳っているんだろうね。「いいねぇ」







実際の生活には映画のようにバックグラウンドミュージックはないからね。「有ったら、其々が思い思いに鳴らすからやかましくて気が狂うわ」

イヤホーンなんかで聴きながらってのはBGMに近いね。そう云やぁ、昔、自転車飛ばして職場に向う道すがらやってたね。






花の写真なんかを眺めてるときは「愛はかげろうのように」を口ずさんでるね。「いい雰囲気だね」






















「ふっふうっふ~、ふう~ふう~ふーふうぃふぃふぃ~ふぃ~・・・」























 

カメレオンの独り言