カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

独り言-203 『汗が一筋』

2011年09月30日 | 日記







ネットショッピングのアマゾンって凄いね。昨日の深夜に注文したものが翌日の昼過ぎに配達されて来た。

お店はって商売って時代じゃなくなるんじゃないの?戦々恐々だね。

描いた絵をパソコンに取り込むだけだから「安物」でいいやって価格コムで一番低価な奴を選ぶ。






梱包開けてみると「ちっちゃいね」嵩低くて置くとこ困らないからベスト。腐ってもキャノン。説明書開くが読む気がしない。

また明日。歳かなぁ。新しい物を使いこなすまでが億劫で仕方ない「よし、兎に角、武器が一つ増えた」

昨日はスキャナやペンタブをネットでウロウロ探していてブログ書く時間がなくなってしまった。






居眠り、買い物漁り、ビールを呑む、考える、居眠る、こんなのしてたら時間って「あれまぁ、もう、こんな時間?」になるね。

紙に描くとなると机の上にスペースを設けないといかん。此れがまた面倒臭い。

ステレオのアンプをどけたいけど電線が届かなくなるとかの問題をクリアせねばならない。






仕事の時間は実に緩やかに流れて「腹立つのに」好きなことしてる時間は「ちょっと待てよ」って云ってんのに置き去りに忙しなく過ぎていく。

「逆にならんのかえ」と思う。


















最近、大した事件や事故がないね。「結構なことです」福島県を脱出する人が増えているらしい。

子供のことを考えたら正しい判断だろうね。新しい環境で落ち着くまでが大変だろうな。小沢さんの秘書が有罪判決。

大きく構えてる小沢さん、脂ぎった額に汗が一筋流れたろうね。






東京電力福島第1原発の半径20~30キロ圏内の緊急時避難準備区域の解除を決定したらしい。






対象は南相馬市、田村市、楢葉町、広野町、川内村の5市町村(人口約5万9000人のうち3万人前後が避難している)

「やっちゃったね」除染作業を必死に遣ってるけれど「後々、本当に大丈夫なの?信じられないね。楽観的やねぇ」

「私どもは決定するだけで、其処へ戻り住む訳じゃありませんので」なんちゅう奴等やっ。






ちょっとスキャナの用意で時間をとられますので「簡単」でごめんなさい。
















独り言-202 『煎茶』

2011年09月28日 | 日記








暑くて堪らん夏の日は過ぎ去って、あと二日で10月になる。月日の経つのは早いね。日が落ちて暗くなるのも早い。

今日は残業でパソコンの前に腰掛けたのが11時前。「かなわんなぁ。書くこと何も浮かばんがな」

晩御飯の後の熱いお茶(煎茶)をふぅふぅ吹いてゴクッ「美味い」煎茶や緑茶は身体にいいよ。尤も、今は静岡産はヤバイけどね。





お茶を呑まない日はない。お袋が好きだったね。二人で「美味しいね」って味わいながら、よく話の相手をしてあげたなぁ。





お茶のいけないところは空き腹に呑むこと。人其々とは思うけど、暫くするとムカついてきて吐き気なんかが起きる。

腹具合は悪くなってくるし最悪。空き腹のときは食べ物と併用することが肝要やね。深夜列車で南紀の串本へ釣りに行った時に遣られた。

未明の4時過ぎ頃に着いて、喉が渇いていたので水筒のお茶を呑んだのがいかんかった。





暫くすると冷や汗が出て腹具合は悪くなるは、吐き気は襲うは「もうアカンわ」って座り込んで動けない。釣りどころじゃない。

一緒に来た皆に迷惑かけたなぁ。暫くじっとしてたら何とか笑えるぐらいには回復したので「潮岬へバスで行こう」

「あそこの芝生の上で寝てたら治るわ」って本州最南端の灯台下へ行く。





着いたころには太陽が照って芝生の上は暖かい。「腹暖めて寝転んどき」って言われた通り仰向けに寝転んで耐えた。皆は灯台に登ったりして騒いでる。

腹が温もってきて具合が良くなってきだし1時間ほど経って回復した。「あれはきつかったねぇ」

4月か5月頃だったかな?この後「もう懲りた」から気をつけていたけど、軽い失敗をもう一回繰り返してからは遣られたことはない。





私は「吐く」ってのがすこぶる弱い。鯖を食して当たったのかしてモロ吐きした時は「ホンマに死ぬかと思った」





「こんなのに比べたら彼女は強いねぇ」って思ってしまう。睡眠はほとんどとらず(オレだったらフラフラになるよ)

「気持ち悪い」「頭が痛い」って言いながら青い顔して笑っているものね。歩く姿勢も崩さない。

私なら必死の思いで家に直通で帰り、格好つけずにぶっ倒れて「う~ん、う~ん」云ってのたうつけどね。



















「気丈な娘(こ)だね」 女性ってこういうところは男より強いね。崩れない、崩さないって美意識が半端じゃないのかな?

時代が変わっても「女性らしさ」って意識は永遠なんだろうね。そこへいくと「男は無様だね」

















休憩-30   『鉛色の河』

2011年09月26日 | 日記







こうして気ままにブログで思い立つことを書き連ねていると「ふっ」っと忘れていた昔の思い出が蘇る。

キーから手を離し「じぃーっ」と長い時間、思い出の路を歩いてる・・・どんより曇った冬の或る日、

冷えたコンクリートの護岸に腰掛けて向こう岸を眺める私が居る。目の前の淀川は鉛色に沈んで、少し時化て白い波を散らしてる。






作業着が風に叩かれパタパタと音を立てている。「オレは、なんでこんな処にいるの?」って私は自分に問うている。

昼飯のアンパンと牛乳を持つ手が冷えてかじかんでる。淀川河口付近は今も寂しいところだね。

商売失敗して借金だらけ「働けど働けど、わが暮らし楽にならず」の第一歩だったね。











現在は、護岸整備が進んで当時の雰囲気より良くなってるね。








「ふっふふ・・・」と独りで笑ってる。なんてちっぽけな人生だったんだろう。オレを題名にすれば「馬鹿と労働」ってとこかいな。

救いは、常に「笑ってた」ね。泣きたくなっても馬鹿笑いしてたね。いろんな仕事を転々としたけれど、他人(ひと)さんには困らなかった。

何処でも大事にして貰ったね。能なき者は、ただ只管(ひたすら)一生懸命に尽きるね。






「もう一度遣れるか?」「もういいよ。でも、根性は萎えちゃおらんよ」












独り言-200 『過去は登るためにあるもの』

2011年09月25日 | 日記








解決の見えない問題や悩みに捉われると自分のことがお座成りになってしまう。

「ひとりで解決して」って放っぽり出せる関わりならいいんだけれど、そうもいかない場合もある。

悶々と考えるが答えの出しようのない問題もある。家庭内暴力なんてのが、そういうジレンマを抱えた難題のひとつなんだろうね。






世間にあからさまに出せば、何かしらの救いがあるやも知れないけれど、人は身内のこととして家庭内で収めようと必死になる。

世間体の恥を恐れるね。押さえ込めばマグマは噴き出そうとするから悪循環をもたらす。振り回された20年は長かったね。

仕事を終えて帰宅して暫くするとチャイムが鳴る。毎度のことだけど緊張する。






「お袋、連れ出すからゆっくり寝ぇや」ドアを開けると弟が「おかんは?」「寝たよ」「コーヒーでも行こか?」「おう、行こう」車に乗って出かける。

エンジン音がどうたらこうたらの講釈が続く。合わせて話を弾ませながら「今日はこれで持つな」って思ってる。






外の景色はビュンビュンと変わり吹田の辺りを走ってる。高速券買って中国自動車道を走ってる。

「朝まで帰れそうもないね」腹を据えて「今日は何処までや?」「博多のラーメン食うか?」「お前が欲しいんだろ?」またかよ、やめてくれよ。

「コーヒー代しか持ってないよ」何かに憑かれたような普通じゃない弟が、途切れなく喋くりまわしてアクセル踏んでる。






店の客の常連さんに見るからに魔法使い然としたおばさんがいた。或る日「金魚を飼ってあげなさい」って云う。

夜店の金魚掬いで居るのでいいらしい。「弟さんは車乗るの?」「仕事と遊びで乗り回してますよ」「金魚が身代わりになってくれる」

其の金魚は鯉みたいに大きく育って水槽に居る。世話でオレの用事が増えただけ。






隣の弟がわめいてる。社会がどうたらこうたら、自分の人生がどうたらこうたら。合わせて、合わせて「終わりがないよ」

スピードオーバーの警告音がピンコロピンコロ鳴り続けてる。

毎日毎日、おまえに命を預けて、止めどない怒声を聞かされて、辟易するほどの恨み節の大津波、車のドアを開けたら言葉の活字が溢れ出るよ。



















深夜に遥々博多に来て「何があるの?」何処もかしこも真っ暗。「疲れたぁ」誰かのせいで来たような云いぶり。

「お前は運転せんからなっ」「帰りは俺が変わってやるで」「お前の運転なんか乗れるかっ」

「気ぃ狂ったような奴の運転する車に乗る俺はどうなるの?」深夜喫茶に入ってコーヒーを呑んで「朝までに帰らんと仕事や」






「しんど~っ」なんやねんやろねぇ、こういうのって。帰りの中国自動車道は霧が発生して前が見えない。

速度規制が出てる。助手席は眠気との戦い。横で眠ると連鎖する。前が見えないのにピンコロピンコロ警告音が鳴り続けてる。

「もういいよ。生きていても、こんなの続くんならいっそ飛んでいけっ」って覚悟したら眠ってしまった。






「寝とったなぁ」「おう、すまん何処や?」「吹田や」生きて帰っとるがな。「仕事ギリギリやな」






仕事場まで走って貰って間に合う。「タフな奴やね」其の日の仕事を終えて帰宅すると、いつも金魚の世話して犬を散歩に連れてやるのが日課。

鯉のように育った金魚が二尾、同じ方向を向いて水槽の底で寄り添っている。ガラスを指で叩いて餌を遣ろうとしたが動かない。

「?」 果たして、お前たちが身代わりにならぬほどの人間か?「オレもついでに助けてくれたね」土に穴を掘り埋めて礼を云う。

「こういうのって実際にあるんだね」






「俺はアメリカへ行く」気が狂ったようになって20年目、弟は稼いだ金持って米国へ渡った。






39歳でアメリカの大学に入り首席で卒業したが、グリーンカードが手に入らず就職ができないまま19年目の今に至る。

パソコンで各国の学者や教授を相手に哲学論争して打ち負かし日常の会話でどもるって生活をしている。時たま電話がある。

「こっちの空をお前に見せて遣りたいわ」って誘う。






どうしてる?「いろんな奴と会話するけど、お前ほど親身に話聞いてくれる奴は何処にも居らんって解ったわ」それだけ解りゃ充分だよ。






「解って貰おうなんて思うな。そう思うから気が狂う。容易く解られて堪るか」ってぐらいの矜持を持てよ。

人間は独りだ。今、お前が生きている姿がお前なんだよ。しかし、頭の良い奴って、何処か抜けてるね。

オレはお前に「平和に出来てるオレを鍛えてくれたと思ってるよ」辛酸舐めると大方のことは緩くてこたえないよ。






過去を生かすも殺すも捉えようで決まるよ。過去は登るためにあるもので、下ったり引きずったりするもんじゃないよ。





















休憩-29 『赤川鉄橋』

2011年09月24日 | 日記









景色のサイトをウロウロしてると淀川の赤川鉄橋を紹介した記事があった。

「懐かしいなぁ」鉄道の複線の幅を持つ鉄橋だけれど、ずっと単線利用で余ったスペースを板張りの歩道として利用している。

大池(今は埋め立てられてない)や城北ワンドへ釣りに行く時は此処を利用して向こう岸へ渡った。昔ながらの風情のある橋で好きだったね。






城東貨物線淀川橋梁って正式な名称があるんだね。大阪市東淀川区東淡路と、都島区大東町を結ぶ淀川に架かる、

西日本旅客鉄道(JR西日本)城東貨物線の鉄道橋で通称は赤川鉄橋、地元では十八文鉄橋とも呼ぶ。

「2018年(平成30年)予定の大阪東線(北梅田 - 放出)の開業により、本橋を含む城東貨物線は複線電化して旅客線に転換され、

一つの橋に鉄道橋と人道橋の二面を併せ持つ珍しい風景もなくなる予定」なんて「やめろよ」



















形式 複線下路ワーレントラス

橋長 610.739m(延長597m・幅8m50cm:東淀川区史による)

径間 31.619m

橋脚中心間隔 34.058m

径間数 18連

完成 1929年(昭和4年)3月15日

設計 鉄道省






7年後か「昔は遠くなりにけり」になるね。其れまでにのんびり散歩がてら板張りの橋を渡りに行こう。



















独り言-199 『筋肉痙攣』

2011年09月24日 | 日記








ブログの話、時間があるから幾らでも思いつくってもんでもないね。映画でも観よか。気が進まんね。音楽でも聴くか。その気も起きんね。






勇気を出して「あのサイト、クリックしたろか」ブッイーンって警告音鳴ったら「ドッキーン」せなあかんし止めとこ」煙草でも吹かすか。

「あんた、外で吸いやっ」「うっさいなぁ。自然体で吸うから美味いの。あっちへ行けとか、身体に悪いとか言われると美味くなくなるの。

リラックスして吸うなんて出来なくなったなぁ」ベランダに出て一服、涼しいねぇ。病気は、或る日突然って相場が決まってんの。






今更、苦しい思いで禁煙して「癌です」って宣告されるより「好きなの吸ってて」宣告されるほうが納得できるよ。

でも「頭ん中、真っ白にはなるやろね。やだねぇ」






ハードな肉体労働で稼いでた頃、汗びっしょりになって帰宅する毎日で、歩くと床にポタポタと滴が垂れて着いてくる。

風呂入ってから幼い息子を自転車で散歩に連れて行く。

或る日、散歩から帰って布団に横になって暫くしてから、ドコーンッ、ドコーンッ、ドコーンッと心臓が波のように打ち、仰向けの身体が布団の上で跳ねた。






「エクソシストかっ?」ってくらい宙に浮いて跳ねた。「あぁ~死ぬなぁ」って思ってる。

ドコーンッ、ドコーンッって音を発しているような感覚。治まったあと、暫くおいて「聞こえたぁ?」って奥さんに確かめたほど。

「なにがぁ?」音は発してなかったんだね「良かった」心配しよるから、其の日は黙って寝た。






一週間程して、また同じ症状に襲われた。今度は黙って居るのはマズいかなって奥さんに話すと「病院行きーっ」

「なんでっ最初の時云わんかったんーっ」って騒々しい「生きてるがな~」でも病院なんて行かなかった。

病院の待合室に座ってると「病気」になる。其の代わり性に合う肉体労働は禁止されて今の仕事に就くことになった。






あれから16年程経ったが元気に生きている。あとで知ったが、あの症状は心臓の痙攣ではなく、どうも筋肉痙攣の症状だったみたい。

重労働の毎日で筋肉が悲鳴挙げとったんやな。人間は「死ぬときは死ぬ」寿命がきたら抵抗しようがどうしようが彼の世逝きだ。

「死なないときは死なない」寿命があれば「癌」でも死なないもんだ。



















世間の常識ってのが「オレにはない」ように思う。常識は守るほうなんだけど「どっちやねんっ?」

つまり会社でいう福利厚生的な保障や援助なんかには、全く興味がない。だから全く解らない。

あるのは汗かき、恥かきして稼いだ僅かの金が生活の糧と捉えて生きている。






冠婚葬祭っていう一連の決まりごとも「思いと心が有れば形式に捉われることかいな?」ってのもある。

「人と人の交流における制約も当人が決めることで傍がとやかく云うものかいな?」ってのもある。

「自由」ってのは本来そういうものなんでしょう?「自由の権利」に伴う「義務」と「責任」を自覚し遂行すれば、ええのんとちゃうのん?






日本の「自由」ってのは、古い風習の枠内に収まる範囲って制約が付随しているね。

意識っていうか島国根性っていうか脱皮しえない「拘束」が根強いね。それらを「常識」に位置づけるから「オレにはない」と云うのです。

マナーやモラルってのは守る。「他人に迷惑をかけてはいけない」と心すれば、大方は当たり前のように実践できることである。






「自分は撒き散らしたゴマの一粒」って意識がこびりついてる。洋画の「第三の男」だったと思うが、人の命について語る二人の男が、

観覧車から地上を行き交う人々を見下ろし「此の何人かが倒れても心は痛まないだろう?」(記憶が定かでない)って語るシーンがある。

それ観て「点が消えても気にもとまらんわな」なんて同意した覚えがある。






「そうじゃないけどね」人生に多くを望まないってのが、私の下地にある。自身の能力に応じた欲求を満たせれば、それで良いと思ってる。






宇宙から眺める地球は綿で巻いたボールに過ぎない。其のボールに何十億の人間がうごめいている。

見えない「誰か?」の作用が働いている。生まれて、生きて、死ぬ機会を「誰か?」に宛がわれて此処に居る。

ゴマの一粒でも、其々が「使命」を背負って此の世にある。「自分の使命を悟り知ること、人は、其の為に生かされているのかも知れないね」






世に憎まれ者ほど長生きするって言い伝えがある。悟り得るまで時間を要するから寿命が長く設定されてるのかもね?























独り言-198 『トゥーム・レイダース』

2011年09月23日 | 日記








台風一過、気温が落ちて涼しくなった。「暑さ寒さも彼岸まで」って昔からの言い伝え通りだね。今日は雲が多いものの晴れて穏やか。

雲の途切れの隙間から青い宇宙が見えている。地上から4000キロメートルの彼方の宇宙にも人が居る。

地上の人が空を見上げて見る夢(ロマンチック)を粉微塵に砕いて夢(開拓)を追って行くんだね。中秋の名月も人の足跡ついちゃって久しいね。






宇宙から地球を眺める時代なんて「凄い」けれども「味気ない」見えそで見えないところに色気があるのと同じように思う。






科学が発展すれば其れに応じるかのような事象が発生するんじゃなかろうか。

対応できそうな能力を備えるころを見計らって「誰か?」が新たな問題を起こす。幼稚園児や小学生に大学で苦しむような問題を出す奴は居ない。

人類は、そろそろ未知との遭遇を体験する時期に達して来てるんじゃなかろうか?そういうのは賢い奴に任せておこ。






「君たちは、其の為に優秀な頭脳を持って生まれたんだよ、惜しまずフルに使って名を残してちょうだい」

こうして、此の程度のブログを創るぐらいで「ハアハア」云ってるおっさんも居れば、

パソコン一つで、独りで政府機関に脅威を与える攻撃能力を持った奴も居る。「ハッカー」って云うんだね。






攻撃と防御のイタチゴッコが繰り返される中で双方の知識と知恵が練って練られて、結果的にその方面の進歩に寄与する行為ともとれなくもない。

時代に合わせて人も進化して生まれてくるんだろうな。子供達のゲーム機扱う指の動きの速さときたら「人間じゃない」よ。

指に支持する脳味噌の回転が速いんだろうね。





















もう10年ほど前になるかな?息子と初めてゲーム機買って、勘で「これ」って買った「トゥーム・レイダース」に挑戦した。

攻略本の存在も知らなかったのでクリアするのに相当の時間を要した。「007は2度死ぬ」どころじゃないよ。

ララ・クラフトは100回は死んだね。怪しい音楽が鳴り出すと、横っちょで真剣に見守っている息子の姿が消える。






「怖いわ」ってお母さんの方へ行って隠れてる。7回ぐらい落ちたり焼けたりしてララが生き死に繰り返して「よしっ、ここはクリアしたっ」

「お父さん、凄いっ」って横っちょに戻ってくる。そんな息子も「あっ」と云う間にマシーンのようにボタン操作をこなしてる。

何年遣っても進化ないのがオレ。画面の主人公追ってると目が回ってくるは、頭痛くなって来るはで、2年程でゲーム機見るのも嫌になったね。






古いものには安心感がある。でも若い者からするとダサいとかウザいとか「死んでる」とかボロクソミソクソやね。

時代は大きな河の流れ、流れる光景は同じでも流れる水は同じじゃない。

逆らって遡上してエネルギーを無駄に消耗させるなら、馴染めぬ水に合わせて共に生きる術を身につけるほうが無駄がないかも知れないね。

















独り言-197 『鈍臭い』

2011年09月23日 | 日記







私の好きな秋が来た。秋はいい。寂しさや侘しさを背負(しょ)いながらも、天高く青々とした空に清清しい空気感。

原っぱの上に寝そべりながら気ままな夢に酔う。釣瓶落としに更けて寂寥(せきりょう)に捉われても、涼しい夜長がやさしく癒してくれる。



















「ショック」30行ぐらい書いたのが操作誤って消えてしまいました。「鈍臭いね」














独り言-196 『助命嘆願』

2011年09月21日 | 日記








有事に対する日本人の意識の低さを嘆いている人々が多いね。

確かに「平和、平和と唱えていれば安全」なんて寝ぼけたことを真面目に云う奴等が多過ぎる。

gooのニュース畑で「北朝鮮が再び弾道ミサイルを発射する可能性があるようです。





今度も「人工衛星」なる欺瞞を主張するのでしょうか」って問いに、わが国も核ミサイルを保有し抑止力に依る安全維持が急務って主張する意見が目立つ。

不甲斐ない民主党政権に危機感をお持ちの意見も多い。北朝鮮や中国の著しい軍事力増強や日本海などに於ける露骨な挑発行動に対して、

平和ボケの日本国民の無意識ってのが、危機感を増幅させて焦燥されているんでしょうね。





歴史を顧みれば「起こるべくして起こる」のが有事なのかも知れない。いかに寝とぼけた者でも衝撃喰らえば目が覚める。





国が、国民が試される時なんでしょうね。どんなに回避策を講じても、其の策以上の事態が起これば、蹴り起こされた者も、

構えて持して居た者も同じ状況下にあるに変わらない。備えて持った核ミサイルを実際に使用せねばならない事態なら、

大方の人はあの世へ行って此の世の後のことは解らないってことになる。



















今の日本の安全は米国の後ろ盾のお陰によるもので自国のなせる業ではない。米国が引けば日本は直ちに蒙古襲来の再現を見ることになる。

日本人が「自由」民主主義思想を守りたければ、恩恵に与かっている事実を感謝して協力せねばならぬことは率先するのが筋ではないかと思う。

中国、北朝鮮に「自由」の思想はない。有るのは従属だ。奴隷制度って云ってもいいかも知れない。





戦略的互恵関係って云って中国なんかに媚まくる民主党は、日本共産党より赤色濃いのかね?此処の議員さんは誰も彼もが中国びいきに見えるね。

YouTubeで見たけど吹き出しますよ。小沢さんも、菅さんも、鳩山さん、前原さんも、

其れに元社会党のおばちゃん連中も売国奴扱いで「彼らは中国人だ」って誹謗中傷が甚だしい。でも、なんか頷けるって感じもしなくもない。





元自民党の人たちが社会党と手を組むのは「票稼ぎ」かと漠然と思っていましたが、思想的に通ずるものがあるんだね。

国民に物言わせぬ支配層管理ってのに憧れている連中かも知れない。

日本丸の操舵を、あれも此れもあやしくさせるのは「彼らの意図するところだ」と断じているね。





猜疑は猜疑に拍車を駆けるけれど、日本の汚点とされる南京大虐殺を声高に中国が責めだした経緯には、日本の社会党が一枚関わって捏造された節がある。

村山や土井が頻繁に中国に渡り、その記念館を建造する工費に当時の三千万が日本から供出されている。

時期を併せて中国の全教科書に南京大虐殺が取り入れられ「鬼畜日本」の意識を国民に浸透させたという。





それまでの中国では南京の大虐殺など語られることもなかったらしい。つまり尾びれをつけて肥大化した作り話臭い。

社会党が売国奴と誹謗される所以の一つに当たるあやしい話である。

拉致事件を日本で指揮した北朝鮮スパイが韓国で逮捕され死刑判決が下された。この助命嘆願に菅さんの名があったらしい。





当時拉致問題担当の安部さんが「あなたがやった」って指弾するシーンが映ってる。そのスパイは助命されて北朝鮮に戻り英雄扱いで歓迎されている。

前原さんは、北朝鮮で議員バッチを外して時間を調整の上、よど号乗っ取り犯と談笑したって責められてる。

小沢さんは若手の議員百数十名引き連れて中国詣で。





「売国奴」「中国の傀儡」「中国人」って疑われるだけの火種が無くもない。

何も知らない、興味がない、無関心でさもしいだけの乗客(日本国民)を乗せた日本丸、

社会党が前身の民社党をひっくるめた「民主党」の舵取る方向ってのは?「あんたら何処へ行くつもりなの?」
















独り言-195 『一夫多妻制』

2011年09月21日 | 日記








また台風が接近してる。15号がトロトロヨタヨタしながら本州に向かって来てるね。

夏台風と違って秋台風は秋雨前線を刺激して大雨を降らせるらしい。先の12号で大変な目に遭った和歌山や奈良の人たちは落ち着かないだろうね。

川を土砂で埋められ流れが堰き止められて大きな水瓶(みずがめ)が山の上に何箇所も出来ている。土砂が崩壊すると下流の家々がのまれてしまう。






今年は自然のご機嫌がすこぶる悪い。15号が降らせる雨が脅威だね。

名古屋では天白川と庄内川で氾濫の危険性があり一時109万人に避難勧告がでたらしい。こんなに沢山の人々が何処へ避難するの?と思ってしまう。

「大きな被害が出なければ良いが」と、ベランダの外を覘くとちょっと雨らしい雨が路面を叩いてる。






事務所で関連会社の方々と談笑していると、学校から帰ってきた彼女が笑って覘いてる。

暫くして「★★ちゃん、帰る」「ちょい待っとき」一頻り談笑の合間に「★★ちゃんが居て欲しい云うからや」とかなんとか相手の方掴まえて喋ってる。

「余計なこと言わなくていいの」長く放っておけないから煙草吸う仕草で席を外す。






馴染みの方々なので「ちょっと外しまっさ」って断って彼女を送ってやる。






心を開放して、今の自分のままを素直に生きれば君の人生は明るく照ってるよ。人にあたる様子がオレに似てるね君は。

「一夫多妻制をなんで廃止したんやろ?」「どこぞの国では未だに有るらしいよ」「そんなん、なんちゃら種族みたいなんやんかぁ」

「なんちゃら種族でも人間だよ。中近東なんか、まだあるんじゃないかな?」






「一妻多夫制がええなぁ」「お前が思ってるほど上手くはいかないよ。モメるんだよ大奥みたいに」






思い通りになる草食系ヤワ男ども従えて、肉食系のお姫様が君臨するよな絵を描いてるのかねぇ?ヤワだからって男をナメないほうが身のためだよ。

ネッタラ男が入れ込むと怖いよ。痴情怨恨の事件なんか起こす奴は、そんなタイプが多いんだから。

こんなの云ったら「そんなん云うてたら何もでけへんわ。そんなん運命や」ってムクれよるからな「やめとこ」








































休憩-27

2011年09月19日 | 日記








三日連休ってゆとりがあるね。今日、起きたとき「仕事」って勘違いした。こういう時って「儲けたぁー」って感動するね。

「オーバーかな?」休みだからって何処其処行く予定もないので、大方パソコンの前に居る。

そろそろ秋らしくなって来るだろうからカメラでも持って外へ出かけようか。篭ってばかりじゃ発想もくすむだろうね。






「写真・・・上手くなりたいね」「上手くなりたければ撮りまくれ」って専門誌で写真家が云ってたなぁ。撮りまくる被写体が思い浮かばないんだよね。

「何、撮るの?」アカン、行くまでにコレ考えてしまうからケツ上がらんようになる。B型の人っていいねぇ。

思い立ったらすぐ行動できるのがいい。A型って、何するのも考え過ぎるから動けない。「やだねぇ」






「よし、B型の真似して考えずに、兎に角、まず行動しよう」「すぐに帰るんとちゃうか?」「うるさい、100枚撮るまで帰らん」

「なんで100枚なの?」「とりあえずの目標です」「連射なら、すぐ100枚いくよ」

「1枚撮りでです」「何撮るの?」「う~む、解らん」「何処へ行くの?」「解らん」「目標掲げて目的ないの?」「う~む」考えさすなよぉ~。













独り言-194 『出来ぬ我慢が我慢』

2011年09月18日 | 日記








テンプレートって変えたら雰囲気変わるね。季節や行事ごとに因んだのを、無料のヤツから選んでまめに変えたろ。






何も解らんのにブログ「始めたれっ」って書き出してから150日を超えたなぁ。「何か・・・変えたい」って思いがある。

私は昔から不器用なのかして二頭は追えない。一頭集中が精一杯だから「遣ってみたいなぁ」って思っても出来なかった。

若いときに仕事にあぶれた時期があった。と、云っても間に合わせの仕事で一日潰れる日々だったけど、






気分的に楽だったのかして「おまえ、ようそんなけ思いつくなぁ」ってほど、アイデアが次から次へと湧き上がって「特許」に興味を持った。






実用新案と意匠登録について勉強して実際に申請するまでになり、いろんな会社にアイデアを売り込んだね。

どこぞの社長さん等とも電話や面会で話したりもした。「考え付くのはお手のもんだけどセールスは苦手」

その上、お金が喉から手が出るほど欲しかった時期だったから「卑しさ」が出るんだろうね。相手が警戒して話が流れたこともある。






ハチャメチャ撃ちまくっても当たらない時は当たらない。「遣らねばならぬことを背負ってるな」って悟った。

此の頃からだね「来るものに対して忠実に一生懸命に励む」って覚悟をもったのは。

人は生きているのではなく、生かされているという思いが地に着いたね。






学校が「大嫌い」爆破して此の世から消し去れってぐらいに「大嫌い」あの手この手を駆使してサボクリまわした。

働き出して「オレには後がない」って覚悟で今日に至るまで仕事をサボったことはない。手を抜いた覚えもない。

「働きまくった」肉体労働では、何処でも「鉄人」って云わしめた。






「給料とのバランス感覚がない奴」なんて云う、冷めて知ったかぶったヤツなんか相手にしない。






こういう奴は相手にせんと放っておくと、向こうからなびいてくる。来るもの拒まず、去るもの追わずがいい。

「背負ったものを消化する」親父が幼い頃までは代々大金持ちの地主だった。親父の親父が馬鹿をして潰した。罰だろうね。

先祖と神さんの怒りが尾を引いてるんだろうって感じる。思いは解るけど「孫の代まで祟るなよ」





















築き上げた先祖の無念の裏返しなんだろう。親父は諦めて生きた。

お袋は「あんたら男三人がゼロから築きや」って我が家の歴史を教えて聞かせてくれたね。

残念ながら大した男にはなれず、あの世のお袋を失望させてるね。「お母ちゃん、オレが駄目で終わっても孫の息子が居るよ」






遅まきながら一頭しか追えなかった私が、単なる趣味の真似事でも二頭目のブログを書き続けるゆとりを持った。






精神的に幅が出来たのかも知れない。「人生、遅すぎることはない」永く眠っていたものを目覚めさせて「死ぬまで諦めずに夢を追ってやる」

商売遣ってる時に、粘って帰らないお客さんを待ちながら、お袋が「あんたら、信長、秀吉、家康の誰がいいと思う?」って兄弟に問うたことがある。

兄貴は「オレは信長やな」弟は「秀吉かな」「あんたは家康やな?」って決めたように云う。






「我慢が似合うんか?・・・オレは家康や」出来る我慢は我慢じゃない。出来ぬ我慢が我慢なのだ。








「しかし、テンプレートって気分転換の効果あるね」




















独り言-193 『おまえなんぼのもんじゃえ?』

2011年09月18日 | 日記







「比べる」ってのが苦しみの根源かもしれないね。自分の有り様を他人(ひと)と比べるから不満が生じる。

卑しい心が首をもたげる。妬んだり恨んだり、ろくでもない感情に支配されて、今のある結構さが色褪せる。

「人生は自分の力量で精一杯生きるもの」と解せば腐るような思いを加算せずに済む。





しかし、向上する上では比べることが追いつけ追い越せのエネルギーになる。良いも悪いも背中合わせに有るんだね。

心の引き出しを常に整理しないと駄目だね。





サイトをウロウロして、ふっと記事を立ち読みすると哀しくなるよな女性がいるね。





「商品選んでんじゃないよ」男は魅力を付けていく。女は魅力が剥げていく。この宿命に心しろよ。

打算の恋なんか相手の見た目を無視すれば、魅力が剥げ落ちてからでも遣れるよ。純な恋を一度は経験しても損はしないよ。

傍目を気にして格好のつく相手を物色するなんて、他所と「比べて」選ぶもんじゃないでしょう。





適齢期の女性が結婚相手を選ぶのに、あちらの男、此方の男らをいろいろ比べて採点するらしい。

「私なら、其れを知った時点で相手の女性に興醒めする」氷水被ったぐらいに熱が冷める。

生活能力を計ったり性格や癖を調べたり、比べたりをバカにするのではなく、男と女の繋がりに冷静な計算と選択が働く隙間の部分が性に合わない。





ただの、そこらを通行する人になっちゃうよ。「いつも不思議だなって思うのは、関わり合うから気になってとらわれる。

関わりなければ互いにただの人で意識にもない。

関わるってことは、自分にとってその人は・・・何かしら縁があるんだろうね」そんな人と遭遇しないのかな?欲どうしいんだろうね。





僅かな機会の中で待つより、より多くの中から選びたい。「発想が浅ましいね」男と女のこと書いてると「どうでもええやん」ってなってくるのがいかん。



















男と女は理屈じゃない。男と女は感性が全てだと思う。「そんなの危険だわ」って云うだろうけど秤に掛けて吟味選択仕切っても一緒になれば

「駄目だった」ってのは山ほど有るよ。「映画のような恋をするべきだよ」夢中になる人と一緒になる。

哀しきかな結果は思い叶わず終わっても熱い思い出は残る。打算の恋で幸せ掴めれば、其れは其れで結構だけれど人生を秤で決めたよな味気なさが、

心の何処かに影差し付きまとう。「恋は頭でするんじゃなくて心でするもんだと思うよ」





頭の天辺から足の爪先まで磨きまくって「私は美しい」って顔した女性が写真に並んでニッコリ微笑んでる。高く売ってる積りなんだろうね。

でも「実は勘定高いなんて夢潰れるね」化粧剥げても怖いだろうに、建前剥いて本音喋りだしたら、なお怖い

「おまえなんぼのもんじゃえ?」って逆に採点したくなるだろうね。女性を貶(けな)す積りで書き出したんじゃないのに脱線したな。












カメレオンの独り言