カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1422 『自分の上に筋があり、自分の下に義理が在る』

2015年05月30日 | 日記







 2015年5月30日







インドで46~50度の暑さが続いて1200人もの人が死んでるってニュースで報道してる。凄い暑さだね。

若い頃なら、そんなもんがなんじゃいって意気も上がるんだけど、今のオレだったら1200人の仲間入りだね。

こんなときでもインドでは激辛のカレーを食ってんかね? 体温上げて気温と調和を計るのかな? 「計るかっ」






我が日本も季節外れの暑さだね。昨日のニュースの各地の光景は真夏のそれだよ。今からこれだと本番が来たらどうなんのかね?

光量が多すぎると、被写体の一部が真っ白に飛んだ写真に仕上がるときがある。この数日、いつも目にする風景なんだけど、

真夏のような日差しの中、光の量が上まって町並みや木々のあちら此方が白く飛んでるように感じるよ。






バスを待ってベンチで腰掛けてたら背後からナイフで刺されてる。刺したのは26歳の女性だって。

何の関係もない人なのに刺されてる。「ムシャクシャしたから刺した」いのなら自分を刺せ。暑くなると、こんなのが増えるね。

最近は、日本刀に魅力を感じる女性が増えているらしい。今の世は、日本刀を持って歩けないけど小さな刃物は持ち歩ける。






これからは、鎖かたびらを衣服の下に着用するのが流行るかもね。「暑さと重さで自殺行為やぞ」 

精神力だよ。背後の敵はかわせない。鎖かたびらが守ってくれる。痛こそばゆい程度の傷で助かるよ。頭は鉄兜だよ。「戦争に行くんかよ」

今の世の中、そのぐらいせんと不意打ちは防げないよ。豊中でも、マンションのエレベーターから降りざま背後から男に襲われて、






何の関係もない女性が刺されたり切られたり血だらけなって死んでいる。死んだ女性は、気の毒に訳解らんままに彼の世へ往くんだね。























何ごとも変化を望むなら自ら動かねば変わらない。善いも悪いも行動を境目にして変化が起こるね。

オレも、そのときがじわじわと近づいてるのを感じてる。このままじゃ駄目だね。仕事もさらば、住み慣れたこの地もさらば、

そんなときが近づいてるような気がする。「死ぬんか?」 アホか、物語が終るじゃないか。






こんなんで終るんなら、もう、オレは一切の汗をかかないよ。アホらしい。屁一発で糞人生飛ばしてしまうわ。「どんなんや?」 其の程度のもんさ。

まだ、戦いがあると思うから頑張って生きてんだよ。遣らねばならぬことがあると思うから変化を望んでいるんだよ。

「今、動くときか?」 解らん、其れが解れば攻略本片手のゲームじゃないか。クリアできて当たり前じゃないか。






オレは、産まれて初めての最初のゲーム「トウーム・レイダース」ってのを攻略本なしでクリアしたんだぜ。どんなけ苦労したことか、

ドッキ~ン、ドッキ~ンと心臓響かせて、どれだけ主役のララ・クロフトを殺したことか、「生き返るなんて嘘だろ?」 やり直しだよ。

やり直しで、すぐに、また死ぬの。「なんやねん」 そのぐらい難しくて怖ろしくて不気味で、よくできたゲームっだったよ。






女伊達らに二丁拳銃にショットガン、グレードランチャーなんてのを都合よく取り出して、恐竜や熊やライオンやゴリラや狼なんかを撃ち倒し、

其の上に、最強の化け物どもが出て来よるからコワイ。「なんやねん、なにが怖いねん?」 そいつらとも勇敢に戦うんだけどなんか不気味なんだね。

「ゲームだろ?」 いやいや、冗談じゃないんだよ、ホンマに怖いんだよ。そのぐらい、当時では、リアルな出来のゲームだったね。














『こんなの作るの大変だから、ちょっとお借りします』









オレは感受性が強いから主役のララ・クロフトに感情移入して、其の身になって操るから怖さ倍増だよ。知らぬ間に深呼吸を何度もするよ。

2作、3作、4作とシリーズ重ねるごとに、3Dの技術も進化してより一層にリアルになり、ララ・クロフトもどんどん美人になってったよ。

オレは、2作目を半分ほどやったけど、流石に目が疲れて酔いそうになるからやめた。






今じゃ、もう本物みたいにリアルになって18禁の新作が出てるね。Hなんだろうかねえ~? 悪どもにとっ捕まって映画風のシーンがあるかもね。

「何を考えてんねん?」 男の本能が想像力を刺激するんだよ。ともに恐怖を克服したララ・クロフトには深い親しみさえ感じるよ。

外国じゃ、ララ・クロフトのAV版ゲームも販売されてるらしいよ。あっちは、そういうのは、底抜けだからね。オレのララをボロボロにすんなっ。






で、なんの話だったかね? 「変化を望んでるんだろ?」 ああ、そうだったね。おまえが、死ぬんか?なんて聞くから横道それたんだよ。

オレの人生の話をしてるのに、なんでゲームの3D人形の身の上を心配しなきゃならんのだ。「すまん」

「では、全てにさらばするよなこと云ってるけど、おまえを取り巻く人たち全てか?」 そうだよ、何ごとも永遠なんてないよ。






オレは、一匹狼で死ぬ覚悟を常に持ってる。そのとき、その場を一生懸命に生きて来た。また、生きる世界が変わっても同じだよ。













『トウーム・レイダー最新版』









人は、安寧の生活こそが、人生の至上の喜びと捉えるけれど、本当に安寧の生活なんてのがあるんだろうかね? 

人生の苦ってのは雑草が生い茂るように切りなく現れる。刈り取ることを怠れば苦だらけの日々に嫌気が差して文句だけが目立ってくる。

四方八方包んだ中でもみ消しもみ消しすまし顔、見てくれ飾って嘘にも磨きがかかる。そんなの守るために生きてるのか?






無いならないで何にも無い、其れが本当ならそれでいい。そんな生活をしてみたい。「其れが、おまえの夢か?」 くだらん雑草の生えない家だよ。

「おまえの家は、そんな家か?」 でもないよ。ただ、惰性で終る人生が嫌なだけ。

脈絡に縛られて惰性に任せて終わりが来たから、さようならってのが我慢ならん。オレはオレを生きたという実感が欲しいの。「ないのか?」






残念ながらないね。大方は自分の責任だけどね、物分かりよい人を演じて役者で死んで逝くのが嫌なんだね。

義理と人情を秤にかけりゃ義理が重たい男の世界、筋を通せば自分の出る幕はない、随分と無理をしたよな人生だったように思えるね。

情が重たいオカマの世界でもいいよ、あと僅かでも自分に正直に生きてさよならしたいよ。



























カメレオンの独り言-1421 『映画 サード・パーソン カレーからウンコに変わってゴメン』

2015年05月29日 | 日記







 2015年5月29日







この前、ツタヤで借りた数合わせの映画を映してみたけど予想通りのゴミであった。『エージェント・コール』『レクイエム』『パリ・カウントダウン』 

即、消去。『パリ・カウントダウン』は、馴染みのない役者ばかりなんだけど、なんとはなしに観れたね。

フランス映画らしい間の取りかたで雰囲気は少し味わえたけど残すほどの出来ではない。他の2本は全部観るには辛いからコマ飛ばし。






こういう駄作は、駄文を書いているオレには有り難い。こんなのでも商売になってるってとこが勇気をくれるよ。もうちと真面目に創作に励めよ。

気分治しにリーアム・ニーソンの『サード・パーソン』を観てみたよ。難しいね、男女3組の物語が同時進行してんだね。

一組の男女の物語は作家のリーアム・ニーソンなんだけど、それぞれの物語が何処かで繋がるんかねって思ってる。でも、繋がりそうもないんだね。






で、ラスト、ニーソンが愛してた女性を追うシーンになって、それぞれの女性たちが入り混じるんだね、ああ~そうかいなあって解ったよ。

後の二組の男女の物語は、ニーソンが創作した物語の中の男女なんだね。でも、人をウロウロさせんなって腹は立たないね。

なんとはなしにニーソンの過去の事情に絡むように繋げてるんだねって解釈は出来なくもない。出来なくも無いけど難しいね。






まあ、なんとはなしに見れる大人の映画ではあったね。「子供のおまえには難しかったろ?」 だから、難しい、難しいって云ってんだろ。













『サード・パーソン』 2013年アメリカ映画 リーアム・ニーソン オリヴィア・ワイルド








ネットの映画紹介で感想を語ってる人たちのを読んでみたよ。こいつらホンマに凄いね。オレなんか永遠に書けないような難しい言葉を連発して

批評してる。うんうん、なるほどって思うのもあれば、もう、何が云いたいねん?って、解釈不能なのもある。当人さんは解ってんだろうね?

横文字がやたらと多い人もいるね。そいでもって高度な解釈に酔ってるような趣だね。コワイ人たちだね。「それ褒めてんか?」 そうだよ。






オレの脳味噌では真似はできないよ。高度な教育が作りあげたエリートなんかね? 「ロボットみたいに云うな」 そんなこと云ってないよ。 

何ごとも、元を糺(ただ)せば単純なんだね、人の死も命が果てただけのことだよ。其処に人の思いをのせると、それだけのことではないね。

感情的にただごとではない。思いは走馬灯のように駆け巡る。そこに知的な感性をのせると厳かになってゆくね。





















男と女の物語も、やっちゃった、できちゃったでは、原始人だね。感覚のみの快楽とその代償、快楽から現実に引き戻されて慌てふためく。

情が絡んだ物語が始まるね。打算も働くね、猜疑心も活発に活動する、年貢の納め時の覚悟を強いられるね。

此処に感性をのせると夢が救うね。そして、其の上に知性をのせると云い訳の思考も奥が深くなる。私たちは、スマートだと錯覚に溺れる。






一緒に溺れたいから上を夢見るインチキ女が増える。でも、もともとは原始人となんら変わらないのが事実だろうね。そんな映画だね。





















リーアム・ニーソンの妻役はコワイ顔の女優さんだと思ってたら、なんと、あのキム・ベイシンガーではないかいな。

流れ去った年月を思い知るね。不倫男のニーソンの愛人やってんのがオリヴィア・ワイルドって女優さんだね。

顔に皮が貼り付いたような風貌だね。スッピンで泣いてホテルに帰って来るシーンが有るんだけど、尚、貼り付いた皮が裂けそうなくらいだよ。






「おまえなあ、そんなこと書いてる感想あるか?」 ないよ。「もっと、内面重視、質を高めろよ」 そうだね。しかし、オレはあんなの嫌だね。

「誰もおまえの好みは聞いとらん」 でも、この人は芸は上手いんじゃないかね? キーラ・ナイトレイと同じタイプかなあ?

リーアム・ニーソンはいいねえ、油がのり切ってるよ。安心して観てられる役者だね。まあ、大人の雰囲気で愉しめる映画だったね。





















人間的に取り立てて非のない人ってのは、結構なんだけど、此れを前面に出して物言いされると大変迷惑な人になるね。

緩衝となるものがないからストレートで嫌味な奴に変貌する要素があるよ。「正しいこと云ってんだろ?」 そうだよ。

「正しいことを云うのに緩衝材が必要か?」 無駄を排除して要点のみを率直に云う。熱が入りだすと鋭角的な言葉に、尚、磨きがかかるね。






正しく生きているから正しいって解釈で止まったままなんだね。其れを基準でものごと測るのは構わないけど素っ裸で往来歩く自分に気付かない。

つまり、融通が利かないから自分が見えなくなるんだね。許す、許した上で話し合う、認める、認めた上で話し合う。これが出来ないんだね。

善は善、悪は悪、子供は教わって理解して成長する。生きる環境や境遇は、それぞれに違う。性格性質も個々として違う。






ものの見方も変われば常識も変わる場合もある。一辺倒には御せぬことが日々重ねられて身についている。気付かせるには時間が必要だね。

それらを無視して解らそうとする。傲慢だね。従わせようとする驕りが鼻につく。形を変えて我欲だね。

行き過ぎると善が悪に豹変する。痛めつけても解らせる。罰を与えて服従させる。教育から程遠いものになる。






融通の利かない妥協も許さない鉄板みたいな奴になる。そんな奴の何処に魅力を感じる? 善の見苦しさを演出してるようなもんだよ。





















例え話が陳腐な表現になったけど些細な事柄の中にも、そんなのが顔を出すね。取るに足らぬ些細な事柄で絶えず見ることがある。

悪も不快なら善も不快なときがある。悪の看板は、其処らに立ち並ぶけれど善は看板にしてはならない。

善は、誰もが自由に呼吸できる空気のように在らねばならない。乾いた心を潤わす水のように在らねばならないもんだよ。






「なんで、そんな話になったの?」 解らん。「おまえの話は、美味いカレー食ってる話からウンコの話に変わるよなとこがあるね」 すまん。

今日は、調子が悪い。「いい時あんのか?」 どういう意味や? 出来不出来に関わらない自分なりの調子だよ。「なるほど」

今日は、右脳が分裂しておるよ。今日、彼女が来てね、ああ、忙しかったって云ったら 「全然、忙しそうじゃないわ」って、人の仕事を馬鹿にしておるよ。






しかし、考えたら、彼女は、オレにとって空気や水みたいな存在だね。なにも話さないんだけど、いろんなことを教えてくれるよ。



























カメレオンの独り言-1420 『根のある奴は育つ』

2015年05月27日 | 日記







 2015年5月27日







なんとはなしに、過去の奴のブログを読み返すと全身にミミズが這ってるようなこそばゆさを感じるね。そして、一言、馬鹿だね。

これが、また、病み付きになりそうな自虐的快感を覚えるよ。「なんやねん、そんなの消せよ」 オレの知ったことか。「知ったことだろ?」

自虐的な意識はある。「そらそうだろ、おまえが書いたんだから」 そのときのオレは、もう、居ない。「おるがな」 おらん。「おるだろ?」






オレにしたら、とんでもない恥さらしに思えるよ。オレは、過去を消し去り消し去り生きて来た男だよ。過去なんてアホのオンパレードだよ。

だから、残さない。なのに公然とするところに残したままだよ。此れが、自分でも訳解らんアホなとこだよ。呆れるよ。

それは何故か? 事実ってのを直視する勇気を養ってんだよ。愚かな自分を隠さない、真実の自分と向き合う勇気だね。それを養ってるんだよ。






事実ってのは、実に不快なるもんだね。不快なる事実から成長を意識するんだね。ほんの少しでも成長せねばと思わせてくれるんだね。

恥ずかしい自分を救ってやらねばと思うんだよ。積み重ねて今が在る、積み重なった下に不快が在る。

後に見れば、今も不快を積み重ねていることに気付くんだろうね。その行程を知れば全てを消さねばならない。






過去を消すということは地盤を失うことになるんだね。恥を怖れて成るものはないってのは、其れを云ってんじゃないかねえ?














『ランペドゥーザ島は、地中海のペラージェ諸島にあるイタリアの島、宙に浮遊してるみたい。ランペドゥーザ島の海の透明度を象徴した写真だね』










まあ、過去のアホな奴を語るのは、このぐらいにしてだね、「それはおまえやで」 今のオレの知ったことではない。

「今、語ったことの意味を解しておるのか?」 充分に解しておるよ。「なら、恥かきはおまえやで」 何を云ってるんだ?

それは今のオレではない過去の知らん奴だよ。「過去も今も未来もおまえなんだよっ」 未来の奴など知らん。「まあ、それはいいだろう」






「過去から今に至る経緯に於いては、おまえ以外ではないんだよ」 どうしても、そう認識させたいのか? 「それが事実だよ」 

逃げて逃げれることの出来ない事実なんだね。「そうだよ」 じゃあ、隠しても消しても、それは在るんだね。「そうだよ」

だから、過去の糞駄文も消さずに置いたままなんだよ。「随分、遠回りな解釈だね」 






そのぐらいに愚かというのは鬱陶しいものなんだということを念押ししてんだよ。「なるほど」 しかし、始めがあれば終わりもあるってんなら

始めを消せば終わりはないんじゃないか? 「う~ん、着目するところがグッドだね」 なんやねん、それは? 「それは浮遊してんだろうね」

「根拠を失うんじゃないか? ものごとは始発から帰着して落ち着くもんだからね」 根のないものは育たないってことか? 「そうだろうね」






「おまえは、根をないがしろにし過ぎやで」 腐っても根か? 「腐らさずに伸ばせばいいんだよ、どんな大きな木に育つやも知れんよ」 














『 「なんかこじんまりした木だね」 こんなもんだろ? 』










結局は、自分に打ち克つことに人間の成長は集約されてんじゃないかね。人生の最大の敵は自分自身だね。

自分に意識が根付いて向き合うことを知れば、それに果敢に戦い、傷つく自分を愛おしく思えるから自分を大事にすることに目覚める。

自分を大事にする心は、やがて他人(ひと)をも大事にしようという思いに繋がるんじゃないかねえ。戦友意識がさせるのかも知れんね。






事務所に戻ってくると背後に気配を感じて振り返ると某私立大学付属の高3の女子が笑ってる。うん? なんか元気がないみたいだね。

ニコニコしてんだけど、いつもと違うね? どうした? 「・・・・・」 なんか面白くないことでもあったんか? 「何も無いねん」

彼氏に会えんかったんか? なんか云いかけてとどまった感じだね。知らん顔して行きよったんか? 他のことか? 






明らかにいつもと違うね。まあ、乙女の心は複雑だからね。「解ってんかえ?」 ホンマのとこ解らんね。

ニコニコしてんだけど元気がないよ。元気だせ。「★★ちゃん、なんにもないねん、ほなあ、帰るわ」 走って帰ってったね。

そのときは、気付かなかったよ。暫くして、待てよ、彼氏が他の女の子と話してる姿を見たね? 「なるほど、有り得るね」 そうだよ。






普通に、なんでもない話をしてる姿でも、ただならぬ思いが胸を焼くからね。恋とは、もやもやとして苦しいもんなんだねえ。























そんなのと遠く卒業した歳になっても、胸を焼くよな苦しさは変わらんもんだからね。「誰のことや?」 ひとつの喩えだよ。

「ズタズタのボロボロになったって誰かが云ってたなあ」 そうだね、なにごとも経験だね、その人の思いが手に取るように解るんだね。

オレには、そういうのが少なかったよ。去るもの追わずでわりとあっさりしてたから胸の痛みは知ってるけど焼くような苦しみの経験は浅かった。






追わなかったから、そんなのを目にすることも少なかったからね、僅かなことは釣りしてたら忘れちまうんだね。「淡白なんだね」 でもないよ。

でもないんだけど、一途になれる人たちではなかったんだろうね。見た目には一途にならねばって思う人が多かったけどね。

でも、オレって、なんであんなに釣りに夢中だったんだろ? 当時は、それが全てだったね。大きな癒しに包(くる)まれて遊んでいたんだね。






気の休まることのない事情を引きずって、早朝から深夜まで働き詰めの毎日だったから、休みの釣りが唯一の自由と喜びだったんだろうね。

人間は、もう、いいって何処かで拒絶するものがあったのかも知らん。思い出したら、吾ながら情に絡めて事情に対して忠実だったね。

其れしかできないって思い込んでいたきらいもある。男と女の世界は、それが片付いてからってのがあったよ。






人間を生きたら、知らねばならんものなのかも知れんね。そんなもやもやとした言葉では言い表せない苦しみを嫌というほど教えられたよ。

オレの歳になれば分別が働いて、それが年甲斐もない恥であると解釈して思いを断ち切り峠を越せる。考えたら苦しかっただけだよ。

でも、本当は、信じることができるか、できないかにかかっている問題だろうね。オレは、信じるほうにしたよ。信じるものは救われるよ。























だからといって、相手に拘束性など発生しない、オレの心の在りようの問題だよ。事実は違っていても、オレの中では、昔のままの彼女だよ。

正直、逢わなきゃよかったと思う時があるよ。道ならぬ思いだから、どう転ぼうが哀しいさだめに泣くが運命だよ。

でも、若い子達は、なかなかそんな心境にはなれないからね、信じていた全てが崩壊するほどのショックなんだろうね。可哀想に。






日常の当たり前の光景が非常に映る、変わらぬ肉眼を通して見える姿が信じられない。

なんでもない、なんでもないと否定すればするほど脳裡に焼きつくあやしい姿。なんでもない人の人格までが信じられなくなる。

こういう心裡を解説できるほど、この方面には明るくない。ただ、極めて悲痛にして不信不快なる心境の波間に漂うのは解るね。






明日、学校へ行けば、昨日の猜疑の思いは嘘のような展開に胸を撫で下ろせるよ。そして、信じようって気が湧くんだね。






























カメレオンの独り言-1419 『口から出任せで今日を凌ごう』

2015年05月25日 | 日記







  2015年5月25日







前にも何かの折に目にして吃驚したけど、前回の中国交通事情のお話に合うような写真を探していたら交通事故の画像と遭遇した。

死んでしまえば自分は解らないことなんだろうけど、交通事故の死傷者にはなるもんじゃないね。

格好良い自動車の誘惑は、そんなの何処かに忘れてしまうし、そんな目に遭うほどヘボでないなんて思い込みで他人事なんだね。






鉄板の中に身を置き守られているはずが、衝突すると、其の鉄板が鋭い凶器に変わるんだね。ズタズタのひき肉になってしまう。

見られた死体じゃないよ。肉の塊みたいになってるよ。放り出されたら擂り潰されたように道路にへばりついてる。

脳味噌や臓物が傷口から溢れ出たり、皮を引ん剥いて中身が破壊された脚、首がすっ飛んで胴体だけがシートに腰掛けてる。






これ等は、中国だからじゃないね、日本の交通事故もなんら変わらんよ。年間1万人ほどの人がこんな死に方で彼の世へ逝ってる。

残された人が死に顔見たさにシーツをめくっても顔がない。脳天から顎まで押し潰されて顔がないんだね。

オレも、昔、弟の運転する車に付き合って、ヘタしたら、何度、こんな目に遭ってたことやら。「一回で終わりだろ?」 言葉の綾だよ。






「綾(あや)?」 表現上の工夫、言葉が織りなす模様ってこと。幸い、なんとか無事に生きてる。不思議なくらいだよ。

日常の生活の、すぐ其処にある地獄だね。死体の酷さは男も女も関係ない。もう、事故に突入したら肉体はシッチャカメッチャカだよ。

交通法規を遵守して居眠り余所見や無理をせず、スピードを押えて走るに徹すれば、そうそう、とんでもないことにはならないだろうね。






向こうから突っ込んで来るに於いては、乗車してても、道歩いていても同じだね。運の悪さに勝つしかない。こんなの見ると、ホンマに車は凶器だね。














『電撃フリントGOGO作戦』 ジェームズ・コバーン








道路の角で綺麗な人とかち合った、と思ったら「★★ちゃん」 なんや、おまえか、おまえ久しぶりだね。「うん」 バイトの帰りか?

「★★ちゃん、もう働きに出てるねんで」 ええっ、ああ、そうか、もう社会人になってんか? だから、会わないんだね。

「せやねん、帰って来るのん7時過ぎぐらいかなあ」 何処へ行ってるの? 「近くやねん、〇〇〇」 知らんなあ、でも、近くは楽だね。






おまえ、会社で一際目立つんじゃないか? 「そんなことないわ」 武井咲もどきのおまえだから目立つで。彼氏は出来たか? 「おらん」 不作か。

会社から真っ直ぐ帰って来て 「家で篭ってのんびりするねん」 おまえ、オレと同じようなこと云ってんね。ケタケタ笑ってるよ。

まあ、気侭に出来るときは気侭を味わうべきだね。彼氏ができたら愉しいだろうけど、それはそれで気侭な頃が懐かしくなるからね。「うん」






人が多く通り過ぎる中で立ち話し、脇に避けて話しを続ける素振りなんだけど、いかんせん、仕事に急かれて帰らねばならんから

〇〇、今度会ったら、また話そうぜって切り上げた。「うん」 しかし、おまえ、綺麗だね。「そんなことないわあ」 喜んでおるよ。

ちょっと、痩せぎみかなあ? 気は強い娘なんだけど意外と繊細なのかも知れないね。オレの彼女も、そういう処がある。でも、おくびにも出さないね。






「おまえは?」 繊細な上に、尚、繊細な男だよ。折れそうなヒョナヒョナ男だよ。一匹狼が故に皮被って強がってるだけだよ。心はか弱い羊だよ。

「牛じゃないのか?」 か弱い牛って云ってイメージが合うか? 牛の何処が、か弱いねん。此処は。メイ、メイって啼く羊だよ。

「子犬なら辻褄合うぞ」 どう合うねん? 「日頃、云ってることとだよ」 なんでもええんじゃっ、くだらんことに拘るなっ。





















しかし、なんで、他所の子はどんどん成長するのが速いのかね? これは、ホンマに不思議やで。今日の昼前もそうだよ、

ビルの階段上がって来たら目の前にファッションモデルみたいな娘がニコニコ笑って待っている。おう、出勤か? 「うん」

自由出勤か? この娘も高校生とばかり思ってたら大学出て勤め人になってる。いつの間に大人に成ったの? ニコニコして、あまり話さないんだけど、






なんか、とっても嬉しそうなんだね。気をつけていきなよって送ってあげるんだけど嬉々とし手を振って行くよ。

考えるとだね、綺麗な女の娘(こ)は、総じてオレの顔を見ると嬉しそうな顔をするね。「オモロイ顔だからだろ」 いや違うね、昔の片鱗が匂うね。

「どう匂うねん?」 オレの若い頃の摩訶不思議なモテようを思い出すよ。今やハゲ寸前にしてこれだよ。恐ろしい魅力じゃないのか? 「知るかっ」






産まれ日が、一日、遅ければ、世界を股にかけるドンファンって云われたのは、あれは本当だったんだね。一日違いで笑って貰えるだけで終るんだね。






















一概にモテるからって喜べないと思うよ。「なんでや」 モテるからって実力行使が出来る独り善がりな性格ならいいけど、

普通の性格でモテるってことは、かけられる期待を総なめに裏切る思いが重荷になって萎縮するよ。ニコニコ笑って顔合わす程度で充分だよ。

裏切りは罪だからね。詐欺して騙してる訳じゃないのに勝手なイメージ創られて知らぬ間に裏切りものなんて云われても困る。






そんなの全面的に無罪だよ。何が有っても変わらない想いってのは相性だろうね。この相性ってのは、イメージが崩壊しても変わらない力を持ってるよ。

その巡り会いってのは、なかなか難しいんだろうね。そうそう出会えるもんじゃないんだろうかね?

待てないから、あちら此方と相手を作りボロボロなって巡り会う、お古は、もう結構。「なんやねん、それ」 タイミングのズレだよ。






仕方ないから、この辺で手を打っておこうとなる。夢を捨て思いを偽り現実を取るんだろうけど我慢と妥協の一生が待っている。

それでも、相手の優しさに救われる場合もあるだろうね。そんな人はラッキーだよ。世は、こういうラッキーに恵まれた夫婦が多いんだろうかね?

それとも、相性に恵まれた夫婦のほうが多いのか、どうでしたか? なんて聞いて歩くほど暇じゃない。好きなようにして頂戴。























交通事故と一緒だろうね。とんでもない事故に遭遇しても助かる人は助かる。然程の事故でもないのに死ぬ人は死ぬ。

人は人智で計れぬ力の作用や導きで生きているのかも知れない。自分の力、意志力をもって生きている積もりなんだけど結果は運を感じるね。

そう捉えると、思いのままにならす苦しむのは、自分を試されていると知るべきかも知れん。己に克ち抜くための試練なんだろうね。






其の試練の渦中で思いもしなかったことに気付くこともあるかも知れない。水は、穴凹から湧いて出るもんだからね。

筋立ても脈絡も無く、ただ、思いつくままに話してんだけど字数は埋まったか? 「いいとこまで行ってるよ」 じゃあ、あと、もう少しだね。

今日も、いろんな人と話をした。高2の男子が立ち寄って「★★ちゃん、今日、友達とやってしもうた」 言い争いか? 「うん」






事情を説明してる。「勉強のことしかないのんか?」って、小ばかにされて云い返しての顛末に気分を悪くしてるみたい。

其の場の空気ってのがあるんだろうけど、そういう時はね、それ以外に何があるって聞けばいい。ボケの芸を見せてやれ。教えてくれるよ。

教えてくれたことが自分に役立つ内容ならひとつ得をする。人は、それぞれに価値の置き処も異なるからね、人を知るために聞いて損はしないよ。






学校は社会の縮図だよ。社会に出れば、もっといろんな考えを持った人が犇(ひしめ)いてるよ。ぶれない自分を育てるんだよ。

盲目(めくら)でぶれないオレみたいになってはいかんで。笑ってるよ。多くを知った上でぶれない自分だよ。それには、まず、聞くことだよ。

「うん、解った」 慌てて器用は要らんけど、通りに角を立てるなよ。両脇、丸く仕上がってるほうが通り抜けが容易だろ? 「ああっ、うんっ」






あらっ、解ったみたいだね。「★★ちゃん、また、聞きに来るわ」 ああ、いつでもおいで、口先男が教えてあげよう。おおいに笑っておるね。





















『電撃フリントGOGO作戦 原題 Our Man Flint』は、1966年のアメリカ映画。『007』シリーズの波に乗って出て来たスパイアクション映画。

超人的な能力を持つエージェント、デレク・フリント(ジェームズ・コバーン)の、破天荒な活躍を描いてたね。

観るほうも、なんか釣られて波に乗ってた感じだよ。「電撃フリント・アタック作戦」なんてのが、続いたけど消えちゃったね。

















この映画は、旧南区の南海通りに在ったA&Pスーパー2階の弥生座で観たね。格好いいとこ必死に探して慰めてたよ。

「それって無理してたのか?」 そう、波に乗ろうとするんだけど乗り切れないもどかしさだね。

柳の下のドジョウを狙った映画には、ロクなのないね。「007」一人勝ちだったね。でも、なんか記憶に鮮明なんだよ。



























カメレオンの独り言-1418 『悩み苦しみに打ち沈む笑い顔』

2015年05月23日 | 日記







 2015年5月23日







左へ抜けようとハンドルを向けると左に来る、右に切り替えると右に来る。婆っ、おちょくっとんかえ。距離が縮ってオタオタしてる。

イライラを押えてニッコリして方向決めさせて通過するんだけど、糞生意気に「なにしとんじゃっ」なんて顔して行きようる。

狭い歩道で婆の乗る自転車と行き会うと、毎度のように、こんなのと遭遇する。まともに走れんなら自転車乗らずに歩けよって思ってしまう。





夕食時、テレビのニュースで中国の交通事情を取上げている。手前から女が乗る単車、向こうから男が乗る単車、双方かち合ってすれ違いの

タイミングが合わずにモタモタしたあと擦れ違ったんだけど男が振り返り何やら云ってる。

女も停まって振り返ってる。やおら、男が単車を降りて女の方に歩み寄り襲い掛かって引き倒し殴るわ蹴るわの大暴れ。





距離あるカメラが捉えてるから表情までは解らないし、双方、何を云ったかも解らない。でも、男の怒りの暴力はハッキリと解る。

容赦のない蹴りをかましてる。やられてる女も無言での遭遇とは思えない。「おまえが、下手糞なんやろっ」なんて言い返したと想像できる。

場面は変わって、車から女を引きずり出して、どつくわ、蹴るわ、殺意をも感じる暴力だね。映像では、男たちの相手は、おばはんばかりなんだね。





激怒に任せて暴力行使の男は誰が見てもハッキリ悪い。顔面や頭をまともに蹴られてるおばはんは一方的に被害者、とは、オレは見ない。

蹴られるような態度と言葉が火に油の要素を含んでるよ。罵声には罵声で返すのは構わないけど宣戦布告したんだから覚悟の上だろうが。

相手に紳士的な応酬を頼る方が馬鹿らしい。負けん気で戦え。矢を放ったら矢やら槍やら爆弾なんかが返ってくるんだよ。戦争だよ。





















こんなのを見ると、日本人は総体的におとなしくて度量があるよ。一発かましたろかって思うようなおばはんでも、

「この糞婆がっ」って心で思っても黙って過ぎ行くね。「そんなの度量って云うか?」 爆発押さえ込んでニッコリだよ、凄い度量だよ。

しかし、中国人って、こんな凶暴な奴が多いんかね? もう、殺す、死んでも構わんって怒り狂ってる。国民性かね?





「親の仇っ此処で晴らさずにおらりょうかっ」って感じだね。何処の国にでもおかしな奴は居るんだけど、中国は、そんなのが多いのかね?

車社会になって久しいのに交通法規は、民間に任せ切りで行政はタッチしないようなこと云ってるね。

教習所も賄賂で免許はどうにでもなるエエ加減さが罷り通ってるんだって。交通マナーなんて個人の常識に委託して暴力で白黒つけるんか?





なんか、この国の発展は、すべからく中途半端が目立つね。庶民どもなんか生きてるだけで有り難く思えなんて、

お上の驕りが磨りガラス以上に透けてよく見えるよ。そういえば、中国びいきの小沢さん、このところ顔見ないね。「関係ないやろ」 あるよ。

互いに理解しあって、ともに発展しましょうってんじゃないね、ベタベタとなびく姿が気に入らん。何処が良くて擦り寄るのかね? 





















ああ~あ、今ね、ホントに悩んでるの。一言、変えたい。全てに於いて変えたい。こうしてお話している内容も変えたい。

自分の今在る状況も変えたい。どうしても変わらないんなら、仕事も、想いも、夢も、望みも、もう、全てを捨てるって腹括ってるの。

「どうすんねん?」 何処かへ引越ししてね、余生を釣り三昧に生きる。刀を捨てるよ。「戦いを放棄するのか?」 小魚と戦うよ。





「ブログは?」 同じことを繰り返し書いていても意味がない。終るときは、全て削除してさようならするよ。

オレは、何ごとに於いても気の入れようが違うからね、限界と悟ったら見切りは速い。ただ、ダラダラなんて、オレの人生にはない。

ただ、ダラダラを好んで許せるのは釣りだけだよ。今ね、そんな思いに追い詰められるほど悩んでんだよ。





生きるってのは、いったい、なんなんだろうかねえ? 解らないから好きな釣りに没頭して、其処から気付ければいいかねって思うんだね。

まあ、兎に角、今はそんな気持ちがオレを悩ませているんだよ。ただダラダラ生きて何が愉しいんだろうかね?

「おまえの歳になって、そんなこと云ってる奴居るかあ?」 そんなの居る居らんで決める奴が馬鹿だよ。自分の問題は自分に在るんだよ。





傍(はた)の奴など知ったことか。大いに悩も。「ホンマに悩んでるのか?」 明るく悩むのさ、笑いの中で悶々と悩んで苦しむんだよ。

悩むって云ったら暗いイメージに捉われて顔をしかめて苦しそう。そういう通り一遍な解釈が気に入らん。悩んでる、でも笑ってる、其れがいい。

薄禿の頭に閃きの雷でも落ちてくれ。「毛が無くなるぞ」 アホ、感電死しとるわ。真っ黒けになるのかな? 「そうなったらおまえの知らんことや」





雷一発頭に喰らったら全てが消える。それしきのことに悶々と苦しんで生きねばならんという人生の馬鹿らしさ、紙一重の表と裏だね。





















前途に夢や希望に満ちた若者たちが、何がいいのか「★★ちゃん、★★ちゃん」と押しかけて来て嬉しそうなのを見ていると、

みんな一人残らず幸せになれって思うね。そう有らねばいかんよ。考えが軽かろうが薄かろうが幸せに生きれればいいんだよ。

高2の男子が、なにやら話があるのか無いのか解らんけどニコニコしながら覗いてる。どうした? 「べつに何もないんやけど」 





景気のいい話で勢いつけてやると喜んでおるよ。やる気が起きたか? 「うん、頑張るわ」 陰から陽に変わってるね。

その後ろに某私立大学付属の高2っだったけ? 「おまえ、覚えたれよ」 おお、〇〇お帰り。ニッタラ、ニッタラ笑ってるよ。

「★★ちゃん、7月なったら一緒に行けるねん」 何処へ行くの? なにやら説明してんだけど聞こえないよ。そうか、彼氏と一緒に行けるのか。





「うん」 当てずっぽうで応えて当ってたよ。そうか、それなら楽しみに引っ張って貰って頑張れよ。「うんっ」 満足して帰って行ったよ。

「あの子誰ですか?」 男子が聞いてるよ。性格の素直な可愛い良い娘(こ)だよ、おまえも知ってるはずだぞ? 男なんかどうでもいいんだよ。

幼稚園児から、この前を毎度ウロウロしてたよ。小学校も中学も、今みたいに遊びに来てたよ。「へええ~」 おまえは、何処を見ておったの?





















オレの聴覚は死んだね、ホンマに聞こえないね、机に向って仕事してたら耳元で 「★★ちゃん」 えっ? あっ、行くのか? 「うん」

オレの彼女の友達の娘さんが大学へ行く時は、オレの方を向いてニッコリ笑って敬礼して行くの。オレが気付かないから窓際に来て教えてる。

おう、気をつけて行きやって敬礼で送ってやる。改めて敬礼返して颯爽と出かけて行ったよ。この娘(こ)も彼女と同じくスタイルがいいね。





なんで、こんな日常を書くか? 流されるんだね。笑いと心地よさと居場所かねえ? 誰もが嬉しそうに笑ってる、そんな日々に埋もれてしまうんだね。

相手の気持ちを大事に向き合えば顔面蹴られるよな目には遭わない。投げ言葉に、ごめんなさいの一言でことは穏便に済む。

思いに応えて思いで返す言葉が的を外れていても、其れを怒る人は居ない。的外れを笑いに変えて其の場が明るく照らされる。





中国の人は、心が殺伐として笑いを忘れているんじゃないかね? 双方ともに攻撃性が盛んってことは、心が貧困な状態にあるんだろうね。

でないと、あんな暴力的な行為が問題になるほど起きないよ。もうひとつは、正義の意識が弱い社会なんだろうね。国の姿勢自体が、其れを反映してるね。

まあ、中国をオレが心配しても始まらん、オレは、オレのあり様を如何にとやせんと悩むだけで精一杯だよ。




























カメレオンの独り言-1417 『赤、青、黄色と色変わる人生』

2015年05月20日 | 日記






2015年5月20日






話のネタが浮かんで来ない、真っ白である。話すことがない。では、話すことがないことについて話そうか。

完全なネタ切れなんて有り得ない。話の展開を望めないから切り捨てているに過ぎない。興味が希薄で話す意欲に繋がらない。

自分が面白くなければ他人(ひと)さんも面白くないと決め付ける知らぬ間の独り善がり。





自分が面白いものが、他人(ひと)さんにとっては、全然、面白くないという事実に気付かない。そんなの解ろうはずもないから気付かない。

話の世界を広げたい。広げたいけど見つからない。見つからないから目先でこなすの繰り返し。段々、すぼんで消えていく。

それはならじと気を吐くけど、こんなときに限って見つからないし浮かばない。「もう、すぼんで終るね」 アホかっ、すぼんでなるかっ。





目立たぬ歴史を探そうかと思ってるんだけど、なんか時間がないんだね。他にもすること有るもんだから困ってしまうよ。

「何してんねん?」 聞くな。「くだらんことだろ?」 オレはね、昔からマニアックなところがあってね、おおって発見したら停まらない。

どうにも停まらないって歌の文句が有ったろ? 疲れ果てるんだよ。「馬鹿やで」 溜め込んだのを、再度、見たことないのに停まらない。





今はね、テラバイトの世界だからハードの負担がパソコンに支障を及ばさない。そう思うと躊躇(ちゅうちょ)なしだよ。

























大きな世界で生きてる人は、細かいことなど気にもならない。細かい世界で生きてる人は、細かいことばかりに気をとられ大局を忘れる。

この循環が、それぞれの人となりを創り上げていくんだろうね。「毎日連続更新やめて単発式に切替えて、その間、何か発展はあったか?」 

今のところ現実処理に時間をまわせておるね。その他に進展らしきことは、なんにも見当たらないのね。「余った時間を生かせよ」






長く生きて来て、昔、経験したことに無駄はないって、つくづく思うよ。ごみくずのような経験の中にも取りようで光ることがある。

其処へ導く一冊の辞書だね。誰のためでなく自分が最も解し易い辞書だよ。

開いて見ることに何の抵抗もないオレのための辞書なんだね。そんなのを感じるんだね。アホに優しい辞書だよ。ええだろ?






其の中で、「諦めるには、まだ早い」って言葉は有っても 「諦める」って言葉はないね。無様なナメクジも前に進んでいるんだよ。

うさぎとナメクジだよ。見えぬ一歩の尊さを知るよ。無様な自分の意地を支えてくれるんだよ。ありがとう。マイナスから得るものは甚だ大きい。

今、やんぬるかな(弓折れ矢尽きた)の思いで生きてる人は、今を無様に生き抜いて自分を信じる力に栄養を与えなさい。























必ず、のちに、そうだったのかって納得のいく答えを知る時が来る。解るということは、そういうことなんですよ。

人生はひとつの物語、答えは遠い未来にあるもんなんですよ。物語が面白いか面白くないかは、一本の筋に狂いがないか否かにかかってる。

人生の物語は、自分の軸に乗って在るんですよ。軸を回すのは自分、いつか、誰かの力添えで大きく回して大きく動くときが来るもんですよ。






「来なかったら?」 人生の諦めを潔く受け入れればいい。信じて戦い続けたものにとっては、もう、そんなことはどうでもいいって心境になってるよ。

全うした自分に満足するものがあるよ。其れは、とても大きいんだよ。生き切るとはそういうことじゃないのかね?

なんてことを道標に生きているんだけどね、人生は、愉しくあらねばならん。修行の坊主ではないからね。だから、愉しむことも大事なんだよ。






愉しくなくて、なんの人生ぞ。生きて往く活力だよ。苦しさに呑まれてはいけない。苦しさと戦いつつ愉しんで負けない、これだね。

苦しみ知らずしてなんの喜びか、喜び知らずしてなんの苦しみか、対極あるものを知ってこそ極まるもんだよ。

イッテもうたるっ。「おっさん、ビール呑んで喋ってるな?」 そうだよ。ビールの美味い季節が来るね。この喜びを削ぐ冬の季節は行っちまった。






夏よ、来い。首筋汗を滲ませてグビグビッと呑み干すビールの美味さに勝るものなし。イッテもうたるっ。「おねえさん、ジョッキ、もう一杯ね」

云ってる間に梅雨に入って明けたら、あちら此方で笛太鼓が鳴り響いて夏本番よ。「おまえ、夏好きか?」 昔はね、「今は?」 熱しんどい。

考えただけで疲れるよ。「口だけかよ」 そうだよ。ビールと焼き鳥が救いだよ、美味いんだねえ。















『昭和57年(1982)4月 阪神本線 福島駅前界隈』










「は~い、お待たせえ」 ありがとう。「お客さん、他にご注文は?」 串カツ貰おうかね。「はい。4番さん、串カツ一丁ね」 「あいよっ」

大盛りのほうね。「はい、大盛りでお願いねえ」 「あいよっ」 店の前、通りを挟んで阪神電車が走って行くよ。暖簾越しに見えてるよ。

「〇〇〇〇さん、顔が真っ赤やで」 「おう、おう、ええ顔の色や」 そうかな? オレは呑むと青くなるんだけどね。






そういう〇〇やん、おまえも真っ赤っかやで。「えっへへへ」 どうしようもない奴なんだけど、何故か着いて離れず、いつもオレの傍(そば)に居たね。

どうして居るんかねえ? 仕事の姿勢が身に備わって悪い癖も影をひそめて普通の奴になった。〇〇やん、何処へ行っても今の調子で頑張れよ。「うん」

「〇〇〇〇さんのお陰やぞ」 「自分もやろ」 「なあにを云うとるか」って、気のいい〇〇〇さんは、亡くなられたって風の便りで耳にしたね。






商売失敗してデカイ借金抱えて世間に出た。右も左も解らぬオレを、やんわり迎えて冗談交えて緊張を解きほぐしてくれたのが〇〇〇さんだったね。

導き導かれ導いての人の中、何かしらの縁で行き会いともに汗をかく。誰ぞの世話にならぬ人はない。

「〇〇〇〇さん、あんたのお陰でわしらも居心地が良うなったよ、のう、〇〇やん」 「そうや」 オレが、そうなれたんなら、それは〇〇〇さんのお陰ですよ。 






「そうかあ、嬉しいことを云うてくれるなあ、のう、〇〇やん」 「このおっさん、もう、まわっとるでえ」 「〇〇〇〇さん、ビール、もう一杯いこっ」

阪神電車が、前を走ってる。ガアア~って騒音たてまくりなのに苦にならない。会社帰りの人々を乗せて次から次へと駆け抜けて行くよ。

青色で生きて往くと漠然と決めていたけど赤色になった。汗を流して黄色に変わり、青色もどきに戻ったけれど、もう、これで行けるとは思わない。

























このところ忙しい仕事も5月が過ぎれば通常に戻る。梅雨に入って晴れた休みに恵まれるかね? カメラ持ってどこぞへ行きたいよ。



























カメレオンの独り言-1416 『メメズもカエルも、皆、ゴメン』

2015年05月18日 | 日記







 2015年5月18日







陽が長くなったね。今日(16日)は残業で窓の外がいつまでも明るいよ。「さて、メメズもカエルも、皆、ゴメン」と気合をいれるか。

「なんやねん、それは?」 これはね、昔、TVで曽我なんとかっていう女性の声優さんが云ってたのが耳について離れないんだよ。

オバQの声やってんだけど、其の声で「ミミズもカエルも、皆、ゴメン」 て云ってたの。ミミズをメメズに、オレがアレンジしたと思うよ。






口癖なって子供たちの前でも云うから「★★ちゃん、それ、なんやのん?」って皆が聞くよ。「いい歳こいて恥ずかしいのお」 そうかな?

なんでもいいんだよ、気分を変えるときの一声にいいんだよ。これがおかしいんだよ、無意識にオバQの声真似で云ってんの。

陽が落ちて暗くなったね。 「★★ちゃん」っておませな中2の女の子が自転車に乗ってきたよ。おう、今まで遊んで来たのか? 「うん」 






髪の毛かきあげて様子してるよ。明日も部活か?「うん、昼から夕方まで」 そうか、休みなしやね。じゃあ、もう遅いから帰ったほうがいい。

「うん、バイバイ」 日の経つのも速い、年月の過ぎ行くのも速い、子供たちの成長も速い、なのに、なんで、時間の経つのは遅いんだろ? 

早く終業時間来んかいっ、モタモタすんな、オレは、こんな仕事で時間を潰してられないんだよ。「なにすんねん?」 パソコンだよ。























休みの前夜は、なんとも云えんゆとりだね、大好き。今日は、あまり時間がないけどパソコンの前に着くと心が落ち着くんだね。

しかし、このアイオデータの27型モニターは、変わりなくいい調子だね。いつ見ても綺麗なままだよ。うっとり。

そんなの思って画面を眺めてたら寝てしまってたんだね、もう、あかん、また、明日書こ。






目覚めたら7時か、今日(17日)は、空模様はどうかいな? おっ、晴れてるね。休みはこうでなくてはいかん。

台風7号は、今のところ、遙か太平洋上を右にカーブして北東方面に通過の予報になってる。田舎のおじさんが側溝にはまって死なずに済むね。

「失礼だろ」 オレも田舎の爺だったら同じ目に遭う傾向性があるから云ってんだよ。哀しい事故がないことを喜んでおるんだよ。






道路の位置も解らんほどに水が溢れ出すと、何故か気になって見に行くんだよ。つまり、我が目で状況をば確かめずにはおれんのだよ。

で、注意は怠らないんだけど、しまったってはまるんだよ。やめときゃよかったって後の祭りよ。ジェット・コースターで彼の世往きよ。

ドバドバッゴボゴボッドヴァと濁流の中に吸い込まれて身体の中までゴボゴボッゴボゴボッと渦巻くよ。そういうのが後を絶たないね。






我が目で確かめて状況がどうなるもんでもないんだけどね。田舎の人は、相手が自然の脅威ってことを認識せんといかん。

どう、もがこうが足掻こうが歯がたつ相手じゃないよ。核弾頭ミサイル馬鹿ほど持って相手国に威圧を誇る国でも、そうでない国々も、

台風、ハリケーン、地震なんてのが侵略してきたら、ただただ、黙って耐えておとなしい。実際は、許しがたい敵なんだけどされるがままだよ。























そういう観点から人間社会を見れば、実に子供っぽい我の張りようだと思ってしまうね。限度枠の中のお山の大将なんだね。根性がガキだね。

其処へいくと側溝にはまって死ぬ人は、相手を選ばぬ、至って勇気のある人なんだろうね。素晴らしい。大人だよ。「無謀なんじゃないか?」

勇気と無謀は紙一重だよ。成れば勇気、成らねば無謀、何も出来ない批評ばかりが達者な臆病者の台詞だよ。「おまえもか?」 オレもだよ。






人間には、そういう手合が矢鱈と多い。で、ないと長生きできない。「日本は長寿の国だね」 其の手の寄り集まりじゃないのか?

理屈こねまくりだよ。嫌われ者、世にはびこるって云うだろ? 死んで花見が咲くものかって価値観なんだろうね。いつかは、必ず、死ぬけどね。

いつかは、必ず、死ぬのなら、人のために、世のために、この命を捧げようっていう生き方もある。腐って生きるよりはいいってやつだね。






大方の人間は、へ理屈こねだしたら止まらぬほどの言い分を持って生きているのに、生き方は右に倣えで多くのほうが無難とこけてゆく。

導きに素直ながらに文句を溜めて、当然の権利だけは負けずに主張するけど義務については無頓着。宛がい口で生きるしか能がないのに文句だけは一人前。

其の中で音頭をとる人が居て時代を渡って往く。時代に流されるままに生きて往くしかないのが人間なんだなあと思ってしまうね。






SF映画で歴然たる格差社会を描いたものがあるけど、いずれはそうなっていくだろうね。もう、今の世の中、そういう方向性に在るよ。























側溝に流されたおじいさんの話から、なんで、格差社会の話になるのか? 喋ってるオレが解らんわ。



























カメレオンの独り言-1415 『なんでもいいから更新だ』

2015年05月16日 | 日記






 2015年5月16日






忙しい午前中の仕事が一段落、昼休憩後、残った仕事を片付けていると「〇〇〇〇さん、行って来たよ」って、インテリさんがパンフレットを

見せながら「解る?」なんて笑ってる。利晶の杜(りしょうのやしろ)ってんですか? 「いやいや、もりだよ」 ああ、木へんか。

なんでしょうかね? ご主人は趣味が高尚だから着いていけんなあ。「お茶だよ、千利休だよ、表千家、裏千家だよ」 






ああ、それなら知ってますよ。表千家、裏千家、そうせんけぇ、なんて知ってるかな? アホらしいから云わなかったけどね。

其処へ、彼女が大学から帰って来た。利晶の杜ってなんや? 「〇〇〇、知ってるか?」 パンフレットをチラッと見て「知らんわ」 

このご主人は、インテリなんだけど知識を高ぶらないから感じのいい人だね。秀吉に腹切らされた茶道の人でしょ? 「そうだよ」






利晶の杜か、帰ったらパソコンで調べとこ。「★★ちゃん、ホンマに調べるかあ?」 「〇〇〇〇さん、娘さんが云ってるよ」 笑顔で伝えておられる。

少し話されたら気をよくされて行かれたよ。阪堺線の「宿院」駅、千家茶道由来の地である千利休屋敷跡に面した「茶の湯体験施設」なんてのがあるらしい。

表千家・裏千家・武者小路千家のお点前により、椅子席で抹茶と菓子を味わえる立礼呈茶や、茶道三千家の指導でお茶を点てる茶室お点前体験ができるらしい。



















また、千利休が造った茶室で、唯一、現存する国宝の茶室「待庵」を復元した「さかい待庵」があり、外観や室内にも立ち入りできて見識が高まるね。

「利晶の杜」とは、堺生まれの千利休と与謝野晶子をテーマとする文化の杜。双方から一字とって「利晶」だね。

わりと広い敷地に目だって大きな建物、大きなスターバックコーヒー店も併設されて堺の名所みたいになってんだね。知らんかったね。






考えたら、別に「利晶の杜」に限らず、オレは知らぬことばかりだよ。何かの話に出たら、今は幸いネットがあるからちょっと開ければ解る。

自分に興味の無いものには、其れさえ面倒なんだけど、わりと小まめに目は通すね。知って邪魔にはならない。

「知らないことに突き当たれば、必ず、調べる、そうして知って行くんだよ」って、これも近所のインテリの御仁に教えて貰ったよ。






コンビニまで彼女に付き合って行くだけで、別段、話もしないんだけど、この娘(こ)と顔を会わせるだけで、ほっとするんだね。

オレの気のせいかな? 最近、彼女変わったんじゃないかなあ?  前と全く違うってことはないけど雰囲気がお嬢さんって感じになったみたい。

「早く結婚したい」なんて、想いも変わるのかね? 「30なるまで遊ぶねん」ってよく云ってたのに。ちょっと疲れてんかな?






その気になったら幾らでも相手はいるよ、選び放題だよ。若い娘の特権だね。なんぼでも居るだろって云ったら「居ても好きとは限らんやろ」

そらあ、そうだろうね、云わなきゃよかった。ヘタなこと云うと怒るからね。スリルとサスペンスだよ。でも、ニコニコして豹変しないよ。























歴史に関した事柄を書きたいんだけど、今、ちょっと他に忙しくて手が回らないから日常的なことでお茶を濁してる。

歴史と云っても、あまり目立たないことに興味があるので大層なものではない。「解ってるわっ」 別に力を入れずともいいのではないか?

皆さんに、オレの想いについてお話してんだよ。「大層なものではないと云う台詞が大層だよ」では、どう云えばいいのだ?






「う~ん、真似事だね」 なるほど。オレに云わせれば、みんな真似事だよ。真似事でないものを書きたいと思ってる。

犬も歩けば棒にあたる。そう思って書き続けてたら、これだって突き当たるかも知れない。「当らずに逸れてるかもね」 かも知れんけど、

水を差すようなことを云うなよ、あとが続かんじゃないか。それでなくとも話題に瀕してるのに、どうしてくれるんだよ。






ひとつ、自分ってのを解剖するとね、オレは一人放ったらかしにされるほうが湯水の如く発想が湧くタイプの人間だね。

集団で発想ごとなどしたら嘘みたいに空の男になる恐れがあるね。持って生まれたどうしようもない気侭男だね。

じゃあ、誰が管理するってなる、オレがオレ自身管理して徹底的に仕事をするタイプなんだよ。サボることを知らない男だからね。






「自分でよく云うね」 事実だから仕方ない。でも、そんな気侭は社会では通らない。それが通らない社会は気に入らない。

だから、集団でありながら個人プレーが通って答えを出し易い肉体労働を好んで遣れたんだよ。しゃかりきよ。銭勘定なしよ。「馬鹿やで」

まあね、そんなこと考えたら、オレは社会不適合者ってとこがあるんだね、いいねえ~。「何処がええねん?」 知らん。























ちょっと、思考が停止してる。頭の中、バラバラって感じだね。兎に角、更新しておこう。






























カメレオンの独り言-1414 『重たい背中のリュックを肩から外した人生の解放感ってどんなんかな?』

2015年05月14日 | 日記







 2015年5月14日







季節外れの台風が日本列島に接近してんだね。春だか夏だか解らない日もあるしね、なんだか知らぬ間に地球はおかしくなってんじゃないの?

思いもしない御嶽山の怒りの爆発に続いて箱根の山も蒸気を噴き上げて怒ってるみたいだね。その北には富士山、なんか機嫌悪くしてるようだね。

関東も、中部も、関西も巨大地震がいずれは来る来ると云い続けてる。地の中でブスブスと怒りの炎を燃え滾らせておるのかねえ? コワイね。





此れから観光シーズン、箱根の観光地は落ち着かないね。爆発するなら早いとこしたらんと商売上がったりで蛇の生殺しだよ。

ものごとの中途半端ってのは、身体にも良くないからね。オレも最近、このままじゃいかんって気がしてる。

地から煽られても如何ともし難い。生活が自由を拘束するからね。恩恵を受けて商売が成り得てるところがあるからあからさまな文句も云えない。





「第二作戦」じゃなかった、「第二段階作戦」だったね。背もたれの椅子に腰掛けて引っくり返らない日々を生きたい欲求から立てた作戦だよ。

昨日、其の周到な計画をよ~く考えてたら、オレの場合は、もう、地に縛られて身動きできない歳でもないんだね。

ことが二段階に分けて成り立っていく、成り立つまでは背もたれ代わりにもなるっていう作戦なんだけど、ただの遠回りかも知れない。





中途半端にしがみつくより身を捨ててこそ浮かぶ瀬も在れかも知れんね。始まったものに終わりのないものはない。考えどこだねって思うの。

人生は何が起こるやも知れない。思い通りの人生を生きていても約束はない。どうにも思いのままにならない人生がそのまま終るとも云い切れない。

詰まるところは運否天賦(うんぷてんぷ)審判は神が決めるもの。そう思うと、なんか気が楽になって、続きは、また今度って考えを小休止したよ。





で、映画『るろうに剣心 伝説の最期編』を観たんだけど期待は、ああ、やっぱりってな具合に裏切られて休みの夜は終ったよ。























終業間際、建物の脇で煙草吹かせてたら、某私立大学付属の高2の女子が「★★ちゃ~ん」って帰って来たよ。おう、久しぶりだね。

休みはどうだった? 「何処も行ってないねん」 GWは部活の試合で潰れたらしい。

「あんな、★★ちゃん、さよなら試合やってんけど活躍したから7月まで延ばされてん」 辞めれるから嬉しいって云ってたんじゃないの?





「せやねん、せやけどお~」 嬉しいわなあ? 「そやねん」 おまえ、彼氏とも何処も行かずか? 「ちょっとだけやねん、30分だけ」

毎度ベタベタ引っ付いてるよりは長く持つぞ。新鮮でいいって云うだろ? 「そやねん」 云いたいことも控えて初々しいからね。

「云いたいこと云うで」 そらあ、云うけれども、緊張感が持続するからいいんじゃないの? 「せやなあ」 緊張感なくしたら吾れ俺やで。





まあ、そのほうが、自分にホントに合う人かどうかは解るのも速いんだろうけどね、夢に遊ぶ時間も悪くはないよ。「そやなあ」 ニッタラ、ニッタラ笑ってるよ。

事務所に戻って、なんだらかんだら話してたら、また、社会人になった男子がふらっと入って来る。こいつ、女の子が居ると必ず入って来よるね。

話を向けてやると「おう、そやそや」って話し出してる。こいつ、超ミニの女の子と、嬉しそうに神戸へ遊びに行ったけど彼女じゃないのか?





この前、いつもダルそうな雰囲気湛えた中3の肥えた女子が机でなにやら書いている処へ入って来た時は、女子を一瞥すると黙って出て行きよったよ。





















男は、まず、顔かたちなのかねえ? こんなあからさまな態度とられたら、いずれは気がつくだろうね。外れた子は、どんどん男化していくよ。

この子もこの子でふてぶてしいって云うか、なんと云うか、オレでもダルく感じるからね。

でも「★★ちゃん、★★ちゃん」って、来るから変わらず相手になってやるんだけど、なんか養豚場の世話係みたい。「おまえが一番悪いわ」





人間の幸不幸も解らんからね、肝っ玉母さんみたいな頼もしい奥さんがいいって云う人も居る。そういう人と巡り合えば女らしい一面も見せるんだろうね。

誰彼なしに女らしさを安売りするよりは、女の誠を持っているのかも知れないね。人は見かけじゃないってのは、この辺を云うんだろうかね?

新聞配達のおじさんが配達終えてバイクから持ち出したチョコの箱を 「あいよっ」って高2の女子に渡してる。





「ありがと」って礼を云って、なんでえ?ってな顔して、オレの顔見て笑ってる。また、おっさん、ネコ撫で声で話しかけてるよ。

このおじさんは、芸能関係は相当詳しい、それに諸々の遊びに関しても経験豊富でなんでも知ってるよ。

で、「★★ちゃんは、なんでも口だけや」って、馬鹿にしよるんだね。「俺の目は誤魔化せん」って、判子を押しよる。当ってないこともないけどね。





社会人の男子と話してたら「★★ちゃん、★★ちゃん知ってる?」って聞くから、なにを? 「★★ちゃんは知らん、知らん」って、おっさんが返事してるよ。























誰彼なしに寄り来て笑顔が絶えないこの環境に文句はない。結構な環境に包まれて働いている。感謝を忘れない。でも、一匹狼の血が騒ぐんだね。

飼われた犬の姿に身をやつしていても体内に流れる血は犬ではない。何の力がある訳でもない身なんだけど狼の血を満足させたい。

押え難い欲求がある。しかし、老いた狼に何が出来ると云うのか、我ながら、老獪(ろうかい)老猾(ろうかつ)なる狼というには程遠い。





世間知らずの初(うぶ)な素人狼って感じかね? 「下手な犬より頼りないね」 まあ、いいではないか。「良くないよ」 そうかなあ?

今を変えたいならば、まず、自分を変えねば変わらない。牛にでもなるか。「その冗談ともホントともとれん一言がいかんのだよ」 つい出るの。

そうかだね、潔く、全てを捨てるかだね。ただのおっさんになるんだよ。いいねえ~。なんにも考えることなく釣り一筋だよ。





もう、中途半端は疲れるだけで、流石のオレも諦めムードが漂って厭いてきたよ。もう、思いの詰まった糞重たい荷物を外したいって気分だよ。

「とりあえず、今日は、そういう気分なんだな?」 そういうことだね。「明日は?」 明日は明日になってみなければ解らないよ。

「じゃあ、とりあえず、荷物を降ろせよ」 馬鹿だね、一旦、降ろしたら、もう、担ぎたくないよ。





「全体的に内容が漠然としてるね?」 大通りを行き来する人の思いや事情が解るか? 何にも解んないよ。それと一緒さ。





















遠い昔から、こんな気分に追い詰められることを繰り返してきたよ。それでも降ろしたことはない。ふっと、生きてる間に降ろせるかなって思うんだよ。

それはないでって、打ち消すんだけど、もし、そうなら、それでも構わないとも思うんだね。「なんでや?」 其れがオレの人生なら仕方ないよ。

人の人生とは比べない、いい時いいところばかりで測るもんじゃないよ。人生は長い、オレの人生を生きて往くのが、オレの仕事だよ。





ひとつだけ後悔してるね、若い頃から、現役早めに切り上げてのんびり自由気侭に生きたいって欲が強すぎた。追えば逃げるの法則に疎かったね。































カメレオンの独り言-1413 『映像技術で支える以前の問題 るろうに剣心 伝説の最期編』

2015年05月12日 | 日記






 2015年5月12日






快晴だね、空を見上げると北東から南西に向ってジェット機の飛行雲が青い空を二つに斬って行くよ。おっ、逆からも来てる。

高度は、南西から北東に来るジェットのほうが高い。目の前の空で交差して互いが白い雲の線を引いていくよ。トップガンの世界だね。

オレが、こうして眺めている同じ時間に彼らは日本列島を眼下にして信じられない距離を飛び去っていく。時間の感覚が違うんだろうね?



















昨日借りてきたDVD 『るろうに剣心』以外、何を借りたのか、さっぱり解らない。袋から出してタイトル見ても解らない。「誰が借りたんや?」

オレだけどね、録り込みのモニター、チョロチョロ観てて、ああ、これかなんて記憶が戻ったよ。「大丈夫か?」 大丈夫だよ。

『エージェント・コール』『レクイエム』なんでもいいから数合わせで追加したのが『サード・パーソン』と『パリ・カウントダウン』





なんか、どうでもいいような映画ばかりだね。ゴミ臭いね。『レクイエム』は韓国映画と思ってたら中華人民共和国製ではないか。「似たようなもんだろ?」

韓国の映画は、まだ2~3本しか観てないけど、この手の映画の内容は、なかなかの出来栄えのやつがあるんだよ。其のつもりで借りたら違ってたよ。

『サード・パーソン』は、レーアム・ニーソンが出てるから、なんとか観れそうかね? 全体的に期待度はゴミの中から札束が出てくるような確率やね。



















『るろうに剣心 伝説の最期編』は、気分的に落ち着いた時間に観ようか。映画は夜だね。昼間に観ると明るい時間を損した気になるからね。

よし、ツタヤへ返して来よう。「おまえ、ツタヤをネット利用したら外へ出ること無くなるね」 ポストがあるさ。「其処やないかえ」

焼きたてのパン屋さんがあるよ。「しかし、これ以上、行動範囲を狭めないほうがいいと思うよ」 本人が、そいで良ければいいんだよ。 





オレから見れば、沢山の人がウロウロしてるの見ると何の用事があるのって思ってしまうよ。時間持て余してんかねえ?

そうそう、前回で、最近の潜水艦ものを2本とも題名や出演者の名を忘れてしまったお話ししたけど、頭ん中でグルグル舞って鬱陶しいので調べたよ。

「ウエイバック脱出6500キロ」って映画紹介したのを思い出してブログ遡ったら出て来たよ。この映画に出てんだね、エド・ハリスだったよ。





エド・ハリスで検索したら解ったよ。2013年製作の『ファントム 開戦前夜』って映画だったのね。「ハーディ・クリューガーって全然違うやないか」 うん。

もう一本は、「なんとかレイダース」しか思い出せんから「映画レイダース」って検索したら「レイダース」って出たよ。ただのレイダースだったのね。

ハリソン・フォードだよ、しょうもない。で、ハリソン・フォードで検索したら2002年製作の『K-19』って映画と解ったよ。ああ~スッキリした。





もう、忘れないよ、今度、ツタヤで探してみよ。『K-19』は解らんけど、映画紹介で『ファントム 開戦前夜』のほうは、エライ褒めてたね。

この2本は、一緒に予告編で観たんだけど年数が合わないね? おかしいね。「おまえの頭がおかしいんだよ」 そうだよ。「素直だね」




















夜、することもないので、『るろうに剣心 伝説の最期編』を観たよ。『京都大火編』で、やめときゃよかったよ。

化け物の悪やってる奴(藤原竜也)が一番とんでもなく強いのはよく解ったけど、緋村剣心(佐藤健)って強いのか弱いのか解らんね。

日本映画の悪いとこ全部出た映画だったね。何をやっておるんだよ。『京都大火編』で、盛り上げたものが台無しじゃないか。





こんなの観客の暴動が起きて上映映画館が焼き討ちに遭うよ。映画館主も怒って一緒に暴れるよ。切符切りの姉ちゃんも暴れるよ。

『京都大火編』で下手糞をカバーする技術の全てを使い切ったのかね? 歌手の福山なんとかもなんなの? 大根畑の映画じゃないか。

砂浜や砲艦内での剣戟は学芸会の延長じゃないかっ。ニコニコ笑いながら剣を操る悪の若者との一騎打ちぐらいだね、見れるのは。





こういう手の映画はね、観客にスカッとさせるシーンが要るの。それで持つんだよ。今回は、ドタバタするだけで強いって切れ味全くなしだね。

化け物の悪(藤原竜也)の最期の剣戟(けんげき)は、プロレスかよ? 善玉四人が寄って集ってかかっても歯がたたない。

ドッタン、バッタン投げたり踏んだり蹴ったり殴ったり、剣心なんか蹴り飛ばされて派手に物壊して下敷きなって出て来ない。長いんだね。





















斉藤一役の江口洋介も四人の一人なんだけど、この人、肩幅のわりに顔が異様に大きいね。「関係ないやろ」 関係ないけど大きいんだよ。

京都で剣心にボコボコに遣られて改心した元お庭番の男(伊勢谷友介)も何故か艦内に現れて四人の一人になって戦ってる。

もう一人は、嵩の高い喧しい男、どうでもいい奴だね。素手で相手をやっつけるんだけど、刀に素手で戦うって発想が馬鹿らしいんだね。





化け物の悪(藤原竜也)が振り回す刀が火を噴くんだね? 「なんでやのん?」 よう、解らん。火炎放射器を仕込んでんかね? 

四人の主役級をボコスコにやっつけて 「おう、おう、もおう終わりかよお~?」なんて余裕の台詞なんだね。

忘れた頃になって下敷きなってた剣心が埃だらけの汚いなりして出て来る。今回は、こいつ、常に、なんかヨタヨタなんだね。





剣心の渾身の一撃で化け物を倒すんだけど、起き上がった悪は、火傷の身体が、また、発火して笑いながら燃え上がるの。 「?」 

観てるオレも、よう解らんわ。艦から脱出、みんなボロボロなって浜に戻ってきてからが、また、お笑いだよ。砂浜に警官隊が整列して迎えてる。

伊藤博文が、尤もらしい台詞のあと「敬礼」なんて号令、警官隊が敬礼するんだけど、なんかノラないヘボい雰囲気なんだね。やめときゃいいのに。





で、剣心に肩を貸す武井咲が笑いを堪えてるふうなんだね。下手糞の上に不真面目なんだけど観客の身になった奥の深い演技なのかも知れない。






















「もうちと物語を語れよ」 語るほどの内容じゃないよ。観れば解るよ。鋼鉄の砲艦一隻で「日本をぶっ潰す」って無理じゃないの?

明治日本政府がオタオタするんだけどヒョナヒョナの緋村剣心なくして悪者退治叶わずって、あまりにも情けないお話だよ。

大風呂敷広げすぎた感じだね。砲艦に乗り込んだからって軍勢が出て来るわけじゃない、なにやら訳の解らん愚連隊みたいなのが数十人程度だよ。






もう、あかんわ、日本映画、危篤状態だよ。ピンカラキンコンッキンコンカーン、「なんや?」 手術室のタイルの上に医者がサジ投げた音だよ。






























カメレオンの独り言-1412 『映画とともに』

2015年05月11日 | 日記







 『電撃フリント』 2015年5月11日







この2日(9、10日)の休みは、GWの付録だね。此れが終わると5月一杯は、また忙しくなる予定だよ。楽あれば苦ありだね。

この数日、間があるごとに考えごとで時間を潰した。考えたからって答えが出るとは限らない、余計に混乱して解らなくなって袋小路だね。

でも、考えないよりは、考える方が問題の輪郭だけでも捉えて対応の方法も薄っすらとは見えてくるね。





鉄砲を撃つ方向だけでも解らぬよりはましだろうね。成るようにしか為らぬのは宿命だろうね。為らぬことが成り行くのは運命かねえ?

想いを元へと戻せば軽くなる。想いを形に求めれば重くなる。荒地の石や木の根を取り除き開墾するに汗をかく。

水を引き入れ地を耕して種を蒔く。雨やら冷夏や酷暑やらが邪魔をして無駄に一年潰して冬の去るのを待つ。





冬が去り懲りずに耕し種を蒔く。実は成りとて我が腹満たすにとどまる収穫の出来に落胆して冬が来る。百姓さんは大変だね。「なんやねん?」

苦労が報われれば苦労ではない。報われなければ苦労は徒労にきして過労のみが残ってご苦労さん。物作りの道だね。

気分的に折れそうになる時があるね。自らボキッと折って引き水止めて、鍬(くわ)持つ手に竿を持ち替えて水の流れを見て暮らそうか。





道往けば幾度となく分かれ道、迷いなければ気づかぬままに我が道を往く。今、目の前に三叉路あるを意識が捉えてる。Y字型の分かれ道だね。













『許されざる者』









パチと目覚めたら9時か、深い眠りで目覚めがいい。カーテン少し開いて外を見る。雲ってるね。

湯を沸かしてコーヒーを呑む、インスタントのコーヒー豆にどれ程の効果があるのかは知らないけど、好きなものが身体にいいって結構なことだね。

日本茶やコーヒーを、日常、頻繁に摂取すると心臓病とか血圧とかなんとかに、かなりいい影響を与えるらしい。





コーヒーは、毎日は呑まないけど煎茶は水代わり、昔から日に何杯呑むやら解らない。無意識にオレの身体を守ってくれているのを感じてた。

身体にいいって聞けば人はこぞって取り込もうとする、人間性を高めるって聞いたら笑って敬遠する。

命には素直でも生きる姿には無頓着、美容もそうだね、表面ばかりに金をつぎ込むけど内面は見えないから無頓着。





TVの馬鹿番組の物知りには「へええ~」を繰り返すけど、溢れる物知りに慣れっこなって「へええ~」ばかりを繰り返すだけ。

中身に反映する効果は、今日明日で見えるものはない。忘れるほどの日々の積み重ねの向こうに見えてくるもんだね。だから続かない。

そこへいくと外見の修繕は速効の答えを見れる。お金のかけどころだろうね。中身の軽薄な奴が量産される人生のトリックだね。





知識教養の収得は、社会のお墨付きの上に在る。それ以上に何を磨けと云うのか? 目の前の階段を取り外し平地を気侭に生き行く道は広いね。













『カーツーム』









狭い道は歩きにくい、其処かしこで躓きぶつかること矢鱈と多い。階段上がらねば行過ぎること叶わずことも多々とある。

安心を世に預けて生きる人、安心を我が身で保たねばならぬ人、そろそろ、歩くをやめて広場でくつろぐことに致そうか、なんて考えてしまう今日この頃。

そんな話を匂わせると「〇〇〇〇さんが、其れを云うには、まだまだ早いわ」って、見てくればかりが基準になって鈍(なまく)らにとられて損をする。





「★★ちゃんは、誰か好きな人居る?」 おませな中2の女の子が、時折、聞くね。ああ、居るよ。「奥さんやな」 違うよ、あんなのはどうでもいいの。  

「おばちゃんに云うたろ」 いいよ。安心を世に預けて君臨する人など興味は無い。そんなの云っても解らないだろうね。

「花子や茶あ子や黒子や赤子や白子、百合子や江美子以外やで」 そう、居るよ。「緑子や黄子も居たな?それ以外やで」 それ以外だよ。





じ~と睨んでる。「誰やっ?」 おまえの知らぬ人だよ。それより花子から黄子まで、よく覚えてるね。「いつも★★ちゃんが云うからや」

そうだね、おまえが3~5年の頃、「江美子です、別れます」「緑子です、他に好きな人ができたからサヨウナラ」なんて手紙を、よくくれたね。

プイッとして「★★ちゃん、また来るわ」 面白いね、女の子は、総体的に幼かった頃の話をすると機嫌が悪くなるね。今を生きているんだね。





男は過去を引きずり今を生き、女は今を生きて未来を夢見る。そんなもんかね? 互いに委ねて支え合う、それが男と女の在りようなんだろうかね。













『・・・・題名を思い出せないよ?』 トニー・カーティス チャールズ・ブロンスン









昼を回って雨がパラついてきたけど本降りにはならないね。「なんでや?」 勘だよ。

ブログを書かずに、ぼ~と考えごとしていても時間は経つね。なにか新しいことが浮かばんかねえ。熱いお茶入れて呑む、グビ、熱う~っ。

COOLPIX P600を防湿庫から取り出し、取説を見ながら操作を覚えようとするんだけど、オレは、こういうのは苦手だね。





一眼レフの機能がようよう輪郭掴めてきたのに混乱するではないか。「じゃ、やめとけよ」 そうだねって防湿庫に戻してる。

頓挫した「第2作戦」を今度は周到なる計画を以って、再度、実践する。その計画の下調べしてたら夕方になってる。

雨はやんでるみたい。おしめり程度だね。よし、ツタヤへ行って「るろうに剣心 伝説の最期編」を借りて来よう。













『るろうに剣心 伝説の最期編』









今日はお客さんが多いね。邦画の棚の前にあまり立つことないから、ついでに他の面白そうなのないかと、一応、目を通す。

「柘榴(ざくろ)坂の仇討」だったかな? 借りようかなって手が伸びたけど箱の写真を見て思いとどまった。

中井貴一はいいんだけど、阿部寛って役者が時代劇にそぐわないんだね。観ればそれなりに観れんだろうけど気が進まないからやめた。





洋画も目ぼしいのがないねえ、なんか予告編で観たような記憶で2本追加してレジーに行ったら「あと2本追加された方がお得ですよ」

って云われて、解ってんだけど探すのがしんどいの。「3本だと通常値段で千円越えます」 ああ、そう、じゃあ、探して来るねって戻る。

最初の棚から、なんでもいいやって抜き取り数合わせ。ネットで注文して郵便で返却する方がいいかもなんて考えながら帰って来たよ。





ネットなら予告編で内容確かめて注文できるから確かだね。映画好きだけど題名忘れるから棚の前で思い出すのが大変だよ。













『大列車作戦』









観たい潜水艦の映画が2本あるんだけど題名が思い出せないから探しようがない。1本は、主役が誰だっけ? もう1本も主役は誰だっけ?

「おまえ痴呆めいてるんではないか?」 かもね。役者の顔は出てるんだけど名前が思い出せん。

ハーディ・クリュガーではないなあ、あのおっさんの名はあ~、悪もする人だよ。もう一本の主役は「なんとかレイダース」のムチ持った男だよ。






ジーン・ハックマンとデンゼル・ワシントンんの「クリムゾン・タイド」のような緊迫した艦内の人間模様、息もつかせないスリルとサスペンス、

この映画は興奮したね。素晴らしかった。ジーン・ハックマン面目躍如たる名演に感動したよ。あんなのを観たいね。













『クリムゾン・タイド Crimson Tide』 トニー・スコット監督 1995年製作アメリカ映画。タイトルの意味は「深紅の潮流」









Crimson tide ending









いい映画は、人間を教えてくれるよ。いかに生きるべきか、いかに処すべきか、人間にとって何が一番大事かを教えてくれるね。



























カメレオンの独り言-1411 『芸力身につくまで技術で支えて、映画 るろうに剣心 京都大火編』

2015年05月09日 | 日記






 『るろうに剣心 京都大火編』  2015年5月9日






TVニュースを見てると大方の人たちが、あちら此方と出かけてるように見えるけど、実際はそうでもないみたいでもあるね。

GW明けてから、何処ぞへ行かれましたかって挨拶代わりに聞くんだけど、首振って「いやあ、家でのんびり」って応える人ばかりだよ。

オレはボンビーだけど、オレを取り巻く人たちは、大手の会社なんかに勤める人が多いんだけどねえ。





世間は、外へ出たいタイプと出ないタイプに分かれてんかね? 出たがりってのは、外に居ないと落ち着かないんじゃないかね?

曇りでも雨でも天気なんて関係ないんだろうね。ご苦労さんなことだね。

TVニュースの観光地や遊園地で映ってる人たちは、毎度、同じ人たちが映ってんじゃないの? 「アホ、それだけ世間は広くて人が多いの」





まあ、そうだろうけどね。皆さん、口揃えて云うのは 子供が中学や高校に進学すると家族が揃わないのが出不精になる原因みたいだね。

こんなのを聞くと、オレが出歩かないのは異常でもなんでもないって思えてくるよ。外は、若い奴等に任せておけばいいことだよ。

それに外へ出ればお金も出て行くからね。余程、締めて行かんと湯水の如くだよ。出かけなかったら使うのはツタヤの千円と煙草代だけだよ。













『るろうに剣心 京都大火編』









洋画で描かれるリアルなCGや特殊撮影、目にも止まらぬアクションの描写を、何故、邦画で活用しないのかが不思議だったんだけど、

かなり、それに近い描写が出来ているね。これだよ、本当の殺陣が出来ないんなら、この撮影方法を生かすべきなんだよ。

あちらの格闘シーンを撮る方法を使えば、実際より凄みのあるシーンが創れるんだよ。日本の技術力なら充分に太刀打ちできるよ。






ゴミを借りたつもりのDVD、ゴミを観るつもりで『るろうに剣心 京都大火編』を映して観たら、嬉しくなったよ。

時代考証も時代衣装も髪も姿も、なんもかも漫画なんだけど、それなりに明治初期の匂いを醸した異様な時代劇が出来上がってるよ。

そこ等の金髪のあんちゃんみたいなのが、そのまんまで出て来て刀振り回して暴れるんだけど悪そのもので迫力あるよ。こいつ、上手いね。






役者の名前を知らないけど、デス・ノートの主役遣ってた役者、「調べたれよ」 ええとね、藤原竜也って名だね。この人は先々伸びる芸力があるよ。

この映画では異様な悪を演じてる。全身串刺しされて、其の上、大火傷を負っても死なない男なんだね。

主役の佐藤なんとかいう今風の役者が、主役の緋村剣心やってんだけど華奢な風体でありながら凄い剣の使い手で悪をバッタバッタと斬り倒す。





「十三人の侍」のような正当な殺陣に拘らない暴れ斬りなる新手法だね。殺陣をコマ飛ばししてんのかね? 無駄なく速い。それなりに凄いと思わせるよ。

































この手法を用いて正当な殺陣を軸に剣戟(けんげき)シーンを創れば面白いものが出来るだろうね。まだ、日本映画は腐ってないね。

役者が青い間は、撮影技術を駆使してホローしながら育つを待てばいい。

背景が明治維新の頃だね。町並みのセットも一応尤もらしく拵えて時代の匂いを醸してる。出て来る娘は現代版で教えられた通りの身のこなし。





新撰組の生き残り、3番隊隊長、副長助勤、斉藤一を江口洋介が演じてる。事実、幕府崩壊後、明治新政府の警察に入隊した経歴を生かしてるね。

かの大隈重信も登場、暗殺の事実を歪曲して組み入れてる。実在の人物を登場させて物語に重みを載せてる。

江口洋介って役者は、現代劇で良く主役を張ってるだけあって映画慣れはしてるんだけど時代劇では素人だね。見得切ってばっかし、で、殺陣は下手。





元幕府お庭番(忍者)だった男が鬼気迫る執念で緋村剣心を追ってるんだね。この男を演じてる伊勢谷友介っていう役者、

どこかで見た奴だねって記憶を辿れば「13人の刺客」を台無しにした、あのターザン男ではないか。斬り殺されたのに、ラスト、走ってやがんの、

この漫画のような映画では、真面目に強い男を演じてるね。この映画の原作は漫画なんだね? 漫画も馬鹿にならない、真面目に映画化してるね。





















荒れ狂う海に船から落ちた武井咲を救うべく自らも飛び込んだ剣心、海は逆巻き呼べど叫べど武井咲の姿なく、画面が変わって剣心は、

日差しの光を跳ねて小波が洗う砂浜に打ち上げられている。一人の男が歩き来て、浜に倒れる剣心が手に持つ刀をとり、おもむろに抜き払う。

誰かいな? 男は気を失ったままの剣心を肩に担ぎ上げ波打ち際の砂浜を行く。





やがて、其の男の大写し、ああ、坂本竜馬、じゃないわ、歌手の誰だっけ? よく見る顔だよ。福山なんとか云う歌手だよ。

なんか強そうな奴を演じてんだろうね? 面構えが、そんな雰囲気なんだね、映画は、ここで終る。

これは、続編を観ないとあかんね。「ゴミや云うてた邦画やぞ」 今を観ないで云うもんじゃない。「おまえやないか」













『藤原竜也』 向って右側から二人目の金髪が、あんちゃん男









時折、時代劇を観たいって欲求がある。ホームドラマのような創った奴だけ酔うようなのは要らん。

真っ当なのに越したことはないけれど、洋画と同じくハチャメチャ強い奴が悪を薙ぎ倒すようなのでもいいし壮烈ものでも構わない。

このような「るろうに剣心」風のものでも構わない。日本人の血を沸き立たすような時代劇が観たいね。






昔、洋画を知らぬまま、東映映画のお化粧時代劇に酔てった時代があった。「怪傑、黒頭巾」「新吾二十番勝負」「鞍馬天狗」

今ならボロチョンだけど時代劇そのものだったね。其処から波及して「武士道残酷物語」「十三人の侍」なんかのリアルな時代劇になった。

ぶった斬る効果音が入って、東映、東宝、松竹が三つ巴となって新しい時代劇の幕を開いた。「大映は?」 ここの作品は地味だったね。






市川雷蔵の「眠り狂四郎」「忍びの者」 なんてのがあったけど不思議と観なかったよ。長谷川一夫のお化粧時代劇は観たね。

山本富士子って日本一の美人女優との共演が多かったんじゃないかね? 当時は、山本富士子は美人大女優だったと記憶するよ。

市川雷蔵の「かげろう絵図」ってシリーズだったかなあ? 此れを観た記憶があるね。





これはね、ラジオの連続時代劇「かげろう絵図」なんてやっててね、むろん、ナレーターと声の俳優が演じてた。親父とおふくろがいつも聞いてたよ。












『佐藤健』








全く期待の欠片もなかったけど「るろうに剣心」の佐藤健、ひょろひょろなんだけど見得切る姿に日本侍の血を持ってるね。

予想外の面白さに嬉しくなったよ。血沸き肉躍る痛快娯楽時代劇、下手糞が、指導に習い一生懸命に演じてる熱意を感じたね。

昔、TV時代劇の「新撰組血風録」ってのがあった。ヘタクソ集めてひたむきに創る、そんな純な想いが、この映画にも漂ってるよ。





なんでも下手糞から始まるんだよ。面白いものを創る、その一心で、次に繋がるんだよ。お陰さんで、飢えを凌(しの)げて満腹したよ。












































カメレオンの独り言-1410 『映画 ヘラクレス と 一枚の葉っぱにも似た運命』

2015年05月07日 | 日記







 『ロナウドとイリーナ・シェイク』  2015年5月7日







晴れたね、快晴だよ。いいねえ~。昨晩は遅くまで起きていたから、今日(5日)は目覚めたら10時だよ。勿体無いことしたね。

カメラを取り出してベランダから葉っぱをパチパチ撮った。若葉が綺麗だね。ちょっと、昼からふらりと出るか。

仕事がお休みで時間の制約がなければ、駄文を書くのに何の苦もなく出来上がる。其の上、愉しくて仕方がないよ。独りで笑ってんの。





「休み、ずっと書いてるね」 パソコンの前に居ると無意識に書き始めてるよ。本当は、書きまくりたい。一日2本でも苦にならないだろうね。

其処から、また、何か気づきを得るだろうなって思うんだね。オレは、のめり込むのは容易だね。探し求めてるんだよ。

見えないものを手探りで掴み取りたい欲求があるの。外界から吸収するのが速いのか、のめりこんで書きまくる中から発見する方が速いのか、





どっちだろうね? 流れるような文体が好きだね。歌のように読みきれる文体だよ。歌いだすと知らぬ間に歌いきってるような駄文を書きたい。























一眼レフカメラも使いこなしたいね、マニュアルで撮る練習を怠らない。覚えるまでが遠い道のりだね。ブレを極力押えて撮ることを意識してんの。

「写りゃいいってのを改めるのか?」 僅かな一歩だけど、撮ったって実感を大事にしようと思うんだね。出来映えは別だよ。

ここで、其れをどうのこうのと捉われたら「写りゃいいっ」に戻るからね。試行錯誤を繰り返しているうちに見えてくるんじゃなかろかね。





ブルドーザーで開拓する、人力で開拓する、速いに越したことはないけれど、オレは、とろくても人力で開拓するほうが好きだね。労は惜しまない。

考えたら、極めればプロと肩を並べる写真が撮れる機器を持っているんだね。機器の能力を活かせば9割がたは近づける。

あとは感性と主張がものを云う。不可能ではないわけだね。文を活かすのも写真を活かすのも共通してるよ。まずは、弛まぬ努力だね。





「難しいで」 文も負けずに難しい。写真も同じく難しい。プロも人間だよ。好奇心に引きずられて歩き続ければ前に進んで近づくよ。























時は紀元前358年、傭兵としてギリシア諸国を放浪する人間と全能の神ゼウスの間に誕生した男ヘラクレス(ドウェイン・ジョンソン)

の超人的ダイナミックアクション映画を観たよ。2014年 アメリカ映画。




ドウェイン・ジョンソンさん、ごめんなさい。筋肉馬鹿なんて云ったことは忘れてください。素晴らしい、逞しい、美しい。

あなたの筋肉には、確かにヘラクレスが宿っています。御見それ致しました。「なんやねん、映画の中のズルイ悪もんみたいな台詞やないか」

謝ってんだよ、ボロクソ撤回だよ。『ヘラクレス』 予想以上の映画だったね。ドウェイン・ジョンソン髭蓄(ひげたくわ)えたほうがいいね。












『ヘラクレス』 2014年 アメリカ映画 









誤魔化しのない丁寧な描写、妥協もいい加減さもない戦闘シーンの殺陣、実に良く出来た映画だったよ。娯楽超大作だよ。

この手の映画も史劇って云うんだろうかね? それとも歴史劇? 紀元前の時代を背景に凄まじい戦いを展開、神ゼウスの子ヘラクレスが悪をなぎ倒す。

なかなかね、群集戦闘シーンってのは撮影が難しいんだろうね。兵士役の全体に戦いの殺陣を割り振ってしても行き届かないもんだからね。





でも、この映画、オレの見落としがなければ、画面の端で笑ってる奴とか、やりばなくボ~と突っ立てる奴とかが居なかったね。

全ての兵士が戦っておったよ。剣や槍先なんかは、ゴムかなんかで摸倣してんだろうけど、そんなのものともせずに、

蛮人どもはふんどし一丁の姿で突撃してきて、軍勢の盾の壁突き破って躍りこんで来るんだね。大写しの殺陣の背景でも戦ってるよ。











『イングリッド・ボルゾ・ベルダル』








ヘラクレスの並外れた強さの描写も納得できるよ。突進して来る騎馬を身をかわして馬ごと放り投げるわ、化け物ライオンの口裂くわ、

多頭の大蛇? ドラゴン? の首をちょん切るわ、とてつもない石造引っくり返すわ、もう、紀元前の汗臭いスーパーマンだよ。

こんなの云ったら「なんや、お子様映画かいな」ってお思いになるでしょうがぁ~、今の世の中ぁ、何処に大人の映画がぁございやしょう。





あると云ったら18禁のAVもの、右も左も真っ暗闇じゃあござんせんか。「おっさん、逸れてるで」 ・・・でしょうって云うと逸れるね。












『いつものドウェイン・ジョンソンとイメージの違うところがいいね いつものドウェイン・ジョンソンは安っぽいんだね』








この映画では3人の女優が出てるんだけど、ヘラクレスとともに戦う女戦士(イングリッド・ボルゾ・ベルダル)は、普通、美味しい役どころなんだけどね、

弓を使わせたらとんでもない早業で、相当の見せ場があるんだけど印象が薄いんだね。

ヘラクレスの奥さん役している知らない女優さんは、僅かなシーンなんだけど個性的で、はっとさせて綺麗だなあと思わせたね。











『イリーナ・シェイク』








役どころは、すぐに殺されてしまうんだけど印象に残る華があったよ。ロシアのスーパーモデル、イリーナ・シェイクって人なんだね。

ブラジルサッカーのロナウド選手の彼女らしい。そんなのはどうでもいいんだけど、騒がれる人ってのは、やっぱりオーラがあるね。

「もう一人は?」 ああ、綺麗な人だったね。みんな綺麗なんだよ、なのに、其の中で目を引く人ってのが居るってお話だよ。





このサッカーのクリスティアーノ・ロナウドもそうだよ。同じようにサッカーボール蹴って走ってる選手は山ほど居るのに、

サッカー以外の世界でも名を売るね。普通の人たちが持ち合わせないもの、其れが背後で光ってんだろうね。「努力以外のものか?」

こういう人たちは、恵まれた魂を引き継いで、この世に還ってくるんじゃなかろうかねえ。





「コナン・ザ・グレード」 「300」 なんかの、あちらの時代もんに並んで、「ヘラクレス」 久々に痛快な映画だったよ。


























ああ~長い休みを貰って疲れがとれたね。今日(6日)は、7時に目覚めて外を覗いたら、からりと晴れて気持ちがいいよ。

花見月の若葉が日差しに透けて鮮やかだね。常に見てるわけじゃない。いつしか赤く染まって枯れて舞い落ちて、また芽がふいて其処に在る。

人も同じようなもんだろうね、一枚の葉っぱが人ならば、芽が吹く其の木の在り様で葉っぱの育成にも影響するんだろうね。





其れを双方ともに選べない。運命とか、宿命とかってのは、そこから始まるんだね。此れには、全能の神ゼウスも関わっておるんだろうねえ。




























カメレオンの独り言-1409 『映画 96時間レクイエム と 足元の見えないライン』

2015年05月06日 | 日記






 2015年5月6日






「おまえ、頃は良し、巷がGWで休みならブログに多目の休みをとって考えるんじゃなかったのか?」 過去の奴の云ったことか?

「過去も昨日も今日もおまえや」 切り分けのできん奴やねえ。「できとるわっ」 出だしから興奮すんな。

考えておるよ、一旦、それは横に置いてだね、天気も悪い、出かける気にもならないから有り余る時間をお話しで潰しているんだよ。





しかし、嫌味な天気だね。家ん中で好きなことしてのんびりする向きには、別段、晴れようが降ろうが構わないんだけど解放感を損なうね。

雨でも風でも苦にせず出歩ける人は、然程、気にならんのかも知れんけどね。いろんな人が居るからね、一概には云えないね。

今日(4日)も、昨日と同様、冴えない天気だね。オレは気分屋だから、願わくば、休みはからりと晴れていて欲しいよ。





やっぱり、多目の連休ってのは気分的ゆとりが働いて、昨夜は、早速、『96時間 レクイエム』を観たよ。

リーアム・ニーソンの映画に外れはあまり無いから安心して観たんだけど 「96時間」の3作目で息が切れたって感じだね。

シリーズだから仕方ないけど、不届きな元妻、可愛げのない女優が演じる娘が、また、出てる。なんやねん、女優を変えろよ。





なんか、この二人の女優は鬱陶しいね。「なんでやねん?」 この前、田舎へ帰れって云って引導渡したんだけどね。無視しよったね。













『96時間 レクイエム』










出来具合は、残念ながら粗くたいね。リーアム・ニーソンは変わらずいいんだけど演出が粗いよ。ちょっと無理があり過ぎだね。

リーアム・ニーソンが強いのはいいんだけど、どう贔屓目(ひいきめ)に見ても3回は確実に死んでるのに生きているなんて限度越えてるよ。

昔、子供の頃、兄弟で火薬のピストルで撃ち合いするんだけど、完全にオレのほうが正確に何発も早く撃ってるのに弟は死なない。それと一緒やね。





それに悪を無理やり捏造したようなストーリーもどうかと思うよ。元妻がニーソンに会いに来て今の夫と上手くいってない素振り。

「いつも思うのは貴方のこと」なんて色気出してる。ニーソンは堅い男だから、その色気に屁をこいて掻き消すけど 「ちょっと待て、なんやねん、それはっ?」

中和してんだよ。「何処にそんな表現がある? 色気に屁をこくぅ~?」 迫る色気を逸らす表現だよ。シラケるだろ? 新表現だよ。辞典にも載ってないよ。





まあ、この映画の救いは、元妻が殺されることで、ひとつの鬱陶しさが消えたってとこかね。「なんてこと云うんだ」 残るは娘だね。

「おまえが一番の悪じゃないか」 邪魔者は消せだよ。リーアム・ニーソンが可哀想だよ、老骨に鞭打って一人戦ってる。

アクションが派手なぶん、手抜きせざるを得ない事情が見えるようだよ。そんなに無理してまで助けなくていいんだよ。「冷酷な奴やね」 ハードボイルドだよ。





ラスト、娘を救い出し事件が解決、海に突き出る桟橋のベンチで話してるシーン、愛おしげに娘を見るリーアム・ニーソンの表情がいいねえ。













『リーアム・ニーソン』









リーアム・ニーソンは、年輪を重ねていい大人の味を出してるねえ。こんなのを大人って云うんだろうね。「おまえは?」 いや、それがだね。ケッサクだよ。

「なにがや?」 オレはね、この映画のニーソン観ていてアクションシーンでは流石に歳喰って無理が出来ないみたいだねって思ってるの。

オレもこうなるんかなあって、先々の自分を考えてんだよ。で、映画観終わって暫くしてから、ニーソンとオレは、変わらん歳であることに気付いてんだよ。





なんでだろうかね、自分は、まだまだ若いって錯覚してんだね。そんな意識で観てんだよ。ニーソンがオレのお父さんみたいな感覚なんだよ。

「それは、凄く恥ずかしい錯覚ではないのか?」 うん、そう、落ち着いて考えると大変恥ずかしい錯覚だね。「おまえ、大人の自覚あるか?」

字画31画だよ。「ここで、まだ冗談云うか? おまえな、大変なことだぞ」 日頃、自分は、もう、爺だって云ってんのに不思議だね? 





「自己嫌悪もんだぞ」 なんかね、オレは、何処か成長が止まっているような気がするんだよ。脳味噌の左脳は死んでるけどね。「関係ないやろ」

右脳だけで生きてる男だよ。「何処が止まってんねん?」 う~ん、積み重ねていく記憶とでも云おうか、経過の認識、記憶に対する思い入れが希薄なのかね?

此れは左脳の働きじゃないのか? 「記憶喪失か?」 いや、振り返れば緻密に覚えてはいるんだけど、それらは熱を失って薄いとしか表現できないね。





だから年輪の積み重ねが希薄で重さが無いんだよ。人生の染みってかねえ? 味わいってかねえ? 枯れた渋みが漂わないんだろうね。





つまり、過去は整理整頓されて戸棚に仕舞ってるから、不快なることは、不思議なくらいに、ほとんど甦らないんだね。「健忘症か?」 病気にしたいのか?

苦しみ抜いたら消化してしまうんだろかね。耐性は、至って強いって字画31画、違った、自覚があるね。「おまえの、そのオトボケに原因があるね」

なんでもお笑いにしてしまうトコアルネ。「中国人か?」 君のお陰で原因らしきものを見た思いがしたよ。隠れ無自覚健忘症だね。「病気やないかえ」





















歳を忘れて生きる。ホントにそんな感じがするね。でも、寿命は別だからね、どういう生き方をしても、実際の歳相応にしてオサラバするときは来る。

オレは、本当の自信ってものを持っていないんだと思うよ。夢を諦めない執念の出所は、其れを無意識に求めてやまない渇望から噴き上がってんだろうね。

社会の中に生きる一匹狼の最も足る欠落の部分なんだろうかね。「何ごとも我流で誇りは高いけどね」 だから均整を求めるんだよ。





「孤高を捨てて、これからは、犬っころに変身したらどうだ?」 牙を抜くのか。「犬でも牙はあるぞ」 そうだね。

ちっこいシッポ振って可愛く生きようか? そして女の子に甘えて擦り寄ろうか? 「ただの変態ではないか」 そう無理とも思えんけどね。

オレは、根は犬っころなとこあるからね。屈託ないからね。「対極とする立場で見れば孤高の狼の頑なな生き方に疑問も生じるかも知れんよ」





そうかも知らん、一匹狼もピンから切りまであるからね。自分では孤高の狼気取りだけど、人から見たら、ただのワンワンかも知れん。

もし、そうなら、頑なに一匹狼を生きて渇望するものを遠くへ追いやる愚かは考えもんだね。  

春の目覚めかね? 「おまえが云うとやらしく聞こえるね」 春の悶えって映画を見たけど可愛いもんだったね。「なんの話やねん」





リーアム・ニーソンが気づかせてくれたかね? この人は、「シンドラーのリスト」は勿論だけど「マイケル・コリンズ」の演技が印象深かったね。

ずっと意識にとどまって、期待を裏切らない、いい役者だね。

一口に変わろうたって、なかなか難しいんもんだろうね。「おまえの前に引かれている見えないラインを消せばいい」 知ってたの? 知ってたよ。



















遠吠えするのは満月の日だけにするか。「それは狼男ではないか」 夜な夜な出没するか? 「それは痴漢ではないか」




























カメレオンの独り言-1408 『届かぬ憧れ、届かぬ夢』

2015年05月05日 | 日記






 2015年5月5日






出る前にネットでツタヤの新作情報を調べたら、リーアム・ニーソンの『96時間レクイエム』ぐらいしか目ぼしいのがない。

ネットは便利だけど、ひょっとしての期待を持って行く楽しみを削ぐね。ちょっと、外の空気を吸いに出る積もりで自転車を走らせる。

GWで人は少ないって思ってたけど道往く人たちは、いつもと変わらない雰囲気だね。





いつも何気に道往く人たちと行き違うけれど知らぬ人ばかりなんだね。知らぬ人たちの中で知らぬ人の一人として生きてんだね。

だから、知ってる人を増やそうなんて暇な奴のすることだね。この人ってのは無尽蔵だね、増やしたところで増やした積もりの粒の中に過ぎない。

自分を知って欲しい、互いが知りあって仲間になって安心したい。馬鹿じゃなかろかね? 「なんでやねん?」 





多くを望んでいる積もりで小さくなって行ってるんだよ。まあ、どうでもいいけどね、独りで生きれぬ奴は、多くの中でも安心は掴めない。

「おまえは、実際に独りで生きれるか?」 生活に関わる実務的なことには困難が予想されるだろうね。「世間知らずか?」 ストレートだね。

オレの云ってるのは精神の問題だよ。自身を自分で支えられるかってことだよ。「じゃあ、支えられるんかえ?」 解らん。「なあにぃっ」





「自分が解らん癖して解ったようなこと云うなっ」 解らんってのが正しい応えだよ。解ろうはずがない。そうであるって志向だよ。

そう在るべきって意志力だよ。その道を歩くって覚悟だよ。人は、其れによって形付けられていくんだよ。「そうかあ?」 そうだよ。

自信を持て、まず、其処から始まるんだよ。「おまえは?」 ないよ。 「いちいち腹立つなっ、無いなら云うなっ」 不快な事実に立ち向かうんだよ。





















戦ったからって事実が変わったり消えたりする訳じゃない。事実は烙印だよ。人は、それに縛られて生きているんだよ。病原菌みたいなもんだろうね。

不快なる事実と弱さと迷い、擦れ違う人々がそれぞれに抱えて生きているだろうね。みんなが抱えているのに、他人のそれには理解が及ばない。

それは、それらをひた隠しにして理想の偶像貼り付けて歩いてるからだよ。嘘を実(まこと)しやかに突っ張るから冷たく為らざるを得なくなる。





あかの他人の始まりだよ。有象無象の奴ばかりになるんだよ。昔の長屋の住人は偉かった。あったかい心が活きていたよ。

解決に、直接、力を貸せずともいいんだよ。理解の姿勢だよ、励ます思いだよ、それが、どれほど苦しむ人の心を支えることか。

不快なる事実を受け入れる度量だよ。其れをも包み込む理解と優しさだよ。曝け出す勇気だよ。実際には、なかなか難しいことだけどね。





せめて、それらを思いの受け皿にして人にあたる心を養うべきだよ。これは、難しいことじゃない、自分を大事に出来る人なら誰でも出来ることだよ。

そんなことを考えながらツタヤから帰って来たよ。「おまえ、自転車走らせながら、そんなことホンマに考えてんの?」 流れだよ。

「なんの流れや?」 話の流れ、解るか? べつにウンコしながらでもいいんだよ。次の話に切り替える、う~ん、何て云えばいいのかなあ?





舞台で云えば暗転だね。貧困だねえ~適切な言葉が出て来ないっ。「知らんねやろ?」 知ってるかもっ知れないけどっ知らんかもっ知れない。












『96時間 レクイエム』








リーアム・ニーソンの『96時間 レクイエム』が棚に残ってたよ。新作を求めて行った時は、この瞬間、やったあって心が少し跳ねるね。

なんでもない喜びなんだけど、オレは、死を前にした時、こんな僅かな喜びごとが、もう、味わえないなあって、涙が零れ落ちると思うよ。

「質素なことやねえ」 喧しいっ、日々の流れの中で、ほんの僅かな喜びごとの積み重なりってのは、知らぬ間に大きくなってると思うんだね。





そんなことを思いつつ、「またや」 準新作コーナーのほうへ回って棚に目を走らせる。カタカナカタカナカタカナカタカナ、これ、なんとかならんのか。

国民番号制ってのも施行されるんだろ? 人が番号打たれる時代やぞ、DVDもブルーレイもCDも番号打てよ。

Yー4649『ヘラクレス』というふうに番号順に並べろよ。紛らわしい『ザ・ヘラクレス』にも番号がある。偽ー931、間違わないよ。





駄作コーナーも設けろ、駄ー1616、誰も借りないだろうね。客のウッカリを狙ってるから商売にならんだろうね。D-1616でもいいよ。

「そんなもん、Dは駄作ってすぐにバレるわ」 Aでもいいよ。「一緒やないか、其のコーナーだけクモの巣張るわ」 ざまあみろ。

合格発表、落ちた経験者はツタヤで棚を見てる雰囲気で解るんとちゃうか? 「この番号表示なんとかならんのかっ」って顔が怒ってるよ。












『ヘラクレス』 『ガンズ・アンド・ストレンジャー』









「あちら立てれば、此方立たずだね」 兎角、この世は生きにくい。なんてことを考えながら、「またや」 甲乙と、『ヘラクレス』 借りるんかえ?

まだ、「ザ・ヘラクレス」 観てないんだけど、此れに限って云えば、この本命の『ヘラクレス』も、たいして期待は持てんよ。「なんでや?」

役者で其れが読めるね。主役がドウェイン・ジョンソンって筋肉馬鹿なんだよ。「絞め殺されるぞ」 こいつの時代もので失敗した経験があるんだね。





「5歳の頃にスティーヴ・リーヴスのヘラクレス (1957年)を観て、高校、大学でギリシャ神話やヘラクレスの12の難業を学び、

ヘラクレスは肉体にしみ込んだ」なんて云ってるよ。大きなこと云って大丈夫かいな? その出来具合を観てあげようなんて思いつつ 「またや」 う~ん、

『トカレフ』 この主役のニコラス・ケイジも中途半端な形が定着した役者だね。B級に限りなく近い映画専属だね。借りてあげよう。「借りるんかえ」





『ガンズ・アンド・ストレンジャー』 クリスチャン・スレーターって役者も悪くないんだけど、この人、最近、見ないねえ。観てあげよう。

『マレフィセント』デズニィー映画は、何故か肌に合わないと云うか、なんと云うか、かんと云うか、数合わせで観てあげよう。「なんやねん」

今日(3日)は、カードの更新日だから1本タダなんだね、でも更新代200円取られるからタダのようなタダでないような按配なんだね。





いつも時代劇を観たい欲求があるんだけど創らないねえ。『るろうに剣心 京都大火編』 ゴミと思って借りてみようか。「怒りよんど」












『マレフィセント』 『トカレフ』 『るろうに剣心 京都大火編』









ものを創るってのもピンから切がある。映画ならば、シナリオ、演出、編集、撮影、音楽、効果、役者らの集合体だね。

それぞれが一応の能力をもって一応の映画を完成させる。そして内容を問われて売り上げが決まる。

時代のニーズに添って題材が決定されるんだろうね。客の好みに倣う、儲けねばならないから無視はできない。これが怪しいんだね。





客にゴマ擦るような内容、客層に照準合わせて客受け狙った配役、功を奏して売れるんだろうけど質は薄くなるばかりで魅力は落ちる。

安定路線で新味に欠けて役者に化けたド素人ばかりが幅をきかせて日銭商いで明日へと繋ぐ。

冒険なくして拓かれるものはない。今の邦画界は、創造の夢を忘れてしまったのかね? 苦難にまみれようとも夢を勝ち取る気概を持て。





波を起こすのは創り手にある。客を巻き込む波だよ。客を引き込む波だよ。

ホンマものを観たい、ホンマものに酔いたい、ホンマものを誇りたい、そんな客層を無視してんじゃないか? 致命傷だよ。

お茶の間映画ではないか、だから映画界から撤退しろと云うのだ。消えっちまえ。と、まあ、そんなことを考えつつトイレから出てきたよ。





「臭いとこから出てくんなっ」 臭いから出て来るんだよ。




















届かぬ視界、合わせるばかりが能じゃない。背伸びしてでも視界に入れたい欲求を子供たちに持たせてやれよ。オレの時代は、それで育ったよ。




























カメレオンの独り言