カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1225 『懐かしの映画 慕情』

2014年09月08日 | 日記







 『慕情』 1955年度作品  9月8日







たしか、この恋愛映画はだね、学校サボって親父の仕事の配達を済ませてから、一人仕方なくテレビを点けたときに、偶然、観たんだね。

親父やおふくろに勉強でもしろって、𠮟られないかとビクビクしながらゆっくり観終わったよ。「表現が、おかしいだろうが」 

バレなかったから、結果的にゆっくり観れたんだよ。まだ、少年だったけど、なんか、良かったなあ~って思ったのを覚えてる。





「学校サボって、ガキが、恋愛映画を観てたって格好悪いねえ」 全然。美しいもの、優れたものに接して感動する、情感豊かな心を育む情操教育だよ。

お蔭で、男と女の情愛が理解できたよ。「このっませガキがっ」 男と女が人生の全てって言い切る人も居るんだよ。

気取ったところで、此の世は、喰うことと男と女だよ。愛するってことは、こういうことかあ~って感動したよ。「ウソつけ」





今、思うとオレにとって最初の恋愛映画だったね。西部劇や戦争映画で女が出て来ると、なんかダラつくから、「出てくんなっ」って、よく怒ってた。

正確には覚えてないけど、ヒロインの女性がやけに優しく可愛い人に思えたよ。香港が舞台で、ヒロインは、白人と中国のハーフなんだね。

香港の丘の上で、ウイリアム・ホールデンとデートをするシーンをよく覚えてるよ。これもね、慕情のテーマ曲が流れて、いい雰囲気だったねえ。













当時は、まだ、白黒の14インチブラウン管テレビだったからね、当然、映画もモノクロで放映されてる。 














ユーチューブは思いでの宝庫だね。山ほど観た映画の中で、何か語れるものはないかいなとウロウロしてたら行き当ったよ、

おお、これこれって感じで、『慕情』 を思い出して、マット・モンローが歌う主題歌を暫く聴いていたの。カラーの動画が流れてるよ。

あの女優さんは、ジェニファー・ジョーンズだったんだね。少し化粧で東洋系に仕上げて、振る舞いも、どこか東洋の女性を匂わせていたね。















1949年、第二次大戦終了後のイギリスの植民地の香港で、ハン・スーイン(ジェニファー・ジョーンズ)は勤務医をしている。

中国国民党の将校で国共内戦で戦死した夫を想う失意の日々だったけど、医療に身を捧げて生きようと踏ん切りをつけたんだね。「おまえなあ~」

「こんなところでフン切りつけたなんて云うかあ~?」 じゃあ、どう云うんだよ? 「う~ん、未練を断ち切るってのも変だしね」 





ここだよっ、こういう時に言葉の貧困を思い知るんだよ。貧乏は嫌だね、つくづく貧困は悲しいよ。「立ち直るってのはアカンか?」 

う~ん、医療に身を捧げて生きることで悲しみと決別して立ち直ったんだね、でいこか? 「なんか、釈然とせんけど、フン切りよりはええで」 よし。

そんな折、アメリカ人の特派員マーク・エリオット(ウイリアム・ホールデン)と出会う。お互いに惹かれ合うものを感じ、やがて恋に落ちるんだね。





懲りないんだね。「余計なこと云うな」 立ち直ったばかりだよ。「悲しさ、寂しさの穴埋めだよ」 土木課か? 「いや、新聞記者だよ」 なんの話や?





















しかし、エリオットは別居中の妻がシンガポールにおり、離婚の話し合いのため当地へ行くがうまくいかず二人の関係は香港で噂となる。

こんなのを噂して気にする奴等の神経が解らんわ、放っといたれ。根性のさもしいその他大勢の奴等めが。ねたんでんだろうかね? じゃあ、自分もやればいいんだよ。

人は、それぞれに運命に生きているんだよ。ヘチャムクレだったら、こんな機会は、なかなか無いだろうね。「余計なことを云うな」 





















可哀想に、二人の幸せは、長く続かなかったんだね。間もなく中国大陸の殆どの地域は国共内戦の末に中国共産党率いる中華人民共和国が支配するようになる。

ハン・スーインは中国大陸へ戻るよう説得される。「誰からや?」 中国の奴等からだよ。そして、ほどなく朝鮮戦争が起こる。

エリオットは、特派員として朝鮮に派遣されるが、そこで戦死する。戦争によって引き離される男女を描いた、いわゆる悲恋物語なんだね。




























「スタンダードな展開ながらも主役2人の卓越した演技力に加え、細やかな心理描写によって、見事に感動させられてしまう、さすが名作!といえる作品」

なんて、紹介されてるよ。オレは、こんなのが書けないんだね。「スタンダードな展開ながらも」 ふ~ん、「主役2人の卓越した演技力」 ふ~ん。

たしかに感動させられるよ。二人でデートした思い出の丘の上、見上げるとエリオットが笑ってる。駆け上がるハン・スーイン、でも、それは幻影なんだね。





























二人が幸せだった頃を偲んで丘の上で泣き伏すハン・スーイン。薄倖の女性(ひと)だね。慕情のテーマ曲が流れるんだね。















『慕情』(Love Is a Many-Splendored Thing)は、1955年に公開されたアメリカ映画。監督は、ヘンリー・キング

ベルギー人と中国人の血を引くハン・スーインの自伝をもとに映画化されたらしいね。と、いうことは実話だね。(映画では、英国人と中国人のハーフ)

サミー・フェイン作曲による主題歌は映画音楽史上の名作と言われ、第28回アカデミー賞歌曲賞を受賞してるね。







Matt Monro - Love is a many splendored thing (慕情 / マット・モンロー)








映画 『慕情』 主題歌  ” LOVE IS A MANY-SPLENDORED THING ” (1955年・FOX)




love is a many-splemdored thing
愛とは日々積み重ねて芽生えたもの。

it's the April rose
それは四月の薔薇、

that only grows in the early spring
早春の時期に限って蕾が花開く薔薇。

love is nature's way of living
恋は自然に芽生える、生まれながら与えられているもの、

a reason to be living
生命の生き甲斐の一つの理由。

a golden crown
黄金の冠へと、

that makes a man a king
恋は一人の男を守り抜く、一人の王様へと変える。













once on a high and windy hill
昔、小高い風吹く丘の上で、

in the morning mist
朝の霧立ちのぼる中、

two lovers kissed
愛する2人が口づけを交わした。

and the world stood still
そして2人の世界時計はそこで止まったままにある、

then your fingers touched my silent heart
貴方の指々が、沈んでいる私の心に触れた途端、

and taught it how to sing
私は再び、貴方から命の鼓動の歌い方を教えられた。

yes true love's a many-splendored thing
そう、真実の私達の愛とは日々積み重ねて芽生えたものだと、言う事を。













once high on a windy hill
昔、小高い、風吹く丘で、

in the morning mist
朝の霧立ちのぼる中、

two lovers kissed
愛する2人が口づけを交わした。

and the world stood still
そして2人の世界時計はそこで止まったままにある、

then your fingers touched my silent heart
貴方の指々が、沈んでいる私の心に触れた途端、

and taught it how to sing
私は再び、貴方から命の鼓動の歌い方を教えられた。

yes true love's a many-splendored thing
そう、真実の私達の愛とは日々積み重ねて芽生えたものだと、言う事を。

















 『ジェニファー・ジョーンズ」







「なんでジェニファー・ジョーンズだけ写真紹介すんだよ? ウイリアム・ホールデンも貼ったれよ」 男は、星の数ほど居る。「女もだろが」 

綺麗なのは少ないぞ。 「おまえは、なんか偏見染みた根を持ってるね」 正直なんだよ。この物語でも、そうだよ、なんで美男美女なんだよ?

「偶然なんだよ」 苦しい言い訳すんなっアホ。「もっと、精神性を重きにおいてものを見ろっ」 置いてりゃいいよ。「なんだよ?」





目に見えるものを度外視して生きてりゃいいよ。「それが正しいんだよ」 内面から出る美しさを云ってるんだろ? 「そうだよ」

では、一方は、ヘチャムクレ、もう一方は、ジェニファー・ジョーンズ、どちらも内面相照らすほどに美しい。

ここで問題です。特派員のウイリアム・ホールデンは、どちらの女性を選んだでしょうか? 「拷問のような問題だね」 なんでや?





























カメレオンの独り言-1224 『懐かしの映画、砦の29人』

2014年09月06日 | 日記







   9月6日







此の映画を観たのが、1966年(昭和41年)とは思えないんだね。なんでかねえ? もっと、あとの新しい映画と思い込んでたよ。

大阪難波の南街劇場の封切りで観たと記憶するんだけど、その時、たしか、おれは、もう、おっさんやったでえ。「気苦労で老けてたんとちゃうか?」 

オレはね、そんなタイプじゃないんだよ。「どんなタイプや?」 苦しい渦中に在りながら、真正面に向き合いながらだね、気を抜く術を知ってたよ。









『今は、もう、無くなった南街劇場の館内、懐かしいね』






「じゃあ、ただの記憶障害だね」 そうだね、クソッ。しかし、そうだったかなあ? 1966年に封切られた主な映画をあげるとだね、

「007/サンダーボール作戦」「メリー・ポピンズ」「バルジ大作戦」 「グレート・レース」 「戦争と平和」 「ネバダ・スミス」 「テレマークの要塞」

「ドクトル・ジバゴ」 「巨大なる戦場」なんてのが公開されてたんだね。「007/サンダーボール作戦」は、御堂筋の南御堂ホールの試写会で観たんだね。







 『昔のスバル座の写真残ってないね。向こうにちょっと映ってる』







ジュリー・アンドリュースの「メリー・ポピンズ」は千日前スバル座で公開されてたのを覚えてるよ。

あれ? でも、おかしいなあ、「ドクトル・ジバゴ」も千日前スバル座で公開してたのを覚えてる。どちらかが、先の公開作品だったんだろうかね?

「記憶障害じゃないのか?」 黙れ、タコッ。これは、鮮明に覚えておるよ。1年は長いからね、後先、公開されたんだよ、きっと。















「バルジ大作戦」も観たね。これはあ~何処だったかなあ? これは、たしか、梅田のシネラマOS劇場だったかなあ? 内容はいまいちだったね。

ドイツ戦車部隊の指揮官役のロバート・ショーが、軍のオープン・カーの後部座席に乗って田舎道を走ってると連合軍の戦闘機だったかな?

急降下で飛来して飛び去るのを、堂々と見上げて動じないんだね。あの時の彼の勇姿が鮮やかに残ってるね。





「グレート・レース」も観たよ。20世紀初頭、ニューヨーク・パリ間の自動車大レースを舞台にした物語で、トニー・カーティス、ジャック・レモン、

ナタリー・ウッドが共演してた。この映画は、ナタリー・ウッドがギター爪弾きながら歌うシーンだけが記憶に残ってるだけだね。

でも、この映画は、封切りじゃなしに、後年、千日前のA&Pスーパーの2階の映画館、弥生座で観たね。この映画館も随分とお世話になったよ。





あと、スティーブ・マックィーンの「ネバダ・スミス」も試写会で観た。「テレマークの要塞」は、道頓堀の松竹座だったと思うよ。

それから、カーク・ダグラス、ジョン・ウェインの「巨大なる戦場」も観た。将軍役のカーク・ダグラスが、味方の歩哨に打たれて死んだね。

あの年に観たことになるんだけど、これだけ抜けてるね。その抜けた映画は、ジェームズ・ガーナー主演の西部劇 『砦の29人』 なんだね。





当時、異色の西部劇って感じがしたね。なにが、そう、思わせたかって云うとタイトル・ミュージック(音楽はニール・ヘフティ)が斬新だったね。

赤茶けたデイアブロ渓谷に息も絶え絶えの人馬が彷徨うように現れて、フラフラと歩み行くんだけど限界なんだろうね、馬は倒れて動かない。

乗馬していた女性が、立ち上がりよろめき歩き出す。そこへ騎馬したインディアンが二人駆け寄って行く。














































































































































岩陰で、其の様子を見ていたジェームズ・ガーナーが、馬の鞍に備えたウインテェスター銃を抜き取ると、其のインディアンを撃ち倒すが、一人は、逃走する。

このプロローグからタイトルに移行する辺りから流れ出す音楽が、実に良かったねえ。ワクワクしたよ。

馬を失ったインディアンの一人が発射するライフルの銃声がこだまする渓谷の中、ジェームズ・ガーナーが、助けた女性を後ろに乗せて駆け出すんだね。





オレは、この映画を思い出して浮かぶのは、此のプロローグのシーンとタイトルに流れる主題曲だね。「あとは?」 ぱらぱらとうろ覚え。

もう、ひとシーンあるにはあった。騎兵隊の隊長(ビル・トラバース)が、インディアンの包囲網から、夜間の強行突破を敢行する際に馬上でなにやら独り語るんだね。

何を云ったか記憶にないんだけど、バックに流れる音楽と、その台詞の響きが格好良かったんだねえ。オレは、こういうのに弱いの。

































『砦の29人』 (Duel at Diablo)」(原題:ディアブロ渓谷の激闘)

1966年(昭和41年)製作 アメリカ映画 監督:ラルフ・ネルソン(Ralph Nelson)

主演:ジェームス・ガーナー、 ビビ・アンデルセン、 シドニー・ポアチエほか、 ビビ・アンデルセンはスウェーデンの女優さんだね。

























倒したインディアンの馬と愛馬との間に身を伏せて、生き残ったインディアンがライフルで狙う前を突っ切るんだね。
























効果音楽とあいまってインディアンが撃つ銃声がいい。渓谷にこだましてズギュウ~ンッホウワホウワホウワアーンって尾を引くんだね。「なんやねん、それ?」

銃声のこだまだよ、これがいい。ズギュウ~ンッホウワ~ホウワ~ホウワア~ンが似てるかなあ? 「解るか、そんなもん」 

映画を知らんねえ、この効果音は、映画を高める上で馬鹿にならないんだよ。ホ~ワン~ホ~ワン~ホ~ワン~かな? いや、ホワ~ホワ~ホワ~かなあ?












































インディアンの馬に銃弾が当りもんどりうってぶっ倒れる。 「しまったああ~おいたちの馬を撃っちまっただあ~」 「こんな台詞があんのか?」 無い。

































プロローグの場面だから無駄がないんだね。ふらふら彷徨う女性を助けねばならない。一旦、くぼ地に下りおりて、再び、突っ走る。



















































































インディアンのライフルの射程内をふらふら歩く女性に 「伏せろっ」って怒鳴って砂のくぼ地へ転がし落とす。




















































































脱水症状で女は意識朦朧(もうろう)ジェームズ・ガーナーにアパッチ語でうわ言のように話す。「オレはアパッチじゃない」 

馬の鞍に吊るした水筒を取りに戻り女にあてがうとインディアンの様子をうかがい見る。



























































「何処から来た?」 女はクリールと答える。「オレも其処へ行く、送って行こう」 女は起きだして「彼には私が必要」

「クリール砦との100キロの間はアパッチが居るだけだ」 「アパッチは私を傷つけないわ」 と云って立ち上がりくぼ地の上へ歩き出す。

こいつ、何を云ってんの? ジェームズ・ガーナーは訳解らない。ふらふらくぼ地から出ると、ズギュウーンッホワホワホワ~。





こんな夢遊病者をまともに相手になってられない。ジェームズ・ガーナーは、女を馬の方へ引き戻して走り下だる。



































































































Neal Hefti - Duel At Diablo



『最後のほうで貼った動画を消されちゃったので違うのを此処に貼っておきます』







くぼ地から駆け出す二人に、待ち受けるインディアンが射撃する。渓谷に銃声がこだまする。タイトル・ミュージックが流れ出す。

此れを映画館で観たときは、おお~素晴らしいって感動したね。オカマの瞳を見開いて夢中だったよ。「どんな目やねん?」

カメラは、上空を飛んで二人を乗せて疾走する馬を俯瞰で捉えながら前を行くんだね。



























































こうして、タイトルに繋がっていくんだね。今日は、プロローグだけで終っちゃったよ。





「プロローグだけで終わる映画紹介なんてないで」 それがいいんだよ。このあと、どんなんなんだろう? 他に、まともな映画紹介、山ほどあるよなんてね。

このほうが、本編を観たくなるんだよ。「訳解らんじゃないか」 観れば解るよ。「おまえ、そればっかしやね」

解らんぞお、オレの映画紹介でDVDを借りて観てる人が居るかも知れん。なんでもね、良い方にとっておけば疲れないよ。





今日紹介したかったのは、此れでお終い。思い出したけど、此の映画のラルフ・ネルソン監督がラストに騎兵隊の隊長役で出てんだね。ふざけた奴だよ。  

素人の学芸会を観にきた訳じゃないんだよ。シラケるではないか。「下手なのか?」 下手も上手もない役なんだけど監督って解ってるからいかんのだよ。

締まらなくなるんだよ。遊び場じゃないんだよ。おまえが出たあと、みんなが作りもの臭く感じるんだよ。隊列組んでもお笑いだよ。





映画館のスクリーンが破けて、そこから裏で作業する人が見えてるのと同じだよ。微妙なもんだね、役者なら下手でもシラケを全体にまでは及ぼさない。































けじめを知らん監督 『ラルフ・ネルソン』 何故かしら、馬も馬鹿らしくて笑ってるよ。「ホントだね」











砦の29人(Duel at Diablo) オープニング(Opening scene)1/2 with Eng/JPN sub



日本語字幕付き、字幕は画面右下CCキャプション(左から二つ目)をクリック。







いつまで、消されずに持つか解んないけどユーチューブに、このプロローグのシーンがあったので貼っておきましょう。

オレは、このシーンだけで満足したよ。音楽が終わる処でカットすればいいのに中途半端な続きが入ってる。あっさりを心得ないとポイントがボケるよ。

「エラそうに。おまえも馬鹿だよ、この動画で事足りるじゃないか」 だから、素人は嫌なんだね、動画は、すぐに消されるの。根性臭い奴等だよ。





此れだけ貼って済ませたら、消されてみろ、何にも残らないじゃないか。真っ黒けの画面だけだよ。「なるほどね」 

しかし、このコマ送り的な画像貼り付けは、ほどほどにせないかんね。「なんでや?」 馬鹿らしく疲れるよ。

でも、ずう~っと残るからね。「馬鹿らしいのがか?」 そうだよ、こんなのやってたんだねえって、あとで自分を馬鹿にするの。「自虐的だね」





ラルフ・ネルソンみたいな有名な監督でも馬鹿するときは馬鹿をする。ど素人のおっさんが、馬鹿するぐらいどうってことないよ。

「恥を恥とも思わん根性が無ければ物創りなんてやめとけ」 云うね、このおっさん、そんなもん、おまえに負けるかっ。

「誰や?誰と云い争ってんねん?」 ラルフ・ネルソンのおっさんだよ。「おまえ、ビール呑んでるな?」 呑んでるよ。





まあ、そいうことで。「どういうことや?」 そういうことでって、終るときに云うだろ、それだよ。じゃあ、そういうことで。

































カメレオンの独り言-1223 『根っこの部分』

2014年09月05日 | 日記






      9月4日







映画の話でお茶を濁して穴を埋めるのはいいんだけども、なんかコバンザメ商法みたいな趣(おもむき)が好きじゃないんだけどね。

映画は、釣りと同じくらいに好きだから画像を貼って自分なりに愉しんでるから続けてるけどね。

同じやるならオレ流の映画紹介もどきでないと、評論家が書いてるようなのを真似ても面白くない。そんなのはごまんとあるし、第一、難しくて書けないよ。





で、オレ流で仕上げたらハチャメチャだね。子供の発想に近いんじゃないの? 「幼稚なんだよ」 その無邪気さを大事にしたい。「どっちやねん?」

創った奴が、へええ~って感心するような、奥底覗いたような捉え方で映画を紹介されてる人も居るね。

創った奴が、そういう捉えかたもあるんだねえ~なんて教えて貰ってる場合もあるんじゃないかね? 作者の想いと解説は、果たして一致してんかね?





人の思いなんて、そうそう読み解けるもんじゃないと思うけどね。捉え方なんて、人それぞれだからね、

創った奴より理詰めで解説してるのを読むと評論家受けする作風なんてのがあるのかも知れないね。

意味不明な映画をえらく持ち上げて感嘆してるのを見ると、この解説してる人自体が意味不明な感性を宿してるのかも知れないと思ったりする。





今日は、ちょっと、映画紹介もどきは休憩して独り善がりな臭い話しに戻りましょ。「臭いって解ってんの?」 解ってるよ、ちゃんと自分を知ってるよ。

















今年の夏は、総体的に日照時間が少なかったね。なんかはっきりせん空模様の日が続いて8月は終わった。暦の上では、もう、秋だね。

なにかの切り替わりの折には、決まって、よしっなんて気合を入れるんだけど何も変わらんね。「おまえが変わらねば、何も変わらんよ」 

そう簡単に変わるほど軽くは出来ておらんわ。でも、中身は、甚だ軽くて頼りないけどね。「見せかけか?」 そんなところだね。「じゃあ、変えちまえ」





何を、どう変わるんだよ? 「そうだね、ハッタリ捨てて気弱で臆病で子供のままのおまえだよ」 半ズボンでも履くか。

「こう在らねばならんって云う枷(かせ)を外せってことだよ」 人は、皆、多かれ少なかれ、そうして生きてるんだろ? 「もう、生きて来たじゃないか」

「おまえの、一番の望みは自由だろ? もう、自由に思うままに生きろ、映画は終わったよ」 演技をしなくていいと云うことか? 





そういえばそうだね。死ぬまで演技で生きたら、ホントのオレは生きることなく終わるということか。

オレは、若い時は、50まで働きまくったら仕事卒業して好きなことに没頭して生きるなんて本気で思ってたもんね。

でも、実際は、今でも働かざるを得ないから働いてる。糞(くそ)食い続けてくたばる人生とは思わなかったね。「仕事が、なんで糞なんだよ」 やっかましいっ。

















オレの生きるという価値観の問題だよ。果たさねばならぬなら糞でも泥でも食いまくる。うだうだと逃げない。人は根性だよ、だから笑いのなかで仕事ができた。

オレの問題だから、人には、一切、何も云わない。うだうだ逃げる奴は逃げる奴の人生だよ。介入はしない。だから、されど仲良くだよ。

オレは、学校連続物語で生きて来た男じゃないんでね、人との繋がりは、それぞれに自分の人生観に倣って生きているって思ってる。





善いことも悪いことも、その人の納得の上だよ。傍がとやかく云うことじゃない。サボる奴はサボるだけの計算働かせて、何かを犠牲にして生きているんだよ。

其れが生命(いのち)だよ。ゴマ粒ひとつの生命を生きているんだよ。オレも、ゴマ粒ひとつの生命を生きてる。先輩も後輩も糞もあるか。

生きるってことは、そういうことなんだと思ってる。力が余れば逃げる奴でも助ける。サボる奴が青くなってたら力を貸す。そしたら赤くなってるよ。





上下関係押し付けの礼儀など嘘を前提の習いじゃないか。生きているってことが全てだよ。生きている価値をそれぞれに活かすってのが基本だよ。

でも、拙くとも礼儀は尽くす、云われて頭を下げる無礼はしない、一生懸命に生きている人への礼儀だよ。回り巡る恩恵に預かる礼儀だよ。

生きてる価値を活かして世に貢献される人は尊敬する。自分の時間を捨ててまで人のために汗する人々には頭が下がる。





胸一杯に呼吸ができて、溢れる水に喉を潤わす有り難味を感じる心があれば、それは、習わずとも、おのずと解ることだ。人は独りで生きて今が在る訳じゃない。

















人の生きざまを、どうのこうのと論(あげつら)う輩がいる。生きた人の心の奥底まで解ろうはずもないのに解ったような講釈で色分けする。

失礼千万な奴だね。人は、究極、当人しか解らない部分がある。逆算して突き詰めれば、その近いところまではいくかも知れない。

しかし、不明なものは不明なんだね。解って堪るかって部分だろうね。ゴマ粒ひとつの生命の主張だよ。





解るのは、其処から芽を吹く茎が、真っ直ぐ伸びるか、ねじれて腐るかの発露になるってことだろうね。





映画は、人が創る。寄り合い集って、それぞれの味が加味されて作品が出来上がる。主軸になる想いが根にある。見えぬ想いの部分だね。

人も映画も創りあげていくのは同じだね。だから、心に通じて胸を打つ。熱い思いがこみ上げて目頭潤んで頬を濡らすときがある。

自分自身が語れない思いの部分を映画は代弁してくれるときがあるね。そんな場面に出くわすと我が意を得たりと小躍りする。





そんな、映画にめぐり合いたいと思うんだけど、最近の映画は、オレの映画紹介もどきと似てハッチャカメッチャカなのばかりだね。














『1940年代頃の、映画配給会社 MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)のトレードマーク』
























カメレオンの独り言-1222 『懐かしの映画、駅馬車 (後編)』

2014年09月02日 | 日記























































































大地をドラムのように激しく叩いて突っ走る馬蹄(ばてい)の響き、もんどりうってぶっ倒れて転び舞い飛ぶ馬と人。

砂塵をあげて車軸が折れんばかりに大地を転んで激走する駅馬車、アリゾナの荒野に馬力と人力と銃と矢の攻防戦を繰り広げて 『駅馬車』 の後編です。

撃っても撃っても、撃たれても撃たれても諦めを知らないインディアンの猛追は、これまた激しさ増しても衰えることを知らない。

























































































































































オレは、西部劇の追跡シーンを観るごとに、よく思ったことがある。なんで、図体のデカイ馬を撃たないんだって、いつも思うんだね。

この駅馬車止めるのだって6頭立ての一頭を撃てば重い死体を引きずっては走れないよ。西部劇映画を長くそんなことを思いつつ観てた頃があったね。

或る日、西部こぼれ話なんて記事を新聞で見て合点(がてん)が入(い)ったよ。「古い言葉やねえ、岡っ引きの八かよ?」 





当時の馬は、大変貴重だったらしいんだね。其れはインディアンも同じくなんだね。やたらと殺していいのは人間で馬は駄目なんだね。 「ウソつけ」

だから、インディアンは、滅多に馬を撃たないんだね。白人社会でも、馬泥棒は、私刑(リンチ)にかけられて木の枝にぶら下げられる。

「いつ解(ほど)いてもらえるの?」 アホか、おまえは、首吊りやないかえ。解いた時には首伸びて死んどるわ。そのぐらいのもんだったんだよ。





「当時の白人も野蛮だったんだね」 そうだよ、銃がもの云う時代だよ。オカマは住めないよ。「コワいとこだったんだねえ」 そうかあ? 

オレはオカマが、堂々とテレビに出て、タレントやってるほうがコワいよ。今は、此れが常識だよ、みんなが狂ってる時代だよ。

何でもかんでも、今と照らして判断できないよ、つまり、常識は時代とともに色変わるもんだからね、昔は昔の常識があったんだよ。





幌馬車隊なんか、襲われて不利な場合は、6頭立てを4頭立てにして、それぞれ2頭をくれてやれば、しつこく襲って来ないこともあったらしいんだね。

賭博師ハットフィールドを演じるジョン・キャラダインなんか、馬車から降りて走れば良かったんだよ。撃たれないはずだよ。「怒りよるぞ」 

「おまえ、駅馬車忘れてんのとちゃうか?」 ああ、そうそう、忘れていたよ。西部こぼれ話の解説が長引いたね。





左脇から追い越し寄り来たインディアンが、槍を放り投げて先導する駅馬車の馬の背に乗り移る。先導役の馬を抑えられたら万事休す。

御者のバック(アンディ・ディバイン)が後ろのリンゴ・キッド(ジョン・ウェイン)に絶叫して知らせる。


































































































ジョン・ウェインという男は、この時代の男の格好のつけようってのを知ってるね。馬を乗る姿勢、銃の扱い方、彼独特の個性が光ってるよ。

銃を支える左手の添えようひとつにも、そんなのが出てるね。ウィンチェスターライフルも小ぶりなものを特注して愛用したらしい。

銃社会のアメリカに於いて銃の重さは誰もが知っている。其の銃を軽々しく扱う、つまり、強い男をイメージしたんだろうね。





2メートル近い巨漢にして繊細な部分にも目を行き届かせて不滅の西部の男を創り上げたね。



























賭博師ハットフィールドを演じる、このジョン・キャラダインって役者が、オレを「駅馬車」から遠のかせたんだよ。「どういうことや?」

少年の頃、映画雑誌で、この「駅馬車」は何度となく紹介されているのを見たよ。

観たいって思ってたけど、こいつの顔写真を見ると、やたらと「駅馬車」が古めかしく感じたんだね。無声映画時代の役者の面だよ。





やたらと長い顔して薄いんだねえ。こいつに影響されて他の出演者までが古~く感じられたよ。

娼婦のダラスを演じてるクレア・トレバーも、其れを後押ししてたね。古い女だねって。「エラそうに」 

感染だね。写真を見る限りでは、ジョン・ウェイン自体がのっぺりした顔つきに見えて、いまいち、見たいって欲求が湧かなかったんだね。





当時で20数年前、今からだったら75年前の映画だよ。オレが観たのは、30数年まえぐらいかなあ? オレの出来上がったイメージを完全に払拭したね。

西部劇黄金時代を築いた礎だね。オレは、興味が働かないと知ろうとしない男だから、洋画好きだけど監督やスタッフなど、ほとんど知らないと云うより覚えない。

でも、遡ってジョン・フォード監督は頭に印刷されたよ。それと「OK牧場の決闘」のジョン・スタージェス監督かね。





昔のオレは、出来上がったものの裏側は見たくないって思いが強かった。「なんでや?」 シラケるがな~、夢が潰れる思いだよ。覚えないのは、その影響だね。


























御者のバック(アンディ・ディバイン)が、銃弾を片腕に受けてたずなを落とす。


















































見てるぶんには然程のことはないようなもんだけど6頭だての馬の間を繋ぐ足場は無いに等しい。走る地面を馬の蹄(ひづめ)が蹴り飛ばしてる。

落ちたらタダで済むはずがない。リンゴ・キッドの積もりに成りきってんだろうね。自己催眠にかけてんだろうかね?

ジョン・ウェイン、あんたは偉いっ。なんでも初っ端に価値がある。2メートルの巨漢は伊達じゃないねえ。





































「保安官っ、弾丸をくれっ」って叫ぶんだけど保安官カーリーは、「こちらも、もう弾切れだ」とライフルのレバーをスライドさせて見せる。



















































弾丸が切れたら、もう、戦えない。女をアパッチ族には渡せない。ダラスを一瞥するんだけど、この際、こいつはいいだろう。「なんでやねん?」

弱い女は殺してやるのが情け、賭博師ハットフィールド(ジョン・キャラダイン)は、最後の弾丸を装填した銃を大尉の妻ルーシーに向ける。

しかし、この大尉の妻ルーシーってのは、自分が産んだ赤ちゃん、ダラスに預けっ放しで、お祈りばかり上げておる。ドアから蹴り落とせっ、イチコロで死によるわ。





このハットフィールドって男も上辺だけに弱い奴だね。貴婦人好みやね。こいつ自体がキザな男だからね、同類、相憐れむだね。





関係ないけど、狭い車内の何処に傷ついた行商人ピーコック(ドナルド・ミーク)がおるのかね? 嵩の高い銀行家ヘンリー(バートン・チャーチル)の姿も無い? 

酔っ払いの医者ブーンは、射撃して居るんだけども、時折、消えるんだね。都合のいい車内だね。「ぎゅうぎゅうだったら、撮影に支障を来たすだろうが」 

すまんだに詰まって身をちじめるってのはどうだ? 「不自然だろうが?」 消えるほうが不自然だよ。















ハットフィールドの手から銃が落ちる。撃たれたんだね。「聞こえるわっ」 騎兵隊の突撃ラッパが聞こえる。

遠い騎兵隊のラッパの音は聞こえても、ハットフィールドの落とした銃の音や崩れ落ちる身の気配など意識にない。無声映画時代の役者らしい死だね。






































勇猛果敢、正義の味方、困った時には騎兵隊、何処の映画にでも参ります。「なんやねん」 そのぐらいに彼らは忙しいんだよ。引っ張りだこだよ。

時折、バカみたいに早く現れて興醒めさせよるときがあるのが玉にキズだね。この映画は、頃合を掴んで、いいところに駆けつけたよ。

執拗に襲撃してた糞インディアンどもめ、蜘蛛の子を散らせて逃げ失せたわ。愚か者の野蛮人どもがっ。「おまえがエラそうに云わんでもええ」





















駅馬車は、騎兵隊に守られて、無事、ニューメキシコのローズバーグに到着した。保安官カーリーは、リンゴの自由を拘束せずに目をつぶる。

リンゴ・キッドの復讐は、闇夜に銃声3発でことは済む。目的を果たしたリンゴは、馬車で待つカーリーとともに刑務所に戻ろうとする。

カーリーは、ダラスとリンゴを御者席に乗せると、自分は乗らずに酔っ払いの医者ブーンと一緒に馬に石をぶつけて走らせる。見逃してやるんだね。





人の情というのは、何処の国でも一緒だね。 「ドアから蹴り落とせっ、イチコロで死によるわって、云った口からよく出るね」 ああ、あれはジョークだよ。





























Bury Me Not on the Lone Prairie
寂しい草原に埋めないで 『駅馬車』 主題歌




bury me not on the lone prairie
おお 一人寂しく草原に埋めないで

These words came low an' mournfully
悲しげな声が響く

From th lips of a youth who lay on his dyin' bed
死の床に伏せる若者の唇から

At the close of day an' to 'em he said
日も暮れる頃に




bury me not on the lone prairie
おお 一人寂しく草原に埋めないで

Where the wild coyote will howl o'er me
野生のコヨーテが吠え掛かってくる所なんかで

In a narrow grave, six by three
縦6フィート横3フィートの狭い墓に

Bury me not on the lone prairie
一人寂しく草原に埋めないで











『駅馬車』 1939年度作品 白黒 アメリカ映画 監督 ジョン・フォード


リンゴ・キッド(ジョン・ウェイン)

保安官カーリー(ジョージ・バンクロフト)

バック(アンディ・ディバイン)

銀行家ヘンリー(バートン・チャーチル)

医者ブーン(トーマス・ミッチェル)、

行商人ピーコック(ドナルド・ミーク)

賭博師ハットフィールド(ジョン・キャラダイン)

大尉の妻ルーシー(ルイーズ・プラット)

ダラス(クレア・トレバー)







考えなくてもええ代わりに、オレの映画紹介もどきはホンマに疲れるね。考えて書いたほうが楽だね。「どうする?」 考えよ。 今日のは、9月2日の分です。





























カメレオンの独り言