カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-590 『汚染瓦礫』

2012年11月30日 | 日記






建物のあちらこちらに、コピーされたチラシが貼り付けられている。

東北のガレキ処分で、大阪も試験焼却を開始する。反対集会を開催する云々、号外もどきで訴えている。






此の11月29日と30日にかけて、大阪港埋立地の舞洲の焼却場で、東北からの瓦礫100トンを試験焼却したらしい。

フィルターを通して排出される煙には、放射能やアスベスト、ヒ素、六価クロム、PCBなどは含まれないというのが前提ではある。

しかし、東京の一部焼却場ではアスベストが含まれた煙が排出されて都内を汚染したという。






こぞって協力しなければ福島被災地の復興はおぼつかないってのは、解るけど元凶の原発が収束していての話ではないのか?

この先、まだ不透明な状況でありながら、復興、復興って邁進しても住民が帰ってくるのか?

とんでもないダメージを被って、因果を背負うような地に戻って夢を創り上げていけるのか?



















多額の復興資金は、被害を諸に被った被災者たちに届いたのか? 復興という名の下、その金は、復興事業資金に回されて

事業に参入する業者が肥えてるんじゃないの? 明日のある土地かよ?

瓦礫処理を全国各地に分散して処分するって遣ってるけど、これに関わる費用、協力補助費等なんてのは半端な資金じゃないよ。






人が不安で帰れぬ土地から瓦礫を取り除いて、汚染外の安全地域にわざわざ運んで処分するって、何処のどいつが云い出したっ?

全国各地で焼却すれば、汚染されてない地域は、日本から無くなるんだよ。

日本全国の土壌も水も汚染されて健全な作物が、どうして生産されるんじゃっ? アホッ、カスッ、ボケッ、マヌケッ。






気の毒だから痛みを分けるってな浪花節で片付く問題ではないやろっ。

きれいごとで誤魔化してアピールしても、東北産はスルーされているのが実態じゃないか。

北の物を、わざわざ西まで持って来て、痛み分けで、皆が、少しは放射能被りましょうって「何処のチンドン屋じゃっ」






子供たちが遣られるんだぞっ、おまえらの糞馬鹿どものきれいごとで、全国の子供たちが脅かされるだぞっ。

福島の方々には、大変、気の毒で申し訳ないけど、放射能の脅威は、まだ、姿を現していないだけだよ。

あと数年先には、福島原発の事故が、いかに怖ろしいものかを、改めて思い知るときが来る。



















元凶の福島原発が、未だに不安定な状況にあって、意を決して、其の土地に戻った者も、その脅威の惨状を改めてまざまざと見るとき、

呪われた土地に、それでも居つくと思うか? 老い先短い爺や婆などの愛着云々なんて強制退去で片がつく。

ダムや空港や道路やらの建設区画に入って居ったら、どう、立ち退きを拒否しようとも、最後は立ち去るしかないではないかっ。






お涙頂戴的なアピールもほどほどにしとけっ。交通事故、航空機事故、現場の事故、事故、事故、事故で悲惨な目に遭って悲劇のどん底で

泣く人もごまんと居る。世間が、いつまでも、縫い包み被ってまで応援したか? 

何故、先見を働かせない? 瓦礫を拡散せず南相馬の見捨てられた土地に集積して隔離するべきなんだよっ。






其の土地を失った方々に、巨額の馬鹿資金に当てたお金を使えばいい。

「じわじわ忍び寄る脅威の姿が出るまでに」って、急いでるんではないのか? すべて更地にして、過去も、兎に角、終わらせようって腹か?

遣るだけ遣ったって実績作り、言い訳の材料作り、不可抗力の産物なんて、逃げの申し訳作りか?






石原慎太郎前都知事が瓦礫を引き受けて橋本もそれに倣った。おまえ等は侍の魂かも知らんけど、ここは、百姓魂で考えねばならんとこだよっ。

肥えた土壌、汚れぬ水、これが命だよ。きれいごとでは、健全には生きていけないんだよ。命に代えて守らねばならんもんだろうがっ。



















面白いことに、ニュースや新聞は、こんなのに関してはトーンが落ちるね。で、放射能の影響が隠しようもなくなって来たら

我こそは正義だなんて顔して騒ぎ立てるんだね。それもしつこいぐらい。事後には強いんだね。事前に正義の意見なんてのはないの?

あんたがたが、民間の意見なんかを大きく取り上げないから、こんなコピー用紙を街の建物にベタベタ貼って周知を図る活動家が出るんだよ。






少数の意見なんてのは、なかなか波には至らないし効果は上がらない。

でも、少数の意見が正しい場合も多々ある。ただ運動に盛り上げるには弱い。今日、明日に追われる人々にとっては、「また今度」って

なってしまうからね。馬鹿政治家どもは、こんなの読むのには長けてるからね。自国の民の癖を知ってんだよ。






来年2月から2年間で3万6000トンもの汚染瓦礫を焼却し続けるんだって。

毎年ほぼ同じ方向に吹く風に乗って、大阪市内、堺なんかが、諸に被ることになるらしい。

舞洲って云ったら、USJのお隣じゃないの、最悪だね。



















このブログで、何度か放射能のことを書いてるけど、まさしくおっさんの独り言に過ぎないね。「結局は、どうにもならんのやね」

国民の皆さん、こんな健康、命に関わることでさえ鷹揚に構えられるんだから、日常の些細な事柄なんかに、いちいちイライラしたり、

ネチネチ厭味云ったり、責任云々相手を責めるようなことだけに熱噴くなよ。なにごとにも鷹揚に笑っとけよ。それなら、解る。





















カメレオンの独り言-589 『夫婦』

2012年11月29日 | 日記







泣いてる子が、急に笑い出すと、安堵感で、皆、ほっとして喜ぶね。

笑ってる子が、急に泣き出すと、意外性に、皆、吃驚して不安になるね。

笑って話してるかと思ってるのに、急に、ヒステリクに金切り声だして怒ると、皆、あっけにとらわれて顔を見直すね、うちの奥さん。















夫婦ってなんなんだろうね? 嫌いで一緒になる人は居ないと思うけどね。財産勘定して一緒になる人は、居ないこともないだろうけどね。

普通は、気が合うとか、優しいとか、性格がいいとか、面白いとか、稼ぐ可能性が高いとか、

ファッションが好きとか?顔かたちがいいとか?思うようになるやろ?とか、まあ、なんとはなしにとか、動機があるね。






それは、其の時だけってこともあるだろうね。時間を経過すると、思ってたのと違うってのが、出てきて当たり前だろうと思うよ。

優しいと思ってた奴が怖い奴だったり、性格いいと思ってた奴が悪かったり、稼ぐだろうが稼げなかったり、気が合うと思ってたのに

全然、合わなかったりするんだね。思うようになるって思ってた奴に思うようにされ続けたりして「なんやのん?」なんてのもあるだろうね。






結婚は、賭けだね。ギャンブルじゃないの? 違法だよ。放置せずに取り締まれよ。

その人を見るには、物や、行動などで、其れに対して飽きが来たときにどう反応するかを見るべきじゃないかね?

飽きたら見向きもしない、捉われていたのに飽きると批判が多いなんてのは、一貫性を疑う材料じゃないかね?






正直な人なんてのはいいね。だけど、「おまえが嫌になった」なんて、急に正直に言うってこともあるだろうね。

心優しい人はどうだろうかな? このままだと自分が可哀想なので別れようなんて云われたら困るね。

其処へ行くと、なんとはなしにが幸いするんじゃないのかな?期待もなければ、打算も無い、この程度と思える範囲で手を打つ「無」の境地、

ギャンブルは、この「無」ってのが、一番、当たりを呼ぶもんだからね。






つまり、打算は外れる、期待は裏切られる、思い込みは空振りってのが相場だからね。





















それと、相性だろうね。これが鍵を握っているだろうね。理屈じゃない気持ちの作用なんだろうね。

女は男と違って売れどきってのがあって、これを外すと妥協が付随して安売り価格になるなんて、誰が云ったか知らんけど

世の中は、そんな風に捉えてる向きがある。それでも、なんとはなしに魅かれて一緒になって幸せなんてのもある。






なんとはなしに魅かれるってのは、相性なのかも知れないね。この世で結ばれる縁を感じ合うのかも知れない。

つまり、引き合わされて居るのかも知れない。見えない世界のお話だね。

「ええっ?」 「げえっ?」っていうショックに似た癖や思考などにも、期待がないから新鮮に感じられて受け入れ易いって、

こともあるのかなあ? 「信じられないっ」 ってことも刺激に捉えて受け入れ易いってこともあるんじゃないかね?






「発見」ってのは、興奮だからね。「ホンマかよ?」 知らん。






獲らぬ狸の皮算用ってのは、諸に外れる典型だろうね。思いを超える奴なんて居ないに等しいよ。

生きているってことは、臭い、汚いから始まって、知恵で、臭いを消し、汚れたものをきれいにするもんだからね。

互いに、足らぬものを補い合って、理解し合って、協力して、善い生活環境を構築して行く、これが夫婦の理想だろうと思う。






そして、常識という縄で互いを縛り合わぬことだろうね。

好き勝手を放任し合うのではない、互いの可能性を阻害しない、信頼という絆で自由を認め合うことが、個人を尊重する上で大事なんだろうと思うね。

本能的な嫉妬から来る疑心を克服するのは半端な努力じゃ出来ないけれど、愛情を信頼に置き換えれば出来ぬことではないんじゃないのかな?






愛情イコール相手を縛るでは所有物化になる、信頼など、はなから無いことになる。愛情が負担になってはいかんのだね。

でも、こんなのを理解できる人ってのは少ないんじゃないのかなあ? 理解しても実践できるかどうかとなると、数は、もっと狭まるね。

解釈の仕方では、互いが野放しし合って「信じる」だからね。絵に描いた餅的発想に近いかね?






でも、愛情と云う名で、縛り合っているような夫婦でも問題が起きないかというと、そうでもない。

四六時中監視のもとなんて、そうそうできるもんじゃない。日ごろのパターンから、ほんの僅かに外れても嫉妬の疑心が暴れるからね。

どちらも、結局は、ゆるぎない信頼が基となる。なら、出来ない話じゃないことになる。




















互いの求める夫婦像が合致すれば円満にいくんだろうね。それぞれの求める夫婦像が異なると、いずれ亀裂の生じる時が来るね。

そんなことが、そんな時を迎えるまで解らなかった夫婦も居るね。

互いの愛情の行き往く方向が違ってることに気づいた頃から、うちの奥さんのヒステリックが、尚、過激になってるね。






世話になった奥さんの望む夫婦像に、最後まで付き合ってやろうと思う心は持っている。犠牲的精神は旺盛だからね。

でも、人間は、一回こっきり、一回こっきりの自分に執着する自分が居る。

「何をするつもり?」 「何も見えない」 でも、独りで戦いたいんだよ。






「じゃあ、奥さんとスクラム組んでやれば?」 人には、得て不得手があってね、奥さんは、守りが得手で攻めには不得手なんだよ。

攻めで組むと、消沈して萎えるんだよ。影響力なんだろうかね? 奥さんが悪いんじゃない。

向こう見ずのアホなおっさんに、奥さんは、呆れておるんだろうね。我ながら、その気持ち、解るような気もするんだけどね。






こんな取り止めの無いことを、実際、真面目に考えてしまうんだね、持って生まれた持病だね。






想いにまとまりがないから、書いていることにもまとまりがない、まとまりのないことを書いてはいかんという決まりも無い。


















カメレオンの独り言-588 『記憶喪失』

2012年11月28日 | 日記







昨日は、よく寝たねえ~。最高だね、身体が軽いよ。

此の場合は、昨日、よく寝たでいいのかなあ? 今日は、よく寝たが、正しいのかね?

深夜は、今日だから後者のほうが、やっぱり正しいんだろうね?






なんか、ピンとこないんだね。昨日の場合は、11時に寝たから1時間は昨日だね。0時からは今日だから、

昨日と今日を跨いで、よく寝てねが正しいんだろうかね? 普通、そんなの言うか?

「どうでもいいこと、しつこく書いて字数を稼いでるね?」 「そうだよ、300字はいったね」」






「1時間半しか寝てない」って、彼女が云ってる。ホント? そうか、提出ノートがあるって云ってたなあ、オレは、11時に寝ちゃったよ。

おまえも寝てるだろうと思ってたよ。「寝てへんわ、朝まで書いてたわ、まだ、あんねん」 キツイね。よく、目がもつね。

おまえの場合は、人も大事だけど、まず、自分が大事だよ。 あと、もう少しで 「ほっ」 とできるよ。



















思い込みって言うか、当然のように思っていたことが「あれえ?」って、狐につままれたような形で思い知るなんてあるね。

例えがくだらんけど、冬用のスラックスに、お気に入りが1本あるって思い込んでいたの。

で、今日の朝、洋箪笥の中に吊られたスラックスを選ったんだけど見当たらない。「おかしいなあ?」






生地の感触も色合いも記憶にあるのに、ものがない。洗濯出して返ってないのと違う? 「みんな返ってるよ、半ビラ、もう無いよ」

じゃあ、何故無いの? 「あんたの記憶がおかしいのとちゃうんかいな?」 痛いとこ突きよるね。

「ええええええ~?」 納得でけへんでええ~。オレのスラックスは、みな同じようなのばっかしだから薄明かりだと判別つかん。






電気を点けて照明の下で再度確かめるけど「ないっ」なんでやのん? 「どうも、奥さんがクリーニング出したまま忘れとおるなあ」

ストライプの入ってない奴だよ。「ないもんはない、もう、半ビラ、財布に残ってないがなっ」 そう・・・どうも臭いなあ~。

一番のお気に入りのスラックスは、洗濯出して戻ってきたらテカッてたし、有ると思い込んでたやつは、嘘みたいにない。なんやねん。






また、二、三本誂えて貰わなしゃないね。「贅沢やな」 既製品より安いがな。「まあ、そやけど」 よし、そういうことで納得しよ。モウケタ。






お金もそうだね。だらしないように聞こえるけど、オレは、小遣いに関しては、細々勘定しないの。

でも、財布に残ってるお金は、ちゃんと頭に残ってる。なのに、ときたま、「あれええ~?」って、記憶を辿らねばならん時がある。

たかだか千円単位なんだけど、行方不明が納得できない。使った金は気にならない。消えたお金は気になる。






千円払った時に引っ付いてたのかなあ? レシート捨てるときに一緒に捨てたのかなあ? 払うときに財布から落ちたのかなあ?

なんて、わりとしつこく残るね。まあ、大方は、辿り辿って「ああ~、アレを買ったなあ~」なんて答えが出るけどね。「ただの記憶喪失やね」



















連休のあと、目が覚めて「ああ~、今日は休みかあ、もう、ちょっと寝たろ」って、本気にリラックスしきってるのに「あんたっ起きやっ」

悪魔の声に聞こえるよ。でも、納得出来ない時がある。「えっええ~っ、なんでや?」 「なに云うてんねんなあ、月曜やで」 悪魔が返事してる。

そんなアホな、今日は日曜とちゃうんか? ええ~? 雨の土曜休んで・・・晴れの日曜休んだな、と、云うことは月曜やな、オレがアホやな、ガックリ。







「なに云うてんねんなっ、ボケんの早いでっ」眉間に縦皺立ててモコモコ歩く奥さん、昔は、こんなんと、ちゃうかったでええ~。





















カメレオンの独り言-587 『女が綺麗という女』

2012年11月27日 | 日記







「★★ちゃん」 引っ越して行った高3の女子が久しぶりに顔を覗かせて笑ってる。

「おう、元気そうやね」 学校へ行く途中に寄ってんだけど、もうすぐお昼だよ。相変わらずだね。

なんたらかんたら近況を報告している。






これも相変わらず、男をとっかえひっかえしているらしいから、おかしな奴と点と線を繋ぐなよって、忠告するんだけど聞いてないね。

「今は、居るの?」 「うん、出てきた(刑務所)とこやねん」 「なんじゃあ?」 もう、線繋いでおるがな。

「大丈夫、大丈夫」 笑ってる。ほんまかいな? こいつの居る群れはなんやねん? こんなんばっかしやね。



















まあ、男と女の問題は、こういう手合いって垣根はないみたいだけどね。此の前の事件では、結婚した女性宅へ押し入り殺しよったのは、

元高校教師だったからね。昔付き合っていた女性に復縁迫りストーカーして、挙句、殺してる。

「わたしも、ストーカーされてん、しつこいのに追い回されたことあるわ。あれは、恐かったわ」 そんなこと云ってたなあ、気をつけろよ。






種蒔きゃあ刈らねばならん。撒けば蒔くほど刈るのも労を要すし危険も増える。

相手に、おまえって女性がインプットされんだよ。そいつが順調なときには問題は起きない。人生は長い。

アンラッキーな時代もある。寂しく孤立するから荒(すさ)んで根性も曲がる。ベタついたり、仲間恋しい奴って、こんなときが怖い。






そんときにコンタクトを取り易い存在になるんだよ。勝手に、いいようにとるから、思いと逆の反応喰らうと、すべての鬱積が集中するんだよ。

遣られたほうは迷惑な話なんだけど、昔、種蒔いたのは自分だから仕方ないって計られる。そんな事件が、ごまんとあるよ。

縁を繋ぐってことは、丸っきりの他人じゃない気安さが生じて、気侭が顔を出しやすい対象になるってことなの。いいこと悪いこと背中合わせだね。






「せやけど、そんなん言うてたら相手みつからへんやん」 人生はね、欲を絡めて動いた分には、いつかお返しがくるようになってんの。

長く生きれば解るんだけど、哀しいかな若いうちには解らない。時代が、尚更、解らぬように回ってる。結局は運命なんだろうけどね。



















それより、おまえ、石鹸の香りがする香水知らない? 「ああん、★★ちゃん、それはサムライや、青くて細い瓶のやつ」

おお、よく知ってるね、其れが欲しいの。風呂上りに出かけるときに軽く吹いて行くんだよ、いい香り振りまいてね。笑ってる。

外人なんか、よく吹いてるけどね。「あの人たちは体臭が濃いの、特に、黒人がな」 おまえ、黒人とも付き合ってんの? 「なんでやねんな」






「風呂、一日、三回入るねん」 へえ~、体臭が気になるの? 「ないわ」 そうだろうね。オレも、鼻のいい息子に、臭わないかって、

たまに聞くよ、おとんは無臭やって言いよると、ホッとするよ。加齢臭って、どんな臭いなの? 「臭いねんっ」 わっはははは、大笑い。

まあ、煙草の臭いは着いとおるやろけどね。これは、オレ自身が許せるからいいんだけど 「サムライか、これで消そか」



















就業間際、夕刊見てると机の横にもたれかかってきて 「★★ちゃん、まだ居ったあ~」 某私立大付属の中3の女子が笑ってる。

スマートフォンの写真見せて「此の子、可愛いやろぉ~?」 「歌手か?」 「ちゃうやん、クラスの仲良し」 「綺麗ってタイプじゃないの?」

「ああ、そうか」 整ってるけど、此の子の隣の子は? 「わたしやん」 あっ、ホント、おまえの方が可愛いよ。「ちゃうやん、この子やん」







「じゃあ、★★ちゃん、この3枚の写真で、一番ええのは?」 なんて自分の写真を次々見せてる。「おまえ、化粧してんの?」

「ちゃうやん、プリクラやから、そう映るんかなあ~?」 しかし、いつも思うんだけど、女が「綺麗、美しい、可愛い」って、連呼する

女って、男から見ると「そうかあ~?」って、首傾げるようなのが多いね。なんでかね?



















今日は、なにも浮かばないね。ちょっと、疲れてるみたいだから風呂入って、早く寝よか。

背中で、テレビがコワイのやってるよ。普通、風邪引いたら何気に呑んでる市販薬がもたらす、とんでもない症状だって。

服用する前には、説明書をよく読んだ上にせんとあかんね。死ぬことあるって毒薬かよ? 
















カメレオンの独り言-586 『しゃなり、しゃなり』

2012年11月26日 | 日記







街には沢山の数え切れない人々が、右に左に行きかって絶えることがない。

自分の目で見る感覚と、それぞれの人の見る感覚は、然程、変わらないんじゃないんかねって漠然と思うけど、違うんだろうね。

一昨日、京都で食事した折り、斜め向こうの席で食事している男女を、注文した品が来るのを待ちながら見るでもなしに視界にとどめてる。






女性は、四十過ぎぐらいで着物姿、料亭の女将さんって感じで、背中向けてる男性は初老の紳士風、静かに食事を終えて暫く、女性が席を立つと

男性も立って、着物の羽織を持ち、広げて背中に着せかけている。しゃなり、しゃなりと女性が前の通路を通り過ぎる。

小太りの小柄な初老の男性が、あとを行く。どんな関係かなど解らんけど、どちらも優雅な佇まいが匂ってる。






生活の層って云うのかね、日々に追われることなく、日々を楽しむように生きる人々は、巷の光景を、どのように視てるんだろうね?



















いつだったかな? 幼い息子と大阪の阪神デパートのエスカレーターを上がって何階かの辺りで降りた際、

お洒落な娘と父親らしき男性の二人連れとすれ違った。「お父様、今日は二百万程使っちゃたわ」 「はっははは、そうかね」

生きる世界の違う人たちってのは、我々、庶民の感覚とは異なって、其処から見える視界も違うんだろうね。視野角がやたらと広いんかね? 広角だね?






そらあ、そうだね、明日をも解らぬ身の上の人にとっては、庶民の感覚さえも持ち合わせてはおらんだろうね。

視界で云えば、望遠鏡を逆さにして視る思いなんだろうね。なにごとも、ただ、漠然と決め付けてはいかんね。「そう云うことか」 「そう云うことや」



















昨日の日曜はカラリと晴れて、どこぞ行くんなら、こんな日和が良かったねって、言っても、もう遅い。

一昨日の京都は、ずっと曇り空で、暗くなりかけてから晴れだしてきた「厭味かよ」 

晴れた空ん下で写真撮ると、下手でも綺麗に見えるんだよ。光線や背景の青が救ってくれる。白飛びみたいな背景は嫌い。






学校から、帰ってきた彼女は「広島へ行ってきたあ」 天気は? 「ずっといい天気」 此の娘(こ)は、何処かへ出かけるって、云ったら

必ず、晴れるんだね。意外と、心がけがいいのかなあ? 「なんで、意外やねんっ」って怒りよるやろね。

朝から本降りの雨だったのに帰って来る頃には道路も乾いてる。「おまえ、明るいね」 とても、いいことだよ。



















早めに寝たんだけど、珍しく眠れなかった。何度も目覚めて「なんか、お腹の調子が悪いなあ」って感じで「愈愈、癌かなあ?」なんて、

よぎって「だったら、おもくそ、煙草を吸いまくらなあかんなあ~」 「ここで死んだら・・・しゃあないね」 とか、なんとか考えたり

してたら、また寝て、また目覚めて「休みは終わったんやね?」って確認して、寝て、また目覚めて「お腹、調子悪いなあ~」で、朝まで寝たのね。






考えたら、いつも、明日が来るって、疑わずに寝てるんだね。約束なんかないのにね。逆に、疑って寝ても、今日は来るからね。






仕事中は、眠気が起きなかったよ。でも、今、パソコン打ってたら欠伸が三連発でたね、違った、四連発やね。

なかなか、本題に入らないね。「何を書こうとしてるの?」 「解らんね」 「本題って云ってるやないの?」 

あのね、大きな河川は元々は泉なの、ちょろちょろ流れてるうちに、いろんな所から流れ出た水が合流して纏まった水嵩になっていくんだよ。






言葉を流しているとね、それに関連した事柄を拾えるんだよ。拾っているうちに本題が見えてくるんだよ。一緒やね。

でもね、拾うのが現れない場合もあるんだよ。そういう時って一番困るのね。ただ、だらだらと長いだけの駄文で終わっちゃうんだね。

「今日が、それだね」


















枯れても辺りを絵にして存在してる。枯れても人を誘(いざな)う魅力を放ってる。枯れても写真(記憶)に留めてもらう。そんな人間になりたいね。






















カメレオンの独り言-585 『京都』

2012年11月25日 | 日記




昨日の夜、職場に忘れ物したので取りに行ったついでに、ちょっと、片付けしていたら「★★ちゃん、何してんのん?」って、

某私立大学付属の中3の女子が覗いてる。「あれ、おまえこそなにしてんの? 何処か行って来たんか?」

「なんで、こんな時間に★★ちゃん居てんのん?」 おまえは、警察官かよ。






「食事に行っててん」 「おっ、デートの帰りか?」 「ちゃうわ、家族と行ってきてん、上の人と・・・」 

「上の人?おまえの部屋の上階の人かいな?」 「ちゃうわ」 なんでもええわな。「おっ、お洒落してんね」 「ちゃうわ」

なんでも、ちゃうわやね。なんか訳の解らんこと、口ん中で喋って、「ほなぁ~★★ちゃん、帰るわぁ~」

ニッチャラ、ニッチャラ笑って、バイバイしながら帰って行く、なんでもええけどね、その流し目やめろよ。






いつもニコニコ明るくて性格の素直な娘(こ)やね。「全然、モテへん」って悩んでるけど、愛くるしい顔して女性の魅力も充分だよ。

隠れファンが沢山居るよ。そのうち、「忙しいねん」なんて自慢話を聞くことになるね。「アホらしやの鐘が鳴るよ」












京都へ「紅葉でも観に行こうか」 と出かけたよ、の巻きだね。







奥さんが、何処か行きたいって、前々から云ってるので息子と付き合ってあげたけど、出だしから、いつもの悪い癖が噴き出して台無し。

息子は、形(なり)を構わない性質(たち)で、髭面に、髪の毛を肩まで伸ばして後ろで結わえてる。

格好つけたくなったら、また変わっていくもんだから、オレは、なにも云わない。






奥さんは、其れが気に入らんから櫛やブラシもって梳こうとする。其れが、また、息子が気に入らん。

「もうっ、放っとけやっ、おとん、なんとか云うてえや」 此の前も、同じことでモメた折り、「もう、せえへんし、云わんわ」って、

宣言して居ったのに、また繰り返してる。「お母さん、もう、せんと云うたんやろ」 「それでも、お父さんっ見苦しいわっ」






「こんなの、街ん中にようけ居るがな」 「前だけでも梳きっ」 「しつこいなあ」 「これが、一番、アッタマにくるねんっ」

「そんな、無様な頭はルンペンやないかっ」 「坂本竜馬なんか、こいつと一緒やで」 「時代が違うやろがっ」

ほとんど、気ちがいやね、なんで言い出したら止まらんの? 追いかけとおるわ。「うっさいなっ」 「梳きっ」






「はい、はい、もう、行くでえ」 追い出すように外へ出る。奥さん、眉間に縦皺入ってる。嫌な雰囲気。

駅では静か、電車乗って腰掛けてる奥さんが、ドア辺りに立ってるオレの顔を睨んでる。「なんで、オレなの?」

乗り換えの駅で、電車待っている時に「やりよった」 「梳きっ」 「ええっ、こいでええのっ」 ブラシを手に持って追いかけてる。






「前だけでもっ梳きっ」 「おとん、なんか云うたってっ」 「お母さん、もう、しつこいな」 「なに云うてんのっ、あんたが云えへんからやっ」

声量が上がってる。嫌だねえ、オレは、こいつと一緒なってから、これだけは、ホンマに許せんのっ。

なんで、外で、馬鹿声上げてまで怒ることかよ? なんで、止まらんの? なんで、エスカレートするの? ショーでも遣ってるつもりかよ?






一発で気分を害されるんだね、周りが見えなくなるほどのことかよ? 家ん中も、外も変わらん怒りようやね。

表裏ない性格って云えば聞こえはいいけど、ブレーキのない車だよ。場所柄わきまえて押さえろよ。「ウンザリだよ」






電車は混んでいたけど途中で席が空いたので息子と並んで座る。違うドアから乗った奥さんがこちらへ来る。恐い顔。

ちょうど、通路を挟んだ席が空く。奥さんが座って、こっちを睨んでる。暫くするとブラシが飛んでくる。「なにさらすんやっ、このババアッ」

茶瓶が沸騰して蓋が飛ぶわ、ホンマあ~っ。「なんやねん、あれはあ~」って息子が笑ってる。






走ってる電車の席立って、息子の横に来て、大きな声で「梳きなさいっ、前だけでええからっ」 混んでる車内だよ。

息子は知らん顔してる。「このまま、元の駅へ帰るからなっ」 環状線だから乗ってりゃあ戻るわな。「こっちも帰りたい気持ちだよ」

京橋に着くと「降りるで、帰るつもりかいな」って、降りていく。気ダルゥ~。馬鹿女のワンマンショーやね。

















京阪京橋駅で、息子が髪の毛を梳いだので、やっと、一件落着。梳くなら、もっと、早く梳いたれよ、おまえも。






お京はんって、よく混んでるね。JRの電車乗り慣れてると京阪電車は窮屈な感じがするね。

気重たくなってるから京都までが長かったよ。どちみち、今回も失敗で終わるだろうね。行き先は、奥さん任せだから息子と着いていく。

祇園四条駅からアーケイドの商店街を東へ少し歩いて右手に折れる。石畳風の通りを行くんだけど、車が走るので落ち着かないね。



























祇園先斗町(ぽんとちょう)かね? 芸子さんがちらほら姿を見せてる。優雅な旦那さんや、社長さん、それとエロ坊主さんの遊ぶ町筋なんだね。

花見小路通りって云うんだね。京都の風情は楽しめるかね。なんか、金沢の何処か?と似てるね。
















































突き当りを左へ折れて坂道を上がる。東山安井って大きな通りの交差点に出て向かいに渡り、人並みに流されるようにフラフラ歩いて進む。





















































「何処へ行くの?」 ホントのとこ、帰って来て、考えても何処へ行ってきたのか解らん感じなのよ。高台寺周辺らしかった。

やたら、人が多くて、ただ、流されていたって感じ。紅葉は何処なの? あんまりないよ? 「もう、あかんわ、何か食べよ」

足がダルイ? おまえ、そんなに歩いてないよ。「なんやねん、こんなん見て、なにが楽しいねん?」って息子。



























































お店のメニューが土塀に貼られてる。「あんた、ここでええやろ?」 「何処でもいいけど混んでるがな」 客が順を待って並んでる。

「並んどくわ、あんた写真でも撮っとき」 写真でも撮っときって、こんなとこ撮るもんないがな、殺生やな。

せんぞくた待たせて「あかんわあ、なかなか前へ進めへんわ」って、出て来たよ。なんやねんなあ~意味ない時間やね。
















待ってる間に、紅葉や赤く染まった葉っぱを撮ったよ。此の程度なら、わざわざ京都まで来なくても近場で充分だよ。














































腕がそぐわないから、生意気云えないけど、写真を主にするなら独り旅だね。気侭にウロウロ、時間を捨てて、足に任せて撮りまくるちゅうのがいい。

家族と出てきて重たいカメラ、使うとこがないよ。首にぶら下げたコンデジだけで充分だね。

































































































お店の行列並んだり、諦めたり、こんなの2~3回繰り返して、結局、断念して「二年坂、三年坂はあっちやねん」って、行くんだけど

「おまえ、腹減らして足ダルイのに坂道上がれるの?」 「おかん、清水寺は、以前に行ったやん」 「ほな、何処へ行くのん?」 

「其処にトイレがあるよ」 ようけ並んどおるわ。「行っとくわ」って、奥さん並んでる。






「なにがおもろいねん?」 「せやから、家でパソコン遣ってるほうがええ云うたんや」 「たまには、付き合ったろと思ったのが間違いやったね」

「今回も失敗やったね」 「出だしから失敗見えとったわ」 皆さん、ウロウロしてるけど、なにが楽しいのん?

ほかに喜びごとがないんかいな? 家に篭ってると、出歩く人の活発な姿が、いいなあと思うんだけど、いざ、出て来ると「なんなの?」って、なるよ。














































着物姿が、はんなりするね。芸子さんは、この辺りの雰囲気造りに貢献しているよ。追いかけて背景のいいとこで撮ったげようかと

思うんだけど、奥さん、戻ってこないから追うこと出来ないよ。「ババア、早よ、来んかえ」






こうして、日ごろ、見ないものを目にするだけだね。これが新鮮なんかね? 代償の方が身に堪えるよ。






四条通りに出てお店を探したほうが早いってなって、また、来た道を逆戻り、八坂神社南桜門前に突き当たり左へ折れて坂道を下る。

祇園交差点、八坂神社西桜門前を左に折れ四条通に戻る。歩くってのは、距離がしれてるわりに時間を食うね。もう、夕方じゃないの。

こんなんなら、八坂に入って丸山公園うろついたほうが、良かったんじゃないの? 結局、奥さんは何処を目指してたの?






































「あれえ~?この祇園通りのT字型交差点の風景は、50数年来、変わってないんじゃないの?」 部分的には補修やらなんたらで

手は入っているだろうけど、パッと見は遠い昔に見たままよぉ~。コワイとこやね。

「おっ、向こうに古ぼけた薄茶色の建物は祇園会館やね」 記憶が定かなら映画館だったはず、一度、観に入ったなあ・・・いつだったかなあ???






























人ごみに押されて四条通りを西へ歩く。「なんだよ、此の人ごみは」 祇園ホテルを向こう通りに見て進む。

「あんた、これにしようか?」 通りの角の立て看板を見て、奥さんが呼んでる。「チンミン」 中華料理だね。名が通ってるね。

「俺は、これでいいよ」って、息子。「じゃあ、オレもいいよ」 横町に入ってビルの5階、「おお、空いてるね」






「ホッ」と、するよ。窓から四条通りが見える。皆がそれぞれ注文して、オレは、鶏のから揚げ、五目チャーハン、水ギョウザに生ジョッキ、「美味かった」






暫し、ゆっくり休憩して、生き返って出てきたら、もう、薄暗くなってるよ。「わたし、紅葉を、全然、撮ってないわ」

おまえは、足がだるいとか、腹へったとか云って、お店に並んでスカ喰らって繰り返して、トイレで並んで時間取られて「そらあ、ないわな」

「あんた、七味唐辛子買っとこか?」 「ああ」 じっと立って待ってる場所がない。ちょっと、先の四つ角の脇で息子と待つ。



















「おとん、これなんや?」 公衆電話の脇に花束が添えられてる。「飾りやろ」 息子が、顔近づけて促してる。「?」

「ああ、四条通りの跳ね飛ばしの事件か、ああ、なるほどね」 そういうと中ノ町だったね。ここで沢山の人が跳ね飛ばされて亡くなったんだね。 

「こんなとこやったら、そらあ、やられるで」 人だらけの交差点だからね。過ぎ去ったら、何も変わらず花束一つだけだね。






暫くして「えらい待たされたわ」って奥さんが来る。四条大橋の交差点を渡った頃には、もう暗い。「帰ろか?」 「ええ?もう、帰るの」

暗くなったら写真もあかん、ことないけど自信がない。「せやなあ、ほな、向かいのお菓子でも買ってくるから、あんたら河原でも降りて待ってえな」

云って、奥さん、また交差点渡って向かいの老舗風のお店へ行っちゃった。








































「おとん、思いは返るってことが解ったで」 川沿いの植え込みの石垣に腰掛けて息子が云ってる。「うん?」

「腹立てて向かえば、相手も同じ想いで向かいよる、優しく向かえば、相手も優しくなりよる、不快なことは、自分が作ってるねんで」

当たり前のようなことだけど、真理をついてるね。その通りだよ。そういうと、髪を梳きだしたおまえを見て、成長しよったなって思ったよ。







「おかんが、ガミガミ云うのは、其れもあるねんな」 確かに有るかも知れん、けど、あいつのは、ちょっと違うと思うよ。

「おかんは、病気か?」 「そう、治らん病気だね、不治の病だよ」 笑ってる。「おかんは左脳一直線やなあ、融通が、全然ないからなあ」

我々、右脳派とは相容れない人だね。なにも、右脳派が良いとは云えんけどね。対極する人だね。






























何かの節々で、人間は気づき成長していくんだね。息子は、思い遣りを学んだね。人の心の有り様に目を向ける、返って、我が心と照らして

相手を視る。人の心は、我が心なんだよ。我が身を大事にせぬものは、人をも粗雑に扱うもんなんだよ。

「おとん、俺、ちょっと、変わったで」 そう、人は変わっていくもんなんだよ。















視界は見えるものを追う。心は、見えぬものを追えるんだよ。 夜になっちゃったね。辺りが見えなくなってきたよ。
















話しながら、交差点のほうを見てんだけど「菓子買うだけにかかる時間かね?」 「うん?」 見慣れた姿のシルエット。

大橋に流れる人ごみの前を行ったりきたり「戻っとおるわ」 息子と向かう。携帯電話してる。「あんた、携帯持ってるんか?」

「ズボラな奴やね」 携帯で呼ぼうとしとったな。「ああ・・・マナーモードになってるわ」



















「この携帯、あかんで、勝手にモードが変わってるよ。アイフォン5やないとあかん、行ってきてや」 「なんでも私かいな」 「おまえのが詳しい」

自然な形で流れるように欲求を相手に伝える。「技やねえ」 アイフォン5、7分は手中やね。




大橋袂の地下出入り口から京阪電車乗り場へ、何処へ行っても人だらけ、「静かなところで紅葉を楽しむなんてないの?」 車ならあるだろうね。

「それが、ホンマやで」 軽でも買うか? 「行き着くか?」 「其れが問題やね」 紅葉見に行って死ぬなんて嫌だもんね。
















満員の京阪電車で大阪の京橋へ、京橋から満員のJRに乗り換え梅田周りで帰路に着く。途中、乗り換えた電車はガラ空き「ホッ」とするよ。















いつもより、早めに帰れたのが救いやった。午後7時30分、家の中では宵の口やね。「ほな、パソコン始めよか」























カメレオンの独り言-584 『猫に小判』

2012年11月24日 | 日記






鯉(こい)って魚は、どんな川にでも居る。身体はど太くて大きな口して髭が一対ある。

自転車を走らせがてら、溝のような小さな川を覗くと、流れ来るほうに頭を向けて泳ぐともなく尾びれを振っている。

此の川は、暫くすると大きな河川に流入するんだけど水などほとんど無い。おっ、小魚も居るね。

















水が途切れてる処さえあるのに、このまま水が干しあがったら「あいつは、生きていけないよ」なんて心配になる。

30センチから50センチぐらいの大きさの鯉だから、経験値で、もう、解ってるだろうけど気になるね。

生活水やら、ゴミやらで水は泡だってるのに、なんで、こんなとこまで遡上してくるのかね?

















「変わった奴が居るのは、人間だけじゃないよ」なんて、云ってるかもね。

「危ないから、やめたほうがいいよ」って、云っても、止まらない人って居るからね。好奇心が旺盛なのかね?

行かずとも、粗方、読めてしまうのに、わざわざ危ないリスクを背負って実体験せんと治まらないって、ご苦労さんなことだと思うよ。





此の場合、周りの人が、本人に成り代わりハラハラして疲れるんだね。で、本人はというと、アッケラカンとしているんだね。おもろいね。

















最近、写真を撮るとき、もう一歩前に出るってのが、無意識に出来るようになってきたね。一歩の長だね。

全体の雰囲気を撮らんことには伝わらんなんて思ってたよ。言葉も要点押さえれば全体を理解できるもんだから、

欲張って多くを撮りこもうなんて思わなくなった。部分だけを撮っても、周りを連想できるじゃないの。





持ってしまえば、大したこともなく扱ってるけど、持たない人からすると「凄いの持ってますねえ~」って、感心される。

一眼レフに、CANON-EF70~200mmのL2.8レンズ、もう、旧式になっちゃったけど綺麗に撮れる。

EF24~70mmのL2.8レンズは、本来なら、写真好きならヨダレ垂らして欲しがるらしいけど、所有してしまうと「ただのレンズ」になっちゃうね。





なんでも、手付かずのときが「華」なんだね。想いが先走って魅力を増幅させる。「おまえ、其の機能を充分に生かしてるか?」

バカチョンと一緒やね。「おまえ、それは、猫に小判じゃないかよ」 猫に小判であろうが、豚に真珠であろうが、放っておいてと、云いつつ、

そうかっ、機能が魅力なのかっ、気がつかんかったあ~。「こんな奴に売るなっ」

















花見月の葉っぱが、赤く色づいて綺麗でしょう? この程度で満足なんですよ。背景が、薄っすらとボケて被写体を浮き彫りにするんですよ。

手前の葉っぱのある枝と、うしろの枝の空間、そのまた後ろの背景色、空気感を感じるでしょ? 芸術ですよ。

「其れは、誰が云ったの?」 オレですよ。「何処が芸術なの?」 解らん奴に説明など無駄。芸術は、強気で言い張るもんですよ。「ホンマかよ」





後ろのテレビに振り返ればスケートを放映している。いつ見てもおんなじ。

客席に向かって「これでもかっ」って大股おっぴろげてサービスしてる。芸術性なんて採点してる、何処見て採点してんのやら。

コスチュウームも妖しい、スポーツするスタイルとは思えん。お色気番組みたい。「おまえの捉え方が、おかしいんだよ」 そうは思わん。





よく「芸術性が高い」なんて云ってる。何処がどう芸術性が高いのかっ? オレに云わせれば、エキジビションで氷の上を縦横無尽に

踊り狂ってるほうが、芸術性が高いよ。テンポの速いBGMに合わせて、日ごろ見せない技術を駆使して見事だよ。芸術は自由だよ。

自由感から吹き出る創作技術を堪能できるよ。芸術は感動だよ。





「おまえは、物事を素直に見ん癖があるね?」 ある。 





エキジビションもあまり見ないけどね。 「なんやねんっ、見んと云ってるのか?」 いつだったかなあ? だいぶん前になるけど、

たしか、フランス人だったと思う、彼の演技は感動もんだったね。今回の意見は、あの人のが、大きく影響してるね。

「そんなけ云うなら、名前ぐらい覚えとけよ」 すまん。 忘れたと云うより、はなから覚える気がないんだよ。





では、最後に芸術を、もう一枚進ぜよう。題して「花見月、宴のあと」



















「ただの枯れかけの葉っぱじゃないか?」 賑やかな宴のあとの寂しさを、枯れた葉っぱに見る想い、葉っぱも酔いがまわって赤く染まってる。

「こんな、おっさんと、よう、付き合わんわ」 

先の花見月の写真をここへ持ってきたほうが良かったかな~? 赤味からしたら、こっちだろうなあ~。独りよがりって、楽しいもんだね。


















カメレオンの独り言-583 『知恵が少々』

2012年11月23日 | 日記






今日は休みだけど、あいにくの天気だね。紅葉の見ごろも、もう、終盤なんだろうかな? 解らんな。

関西紅葉ガイド2012ってサイトを見ると、ちょうど、見ごろに入ってるみたい、その場でキー打ってクリックするだけで便利だね。

昔を生きてきた人間にすると、今、当たり前のことが当たり前なんて思えない。とんでもないことのように思えるよ。





今の人たちが、オレぐらいになったら、その時代の進化に、同じような思いをするんだろうな。

車が、空を飛んでるよ。クリックしたら、あんたを取り巻く空間に360度のスクリーンが現れて、指を触れるとヒュッ、ヒュッって画面が

飛ぶように回転して選択自由自在なんて、アホらしいほどの進化だろうね。で、今更のように「便利だね」なんて云ってるよ。





進化が進化を遂げるほど、不便は、どんどん過去へと消えていく。

不便がもたらす味ってのも、同じく忘れられていく。人が汗して手にする諸々の実感が失われていくんだろうね。

なんてことを考えると、新しいものと古いものが両立してる、今が、ほどよい時代じゃないの?





どいつもこいつも、身体に吸い付くようなタイツみたいなファッション身にまとってウロウロしてるなんて気持ち悪いよ。

白人や黒人なら格好いいだろうけど、アジア系が、そんな格好したら見れたもんじゃないよ。撃ち殺されても仕方ないよ。「なんでやねん」















厚みのある、新世紀、ビジュアル辞典を脇に開いてパラパラ眺めたりしてんだけれど、よくも、まあ、知らんことばかりがあるもんだね。

長いこと生きてきたけれど「知らん」ことばかりに埋もれて居たなんて、その意識は希薄だったよ。

じゃあ、この知識の塊はなんなの? オレが開く辞典には、必ず、監修、金田一春彦氏って名が記されてる。この方は、とんでもない人だね。





どんな生活をされてんだろう? どんな人生を生きて来られたんだろう? 豪華な書斎で「クリープを入れないコーヒーなんて・・・」云いながら、

実際、口にするのは、コピ・ルアックか、リロイ エリーゼブルーなんて高級なコーヒーで、窓辺に差し込む零れ日眼鏡の縁に受けて、

キラリと輝き知性も光る。この雰囲気は「自分でも惚れ惚れするよ」 なんて生活してんかね?





こんな人が、話し出すと恐いだろうね。ねきに、よう居てんわ。このような人と対話が出来る人が寄る。其れが「層」ってやつなんだね。





でもね、各界のえらいさんって、意外と人間らしい人が多いんですよ。揃って、人間が出来ているんだね。

仕事を離れると、柔和で包容力があって、寛容で、優しいんですよ。「ええー?あの人がっ」って、あとでびっくりするぐらいにね。

このとき「ああ~、日本は、まだまだ安心だ」って思えるんだね。

















血は人間性、肉は、知性、教養、知恵、感性、経験値等々、皮は、内包するものから醸す味かね? 

高め高めて損になるものはない。意識に目覚めたときが遅くても、真似事でもいいから出来ることだけでも高めたいね。




オレの場合、「知恵が少々」 程度かね? 泣けてくるなあ~。 しかし、そんなんで、よう、生きてきたなあ。「ある意味、感心やね」




一つの物を見て流すのではなく、そのものが形為す行程に想いを致せば、知識は、一つの物から十、百、千と拡がりゆくもんだからね。

今日から、これを意識にとどめ、見て触れるものから、見えぬ裏側に興味を持とう。「前にも、同じこと何度か思ってたこと有ったね」 そうだっけ?















曇り空の外は静かだね。水を撒いた跡のように地面が湿ってる。ヒヨドリが、二羽、すいーすいーと飛んでいく。明日は、晴れるかなあ?



















カメレオンの独り言-582 『痴呆症』

2012年11月22日 | 日記







1000文字以上書いて、席を外すとき画面をクリックしたのかな? 視界の端に青く行が包まれていたような状態で、

またクリックしてしまったら「あっ、消えちゃった」 画面の上へ隠れただけと思って慌ててスクロールしたけど真っ白けっ。

「ありゃあっ、消しっちゃったのぉ~?」 やめてくれやあ~、だる~っ、へこむぅ~。

同じの書く気しないよ、なんやねん、今日は、早く仕上げて終われるなあと、思っていたのに、なんなんだよぉぉぉ~~~。





奥さんが、蛍光灯買ったついでにマウスも買って来てくれたんだけど、クリックするとき右クリックも触るのかして同時に反応する。

「遣り辛いなあ」って、思いながら使ってたんだけど祟ったね。DELLの付属品の安もんマウスのほうがええやんか。















夕飯ができたので食事しながらテレビを観てると、ニュースの後で、痴呆症患者の現状をクローズアップ現代って番組が取り上げてる。





老いるってことは劣化なんだね。身体が劣化するのは如何ともし難いから諦めもするけれど、脳味噌が劣化するのはヤバイね。

自分じゃない自分が生きているなんて許せないね。呆けて可愛いんなら、まだ許せる。

暴言、暴力なんて振るう痴呆症なんか救いがないよ。「治る見込みが無いんなら、早く、死んでやれよ」なんて、思ってしまうね。





こうなったら、もう、当人の問題ではない。其れを抱えた身内の大問題なんだね。介護するなんて、口で言うほど簡単なものじゃない。

生活が破壊される、日常が異常になる、心が砕かれるよ。患者の誰ひとり、そんなのを望んでいないよ。





オレが、もし、こんなのなったら「オレじゃない」 「おまえの親でもない」 ただの肉の塊だから、そのような処置をとれって息子に云ってる。

親不孝でもない、薄情でもない、オレが、おまえに見せたくないんだから、劣悪だろうが、過酷であろうが、そういう施設へ放り込めって

云って聞かしてる。オレには、オレなりの誇りがある。其れをオレに代わって最優先してくれって言い聞かせてる。















「もし、呆けるとしたら、おかんのほうが危ないで」 また、余計なことを云いよる。「なんでやねんなっ」 怒ってる。

「おかんは、あんまり考えへんやろ? こんなタイプが危ないねんで」 「考えてるわいなっ」 「痴呆症って遺伝か?」

遺伝じゃないやろ、誰がなってもおかしくないんじゃないの? 「若い人もなんねんでっ、あんたも気いつけやっ」 カリカリしてる。















本人の意思を書き認(したた)めて置いてやろう。オレではないオレの処置は、オレがオレで在るうちの意思で片付けておかねばならん。

痴呆症になるのか、ならぬのか誰も解らん。だから、もしもの用意は必要だろうね。

オレがオレで無くなった時点でオレは死んでいる。人間は、必ず死ぬ。だから、個人の誇りを最優先すべきなんだよ。





脳味噌が破壊されて、抜け殻になった肉体なんかを後生大事に守ってなんになる。治らぬ者に、頭の体操させてボケを遅らせてなんになる。

抜け殻の肉体は、もう、その人じゃないんだから。その人は、脳味噌が破壊された時点で死んでいるんだよ。

残してきた抜け殻のために、愛するものたちが、泣いて苦しむ姿を見て誰が喜ぶか。





本当なら、先にあの世に逝った魂に成り代わり、飲み物に薬をもってやれ。魂は、きっと、手を合わせて喜ぶと思うよ。





植物人間にしても、そうだよ、いずれは逝く彼の世だよ、意思が働かないものを、なんでも生きながらえさせることが「善」とは限らんよ。


















カメレオンの独り言-581 『映画 アラスカ魂』

2012年11月21日 | 日記






ポカポカと日差しが照って過ごし易い陽気だったね。

零れ日の下で、枯葉に埋まる地面をついばみながら、スズメの群れがピーチク、パーチク賑やかなことだね。「何を喰ってるの?」



















仕事中に眠くなるなんて、あまり無いんだけど、最近、「あれ?」って、眠りかかってる自分に気づくことが続いてる。

疲れてるのかな? ダレているのかな? 「ダレているんだよ」 あっ、そう、愛想のない第三者だね。

疲れているなんてのは、なかなか、認めて貰えないもんなんだね。だから、世の中、時たま、過労死なんかが出るんだろうな。







精神的ダメージとか、風邪とかも、休みをとるのは難しいんだろうね。アピールが必要だろうと思うよ。

「ゴホン、ゴホン、ゴホン、ゴホン」なんて連発して、「ああ~堪んねえ~や、ゴホホンっ」とか、「なんだよーっ、やめてくれえーっ」

って、急に絶叫あげたり、机の下に潜り込んで欝ったり、呼ばれても頭抱えて泣いたり、かなり勇気が要るね。







でも、「一晩寝りゃ良くなるさ、明日はB社へ頼むよっ、頑張って来いよ」 なんて先手かまされて無駄芸に終わったら馬鹿みたい。

「あ、あのを~俺、欝病みたいです」 「ああ、そう、俺も欝病さ、それがどうしたの?」 「なんでもないですぅ~」 「気合を入れろよーっ」

「あいつら、死なんと解らん奴等やな」 なんて文句こきながら、翌朝、満員電車に揺られてる。







で、気持ち良さそうなお尻を揉んで「なに、すんじゃっ!!」 なんて逆襲受けて、衆目の中、恥さらされて留置所で、暫し療養生活出来たけど、

信用無くして会社の椅子も無くなってホントに鬱病になっちゃった。「俺、元気ですっ」 「いやいや、暫く、休んだほうがいいよ」なんて門前払い。

「社会が悪いっ!!」 おまえも悪い。







「なんやねん、今日のはっ?」 お粗末でした。





















今日は、なんにも浮かんでこないので、途中で YouTubeをウロついて、昔懐かしい音楽巡りをしていたら、

おお~、懐かしいね、ジョン・ウエィンの映画は沢山観たけれど「なんなの、これ?」って、当時は肩すかし食らった映画の主題歌だね。

この映画は、内容きれいに忘れたけれど、主題歌だけが頭にキッチリ残ってる。







西部劇調なんだけど、舞台はアラスカ。喜劇だったのかな? 思い出せないね。「アラスカ魂」って映画だったね。

ジョニー・ホートンが歌ってる。カントリー調なのかね? 歌声といい、テンポといい、格好良くて大好きな歌だね。

「ジョニー・ホートン(写真)ってこんな奴だったかなあ?」って、イメージ潰れるよ。「あっ、そうか、歳食っちゃったんだね」











John Wayne  映画 アラスカ魂の写真がないね、此の写真は、違う映画のだね。下、3枚は、アラスカ魂の一場面。








North To Alaska 「アラスカ魂 主題歌」 Johnny Horton (1960)









アラスカ魂  ジョニー・ホートン











Way up north, (North To Alaska.)
Way up north, (North To Alaska.)
North to Alaska,
They're goin' North, the rush is on.
North to Alaska,
They're goin' North, the rush is on.




Big Sam left Seattle in the year of '92,
With George Pratt, his partner, and brother, Billy, too.
They crossed the Yukon River and found the bonanza gold.
Below that old white mountain just a little south-east of Nome.




Sam crossed the majestic mountains to the valleys far below.
He talked to his team of huskies as he mushed on through the snow.
With the northern lights a-running wild in the land of the midnight sun,
Yes, Sam McCord was a mighty man in the year of nineteen-one.















Where the river is winding,
Big nuggets they're finding.
North to Alaska,
They're goin' North, the rush is on.




Way up north, (North To Alaska.)
Way up north, (North To Alaska.)
North to Alaska,
They're goin' North, the rush is on.
North to Alaska,
They're goin' North, the rush is on.















George turned to Sam with his gold in his hand,
Said: "Sam you're a-lookin'at a lonely, lonely man.
"I'd trade all the gold that's buried in this land,
"For one small band of gold to place on sweet little Ginnie's hand.




"'Cos a man needs a woman to love him all the time.
"Remember, Sam, a true love is so hard to find.
"I'd build for my Ginnie, a honeymoon home.
"Below that old white mountain just a little south-east of Nome."

















Where the river is winding,
Big nuggets they're finding.
North to Alaska,
They're goin' North, the rush is on.
North to Alaska,
They're goin' North, the rush is on.




Way up north, (North To Alaska.)
Way up north, (North To Alaska.)
Way up north, (North To Alaska.)











Johnny Horton / North To Alaska アラスカ魂 / ジョニー・ホートン




いつまで消されずにあるか解りませんが、いいのがありましたので貼っておきます。








スクリーン・ミュージックを聴いていると、なんとも云えない懐かしさを感じるよ。そして、そこに、何故か、「幸せ」が、同居してんだね。




























 

カメレオンの独り言-580 『英霊に対し奉り失礼千万』

2012年11月20日 | 日記









オレの映画好きは、両親の影響を受けているんだろうね。

おやじも、おふくろも映画が好きだった。だから、昔は、家族でよく映画館へ通ったね。

大阪の南区(今は中央区)に住んでいたので、道頓堀や戎橋、心斎橋、千日前なんかが、すぐ近くだったから散歩がてらで出かけられる。






難波大劇場、南街劇場、難波ロキシー、松竹座、敷島シネマ、千日前スバル座、の他、邦画の千日前東映、道頓堀東映、あしべ劇場など、

封切り映画館がひしめいてたね。この他にも二番手映画館の数も多かった。オリオン座とか、キリンビル会館とか千日前会館、国際地下、

南海ビルの地下にもあったね。兎に角、映画が娯楽の殿堂だった頃だからね。

















うちの親父は、オレより4センチほど低いけど177センチと当時ではデカいほうだったから着流しで悠々と歩くとさまになっていたね。

小柄なおふくろも、いつも着物を着ていたね。四人の子供たちを連れ立って映画の後は、お食事して帰るのがパターンだった。

そんな、或る日、千日前の旧千日デパートのむかえにある、あしべ劇場で邦画を観に入ったの。






映画の題名は記憶にない。太平洋戦争のドキュメント映画と二本立てだったと思う。

館内は満員で、次の休憩まで後ろで立ち見しかできない。スクリーンには実写白黒フィルムが映し出されている。

日本軍の特攻隊が米軍艦隊に襲い掛かってるんだけど、艦隊からの猛烈な射撃で、次々と撃ち落とされているんだね。






「ああーっ」「あはーっ」なんて観客から声が漏れてる。あんまり打ち落とされるもんだから「あっははは」なんて笑い声も混じってる。

艦砲射撃が猛烈だから特攻隊は目的果たせず海へ墜落するだけなんだね。

中には、あわやってとこまで行くんだけど撃墜される。「あっははは~」って笑い声が聞こえる。「惜しいっ」って、気持ちなんだろうかと思う。







  低空飛行で突進







  







  艦砲射撃の弾幕が凄まじい







  弾幕掻い潜り突進







  







  手前の巡洋艦には目もくれず







  目指すは敵空母







  







  我れ特攻に成功せり







皆さんも、一度は実写で目にされているかと思いますが、猛烈な射撃をかいくぐり、海面スレスレに超低空飛行で目標に突進する特攻機が

見事、敵艦に特攻を果たした場面で、館内が「わっははは」と笑い声ともども、どっと湧いたんだね。






  






「なにがっ面白いかっ!! 無礼者ーっ!!」 

ごっつい怒声が広い館内に響き渡ったの。ビックリしたよ。うちの親父だったんだね。

館内は、一瞬に静まりかえったよ。おふくろが子供の顔見つつ小さくなってる。親父は堂々として恐い顔してスクリーンを見つめてる。






  神風特別攻撃隊の若者たち






英霊の御霊(みたま)に対し失礼千万、親父は、古い人間だったんだね。





今、想うと、お客さんは、同胞が撃ち落とされてばかりで、悔しいって思ってるから、見事、特攻を為しえた瞬間に「やったあっ」って、

鬱憤晴らして感動の「わっはははは」なんて笑いになったんだろうね。

馬鹿にした笑いじゃないんだけど娯楽扱いするもんじゃないとも思うね。





実写だからね。特攻隊員が実際に搭乗して、国のため、銃後の家族を守るために、今まさに挺身特攻爆弾諸共散華した瞬間だからね。

目的果たせず海に落ちた者も、特攻して散った者も、この瞬間、「さようなら、お母さんっ」って、別れを叫んでいたやも知れん。

親父は、そう捉えて観ていたんだろうな。親父の弟は、ガタルカナルで戦死した。自分の明日を国に捧げて彼らは散った。





親父の弟は、戦前、或る劇団の仕事に携わり渡米して、米国の生活を経験したことがある。友人も居たらしい。その米国との戦争で命を落とした。

戦争は、個人の思いを封殺して数なるうちの一個と見なす。「地球より重たい」人の命は、ゴミより軽くなる。





今日は、遠い昔を「ふっ」と、思い出した。





たかだか二十年足らずの思い出を胸に「行かねばならぬ」時代にめぐり合わせたが身の宿命(さだめ) 親より先に逝く不幸を詫びて、

青春なんて知らぬまま、彼女の顔も知らぬまま、浮世の味も知らぬまま、夢見た未来を封じ込め、見知らぬ外地で華と散る。 

「親父が、怒鳴ったのは正しかった」

























カメレオンの独り言-579 『開拓』

2012年11月19日 | 日記







右に行こうか、それとも左か、進み往く道には、必ず、別れ道がある。人生を左右するターニング・ポイントだね。

多くの人は、先人が踏み固めた道を選ぶようだね。楽な道ではないけれど、道標(みちしるべ)も所々に配して危険も少ない。

片や、けもの道が如き荒れた道に歩を進める者もいる。無数の枝道が待つ未知の道だね。






出来るなら、道標を配した道を進み往くべきだろうね。この道にも枝分かれの道があるけれど、それぞれに先人の踏み固めた跡がある。

ただ、皆が皆、そちらの道を選んだ場合には、新しい道が生まれる確率は極めて低くなる。発見は未知の道にあるからね。






冒険は、人生が懸かってる。懸けても惜しくない道と思えるならば賭ける勇気も大事だろうね。

其処から、今、皆が辿り往く道が出来たのだから。先駆の志が開拓の一歩になる。勇気のいる決断だろうけどね。



















そんなのを考えながら昔の西部劇映画を観ると、幌馬車連ねて西部へ西部へと開拓民が未開の地へ向かった勇気を凄いもんだねって思うのね。

原住民のインディアンと遭遇したら、頭の皮剥がれて殺されるなんて聞いたら尻込みして、それなりに落ち着いた東部で凹みながら生きてるよ。

電気やガスなどある時代じゃないから、夜なんか暗いってもんじゃない、漆黒だろうね。






昔の人は、強かったと思うよ。もともと無いんだから、無ければ無いで慣れもあるんだろうけど漆黒は漆黒に変わりない。

野営の毛布に包まって空を見上げると、満天の星たちが光り輝いてたろうね。スモッグなんてないから壮観だったろうなあとは、思う。

冒険の道すがらの無事と、夢見る土地のあらんことを祈りながらの夜だったろうね。






星降る夜ばかりじゃないからね、豪雨ともなれば流れる雨水は濁流となって、荒地のあちらこちらを、即席の急流の川に変貌させるらしい。

幌をバンッバンッバンッバンッと打ち叩く雨音、幌を通して垂れ落ちる雨水に濡れながら肩寄せ合って震えて眠る夜もあったろうね。

もっと、最悪は、夜が明けたら、周りを野蛮人どもに囲まれていたなんてのもあったろう。生禿の覚悟を強いられただろうね。



















何事にも命を張る根性が鍛えられるだろうね。我が想いは我が信念で推し進め、我が身は我が身で守る。

歴史が浅いが故のアメリカ人の血肉となって脈々と受け継がれた信条だろうね。そういう国民の集合体なんだね。

フロンティア・スピリッツ、開拓魂の真髄が、アメリカの姿勢に現れていると思うよ。






宇宙飛行士たちが無事帰還したと報道されてる。国際宇宙ステーション(ISS)に長期滞在してき宇宙飛行士は、

ロシアのソユーズ宇宙船で約4カ月ぶりに帰還したらしい。無重力の生活が長かったので筋肉が弛緩しきって自分では立てないんだね。

運んで貰って毛布に包まれて、ベビーカーの赤ちゃんみたいになって搬送されてる。「映画にはならんね。格好悪いわ」






これも大いなる開拓だね。未知を恐れず突き進んでる。野蛮人はエイリアンなんて形変えて現れるやも知れない。

止め処なく文明が発展していくのは、なにかしらの導きに倣ってるんじゃなかいなって、思うときがある。

人類が、先々に待ち受ける脅威に対して、それに立ち向かえるだけの能力を有する必要があるのかも知れない。



















人類の想像力は、いずれは現実になる可能性と繋がってるんじゃないのかね。エイリアンの出現もしかり、

巨大隕石が地球と激突する、地球が崩壊して他の星に人類は移住する、太陽が全てを焼き尽くす、なんてSF小説が映画になってるけど

実際に起こらないとは断じられない。可能性はゼロではない。






漆黒の夜空を埋める星たちを見て、昔の人々が、いずれ人類が、その宇宙に行くだなんて誰一人想いもしなかっただろう。

オレが、子供の頃、少年マガジンやサンデーの見開きで紹介されていたSF染みた夢絵空の想像図が、今、現実のものになっている。

いや、もう、其れを超えているよ。科学力も昔とは雲泥の差、コンピューターの出現で、発展の勢いは二乗化するだろうね。






今日は、筋立てなしに思いつくまま書いたから、まとまりがないみたい。

いつの時代も、どのようなことも、危険なしに発展はないってことかね? 恐れてばかりでは前には進めない。

恐さを知らぬ者は無謀の力、臆病者は目覚めたときが本物の力、勇気あるものは導く力、人は、前に向かって生きてるんだね。


















カメレオンの独り言-578 『スズメ』

2012年11月19日 | 日記







スズメって、カメラで追いかけると面白いね。

在り来たりの容姿で、至ってレギュラーなんだけども、なんか気になるの。

「わりと撮り易いからじゃないの?」 小鳥の動きは俊敏だから撮り易くはないんだけど、撮る機会には恵まれ易いわな。






シャッタースピード上げて高速連射で撮れば3割ぐらいはピントが合ってる。

その中から1割ぐらいが、構図も、まあまあってのが、偶然に拾えるちゅうとこかいな。

前は、400ミリ単焦点望遠レンズを所有してたので、ちょっと、遠いかな?って、とこからでも拾えたけど、200ミリだと

偶然でないと距離を掴めない。こいつら、「なにもせえへんがなっ」云うても、即効、飛び去りよるから困る。「馬鹿もんがっ」



















人通りのない薄暗い道で、女性と行き会うと、なんか警戒されてんかな?って感じるときがある。

お呼びじゃないのが、警戒しよると「頼まれても、なにもせんわっ」なんて思ってるのに、そそくさと立ち去るね。不快だね。それと一緒だね。

「おまえ、デカいから恐いんだよ」 悪い奴がデカいとは限らんよ。オレは愛想がいいほうなんだけど、独りで居るときにはムスッとしてるからかな?







「当たり前だろうが、独りで愛想振りまく奴がいるかよ」 気持ち悪いね、余計に逃げよるで。

それはそうと、第三者のおまえが出てくると横道逸れるんだよ。「字数が稼げるじゃないか」 そうだね。

スズメに限らずなんだけど「焼き鳥」 にされると思うのかね? 命が懸かってるから隙がない、素早いよ。ヘボカメラマンには手強い相手なのよ。







今更だけど、こいつらはいいね、自力で飛べるなんて凄いよ。地震なんか、全然、関係ないね。機能的には、人間なんか負けてるね。

視野角なんて、上から下から斜めから自由自在だもんね。カメラ持って歩くと、凄く劣ってるのを感じる。

こちとら、一つの被写体を裏から撮りたい場合、スタコラ歩かねばならない。しんどいよ。「鳥はカメラを持てないし使えないし楽しめない」 そうね。



















おまえが、あっさり、斬ってしまったから話題を考えねばならん。

日ごろ、有って当たり前のように思っているものがなくなると不自由、もしくは鬱陶しいもんだね。

昨日の夜遅く、リビングの照明が突然消えた。「蛍光灯の寿命か?」 スイッチを入れ直すと点灯した。「接触不良か?」






フッ、と、また消えた。何度やっても消えちゃう。「蛍光灯が原因じゃないな、点滅などしてないもんね」

暗いなあ、鬱陶しいなあ、なんで、今、切れるの、なんて、口々に文句云ってる。仕方ないね。

スタンドとか、キッチンの照明はあるんだけど、明かりがまわらないから暗いんだね。






意図的に切って暗くしたのと同じなのに、こういう場合、なんか馴染めない。「暗いなあ~」

パソコンの明かりが、諸に来るから目が疲れるよ。「これは、寝たほうが賢いな」って、衝立から覗くと薄明かりに奥さんの顔が浮いている。

「おまえ、恐いがな」 ノートパソコンを睨んでる、眉間に縦じわ走らせて恐い顔してキーを打っている。「手元が見えへんがなっ」 だって。



















朝でも暗いね。窓のカーテン開け放っても薄暗い。蛍光灯は蛍光灯なんだけど細い丸型の珍しい長寿命タイプなんだね。初めて気がついたよ。

装着されたのを取り外すと黒くなってる。「蛍光灯が原因じゃなかったら損になるよ」 「蛍光灯が寿命やねんて、焼けて黒いがな」

タイプが違うから、そうかも知れないね。






パソコンの明かりが目に触るほどの暗さじゃないから日中は気にならなかったけど、夕方から真っ暗になっちゃった。

奥さんが、買い物がてら「買ってくる」って、出かけてる。息子は部屋に篭ったまま静かだね。こっちも真っ暗で静かだよ。

パソコンをスリープさせて、「ぼ~」と、考えるでもなく、何を見るでもなく、暗闇に溶けいるような時間を潰してる。






来週は三日連休になる。彼女は広島へ旅行って云ってなあ。

天気に恵まれたら、「何処かへ行きたいなあ」って、いつも云ってる奥さんに付き合ってやろうか。

紅葉も盛りだろうし写真も撮れる。よし、そうしよう。



















奥さんが、帰ってきた。「やっぱり、蛍光灯が寿命やねんて」 そうか、じゃあ取り付けてやろう。






パッパッパと点灯した。「明るいなあ」 「前より明るいみたい」 今度の休みに紅葉でも見に出かけるか。「誰とやっ?」

誰と行くんや? おまえと三人でやがな。「ホンマかいな、京都がええなあ」  


















カメレオンの独り言-577 『映画 タイタニック』

2012年11月18日 | 日記






今日の自分を突き動かすような衝撃と感動を与えてくれる映画はないかいな? 

明日の自分に繋がるような、なにか教示をもたらす映画はないかいな?

心を優しくさせてくれるような映画はないかいな?







ツタヤの棚を上から下から斜めから目をレーダーのように走らせ、消えかけた、もしくは消えちゃったに等しい記憶を頼りに探すのよ。

あ行からわ行まで整理して陳列されてんだけど、題名が薄ら呆けてるから「苦しい」

頭の中で、コロコロ、題名が変わっちゃう。いつか新聞の映画紹介を読んで「良さそうだね」って記憶した奴が、一番困る。







筋立ては覚えている。だから探す動機に繋がってんだけど、題名が思い出せん。

その人の顔、形は、覚えてるけど名前が思い出せないのと同じやね。

オレは、もともと、覚えようという意識が希薄だから、そのとき感じた印象だけは鮮明でも、其れに辿るべき名称を疎かにするんだね。「馬鹿だね」















パソコンでも、それぞれの名称なんか頭にないの。だから、トラブったときなんか、息子に言葉で伝えることができないよ。

部屋越しの伝達がなってないから、息子が出てきて「おとん、ちょっとは覚えろよ」 なんて云われるよ。

「これは?」 「矢印動かせる奴」 「マウスやろが」 「これは?」 「行きたいとこ行ける奴」 「アイコンやろが」 初歩的ミスやね。

「全般的なミスやわ」 なんて笑ってる。オレの左脳は、「完全に腐ってるで」 なんて烙印押されるよ。







賢い奴は人を導くために有能な資質を授かったんだよなんて、解ったようなことを、ここでも書いてるけど、

賢い奴からしたら、めんどい、むかつく、邪魔な生き物なんて思う気持ちも理解できるね。国家社会主義ドイツ労働者党ナチスの思想やね。

無駄についやする無駄を省く、有能なものだけで組織する国家、キザな笑いだけの社会だね、嫌だねえ~こそばゆいねえ。







右脳だけで生きてるなんて動物じゃないの? ツタヤの通路をクルクル堂々巡りしてるオレは動物なんだろうかね?

007とか、ダイハードとか、ダーティーハリーとか、シリーズもんは苦も無く探せるよ。また、区分けもされている。

俳優名で区分けされたコーナーもある。ここも迷わず探し出せるんだけど、女優さんの名が定かではないんだね。







綺麗とか、セクシーとか、お乳が大きいとか、お尻が大きいとか「自分好み、好みじゃない」というのは、頭の中に鮮明だね。

その美しい姿態、艶かしい姿態に誘われるんだけど、名前が・・・出てこない。「ホンマに動物だね」

でも、往年の大女優なんてのは、一緒に暮らしたほどに詳しいよ。「なんやねん、それ、誰がアホと暮らすかっ」







昔、名を馳せて世の男性をシビれさせた大女優さんたちも老いてしわくちゃになっていく。一声かけてあげてごらん、喜ぶよ。

名も無い女性も大女優さんも一緒だよ。綺麗なものを、寄って集って、尚、綺麗に魅せる。

誰もが華麗になるんだね。そして、いずれは婆になるんだよ。「おまえの話は空しくなるよ」











『 タイタニック 』 1997年度作品  ケイト・ウィンスレット









「タイタニック」で、ごっついダイヤ持って、フラフラとデッキを歩いて船尾から、それを、ポイッ、「あっ」なんて、おばあさんが出てくるね。

「なにをするんやっ、ばばあっ」って、みんなが思うシーン。「おまえだけやろ?」 

若かりし頃は、あんなに綺麗だった女性(ひと)とは、誰も知らない。知っている者たちの記憶だけが許す行為やね。「そうかあ?」







おまえな、あのダイヤが、どれほどの高価なものかっ、ポイッ、「あっ」では、すまんで。 ばばあ、蹴り落として「取って来いっ」ぐらいのもんやで。

「おまえには情愛というものが解らんのか?」 昔の彼女なら解る。「昔も今も一緒やがなっ」 全然、違うで。

「身は老いてしわくちゃになっても、心は、あのときのままなんだよ」 当人同士だけの話だね。「なんか冷めた理解だね?」 




















Titanic?タイタニック?高音質










人生の中の一コマの思い出が、その人の一生に代えて残るんだろうね。

映画は、そんな出来事を彩り添えて創られる。人生にBGMはないから、その時代に流行った歌謡曲やポピュラーなどが、

記憶に残って背景に流れるね。時折、その曲を耳にすると、当時のことが脳裏に蘇る。「わたしは、クラッシクだわ」 あっ、そうでっか。







人それぞれに持ち味がある。その持ち味でめぐり合った人との蜜月なんてのは、それぞれが、それなりに解釈して味付けして残ってんだろうね。

恋愛物語の材料なんて困ることないだろうね。掃いて捨てるほどに転がり行くもんだから。

でも、自分たちは「特別」って、思うところが面白い。全然、特別でも、なんでもないんだけどね。それでも「わたしたちは特別よ」って思ってる。







そして、年月経過すると、「わたしは特別に不幸で可哀想な女よ」なんて、なんでも特別なんだよね。ダアホッ、なんぼでもおるわ。





















人間って、ゴマ撒くほど生きてるのに、あちら、こちらと海外まで行ける時代なのに、視野が狭いところは極端に狭い中で生きてるね。





















カメレオンの独り言-576 『擦ったリンゴにミルク』

2012年11月17日 | 日記







ざんざか、ざんざか、地面を叩いてよく降るね。昼間なのに暗いよ。

こんな雨の日って、通り行く人々は、やけに静かで靄(もや)って見えるね。

濡れるのは平気だけど、ちょっと外へ出て襟首や袖口から滴り伝う雨水は「嫌やねえ~」 武者震いするよな感触が堪らんわ。






今日は、遅くまで仕事、ダンマリ会議なんかやめろよ。お通夜かよ。お腹の鳴る音が、やけに大きく聞こえるよ。



















「今年のみかんは甘いね」 みかんを手にしてパンパンに張って硬いのは、総じて「酸っぱいっ」 

手にして弾力があって柔らかく感じるのがベストやね。実から皮離れが良くて剥きやすい。

いつまでも篭に残ってる奴は、決まって硬い。みんな、よく知ってるね。こういうみかんは手にするだけで唾が溜まるよ。






リンゴはね、オロして、砂糖ぶっかけて、ミルクを注いで溶いたやつが「ホンマに美味い」

トーストにマーガリンぬって一緒に食べたら「最高やね」 「ガキの好みやね」 そうかあ? 「ミキサーでやりゃあ手間要らずだよ」

うーん、ミキサーね、微妙だね。「なんで?」 邪魔臭いけどオロしたほうが、口当たりがいいように思うよ。






なんなんだよ、みかんだ、リンゴだって、其れがどうしたの? いや、書くこと思いつかないから、書いてりゃ何かに繋がるかなって、

思ってるんだけど繋がらないね。「じゃっ、書くなっ」





















昨日、彼女のことを、また、書いてしまったけど、あとで考えると 「正直なのかも知れない、嘘を言えないのかも知れないね」

それと、「やましくないことを隠す必要はない」と、いう行動なのかも知れないね。

「じゃあ、勘ぐるおまえが悪いことになる」 違うがな、解らんという話だよ。長い付き合いだけど、ゆっくり、話をしたことがないからね。






「話もせずに、ただ、長い間、続いてるなんて、何処で疎通してるの?」 う~ん、感覚かね? 空気かね? 波長かね? 不思議だねえ。

なんか、顔を合わすと「ほっ」っと、するんだね、本当は、「それだけで、いい」って、思うべきだね。馬鹿なのは、オレだね。





















今日は、退屈な時間が長かった。おませな小4の女の子が、長い時間、親の携帯持ってきて操作に懸命、「呑み込みが早いね」

「★★ちゃん、ほな、帰るわ」って、バイバイして机に向かったら「★★ちゃん」って、今度は学校返りの某私立大学付属中3の女子が入って来る。

「嵐のコンサートが当たってん」 「ほう、儲けたね」 「明日行くねん」 「嵐って、もう十年以上じゃないの?」 「うん」






「じゃあ、皆、30ぐらいだろ?」 「なに云うてんのんっ、28ぐらいやっ」 「変わらんやんけ」 「いや、違う」

おまえ、なんでもええけど、なんでオレの膝ん上に片膝乗せて話しすんの? そいで、オレの肩に肘ついて携帯弄るなんて馴れ馴れしいね。

「★★ちゃんの頭汚いなあ」 放っとけ 「★★ちゃん、ごめん、ごめん、傷ついたあ?」 なんで傷つくの?






おっさんになったら、こんなもんよ。これでも風呂好きやねんで。だども、「何処の方言や?」 薄ら禿げの白髪頭になっちゃったね。

「うん、あん・・・」 なに云ってんの? 頭の上で携帯しとおるわ。この携帯というのは、便利でいいんだけど「なんじゃいな」ってのが多いね。

こっちが話してるのに、相手は、携帯で話してる。「なんじゃいな、一人で喋ってた」 なんてよくあるよ、そのほうがバツ悪くて傷つくよ。






「★★ちゃんとこに居てる、うん、帰るわ」 女友達が遊びに来るらしい。「ぜんざい用意してくれてんねん」 そらあいいね。

にっちゃら、にっちゃら笑って、流し目残してバイバイしながら帰って行った。しかし、最近の子は、総体的におませやね。





















ああ、映画紹介もどきを書きたいね。また、「禁」破ったろか。「どうなっても知らんど~」 どうってことないのんとちゃうのん? 





















カメレオンの独り言