『慕情』 2017年8月23日
ベランダに出てサンダル履いたら皮革表面が火傷しそうな熱さになってるよ。うっ、これしき何のことはっありそうっ。あっつう~。
お日さん、ヤケクソに照ってるよ。日光浴もさねばならん、照れ、照れ、照れ。
二の腕に汗が噴き出てきてる。紫外線を吸収して体内の黴菌を殺す。 「ホンマかいな?」 そんな感じで日光を浴びる。
身体にいいと思ったらいいんだよ、自分で決めろ。昨晩は、なんか矢鱈と喰ったから腹破裂しそうだった。
日頃、あまり喰わないから胃袋が吃驚しよったかね? 奥さんが出かけて土産を買って帰って来た。551の豚まんと餃子と饅頭。
豚まんは2個、餃子が一人前、360mlの缶ビールひと缶。それだけで満腹。お茶を入れて喜八洲のぼた饅頭2個追加で破裂寸前。
「少食じゃないのか?」 解らん、腹一杯になったら大食だろ? 寝しなに腹筋頑張って30回が限界、もう、やめとこ、で寝た。
朝、スッキリ目覚め良し。夜明けのコーヒー飲んで 「何時や?」 8時だよ。「夜明けとは云わんだろ」
おまえも馬鹿だね。朝、目が覚めたらオレにとっては何時であろうが夜明けなんだよ。喩え11時頃起きても夜明けのコーヒーだよ。
いい天気だねえ、空は真っ青、一番好きな天気だよ。ただ、矢鱈と暑いのが難だね。何処かへ出かけようなんて考えられない。
溜め込んだ懐かしい写真を見てんだけどファイル(アイコン)の小さな写真を、繰っては、繰っては、拡大しつつ確認してると疲れ果てる。
で、何気に「表示」をクリックして特大アイコンなんてのを発見して見易くなったのを忘れてた。ああ~楽になったよ。
で、もう何度も書いてるけど、今はもう無い難波の南街(劇場)会館の閉館(2004年2月1日)を遡って、其の開業日が解ったよ。
1938年(昭和13年)戦前当時の平屋の三角屋根の南街劇場の写真(当時は南街映画劇場)がある。
『難波高島屋前 南街映画劇場』 1938年(昭和13年)
『難波 南地演舞場』 明治の頃 当時は向かいの高島屋は建ってない
此の南街映画劇場の前身は、南地演舞場という芸妓さんの練習場だったらしい。其の跡地に上の写真の南街映画劇場を開業したとある。
施主は、阪急電鉄そして東宝や宝塚歌劇団の創業者でもあるお名前を小林さんというらしい。「馴れ馴れしいね」 財閥だよ。
劇場は、大阪空襲で焼けたのかどうかは解らないけど1938年当時と変わらなく在るみたいで終戦を迎えたようだね。
戦後も三角屋根は健在で隣向こうの精華小学校と並んで長く此の地に根を張って在り続けたんだね。
時は流れて 「鬼畜米英」 は何処かへ消えちゃったみたいで、なんでもエエのはアメリカになっちゃった。
変わり身早いのは 「忍者」の血だな? 「英霊に申し訳ないっ」 「そいでいいんだよ」 「しかしっ」 「誰と話してんねん?」
『難波高島屋前 南街劇場』 1953年(昭和28年)公開当時の『アパッチ砦』 右手に遠い太鼓の予告看板が見える
『アパッチ砦』 1953年作品 ジョン・フォード監督ジョン・ウェイン、ヘンリー・フォンダ主演
1953年(昭和28年)1月15日公開の『アパッチ砦』(ジョン・フォード監督ジョン・ウェイン、ヘンリー・フォンダ主演)の
公開当時の写真に続いて、其の次回作品『遠い太鼓』(ラオール・ウオルッシュ監督ゲィリー・クーパー、マリー・アルドン主演)の
公開当時の写真を見つけたよ。仰ぎ見るような大きな看板が否が応でも観なくちゃ堪らんように迫ってくるよ。
『アパッチ砦』の公開日と 『遠い太鼓』の公開日は正確ではないね。 『アパッチ砦』は1953年1月15日公開なのに
『遠い太鼓』は同年1月10日となってる。 『遠い太鼓』は 『アパッチ砦』公開時の写真の脇に次回作品として予告看板を出してる。
『アパッチ砦』上映の劇場前には、「1953 賀正」とあり、『遠い太鼓』上映時には、「1953 お正月映画は南街へ」って書き換えてある。
想うに『アパッチ砦』は、去年年末辺りから正月跨いで公開してたんじゃないかね? 誰かが間違ってる。「おまえじゃないか?」 アホ。
待てよ、劇場前のテントの文句は、「賀正」だけが消されてるね、あとは 「年号」も 「お正月映画は南街へ」も其のままだよ。
と、いうことは、どういうことかね? 賀正は元旦のことだったか? で、消したのかね? なら、辻褄が合うね、でも、どうでもいいね。
「なんやねん、ええ加減やのお~」 後か先かの違いだけだよ、細かいことに拘るなよ。「賀正とは、新年を祝賀する意だよ」
じゃあ、『遠い太鼓』は、新年を祝賀しないってことか? 「ふつう正月15日で平日に戻るということではないか?」
正月気分は1月一杯は大目に見ようってことで 「お正月映画は南街へ」の部分は残していると考えられるね。「なるほど」 ホンマかあ~?
『難波高島屋前 南街劇場』 1953年(昭和28年)公開当時の『遠い太鼓』
待てよお~、写真を拡大して確かめると『遠い太鼓』の公開時にも「賀正」の字はそのままだよ。光線の具合で消えて見えるみたい。
「と、いうことはどういうことなんだ?」 『アパッチ砦』の上映期間が終わって『遠い太鼓』に入れ替わった。
公開日なんてどうにでもなるんだろ? 『アパッチ砦』に花を持たせて先行したってことだろうね。
「よく調べてから書けよ、くだらないことばかりで長々無駄じゃないか。まあ、そういうこともあるわいな。
其れよりも、此の三角屋根の劇場をとり壊して同い年の暮れには、オレの南街(劇場)会館に生まれ変わったって突貫工事か?。
「なんで、おまえの南街劇場やねん?」 其れほどまでに慣れ親しんだ劇場だったってことだよ。
ふつう解体や周りの建物の近隣交渉とかで、実際の工事にかかるまでには相当の準備期間を要すると思うけどね?
ふつう7階建て複合商業(劇場集合)ビルを完成させるのに、どのくらいの期間を要するものかが漠然として解らんもんだね。
しかし、1年弱の期間に諸々の準備をこなして、実際、完成してるんだから当時としては凄いんじゃないかなあ?
『遠い太鼓』 1953年作品 ラオ-ル・ウォルッシュ監督 ゲィリー・クーパー、マリー・アルドン主演
そして、此の三角屋根の南街劇場は、此の年、一旦休館して取壊し、南街(劇場)会館として生まれ変わって同年12月18日に竣工。
会館内には、東宝映画とかスカラ座 「なんでスカラ座だけ名がでる?」 とかニュース館とか沢山の劇場が入館して
表玄関口に大型劇場1488席を擁する南街劇場が開業したんだね。素晴らしい。此の映画館は大好きだったよ。
しかし、ネット情報も当てにならないのがあるね。南街劇場の席数は816席だよ。ついでに南街東宝417席、南街シネマ452席
南街スカラ座567席、南街文化劇場が232席となってる。間違うなら少なめに間違ってよ。
1488席が816席に減ると、なんか、ガックリ感をどうしてくれるんだよ、まったく。まあ、オレもよく間違うからね、お互いさんだね。
『難波高島屋前 南街劇場』 1953年12月18日竣工 同26日に 『聖衣』 開業記念公開中
『難波高島屋前 南街劇場』 1953年12月~『聖衣』~上映、年を跨ぐ 劇場の東側壁面が新築でスッキリしてる
『聖衣』 1953年(昭和28年)12月26日公開 リチャード・バートン、ジーン・シモンズ、ヴィクター・マチュア主演
『聖衣』 1953年(昭和28年)12月26日公開
『聖衣』 1953年(昭和28年)12月26日公開
同年12月26日 『聖衣』(ヘンリー・コスター監督リチャード・バートン、ジーン・シモンズ、ヴィクター・マチュア主演 )を
開業記念として公開してる。「もう、影も形も無くなってしまったものを思い起こして何になる?」 オレも解らん。
解らんけど写真が、唯一、昔の思い出を偲ばせてくれるではないか。南街劇場、万歳。「もうないねんで」
そして、またもや懐かしい写真を掘り出したぞ。 「どこからや?」 其れは聞き流して次に往こう。
1955年(昭和30年)の南街劇場、オレは南街会館とは云わないね、どうしても南街劇場って云ってしまうんだね。
全体像が映し出されてるんだけど、拡大して、よ~く見ると、此の時公開してる映画は、『慕情』 なんだね。そうだったのかあ~。
『難波高島屋前 南街劇場』 1955年(昭和30年)公開中の『慕情』 開業から2年で劇場横手の壁面に看板が激増しておるね。
『上の写真、南街劇場前の看板を拡大すると題名が読み取れる 絵と映画シーンを合わしてる』 「そんなんせんでも見えてるで」 そうか?
『慕情』 1955年(昭和30年)公開 ジェニファー・ジョーンズ、ウイリアム・ホールデン主演
『慕情』 1955年(昭和30年)公開 ジェニファー・ジョーンズ、ウイリアム・ホールデン主演
ジェニファー・ジョーンズ、ウイリアム・ホールデン主演の 『慕情』 だよ。サウンド・トラックの歌声が懐かしい。
此の頃は、幼かったから男と女の物語なんか何がなんやら解らんかったけど、
のち、我が家にも東芝モノクロブラウン管テレビが導入されて 「導入?」 或る日、観たのを覚えてる。感動したよ。
「其れは学校サボって親に隠れて観たやつだろ?」 そうだったかねえ? 「駄文の 『慕情』に書いとったぞ」 忘れた。
劇場横手の大型看板には カーク・ダグラスの 「海底二万マイル」 シネラマだね。
全く、覚えがない、深海のタコと深海艇の闘い? 駄作だろうね。他に 「吉野の盗賊」 「ヘソクリ社長」とか、ゴミ映画だね。
「それより、よく見ろよ、シネラマじゃないだろ、シネマスコープって書かれてるよ」 細かい字がね~疲れるんだよ。「単なる間違いだろうが」
『難波高島屋前 南街劇場前』 1964年(昭和39年)『大列車作戦』 公開中
『大列車作戦』 1964年(昭和39年)公開
『大列車作戦』 1964年(昭和39年)公開
そして、1964年(昭和39年)南街劇場前の珍しい写真には恐れ入った。なんと 『大列車作戦』が公開されてるじゃないかっ。
信じられないっ。 「なんでや?」 衝撃だよ、かのジョン・フランケンハイマー監督作品だよっ。 「知ってんのか?」 知らん。
「リキ入れて知らんのか?」 あのね、当時、オレは監督なんか眼中にないから知ってる監督なんて些細なもんだったよ。
しかし、こいつの名前は語呂的に恰好良すぎて忘れられない。其の響きをもってオレの悪い脳味噌に印刷されたんだよ。
ジョン・フランケンハイマーっ、顔も知らんけど素晴らしい。 映画も凄かったよ。バート・ランカスター、名優だね。
ジャンヌ・モローって、なんでこんなのがと思わせる女優だったね。 「なんでや?」 なんかコワイんだよ、破壊寸前の顔だよ。
そのほかの看板 「怪談」 「駅前医院」 何をか云わんやだね、「勇者のみ」東宝映画? 三橋達也が出てる。
フランク・シナトラ、クリント・ウォカー共演の大東亜戦争ものだね。
やめとけ、日本人の出てる洋画ほど馬鹿らしくアホらしい映画はない。なんでかねえ? 作る前から駄作だよ。観る前からゴミだよ。
『海底二万哩』1955年公開 『東宝映画 勇者のみ』1964年公開
何故か洋画には不似合いな人種だね。「どういう意味や?」 感じたままだよ。まだ 「駅前医院」のほうがいいよ。似合ってる。
慕情 [日本語訳付き] マット・モンロー