カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1454 『天の配剤ならば仕方なし』

2015年07月30日 | 日記







 2015年7月30日







あっついねえ~。塩と水の補給は欠かさぬようにせんといかんねえ。なのに、オレは冷房が好きじゃない。

窓を開け放って扇風機を回転させてるほうがいい。奥さんが、買い物から帰って来たら「ぎゃあぎゃあ」云って窓閉めて冷房を点ける。ずっと、帰って来るな。

外歩きしていてコンビニとかお店に入ってヒヤ~とした時は生き返るけどね。たしかに値打ちがある。奥さんは、其れを求めてんだろうね。





オレのほうが、おかしいから仕方ないか。急速に南極になったね。こんなもん、昔は無かった。オレみたいなのばっかしだったよ。でも、もう、今は昔じゃないね。



















薄らボケた的に焦点絞って引き金を引いたよ。弾丸は発射されて飛んで往く。矢は放たれた、今までのグルグル回る迷いは消えたね。

一歩進んで、また、新たな悩みが生じるか、的を射て計画の一歩を踏み出して次の展開に備えるか、二つにひとつの応えを待つ自分が居るよ。

変えねばならん。なんとしても現状を変えねばならん。なんにもない処から創り出してみせる。「ホンマかいな?」 解らんけどね。「なんじゃいな?」





戦場で生きるか死ぬかの賭けのような決断に比べたら、こんなのは、ママゴト遊びだよ。「其のわりには大層だね」 それはそれで大層なもんなんだよ。

外れを繰り返せば落ちていく。留まり支える足がかりも、這い上がる手がかりも無くなるんだよ。「ドツボか?」 それでも寿命の在る限り生きねばならん。

独り世界で生きるなら、それでもどうってことはない。取り巻く社会の中だから外れを繰り返して落ちて往く訳にはいかんだろ? 「見栄か?」 誇りだよ。





「おお~神さまあ~」って、昔、萩原健一がチンドン屋みたいな形(なり)して歌ってたね。「何処がチンドン屋やねん?」 笑ってしまうよ。

人は、素直になるべきときは素直にならねばならんって思うんだね。「神頼みか?」 神頼みって云うより、運を天に任すって謙虚じゃないかね?

突っ張るだけでは救われないって時がある。今こそ、水の流れを見て暮らす時だよ。「川柳か?」 そう。





「いつまで経っても、ただ、流れ往くままだったら?」 うっふふふ、ハリに餌付けて竿を出せばいい。「諦めの境地か?」 神の導きだよ。

「それで何を悟らせる?」 オレは、それなりの天の配剤なんだろうね。こんなのも居るよって。「見せもんか?」 祭りの見せもん小屋だよ。

善には善果、悪には天罰というように、天は物事を適切に配するということだよ。





「ゆめゆめ美妙なる天の配剤に不足云うべからず」 露伴さんって人が云ってるよ。「誰や?」 明治の小説家、随筆家、考証家の幸田露伴さ。



















幸田露伴が、そう云ったからって素直に倣う気はないけどね、オレと捉えようが似てること云ってるから看板に出しただけだよ。

だいいち、こんなおっさん知らんよ。「失礼だろ?」 このおっさんも、オレを知らんよ。看板になるか、ならんかの差だよ。

「其れが素直になった奴の台詞か?」 運を天に任す姿勢は素直でも、オレ自身は、全然、素直じゃないよ。オレはオレだよ、死ぬまでオレだよ。





「そんな可愛げのない奴に天がいい運回してくれるか?」 中身は、全然、変わらん身を任せているんだよ。正直だろ? 「にくそいわ」

藁をも掴む乞食根性など持たんわっ、どうなとさらせっ。「全然、素直じゃないぞ」 オレは、至って素直な積もりだよ。

正直ね、今は、何をどうすればいいのか皆目解らんのだよ。皆目解らんから引き金引いて、結果の是非に拘らず、次の展開から今を知りたいんだね。





弾丸が外れて進む糸口見失ったら、もう、今はジタバタする時ではないと悟って果報は寝て待つことにする。

















もう、夏休みに入ってんじゃないのって思ってたから 「どうしたん、その眼?」って、彼女が覗いたので、ちょっと驚いたよ。

今日は左目の回りに、黒焦げみたいな痣ができたので格好悪いから眼帯してたの。ああ、これか。

昨晩、家ん中で転んで柱にぶっつけて、また滑ってかまちの角にぶっつけて散々だったよ。今日、朝起きたら左目の周りが真っ黒けになってたの。





痛かったよ。「ああ、そう」 こいつ、考えたら、反応に抑揚が全く無いね。常に珈琲冷めてるよ。別に熱いのを期待もしてないけどね。

「テスト終ったあ」 テンション上がってるね。女伊達らにバイク(自動二輪)の免許を取りに行ってる。

この前、おまえ、バイクで転倒したら、どんな目に遭うか知ってんかって云ったら 「こける云うんか?」 反応は夏の冷珈だよ。





しかし、長い髪をヘルメットから垂らして靡(なび)かせてバイクを長い脚で跨いで、でかい尻で重心とってブッ飛ばしてたら格好はいいだろうね。

「それは褒めてんか?」 そうだよ。彼女は、長身で長い脚に長い髪の毛、男勝りの性格だからね、イメージ的にはピッタシだろうね。

思うに、この娘(こ)は、何ごとも止めて止まる子じゃないみたいだからね。好きなように生きればいいと思うよ。心配してもはじまらんよ。





なにか、スタイルを追い求めて生きてるって感じだね。自分が決めて遣ったことは裏目に出てもグチグチ文句を云わないタイプのようだね。

こいつほど、ゴーイング・マイウェイでもなければ、しっかりもしてないけど、オレと似てるとこがあるよ。

彼女も、なにかしら自分と似てるおっさんだから飽きることなく来続けるのかも知れん。同族同類の好(よしみ)とでも申しましょうかだろうね。





「おまえなんかと同類扱いされて怒りよるぞ」 そんなので怒るようなセコセコした女じゃないよ、彼女は。 感じるに、遠いところを見てるね。


















外で煙草吹かせてたら「あっ、★★ちゃん」って、おませな中2の女の子と連れの子が走って来る。あれ、部活は休みか? 「朝行って終ってん」

じゃあ、もう、自由か? 「そうっ」 二人でリキ入れてるね。「★★ちゃん、眼どうしたん?」 かくかくしかじかでござる。

連れの子が 「真っ黒け見せて」 うるさいわ、そんなの見せるんなら眼帯なんか要らんだろ? 「壊れた顔を見たい」 おかしいんじゃないか?





「★★ちゃん、暑いから事務所へ入ろ」 事務所は憩いの場かよ? 「★★ちゃん、喉が渇いたわあ」って連れの子、水道の水を呑め。 

「★★ちゃん、背を測ってえ」 壁を背に起立してる。おおっ、〇〇〇、おまえ、また伸びたなあ。振り返って以前の線から 「3センチ、やったあ~」

この二人は、オレが仕事する横っちょで、それぞれ腰掛けて長い時間居ったねえ。夕方、新聞配達のおじさんが覗いて「おお~可愛い子らあ、今日はおったなあ」





このおっさん、猫なで声で喋るから、おませな女の子は知らん顔して相手にならない。それでも、負けずに話しかけて終らない。

連れの子は、仕方なく相槌入れてるけどダルそう。それでも、おっさん、終らない。「なっなっ★★ちゃん、せやろっ?」 そうだね、うん。

オレを引きずり込むなよ、空気を読めよ。それでも、おっさん終らない。「なっ、なっ、なっ」って、おませな女の子に話しかける。





女の子ってのは敏感なんだね、「悪いおっちゃん、ちゃうねんけど、なんかキモイ」って、云うとるぞ。それでも、おっさん止まらない。

おませな女の子は椅子を回転させて背中向けたり、あんまり無視もいかんので此方に回転したりと気を使ってんだけど、結局、無視してる。

おっちゃん、B型か? 「せやっ」 なるほどね。女の子等の反応が悪いので、間に入って話題を変えてやるんだけど「なっ、なっ、なっ」と止まらない。

















ようやく、「ほなあ、★★ちゃん、行くわ」って仕事にかかる。ほっとする。後ろで、女の子等もホッとしてる。

この子らは、むけむけに思いを口にしないのは、チョコとか飴とか貰ってるから義理があるみたい。「なに、云うてるか解らへん」「ちょっとキモイ」

あの猫なで声はやめた方がええと思うよ。昨日も、オレを挟んで疲れさせよったからね。二日連続だよ。





某私立大学付属の高3の女の子に、誕生日プレゼントを用意して持ってきてあげるのはいいんだけど、猫なで声でしつこく話しかけるから「う~ん、う~ん」

って、段々、返事が重くなってる。そのうち、オレの横っちょにへばりついてスマホで写真撮り出してる。「なっ、なにを撮ってんかなあ~?」「う~ん」

「★★ちゃん、もう、ちょっと前に椅子出して」 おう、通るのかって、椅子を押し出し横見ると腕を伸ばして自分とオレを撮ってるよ。





おまえなあ、其れは失礼やぞ。わざわざプレゼント持ってきてくれてるおじさん話してる前で。おじさんを撮ったれよ。あとで消せばいいんだよ。「どういうことや?」

気がつかない振りして、おっちゃん、最近は梅田へ出るか? 「いや、わしは難波や」 「いやあ、梅田の何処へ行くのん?」 「何処でもっ」

「〇〇〇〇へ行ったことあるぅ?」 「ああ、あそこは知らんなあ」 おっちゃんは、出かけるいうたらダンディやねんで。衣装も〇十万円のもんやで。





「へええ~ほんとお」 「せや、緑のスラックスやでっ」 緑のスラックスって趣味悪いねえ。「今時、緑なんか履く奴おるか?」 自分で云うとるわ。

「おっちゃんと一緒に行ったら、上から下までみんな買うたるっ」 凄いこと云うね。また、腕伸ばして写真撮ってるね、この子。「★★ちゃん、チーズして」

おっちゃんは、昔は、オレなんかと違って、金を注ぎ込む遊び人だったから女性の扱いも慣れたもんだろうけど、ただ、只管に押しの一点張りだね。B型の特技か?

















凄い人だね、オレなんかよう真似せんわ。オレを挟まんとやってくれんかね? 真ん中でしんどいんだよ。「★★ちゃん、こっち、こっち見てえっ」 カシャ。



























カメレオンの独り言-1453 『映画 アメリカン・スナイパー 語るところがないね』

2015年07月27日 | 日記







 『アメリカン・スナイパー』  2015年7月27日







意外とインパクトのない映画だったね。観れることは観れるんだけど山なく谷なくダラ~と流れるままに終わりが来たって感じだったよ。

最近の銃撃戦の描写は出来すぎの映画が多いので、これに目が慣れると、ここまで至ってない描写で遣られると気が抜けるんだね。

主だった役者以外の米軍の兵士どもが、矢鱈、素人臭い。狙撃される奴の倒れようもリアルさに欠ける。狙撃は的が命だよ。






行き届いた演出ではないね。臨場感は、名も無い出演者の芸で決まるところが大きいんだよ。

実話だから仕方ないけど、戦闘中に国に居る奥さんに電話しながら戦うって実際だとしても省け。そんなので狙撃されて死んだ奴が憐れだよ。

期待して観て納得、もしくは、それ以上なんてのは滅多にない。『アメリカン・スナイパー』 取り立てて語るところの無い映画だったね。






判断を任されて狙撃の決断を下すってのは過酷だね。指示に習って引き金を引くのと、自分の意思で射殺するのでは被さる負担が違うね。

相手が子供の場合は尚更だね。そんな世界から飛行機で渡れば一日程度で平和な自国に帰る、平和と戦争の切り替えが難しい。

精神がおかしくなって当てり前だろうね。おかしくなった人々が、至ってまともな人だったんじゃないかと思ってしまうよ。













『向って右側、クリス・カイル役のブラッドリー・クーパー』







銃後が緊張状態なら或る意味救われる。緊張と緩和の落差が小さくて済む。打って変わったような平和な自国に帰る兵士たちは、、

安堵は束の間、自分たちだけが置き去りにされたような不安に追い込まれるのかも知れないね? 

現代戦を描いた映画を観ると、戦場で気の毒、平和で気の毒、身体に受けた傷は癒えるけど、心に弾丸喰らうと傷口ないから癒えることが無いんだろうかね。






引き金を引かねば始まらない、引き金を引けば次の展開に移行する。即決、即答の応酬だから、生きるか死ぬかの短絡に繋がらざるを得ない。

戦争というのは平和時に語れるものじゃないね。その場でしか通らない、その場でしか理解できない現実がある。引き金を引いた人しか解らん世界だね。

大きな渦に巻き込まれてゴマ粒の世界、駒のように動かされ振り回されて数の内、なのに呆然、驚愕、苦痛と悲痛と傷心は、それぞれ個々に分担される。









 『実際のネイビー・シールズ最強の狙撃手クリス・カイル』









9.11の貿易センターツィンビルのテロから愛国心に火がつき志願して兵役に就いた主人公は、自身の意思が働いているぶん救いだね。

イラク戦争に4度従軍して160人の敵を狙撃で倒した其の英雄は、復員後、癒えぬ傷病を抱えた元海兵隊員に射殺されて映画は終る。

淡々と描いて淡々と終ると映画の話だけで逃げ切れないじゃないか。う~ん、困ったね。






2度目に観たときのほうが良かったって思う映画があるね? 期待して意気込んで観ないほうが映画は面白く感じるのかも知れないね。

面白くないってのは、期待のお皿にウェイトがかかりすぎて、もう一方の秤のお皿に映画を載せると軽くなる。其の上に観る時の気分も影響してるかもね。

気が向いたら、もう一度、観てみようかなって思える映画ではあるかねえ? ハードから消さずに置いておこう。今日はこんなもんだね。













『アメリカン・スナイパー』 の一場面








今、映画もブログも、その他諸々の私事も、他事に気をとられて集中できないんだね。大まかには視野に的を捉えてるけどスコープで覗いたからって

鮮明には映らない。此処で勝負に出て引き金を引くべきか、次の機会を待つべきか躊躇(ためら)ってるんだね。

判断を間違って下手したら少ない的を失うことになる。第2段階作戦は、机上の空論で終ってしまう。オレの直感では引き金を引けって云ってるよ。






的が外れたら道を閉ざしてしまう。無駄な時間を浪費して命を削るだけの日々が待っている。

引き金を引かねばダラダラと先延ばししているうちに的が姿を消すかも知れない。この7月一杯が限度だね。「なんのことや?」 話せる内容じゃないよ。

大小拘らず、人の生活を預かって、または、人の命を預かって、右か左かを決断するって立場の人は、さぞかし大変なことだろうねえ。






生活の上で、正しい判断のもと決断を迫られる状況に立つと、それらの人の苦労が、身をもって解るような気がするね。


























カメレオンの独り言-1452 『題名なんか無視しなさい』

2015年07月24日 | 日記







 2015年7月24日







なんか、意味なく寂しいときがあるね。沈むんだね、気分を切替えるんだけど、また沈む。

虚しいときもある、侘しいときもあるね。悲しいときもあるし切ないときもある。こういう気分は、時折、巡って襲ってくるね。

独りで笑い飛ばすわけにもいかんから、浮いたり沈んだりしながら、なにかしら、自分に言い聞かせて晴れるのを待つんだけど垂れ込んだ雲は重くて動かない。






こんな時に、なんでもいい、好きで追い求めるものがある自分に救われるんだね。よし、下手でもいいから、この今の気分を活字にしようか、なんてね。

経済に苦労無く悠々自適で生きている人でも、こんな気分にさせられるときがあるんじゃなかろうかね?

夢中になれるものがなければ垂れ込んだ雲から、やがて雨が降り出し気分は濡れに濡れて人を落ち込ませる。






仕事が、其れを救ってくれてる場合が意外と多いんじゃなかろうかね? 現役を退いた人たちは、その救いがないから濡れて乾くまでの時間が長い。

そんなことを思うと、仕事をやれていることは結構なことなのかも知れないね。

そこへ持ってきて夢中になれるものもある、案外、幸せなのかも知れないね。糞ッ、糞ッ、糞ッ 「なんやねん?」 そんなはずはない。






「解ったような講釈垂れて自分が納得出来ないのか?」 悠々自適の奴が、なんで落ち込むんだよっ、馬鹿じゃないのか? 「苦は金だけじゃなかろうが」






「苦の中で、貧乏は原因が一番明確で単純なものじゃないか?」 金がないからだね。「金が出来れば解決する悩みだよ」

しかし、貧困からの脱出は簡単じゃないよ。「一生懸命になりふり構わぬ労働だよ、解決の方法も至って単純だよ」 

「そして、その苦しみが多方面に伝播せぬうちが肝だよ」 単純な悩みだけども、全てに悪影響をもたらす悩みの根源でもあるからね。溜息でるね。





















昨晩は、気分が滅入って、なんかやる気が失せたのかね? ネタは浮かんで来ないし、早々に書くのを諦めて自分のブログを振り返って読んでたの。

過去のやつを無作為に開いて読んでるうちに、独りで噴き出して笑ってんだよ。こいつ、馬鹿だよ。「おまえやろ?」

なんか笑ってしまうんだよ。そいで馬鹿なんだけど、なんでだろうかね? 元気が出てくるんだよ。






涙が出てきて目が痛いわ、そいで鼻水も出てくるわでティッシュで拭いたり鼻かんだり忙しいんだよ。ほいで噴き出してんだよ。

無邪気なんだろうかねえ? こんな奴、ちょっとおらんで。「それは、おまえやねんでっ」 そうなんだろうかねえ? 

「そうなんだろうかねえって、そうなんだよっ、おまえのブログやないかえっ」 まあ、誰でもええわ、滅入ってた気分が息吹き返してきたよ。






今、沢山の人たちに読んで頂いてるけど、オレみたいに噴出して笑って貰ってるかねえ? もし、そういう方がいらしたらオレと感度が一致してるよ。

編集欄に 「ページごとの閲覧数」ってのがあって何をどれだけ読まれたかってのが現れるんだね。

大きな事件、事故、映画に関して書いたものに、毎度、多くの閲覧を頂いてる。ど素人のブログに目を通すには、とっかかりとして無難な選択なんだろうね?






しかし、このブログはだね、題名なんかあって無いが如しだからクリックするのを躊躇うような題名でも開いてご覧、「えらそうにっ」

中に、おもろいのが有るよ。書いた奴は、もう、居ないけどね、「おるやないかっ」 当時の奴は、もう、居ないよ、オレは、今の奴だよ。

「訳の解らんこと云うとるで」 まあ、しかし、当時の奴を知ってるオレだから噴き出すのかも知れんがねえ? 「なんなと云うとれ」





















気分を変える、これは大きいよ。滅入った気分から元気を甦らせる、素晴らしいことだよ。笑いと納得だよ。そんな気持ちに出来れば大したもんだよ。

過去の奴から教えて貰ったよ、読む人を元気にさせる、暖かな気分にさせる、それなりに納得させる、そんなのを書かなきゃ駄目だよ。

そういう駄文の山を築かねばならんのだよ。みちょれ。「おまえ、やる気になってるね」 だろ? オレのブログを読み返して元気になったんだよ。





寂しい気分よ、さようなら、愉しい気分よ、こんにちわ。そんな思いだよ。「過去の奴も、今のおまえも単純なのは変わらんね」 






























カメレオンの独り言-1451 『映画 サボタージュ 中南米麻薬カルテルの実体』

2015年07月22日 | 日記






 2015年7月22日






借りたDVDの駄作を掻い摘んで観てハードから消そうか、まず『復讐少女』 駄作は出だしで粗方解る。描写が一風変わってるね。

少し観ていて、かなりショッキングなシーンに吃驚したよ。あまり、好ましいストーリーじゃないみたいだけど気の向いた時に観れるやも知れん。

次は、アーノルド・シュワルッツネッガーの『サボタージュ』 筋肉馬鹿が集合して身内でワッショイ映画だと思ってたけど違うね。






似たような特殊部隊ってのが、そう思わせたんだけど刑事もの的なストーリーの展開で最後まで引っ張られて観ちゃったよ。

米国連邦捜査官たちとメキシコの麻薬カルテルとの戦いが背景で、カルテルの大物を逮捕、メキシコ政府に引渡しの飛行場でメキシコ警察に紛れた

カルテル組織の女に口封じのために大物は射殺される。そこへ米国連邦捜査官たちのボス、シュワルッツンエガーに脅迫の電話。






最愛の妻と息子がカルテルに拉致され降伏か死かの脅迫を受ける。うろたえるシュルッツネッガー。

妻が拷問を受ける姿を録画したDVDが送りつけられてシュルッツネッガーの地獄の苦しみが始まるんだね。

そして一人、また一人と連邦捜査官の部下が残酷な殺され方で欠けていく。事件解明に女性刑事も介入して捜査は意外な方向に展開していくんだね。






メキシコを始め中南米諸国に巣食う麻薬カルテルってのは、実際、強大な力を誇る組織で壊滅はほとんど不可能な存在らしいね。



















なにかで読んだけどメキシコ政府が本腰入れて壊滅作戦を実行すると、この映画のように警察署長、幹部ら、また、政府要人らの家族が攻撃の対象になって

とんでもない殺され方で発見されるなんてのが常套らしい。衆を襲わず個を狙い撃ちにして恐怖で正義を押さえ込むんだね。

ベトナム戦争でベトコンは農民に紛れることで存在をカモフラージュしてゲリラ化したね。






業を煮やしたベトナム政府軍、支援部隊の韓国軍が片っ端から村を襲撃して農民諸共虐殺する暴挙が後を絶たなかったと云うね。

あれと似て、多くの貧しいハレムの民衆の中に巣食う組織だから正攻法では太刀打ちできないのが実情らしい。

戦場と違って生活を営む地だから警察も軍隊も個に戻れば一般人、弱みを晒して戦わねばならない。脅迫、恐怖で追い込み買収が横行するんだね。






今や、軍隊、警察、政府要人に至るまで組織に通じる者が多くを占めて、内通、密告で捜査は丸裸の状態らしい。

貧しいメキシコの隣には、裕福なアメリカが地続きに在る。麻薬売買には最高のお客さんなんだろうね。目的は、ただ只管(ひたすら)金なんだね。

正義より金、思想よりも金、金を生み出すルートが彼らの最大の要所となるから、これを遮るものに対しては悪魔も驚くような行為も厭わない。






貧困から生み出された錬金術だろうね。世はピラミッドの如くに階層がある。ピラミッドの頂点に一番近い階層は、実は底層を這う者たちの中に在る。



















「なんで上と下なんだ?」 ハングリーなんだよ。とてつもなく狡猾で揺るがぬ信念が似通ってるんじゃないのかね?

至って、互いが遠い存在なんだけど、其の中間にある層なんてのは在って無いが如しだよ。つまり、どうにでもなる存在なんだろうね。

宛がわれた道には、線路も高速道路もエレベーターもエスカレーターも備わってるね、人は快適なれども、その道を茨の道として登っていく。






方や何にも無いんだね、何にも無いのに世界を揺るがすほどの存在の基盤は磐石だね。もうひとつの裏のピラミッドを創ってんだよ。

頂点は、お隣同士になる。その世界で生活を営むものが居る、より良い生活を求めて忠誠を尽くして努力する。こんなのが中間層だね。

現代社会も元を正せば弱肉強食の世界だった。従わぬものは殺戮されて滅ぼされ天文学的数量の悲劇の上に在る。






時代の犠牲者の累々たる死体の山々が風化して土くれになった上に在るんだね。メキシコの幹線道路に放り出された拷問でボロボロの死体と変わらない。

其の理屈を知っていて天下取りを実践できる肝の据わった奴が中南米に居る。

同じ野望に燃える奴の城取りの戦いで殺戮を繰り返し、繰り返し、今は、まさに戦国時代だろうね。姦計渦巻く怖い時代だよ。

















視点を現代社会に置いていえば野蛮で醜悪、悪の権化のように捉えるけれど、それらの経済を成り立たせているのは成長した現代社会なんだね。

何ごとに於いても鶏が先か卵が先かの矛盾を背負って在る世界だよ。もうひとつのピラミッドを創出して君臨する奴が出ても不思議じゃないよ。

そのピラミットの世界は、甘美に満ちて妖しく誘う恍惚の世界、地獄の掟を遵守しさえすれば、金を持って誰でもおいでの男尊女卑天国。






嘘塗りたくって虚像の紳士で生きる現代社会の輩が金を運んで悪の世界で生き返る。「こらあ~やまらんなあ」 大人のためのディズニーランド。

男か女か解らん可愛げないのを、日頃、相手に辟易してる。もう、ウンザリだよ。すまし顔のこんな奴って意外と多いんじゃないの?

エジプトには、いくつかのピラミッドが聳えてるんだね? マフィアもそうなら、ユダヤもそう、我が日本ならやくざだね。






侠客気質(かたぎ)の窮屈なやくざは死に絶えた。若山富三郎も、鶴田浩二も、菅原文太も、高倉健も、もう居ない。今は、広域暴力団って云うのかね?

まあ、日本の治安も荒れてきたと云えば荒れてきたようにも思うけど、まだまだ安心な国ではあるね。

皆さんもご存知でしょうが、今のメキシコなんかへは観光で行くもんじゃないね。国中全体が麻薬カルテルの組織の遣りたい放題だね。






城盗りの抗争で、弄り殺しの死体が道路に転がったり陸橋に吊るされたり、ちょん切られた首がゴミ箱に捨てられたり男も女もないんだね。

「南米麻薬カルテル」って、グーグルで検索して「殺戮大陸メキシコの狂気(2)殺戮を誇示する麻薬カルテル」等々を開いてみなさい。

信じられない世界が見えますよ。話し半分に聞いても恐ろしい。世界では、まだまだ、女性は弱き生きものなんだねえ。






こいつ等は、女性を人間として見てないんだねえ。経済の貧困は教育の貧困、小さな国は何ごとも行き届き易いんだろうけど、

大国となると、発展は一部の地方に偏り、大方の地方では、昔の因習が、未だに根強く残って偏見、差別なんてのが罷り通って遅れてる。

そして、その行為の是非を疑問視する欠片も湧かないんだね? 教えられなくても憐憫の情ってのが湧かないの? 






経済成長著しいインドに於いても 「五つの風土」なる考え方が下敷きになって集団レイプが当たり前のように横行してるらしいね。

この「五つの風土」については、調べた範囲では見つからなかったね。

















いかにメキシコが、そうだと云っても、実際にそうそう惨たらしいのを目にするもんじゃないだろうとは思うよ。それだけ広いからね。

日本でも、あの地域は気をつけろ、触らぬ神に祟りなしって云うように危ない時間や場所ってのがあるからね。

それを意識して行動するぶんには、おかしなことに巻き込まれずに無難に済む。また、それだから、その間隙で悪も生きて行けるわけだからね。






ただ、メキシコの場合は、麻薬犯罪が国を揺るがすまでに台頭している事実が怖い。国境線が全て顧客であるアメリカへ通じる位置に在るために

グアテマラやエルサルバドルやニカラグア、パナマ等地球上最高レベルで危険な地域からルートはメキシコに繋がり吹き溜まりの状況なんだね。

この最悪を改善するために立ち上がった政治家や弁護士らは標的になって殺されたらしい。警官なんかも標的なんだね、悪に遠慮がないんだね。






だから治安が浮き足だって警官を辞職する人が後を絶たないなんて国家の崩壊の序曲だよ。

まあ、そんな恐ろしい事実を背景に 映画『サボタージュ』の物語だったんだけど、部下が次々と残酷な方法で殺害されたのは、

結局、カルテルの仕業じゃなかったんだね。シュアルッツネッガー隊長の奥さんと息子がカルテル組織に惨殺されて、其れを映像で見せ付けられて、






その復讐の執念から部下達に疑心暗鬼を起こさせてしまい殺人劇に至るんだね。固い結束のはずの捜査官チームなんだけど瓦解するのが早いね。

シュアルッツネッガーも歳を喰ったねえ。もう、ほとんどアクションは無理で庇いまくっての撮影に終始してるよ。

こんなので『ターミネーター』を再度、遣るって向こう見ずだね。大方、ロボットのシーンで賄うんだろうかね? 






スゥイッチョン、スゥイッチョンって、歩くロボットは歳喰わんからね。

























カメレオンの独り言-1450 『あと1センチのウンコ』  「クッサイ題名つけるなっ」

2015年07月20日 | 日記







 2015年7月20日







昨日、風呂に浸かった後、鏡の前で頭髪整えてたんだけど髪の毛立てたら禿が消えるね。「気にしてんかえ?」 いやいや、雰囲気が変わるね。

耳ぐらいまでの下を刈り上げふうにしてだね、頭髪を縦気味に整えて貰えば、また、若返って格好いいんじゃないか? 

着流しの池部良みたいになるで。ちょっと、奥さんの手鏡拝借して横顔見たら、う~ん、いいんじゃないのお~。またまた、モテるでえ~。






今度、散髪屋さんに行って整えて貰おうかなあ。そして、世の女性たちを痺れさせてあげようか。「おまえって、ホンマに幸せやね」 

ダイレクトメールを配達するバイトをされてんだね? 年の頃は30代前半かね? 嬉しそうな笑顔が綺麗で性格の良さそうな女性(ひと)なんだけど、

来ると、必ず、顔を覗かせて恥ずかしそうに挨拶されるから二言三言言葉を交わすんだけど、オレが席を立って姿がないと戻るまで待たれてるんだよ。






で、戻ってきたら嬉しそうにはにかむように話されるんだよ。「それがどうした?」 最初、顔が合ったときにオレが笑って会釈したんだよ。

それからなんだよ、制服姿なんだけど背が高くて脚の長い女性だよ、お洒落したら、相当、目を引くんじゃないかね?

「何処かの奥さんだろ?」 そうだろうね。その女性(ひと)は、ひとつの喩えなんだけど、皆さんが揃って嬉しそうに反応する姿を見てるとね、






オレはね、自分が意図せずながらに誰彼なしに心地よさを振り撒いてんじゃないかなって思うんだよ。幸せ感かなあ? そんなのを感じるんだよ。

強面のあんちゃんふうの人たちでも、オレが接すると、嬉しそうに丁寧に挨拶されて帰られるよ。来た時と、全然、雰囲気変わってるの。

それはね、一旦、行かれてから些細なことを、わざわざ、また戻って来て断りされるんだね、其の時に、其の人たちの心地よさの余韻を感じるんだね。






一言で云えばだね、誰も彼もが自ら武装解除されるんだね。なんか「オレだけスイス人か?」って思ってしまうよ。誰一人、粗末に扱える人など居ないよ。





















昼過ぎ、ちょっと自転車走らせツタヤへ行く。なんかあるかいなって新作の棚の前、おっ『アメリカン・スナイパー』が出てるよっ。

沢山並んでるのに数本しか残ってない、サッと抜き取り確保。ほっ。「なんやねん、大層な奴やね」 放っとけ。

見れそうなのが、あと2本有ったけど残ってないよ。仕方ない、『あと1センチの恋』 「なんでそんなん借りるねん?」 なんとはなしに。






新作を借りて数を埋めんとあとを探すのが大変なんだよ。『サボタージュ』 なんでもいいから無いかいね? ウンコしたくなってきたよ。

動いたら屁が出そう。隣りで女性が探してる、オレが、そんなの我慢してるのを知らんだろうね。「知るかっ、くっさいおっさんやね」

内心とは裏腹にポーカーフェイスで、サッ、サッと抜き取って5枚揃った。「何借りてん?」 知らん。観てないやつだと思う、もう、なんでもええっ。






勘定済ませて自転車乗ったら収まったよ。ああ~苦しかったあ。映画の格好いい奴や女性でも、ポーカーフェィスで我慢してるときがあるんだぜ。

007がウンコってイメージ合わんなあ。うっふふふ、ざまあみろ。なんてうそぶきながら家とは逆向きに走ってる。「何処へいくねん?」

うっふふふ、ジャンボだよ、糞が出そうになって運がいい。タイヤに空気が入ってないよ、しくったなあ。なんか重いんだねえ。






汗かきかき遠路はるばる来たんだぜ、運の着いたの頂戴っ。帰って来たら汗の洪水だよ。もう少しで脱水症状だよ。夏場にうろつく奴の気が知れん。













『アメリカン・スナイパー』 『あと1センチの恋』 『サボタージュ』 『美女と野獣』 『復讐少女』








観れそうなのは、『アメリカン・スナイパー』だけだね。『サボタージュ』って筋肉馬鹿が寄り集まった身内でワッショイの馬鹿映画ではないかっ。

なんで、こんなの借りたんだ? 『美女と野獣』 しょうもない。『復讐の少女』 C級だね。『あと1センチの恋』 どうだろかねえ?

ウンコに急かれると、もう、ほとんど盲目(めくら)だね。脳味噌がトイレだけを欲して思考を遮断するね。糞っ。






冬は遠く去り、春も去りて梅雨も往き、来たれり夏の中に在る。春夏秋冬、奔れりは火の如し、動かざるは我れひとりなり。「駄文の山か?」 そう。

「もう、そろそろ、動いたらどうや?」 オレが動けば、世の女性たちが慌てて落ち着きを失うよ。「痴漢か?」 低俗な奴だね。

なにか胸の辺りがソワソワするんだよ。「いやだわ、この疼(うず)きはなにかしら?」ってね。「おまえが疼かせてんか?」 そうなるかねえ。






「其処の、いなせなおにいさん」 祭りの囃子が人のこころを高鳴らせるねえ、チキチンチキチン、チキチンチキチン、ドンドン・・・「おにいさんっ」

あっ、オ、オレですか・・・? 「なんでやねん、おっさんやろが?」 なんでもかんでも常識で測ってはいかんよ。

オレと同い年ほどのおばさんが、オレを摑まえて「おにいさん」って呼ぶんだぜ。それほど、オレって男は、相手を錯覚させるんだよ。






「お独り?」 ああ、独りです。なんと美しい女性であろうかっ、ぽっ。「またや」 藤純子みたい。「あぁらあ、こんないい男を、勿体無いねえ」 

少し見上げる流し目が色っぽいよ、緋牡丹お竜みたい。「おにいさん、着物が似合うわねぇ」 よ、よく、云われます。「黙ってろ、アホッ」

チキチンチキチン、チキチンチキチン、ドンドン、チキチンチキチン、チキチンチキチン、ドンドン、「戦慄(わなな)いてんか?」 た、倒れそお~。



















あ、あ、汗ビッショリだよ。あんまり汗かくと浴衣が濡れて張りを失うじゃないかっ。肩から張り出す線が消えちゃうよ。「おまえは着付け師か?」

藤純子は、涼しい横顔見せて扇子を泳がせるように煽いでる。浴衣の襟ぐりから綺麗な首筋。うっとり。オレの落ち着くのを待ってくれてるみたい。

暑くないですか? 「暑いわっアホ」 笑われたよ、顔を逸らして笑ってるよ。「おにいさん、あたしも独り、一緒にいいかしら?」 はい、どうぞ。






「もう、おまえは喋るなっ、なにが、はい、どうぞやねん」 そ、そうだね、ああ、いいですよ。「言い直すなっアホッ」 全身、恥ずかしくて熱噴いてるよ。

チキチンチキチン、チキチンチキチン、ドンドン、チキチンチキチン、チキチンチキチン、ドンドン・・・な、なんか、や、矢鱈、喧(やかま)しいなっ。

「藤純子は、満足そうだから、もう、黙って歩いてろっ」 ああ~暑うう~。屋台に囲まれた道を人が流れて往くよ。ちょっと、落ち着いてきたよ。






屋台の明かりに照らされた石畳を綺麗なお姉さんと肩を並べて歩いたよ。「黙ってたら絵になるんじゃないか?」 そうかあ?

「高倉健のつもりになれ、あの男は喋らんだろ?」 気を使うから喋るんだよ。 ト、トイレ大丈夫ですか? 「バッカかあ、台無しじゃないかっ」

おまえね、映画は、エエとこ取りで繋がってんだよ。実際は、いい雰囲気で歩いてんのにカックンって捻挫もどきになったり、これ、なんか格好悪いっ。






草履のケツ踏まれてコケそうになったり、前に詰まって後ろから押されて、よよっよお~って流されることもあるんだよ。格好のつけようもないがな。

なかなか映画のようにはいかんねえ。そこへもってきて用意された台詞のようには喋れんよ。シナリオがないんだよ。

オレは、やっぱり、独りがいいよ。疲れ果てるよ。独りだったら苦もなく黙ってんのにねえ。「当たり前やないか、独りで喋るか」





















来年は、ホントに行くよ。浴衣姿に雪駄を履いて団扇片手に飄々と、祭囃子を背中に聞いて、人の流れに身を任せ花火の夜空を観に行くよ。



























カメレオンの独り言-1449 『独り芝居で「男」を演じる男』

2015年07月18日 | 日記







 2015年7月18日







深夜、台風11号が本州に上陸するね。四国から中国地方か、其の辺りでぐっと東に曲がって日本海沿いを北上するらしい。

歩道や公園の木々が早くから枝をクネクネ葉っぱをざわめかせて踊っておるよ。

京都祇園祭は、宵宮、本宮ともに諸に影響を受ける。さぞかし残念なことだろうね。





発生から現在、室戸沖までのコースに勢力を弱める陸地がないからストレートだね。深夜から明日の午前中にかけてが山かね?

テレビのニュースでは、各地の暴風雨の状況が映ってるけど、現在、16日午後11時49分、進路に近い大阪は静かなもんだよ。

時折、風の音が聞こえるけど雨もパラパラだね、嵐の前の静けさってやつかね? 





今日は、早目に寝よう。明日、目覚めれば暴れ狂ってるやも知れん。どんなんやねんやろっ? 「期待してんか?」

深夜に何度も起きて外の様子を窺がったけど雨が降ってるだけだったね。風の音など聞かぬままに朝が来た。

テレビを点けると警報のテロップが流れてて各地の荒れ模様を映してるね。で、我が大阪は平常だね、なんなの? 





台風は、地図の在所の右側に来るやつより左側から来るほうが怖いって、いつも聞いてんだけど、どういうことなの? ずっと平常のままだよ?























帰って来て風呂入ってぼ~としてたら、もうあかん、布団出してぶっ倒れて2時間死んでた。ああ~よく死んだあ~。「おまえはゾンビか?」

深夜、何度も起きて台風の様子を窺がってたから睡眠が足ってないんだよ。

京都の祇園祭も、雨の中、決行したらしいね。傘の行列が道路を埋める中、鉾もカッパ着て街ん中巡行してるよ。





なんにも話のネタが浮かばないからぼ~としてる。今日は、眠くならないね。「今まで寝とったやないか」 あっ、そうだったね。

ああ、そうだ、此の前、雑誌の表紙になりそうな高3の娘さんが、「★★ちゃん」 おう、どうした? 

「今日、誕生日です」 ああ、そう、それは、おめでとうさん。幾つになったの? 「18です」 そうか、番茶も出花で、一番、いいとこだよ。





人生が薔薇色に見える年頃だよ。いい人生を生きんとなあ、彼氏とは、上手くいってるか? 「はい」 照れて笑ってるよ。

某私立大学付属の高3の女の子と同い年だね。いつだったかなあ? 此の子が中3の頃だったかな? 

購入したてのコンデジのビデオで、珍しく積もった雪景色を撮ってたら、学校帰り、画面に入って来て笑ってピースしてんの。





でも、オレが構えたままだから「あれえ?」って、してるから、今、ビデオで撮ってんだぞ。「いやや~ん」って、逃げてんだけど、もう遅い。

再生して観たら、改めて、この子は女優になれるねえって思ったよ。上品なお嬢さんって子だね。

ついでに、コンデジのサイバーショットは、綺麗に撮れるって、よく解ったよ。これだけ綺麗に写ればビデオカメラは要らんね。





そういえば、このサイバーショットで一番よく撮ったのは彼女だね。「★★ちゃん、変態」って、よく言われたよ。愉しかったね。
























此の子達の年頃が、人生で一番、愉しいときなんだろうね。オレは、このくらいの頃は、群れるのが嫌いだったから独り遊びと仕事で明け暮れてたね。

彼女や彼氏やなんて、もっと後だったね。釣りほどオモロイものはなかったからね。

いい歳なってから、オレの知らない世界を彼女が教えてくれたよ。オレの遅まきながらの青春時代の象徴みたいな娘(こ)だよ。






彼女の行動をああだこうだと云うのは、オレの気ままだね。なんでも笑って見守ってやるのがオレの為すべき姿勢だろうね。「悟ったのか?」

教えてもらい、気付かせてもらい、付き合ってもらい、贅沢が過ぎるね。「よおお、解ってるやないの」 人は、幾つになっても解っていくもんさ。

つまるところ、人は、まず、感謝を先に知ることだろうね。そうすれば、文句は頭を凹ますよ。「遅まきながら、少し、成長したんではないか?」






後退するよりはいいだろ? 「そうさ、人間は、前へ進むもんだよ、見えない前を見て成長するもんだよ、文句ばかりが先立つのは前を見ないからだよ」

オレはね、彼女の存在の有り難味は、それに気付かせてくれるんだね、気付くまで待ってくれてるようにも思えるんだよ。

何からかにから、いいようにとって好きだと盲目(めくら)になるほどボケてはいないけどね、若さの勢いってのは抗しがたいものがあるからね。






まあ、オレの文句は、勝手な嫉妬もあるけどね、彼女の身を心配するからがほとんどだよ。「嫉妬するの?」 するよ、糞野郎ども許さんっ。

























あの子の真意は博愛だろうと思うよ。身を削ってんじゃないかねえ? 自分を置き去りに粗末にしてんじゃないかねえ? そんなのを感じるんだよ。

人好きってのはあるんだろうけど、やたらと人に寄り往くのは賑やかそうだけど、なにかの裏返しがそうさせるのかも知れん。

そういう人は、自分の存在を人によって確かめるってところがある。それでいて、自分で、それに気付かないってこともあるからね。






もし、そうなら、オレが居るよ。「云うねえ」 云うよ。今は、何もしてやれないから、そう思ってるだけだよ。

「そうじゃなかったら?」 あの娘(こ)の人生だよ。幸せになればそれでいい。好きだから何ごとも気になる。幸せなら気にせずとも安心だよ。

男と女なんて掃いて捨てるほど切が無い、知らぬから気にもとめないし、とめてもいられない。嫉妬ってのは、その人に真剣だから湧き起こる感情だろうね。






熱いと冷たいは隣同士の感情だよ。跨げばいとも容易く成り代る。そこ儚い想いがもたらす情で男と女は繋がってんだよ。つまり当てにならないの。

そんなのを抜いても寄り添ってやれる男になれるものなら成りたいね。映画の高倉健だね。「憧れか?」 本来、本当の男は、そうあるべきだよ。

「高倉健は、嫉妬しないぞ」 馬鹿だね、嫉妬せんような奴は感情が破綻してんだよ。その処し方を試されるんだろうね。






高倉健は、湧き上がる切なさ苦しさの人情押し殺し呑み込んで、義理が重たい男の道をドス(刀)を逆手に往くんだよ。人は、それに酔うんだよ。

できる我慢は我慢じゃない、できぬ我慢をしてこそ我慢と云うんだよ。 チャラチャラ野郎ども、其処をどきやがれっ。「なりきってるね?」

軟(やわ)さも弱さも人の心に棲みついて如何ともし難いけれど、人に勝てずとも己れに克てぬ奴にはなりたくない。「よっ、日本一っ」 ありがとう。

























何にも話のネタが浮かんで来ないときは、映画の話しで逃げるかするんだけど、今、見る時間もなければ見たい映画も無い。

昔、胸躍った映画を思い出そうかと想うんだけど、いまいち書きたい気になれん。

で、また、彼女のことを書いてしまったよ。「おまえも意志力が弱いねえ」 最近ね、ふっと、彼女のことを考えることが多いんだよ。






台風一過、薄曇りを晴らして日差しが厳しくなったよ。梅雨明けを知らせるように一斉に蝉が鳴き出した。蝉が鳴くと梅雨明けって云うね。

夏本番、子供たちが朝からウロウロしてる。今日から夏休みだね。




























カメレオンの独り言-1448 『価値観の相違かも知れんね』

2015年07月17日 | 日記







 2015年7月17日







宵宮、本宮、有って残りの宮をなんて云うんかね? 出てこんね、まあいいか。日本三大祭だから二日から三日で終るのは勿体無いなあって

毎年思ってたんだけど、京都祇園祭は、7月に入ったら27日頃まで祭りらしい雰囲気が街ん中を賑わすらしいね。

年配の旅行好きなおじさんが詳しく教えてくれたよ。まあ、本宮までが本番って感じで街中が活気に溢れていいよって云ってたね。






そうか、来年は口だけじゃなしに実際に行ってみたいね。何処か料理屋さんに入って美味いもの食って、ほろ酔いで四条河原町通りを歩きたいね。

京都は浴衣が似合うだろうね、頭が禿げるまでに、一丁、格好いいとこ見せたろか。「着物着たことあんのか?」 あるよ。

「浴衣は?」 浴衣はないね、将棋の駒の大きな絵柄の浴衣を持ってるけど着たことないね。「似合うか?」 馬鹿め、似合うって云われたんだよ。






「誰に?」 オレを振った女の子にね。綺麗な人だったよ。妖艶って感じの女性でね、何処の境内だったかな? 先往くオレのうしろ姿を見ながら

「お兄さんは、きっと着物が似合いそう」ってね、ざまあ見ろ。「お兄さんっておまえか?」 そうだよ。遠い昔の話だね。

独りでのんびり京都をうろつくんだよ。いいだろうね。親父は、角帯の貝の口結びを、後ろ手で簡単に結ぶんだよ、ピシッて極まってたね。






男の着物の着付けは、そんな親父のを見て育ったから、何処がポイントか知らず知らずのうちに覚えてるよ。





















「★★ちゃん、髪の毛切ったあ?」 ああ、昨日、なんか暑苦しいから自分でちょっと切ったよ。「へええ、自分でようすんのん」 

上手いもんだぜ。天然パーマだからね、ちょっとぐらい切りそこなっても解らんわ。「切ったらあかんやん」 なんで? 「禿が目立ってるやんか」 

ええがな、もう、そんな歳だよ、誰も見とらんわ。「見てるで」 上から見んな。おませな女の子の連れが余計なお世話云って笑ってるよ、





















終業間際 「煙草の匂いがする」 彼女が覗いてるよ。今日は遅めだね。誰それが、しつこくモーションかけてくるって云ってる。

喜んでるのか困ってるのか、彼女の真意が解らんから通り一遍のことしか云えないよ。モーションかけられて悪い気はしないからね。

同じようなことを遣るものは、同じように遣られるんだよ。人の行いは種蒔きだよ、種は芽を吹き我が身に戻って来るんだよ。






ニコニコ食事に付き合って愛想良くすれば相手はその気になるよ。その道の百戦錬磨だからオレより詳しいんだろうけどね? 

人と人の付き合いってのは尾を引くほどの揉め事は起きにくい。互いに礼儀の線で守りあってるんだろうね。

男と女の付き合いは気をつけないと一方通行になったら高速道路の逆走と同じだよ。どちらも大きな怪我をする。世の習いだよ。






そんな積りじゃなかった奴が殺されてる。付き合って怪我する奴はどちらにも落ち度があるんだよ。運に守られてる間が華だよ。

誰彼なしに好かれようなんて思うな、好かれようとすると隙ができるんだよ。売り捌きたい商品は値が下がる、価値ある商品は上がっても下がらない。

こんなの云ったら怒りよるだろうけど、あとで反芻して考えれば解る娘(こ)だから、彼女を思って云ってやりたいけど話す時間がない。






オレより、相当しっかりしてると思うね。だから、気をつけねばいかんってことを解ってるかなあ? 強い奴と弱い奴、隙ができるのは強い奴なんだよ。





















しかし、昔から思ってんだけど、彼女は、なんで、オレに男の話をするんだろうかね? ハッキリ云って聞きたくも知りたくもないよ。

人の心情を読み取るのは鋭敏そうに見えるんだけどねえ? 付き合ってる男を連れてきたり目の先でいちゃついたり、其の方面の変態か? 訳解らんよ。

今日の話も、それと似たような思いで云ったのかなあ? 今時、純な話は通らんらしいから、オレには、なんでかさっぱり解らんよ。






解るのは、ひ弱なところを奥深く隠すがために強そうに見せるってのが一般的だね。「じゃあ、おまえみたいに弱そうな奴は?」 ホントに弱いんだよ。

「そうして、ホントに弱いって云ってる奴は?」 弱いって正直に云って庇ってもらう算段を働かす奴だよ。「髪結い亭主か」 そう。

「おまえは、髪結い亭主か?」 憧れだね。でもね、こればっかしは、なりたいからなれるもんでもないみたいだよ。「才能か?」 かも知れん。






なにも解らんのに憶測でしかないことで彼女のことは話したくないんだけど、なんか不快な話が頭にこびりついて、他にネタが浮いてこない。迷惑な話だよ。

何も云わずとも傍らに居てくれれば、それでいい。元気が出るんだよ。やる気が湧いてくるんだよ。

誰よりも自分の有り様は、よく解ってる。それ以上は、何も望まない。己を律する力は誰にも負けない。「それはおまえの問題だろ?」 そうだよ。






「おまえは、彼女の側から考えたことがあるか?」 彼女の側から? 「そうだよ、彼女の心を考えたことがあるか?」 あるよ。「云ってみろ」 





















云えないよ。「なんで?」 云えないんだよ。「どうして云えない?」 考えても、考えても解らんのだよ。そして解らんままでいいって思ったの。

「解らんままでいいのか?」 彼女が、ずっと会いに来るのは、「(学校)帰りのついでやん」って、云う彼女の言葉通りに思ってる。

其れ以上、考えても、今のオレが、彼女にしてあげられることが何もないからだろうね。何度、来るなと云っても来る。






考えても解らないままの彼女の心に返せるのは、彼女の気侭ともとれる行動に黙って耐えることだと思ったんだよ。オレの誠心誠意だよ。

そして、彼女は大人になり、オレは爺になった。苦しいことばかりだったけど、オレは、幸せもんだなって思えなくもない。

彼女の想いを、都合よくいいほうにとれば、こんなのは、ちょっと無いと思うよ。純愛だよ。






「思いが外れて悪ければ?」 前世で彼女を泣かせることをしたのかも知らん。報いだろうね。

人間は、遣りたい放題で死んだら、はい、終わりとはいかんもんなんだろうと思うよ。そう思えば、記憶には無くとも魂が納得してんだろうね。

いずれにしても、近所の娘さんってだけじゃない縁が作用してんだろうね。そうとしか思えん成り行きだよ。





















書かないって思ってんのに書いちまったね。まあ、いいか、なにかしらの作用に振り回されて気がついたら爺になっていたいうお話しでした。































カメレオンの独り言-1447 『60数億人分の訳解らん一人』

2015年07月15日 | 日記







 2015年7月15日







オレは、ネットの中を大阪の懐かしい写真がないか探し歩くことが多いね。自分が知ってるところに重点置くから偏るけどね。

無いんだねえ、検索も、あの手この手と思い浮かぶ関連性のある事柄を打つんだけれども無いね。

大阪南区(中央区)東区(中央区)北区なんて隈なく探してるけど、既に探し得た写真ばかりが並んでる。






そこで思ったんだけど、意外と他府県の人が所有して眠らせてる写真のなかにごまんと有るんじゃなかろうかね?

土地の人が溜め込む量も馬鹿には出来ないけど、観光などで訪れて写真を撮る量なんて凄いものがあると思うよ。

其の頃、若かった人たちは、もう、いい歳になられてるだろうね。パソコンに馴染まれてる人も居られれば、全く、使わない人も多いからね。






難波の界隈のピントの合った写真を何枚か勝手にお借りして貼ってるけど、この撮影者の方は、最近亡くなられたみたいで、

息子さんが父を偲んで写真をネットに放出されてんだね。お父さんは写真家の趣きで懐かしい光景を隈なく捉えておられるね。

世に出るか出ないかは、当人殿、または、そのご家族の中から気付いて放出して頂くのを待つしかないね。なるべく早目に気付いてね。「なんでや?」






オレも、そう長くは待てん歳だよ。オレがくたばってからでは遅いんだよ。「そんなこと知るかっ」 だろうね。





















しかし、このブログを想うところ、世の人々の行動はグローバルに展開してんのに、狭い世間の中だけで、ようも話が続いて持ったもんだね。

「自分で思うか?」 早くから思ってるよ。「情け無いのお」 そうか? 

人はね、自分の置かれた立場に従った行動をされておるんだよ。洋々の流れだよ。自分を忘れて思いが先立つ流れなんだろうね。






洋々の流れってのはね、自分に拘らなくても大きく包容されて能力のみで邁進できる作用があるんだろうね?

良く言えばひとつ先へ進化した人たちかも知れない。我が脚で歩き進む者と、なにかしら乗り物利用で進む者との違いだね。

その立場から退いて我が身に戻って、改めて自分自身を振り返ることもあるだろうけど、大きな視野で捉えて肥やしになったものが迷いを救うんだろうね。






本来、人間は、大きく目を見開いて視界を広げて、其の中に身を置くことを目指さねばならんもんだと思うよ。

アメリカのグラウンド・キャニオンなんか、よく云うね、其の地に立てば人生観が変わるってね。別に此処に拘ることはないけどね。

足元で云えば、家ん中でモコモコと考え込んで壁を睨んでいても道は拓かない、ちょっと出かけて視野の利く丘でも登れば気分が変わって救われる。






転換の作用だよ。切替えの利かぬ悩みも広大な景色は、黙って、其れを分かつように呑んでくれるんだね。おのずと感謝の思いが湧くというもんだよ。





















ありがたいって思う気持ちは、人の心を素直にさせてくれるよ。大きく羽ばたく人たちは、感謝の意を多く持たれて生きているんじゃないかねえ?

「穴倉に篭ってるおまえが、何故、解ったようなことが云える?」 逆転の発想だよ、無いから見えるんだよ。

見えるものだけを見ていては、何も生まれないよ。答えはね、見えぬところに在るものさ。






哀しいのはね、見えているのに見えない愚かだね。ここまで堕ちてはいけない。「おまえは、そういうのはないか?」 ないこともない。「正直だね」

人間は神さんじゃないよ。世界中に、ゴマ屑みたいに蒔かれて、それぞれが生きてる。遠望する視覚的には足元に這い群がる蟻と似たようなもんさ。

蟻と違うのは、感情を有し知能を有し思考できる能力を持ち、宇宙にも似たこころで己はもとより人をも支える力有る生きものだということだよ。






宛がわれて持てるものを活かすのが人間の務めだよ。オレが、必死に駄文を書き続けるのは、ただ生きて死んだでは可哀想だからだよ。

悪くすれば、其の上、恥を残して可哀想なんてことになるかも知れないけどね。その際は、どうでもええわいっ、なんて知らん顔だよ。「なんやねん」

「もっと、真面目に生きろよ」 真面目に生き過ぎて還らぬ時間を捨てて来た。これからは、想いで時間を取り戻す、其れがオレの目標だよ。






そうだね、60数億人分の訳解らん一人、それがオレだよ。「珍しい表現だね」 規模がデカイだろ? 「うん、なんとはなしにね」























錯乱、狂乱、撹乱なんてのが当て嵌まるのかねえ? 8人の子沢山に恵まれて、親子仲良く遊ぶ姿も近所の人たちが目にしてる。

新聞やニュースは、事件が起こった時点の経緯を原因のように報道するね。

其れも事実なんだろうけど、其処へ行くまでの導火線が燃え走る火の種が、ホントの原因だろうね。






出かける主人を見送らなかったから逆上して石油を撒いて火を点ける。滅多にないことをした男だね。

我が子が二階で寝ている、階下を火の海にしたらどうなるか、ヤケクソを通り越した逆上だね。「おれが悪かったあ~」って叫んでたらしい。

4人の子が焼死したんだね。可哀想を通り越してるよ。取調べで「妻が構ってくれなかったから寂しかった」なんて云ってるよ。






8人の子を育てるってのは大変なことだよ。奥さんは、お母さんで疲れ切って妻の役まで手が回らなかったんだよ。

うちなんか、一人息子育てるだけで疲れきって、さも大層な重労働で一人苦しんでるような尤もらしい台詞を連発してのうのうとしておるよ。

仕事に出るのも帰って来るのも知らん顔だよ。こんなのだったら、おまえは石油では済まんぞ。自衛隊から爆弾持ち帰り破裂させるだろうね。






そして「おまえが悪いんだあ~」って叫ぶだろうね。事情知ってるオレだから、うん、一理あるって賛同するかもね。「なんちゅう奴や」























「おまえの奥さんはホントにそんななのか?」 話して通じる人と通じない人って居るだろ? 解釈回路が違うんだろうね。

それは、どちらが善いのか悪いのかじゃなくて、互いが疎通しない哀しさだよ。それは、奥さんも感じてるみたいだよ。

「解り合おうって努力するだろ?」 するよ。したら喧嘩だよ。しんどいの。それ以上の努力ってのは、愛情があればの話だろうね。






「ないのか?」 ないよ。「ないよって、おまえ」 何処かへ落として失くしたのかね? 長い生活の行程に於ける感謝は失ってないよ。

オレは自分には嘘がつけないから感謝で一緒に居るようなもんだよ。恩は返したい。気侭にゆっくりと生かしてやりたい。男の責任だよ。

オレは、惰性の一生は納得出来ない。自分のことは自分で処して独りで生きて往く。オレもオレなりに気侭に生きていきたい。






「できるかあ?」 解らん、人間なんてのはね、明日は解らないもんさ。こう在りたいと執念で思えば、ことは、それに倣って動くもんだよ。

「そんな夢みたいなこと当てにできるの?」 おまえね、おまえもオレも、もう、何年人間してる? 「そういえば、おまえの客観視してから長いねえ~」 

遡って考えてみろ、執念岩をも通すを否定できるか? もう、明日がないって泣く状況になっても、結果的には笑って生きておるではないか。





















それはね、諦めなかったからだよ。自分を信じる力だよ。明日を信じる力だよ。来るなら来いって覚悟だよ。

なにも、オレを格好良く云ってる訳じゃないよ。身が震えるほどの怖さの中で拳を噛んで、もう、なにもしたくないって全てを拒絶したこともある。

幸いしたのは、オレは谷底落ちるような最悪に置かれても、一晩寝て起きたら忘れてんだよ。「アホか?」 これはオレも解らない。根が明るいのかね?






事実だから仕方ない。それは、兎も角、無様で情けなくとも自分をムチ打って背筋を伸ばして生きて来ただろう? それだよ。

生き抜くってのは、そういうことだよ。終ってないんだよ、オレの人生は、まだまだ山あり谷ありだよ。とことん来やがれ、笑い飛ばして越えてやる。

その向こうにはだね、青々とした草原がオレを待ってんだよ。「死ぬんか?」 馬鹿かあ? 最高の時ではないかっ、感動の時ではないかっ。






「生きてるかあ?」 死ぬんか、生きてるかって、そんなもん神さんに聞いて来いっ、オレの知ったことか。 

「戦士の休息」って映画があったろ? 道半ばでくたばったら、そう、思えばいい、生き抜いたに変わりはないよ。

彼の世で、優しいおねえちゃんに抱かれて、ゆっくり眠るよ。「それもええみたいやね」 ええぞお~透けたネグリジェ姿で抱いて寝かせてくれるんだぞお~。






と、まあ、真面目な話しで、今日は終っておこう。「何処が真面目やねん?」 































カメレオンの独り言-1446 『想いの外側を人は往き交うもんなんだね』

2015年07月13日 | 日記







 2015年7月13日







オレは、お気に入りのI-ODATA27型のモニターに拡大125%のフォントで口から出任せで駄文を書いてるんだけど、

オレの思うにね、これでいいのかねって思う時があるんだよ。「なんでや?」 一般に使われてるモニターサイズって10~24型が多いんじゃないの?

オレのモニターに映ってるように、そのまま映ってんだろうかね? 「当然だろが、それぞれ縮小されて映ってんだろ?」






一行70文字程度を限度に収めてんだけど、皆さんの画面でも一行に納まってるのかなあ? なんてことを考えるんだね。

もし、収まってるとしたら、それはとんでもなく小さな字になってんだろうね? それに表示機能がそれぞれ違うだろ?

オレのI-ODATA27型のモニターは、2560☓1440って、デカイんだね。その辺は関係ないのかね? 「俺もよう解らんわ」






通常は、Googlebot Bingbot Internet Explorer3~ 11.x Chrome Firefox Safari Opera Baidu  Yahoo!  Slurp  Lunascape kizazi 等から
 
見て頂くんだけど、なんで今頃、また、気になるかってのはだね、最近、携帯で見てくださる方々がやたら増えてんだよ。

プラウザリストって表があって解るんだけど、Android iPhone/iPod docomo iPad EZweb SoftBank PlayStation 等で凄い数なんだよ。






此の方々たちは、字が見えるのかね? 拡大鏡で見てるのかね? ちっこい画面で苦しいんじゃないか? 「皆さん、若いから目がいいんじゃないか?」

おまえも、そう、思うか? 携帯使ってるから若い人たちかな? 若い人たちが、オレのを読むかあ? 「変わった人たちではないか?」

おまえも、そう、思うか? オレは、変わった人たち大歓迎だよ。ひとつ型に填まらない自由人だよ。「そうとは限らんぞ、呆れてるかも知れない」






おまえも、そう、思うか? なんでもええわ、人それぞれだからね。袖触れ合うも他生の縁だよ、『カメレオンの独り言』 暇なときには思い出してね。



















考えたら、何かの折でなければ素人の書いたブログなんかに行き当たらないだろうね。沢山の人が押し寄せて「カメレオンの独り言」の存在を知る。

「くだらん」と云う人も居れば「くだる」って云う人も居るかも知れない。「くだるって腹がくだったんかえ?」 こういう場合どう云うの?

「くだらなくもないって云うのかね?」 他のも見てみようかって思う人も居るかも知れない。ここで「くだらなくもない」って思ったら残るね。






ひとつの大きな機会だね。大量の人が覗いてくれるってことは顧客を増やす大きな機会だよ。波が引いて寂しくなるから要らんなんて贅沢だよ。

なんなら、もうひと山来てくれてもいいよ。テレビで「続・千日デパート」やってくれんかね? 「やるかっ」

また、書く意欲に繋がるよ。沢山の人が 『カメレオンの独り言』を知ってくれるから、尚、書きまくる、知りまくる、書きまくる、理想的な循環だね。






オレは、性格的には目立ちたくないんだね。だから、こじんまりとしたのが好みなんだけど、100~200の人に対して真剣に書くのも

1.000~2.000の人に対して書くのも一緒だからね、遣り甲斐が大きくなるというもんだよ。う~ん、欲を持たんといかんね。

なんなら10.000~20.000の人たちを相手にしても構わないよ。「大きく出たね」 何ごとも大きいほど面白いもんだよ。





















「目覚めたの?」 しかし、欲をかいたからって成るものでもない。時期が来たりなば、穏やかだった海面も俄かにざわめき出すものなのかも知れんよ。

「そして、みんな消えちゃって元に戻ったら?」 あまりにも現実的で夢がないねえ。そんなんオモロイか? 「萎えたおまえの姿がオモロイ」

オレをなめるなよ、オレは萎えても、すぐに復活するんだよ。チンポコと一緒だよ。男は、スケベである限りへこたれないんだよ。「ホンマあ?」






しかしながら、哀しいかな人は目的意識で動いてるからね、それに関連した内容を見つけて用を足したら次の目的に移行するのが大方なんだね。

「なにか面白いものはないか?」で彷徨ってる人たちではないからね。この辺が、大津波の当てにもスッポンにもならんとこだよ。

そういう意識もなくはない人も混ざってるだろうけど数からすれば一割にも満たないだろうね。そして、感性が合う合わぬかで、尚、数は落ちるからねえ。






なかなか、定着して頂く人集めってのは難しいものがあるね。だから、「読者が増える」なんて人寄せで誘ってるgooのボタンなんか触りもしないよ。




















オレはね、勝手な思いなんだけど、携帯を思うように扱う若者たちが、オレの書く駄文に目を通してくれてるとすれば、こんなに嬉しいことはない。

難しいことを云える能力は無いけどね、此の世を生きて往く上で、なにかしら得るところがあれば恥晒して書きまくった意義があるよ。

「この駄文で何を訴えてる?」 生きるということさ。ああ思え、こう思えなんて云う気は更々ない。其れは、読んだ人の選択の範疇だよ。






言葉かも知れない、思いかも知れない、ものの取りようかも知れない、ものごとの流れようかも知れない、あわよくば琴線に触れた部分かも知れない。

品を落した不完全な大阪弁もどきで話す駄文の中から、笑いとともにうがった部分を身に取り込んで貰えれば、これほど結構なことはない。

書くのは話すことだよ、書くのは駄弁ること、書くのは思いの活字を並べることさ、思いを込めて話して伝わらないはずがない。






「思いが伝わってなければ?」 オレの思い入れ不足と表現力の拙さだよ、そういうのが本当の腐った駄文だよ。オレは生きた駄文を書きたい。

ピチピチピチ跳ねまくる小魚だよ、新鮮魚だよ。いずれバンッバンッ跳ね繰り回す魚らしい魚に成長したる。オレの夢だよ。

文章なんて苦手も苦手、無能のままに手出ししたことがコワかったよ。何を間違ったかと後悔して沈没寸前だった。






人は、溺れたらしがみつくね、しがみつく物が無ければ、犬かき猫かき浮いたり沈んだり、浮かぶことに専念するね。そいで、今、なんとか浮いてるの。





















夏が来る。夏休みが来て、祭りだ、花火だ、盆踊りだとイベントが目白押しの季節だね。台風も来よる、集中豪雨も来よるやろ、賑やかな季節だね。

またカリカリ照って焦がしよるやろと思うと、おっさんの身からすると速やかに去って欲しいよ。

冬場の「寒い、寒い」は疲れない、夏場の「暑い、暑い」は云うだけで疲れる。汗でギラつく額に皺寄せて「暑い、暑い」と飽きずに云う日は其処まで来てる。






なのに、テレビのニュースでも外往く人は数減らず、あちらも此方も人だらけ、全然、堪(こた)えてないみたいだね。「暑う~ないのん?」






























カメレオンの独り言-1445 『アホラシヤの鐘は鳴り続ける』 千日デパート火災 其の3

2015年07月12日 | 日記







 2015年7月12日







前回の最後に貼った戎橋筋の写真に「エレファント・マン」って映画の垂れ幕が写ってるね。1980年(昭和55年)に公開された哀しい映画だね。

アフリカで妊娠中に象に襲われ恐怖のどん底味わった女性が、後、その恐怖の後遺症を腹の子に宿したのか生まれ出た子は普通じゃなかった。

人の2倍ほどの顔を持ちふた目と見れない形相の奇形児だったんだね。そんな粗筋を読んだ覚えがあるよ。






19世紀のイギリスが舞台らしい。時代が時代だから、そんな奇形は見世物にされたらしいんだね。

生まれつき奇形で醜悪な外見から 「エレファント・マン」として見世物小屋に立たされていた青年は、肥大した頭蓋骨は額から突き出し、

身体の至るところに腫瘍があり、歪んだ唇からは明瞭な発音はできず、歩行も杖が無ければ困難という悲惨な状態だったんだね。






ある日、彼を見世物小屋で見かけた外科医、フレデリック・トリーブス(アンソニー・ホプキンス)は、その青年に興味を覚え、

研究したいという理由で持ち主から引き取り、病院の屋根裏部屋で彼の様子を見ることにした。

白痴だと思われていた青年だったが、やがてトリーブスは青年が聖書を熱心に読み、芸術を愛する美しい心の持ち主だということに気付く。






白痴の方が楽だろうね、なまじ能力があることが大きな苦しみと悲しみの始まりだね。









 『エレファント・マン』









いろんな運命があるんだろうけど、こんなのは、ほんの一握りの運命なんだろうかね? 選ばれた人じゃないのかなあって思ったよ。

救いの無い過酷な人生から何を学ぶために此の世に出でたのかね? その辺に興味があったけど観ず終いだったね。

でも、世の中ってのは、そんな特異な人も居るってことを実際に知って愕然としたよ。






あれは、たしか阪急電車宝塚線だったと思う。何の用事だったか忘れたけど、宝塚方面の電車に揺られて夜だったね、

席は埋まって立ち客が多かった。オレは、ドアの横っちょでもたれて、ガラスに反射して車内が線路を走ってるのを眺めながら立ってたね。

やがて駅に到着してザワザワと降車する人たちが多かったね。オレは、身体をねじって車内の後方に吊られてるポスターに目をやってた。






ドアが閉まり電車が走り出すと、また、暗いガラスに明るく映る車内が線路の上を走るのを眺めてた。座席に腰掛ける人たちが線路の上を滑ってるよ。

前のドアの綴じ目にあたる隙間に人が立ってガラスが暗くなった。ふっと目を上げると、一瞬、我が目を疑ったね。

えええ~っと、心の中で大きな声を挙げたよ。まさしく、袋を脱いだエレファント・マンだったね。その人は、落ち着いて静かに立たれていたよ。






信じられないさまだったね。一瞬だね、すぐに目を逸らした。そいで、その人の視線を感じたんだね、オレは、極当たり前の顔して目を合わせたよ。

穏やかな涼しい眼をされてたね。それから、また、暗いガラスに目を移して、なんでもない顔して見えない景色を眺めていたよ。凄いことだねって思ったよ。

人間は中身だなって思い知ったね。此の人の落ち着きようは、自分の宿命を全て受け入れてこそなる姿勢だね。






脚が短いなんて云って凹んでる自分がアホラシヤの鐘が鳴る思いになったよ。「今も云うとるやないか」 やむことなく鐘は鳴り続けてんだよ。












『千日デパートの火災』 1972年(昭和47年)5月13日







ログインして編集欄を開いて吃驚したよ。オレのブログの最高記録を上回って、なんと66位になってるではないかいな。間違いか?

また、去年の夏の再来か、なんて思ったけど、待てよ、ひょっとしたら昨日のテレビの番組の影響か?

昨日、帰ったら「千日デパートの火災」を取上げた番組が流れてたね。すぐに終っちゃったけど1時間ほどやってたらしい。






その影響でネットで検索した人が多かったのか。そいで、オレんとこの「千日デパート」を書いたブログにも煽りが来て大津波が起きたんだね。

単なる一過性だね。どーんと来るのはいいんだけど、あっさり引かれると余計な寂しさを味わうよ。

冷やかしのお客で満席なって長蛇の行列できて、次の日は閑散とする。閑散とした日常に慣れてんのに、其れを改めて思い知らされる感じだよ。






店に陳列された品物は他に沢山あるのに、世に騒がれた品だけに寄って集って見たら消えちゃうの。其れは、失礼だろ?

だから、なるべく見ないよう、意識しないでおこうと思ってんだけど、ログインすると画面の真ん中にどんと表示されてんだね。

馴染みの桁数字が並んでる場合は流せるんだけど桁が上がると目を引くよ。まあ、いいか、スポーツ界などは、この記録にしのぎを削ってんだからね。



















其の意味合いでは66位ってのは最高記録ではあるね。ありがとうございました。「いつもはどの位や?」 平均4000位前後だよ。









服を着替えながら観ていたんだけど火事ってのは火も怖いけど、其れよりも早く襲い来る煙が怖さの本命かも知れないね。

「千日デパートの火災」については、実際に近くまで走って野次馬にもなったし、煙の煽りも喰らったし、

幼い頃から毎度、来店して遊び場にもしてた馴染み深い付き合いでもあった。






流れるフィルムを観てるとデパート前は意外と見物人が多かったんだね。オレの入った通りが煙の通り道になったのかなあ?

オレは、昔から何ごとにもガツガツしたところがないからね、こらあ、あかんってあっさり引き上げた。

「大物にはなれんな」 なにかえ、大物は、皆、ガツガツと浅ましいんかえ? 「そういう意味ではないけどね」






食卓に着いてじっくり観ようとしたら奥さんが野球に変えよった。一言、変えるよって云ってから変えろよ、ホンマア。

「千日デパートは、もう終わったがな」 嘘つけ、リモコン貰ってチャンネル戻そうとしても出て来ない。何チャンやったっ?

「終ったがな」 ああ、ホントに終ってるね。スカベみたいな終わりだね。そんなら風呂に入ってから飯喰うよって、腕立て伏せを70回。 












『ダーティ・ハリー』1972年(昭和47年)公開 以下、千日デパート火災の年に公開された洋画 「へえ~そうだったかなあって思うね」







疲れてんのに、オレもよく遣るね、「ぜえぜえ云わんな?」 鼻呼吸でやれば息切れせんよ。

なんじゃ、こんなもんっ100までいったろかい。「馬鹿やで」 今日はシャワーで身体洗って早めに出んとブログ書かねばならん日だからね。

夕食頂きながらふっと思ったよ。換気口やシャッターの隙間、エレベーターのドアの隙間などから猛煙がキャバレーホールに流れ込んでパニックになった。






視界は涙に溢れ、鼻は煙で痛いわ、喉はきりきりと腫れるように痛むわ、呼吸は苦しいわ、煙の濃度は増すばかりで恐怖に尻は煽られる。

冷静に考えるなんて無理だね。煙のある処には火があるんだけど、火は、達してないんだね。煙は先走りして逃げる人の脚をとる。

不思議と非常設備は、平常慣れして非常には役に立たない。起こるか起こらないかと云えば起こらないほうが確率は高い。






平常時には、役にたたない非常設備は邪魔になったり雰囲気壊したり金だけかかる。真面目に真剣に訓練する奴は臆病者の謗(そし)りを受ける。

「消防署が怒ってきよるぞ」 担架に乗せられて殺し笑い。運ぶ奴等も殺し笑い。なんか気恥ずかしい。

真面目なのは消防隊員だけ、それで飯喰ってる。非常時の中で生きる人、平常の中で生きる人、実感が伴わないから此の差は埋め難い。














『フレンチ・コネクション』1972年(昭和47年)公開







消防非常設備を緊急時にまごつかずに、其の能力を使いこなすには、その操作に手馴れた人が居て設備に不良が無いことが求められる。

でも、ことが起こると、そのどちらか、もしくはどちらも機能しないことが多いね。

平常が非常に転がって状況が状況だから、まず、人間が平常じゃなくなる。訓練見てると何処もかしこも見渡す限りに明るいね。






停電ってのを絶対条件に訓練すべきだよ。「危険だから」なんて指導する者が怖がってる。会社での訓練なんか全フロア、階段消灯を原則にすべしだよ。

其処を怪我なく無駄なく素早く地上階に下りる、これが現状に即した訓練だよ。そのための非常灯設置の必要性を身体が覚えるんだよ。

笑う奴も少なくなって真剣さが増すよ。「暗闇に乗じて痴漢が出るかも知れん」 身を守るために階段から蹴り落せ。死んでも無罪だよ。「ホンマかよ?」






そんな不埒(ふらち)な奴を排除する効果もある。そんな奴を飼ってる会社も名誉を守れるよ。「乱暴だろ?」 乱暴なのは痴漢だよ。

なんでもいいけど、ふっと思ったことに届かないね。「おまえの話は拡散するからだよ」

「なんで消防訓練から痴漢が出るんだよ」 おまえが云ったんじゃないか、だから、オレが対処法と効果の程を述べたんだよ。






オレの思うには、玄人でなければ使いこなせない設備ばかりじゃなく、非常BOXなんてのを各階段ドア、非常ドア、エレベーター扉の脇に設置する。













『死刑台のエレベーター』1972年(昭和47年)公開 『死刑台のメロディ』だね。「勝手に題名変えるな」 思い違いだよ、訂正してんだろうが。








換気口の周辺には、脚立も入る非常BOXを設置する。四角い箱って意識に捉われるな。其処に在っても邪魔ならず親しめるデザインを考えろ。

その中には、まず、幅広の布ガムテープを5個、ナイロン(風呂敷程度の大きさ)5枚、安モンの水中眼鏡、タオルを常備しておく。

そして照明だね、これは懐中電灯は在っても電池切れが常套だから、名前が出てこないね、ポキッって折ったら光り輝く奴があるね、それも太い奴。






其れを各BOXに複数個配備する。ポキッって折るだけで照明が確保できる。誰でも使えるね。交換は、消防定期点検時には絶対条件にすればいい。

眼鏡、タオルの数量については、そのフロアを常時利用する頭数から弾き出すんだね。出来れば水道蛇口の設備が望ましい。「箱の中にか?」 そう。

上から下へ開けた蓋がブリキの受け皿になってる。このぐらいのアイデアなんか子供でも考え出すぞ。タオルを濡らして口に当てるんだよ。






安もんの水中眼鏡を濡らして填める。煙が噴出したら手分けしてガムテープで隙間を埋める。梱包経験者なんかが手際よく遣るだろうね。

換気口には、ナイロンをテープで、まず、十字に貼り付けてから四方八方テープで隙間を塞ぐ。エレベーターの扉の隙間もシャッターの隙間も塞ぐ。

ガムテープ使い放題だよ。あちら此方でチュ~ン、ビッ、、チュ~ン、ビッ、チュ~ン、ビッだよ。停電なるまでの僅かな時間が勝負だよ。













『ゴッド・ファーザー』1972年(昭和47年)公開







よしんば早期に停電喰らっても、あちら此方で、ポキッ、ポキッ、ポキッ、クリスマス・パーティかって、一瞬、華やかな気持ちにもなる。「なるかっ」

安もんの水中眼鏡が視界を守り、濡らしたタオルの覆面が呼吸を守る。慌てふためいても状況は把握できる。

濡れたタオルが水気を落し切る頃、気の利く娘さんが濡らしたタオルに交換してくれる。非常時の恋だね。男は、我然燃え上がってチュ~ン、ビッだよ。






猛煙の這い入る道を遮断して、ここでフロア責任者、従業員らと頭を寄せ合い次の正しい行動の選択を模索するんだよ。まずは、環境の保全だね。

これが、千日デパートだったら、全員、助かって居たかも知れんよ。火は、其処まで達していなかったからね。

使えぬ設備より誰でも使える物を非常時に活かせば、無駄に時間を失い、もがき苦しんで死ぬことはなかったかも知れん。






なんてことを、ふっと思ったんだよ。非常時の中で平常心を維持する方法だね。煙ごときに狂わされてなるものか。































カメレオンの独り言-1444 『今日有ったことと、昔の写真で誤魔化す』

2015年07月10日 | 日記








 2015年7月10日 








今日(8日)は、残業で帰って来るのが遅くなったよ。某私立大学付属の高3の女の子がスッと入って来て椅子引っ張り出して脇に腰掛けてる。

なんで、そう引っ付くんだよ、今日は暑いよ、この梅雨は気温が低いのかして湿気たネタネタがなかったけど、今日は蒸して暑いわ。

彼氏が家に遊びに来て、夜になって駅まで送って帰って来たね。どうだった、ご機嫌か? 「うん」 ウキウキしておるよ。






おまえって露骨に喜ぶね。「★★ちゃん、★★ちゃん、聞いて、聞いて」聞いてるよ。彼のことを話してる、ああ、そう。

其れって喜びを分かちあってるの? 今はね、好きで夢中、なにかで喧嘩しても好きが仲をとりもってくれるから、すぐに、また、仲良くなれる。

夫婦ってのは、それから始まってる。永遠にそう在るべきなのに、よく修復不可能ってのがあるね。「うん」






それは、どちらかの好きが抜けるんだろうね。愛なんてのは、すぐに消えちゃうもんなんだろうね? でも好きってのは、消えないんだね。

オレはね、自分を好きになってくれた人を裏切らずに大事にしようって気が旺盛なんだろうね。そして好きになる。好きは、人を繋ぐね。「うん」

一緒になったらね、この好きって気持ちを一生忘れてはいけないの。男は、女と違って夢を追うところがあるから、相手の好きって気持ちが支えなんだよ。



















女はね、子が出来ると情愛は子に8割がた行っちゃうんだね。この時に男の浮気が多くなるのは、そのせいなんだよ。

男にしてみれば、おれはおれ、子は子だよ。女にしてみれば腹を痛めて出来た子への愛おしさは男には解らないってものがある。

なら、それで駄目になったら潔く別れるってことも起きるだろうね。其れを繋ぐのは、互いが、変わらぬ好きって思いが鍵になるんだと思うよ。






「うん、わたし、大丈夫っ」 そうか、その思いだったら大丈夫だよ。旦那もね、子供にして赤ちゃんと一緒に面倒みてやるって覚悟だろうね。

其処へ「ああっ、★★ちゃん、今日は居てたわっ」って、武井咲もどきが事務所を覗いてる。

おお、なんか久しぶりだね、会社帰りか? 「うん、いつもこのぐらいに帰るから、★★ちゃん居てないねん」






もう2ヶ月ぐらいになるかなあ? どうや会社は慣れたか? 「うん、慣れた」 彼氏の眼星もついたか? 「あかんねん、おじさんばっかしやねん」

おまえも因果なやつやね、おじさんばっかしから開放されて、また、おっさん見て喜んでるのか? 「★★ちゃんは愉しい」 ホッ、よかった。

おまえ、綺麗さが復活しておるではないか? 「そんなことないわ」 高3の女の子に、綺麗やねってふったら「うん、綺麗」 だって。



















いや、おまえが就活してる頃は、女の子には、そんなの云えんから黙ってたけど疲れた顔してたぞ。「やっぱりい、みんなに云われてた」 

云う奴は云うんだね? 「うん、★★ちゃんは、云わへんかったわ」 そらあそうだろ、そんなの云われて意気が上がるかあ? 萎えるで。「そう」

しかし、おまえって、洋風武井咲もどきとでも申しましょうか、ホンマに綺麗だね。「そんなあ~ん」なんて云いいながら喜んでケタケタ笑ってるよ。






おまえ、笑ってる場合ではないぞ、この女の子は彼氏ができたぞ。「へええ~今幾つ?」 「18」 こいつ、団扇で顔隠して隙間から見ておるよ。

おまえ、なにしてんの? ニッチャラ、ニッチャラ笑っておるよ。高校から好きになって、ずっと付き合って結婚して仲良くいってる夫婦もあるからねえ。

〇〇、年月を甘く見てはいかんぞ。あっと云う間だぞ。「そうっ、わたしも、そう思うっ」 だろ、でもなんでもいいってのは良くないしね。






慌てるなよ。「どっちやねん?」 高3の女の子も団扇で顔隠して笑ってるよ。「★★ちゃん、今、幾つ?」 オレか、〇〇だよ。「へえええ~っ」

おまえもオーバーな奴やね。「★★ちゃん、見えへんわっ、若いわあ、うちのお父さんより若いって思ってた」 〇〇のお父さんは幾つなの?

「53かな?」 おまえな、上から見るな、ハゲが見えるではないか。「そんなん見えへんわ、フサフサしてるやん」 ホンマかいな?



















家の鏡で見てるぶんには、そんなに白くもなってないんだけどね、この前、ツタヤの大きな鏡に映ったら真っ白けに見えてショックだったよ。

「光線の具合やわ、そんなに真っ白じゃないよ」 えらい持ち上げてくれてありがとう。

オレはね、お世話になった此処を辞めたら、あと10年は、自分を生きるって決めてんの。これでも、ロマンチストだからね、夢多き男なんだよ。






「★★ちゃん、何かするの?」 何かするのと問われて答える当ては無いんだけどね、このままでは終らないって思ってるの。「ステキやわ」

〇〇、幾つになってもね、人は、突き進む気持ちが大事だよ。若い子もそうだよ。夢の尻尾だけでも構わない、我が手に掴み取るんだよ。

「★★ちゃんは、そういう考え方が勢いになって若いんやわ」 そうかなあ? ただ、アホってだけじゃないの?






若い若いって云われるのが嫌だった頃もあるんだよ。コンプッレクスが熱をもつんだね。でもね、一生一回こっきり、老けない奴は居ない。

なら、今ある若いってことを恥じることはないって思ってから実に前は明るいよ。「そらあそうや」 まだピシッと姿勢も曲がってないよ。

「うん、うん、★★ちゃん、格好いいから」 ホンマかよ? これでもね、スーツ着て白のコート羽織れば、近所の綺麗な奥さんが 「まああ~ステキッ」





「うんうん、解るっ、解るっ」 〇〇、その持ち上げようは、おまえ、帰りに酒呑んで来たんとちゃうか? 「ちゃうわ」 愉しそうに笑ってるよ。



















「★★ちゃんは、人の心の中に入り込んで話をしてくれるから嬉しくなるねん」って、〇〇が云ってたよ。

ランドセル背負ってた子が、もう、そんなことを云えるんだねえ。

人の心の中に入り込んで話す、それは、随分、無礼者ではないのか? 「おまえは無礼者や」 そうなんだろうかねえ?

















オレは、誰でもなく彼女と笑い転げて、こんな話をしたかったよ。でも、あいつは、取り巻く奴等が多過ぎて、近くて遠いひとになっちゃったねえ。
























『1973年(昭和48年) 大阪南区(現 中央区)難波の南海通り』








懐かしい写真を見つけたよ。古い写真で、この時代の南海通りの南側が写ってるのは珍しいよ。オレが深夜映画によく通ってた頃だね。

A&Pのスーパーの看板、其の2階の映画館 弥生座の看板も見えるよ。

手前、洋画の封切り映画館だったのに、当時は、もう、なんば花月になってたんだねえ? この旧映画館名が思い出せないんだねえ。






千日前のスバル座とごっちゃになるんだね。此のなんば花月と弥生座の間に「蝋人形館」なんてあったかねえ? 全く知らんね。

オレは、昔から一直線男だから映画って出かけたら目的地以外浮気がないんだよ。「隣りやろ?」 みたいだね。

手前の看板に、スティーブ・マックィーン、ジョン・ウエィン、トム・ジョーンズらの絵が描かれてる。三人とも近くに居たんだね。「蝋やないかえ」






こんな趣味の悪い館が在ったかなあ? 「なんで趣味が悪いねん?」 気持ち悪いだろ? オレは、昔、蝋人形にされる綺麗なお姉ちゃんの映画を観てから

なんか、怖いんだよ。生きたお姉ちゃんのほうがいいと思うけどね。上の提灯に「あけましておめでとうございます」って高島屋の提供だね。正月だね。

弥生座の看板の端っこにプレスリーの首があるっ、霊写真か? 「なんで、プレスリーが、わざわざ大阪の南海通りに出てくんねん?」 冷やかしにだよ。






「1973年の写真だろ? プレスリーは、まだ生きとおるわ」 そうか、じゃあ、此の頃かね? 

彼が、上下繋ぎのギンギラギンの衣装を身につけてラスベガスなんかで歌いだしたのは。「そうだね、この年の4年後、42歳で死んでるからね」

此の人の映画は、わりと観てんだけどキューピーさんみたいな顔してんのに格好良かったね。「恋のKOパンチ」なんて、題名の映画があった。






大阪、道頓堀通りの東映地下劇場で観たよ。山の裾野を這うハイウェイ、日差しを遮りつつ木々が飛び去る中をトラックが走ってんだね。

荷台の後方を開け放ってる。其処へプレスリーが軍服の正装姿で脚を投げ出し腰掛けて膝を叩いて歌ってんだね。格好いい人だなあと思ったよ。

オレの記憶は当てにならないけど、うっすら脳裡に残る映像は、そんなのだったね。たしかタイトルだったね、あとは、なんにも覚えてないわ。













『1959年(昭和34年) 大阪難波、手前(撮影側)が高島屋、南街劇場の東側横手に戎橋筋の通りが見えている』







これも懐かしい写真だねえ、ピントもバッチシ合ってるね。昔のフイルムカメラで沢山の写真を撮られてる。相当の腕の人だね。

懐かしさのあまり無断拝借ご免なさい。見下ろして左側向かいが南街劇場、その右手横手に戎橋筋の通りが見えている

向こう角に平野屋があるね、其の前を右手に進むと南海通りの出入口があるんだね。其処から通りに入ると一枚目の写真になる。






此の頃は、南海通りのなんば花月は映画館だったはずだよ。プレスリーの「渚のデート」とか「祖国は誰のものぞ」なんてのやってたね。

平野屋の上に映画の看板「歌麿をめぐる五人の女」なんてある。長谷川一夫主演の大映映画だね。

山本富士子 淡島千景 中田康子 淡路恵子 野添ひとみなんてのが共演してる。








 『歌麿をめぐる五人の女』 1959年(昭和34年)公開作品









戎橋筋へ入って右手「天〇寿司」の看板、名前が出て来ないから当て字で読めないね。其の向こう隣りにタバコの看板が見える。

ここのタバコはよく売れてたね。オレも大人になってから、正月だったかな? 外国の葉巻を買ったことがあるよ。粽(ちまき)の香りがしたね。

洋画にかぶれて真似がしたかったんだね、馬鹿だね。でも、流石に外では吸えなかった。「くさいなあ」って、日頃のタバコと違って嫌がられたね。






今は、何吸っても嫌がられるね。美味しいパン屋さんの「フジローズ」は、このタバコ屋さんのほん隣りだったように思うんだけどね?

ここのコーヒーパンは最高だったね。30~40年代、並びに珍味屋さんも在った。親父は、食べるものが贅沢だったから、ここの珍味の常連客だったよ。

此の旧南区の繁華街は、家族揃って、毎度、庭のように散歩してたね。













『1980年(昭和55年)戎橋筋 千日通り交差点』







この写真も珍しいもんだよ。当時のこの辺りの写真は滅多に見つからない。懐かしいね。













ああ、なんとか、今日の分を仕上げたね。疲れた、寝ます。































カメレオンの独り言-1443 『映画 荒野の七人 格好良さの波に洗われて魅力は、今も、尚、健在』

2015年07月07日 | 日記








 『荒野の七人』  2015年7月7日








1961年(昭和36年)に公開された 『荒野の七人』は、確か難波の高島屋1階なんばロキシーの上に在る「なんば大劇場」で観たと記憶する。

ロキシーの横手にある螺旋階段を上がると間接照明に照らされた豪華な深紅の絨毯を敷き詰めたロビーに出る。

総ガラス張りのエントランス脇には、荒野の七人が馬上豊かに駆ける姿を油絵的にリアルに描きだした大きな看板が備えられてワクワクと胸が躍ったね。






当時は、映画は娯楽の頂点にあった。映画館へ足を運ばないと観れない時代だった。テレビが、白黒からカラー放送になろうかという頃だったかね。

今のように映画案内や予告編なんかが頻繁に放映されないから新聞や雑誌で情報を拾ってた。限られた情報は、限りなく夢を膨らますんだね。

新聞の劇場案内欄ってのに決まって目を通してた。大阪、神戸、京都の何処其処の映画館の上映品目と上映時間が小さく明示されてんだね。






前にも書いたかね? なんば大劇場で観た「荒野の七人」は大満足だったよ。もう、100点満点文句なしの最高の西部劇だったね。

エルマー・バーンスタインの主題曲の躍動感溢れる軽快なる響きに酔いしれて、70ミリ大画面に激映りする世界で一番格好いい人たちにウットリしたよ。

興奮してるから格好いいとこばかりが衝撃で、当時としては、いささか変わった銃声音に違和感を覚えたけれど斬新でいいって解釈よろしく馴染むんだね。






パコンッ、パコンッと実際の銃声音を取り入れてるな? そうか、なるほど、なんてね。実際の銃声ってのは意外と勢(せい)がないもんね。













『ユル・ブリンナー スティーブ・マックィーン』


















此の時は、ユル・ブリンナーのガン捌きの拙さなんか無理やり良い方に解釈して記憶から間引いてたね。と、云うよりも格好良さの波が打ち消すんだね。

砂浜に打ち寄せる波だね、荒れた砂面を一気に洗い流して形跡を残さない。

馬車に積まれた遺体は白人ではない、偏見から町外れの丘の上の墓場には葬らさないって、男たちが銃を構えて阻止してる。葬儀屋が難儀しているんだね。






「オレが行こう」 とユル・ブリンナーが手綱(たずな)をとる。昔なじみのスティーブ・マックィーンがショット・ガンを借りて助手席に乗る。

豪華で大きな劇場内一杯の70ミリ大画面に映し出されて葬儀屋の馬車が往く。ここで主題曲が流れて、もう、最高。

葉巻を咥えていかにも強そうなユル・ブリンナー、銃の扱いは手馴れて隙が無いスティーブ・マックィーン、この人の身のこなしは芸術だね。






オレは、この映画は、なんば大劇場の70ミリ大画面に於いては、初っ端のこのシーンだけでも価値があると思ったね。










The Magnificent Seven Theme ? Elmer Bernstein











後、この興奮を、もう一度ってリバイバルだったかなあ? 2番館の映画館で観たんだね。

クリス・アダムズ(ユル・ブリンナー )は、ファニング射撃の名手なんて紹介してる雑誌を読んで笑ってしまったよ。

トリガー(引き金)を引いたまま、左手の平で激鉄を叩いてリボルバーを回転させ連射するんだけど、シャムの王さまは、なんともぎこちない。







このファニング射撃でスカッとさせてくれたのは、マカロニウェスタンで唯一観れる映画だった 「荒野の用心棒」だね。

クリント・イーストウッド面目躍如の拳銃捌きだったね。一時、流行って駄作のオンパレードのイタリア製西部劇は、なんでもかんでも笑うんだね。

オレも、よく笑うんだけど、こいつら観てたら笑うのやめようかなって思ったよ、何がオモロイねん? 自分がダブって恥ずかしくなるよ。







見知らぬ町にやって来たイーストウッドの馬の足元を撃ってからかった奴等が馬囲いの柵に腰掛けヘラヘラ笑ってる。酒場の主人の話から

町の事情を察したイーストウッドは、奴等の前に戻って来る。髭面にポンチョを被り、本家アメリカの西部劇とは趣が違って斬新だね。

徐(おもむろ)にポンチョを両肩に捲り上げる、ガンベルトと銃が覗くね。馬鹿笑いしてた悪ども5~6人が緊張して身構える。













『荒野の用心棒』 クリント・イーストウッド 








間隔を空けて身構える馬鹿どもなんだけど、一呼吸、抜く手も見せぬ早業でファニング射撃が的を外さず鮮やかに決まって勝負がつく。













『荒野の用心棒』 ファニング射撃  ガンマンってのは、このぐらい銃をこなしてこそガンマン(拳銃使い)と云うんだよ。








手を叩いて 「シャーウィ~ダンスッ」のシャムの王さまは、激鉄叩くんじゃなしに置いてる感じだね。其れも遣り場に迷ってる感じだよ。

ステーブ・マックィーンの反射的身のこなしが際立つから、シャムの王さまは力んで格好ばかりつけてるだけなのが目立つんだよ。

なんでも上に登りつめていい目をすると潰しが利かんのかねえ? 胸張って威厳を保つシャムの王さまから抜けられないね。






盗賊どもの反撃食らって慌てふためいてウインチェスター銃のスライドもおぼつかず射撃の姿勢が潰れて女性的な撃ちかたなのが悲しい。

毎年収穫の時期になると35人の盗賊を率いて村の食料を掻っ攫って行く首領カルベラ(イーライ・ウォラック )に困り果てた村人が用心棒を

探して町に来るんだね。義を見てせざるは勇無きなり、クリス(ユル・ブリンナー )は、引き受けて相棒のヴィン(マックイーン)と仲間を集めにかかる。






ブリット(ジェームズ・コバーン )、ハリー(ブラッド・デクスター )、ベルナルド(チャールズ・ブロンソン )、チコ(ホルスト・ブッフホルツ )

リー(ロバート・ヴォーン )、それぞれに腕のあるガンマンが集まるんだね。

此の映画は、興行成績の良さもさることながら、この映画を機にトップスターになった役者を量産したね。






スティーブ・マックィーン、ジェームズ・コバーン、チャールズ・ブロンソン、ロバート・ヴォーン、ホルスト・ブッフホルツ とほとんどの役者が

此の後、それぞれが主役を演じる役者になった。其の意味合いでも特異な映画だね。そんなのは、あんまり興味ないけどね。「なんやねん」

面白いんだよ、ブラッド・デクスターって人は、これまでも、いろんな映画の脇役で顔を売ってる役者なんだけど、一人、蚊帳の外なんだよ。












『手前から、チャールズ・ブロンソン ブラッド・デクスター ロバート・ヴォーン』







で、映画の中でもガンマンと云うより銭になることなら参加するってタイプの男を演じてる。此の人には、何の活躍場面もないんだよ。

一旦、命が大事って仲間から去るんだけど、盗賊集団と戦ってる仲間を見捨てることが出来ずに馬を駆って戻って来たとこ撃たれて死んでるの。

僅かな金で割が合わない仕事の裏を勘ぐってんだね。死に際に「ホントのこと云え」って、クリス(ユル・ブリンナー )を促すんだね。







憐れに思ったクリスは 「実は50万ドル、分け前は一人7万ドルだ」と大ウソを聞かせて、「来て良かったあ」って満足しながら息を引き取るんだね。

棚からぼた餅の夢見る男なんだね。「おまえと一緒やね」 似てるね。「だから現実も脇役で終るんだよ」 そういうもんか、身につまされるね。

此の映画の不思議なのはね、各所に素人臭い描写が散らばっているのにも関わらず全体的には格好いいと云わせるところだね。





















ブリット(ジェームズ・コバーン )を仲間に誘いに行くシーンなんだけど機関車の停留場の脇で柵に持たれて眠る男が居る、早撃ちに自身のある奴が

ブリットのナイフ投げの早さに難癖つけて「試そうぜ」なんて煽るんだね。相手にしなかったブリットが立ち上がり、皆の見る前で互いに的を外して試すんだね。

勝負はブリットが早いんだけど納得しない。本気で試すって聞かないから相手になる。早業のナイフは、銃を抜きかけの男の胸に突き刺さるんだね。





















終始、寡黙なジェームズ・コバーンが光るんだね。此の人は、脚が長いんだねえ。ちょっと、オレにくれよって、思ってしまうよ。













『ジェームズ・コバーン』








銃の腕の衰えに自信が揺らぐガンマン、リー(ロバート・ヴォーン )の存在は濃くは無いんだけど、昔の自分を語りつつ飛びまわすハエを片手で

握り摑まえる、手の平を広げ 「昔は全部を掴んだよ」って敏捷性の衰えを笑うんだね。キザに装って様になってるんだね。

盗賊集団との戦いの中、その喧騒が途切れたような間隙に立ち、一呼吸おいて村人が捕まってる家のドアを蹴り開け飛び込みざま3人の盗賊を撃ち倒す。







早撃ちの腕は衰えていない。昔の自分が居ることを確かめて外に出る。この映画のおかしなところが、此処から始まるんだね。

銃撃戦たけなわの時は見所や繋ぎはいいんだけど、ほとんどの盗賊を倒した頃を見計らったように残りの6人が欠け出すんだね。

それも、誰それが撃ったから当ったというリアル感が全くないんだね。「はい、弾が当ったよっ」って、どれも監督の声が聞こえるような描写なんだね。













『ロバート・ヴォーン この直後、「はいっ、弾丸(タマ)が当ったよっ」 ジョン・スタージェス監督の声を合図に独り芝居で死ぬ』








リー(ロバート・ヴォーン)も、僅かな時間、自分の腕を確かめた充足感を味わい佇んでいて銃声が響く、死に方は上手いんだけど繋がりが無いから

ピンとこない。ベルナルド(チャールズ・ブロンソン )も寄り添い来る村の子供たちを庇い撃たれて死ぬんだけど、あまりにも独り芝居なんだね。

臨場感が嘘みたいに全くないんだね。そのための撮影ってのが丸解りなんだね。白けてしまうんだよ。贔屓(ひいき)の客を苦しませんなよ。






ブリット(ジェームズ・コバーン)もそう、独り勝手に撃たれた振りしてナイフを投げて死んでる。この間の繋がりは、効果音と効果曲だけだね。

「映画は、みんな、そうだろうが」 当たり前じゃないか、ホントに弾丸喰らって死んでしまったら役者が全滅するわっ。

馬鹿か? そんなのを感じさせる演出がいかんと云っておるんだよ。日本の黒澤明の 「七人の侍」 のリメイクだから、






これを観た黒澤監督が、ジョン・スタージェス監督に日本刀を贈って讃えたらしい。封切りの一発のみの観賞だったんだろうね。























映画は、映画館で一発もんだね。何度も観ると、必ず、おかしなところに気付いてしまう。でも、変わらずに面白いって思わせる映画もあるね。

盗賊たちが村で寝込んでいる隙に7人が(実際は6人)が戻って来て反撃するんだけど、この時のスティーブ・マックィーンの銃撃戦は絵になって残るね。

パコンッ、パコンッって乾いた銃声が妙に活きるんだね。最初の銃声で気付いた盗賊がマックィーンを狙い撃ちしてくる。






奔って撃ち、身体を捻って撃ち、脚をやられて倒れつつ後方に撃ち返す、その身のこなしが鮮やかで、此処は何度観ても格好いいね。

此の人は、見せる役者だね。クリス(ユル・ブリンナー)が、加勢に戻って撃たれたハリー(ブラッド・デクスター)を抱きかかえ来る。

迎え入れるドアを開け放って飛び出しざま、クリスら二人を援護して両手支えで銃を撃つシーンなんか、いつまでも残る絵になってるよ。素晴らしい。






寡黙でありながら優しさが漂うベルナルド(チャールズ・ブロンソン)に村の子供が慕って離れないんだね。自分達の親を弱虫で卑怯だと非難した子供の尻を叩き

「銃を持って戦うより土地と家族を守るほうがよほど勇気がいる。お前達の親は村と家族を守るために決断したのだから悪口を言ってはいけない。」って𠮟る

シーンがある。その台詞と、盗賊が全滅してクリス(ユル・ブリンナー )とヴィン(スティーブ・マックイーン)が村を立ち去る際に、






クリスが 「勝ったのは我々はでなく村人たちだよ」って云う台詞が、批評家たちが決まって捉えて尤もらしく讃えてんだけど、それほどのもんか?














『スティーブ・マックイーン』








地に根ざして生きる者たちの力強さを讃えてんだけど、独り芝居で死んだ4人のガンマンはどうなるんだ? 勝ったのはガンマンではないのか?

似非(えせ)ガンマンのクリス(ユル・ブリンナー)が自分に云った台詞か? それだったら、よく解るよ。

何も云わず風のように去っていくヴィン(スティーブ・マックイーン)のための映画だったね。














『荒野の七人』








人それぞれに好みもあるだろうけど、此の映画は、エルマー・バーンスタイン作曲の主題曲が、大きな波になって粗を消し去り繋げて名作にしてるね。






















『どうでもいいんだけど、盗賊の首領カルベラ(イーライ・ウォラック )の写真もちょっと貼っておこうか』



















「チコ(ホルスト・ブッフホルツ)ってのに全然触れてないね?」 ああ、ドイツの若者か、「ドイツ人か?」 そうだよ。

ドイツ人の割には、西部劇に馴染んでたね。ただ、こいつは、なんか書くことがないんだね。

此の映画で国際スターになったね。 後に、当った試写会で 「イスタンブール」ってのを観たね。






自分が百姓上がりでぐれてガンマンになった経緯から、劣等感がさせるのかして百姓の村人等を見下すような節があるんだね。

でも、村人の娘には恋するんだね。都合のいい奴だよ。銃の扱いは似非(えせ)ガンマンのユル・ブリンナーより手慣れてる。

最期は、生き残ってクリス(ユル・ブリンナー )とヴィン(スティーブ・マックイーン)とともに村を去るつもりで峠に立つんだけど迷ってる。






「行けよ」 クリスが背中を押す。村の娘は、彼が去ってしまうのか、残ってくれるのか気を揉んでる。其処へ馬の蹄の音が戻って来るんだね。

































































『最期は、スティーブ・マックィーンだね』 







『暁の7人』 『荒野の七人』 と、偶然、7が続いて今日は7月7日の七夕さんだね。





























カメレオンの独り言-1442 『映画 暁の7人 観てないんだけれど昔のTV洋画が甦る』

2015年07月05日 | 日記








 2015年7月5日








吹きたい時に吹き抜ける風のよう、降りたい時に降り注ぐ雨のように通り過ぎたり留まったりと長い年月が過ぎ去った。

なんのことやら解らない、解らないままに爺になった。なのに、その風は、今も変わらず吹き抜けて、路面を湿らす程度に濡らせて雨も零れるよ。

なんだったんだろうかね? 解らず終いでも構わない、吹かれてやるのも、濡れてやるのも厭わないけれど、オレの出番は、とうに過ぎ去ったよ。






ともに吹かれて、ともに濡れて、ともに太陽を浴びるところへいきな。老いて枯れても一匹狼、オレは、善いことをしたと思って山に帰るよ。






「なんや?」 なにが? 「いや、何を云ってる?」 ふっとね、想ったことを書いただけだよ。

オレは、ある意味、幸せもんだったなあって、そんな想いがするんだよ。何から何まで良いなんて思ってないけどね、オレの人生が在るように、

人には人の人生が在る。人は、皆、自分の価値観に従って、自分の命、自分の人生、自分の身体で生きてる。なんか、そんなことをふっと思ったんだよ。












 『暁の七人』1975年度アメリカ映画









『暁の七人』(Operation Daybreak)って、映画があったね。1975年のアメリカ映画で、第二次世界大戦中、イギリスとチェコスロヴァキア駐英亡命政府により

計画されたナチス・ドイツのヒトラー親衛隊中将ラインハルト・ハイドリヒの暗殺作戦を描いてる。

この映画は、観れなかったんだけど、看板の絵や写真を眺めてると、昔、白黒テレビで、この実話を扱ったドラマの場面が甦ってくるんだね。






たしか、ドキュメンタリー風に仕上げたもので、撮影側がタイムスリップして当時の目線で現場状況を映し出すようなドラマだったように思う。

当時としては、妙にリアルな映像で仕上げてたね。勿論、洋画なんだけど日本語に吹き変えて放映してた。

チェコスロヴァキアのプラハ、聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂の地下に身を隠しているラインハルト・ハイドリヒの暗殺作戦を実行した7人の兵士の

最期を描いてたように覚えてるんだけどね、そうだろ? 「知るか」 












『実写 暗殺計画に選抜されたチェコスロヴァキア亡命軍の7人の兵士』








イギリスに駐留するチェコスロヴァキア亡命軍から選抜された7人の兵士なんだけど、仲間の密告から潜伏場所が露見して聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂は、

ナチス・ドイツ軍に包囲されて脱出不可能な状況に追い込まれる。

装甲車両や軍隊が、次から次へと投入されてプラハ市民が見守る中、激しい攻防戦が繰り広げられるんだね。























当時、ナチス・ドイツの準軍事組織である親衛隊(SS)の第3代親衛隊全国指導者に就任し、ナチ党の政権掌握後には、秘密国家警察ゲシュタポ副長官、

親衛隊全国指導者兼全ドイツ警察長官を務め警察機構を一手に掌握したハインリヒ・ヒムラーに次ぐ親衛隊エリートのラインハルト・ハイドリヒ暗殺は、

ヒトラー総統を激怒させ殺さずに生け捕りにせよとの厳命が下されるんだね。














『実写 襲われたラインハルト・ハイドリヒ親衛隊中将の自家用車 「SS-3」のナンバープレートのメルセデス・ベンツ、オープンカー』









テレビ版にしたら大仰な撮影でロケを敢行して真に迫る市街戦さながらの様子で描いてたよ。大聖堂に陣取る7人の兵士が機関銃や手榴弾を装備して

厚い壁で守られた大聖堂の窓や地下の出入口が、あたかもトーチカのような按配になって、攻め来るドイツ兵をバタバタ撃ち倒すんだね。

ドイツ軍は、殺さずに生け捕れって厳命下にあるから大砲などの重火器を使用できないんだね。






突撃隊が何度も何度も編成されるんだけど突進したら打ち倒される。順番が回ってきて恐怖で動けぬ兵士を将校が射殺する。

攻められるものも攻めるものも死に物狂いなんだね。しかし、多勢に無勢、ジワジワとドイツ軍は礼拝堂の中に侵攻する。

巨大な礼拝堂の中でも高所に陣取る7人の兵士が有利ではあるからドイツ軍の死傷者は増えるばかり。





















しかし、補充に事欠かないから数で押し寄せるドイツ軍とは違い攻められる者に加勢はない。一人、二人と倒れて防御に穴が生じてくるんだね。

聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂は、写真で見る限りでは綺麗な状態で今も在るね。

当時の彼らの最後の様子などを鋼板に刻んで残されている。ドイツ軍の撃った弾痕も生々しく当時のままに残されてるね。






映画の『暁の七人』を、いつかDVDで観て見たいんだけどDVD化されてんかね? 調べんといかんね。













『現在の聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂』








1939年の春、ドイツ国総統アドルフ・ヒトラーは、チェコスロヴァキアに対しスロヴァキアを独立させて、チェコの部分をドイツ国に編入することを強要した。

当時のチェコスロヴァキア大統領エミール・ハーハは、これに抗う力を持たず併合を認める署名をした。

このチェコのドイツ編入領土は「ベーメン・メーレン保護領」と名づけられ、コンスタンティン・フォン・ノイラート男爵が当地の保護領総督となった。






第二次世界大戦中、ベーメンは、ナチス・ドイツ最大の軍需工業地となりドイツ軍の戦車の3分の1、軽機関銃の40%はベーメンで生産された。

ところが、ノイラート男爵は、融和的にすぎてストライキや抵抗運動が多発し、同地の兵器生産力が半分近くに落ちたんだね。

2年後の1941年、保護領統治の甘さに業を煮やしたアドルフ・ヒトラーは、ノイラート男爵を本営に呼び出しチェコ人に寛容すぎる政策を叱責した。












『実写 ラインハルト・ハイドリヒ親衛隊中将』







ノイラート男爵は、この際にヒトラーに総督職の辞任を申し出たが却下され、ノイラートは形式的に総督に残留しながら休職処分という形になった。

これにより同年9月、ラインハルト・ハイドリヒ親衛隊中将が保護領副総督に任命され、翌日にはプラハに着任した。













『映画 アドルフ・ヒトラーに送られてプラハに向うラインハルト・ハイドリヒ中将』








ラインハルト・ハイドリヒ中将は、ゲシュタポ(国家秘密警察)、親衛隊保安部(SD)、刑事警察を統括する巨大警察組織国家保安本部の長官であった。

彼はナチスに反抗する人間を取り除く役目を担っており、ユダヤ人虐殺計画の主要な遂行者であった。

彼は、ヒトラーやナチスの陰謀のほとんどに参加し、ナチス政権において重要な政治的地位を築いていた。





その能力と権力により、多くのナチスの要人や国防軍の高官たちから恐れられ、その残忍性は、「金髪の獣」「絞首刑人」の通り名で呼ばれていた。

ハイドリヒは到着と同時にチェコ全土に戒厳令を敷き反体制派の指導者層(中産階級のインテリ層)を次々と逮捕して死刑に処した。頭を獲るんだね。

チェコ首相アロイス・エリアーシも逮捕されて死刑。繰り返される処刑からハイドリヒは「プラハの虐殺者」という新たな通り名を得ることとなった。





一方、ハイドリヒは労働者階級に対しては懐柔する政策を取った。労働者の食糧配給と年金支給額を増加させ、チェコの歴史で初めての雇用保険を創出させた。

また、カールスバートのリゾートホテルなどを接収して労働者の保養地として開放するなどもした。

そのため労働者階級は中産階級インテリ層の起こす抵抗運動に参加することはなくなり、チェコの抵抗運動は手足を失って死滅していった。





こうして、ハイドリヒは「飴と鞭」の統治でベーメン・メーレン保護領を支配したんだね。しかし、労働者階級層ってのは思想よりも餌の量で右左だね。























ハイドリヒは、プラハでは「人間味ある総督」に見せようと心がけていた。記者に幼い子らと一緒にいる写真をよく撮らせていた。

また一家は重々しいプラハ城に定住せず、プラハ郊外にあるやや田舎のパネンスケー・ブジェジャニに所領をもってそこで暮らした。

自身の乗用車である「SS-3」のナンバープレートのメルセデス・ベンツもオープンカーにしてプラハ市民に自分の姿がよく見えるように走らせることが多かった。





威圧的にならぬよう護衛車両をつけることもあまりしなかった。上司のヒムラーは、プラハ訪問中にハイドリヒの個人警護が少なすぎると懸念し、

警護をもっと増やすよう命じており、またヒトラーもハイドリヒの警護に無頓着な態度を頻繁に戒めていたが、

ハイドリヒは最期まで耳を貸さなかった。結果的にはこれが命取りとなったんだね。





















ナチス・ドイツは、この1942年までにヨーロッパのほぼ全土を支配していた。また、ドイツ軍は、破竹の勢いでソビエト連邦の首都モスクワに迫っており、

対する連合国は、ソビエト連邦の降伏は時間の問題と考えていた。当時のドイツの電撃作戦ってのは凄いものがあるね。

正義と悪魔、恐怖と脅迫、君臨と愉悦、それぞれの要素が絶妙に混ざり合って闘志のアドレナリンの分泌が盛んになり、止め立てできぬ勢いを発散したんだろうかね?





















イギリスに駐留するチェコスロヴァキア亡命軍から選抜された7人の兵士は、イギリス空軍により1941年12月28日にチェコスロヴァキア領内にパラシュートで降下した。

彼らは暗殺の準備期間、プラハでいくつかの家族や反ナチ組織と接触、ハイドリッヒの暗殺計画の第一、第二の計画は頓挫する。

そこで第三の計画が立てられ、プラハでハイドリッヒを暗殺することになった。





1942年5月27日、ハイドリッヒは、パネンスケー・ブジェジャニにある自宅からプラハ城までのいつもの通勤経路をオープントップのメルセデスベンツ

の後部座席に居た。彼は、いつもは付いている警察の護衛を、このときは急ぎのため付けていなかったんだね。

ガブツィクとクビシュ(7人の兵士)は、ハイドリッヒの通勤経路であるブロフカ病院近くのトラムの停留所で待っていた。





















アルチーク(7人の兵士)は、車が接近してくるのを確認するために、ガブツィクとクビシュの北約100mの位置にいた。

ハイドリッヒのオープントップのメルセデスベンツが近づくと、ガブツィクは車の正面に飛び出て射撃しようとした。

ハイドリッヒは、運転手のSS軍曹クラインに車を止めるように命令し、前に機銃を構えて立ちはだかるガブツィクを射殺しようと席から立ち上がった。





















ヨーロッパのほとんどの国々を占領支配するナチス親衛隊の長官も、この状況に至っては、もう個人の問題に縮小されて甚だ弱弱しい。






その時、駆けつけたクビシュが改造した対戦車手榴弾をハイドリッヒの車めがけて投げ込んだ。

手榴弾は車の中には入らなかったものの、その破片は車の右側のフェンダーを破壊し、ハイドリッヒの体には車体からの破片や繊維が突き刺さった。

ハイドリッヒはなおも反撃しようとしたが負傷のためにすぐに倒れた。ガブツィクは、運転手のクラインを追いかけて殺害した。






ラインハルト・ハイドリヒ親衛隊中将は、その負傷のため一週間後に死亡した。此の時点で暗殺計画は成功したんだね。





















ハイドリッヒは冷徹な仕事ぶりから親衛隊(SS)内部でも敵が多く、武装SSの指揮官のヨーゼフ・ディートリヒに至っては

「あの雌豚も遂にくたばったか!」と歓喜したという。どのような組織でも、個々に腹を探れば一体感とは程遠い心裡が燻ぶってんだね。

巨大なる組織、これ等を束ねてなる組織をならしめるには縛られた部分がある。では、其処を解けば、音立てて瓦解する弱さも同居してることになるんだね。






ヒトラーは、親衛隊(SS)とゲシュタポにハイドリッヒを殺した人間をボヘミア中から探し出し 「血の報復」をすることを命令した。

最初、ヒトラーは、広範囲のチェコの人々を殺そうとした。しかし協議の結果、彼はその責任を数千人に限定した。

チェコは、既にドイツ軍にとって重要な工業地域となっており、見境の無いチェコ人の殺害は生産性を減らすと考えられたからなんだね。






結局、1300人の人々が殺害された。(1万3千人なんて記されてる資料もあったね)有名な事件として、リディツェとレジャーキの村の完全な破壊がある。

個に対して数量で購(あがな)わせる。戦時下における最も非道な計算だね。今も、変わらんね。人の命をなんだと思ってんだよ。

「ゴマ粒じゃないんか?」 そういう発想だろうね。ハイドリヒ親衛隊中将とSS軍曹クラインの死は、ゴマ粒1300人の命の価値ってことになる。






イギリスの当時の首相であるウィンストン・チャーチルはこれに激怒して、ナチスが破壊したチェコの村ひとつにつきドイツの三つの村を破壊することを提案した。

狂気の連鎖反応だね。しかし、その一方で連合国は報復を恐れ、以後はナチスの高官を暗殺する同様の作戦計画を中止した。

ハイドリッヒが殺された2年後、フォックスレイ作戦で連合国側はヒトラーを目標とした作戦を試みるが中止した。






此のラインハルト・ハイドリヒ親衛隊中将暗殺(エンスラポイド作戦)は、ナチスの高官暗殺計画で唯一成功した例となっている。





















暗殺の実行者は、プラハの二つの家族に匿(かくま)われ、後にプラハにある正教会の大聖堂、聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂に隠れた。

ゲシュタポは、100万ライヒスマルクの報奨金目当てに密告者が現れるまで暗殺者たちを発見できなかった。

果たして、カレル・チュルダって男が密告したんだね。ジズコフのモラヴェック家の家族を含むインドラのグループに提供された隠れ家を曝した。






6月17日午前5時、モラヴェック家の住まいがゲシュタポの手入れを受けた。家族はゲシュタポがアパートを捜索する間廊下に立たされていたが、

モラヴェック夫人はトイレに行く許可を受け青酸カプセルで自殺した。

夫は家族のレジスタンスとの関係を知らなかったが、息子のアタと共にペケック・パラクに連行された。ここでアタは一日中拷問にあった。






この拷問と云う一言で片付けるけれど、この拷問の時間には、正常な人間は存在しない。世が世なら猟奇殺人犯なんて震え上がるような奴等の世界だね。

ナチス・ドイツの親衛隊(SS)ゲシュタボ(国家秘密警察)の残忍さってのは、冷血でなくしては、まともには見れないものだったらしい。

人間が最も耐え難い苦痛をもたらすことが拷問の目的だから、其処に救いはない。治すための苦痛ならば耐えて救いがあるけれど拷問は破壊しかない。






フランス、ポーランド、ロシア等のレジスタンスやパルチザンの摘発、粛清らでは、血も凍るような凄惨な拷問で死んだ人は数え切れないんだね。























最もは、ユダヤの何百万という人々は、此の世の地獄を骨の芯まで沁み込ませられるような体験を強いられてあの世に旅立ったんだね。

人間の奥底に眠る狂気、残虐性が正当化されて暴れ狂うんだね。戦後、これ等の拷問に興じた連中が一網打尽に罰せられたかというと甚だあやしい。

狂気の坩堝(るつぼ)に歓喜した猟奇殺人犯が、木漏れ日の下のベンチに腰掛け優しい笑みを浮かべてる姿に、其の正体を知る人は、もう此の世にはいない。






アタは、ブランデーで酔わされ水槽に入った母親の切断された首を見せられた。最終的にアタ・モラヴィックは、知っていることを全て話してしまうんだね。

親衛隊(SS)は教会を包囲したが、700人以上のナチスの部隊が作戦を行ったにもかかわらず降下兵(7人の兵士)を生きたまま捕らえることができなかった。

ハイドリッヒを殺したクビシュを含めた3人は、銃撃戦の末に大聖堂で殺害された。ガブツィクを含んだ4人は、捕虜になるのを避けるため地下室で自殺した。






密告者のチュルダはドイツの偽名とドイツ人妻を得たが、戦後の1947年、自殺に失敗してナチス協力の罪で処刑された。























残念ながらテレビ洋画の最期が思い出せないんだね。じわじわと追い詰められて地下に逃げ込んだ者がマンホールから放り込まれた手榴弾に

仲間を守るために覆い被さって破裂を一身に受けて庇うんだね。もう脱出は不可能、万事休すの状況に窮するんだね。

ドイツ軍は、無駄に兵を失う攻撃をやめポンプ車から地下に水を送り込む水攻めに切り替える。大聖堂の地下は、見る見るうちに浸水するんだね。





















映画の看板に、追い詰められて生き残った二人が胸まで水に浸かり互いに銃を相手の頭に向けて最期を迎えるシーンが描かれてる。

降伏はできない。降伏は地獄に繋がっている。死ぬことは出来る、救いの道なんだろうね。

ネットをうろついていて、この写真に目がとまった。そして、遠い昔に観たシーンが甦ってきたよ。





















生きるという道のなんと多いことだろうかね、今を生きるものたち、過去を生きたものたち、活字にもならない無数の人生の道があるんだね。



























『実写 大聖堂の地下に水を送り込むドイツ軍』









『実写 大聖堂の地下に水を送り込むドイツ軍』









『実写 当時の大聖堂の地下』









『実写 当時の大聖堂の地下』









『実写 プラハ市民が見守るなか大聖堂の地下に水を送り込むドイツ軍』









『実写 大聖堂の地下に水を送り込むドイツ軍』









『実写 大聖堂から引きずり出されたのか、大通りに横たわる遺体を群がり見る人たち』

















『実写 暗殺計画に選抜されたチェコスロバキア亡命軍の7人の兵士の遺体』








 『暁の7人に出演のティモシー・ボトムズ』








灰汁(あく)の無い役者さんだね。この人の出演作に 『ジョニーは戦場へ行った』ってのがあったね。これも映画館では観なかった。

第一次世界大戦に徴兵されて戦地へ赴くんだけど爆弾が命中して両手両足を失い盲目の上、言葉も発せられない重傷を負う。

意識の無い生命維持のみで生きる物体としてロッカーの中に収容されてるんだね。植物人間、当時は、医学的な研究材料として扱っていたんだね。





彼の世話をする看護婦が、或る日、偶然に意識が在ることに気付くんだね。

其れからがしんどい映画なんだね。うなされるわ。此の人の顔を見たら思い出してしまうよ。

今日のお話は、また、長くなってしまったね。














Operation Daybreak :: Ambush scene














Operation Daybreak - Ending



































カメレオンの独り言-1441 『雑な仕上げでごめんなさい』

2015年07月03日 | 日記







 2015年7月3日







借金が返せない、コワイ取立て屋が来るまでに工面しないと大変なことになるなんてのは世間に転がってる。オレも経験してきたよ。

日本円にして42兆円に上る債務残高を抱え、この6月末から8月にかけて返済期日が目白押し、ギリシャが大変だねえ。

国が破綻するってどうなるのかね? 無知だから解らんね。国民の大方が公務員で年金も福祉も結構に行き届いた国だったらしい。






そんなのがツケになって回ってきたのかね? どんぶり勘定だったのかねえ? 

ユーローに変わった時に、金利が極端に落ちたから借金しまくったのはいいけど、其の時に今までの元金を減らしておくべきだったよ。

地中海に囲まれた風光明媚な国だから観光なんかでは経済が潤うだろうから国民がのんびりしてたんだろうかね?






お隣の韓国も日本に追いつけ追い越せの勢いは見た目だけで実際は苦しいのが実情らしいね。大卒の半分が働く職場がない。自殺者が多いらしいね。

サムスンを始め大手の会社は、半分以上が外資で成り立ってるから儲けは海外に流れて国を潤わさない。

大手銀行などは、揃って60%から100%が外資で運営されてんだね。なんかで云ってたけど、所謂(いわゆる)、植民地のような有様らしい。






なんで新幹線の車両の中で焼身自殺するんかね? 71歳にもなって迷惑かけない死に方ぐらい知っとけよ。関係ない人を道連れすんな。

こんなのに身内さんが居たら大変だよ、弁償の請求がべらぼうな額になるよ。しかし、年金24万貰えたらいいほうじゃないの? あかんのかね?

自殺で電車に飛び込む人が多いけど残された身内さんのことを考えたらやめたほうがいい。バラバラの死体と大きな負担を残すだけだよ。





と、まあ、思い当った事柄で字数を稼いだ積りが話に延びが無いから然程の字数にならないね。困ったね。























テレビのニュースは、手の込んだ模型なんか用意して新幹線の内部を隈なく説明入りで、しつこいぐらいに報道する。

客の乗車時の手荷物チェックは不可能なんてことも、わざわざお知らせしてる。

そんな情報は、ネットを始め専門雑誌などでより詳しく説明されてはいるんだけど、テレビでやると知恵ついたような馬鹿が真似するんだね。






摸倣(もほう)犯って奴だね。自殺じゃなしにガソリンや石油撒いて似たようなことをする。世間を騒がした事件には、必ず、こんなのが出て来る。

こんなの誘い出して一網打尽に檻ん中に放り込む囮報道なら意味があるけど、ただ、寝てる子起こすような報道の在り方はどうかと思うね。

しかし、高速で時間短縮は結構だけど窓を開放できない乗り物ってのは、圧迫感で息苦しいと思ってたら、やっぱり、息苦しいみたいだね。






「それは煙が充満したからだろ?」 そうだけどね、窓ひとつ開ければ吸い出されるように放出するから、あんなに篭らないんじゃないの?

最近の新幹線は乗らないから知らんけど、一昔前のは、よく利用した。そん時から航空機みたいな窓が気に入らんかったよ。

故障とか事故で長い停車なんか喰らったら最悪だよ。澱んだ空気の中で何時間も我慢しなきゃならん。換気が止まったら地獄だよ。






其処へいくと昔ながらの列車は、窓を開放して外気の取入れが利くから救われるよ。オレは、昔ながらの列車のほうが好きだね。























オレなんか、街ん中出ても地下へは用事がない限りは入らないよ。なんかで読んだけれど地下街は、ばい菌の巣窟らしいよ。

空気中を凄い量の埃と菌が浮遊してるだって。それなのに食品売り場は決まって地下なんだね。生もんなんかの食品は菌の集中攻撃に晒されてんだよ。

色とりどりのお菓子やケーキ類らは、見た目はとても美味そうなんだけど陳列されてる間にばい菌どもが群がって食い漁っておるんだよ。






「夢の無い話をすんな、美味けりゃいいんだよ」 人ってのは面白いね、陳列されたケーキの上に虫が一匹居たら絶叫もんだよ。

ケーキ屋さんは、慌ててケーキを処分する。でも、本当は、地下で陳列してるだけでばい菌だらけの状態は一緒なんだよ。

虫もろとも食ってるのと同じだよ。「キショイこと云うな」 まあ、それだから人間は、強く生きていけてるのかも知れんね、共棲してんだよ。






布団や枕の上はばい菌だらけダニだらけ、それに顔埋めて口開いて寝てる。顔ダニが居るらしい。やめてくれよ、何処に居るんだよ?

まな板や洗ったはずのコップにもばい菌が居る、それらを洗うスポンジはばい菌の巣窟。見た目で安心美しい、何の当てにもならないね。

では、無菌室のような環境を拵えて、そこでホントに衛生的な生活ができるとすれば、もう、そんな環境でしか生きられない人間が出来上がる。






つまり弱い人間だね。抵抗力を無くした生き物は汚れた環境では生きてはゆけない。すぐに体調不良になって、揚句、病気になる。

空気中に舞う埃やばい菌、顔に巣食うダニ、ばい菌だらけのケーキなんかは人間を鍛えてることになる。「ホンマかよ?」 

白血球なんかが逞しく仕事すんだよ。「しかし、今日の話は、いったい、なんやねん?」 オレも解らんようになってるの。どうしようかな?






「もう、違う話に飛んだほうがいいんじゃないか?」 飛ぶには飛べるオチがいるよ。埃やばい菌の存在と似てだね、

う~ん、世の中の愚か者の存在は、人間社会の欠点や弱点などを気付かせるために在るのかも知れないね。

あまり、いい喩えとは思わんけど、この際、これで逃げとかんと収拾つかんようになる怖れがあるよ。堪忍ね。























言い訳になるけど、今、ちょっと、長期の休みが欲しいぐらい忙しいんだね。ブログのネタを考えてる時間がないの。長く待たせて、これでは心が痛む。





























カメレオンの独り言-1440 『ことが動くとき』

2015年07月01日 | 日記







 2015年7月1日







ステンレスで出来てるビールジョッキってあるんだね。奥さんが「これで呑んだら温(ぬる)くならへんで」って、出してくれた。

350ml一缶入っちゃうよ。パソコンやりながら呑んでても、たしかに、いつまでも冷たいね。

いつまでも冷たくていいんだけど、なんか呑んでる感じがしないんだね。泡を浮かべたビールの姿が見えないから雰囲気が悪いね。






見た目も味わいのひとつだね。パソコンやりながら忘れた頃に口に運ぶぶんには冷たさが持続していいことはいい。

でも、夕食時は、やっぱりコップのほうが呑んでる気がするよ。「あんた、ステンレスのん使うてるか?」 ああ、使ってるよ。チェックしとるな。

「あんた、独りでやれんのかいな?」 ああ、独りがいい。「まあ、こっちもあんたの顔見んでもええ思うたら清々するわ」






そらあ、お互いさんやで、ようも、こんなけ合わんもんやねえ? オレは、誰かに看取って貰ってくたばるなんて思わない。逝くときは独りだよ。

沢山の人に囲まれてくたばっても逝くのは自分独りだよ。後の世話をかけるのが気がかりではあるけれど、

保険ばかり支払って福祉の世話などなったことはないから一度ぐらい堪忍してもらおうか。「それは云えてるな」 だろ? 






しかし、おまえも強いね。「ふん、わたしは、まだまだ愉しみたいことがあるんや」 いいことだね。人生は愉しまなきゃ意味が無い。

別れることを前提に奥さんと話してる。互いの存在が互いをマイナスに向わせるしか無いなら別れて生きるほうがいいと合意するところがある。

こういう話は、長く多く話したからって理解の合意なんて図れない。感情的になる前に話を終えて、互いが、考える時間を多く取ることだね





















「冷え切ってるのか?」 冷え切ってると云うより意見が尽く対立して熱くなるばかりだよ。だから、オレは云うんだよ、互いが建設的な将来を

志向する上で独立しようってね。今の状況で人生を諦めるなって云うの。今までが悪ければ、なんとしても良くなるために講じる手段なんだよ。

「力を併せないのか?」 二人三脚なんてのは息が合っての話だよ。もう、互いが転んでばかりで進まないって感じだね。






夫婦なんてのは、船出してみなきゃ航海を読めないしろものだよ。一生、金に困らない人、病気知らずの人、災い知らずの人、人に困らぬ人、

それぞれに、なにか努力以外の導きで救われる人がいる。哀しきかな、これらの逆を背負う人もいる。

夫婦も、そうだよ、互いの存在だけで救われる仲もあれば、どう努力しても報われぬ仲ってのもあるだろうね。






駄目なら互いが、其れを理解して離れるべきだよ。そうしないと愛情が転がれば憎悪に変わる、それほど馬鹿らしく哀しいことはない。

話して考える、また話し合って考える、これを繰り返して、互いが発展性の在るほうに活路を見つけるほうが賢いよ。

笑って清算なんてのは期待できないけど、互いが独りになれば忘れていた感謝の気持ちにも気付くもんさ。過ぎ去った人生を悔やまずに済む。






救いのある終わりでありたいね。二人で生きて来た人生があって今が在るんだから、上がらねばならん梯子を二人で上(のぼ)ってきたんだからね。





















「おまえ、奥さんじゃないけど、独りでやっていけるのか?」 さあ、どうだろうかね? オレはね、実にこじんまりした男だから

生活に関する実務的なことをマスターすれば、なんとか生きてはいけるだろうね。オレは、もともとは静かな男で居るか居ないか解らんほどだよ。

それをけたたましい男に変えるのが奥さんなんだよ。そうなるオレが悪いんだけど卵が先か鶏が先かの話で、くだらん答えを求めて水掛の論をする気は無い。






昔から、責められたら、すまんで終らねば終らんことを毎日繰り返してきた。もう、嫌なんだね、問題のない生活を過ごしたい。

笑って、「誰と笑うねん?」 馬鹿だね、オレは、独りで鼻水垂らして涙浮かべて笑う男だよ。「おかしいんではないか?」 だいぶんおかしいね。

奥さんと喧嘩した後、自分のブログ読み返してて声を殺して笑ってんだよ。こいつ馬鹿やでえ、なんてね。過去の奴は愚かしい。「それは、おまえやろ?」






振り返って噴き出さずにはおれん人生がいい。塗りたくる色は様々だけど常に明るい色が勝っているほうがいい。そんな色を塗っていくんだよ。

息子に、苦しい時や哀しい時は、自分だけのことにかまけるな、今の自分でオレは人のために何が出来るか? そんなことに意識を転換しろって云うの。

うちに篭って自分ばかりを見るから視野が狭くなる。人に分散して自分を見れば、跳ね返って、今の自分の在り様が浮かび上がるもんさ。






人の幸せを喜べる自分になれって云うんだよ。そしたら 「なんでも、人、人やないやろっ」なんて婆が責めてくる。「この子の問題やでっ」なんてね。

云わんとすることは解るけど、うちの奥さんは、他人は他人、まず自分って考えが根に在るね。それは、それでいいんだけど、

自分に捉われすぎるから自分に迷うってことを知らんね。人は、自分にとって、何のために在る、教えてくれるために在るんだよ。






見えぬものを見せてくれるんだよ。だから、感謝を返すんだよ。人が喜ぶ、喜ぶ、喜ぶ、それは、皆、己に形を変えて還ってくるんだよ。





















こうして喜びが連鎖して感謝が循環して世界は平和だよ。「そんな単純なものか?」 頭に偏(かたよ)った奴等が単純ではない世の中を創った。

心に偏った奴が、ここで独り、単純な世界に戻そうと話しておるんだよ。「無理っぽいね」 と、遣らぬうちから諦めるからいかんのだよ。

言葉、活字、音楽なんての影響力を知ってるか? 心に響かせば、その振動は共鳴して広がり往くんだよ。堅いのは駄目だよ、聞くのも読むのも疲れる。






笑いだよ。心を揺さぶる笑いなくして轟き往く共鳴の拡大に期待はできない。堅さは、その後を追えばいい。なんでもね、出番ってのがあるんだよ。

なんの話だったかっ? 「おまえと奥さんとの別れの話だろ」 そうか、慌てはしない、人は縁の力に作用されてるからね、無理はいけない。

満ちれば潮は引きに入る、上弦、下弦の月が、それをもたらしてる。人の介在できぬ世界だね、人が繋がり、離れるのも人だけの作用じゃないだろうね。






オレが、そう在るべきだと思うことと奥さんがそれに同調することと、見えぬ作用が一致すればの話だね。つまり、軽いことではないということだね。

己の人生を重くして軽々しくせぬことも、羽根あるが如く軽々しくありながら重いものを飛ばすのも心の作用が決めることだね。

相手の人生を軽く判じぬことが胆だろうね。納得を待って得なければ、それは世に云う腐れ縁って奴かも知れん。






「どうすんねん?」 先行きに欲もかかねば案じることもしない。なるようになるんだよ。ケセラセラだよ。「またかよ」  世に動かぬものはない。





















眠たいのに無理して書いたから読み直しもしんどい、よっておかしな処が在るかもしれない。そこは、皆さんで直して読んでね。 「ズボラな奴やね」




























カメレオンの独り言