2015年5月30日
インドで46~50度の暑さが続いて1200人もの人が死んでるってニュースで報道してる。凄い暑さだね。
若い頃なら、そんなもんがなんじゃいって意気も上がるんだけど、今のオレだったら1200人の仲間入りだね。
こんなときでもインドでは激辛のカレーを食ってんかね? 体温上げて気温と調和を計るのかな? 「計るかっ」
我が日本も季節外れの暑さだね。昨日のニュースの各地の光景は真夏のそれだよ。今からこれだと本番が来たらどうなんのかね?
光量が多すぎると、被写体の一部が真っ白に飛んだ写真に仕上がるときがある。この数日、いつも目にする風景なんだけど、
真夏のような日差しの中、光の量が上まって町並みや木々のあちら此方が白く飛んでるように感じるよ。
バスを待ってベンチで腰掛けてたら背後からナイフで刺されてる。刺したのは26歳の女性だって。
何の関係もない人なのに刺されてる。「ムシャクシャしたから刺した」いのなら自分を刺せ。暑くなると、こんなのが増えるね。
最近は、日本刀に魅力を感じる女性が増えているらしい。今の世は、日本刀を持って歩けないけど小さな刃物は持ち歩ける。
これからは、鎖かたびらを衣服の下に着用するのが流行るかもね。「暑さと重さで自殺行為やぞ」
精神力だよ。背後の敵はかわせない。鎖かたびらが守ってくれる。痛こそばゆい程度の傷で助かるよ。頭は鉄兜だよ。「戦争に行くんかよ」
今の世の中、そのぐらいせんと不意打ちは防げないよ。豊中でも、マンションのエレベーターから降りざま背後から男に襲われて、
何の関係もない女性が刺されたり切られたり血だらけなって死んでいる。死んだ女性は、気の毒に訳解らんままに彼の世へ往くんだね。
何ごとも変化を望むなら自ら動かねば変わらない。善いも悪いも行動を境目にして変化が起こるね。
オレも、そのときがじわじわと近づいてるのを感じてる。このままじゃ駄目だね。仕事もさらば、住み慣れたこの地もさらば、
そんなときが近づいてるような気がする。「死ぬんか?」 アホか、物語が終るじゃないか。
こんなんで終るんなら、もう、オレは一切の汗をかかないよ。アホらしい。屁一発で糞人生飛ばしてしまうわ。「どんなんや?」 其の程度のもんさ。
まだ、戦いがあると思うから頑張って生きてんだよ。遣らねばならぬことがあると思うから変化を望んでいるんだよ。
「今、動くときか?」 解らん、其れが解れば攻略本片手のゲームじゃないか。クリアできて当たり前じゃないか。
オレは、産まれて初めての最初のゲーム「トウーム・レイダース」ってのを攻略本なしでクリアしたんだぜ。どんなけ苦労したことか、
ドッキ~ン、ドッキ~ンと心臓響かせて、どれだけ主役のララ・クロフトを殺したことか、「生き返るなんて嘘だろ?」 やり直しだよ。
やり直しで、すぐに、また死ぬの。「なんやねん」 そのぐらい難しくて怖ろしくて不気味で、よくできたゲームっだったよ。
女伊達らに二丁拳銃にショットガン、グレードランチャーなんてのを都合よく取り出して、恐竜や熊やライオンやゴリラや狼なんかを撃ち倒し、
其の上に、最強の化け物どもが出て来よるからコワイ。「なんやねん、なにが怖いねん?」 そいつらとも勇敢に戦うんだけどなんか不気味なんだね。
「ゲームだろ?」 いやいや、冗談じゃないんだよ、ホンマに怖いんだよ。そのぐらい、当時では、リアルな出来のゲームだったね。
『こんなの作るの大変だから、ちょっとお借りします』
オレは感受性が強いから主役のララ・クロフトに感情移入して、其の身になって操るから怖さ倍増だよ。知らぬ間に深呼吸を何度もするよ。
2作、3作、4作とシリーズ重ねるごとに、3Dの技術も進化してより一層にリアルになり、ララ・クロフトもどんどん美人になってったよ。
オレは、2作目を半分ほどやったけど、流石に目が疲れて酔いそうになるからやめた。
今じゃ、もう本物みたいにリアルになって18禁の新作が出てるね。Hなんだろうかねえ~? 悪どもにとっ捕まって映画風のシーンがあるかもね。
「何を考えてんねん?」 男の本能が想像力を刺激するんだよ。ともに恐怖を克服したララ・クロフトには深い親しみさえ感じるよ。
外国じゃ、ララ・クロフトのAV版ゲームも販売されてるらしいよ。あっちは、そういうのは、底抜けだからね。オレのララをボロボロにすんなっ。
で、なんの話だったかね? 「変化を望んでるんだろ?」 ああ、そうだったね。おまえが、死ぬんか?なんて聞くから横道それたんだよ。
オレの人生の話をしてるのに、なんでゲームの3D人形の身の上を心配しなきゃならんのだ。「すまん」
「では、全てにさらばするよなこと云ってるけど、おまえを取り巻く人たち全てか?」 そうだよ、何ごとも永遠なんてないよ。
オレは、一匹狼で死ぬ覚悟を常に持ってる。そのとき、その場を一生懸命に生きて来た。また、生きる世界が変わっても同じだよ。
『トウーム・レイダー最新版』
人は、安寧の生活こそが、人生の至上の喜びと捉えるけれど、本当に安寧の生活なんてのがあるんだろうかね?
人生の苦ってのは雑草が生い茂るように切りなく現れる。刈り取ることを怠れば苦だらけの日々に嫌気が差して文句だけが目立ってくる。
四方八方包んだ中でもみ消しもみ消しすまし顔、見てくれ飾って嘘にも磨きがかかる。そんなの守るために生きてるのか?
無いならないで何にも無い、其れが本当ならそれでいい。そんな生活をしてみたい。「其れが、おまえの夢か?」 くだらん雑草の生えない家だよ。
「おまえの家は、そんな家か?」 でもないよ。ただ、惰性で終る人生が嫌なだけ。
脈絡に縛られて惰性に任せて終わりが来たから、さようならってのが我慢ならん。オレはオレを生きたという実感が欲しいの。「ないのか?」
残念ながらないね。大方は自分の責任だけどね、物分かりよい人を演じて役者で死んで逝くのが嫌なんだね。
義理と人情を秤にかけりゃ義理が重たい男の世界、筋を通せば自分の出る幕はない、随分と無理をしたよな人生だったように思えるね。
情が重たいオカマの世界でもいいよ、あと僅かでも自分に正直に生きてさよならしたいよ。