「必死剣鳥刺し」藤沢周平の原作を映画化。死を覚悟して、悪政の元凶である藩主の愛妾を刺殺した剣豪・兼見三左エ門に寛大な処分が下されるが、
その裏には権力闘争に繋がる陰謀が隠されていた。主演は豊川悦司(兼見三左エ門)。
『 必死剣鳥刺し 』 豊川悦司
正統派時代劇だね。主演の豊川悦司は、好きな役者じゃないけど時代劇を遣るだけの芸力があるね。
こういう役者の存在を知ると安心するよ。日本の映画の役者がタレント化して質が低下していくのは「見るに忍びんわ」
江戸時代、東北の小藩、海坂藩の藩主・右京太夫(村上淳)は藩政を疎かにして、愛妾・連子(関めぐみ)に溺れる馬鹿殿。
連子は右京太夫の寵愛を盾に政治への介入を続け、家臣も民も悪政に苦しめられていた。
間違いを戒めた老臣に腹を切らせ、貧窮に耐えかねて一揆を起こした農民を武力で弾圧し首謀者の面々を尽く斬首の刑。
その悪政を止める者は、もはや誰もいないかに思われた。
藩の行く末を案じた兼見三左エ門(豊川悦司)は、能見物を終えて表廊下を引き上げる右京太夫や藩士たちの目の前で連子を刺殺する。
この刺殺するに至る一連の身のこなしが、作法を思わせる動きを見せて実に良い。
この覚悟の行動は、最愛の妻である睦江(戸田菜穂)を病で亡くした彼の死に場所を求めての最期のご奉公でもあったんだろうね。
なんて時代だろうかね。ただの馬鹿殿に奉公して腹を斬るなんて、そこらの奴となんら変わりないのを「殿、殿」って上げ奉り馬鹿みたい。
中老の津田民部(岸部一徳)の取り成しにより、彼に下された処分は一年間の蟄居閉門と扶持の半減という異例中の異例ともいえるほど寛大なものだった。
中老の温情に背くこともできず、三左エ門は素直に刑を受け入れる。
一年間の処分が明けた後、元の役職に復帰が許され、再び藩主の傍に仕えることになったが、どこか釈然としない。
連子が亡き後も身勝手きわまる藩政を行う右京太夫に仕える己れに迷い苦しむが、
亡き睦江の姪である里尾(池脇千鶴)の献身的な支えだけを心の拠り所に、一度は捨てた命を再び生きるのだった。
ある日、津田民部から秘密の藩命が下る。それは、右京太夫の従弟であり、直心流の剣の達人でもある帯屋隼人正(吉川晃司)を討てというものだった。
帯屋隼人正は、藩内では右京太夫に臆することなく苦言を呈することのできる唯一の存在だった。
隼人正は、現在の藩主(馬鹿殿)を廃して、家臣や百姓の安寧を図り、江戸在住の若君を据えようと画策している。
津田民部が、三左エ門に密命を下した理由は、彼が隼人正に優るとも劣らない天心独名流免許皆伝であることと、
藩主への名誉挽回の機会を与えるためだという。
今こそ“負の過去”に決着をつける時だと悟った三左エ門は、中老の命に従うことを決意する。
三左エ門は、自分をこれまで支えてくれた里尾を嫁がせようとする。緊迫する藩内の情勢を考えて、彼女の安全を案じたのだ。
しかし、里尾はその申し出を断っただけでなく、三左エ門へ寄せる想いを口にする。
戸惑いを隠せない三左エ門だったが、彼女の気持ちを真正面から受け止め、一夜を共にする。
「遣ること遣ってから」なんやねん、それは。 里尾を実家へ帰す三左エ門は「必ず、迎えに行く」と約束するのだった
或る雨の日、度重なる悪政、悪行に我慢限界、右京太夫に天誅を下さんと登城した隼人正は剣を引っさげたまま面会を要求する。
家臣たちが「お太刀を」 と止め立てするのをなぎ払いつつ、隼人正は城内に単身進み行く。
事の事態は、殿を警護の三左エ門に伝わる。「隼人正殿が太刀を持たれて、此処に向われています」
帯屋隼人正の前に立ちはだかる兼見三左エ門。 「通せ」 「なりませぬ」 「うぬが兼見三左エ門か、大きな男よのぉ」
「刀に賭けても通さぬか?」
「お手向かい、致しますぞ」
隼人正は、諌める三左エ門に耳を貸そうともせず、剣を抜く。三左エ門は身に帯びた脇差で応対し、激しい戦いが繰り広げられる。
語り合えば、ともに思いは同じくするところ、侍の立場が敵対するんだね。
「邪魔立てする者は斬るっ」
「おやめなされいっ、正気の沙汰ではござりませぬぞっ」 「・・・・・・っ」
「斬れる」って恐怖感を感じさせる殺陣だね。「嬉しくなるね」まだ、日本の時代劇は健在だった。
藩命に従い忠義を示すはずの行為を中老津田民部は「乱心である。この者を斬り捨てよ!」と命じる。
三左エ門は遅まきながら全てを悟る。自分が先の事件で寛大な処置を受けたのも、隼人正を亡き者にせんとする藩主と中老の陰謀だったのだと。
三左エ門を援護するために控えていた侍たちは中老の命に最初は耳を疑うが、上意至上、時を移さず一気に斬りかかる。
「やめろっ、やめてくれっ」 三左エ門は斬りかかって来る者に恨みはない。柔術で払いのけるうち襖の影から脇腹を貫かれる。
相手の太刀を奪って、尚、刀を反(かえ)してみねで打ち倒す。いかに剣豪でも万事休すの状況に追い込まれていく。
外は、しのつく雨。庭に転げ落ちての斬撃の刃(やいば)も雨に似て、次から次から三左エ門に降りかかる。
三左エ門は、みねを反す。斬らねばならない。「どりゃあっ」斬りかかった相手が、断ち割られて転倒するを抱え止める。腕の中で断末に「兼見殿・・・」
斬らずともよい者を斬った。「おのれっ、津田民部っ」
腹を突かれ、肩がけに斬られ、頭部に太刀を浴びせられても、三左エ門は最後の力を振り絞って武士の意地。
津田民部に一太刀浴びせねばっ、三左エ門は満身創痍の身体を気力で引きずり、座敷で見下ろす津田民部に迫る。
座して太刀を構えるが精一杯の三左エ門も遂に力尽きて動かなくなった。津田民部が目で指示をくれ、腹心の武士が背後からとどめを刺す。
背中肩先から腹部まで刺し貫かれて三左エ門は突っ伏して果てる。
恐る恐る近づき脈をとって「こと切れております」一同に安堵の空気が流れる。
無念の死で映画は終わるのかと、武士道の悲哀が主旨かなって、それなりに頷きたいほど観てる者も疲れてる。
突っ伏して果てた三左エ門に近寄りつつ 「兼見よ・・・」と語りかける津田民部・・・
とっか、三左エ門が幽霊が如く跳ね起きざま、握り締めた大刀を津田民部の左脇腹から背中上方まで見事に貫き通す。
これこそ「この剣を使う時には、私は半ば死んでいるでしょう。」と三左エ門が語っていた「必死剣鳥刺し」だったんだね。
凄まじさに圧倒されたね。岸辺一徳は役者だね。口跡も渋くてよく通り、奸智に長けた男を遣らせたらピッタリだね。
こういう正当派の時代劇にふさわしい芸達者な人々が、脇を固めて創り上げた映画が、これからもどんどん出てきて欲しいもんだね。
映画の終わり、時は流れて、幼子を抱いた女が街道筋を見つめている。「今日も来なかったね」とわが子に語りかけるその女は、
「必ず迎えに行く」と約束した三左エ門を待ち続ける里尾だった。幼子は三左エ門の子なんだね。一夜の交わりで? 「必死剣〇〇〇刺し」だね。ゴメン。
映画『必死剣 鳥刺し』予告編