カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-656 『暴力』

2013年01月31日 | 日記






精神力を鍛えるために竹刀でしばく、殴る、蹴る、暴言を吐いてコテンパンにする。大日本帝国かよ。

日本人は、こういうのが好きだねえ。血なんだろうかね。

これが、いかんなら、昔の学校の先公どもの大方が、悪もんだね。





日本人は、自発の精神に疎いのかね? 教えられなきゃ解らん、解らんから学校へ行く、解らんことが当たり前。

生徒の質も質だから、全てが指導する側が悪いとも云えないけど、叩き込むって指導は、熱が入ってるようで、実際は手を抜いているんだよ。

自主的に、考え、工夫する。目的があるなら我が身を我が身で絞れ。マゾっ気なくして修行は有り得んってことを教えろ。





そう云う精神を養うように導き教えるべきなんだよ。其れが習得できん奴は、才能がないんだよ。

才能も無い人に、一応のことを教えるだけのことで竹刀など必要ないだろうが。ロボット製造所みたいなことやめろ。





習う人に才能が無いからやめろと云ってるんではない、上を目指すには、その道に適した優れた能力ってのが備わってるもんだよ。

これには、凡人は適わない。指導するものは、其れを見抜く目を養わなくてはいかん。

















特に運動系で、根性入れの手を出す、足出すなんて、本当のところ、やってない処を探すほうが難しいよ。どこでも遣ってるよ。長い歴史だよ。

スポーツは、大方、勝負ごとだから、気持ちで負けたら技術だけでは勝てない。

だから、精神を鍛える、張り手の一発や二発は致し方ない面もある。





「体罰を一切排除して、強い選手が育つか?」って問われたら、スパルタは、幾分かの効力はあるだろうね。無理からんところがあるとは思う。

勝負事の世界ってのは、そう云うところだからね。

煙草が、体に悪いって云ったら、ヒステリックに禁煙、禁煙と騒ぐ、長い歴史もクソもない。





運動系の暴力が、自殺者を出したからって、ヒステリックに、体罰、排除、排除って騒ぐ。

暗黙に認めていた効力を排除して、長い歴史を覆す、その代わりの効果ある指導法があるのかよ? 

これで、すんなり体罰やめたら、長い歴史の体罰は一体なんだったんだよ? 指導者のサド的趣味だったのかよ? 

お山の大将よろしく体罰なんて言葉で飾って、暴力で君臨する変態ではないか。





どつかれ、蹴られ、けなされまくって耐えた若者たちのように、この批判に対し、指導者の名誉にかけて、誇りをもって戦え、此の野郎。

信念に裏打ちされた指導だったんだろが? 反論があってしかるべきだろうが。おまえを信じて育った若者たちに聞かせてやれっ。

















誰もが花形になれるもんではないんだよ。合わぬ子に、親は、期待をかけて無理強いして習わせる、オレに云わせれば、それが最も足る暴力だよ。


















カメレオンの独り言-655 『映画 オープン・ザ・ウォーター2』

2013年01月30日 | 日記






昨晩は、ブログを休憩がてら簡単に仕上げて時間が余ったので、夜の時間を映画を観て過ごした。

新旧あわせて千円なので、数合わせに借りた「オープン・ザ・ウォーター2」

鮫に襲われる1作目は怖かった。2作目だから、大したことないだろうと思っていたんだけど「怖かった」





鮫が出るって、勝手に決め込んでいたから、オレだけが、特に怖かったことになる。

結局、鮫は出なかったんだけど、馬鹿騒ぎの遊びの中に、とんでもない恐怖が潜んでいるんだね。

「上手く作ると、ごっつい制作費を使わなくても、充分に見るものを引き込む作品が出来るんだよ」って監督が云ってると思うよ。















豪華なヨットと、出演は、男女6人と赤ちゃん1人。そして、大海原が舞台なんだけど、嵐が来る訳でもなければ、沈没する訳でもない。

ヨットの甲板から海面まで2メートル弱ぐらいかな? 此のなんでもない高さが、大変なことになるんだね。

実話が下敷きなんだね。だから、余計に「怖いねえ」って、思ってしまうよ。





5年ぶりの再会を喜び会う男女5人の友達が、クルージングに出かける。其の中の一人が投資家で富豪になってる。

所有するヨットは、豪華なもの。子供連れの夫婦に、男と女、それに、富豪の彼女、ヨットは快適に大海原を疾走する。

子供連れの夫婦も友達結婚、皆がそれぞれ、なにやら意味ありげに関係を仄めかしあって喜んでいる。





臭い奴等だね。こんなのは、あちらの専売特許だったのが、今じゃ、日本も変わらんね。

夫婦の女性は、始めから救命具を身に着けてるから、皆がからかう。

彼女は、子供の頃、海で泳いで遊ぶうち、父親が、突然、沈んだまま死んでしまったショックで、海に対して恐怖が根付いてるんだね。















そのうち、富豪の彼女が、暑いから泳ぎたいって言い出す。皆が、ワイワイと騒ぎながら海へ飛び込む。

富豪の青年と、恐怖症の女性と赤ちゃんが残ってる。赤ちゃんを寝かせつけ、デッキに上がると、富豪の青年が、

やおら、彼女を抱き上げ、一緒に海へ飛び込むんだね。彼女は恐怖のどん底に突き落とされておかしくなっちゃうの。





まっ、ただのいちびりなんだけど、亭主の青年が、怒る、そらあ、怒るわな。





亭主の青年は、喪失状態の奥さんを優しく庇い落ち着かせ「ヨットに上げよう」でも、ヨットに上がる足場も無ければ梯子も無い。

皆が、それに気づいて上がり口を探す、でも、ヨットの周囲は、デッキまで2メートル弱程の高さが囲んでる。

弾みをつけて飛び上がっても虚しく届かない、「何故、梯子がないっ?」 気づくのが遅かったんだね。















大海原の真っ只中、ヨットは、何事もないまま静かに漂っているのに、6人の男女は、立ち泳ぎで途方に暮れる。

ヨットには部屋のベッドで赤ちゃんが独り眠ってる。





いかにも、そろそろ、出て来る雰囲気が漂うんだね。

オレは、1作目の趣向をそのままに思い込んでるから、海原を視点にカメラが舐めると「出るぞ~出るぞ~」なんて勝手に怖がってる。





女性が、突然、悲鳴を上げて「何か足に触れたっ」なんて云うから、「そ~ら~出てきたぞお~」なんて固唾を呑んでる。

オレって、ホントに怖がりだね。「この臆病者っ」 なに云うとんねん、水面下は見えないんだよ、平原に居るライオンとちゃうで。

身体全体が、その見えない水面下に在ってパタパタやってんだよ。どうぞ、かじってくださいって感じじゃないか。















デッキに上がる術は無いか、ヨットの周りを必死で探すうち、ナイフでヨットを突き刺し足場を設けようとする男を

富豪の男が怒鳴って制止、揉み合ううちに、弾みで男のわき腹を刺してしまう。

噴出す鮮血が海を染める、鮫は血の匂いに敏感だから非情にヤバいんじゃないの? 手当てしたくてもしようがないんだね。























こうして時間は経っていくばかり、やがて仲間は、一人、二人と減っていく。

大事件、大事故が起こった訳じゃない、友達の悪気のない嘘から仲間を巻き込んで大変なことになっていくんだね。















人のめぐり合いは、人生に大きな影響をもたらすね。

善いことも悪いことも、人が介在して発生する。

自分にない世界に誘ったり、気づかしたり、刺激になったりと、交流の産物は大きい。





でも、遭遇せずに済む事柄に巻き込まれる確率も上昇する訳だね。喜びの代償なんかね? いいとこ取りだけとはいかない。

夫婦なんかでも、そうだね。お互いの運気が寄り合って、ひとつの家庭の物語が展開していく。





いろんな要素が絡み合い、10年、20年、先を読みきれないゲームだね、人生は。





仲間との成人式の行き帰り、ドライブの行き帰り、友達と行動をともにして、交通事故で多くの若者たちがよく死ぬね。

付き合いでは、運命共同体になる場面も多い、一人で行き帰りしてりゃ、死なずに済んだかも知れない。

自分のヘマで、エライめに遭うのは諦めもつくけれど、引きずられて巻き込まれたんでは諦めようがない。





よく人間を、人と人の間(あいだ)で生きると解して云うけれど、人との間(ま)をおくとも云えなくもないね。
























カメレオンの独り言-654 『シジュウカラとメジロ』

2013年01月29日 | 日記







気楽に暢気に楽しく生きていける人生なんてないに等しい。

人は、生きていく上で、哀しい思いや苦しい思いを味わって、束の間の安堵に息を継ぎ、また、繰り返し繰り返しの道を歩むもんだよ。

若い人たちは、其れが信じられないんだろうね。オレも、そうだったね。





今の時代は、幸いに安定してるから、然程の大きな波を経験しなくても、手堅く行けば苦労も少なくいけるんだろうかね。

経済的に恵まれれば、それに代わって手を変え品を変え、諸々の苦ってのは、雑草のように生えてくるもんだからね。

これは、ひとつの家庭に、それなりに着いて回るもんだから、今も昔も変わらない。





それらを苦と思うか、思わぬかでも、負担の重さは違うから、人それぞれの捉えようで色は変わるんだろうね。





それはそうとして、オレの体温からすると、今日は、春みたいな陽気だったね。

常緑樹の葉っぱが、キラキラ、キラキラ、日差しを跳ね返して光って揺れて、冬の一休みの陽気を喜んでるみたいに見えたよ。

暖かいってのは、いいね、ほっとするよ。



















仕事しながら窓の外に目をやると 「おっ」 シジュウカラが、日差しの効いた壁の縁にとまってる。

シャッターチャンス、素早く動いてる積りが、実際はとろいのかね? 「あれ?どっか行っちゃったあ」

向こうの木でチョロチョロしとる。 「おっ、メジロもきてるがな」 カメラ持って外へ出る。





「シジュウカラも居るわ、おっ、メジロと行動をともにしてるやないか」 これは逃がしたらあかん。

気合が入る。カシャカシャカシャ、追いかけて連写で撮るっ。

「じっとしてろっ」 「そっちへ行くなっ」 「こっちへ来いっ」 おっさん、ウロウロしてる。





撮りかけたら移動する、飛んだり止まったり落ち着きのない奴等だよ。腹がたってくるね、もっと協力的になれよ。

















チョコチョコせんと、ピント合わせるのを待ったれよ、「あっ、飛んだ」










『200ミリだと、これが精一杯だね。1,6倍だから320ミリで撮ったことになる。トリミングなし、小っこいねえ~」








「ピントが手前の木に合ってるね」 解る? 「トリミングしたら、もっと解るよ」 だから、しないの。

ピントって、写真だけじゃないね、どうにも話のピントが合わない人っているもんね。当然、向こうも、そう思ってるだろうね。

なんか、言葉が素通りして、応答もボケてるってのは、しんどいね。





それでも、屈託なく笑えば通じるけどね。前にも書いたかな? 笑いは、万国共通の暖かさだよ。

「そういえば、ボケも暖かく感じるね?」 だろ? それを狙って、わざとピントをズラしたんだよ。「ホンマかよ?」

今日のような陽気だと、仕事放っちゃらかして、このまま、何処かへカメラ持って出かけたくなっちゃうよ。





想いを溜めておこう、いずれ、重いケツも上がるときがくる。山も川も海も緑も鳥も、みんな、逃げずに其処に居るからね。























スズメちゃん、あんたがたの寿命は、一年ほどなんだね? 此の歳なるまで知らなかったよ。短い命、大空飛んで、思いのままに大事に生きなよ。





















カメレオンの独り言-653 『コンプレックス』

2013年01月28日 | 日記







長い時間、パソコンの上の天井の隅辺りに目をやり「ぼ~」としてる。意識は、遠いところを見てんだろうね。

いろんな人たちとの出会いや別れがあるね。

思い出す顔は、皆、嬉しそうに笑ってる。会うべくして会って、別れるべくして別れた人たちの顔が、次から次へと過(よ)ぎるね。





もう、皆さん、それぞれに歳を喰って、立派な小父さんになってんだろうね。

まだ、仲間と釣りに行ってんのかな? メンバーの顔も変わったかなあ? 懐かしいねえ。

友達か、無理やり引き込まれて仲間の一人にさせられた。





何故か、みんなが大事にしてくれた。今でも、なんでか定かじゃないよ。

オレの人生は、他人(ひと)さんは、皆、友達みたいだね。

だから、決まった友達なんて要らないんだね。行くとこ、行くとこ、他人(ひと)さんが寄ってくる。 

















「何も望まないからかな?」 「人の心を大事にするからかな?」って、思い当たるのは、そのぐらいだね。

じゃあ、そんな自分が好きかって問われたら、あまり好きじゃないんだね。無いとこ強請(ねだ)りかね?

どちらかと云うと、冷酷な部分を持った007みたいな男がいいね。「おまえの、例えは幼稚なんだよ」





なんだよ、おまえ、人の瞑想の中まで入ってくんなっ。「瞑想じゃなくて、それは妄想だろ?」 うるせえっ。





孤軍奮闘、頭脳明晰な暴力男、「其れを云うなら強靭な男とかあるだろ? 暴力男なんて云ったらイメージが悪いだろ?」 そうか。 

そして、格好良くて女性にモテる。そんな男になりたかったよ。「そんなのは憧れで、実際的じゃないよ」

実際的な男ねえ、「寅さんみたいなんか?」 アホか、おまえは? そんなのだったら、地と変わらんやないか。よおも、急降下で落としてくれたね。



















しかし、そんなの云われたことがあるね、東京の妹夫婦が、「★★★さんは、寅さんだね」 「そやねん、★★★ちゃんは、寅さんみたいやねん」

遠まわしに、アホって、云ってると思ったよ。「人間性を云ってるんだよ」 ホローしなくていいの、ほんとにアホなんだから。





自分でも、そうだなあって思うところがあるの。 

寅さんもモテるんだけど、必ず、フラれるでしょ、自分を知っているから身を引くところが、そのままだね。

哀しいところが、よく似てるねって、映画観て、いつも思うんだね。





憧れと実像の落差が大き過ぎるんだね、オレの場合。其の気分で居ても落ちたら嘘でも上がれないんだよ。「根が正直なんだね」 そう。

オレは、昔から、実像に迫られると弱いんだよ。「そう云うのをコンプレックスって、云うんだよ」 解ってるわいな。

だから、独りがいいんだよ。「なるほど」 でも、何故か、寄ってくるんだねえ、一種の拷問だよ。「ふむふむ」 いつになく真剣に聞いてるね?



















長い時間、ぼ~と、してたよ。コンプレックスか、そんなので、悩んだ時代の残りカスが、未だに居ついてるね。

良く見せよう、見られようの裏返しかね。

若い時は、捉われるんだね、どうにも、取り除けない塊が、ここぞという時に顔を出す。負けて退くんだね。





人生の、大きな宿敵だね。外敵よりも手強い内なる敵だね。孤独なる戦いだよ。

こいつに克つのは、自信だろうね。そいつを、上回る自信が身についた時、倒せるね。

コンプレックスは、呪縛のように苦しめる敵だけれど、克とうとすれば、そいつは、其の大きなエネルギーにもなるようだよ。





良い方向へ、もしくは悪い方向へ、そいつは引導する力を持ってるよ。克てなくても負けてはいけない。

















負を嘆くことは要らない、負は、鍛錬の相手、常に内なる戦いに負けない精神力を維持できれば、そいつは、やがて宝に姿を変えるんだよ。


















カメレオンの独り言-652 『足元の幸せ』

2013年01月27日 | 日記





昨晩は、遅くまで仕事で時間がなくなっちゃった。「疲れたよ」 

パソコンでブログ書いてたらクシャミが連発して「これは、ちょっとまずいなあ」って、感じたから早めに就寝した。

深夜に、クシャミで何度か目覚めたけど「よく寝たよ、いつもより長い睡眠で体調は元に戻っておるね、よっしゃっ」




いい天気だね、カーテン越しに日差しが暖かそう、幸せが入り込んでるみたいだね。 こんなの好きだね。















顔洗って、コーヒー沸かして、窓越しの晴れた空気を吸い込んで「よぉし、遣ったるでっ」 パソコンを起動する。

「おまえなあ、外へ出ろよ」 なんで? 「よぉし、遣ったるでって、目覚めて、すぐにパソコンかよ」 いいんじゃないの?

「もうちと、他にすることないのん?」 皆さん、散歩、ジョギングなんてやってるね。 「そうだよ」




目覚めて、走る奴の気が知れんよ、気持ち悪くなって吐きそうになるよ、身体に悪いよ。

「じゃあ、カメラでも持ってウロウロしてみろよ」 そうだね、時が来たらね。 「なんやねん、それ?」 なんでも、頃合ってのがあるの。

「めんどいのか?」 まあ、そうだね、気が乗ってこそだよ、みんながやってるからって思想は、オレにはないんだよ。




オレは、自分の欲求に、至って素直なの。今、パソコンを遣りたい、じゃあ、そうしようって行動だね。

皆が、いい目してるからオレもなんてのが、オレには、あまりないね。悪い目して、いい目してるのを眺めると、見えないものが見えるんだよ。

いい目してる人たちより、ひょっとしたら、いい目の善さを、オレの方が知っているかもって思えるよ。 不思議だね。




「どういうこと?」 う~ん、説明は苦手なんだね、はあはあ、息切って日本一の山に登る人たち、湖の辺で、その山眺める人たち、

パソコンの壁紙で、その山眺めるオレ、其の違いかね。「じゃあ、登らずとも湖の辺(ほとり)で眺めるぐらいになれよ」

なんでなの? 壁紙と変わらんよ。満足の度合いだね。それは、オレが決めるんだよ。なにごとも、自分で決めるんだよ。後悔がないよ。















本当の幸せなんてのは、意外と、足元に転がってんだよ。

はあはあ、息切って登る人たちを馬鹿にしてんじゃないよ。

其の人たちは、日本一の山の頂から見下ろす快感に浸ればいいんだよ、ご苦労さん。「なんか、馬鹿にしてるように聞こえるよ」




その人の、幸せ感ってのは、山の頂の足元にあるんだろね。大変だね。「やっぱり、おかしいでえ~」




人は、それぞれ何かしらの使命を授かり生まれ出(い)でてくるんだよ。

使命って云うほどの宿命でなくても、仰ぎ見ればうじゃうじゃ幸せな人たちが居る中を生きていかねばならぬ人たちも沢山居る。

其れが、世の中の宿命なんだよ。地面を這うような人生でも、其の中から幸せを見つけて感謝する。見つけることが使命なんだよ。




オレは、暖かなお日さんが、部屋に差し込む中で、パソコンを遣りたいだけ遣れる幸せを、今、感謝してるよ。















人間って、上見てばかりの毎日だね。階段一段の下を見ても意識にとどまらない。

人生の階段は、登るために在って、下るためのものでは無いらしい。歩みを止めれば、次から次から追い越して上がっていくね。

落ちるはあっても下るがないね。踏み外して落ちる人も、自ら堕ちる人も、相当の数、居る。オレも、踏み外して落ちたね。




でも、人は上に意識があるから気にもとめない。ぞろぞろと際限なく、ただ只管(ひたすら)登り往く人たちが見える。キモイね。

頑張っているようにも見えるし、欲張ってるようにも見える。

登るのが面倒で、動かずニコニコ笑って、誰彼なしに元気づけてる奴が居る。あっ、あれ、オレやんか、なんてね。















死んでしまったら、生きてる奴等がやかましいだけで、死んだ人は静かなんだね。「なんやねん、これ?」 そう思わない?




















カメレオンの独り言-651 『神さん』

2013年01月26日 | 日記






ずうーっと流され放しで生きてくると、此の歳になると「果たして、何処へ流れていくの?」なんてふっと心配になるね。「当たり前じゃ」

しかし、知って流れているんだから、どうでもいいや。「なんやねん、改善するんじゃないのか?」

今更、方針変えて、慌てるほど我なしではないわ。 オレの人生は、神さんにお任せなのよ。






「神さん?」 そうだよ、日本には、いろんな神さんがいるよ。火の神、水の神、台所の神、トイレの神、厄除けの神、縁結びの神、

方違いの神、学問の神など、切がないほどいらっしゃる。それらを、まとめて神さんなんだよ。

「じゃ、心配すんな」 バカ、っ神さんってのはな、人間が都合よく思ってるような解釈で判じないの。






人間なら、もう、ここまで頑張ったんだから良しにしようなんて終わるけど、神さんはね、まあだ~まあだあ~ってしつこいの。

遊んでるんか?と、疑いたくなるほどだよ。人間の常識を越えて、何、考えてるのか解らんの。

「ええ-っ」なんて、吃驚するようなとこへ流しよるかも知れん。






なんでも出来ることなら受けて立ったるけど、もう、肉体労働はやめといて欲しいわ。






そんなのが、ふと気がかりになるんだよ。「まだ、いけるやろ?」 おまえなあ、実際やってみい、しんどいどお~。

大きな会社のような福利厚生が、どうたらこうたら云う以前の問題なのよ。みんな、まとめて過労死しても平気なのよ。

代わりは、なんぼでも居るから人間と思うておらん。文句、泣き言通らんで「ああ、明日から来なくていい」だよ。





















頭を柔らかくしようかって思ってブログを思いついた。彼女の存在から気づいたんだよ。

さして、話すこともないんだけど、なんか、あの娘(こ)は、そんなのを気づかせてくれるんだね。

2年近く続けて、だいぶん、柔らかくなってきたような気がしないでもない。






いつも、なんかないかなって模索してんだけど閃かないね。油が足らんなあ。

昔のように、無責任なアイデアが湧き上がって来んねえ。






歩くのに右足、左足、いちいち意識して出したり引いたりする訳じゃない。

頭が痒いからって足でかく奴は居ない。

持って生まれた性格や性質なんてのも、本人の意識外で、その特性を出しているんだろうね。






それぞれ自分を生かせる道ってのがあるはず。其の道に行き当たるか、逸れるか人生はゲームだね。























肉体労働も合わないことはない、建築現場も行ったことがあるけど、こちらは今一気が乗らんかったね。

積み込みとか倉庫関係なんかは、お手のもんやったね。

オレの場合は、追い詰められてるときは、とんでもないエネルギーが出るみたい。火事場の馬鹿力と似てるね。






今、就いてる仕事も、べつに好きじゃないけど、合ってるみたいだね。大事にして貰ってるのを感じるね。

合うってのは、大事だね。仕事にも相性ってのがあるから、それに恵まれると素直な自分が出るんだろうね。

これに、好きってのが加味されたら、当然、もてる能力を惜しみなく出すだろうし、向上心も探究心も湧いてくる。






常に問題意識も働くから先を見通すことも冴えてくる。

能力も大事だけど「運」だね。人生を左右するのは「運」のウェートが大きいよ。

神さん、まだ、オレを流して遊ぶんなら、今度は、歳を考慮して、俺に一番合ったところへ流しておくれ。頼むわあ~。































カメレオンの独り言-650 『正義の一発』

2013年01月25日 | 日記






海外でテロの犠牲になった同胞のご遺体が帰ってきたね。






アルジェリアか、遠いところだね。北アフリカのエジプト、リビアなんかと並んである国だね。

隣の上の中近東や此の辺りの国々は、落ち着かんとこだね。何処かがドンパチやってる。国民は堪らんだろうね。

アルジェリアって云ったらフランスが植民地にしてたとこじゃないんかな?たしか、そうだよ、独立しても変わらんね。






そんな遠い国の事情が、やけに近くに感じられることが起きてしまったね。







発展途上国の支援を目的に日本企業が早くから進出して、営利であろうとも発展に寄与している。

日本が憎まれるような歴史はないにも関わらず「日本人は何処だ」なんて、名指しで探され殺されたらしい。

なんで、日本人なんだよ? 至っておとなしい民族じゃないか。







日本人居住区に乱入して7~8人の日本人を次々と射殺したらしい。人差し指引くだけで、多くの人たちの明日が奪われた。







文明を持ち込んでくることに怒ってんのか? アメリカと同盟国だから、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってやつかな?

ビンラディンを殺害しても代わりが、すぐに現れる。こいつを殺しても、同じことだろうね。

新たなテロ指導者のフィルムがテレビに映ってる、人差し指を立ててなにやら主張してる。もう、こんなとこ砂漠のまま放っておけよ。





















平和でのほほんと気楽な人生がいいと思う人、世の中が荒れ狂っているほうが生きがいを感じる人、刺激がないと退屈する人、

波風立つのが煩わしい人、競争のある世界を好む人、いろんなタイプの人が居るからねえ、そのタイプごとに合わせて

求められる時代は、順繰り巡って来るのかも知れないね。







暴力反対なんて声高々に正義の看板みたいに云ってるけど、ここまで来るまでの時代は、暴力が最優先みたいだったんじゃないの?

話せば解るなんていうけど、頭優先の時代にアホは生き難(にく)い。でも、暴力使わせたら相当のとこまで行ける奴もいる。

オレでも、力で決めるんなら、そんなに後ろに控えてない。知識だけ振り回すようなヒョナヒョナ男なんか蹴り落とす。







アルジェリアや、イラン、リビア、アフガニスタンなんてのは、発展途上国なんだから、暴力優先がさも当たり前の時代なんじゃないの?

日本人からしたら非情な奴等でしかないけど、彼らにすれば、そんな時代の正義に燃えているんだろうね。

そんなことぐらい、百も承知の賢い人たちが、危険を覚悟で命を賭けて行かれてると解すれば、地雷を踏んだも同じでしょうね。







先進国の計る物差しと、彼らの持つ物差しでは、狂いが生じても致し方ないのかも知れないね。







こちらはこちらで訳の解らん国がお隣に居る。人工衛星なるミサイル飛ばしたと思ったら、今度は核実験をやると云ってる。

これらは、アメリカを照準にしているなんて豪語してる。

痩せこけて飢えて死にそうな多くの国民のために、今、何を為すべきか指導者たる器を見せたれよ。なんで、おまえだけ、そんなに太ってるの?







アメリカよ、正義の一発、ピョンヤンへ飛ばして都市ごと消してしまえ、なんて思ってしまうよ。 此れは暴力だね。



















カメレオンの独り言-649 『人間じゃないか』

2013年01月24日 | 日記





午前中は、からりと晴れて、日差しを遮る雲もなく青空が広がった、こんな空はひさしぶりだね。










『 去年の紅葉が、まだ残ってる、しぶといね 』 









頭が禿げていても、頭が、あるだけいいよ。

信じられないブスでも、顔が、あるだけいいよ。

尻から、すぐに踵(かかと)でも、歩けりゃいいよ。

笑って泣けるこころがあればいいよ。

人間じゃないか。






「なんやねん、これ?」 「人間じゃないか」って、詩だよ。 






今日は、仕事が遅くまであって疲れたよ、考える時間も元気もないの、もう、寝ます。




















カメレオンの独り言-648 『此の世は、解らないで出来ている』

2013年01月23日 | 日記






「胸騒ぎ」と表現すべきなのかな? なんか、そわそわとして急かれるような感覚なんだね。

オレは、過去から、この感覚を覚えると、「ああ、あれが予知だったんだな」って、振り返り思うようなことが起きてるからね。

まだ、初期程度の症状だけど、なにかを教えてるね。なにが起きるのかね?







阪神大震災は、事前に解っていたからなあ。近いうちにデカイのが、必ず、来るって感じていたよ。

だから、未明の轟音で「来たあっ」って、飛び起きたもんね。第一声が「来たあっ」だったよ。「胸騒ぎ」が予知してたよ。

そんな、とんでもないことは滅多にない(周期的には、そうでもないかもね)だろうけど、我が身に関してのことだと思うよ。







仕事辞めちゃうのかな? 宝くじでも当たるのかな? それとも、死んじゃうのかなあ? アハハ。







突然死して、あの世へ逝ったら、不明のまま不明の世界へ逝くんだね、やだねえ~。あの世で、このことだったのかあ~なんて気がつくのかよ?

死ぬときには、其れまでの生きざまを走馬灯のように見るって、よく言うけど、とるに足らぬことばかりだね。

考えたら、オレって、いつも暢気に笑ってるけど、心の奥底では、泣いているオレが居るのかも知れないね。





















そういうもんだ、そう在るべきだって、自分に言い聞かせて道を外さない。外さない道に何がある? 「そう在るべきだ」が、有るだけだね。

堅苦しいってのは好きじゃない、堅苦しく生きてきた自分が嫌で、変わりたくてもがいているオレが居るみたい。

流れるままに生きてきたのに、自分を律することは忘れない。俺にとって最後の誇りなのかも知れない。







崩せないんだね、崩すと、全てが雪崩のように崩壊して、自分じゃない自分になるのが怖いのかも知れない。

本当に求めるものに背中向けて生きてきたような気がするんだね。

「いい歳して、まだ、自分に迷ってるの?」 歳なんて関係ないよ。人間は、何も解ってないんだよ。解った振りをしてんだよ。







解った振りした人間の集合体が、あたかも、其れが、正しいなんて社会を形つけてるようなもんだよ。

突き詰めて考えてみろよ、底なしまで行って気が狂うよ、其のぐらい、人間なんて解らんもんだよ。

解ってるなんて云う奴は、頃合のところで手を打ってんだよ。オレも、狂う訳にいかんから、その辺で手を打ってるけどね。







「後悔してんのか?」 後悔じゃないんだね。このまま死んでもいいのか? って、問いかけの声がするんだね、オレの心の奥底から。

今までは、それでいいんだよ。過ぎた過去を後悔しても何も生まれない。これからも、このままいけば、今までの積み上げで終わる。

それでも構わないんだけど、なんなんだろうかねえ? 







普通なら、今更、試すどころか終わってる歳だよ。オレも、救われない男だね。なんてことを考えて、結局、答えもなしに今日も終わったね。





















「胸騒ぎ」の話から、横道逸れて、悩みの相談室に入って、飯の食いすぎかなあ? なんだか「胸焼け」するよ。胃腸薬呑んどこ。
















カメレオンの独り言-647 『天網恢恢(てんもうかいかい)祖(そ)にして漏らさず』

2013年01月22日 | 日記







今日は、朝から雨だったね。

珍しく深夜眠れなかった。身体横たえて眠りの体勢に入ってんだけど、なんだらかんだら頭の中が動くんだね。

終わりがないから、こらあ、あかんと思って起き出して、服着てパソコン起動させて「ぼお~」と、自分のブログを遡り読んでたよ。







よく喋る男だねって思いながら、ページを繰ってるの。

独り二役かよって、馬鹿にしてるの。

聞いてくれる人が居るってのは、結構なことだねって、思ってるの。

お返しに、成長を見せんといかんなあって、無理なこと自分に要求してるの。

垂れ流しでいるのは、失礼じゃないか?って、反省してるの。ただのゴミ箱じゃないかと、厳しいの。







いい具合に目が霞んできたよ、4時半か、寝んとあかんなあ。





















寝たかと思ったら朝だったよ、暗いね、雨が降ってる。







今日は、何かと忙しい一日だったね。でも、睡眠少ないわりに身体が軽かったなあ。

雨も昼にはやんで曇り空、鬱陶しいけど雨天よりはましだね。







喰っていくためだけの仕事かあ、一番大事だけどね。やりがいかな、向かっていくっていう仕事はいいねえ。

もし、今度、生まれ変わったら、そんな仕事に恵まれたいね。

今の自分が解らなきゃ、生まれ変わっても関係ないか。なんか、欠片でも残したれや。







パソコンの前に居るんだけど頭が動かないよ。

寝なきゃいかんのに頭が活動して眠れない。頭が活動して欲しいときには動かない、なんやねん、このポンコツ。







仕方がないから、ヤフーメールを開いたら迷惑メールがてんこ盛りになってる。こんなの利用する人居てるの?

一括で消去しようと操作しかけて、「うん?」 DVD通販、丸見えDVDなんてのがある。

裏ビデオの業者からだね。スケベの誘惑に負けて開いてやる。「吃驚こいた」 なんなの、これは? 理解を超えた世界だね。







人間を売った娘たちが、ごまんと居るんだね。女の誇りを放棄した娘たちが、一線を外れて堕ちていくんだね。 

昔は、貧しさ故に泣く泣く身体を売る娘たちが遊郭を賑わせた。今は、贅沢を引き換え程度の操の軽さ、中身も相当に軽いんだろうね。

先々、自分の軽はずみに気がついたときから苦しみが始まるよ。気づかないままのほうがいいかも知れないね。







本当に好きになった男性に地獄の嘆き苦しみを与えることになるよ。云わなきゃ解んないで済まないの、天網恢恢祖にして漏らさずだよ。







こんなの「ふっ」と思ったら、しらけちゃったね。





















世の中には、いろんな世界があるんだね。好奇心で覗いて縁が繋がるのかな。

前世の因果を背負ってるのかも知れない。もし、そうなら、可愛そうな娘(こ)たちだね。宿命みたいなもんだから罪はないかもね。

悪魔の花園に比べて綺麗な世界は退屈だからね。悪魔は、誘いが上手、優しさも堂に入ってる、愉しんだら、お返しなしには出られない。







どうにもならないことなんだろうね。一括で消去しとけばよかったね。「好奇心で覗いたおまえが悪い」 そうだね。





























カメレオンの独り言-646 『小人閑居して不全を為す』

2013年01月21日 | 日記







ブログが、さっさと出来上がったときは「ほっ」とするよ。

なにかに託(かこつ)けて、想いを拡げていくんだけど、託ける材料が浮かばないと料理ができないんだね。

肉があれば、肉に関連した料理を考えられるけど、肉も魚も卵も野菜もないと包丁持って「ぼ~」と、してるんだよ。「怖いがな」






だから、目標、目的なんてものが、人生には必要なんだよ。将来に繋がる道なんだよ。

それらを、全く、失った人が、小人閑居して不全を為すじゃないけど、行き詰ると理性まで失って

或る日、突然、街ん中でホントに包丁を振り回すようなことに繋がるんだよ。ちょっと、短絡過ぎるね。









  珈琲をどうぞ、ホッとするよ。









ただで観れる映画って禄なのないね。ツタヤで借りたDVDがあるのに、ネットをウロウロしてたら無料で見れる映画のサイトに

出くわしたので、ちょい見したんだけど、時間をかえせ。

価格コムに入って、デジタルカメラの新製品、SONYのサイバーショット DSC-RX100って、2000万画素越えてるね。






あんな小さなボディに機能満載で一眼レフの写りに肉薄してるよ。其のうち、一眼レフは無用の長物になる日は近いね。

プロか凝り性しか、其の用途は無くなるんだろうなあ。

似非(えせ)プロとしても、重たいだけで、撮ってもコンデジと変わらんし、早々の手放しを真剣に考えんといかんね。






「手放せ、手放せ、おまえに使われてるレンズが泣いとおるわ」 なんか、失礼な物言いだけど、其の通りだろうね。






と、なってくると、オークションで売ったお金で、コンデジの最新式の奴を買う喜びが、沸々と沸いてくるね。ええねえ~。

価格コムに入り浸りの日々を愉しもうかな。「愛着ってものがないのか?」 無いこともないけど、執着するほどの腕もセンスもない。

しかし、オレのカメラやレンズ買った人は、買い得するよ。大事にしてるからね、とても綺麗だよ。






ただ、ひとつ、引っかかるのは、果たして、最新式のコンデジが、実際に一眼レフの鮮明な写りに匹敵しているか、どうかだね。

紹介されている写真は、鮮明で綺麗なんだけど、写真を掲載する人って、もともと上手なんじゃないの?

一眼は、下手でもブレずに撮れば、プロが撮ったような鮮明さを味わえるからね。パソコンで等倍にした時に違いが歴然と解るからなあ。






其れを考えると、一眼レフは手放し難いんだなあ。

もう一度、買うなんて、オレの経済力では不可能に近いもんね。ここは、考えどこだろうね。

今、持ってるお小遣いを使い切ってコンデジ買って、試して、良ければ手放す。悪ければ、そいつをオークションで処分する、このほうが無難だね。






こんなこと考えてる時って、なんとなしに愉しいね。

最近、あまり欲求は起きないけど、買い物って、あれやこれやと迷って行き着くまでのプロセスが快感やね。





















なんでもそうだね。実際のところは不明で、大方が、期待感で構成されて決断に至る。

で、なんやねん、これはあ~って、裏切られるほうが多いんじゃないの? 其れは、宝くじと、然程、変わらんのんとちゃうのん?

紙切れ束ねたのを大枚払って夢を見て、夢の屑になったのをゴミ箱へ捨ててため息漏らし、脱力感を克服して現実に戻って、また、ため息漏らす。







オレは、此の道のプロやで。「泡(あぶく)銭で幸せなった例(ためし)はないの」 それで不幸になってみたい。


















カメレオンの独り言-645 『飄々として生きる』

2013年01月20日 | 日記







飄々(ひょうひょう)としてって言葉がある。そう云う人が居る。

欲も無ければ、損得にも関心が無く、争うことも無く、何か云われても柳に風と受け流し、それでいて人生の機微を心得ている、そんな人を

指して云うらしい。「そんな人になりたい」と、思うんだね。




信じることは容易(たやす)くない。容易くない要因は自分にあるんだろうね。

信じることが出来る人は、信じられる人間なのかも知れないね。

信じることの出来る人で在りたいと、思うんだね。















映画を観ていると、いつも、この信じるってことが基点になって物語が展開しているんだね。べつに映画だけに関わらないけどね。

人間対人間の信頼ってのは、話し合って通じることもあれば、行動をともにして通じることもある。

話さなくても通じる場合もあるんだね。




人間対動物、人が裏切ることがあっても、動物は裏切らないね。

信に足るってのは、打算の介在しない純粋な思いが発露なんだろうね。




オレは、息子にも、よく云うんだけど、裏切るより裏切られるほうがいいって、口癖になってる。

騙すより騙されろ、騙された傷は治るけど、騙した傷は、一生引きずるぞって、云うんですよ。

信とは心なんですね。自分を支えている心だから、自分の芯となるものだから、自分の正体なんだから、汚してはいかんのですよ。




自分を信用できる人は、人を信用できるんでしょうね。

「おまえは?」 えっ? 「だから、おまえは信用できるのかって聞いてるの?」 えっ? 

若い時から、左の耳が聞き取りにくい、歳喰って、尚更、聞き取りにくくなってるなあ。「都合のいい耳だね」 えっ?




信じるってことに答えはないね。だから、自分に照らして問うしかないんだろうね。















だから、飄々として生きるような人になりたいんですよ。




























カメレオンの独り言-644 『映画 昼下がりの決闘』

2013年01月19日 | 日記






窓から日差しが差し込んでる。この室内に差し込む日差しってのは、暖かくて幸せな気持ちにさせてくれるね。

人生に光をもたらせてくれる、そんな思いが重なるからかな?






戦争なんてニュースか映画でしか知らない人たちが、突然、現実に戦争の真っ只中に置かれたらどんな気持ちになるんだろうかね?

アルジェリアで邦人が巻き込まれて消息不明者が10人も居る。現地の情報が錯綜して定かじゃないらしいけど、他国の民間人も含め多数に上るらしい。

安否を気遣う身内の人々にとっては、あまりに遠すぎて、ただただ無事を祈るのみ、堪らない思いだろうね。






今日、窓から差し込む日差しは、現地での、事の成り行きを知っているんだろうね。

地球を隈なく照らして余りあるお日さん、何もかもを知り尽くし、それでいて黙して語らず、今日も暖かな日差しを注いでる。

意外と、あんたは冷たいんじゃないの? ああっ、日差しがきつくなったよ。怒ったの?












昨晩、ツタヤへDVDを返却に行ったんだけど、また、借りちゃった。

最近、映画を、ゆっくり観れるのが嬉しいね。べつに、今まででも観ようと思えば観れたんだけど気分的なもんかね。

ブログ仕上げてからパソコンのモニターで、ヘッドホーンの音量上げて、少しでも映画館で鑑賞してる雰囲気をもたらすの。










『 昼下がりの決闘 』 1962年度 アメリカ MGM作品 監督 サム・ペキンパー 出演 ジョエル・マクリー、ランドルフ・スコット 








あまり、写真を勝手に使うといかんので、今回は、少なめにしときます。堪忍ね。

昔、保安官当時相棒だった年配のガンマン二人が、金鉱から銀行に金を運ぶ仕事に就く。過去、搬送中に襲われ何人かが殺されている危険な

仕事なんだけど、強盗じゃなくて、今回は、相棒のランドルフ・スコット(写真、向かって左)がこれを狙うんだね。






ランドルフ・スコットは若者一人を誘い護送に参加する。金鉱までの道のり、途中で信仰心の塊みたいなおっさんの牧場で宿を借りる。

厳格な父親に縛られて辟易する若い娘が居る。滅多に顔を見ることのない若者に、娘は心躍らせ話を弾ませる。

其れを父親に見つかりしばかれる、なんちゅうおっさんや。話は、聖書を引用した説法ばかりで禿げている。「関係ないやろ」






娘は家出して3人に同行を願い、金鉱にいる許婚(いいなずけ)の男の処へ一緒に行くと云う。娘心で相手が居ることを若者にあてつけているんだね。

道々、スコットは、金を山分けにして逃げようとジョエル・マクリー(写真、向かって右)を誘い込むべく彼の腹を探る。

しかし、マクリーは、正義と信念の人生を貫く姿勢に揺るぎが無い。ジョエル・マクリーが老練な渋さを漂わせていいね。






金鉱に到着した一行は、金鉱堀りたちから金を預かる仕事をこなす。若者にあてつけで許婚の男のテントに向かった娘は愕然とする。

その男も含め兄弟たちは、誰が見ても、すぐに解るような変態キチガイの群れで、彼女を共有できることに有頂天になってる。「なんやねん、こいつら」

あれよあれよと言う間に結婚式が娼婦宿の酒場で行われる。ドンチャン騒ぎの宿の表で若者は気が気でないが許婚なら仕方ない。






娘は、娼婦宿の一室で初夜を求める夫に抵抗する。夫は、呑んだくれているからフラフラで昏倒してしまう。

ほっとしたのも束の間、兄弟たちが入ってきて娘を犯そうとする。「こいつら動物やね」 娘の絶叫に、若者とマクリーが宿に駆け込む。

銃に物言わせて娘を救出し帰途につく。野営地で、スコットは、嫌がる若者を誘い、金を盗むが、マクリーが立ちはだかる。






相棒の様子からマクリーは感づいていたんだね。長年の信頼を裏切ったスコットにマクリーは怒る。二人を縛り旅は続く。

其処へ、変態キチガイ兄弟たちが「妻を返せ、婚姻届も済ませてる、人の女房を盗るな」 法律上は、こいつらの言い分は通る。

マクリーは断る。ここで、銃撃戦が始まり、若者が兄弟二人を射殺する。残った三人は、一旦、退散するが、娘の牧場に先回りして待ち伏せてる。






翌朝、スコットの姿は消えていた。スコットは徒歩で元来た道を戻り、若者が射殺した兄弟の死体から銃を盗り、馬も失敬する。

マクリー一行は、牧場に辿り着き様子を窺うと、娘の父親が墓を取り囲む柵に寄りかかり祈りごとをしている。

父親が無事なら安心と家に向かうが、家の窓や、納屋の窓から、突然、射撃を喰らう。マクリーは銃弾をわき腹に受け、若者は脚を射抜かれる。






娘の父親は殺されて、遺体を見せ掛けに使われていたんだね。あんまり嫌われると、娘は、あんたのことを最後まで忘れていたよ。


























其れを、後を追っていたスコットが丘の上で目撃する。銃を乱射しつつ突進して、窪みで身を伏せるマクリーらと合流する。

スッコトとマクリーが顔を見合わせニヤリと笑う、昔の自分たちの姿をダブらせるんだね。「やるか?」「行こう」

「老いぼれに気後れしたか?出てきて戦えっ」 二人は、兄弟たちを挑発して決闘に誘い込む。





かくして、2対3の決闘となる。至近距離まで接近しての激しい銃撃戦で相手を倒すが、マクリーも数発身に受けて倒れる。

「おまえのは出来心だよ」 マクリーは親友のスコットを庇う、「見られたくない、独りで死なせろ」 様子を見に近づく若者と娘を

スコットは制止する。「あばよ、相棒」 マクリーにとって、スコットは昔ながらの相棒なんだね。スコットは目で別れを言って、その場を去る。

















マクリーは、地に身を横たえ、遠い山々を見渡しつつ逝く。通り来た人生を走馬灯のように見たんだろうね。








若い頃、深夜テレビで後半の部分を観て、いいなあって思った作品なんだね。ジョエル・マクリーは、映画雑誌では、何度も目にしてる

役者さんなんだけど、この作品だけだね、映画を観たのは、渋くていいね。

考えたら、オレも、この二人と似たような歳だよ。「もっと、若いつもりで観てたろ?」 うん。「身の程知らずだね、おまえは」 そう。





























カメレオンの独り言-643 『副流煙』

2013年01月18日 | 日記







昼間に、雪が舞ってたね。寒いね。お日さんが照らないと、ただ、寒いだけだね。




夏のうだるような暑さを思うと、この身を切るような寒さも心地良さそうなもんだけど、そうじゃないね。

極端すぎて、もういいよって思ってしまう。夏や冬に比べると春や秋は短いね。去年なんか、秋、あったかね?の意識だね。

歳を喰らうと、焼けるような暑さの上に、「暑い」「暑い」の言葉だけで疲れてしまうよ。




いつの頃からか、冬のほうが好きになった。「寒い」「寒い」では、疲れないからね。

部屋の中を冷房で冷やしたときより、窓を締め切り風を防いで、ストーブを焚くと「ああ~幸せだなあ」って温もりに感謝の気持ちが湧く。

火の有り難味ってのを思い知るね。今流の暖房は、空気の滞留の加減なんだろうかね、頭が痛くなって好きじゃないけどね。




暖房のいいのは、顔面の皮膚が寒さで強張るぐらい冷えた状態から、お店なんかに入ったときは天国だね。出たくないよ。




出たくないけど出ないと次に繋がらない、生きていくってのは、これの繰り返しだね。

温まった布団から起き上がるのを、悪魔が誘って抜け出し難い。毎朝、毎朝、冬ならではの戦いだね。

このまま眠れたら、どんなけ気持ちいいだろうかね? 学校も会社も、冬は、昼からにしろよ、ホンマア。




「じゃあ、やっぱり、夏のほうがいいだろ?」 朝だけね。















人生、抜け出し難いことの、なんと多いことだろうかね。

克己の精神で抜け出さねばっ、でも、そう思えば思うほど、尚更、抜け出し難いんだね。

人は、赤ん坊のときは、皆同じ、なのに成長するほどに、それぞれに色変わって出来上がる。




「敵は本能寺にあり」って明智光秀が号令したけど、此の場合「敵は自分にあり」だね。

人生は、自分と戦って、克って行かねばならん道だね。オレは、若いときは、負けてばかりだったよ、で、こんなんに、なっちゃった。

今、煙草依存症って云うらしいんだね。オレは、悪いことって意識が無いんだけれど、世間は合唱して「悪いっ」って云う。




どいつもこいつも知らなかった時間の方が、圧倒的に長いのに「今、禁煙しろ」って、手のひら返したように喧しい。

無理強いする気はないんだけど、やっぱり、抜け出し難い。此の場合、悪魔が、大威張りで「吸え、吸え」って、さも当然のように煽りよる。

「おう、おう」って、スパッスパッ吹かして満足してる。悪魔も非常に満足してる。悪魔とオレは仲良しこよし。




これって、負けてしまってるんだね? 「完璧に負けとおるわ、そういうのは、教育の不足した奴に多いんだよ」 また、右に倣えか?

「おまえの捉えかたがおかしいんだよ、副流煙は社会の害毒なんだよ、医学で証明されたんだよ」 なに、云うとんねん。 

証明もなにも、煙草より先に恐ろしいって解り切ってた原発でさえ、如何ともし難いんじゃないか? なにが副流煙じゃ。ただの煙やないか。





こうして、人は、それぞれ、変わったのが出来上がっていくんだね。

























カメレオンの独り言-642 『風林火山』

2013年01月17日 | 日記






風林火山、武田信玄の旗印だね。

故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、難知如陰、不動如山、動如雷霆。

故に其の疾きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、

知りがたきこと陰の如く、動かざること山の如く、動くこと雷霆(らいてい=雷のこと)の如し。昔の人は賢いね。






故其疾如風  疾風のように行動するかと思えば

其徐如林    林のように静まりかえり

侵掠如火     烈火の勢いで襲撃するかと思えば

不動如山     泰山のように微動だにしない

難知如蔭    暗夜ひそかに行動するかと思えば

動如雷霆     雷鳴のようにとどろき渡る。






風林火山に絞ってか、知りがたきこと陰の如く、動くこと雷霆(らいてい)の如しは、あまり聞かないね。

自分に当て嵌めて云うなら、動かざること山の如し、これだけだね、我ながら、動かざること山の如し、そのもんやね。

悪く言えば、ただの、こって丑だよ。「邪魔やなあ、どっか行っといでえなあっ」って、鬱陶しがられるんだよ。






目的が、定かになるまでエネルギーを溜め置くんだよ。遣らねばならんことのみ精を出す、解ってないね。



















昔の人は、総じて、己に厳しい訓戒を胸に抱いていたんだね。物事の理非・善悪を諭し戒める。できた人が多かったんだろうね。

非理法権天(ひりほうけんてん) 非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たぬという意味で、天道に倣えってこと。

たしか、楠木正成の旗印だったと思うよ。若い頃、木刀の柄に、此の非理法権天を刻んで、よく素振りしていたよ。






棒を振るうと空を切る音がする。ブウオ~ンってね。其れが気に入らない、振って振って振りまくる、やがて、ブウオッって音が変わってくる。

それでも気に入らない、毎晩、振り下ろしを続けて、フウイッって音になる。

まだまだ気に入らないけど、ここからが変わらない。毎度、裂ぱくの気合で振り下ろす、でも、フウイッなんだね。






腕を鍛えた、腕立て伏せを繰り返し、腹筋を続けて、振り下ろす。オレって、ホンマに馬鹿だね、意地になってんの。

よし、それならばと、マスコットバット(重り入りのバット)を、振りまっくった。ブウウオ~ンが、ブ~ンになり、ブンッになって、木刀を握った。

裂ぱくの気合で振り下ろしたら、フイッって、切れのいい音に変わったよ。






真剣に遣り出したら、人が見ようが笑おうが、知ったこっちゃない、毎晩、駐車場で続けたよ。











『 寒椿の花の蜜を吸いにメジロが来たね、花見月の枝にとまってるところをパチリ 』









嬉しかったのは、今、机の脇に立てかけてる模倣刀を、部屋の中央で片膝立てて座り、上段の構えで振り下ろしたら、

無駄無く切れのいい「ピユッ」って音が空気を斬ったんだね。木刀と違って、刀身の幅が細い、其れを振り下ろして鳴る音じゃない。

「極めたね」なんて悦ったよ。肉体労働の賜物だね。






或る日、まだ幼い息子と梅田に出かけた折、富国生命ビルの地下街に模倣刀を売ってるお店に気づき立ち寄った。

「いいのがあるねえ~」 でも 「高いねえ~」 なんて陳列された模倣刀を見ていたら、やや小柄な老人が、両手を差し出し模倣刀を

捧げ持つと、作法に倣った姿勢で、スラッと抜いて上段に構え、無言の気合で振り下ろされた。ビイッって鋭角的な音を発して空を斬ったね。






この方は、一連の動作に力みが全くないんだね、なのに、あの鋭角的な音で止まる。刀を背中越しに振り下ろされるのが印象に残ったね。

技なんだろうね、無駄な力を削いで一点のみに気迫を集中させる技なんだろうね。

見るからにって感じじゃないの、普通の小父さんなんだよ。鞘に納められて捧げ持ち、元の受けに戻されると店内に入って行かれた。






居るんだねえ、ああいうのが。なんなんだよ~、どこぞの剣道の師範か? 世の中には、上を極めた人たちがウロウロしてんだねえ。

とんでもない賢い人も、とんでもない金持ちも、やっぱりウロウロしてんだろうねえ。

有象無象から見ると、ただ者じゃないね。「おのおの方、ご油断、召さるるな」てな感じ。「肉体労働者の努力を馬鹿にしとんな」てな感じ。



















親父が云ってたなあ、覚えておこうって思ってたけど忘れたな、「下を見れば、なんと多いか・・・・・? 傘取りて見よ、上の高さを」

つまり、有象無象(とるに足らぬ)の中で高ぶり驕るな、傘をとりて上を見てごらん、優れた人々がごまんと居るってこと、そう教えてくれたね。

上には上が居るってことだね。なにごとにも、当てはめて云えるね。






べつに高ぶり驕ってないけど、陰で悦ってたね。自分に惚れ惚れしてたね。馬鹿だね。「だから、おまえは世間が狭いんだよ」 放っとけ。





















カメレオンの独り言