カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1238 『懐かしの映画 史上最大の作戦ー後編』

2014年09月28日 | 日記







 『史上最大の作戦』 2014-9-28







「史上最大の作戦」の後編です。オレの構想では、役者の演じる役名も画像も網羅したものだったけど、アカン。

其れを、所々に挿入して仕上げる積りが、制約一杯で、其れをやったら前、中、後と分けなければ無利だね。それでは、やたらと長ったらしくなるよ。

「余計な画像が多過ぎるんだよ」 貼り出すとね、意地になるんだよ。今回は、映画「史上最大の作戦の全体像を紹介するにとどめておきます。






















上陸開始に先立って、海岸付近のドイツ軍を攪乱し、反撃行動を妨害し、上陸部隊の内陸進攻を容易にするため、

イギリス第6空挺師団に続いて、アメリカ第82、第101空挺師団が6日前夜、大輸送機編隊に分乗してイギリスを飛び立った。






















「降下地点を誤ったら北微東の方向へ進め」「沼沢地帯はなるべく避けて降りろ」「俺たちは、泳ぎに来たんじゃないからな、解ったか?」















ノルマンディー地方の西方、ユタ・ビーチのあるコタンタン半島上空に米軍輸送機の大編隊が到達、

アメリカ第82、第101空挺師団1万8000名のパラシュート部隊が、夜のとばりのおりた田園地帯に降下の時が来た。

Dデーの警報を受けなかった、唯一のドイツ軍部隊の展開する地域の真ん中へ。















映画は、このサント=メール=エグリーズの真上から第82空挺隊F中隊が降下、折から街の教会が火災で人々がバケツリレーで消火する真っ只中なんだね。

夜空を煌々と照らす火柱に彼らの姿が浮かび上がる。消火の指揮をとるドイツ軍が、いち早く発見、機銃で撃ちまくるから、

降下中の空挺隊は、恰好の標的となって着地したときには死体となって意味を成さない。それでも着地して応戦するが態勢的に待ち受けるほうに分がある。































































見知らぬイギリスで満を持し、見知らぬ空に飛来して、見知らぬ国の夜空に舞い飛び着地を待たずに死ぬ。

また、敵の姿さえ見ることも無く海や沼に突っ込み溺死する。何十キロもの装備を身につけて大地に叩きつけられる覚悟で降下する身にとって、

ズボッと潜り込む態勢など用意がない。戦うために機体を蹴って夜空へジャンプする。納得のいかない無念やるかたない死だろうね。


















































アメリカ陸軍第82空挺師団 ジョン・スチール(一等兵(レッド・バトンズ)







ドイツ軍がいる町の真ん中に降下してしまった82空挺師団ジョン・スティール二等兵のパラシュートは、教会の塔に引っかかり、

宙吊りになる。鳴り続ける鐘の音を背後に聞きながら、街の中へ降下した仲間たちが、半ば殺戮されるさまを見下ろすしかなかった。

彼の当時の状態を、現在のサント=メール=エグリーズの教会の塔に人形に模してぶら下げられている。

















予定地点から5マイルも外れた沼地一帯に降下した第2大隊長ベンジャミン・バンダーボルト中佐らは、サント=メール=エグリーズの街へ辿り着く。

バンダーボルト中佐は、街の中に降下したF中隊の将兵らの死体が、所々にぶら下がったままの姿を目の当たりにして、

彼らの降下時の状況が壮絶なものだったことを知る。「彼らを降ろせっ」 部下の命を預かる身にとって忍び難い光景だったんだろうね。

















アメリカ陸軍第82空挺師団 シーン中尉(スチュアート・ホイットマン)




















アメリカ陸軍第82空挺師団第505空挺歩兵連隊第2大隊長 ベンジャミン・バンダーボルト中佐 (ジョン・ウェイン)







ドイツ側では、「総統が起きられたら伝える」「わかりました」 ドイツ西部軍参謀長ギュンター・ブルーメントリット大将(クルト・ユルゲンス)は、

噴き上がる怒りを抑えて受話器を置いた。危急存亡の非常時にヒトラー総統は就寝中につき取次ぎできないと云う。

ヒトラーは、不眠症に悩まされ感情不安定な日々が続いていることから側近の重臣らは及び腰だったんだね。総統の承認を仰がねば機甲部隊を使えない。

















ドイツ西部軍参謀長 ギュンター・ブルーメントリット歩兵大将 (クルト・ユルゲンス) 右





ブルーメントリット大将は 「この瞬間に歴史は変わる」「俺たちは負けるぞ、偉大なる総統閣下が睡眠薬で寝ておられる」「お起こしできんのだ、信じられん」





オーヴァーロード作戦の最初の段階である、ノルマンディー海岸への橋頭堡形成作戦には、ネプチューン作戦というコード名が付けられた。





イギリスのモントゴメリー将軍の総指揮の下、西から順に、ブラッドレー将軍指揮のアメリカ軍担当の「ユタ」(第4歩兵師団コリンズ将軍指揮)

「オマハ」(第1歩兵師団ゲロウ将軍指揮)、デンプシー将軍指揮のイギリス軍担当の「ゴールド」(第50歩兵師団ブックノール将軍指揮)

「ジュノー」(カナダ第3歩兵師団)、「ソード」(第3歩兵師団)の5つの管区に分けられた。





航空機の爆撃、艦船からの艦砲射撃、空挺部隊降下の支援の下、水陸両用戦車を配備した第一次上陸隊が橋頭堡を確保し、

第二次上陸隊以降が突破口を広げる計画が立てられていた。

そして、1944年6月6日午前6時30分、5つの管区で一斉に上陸を開始し、オマハ以外では、犠牲を少数にとどめ上陸を果たした。





映画では、ドイツ第352師団沿岸砲兵隊指揮官 ヴェルナー・プルスカット少佐(ハンス・クリスチャン・ブレヒ)が、早朝、愛犬とともに海岸防衛線を散歩、

コンクリートで固められた防御施設に入り銃眼から海を遠望して、副官と話したあと、「さて、もう一度見て帰ろうか」
















































ドイツ第352師団沿岸砲兵隊指揮官 ヴェルナー・プルスカット少佐 (ハンス・クリスチャン・ブレヒ)







双眼鏡で海の向こうに視点をおいて呆然とするんだね。朝もやが晴れ往く海上の地平線を埋め尽くした大船団の姿が目に飛び込んでくる。「侵攻だっ」










オッカー中佐 (ペーター・ファン・アイク)


























後方のオッカー中佐に緊急連絡、「嘘じゃないっ」 と彼は叫んだ。受けてのオッカー中佐は、事態が呑み込めず反応が鈍い。

「信用しないのなら、ここへ来て、自分の目で見たまえっ 途方もない船団だっ 信じられない眺めだっ」 ちょっと間があいて、再びオッカーの声がもどった。





「その船団はどちらへ向かっているのかね?」 受話器を握りしめたまま、プルスカット少佐は、銃眼に目をやって答えた。「まっすぐ私の方へだ!!」































百数十隻の艦船から艦砲射撃が一斉に開始されて海岸線一帯の防御施設が破壊されていく。猛烈な艦砲射撃のなか、

ドイツ軍は、防御陣地の壕に身を隠し、やがて、押し寄せるであろう上陸用艦艇への迎撃のときを待った。

プルスカット少佐の入る防御施設も炸裂する砲弾の衝撃で分厚いコンクリートがひび割れ、天井を突き破るほどに傷めつけられる。







 実写



















































そして1944年6月6日午前6時30分、連合国軍は、5つの管区で一斉に上陸を開始した。オマハ以外では犠牲を少数にとどめ上陸を果たした。










































4日間の休暇をとって妻の誕生日を祝っていたロンメル将軍に、連合国軍の侵攻作戦が伝えられた。










ドイツ陸軍B軍団長 エルヴィン・ロンメル元帥(ヴェルナー・ヒンツ)







「ソード・ビーチ」では、英第3歩兵師団が上陸に成功し、彼らの死傷者は少数であった。彼らはその日の終わりまでに約5マイル (8km) 進撃した。

第1特務旅団は、二つのフランス兵部隊を伴ったイギリス海兵隊第4コマンドに率いられて第二波として上陸した。

フランス兵部隊の目標は、ブロックハウスとカジノであり、第4海兵隊の目標は海岸を見下ろした二つの砲台であった。





「ジュノー・ビーチ」に上陸したカナダ軍は、11基の155mm砲重砲台、及び、9基の75mm砲中砲台に直面した。

また、そこには機関銃の巣とトーチカや他のコンクリート堡塁、そしてオマハ・ビーチの二倍の高さの護岸堤が立ちはだかっていた。

第一波は、オマハ以外の5つのD-デイ上陸拠点のうちで最高の50パーセントの死傷者が出た。














「ゴールド・ビーチ」では、部分的に水陸両用シャーマンの到達が遅れ、死傷者が増えることとなった。

また、ドイツ軍は、海岸上の村を防衛拠点として強化していた。

しかしながら第50師団は障害を克服し、その日の終わりまでにバイユーの周辺に向かって前進した。





ドイツ空軍は、この時フランス北部沿岸全体に183機(実働160機)しかいなかった。

国防軍最高司令部は、ドイツ本土への空爆に対応させるためと、爆撃の激しいフランス北部沿岸で損耗させることを避けるため、

このうちの160機を、フランス北部沿岸地帯から移動させていたんだね。





国防軍最高司令部が海の荒れる6月には連合軍は上陸しないと見ていたのも大きな要因である。

このため、第26戦闘航空団からヨーゼフ・プリラー大佐とハインツ・ヴォダルチック軍曹の駆る2機のFW190戦闘機が出撃し、

「ジュノ、ゴールドビーチ」に上陸中の連合軍に一回の機銃掃射を加えたのが、ドイツ空軍戦闘機が、唯一、行った上陸作戦に対する攻撃となった。










ドイツ第26戦闘航空団司令 ヨーゼフ・プリラー大佐 (ハインツ・ラインケ)



































































「オマハ・ビーチ」においては、米第1歩兵師団が最悪の苦難を経験した。

ここでは、他の海岸に比べ特殊装甲車両の装備が少なく、さらにオマハに割り当てられた水陸両用戦車27両の多くは高潮の影響で次々と浸水し、

海岸に到着する前にほとんどが失われた。更に、上陸用舟艇10隻も戦わずに沈没するハプニングに見舞われている。


























しかも、当初、海岸に配備されていたドイツ側の守備隊は二線級の第716歩兵師団と予測されていたが、

実際は、東部戦線における激戦の戦闘経験を持つ第352歩兵師団であった。

第352歩兵師団は、連合軍の知らぬ間にオマハ正面へ布陣しており、その火点の多くが事前の航空爆撃や艦砲射撃にも生き残り上陸部隊を猛烈に攻撃してきた。





彼らは、海岸を見下ろす険しい崖の上を拠点とした。「上陸10分以内に(先導)部隊は指揮官を失い活動能力を失った。

指揮をとる全ての士官、及び、下士官は戦死または負傷した。……それは生存と救助のための闘争となった」

上陸部隊の第一波は、独軍守備隊の抵抗により海岸へ釘付けとなり、死傷者が続出。そこへ第二波以降の部隊が次々に詰め掛け、海岸線はパニックに陥った。





その光景はさながら、地獄絵図そのもので「ブラッディ・オマハ(血まみれの)オマハ」と呼ばれている。











































工兵役のジェフリー・ハンターの活躍を貼ってやりたいけど、ちょっと後がないから省くよ。なんかハラハラしてきたよ。

























「オック岬」のドイツ軍コンクリート要塞は、米第2レンジャー大隊の攻撃目標であった。

彼らの任務は、敵の砲火の下ロープと梯子を用いて高さ約30mの崖を登り、ユタとオマハを射程とした要塞内の砲を破壊することであった。

部隊は到達に成功し、おそらく前日の爆撃中に移動された砲は見つかり破壊された。上陸部隊の死傷者の割合はほぼ50パーセントだった。





「ユタ・ビーチ」では、オマハ・ビーチとは対照的に死傷者数は197名で全上陸管区中最少であった。

これは、潮流や視界不良などにより、当初予定されていた上陸地点を東に2kmほどずれたのが、かえって幸運だったためである。

2万3千名が上陸を果たし、彼らは内陸に進撃を行って、先陣の空挺部隊との連絡に成功した。





こっちは、失敗しかけだよ。終れへんがなあ~。「収拾つくかあ?」 怖くなってきたよ、吐く息が荒いよ。何処かで手を抜かんとアカンでえ~。

また、20000字が近づいてきたよ。「写真が多過ぎるんだよっ」 しかし、雰囲気としては入れたいがなあ。「文で収めろ」 し、しかしい~。

考えたら、オール・スターのわりに役者が出て来ないね。仕方ない、ショーン・コネリーを貼っておこう。






















イギリス軍コマンド部隊長 ロバット卿 (ピーター・ローフォード)

 
















「ソード・ビーチ」に上陸したフランス兵部隊の目標は、ブロックハウスとカジノとあるが、詳しい資料はないね。

フランス海軍コマンド部隊長フィリップ・キーファ中佐を クリスチャン・マルカン が演じてるね。

映画では、カジノのビルに陣取るドイツ軍を攻撃、死傷者を多数出すが、戦車の救援でビルを崩壊してドイツ軍を撃退するまでが挿入されている。





此の戦闘シーン、及び、背景となる運河が流れる街並みが目を引くね。大掛かりなセットなのかね? 印象に残ってるよ。





























































































フランス海軍コマンド部隊長 フィリップ・キーファ中佐(クリスチャン・マルカン)








『実際のカジノのブロックハウス』








「オック岬」の第2レンジャー大隊の攻撃シーンも事実に基づいて描かれてるんだろうね、あまりお目にかかれない戦闘シーンだったね。

そのために訓練されているんだろうけど、岩肌よじ登って撃たれに行く根性は見上げたもんだよ。30mの断崖だよ。ビルなら15、6階かね。 




























































































上から手榴弾を雨のように放り投げ落とされて炸裂する。身の隠しようもない。絶壁の下まで駆け上がると空に向って錨の頭が付いたロープを発射する。

錨はロープを引いて空を飛び、絶壁の上に設けられた鉄条網に絡みつく。此れを登るんだね。ある者は梯子を伸ばして登るんだけど、よくやるねえ。

上では、錨が絡んだ鉄条網をカッターで切る。途中まで登っているものが落ちる。それでも登るんだね。





幸いなのは、備えの手薄な絶壁からの攻撃だから、敵も兵士の機銃と手榴弾のみの防戦となる。重火器は後方のトーチカの中で絶壁を上がり来る者は撃てない。













































































レンジャー隊員のジョージ・シーガルが、途中で振り向くんだけど、其の視界の海に大きな水柱が立つ。綺麗なんだね。このシーンがずっと残ってるよ。















登場人物











アメリカ陸軍第4歩兵師団副師団長 セオドア・ルーズベルト准将(ヘンリー・フォンダ )と同師団長レイモンド・バートン少将 (エドモンド・オブライエン )









ドイツ第7軍参謀長 ヨーゼフ・ペムゼル少将 (ヴォルフガング・プライス) 左









イギリス空軍パイロット デビッド・キャンベル(リチャード・バートン)と アメリカ陸軍第82空挺師団アーサー・シュルツ一等兵(リチャード・ベイマー )









オマハ・ビーチの上陸を果たしたアメリカ陸軍第29歩兵師団副師団長 ノーマン・コータ准将(ロバート・ミッチャム)















The Longest Day MARCH(1962) - Mitch Miller









『史上最大の作戦』 the longest day 1962年(昭和37年)度作品




Many men came here as soldiers

Many men will pass this way

Many men will count the hours

As they live the longest day



Many men are tired and weary

Many men are here to stay

Many men won't see the sunset

When it ends the longest day



The longest day the longest day

This will be the longest day

Filled with hopes and filled with fears

Filled with blood and sweat and tears

Many men the mighty thousands

Many men to victory

Marching on right into battle

In the longest day in history







1939年9月1日にポーランドへ侵攻して勝利したドイツ軍は、1940年5月10日にオランダ・ベルギー・ルクセンブルクに侵攻、

5月17日以降に北フランスを席捲した。ドイツ軍は戦車・航空機といった新しい兵器を中心とした電撃戦を展開、

その火力・機動力を集中して運用する新しいスタイルの戦法によって連合軍主力の後方を突破すると、





ドーバー海峡まで駆け抜けてこれらを包囲し、フランス、イギリス海外派遣軍、総勢35万人をダンケルクへ追い詰めた。

ドイツ軍のフランス侵攻の1940年5月24日から6月4日の間に起こった戦闘である。

輸送船の他に小型艇、駆逐艦、民間船などすべてを動員した史上最大の撤退作戦となった。





それから、ちょうど、4年目に連合国軍が、総力を結集してフランス解放のために史上最大の上陸作戦を決行したんだね。








フランス ノルマンディ、オマハビーチの東側に聳える断崖、現在のオック岬だね。





前編のトンガ作戦で、占拠したベヌーヴィル橋と呼ばれていたこの橋は、着陸部隊の部隊名を取って、公式に「ペガサス橋」と改称された。

第二次世界大戦終結後、この橋は架け替えられたが、歴史的な印象をそのまま残すために、オリジナルの橋をそのまま拡大した形で設計され架橋された。

橋の占拠を指揮したハワード少佐の名誉を称え、道路も「ハワード少佐通りと改称された。ランヴィル橋はグライダーの名前をとり「ホルサ橋」と呼ばれている。





モントゴメリー将軍は1944年7月16日に、ジョン・ハワード少佐の卓越した指揮を称え殊勲賞を授与した。同じく、第6空挺師団の兵士は殊勲十字賞を授与された。













現在の『ペガサス橋』






まだ、いけるか? まだか?と、制限以上の注意テロップが、出るか、出るかと、ビクビクしながら登場人物を挿入してたけど、もう限界だね。






















カメレオンの独り言