解決の見えない問題や悩みに捉われると自分のことがお座成りになってしまう。
「ひとりで解決して」って放っぽり出せる関わりならいいんだけれど、そうもいかない場合もある。
悶々と考えるが答えの出しようのない問題もある。家庭内暴力なんてのが、そういうジレンマを抱えた難題のひとつなんだろうね。
世間にあからさまに出せば、何かしらの救いがあるやも知れないけれど、人は身内のこととして家庭内で収めようと必死になる。
世間体の恥を恐れるね。押さえ込めばマグマは噴き出そうとするから悪循環をもたらす。振り回された20年は長かったね。
仕事を終えて帰宅して暫くするとチャイムが鳴る。毎度のことだけど緊張する。
「お袋、連れ出すからゆっくり寝ぇや」ドアを開けると弟が「おかんは?」「寝たよ」「コーヒーでも行こか?」「おう、行こう」車に乗って出かける。
エンジン音がどうたらこうたらの講釈が続く。合わせて話を弾ませながら「今日はこれで持つな」って思ってる。
外の景色はビュンビュンと変わり吹田の辺りを走ってる。高速券買って中国自動車道を走ってる。
「朝まで帰れそうもないね」腹を据えて「今日は何処までや?」「博多のラーメン食うか?」「お前が欲しいんだろ?」またかよ、やめてくれよ。
「コーヒー代しか持ってないよ」何かに憑かれたような普通じゃない弟が、途切れなく喋くりまわしてアクセル踏んでる。
店の客の常連さんに見るからに魔法使い然としたおばさんがいた。或る日「金魚を飼ってあげなさい」って云う。
夜店の金魚掬いで居るのでいいらしい。「弟さんは車乗るの?」「仕事と遊びで乗り回してますよ」「金魚が身代わりになってくれる」
其の金魚は鯉みたいに大きく育って水槽に居る。世話でオレの用事が増えただけ。
隣の弟がわめいてる。社会がどうたらこうたら、自分の人生がどうたらこうたら。合わせて、合わせて「終わりがないよ」
スピードオーバーの警告音がピンコロピンコロ鳴り続けてる。
毎日毎日、おまえに命を預けて、止めどない怒声を聞かされて、辟易するほどの恨み節の大津波、車のドアを開けたら言葉の活字が溢れ出るよ。
深夜に遥々博多に来て「何があるの?」何処もかしこも真っ暗。「疲れたぁ」誰かのせいで来たような云いぶり。
「お前は運転せんからなっ」「帰りは俺が変わってやるで」「お前の運転なんか乗れるかっ」
「気ぃ狂ったような奴の運転する車に乗る俺はどうなるの?」深夜喫茶に入ってコーヒーを呑んで「朝までに帰らんと仕事や」
「しんど~っ」なんやねんやろねぇ、こういうのって。帰りの中国自動車道は霧が発生して前が見えない。
速度規制が出てる。助手席は眠気との戦い。横で眠ると連鎖する。前が見えないのにピンコロピンコロ警告音が鳴り続けてる。
「もういいよ。生きていても、こんなの続くんならいっそ飛んでいけっ」って覚悟したら眠ってしまった。
「寝とったなぁ」「おう、すまん何処や?」「吹田や」生きて帰っとるがな。「仕事ギリギリやな」
仕事場まで走って貰って間に合う。「タフな奴やね」其の日の仕事を終えて帰宅すると、いつも金魚の世話して犬を散歩に連れてやるのが日課。
鯉のように育った金魚が二尾、同じ方向を向いて水槽の底で寄り添っている。ガラスを指で叩いて餌を遣ろうとしたが動かない。
「?」 果たして、お前たちが身代わりにならぬほどの人間か?「オレもついでに助けてくれたね」土に穴を掘り埋めて礼を云う。
「こういうのって実際にあるんだね」
「俺はアメリカへ行く」気が狂ったようになって20年目、弟は稼いだ金持って米国へ渡った。
39歳でアメリカの大学に入り首席で卒業したが、グリーンカードが手に入らず就職ができないまま19年目の今に至る。
パソコンで各国の学者や教授を相手に哲学論争して打ち負かし日常の会話でどもるって生活をしている。時たま電話がある。
「こっちの空をお前に見せて遣りたいわ」って誘う。
どうしてる?「いろんな奴と会話するけど、お前ほど親身に話聞いてくれる奴は何処にも居らんって解ったわ」それだけ解りゃ充分だよ。
「解って貰おうなんて思うな。そう思うから気が狂う。容易く解られて堪るか」ってぐらいの矜持を持てよ。
人間は独りだ。今、お前が生きている姿がお前なんだよ。しかし、頭の良い奴って、何処か抜けてるね。
オレはお前に「平和に出来てるオレを鍛えてくれたと思ってるよ」辛酸舐めると大方のことは緩くてこたえないよ。
過去を生かすも殺すも捉えようで決まるよ。過去は登るためにあるもので、下ったり引きずったりするもんじゃないよ。