カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-QK-131 『偏見動物』

2012年07月31日 | 日記







「焦げるんじゃないかいな?」って、思える程に直射日光が身に堪える。なにげなしに「暑い、暑い」って空見上げて云ってるけど、

太陽光線って、考えたら「ものごっついエネルギーだね」 地球から太陽までの平均距離は約1億5000万kmだという。想像も出来ないね。

なのに、その光量と熱を地球にもたらしている。ちょっと、此方へ寄ったりしたら地球は「問答無用」で黒焦げだね。

と、云って、嫌われて遠のかれたら地球は凍る。程よいところに定着しててね。





既にある均整が保たれて地球の歴史が周ってる。宛がわれた物のなかで、さも解ったような顔して生きて居るんだね、人間って。





















「人間の誕生」 と 「宇宙の謎」 此れを解き明かすまでは、本当は、何も解ってないってのが、正しいんじゃないのかね?

悲観的に見れば、其れを思い知るのは、人類滅亡の終焉に遭遇した世代の人々ではなかろうか? 

人類が築き上げた全てのものが、消失する瞬間を目撃した者が「人間ってなんだったんだっ? なんて絶叫して死ぬんだろうね。






動物達が逃げ惑う、人間も逃げ惑う、すべての生き物が逃げ惑う。自然に身を任せて生きたものたちは、ただ天変地異に慄くだけで純粋に恐怖から

逃げ惑うけれど、人間は、失われて行く文明、文化の歴史の崩壊に「信じられない」「認められない」「有り得ない」

納得のいく答えも見い出せず、信じる神に向って救いを求め理不尽を責め、人類の存続の執着にいじましさを見せるだろうね。






でも、生き物は一律で有ることを思い知らされて滅ぶんだろうね。 そんなのが見えますけど、奢れる者久しからずだよ。























優等生意識の成れの果てやね。「ほんまかよ」 知らん。でも、人間は、何ごとにも優劣つけて生き続けてきた偏見動物だから、

何時の日か、その審判のときを受けざるを得ない宿命を背負っているよ。

地球は、おまえたちのためだけに有ったのではないってね。遠い昔、我がもの顔して暴れまくった恐竜どもも同じ末路を辿ったものね。






架空の話は、なにを云っても、完全否定を受けずに済むから気楽だね。




























カメレオンの独り言-467 『映画 遠い太鼓』

2012年07月30日 | 日記







私が、十代の頃にテレビの洋画劇場で白黒放映で観た映画。インディアンと云えば馬を駆って襲い来るものとばかり思っていた当時、

ジャングルに生息するインディアンを初めて知って興味深かった。冷酷で野蛮なセミノール族、悪に徹して 「いいねえ~」











『 遠い太鼓 』 1951年度作品 監督/ラオール・ウォルシュ 出演/ゲイリー・クーパー マリオ・アルドン








1840年、フロリダのジャングルの奥地でインディアンのセミノール族が、廃墟と化した城砦を根城にして武器商人から西洋の新式銃を

仕入れ勢力を拡大していた。フロリダ地域の防衛に当たるワイアット大尉(ゲーリー・クーパー)は城砦の武器庫を爆破する命を受け

40名の部下とともに敵地に向う。海軍のタッフ中尉(リチャード・ウエップ)の協力を得て船で湖(オキチョビー)を渡り夜陰に乗じて敵地に上陸。
 
 
























ジャングルを進み城砦を発見、夜襲をかけて滞在する武器商人やセミノール族を殲滅する。囚われていた農園主や雇われ人を解放、

其の中に海賊に襲われ囚われたジュディ(マリオ・アルドン)も居た。















彼女らを救い出し、城砦の弾薬庫を爆破、元来た道を撤収するが、セミノール族の知れるところとなり一行を迎えに来た船が攻撃される。

乗船を断念「一度入れば出て来れない」と云われる湿地帯のジャングルに逃げ込むしか道は無くなった。















セミノール族の足は速い。枯れ草に火を放って辛うじて逃げ切る。















240キロの湿地帯を踏破すればワイアット大尉の居住する安全な島に行き着ける。船で帰還する計画が狂い隊員たちは予想外の困難と

戦わざるを得ない状況となった。沼地にはワニの群れ、毒蛇などが待ち構えているが進むしか手立てはない。















女や老人の同行にも限界がきて、ワイアットは、部隊を二手に分け一手は軍曹の指揮で徒歩にて目的地に向わせ、もう一手は大木を

切り倒してカヌーを数隻造り女、老人を載せて河を進むことにした。落ち合う場所は、セミノールの墓地。

大変な中でも恋は芽生えるんだね。ワイアット大尉とジュディが束の間の憩いのお時間。上流生活に憧れるジュディと、仙人暮らしのワイアット。















今なら、文句も云わずに観てるけど、子供の時は、こういうシーンが無駄に長く感じるんだね。「女は、ウザイ、キショイ、邪魔」

銃撃戦やらハラハラドキドキのシーンが削られるような腹立たしさがあったね。「なんで女が出てくるねんっ」なんてね。







出来上がったカヌーを5隻ほど川べりに浮かせて出発の用意にとりかかっているとセミノール族が襲撃してくる。

急いでカヌーを漕ぎ出すが1隻が横転、河に投げ出された隊員をセミノール族が皆殺し。















なんとか落ち合う墓地まで辿り着くが、先に到着していなければならない軍曹の部隊の姿はない。暫くして、現れたのは道案内人一人。

軍曹の部隊は、途中、セミノールの襲撃に会い「バラバラになって他の者の安否は解らない」と云う。

其処へセミノール族が襲い来る。「カヌーは捨てろっ」走って走って逃げる前に沼。「飛び込めっ」胸まで浸かってなんとか脱出。















沼地を抜けて軍曹たちの安否を確認するため、セミノール族が出払ったあとの集落に潜入する。其処で見たものは・・・・。























大きなワラ作りの建物の中に広い井戸がある。中を見てワイアットたちは息を呑む。軍曹たちが無残な死を遂げたことを彼らの制帽が物語っていた。

「セミノールが戻って来たっ」 「野郎っ野蛮人どもっぶっ殺すっ」 襲い来るセミノール族に銃撃で迎える。















もう、目的地は近い。最期の力を振り絞ってワイアット大尉たちは走る。やがて、青い空が広がり眩しいほどの白砂の浜辺、透き通るような水、

ついにジャングルから脱した。河を渡ると、対岸に向って塹壕を掘って「ここで奴等をくいとめるっ」















気もちょろ悪い湿地帯から、目が覚めるような綺麗な光景は、彼らは勿論、観ている側も「ホッ」とするよ。







マイアミから北へ上がった辺りだから綺麗なはずだね。西部劇って云いたいけれど地理的にはアメリカ東部の南、南部になるんだろうね。

広いアメリカ大陸の原住民のインディアンからすれば、ヨーロッパから次から次から開拓民が押し寄せ「野蛮人呼ばわり失礼千万」なんだろうね。

「でも、おまえたちは紳士淑女じゃないよ」 「なにいっ、じゃあ、俺たちはなんなんだよっ?」 「だから、野蛮人なんだよ」 「おまえっ殺すっ」






物語はラストを迎えるんだけど 「ちょっと隠してエロティック」 で終わっておきましょう。

















ネットをウロついていたら珍しい写真がありました。この映画の撮影の合間のスナップですね。「お借りします」



























カメレオンの独り言-466 『残像』

2012年07月29日 | 日記





今年も、お祭りを見物に出かけることなくシーズンが終わるね。 子供の頃、毎年行ってた大阪の下寺町の生玉や高津神社の祭りも変わらず

行なわれたんだろうね。とりわけ高津神社の祭りは、いかにも祭りって雰囲気が境内をはじめ小公園、周辺道路に満ちてたね。









南側に向って建つ鳥居、石畳を下って進み来て小さな石橋渡って暫くすると境内に上がる階段がある。「よく遊んだね」









境内に上がると望楼がある。






子供の頃は西側に拡がる南区の繁華街を中心に街並みが一望できたけど、今は、背の高いビル群に閉ざされて望楼とは名ばかりとなったね。





思い出とともに焼きつく其の地其の場所、名残の建物などを、今、こうして眺めると、流れ去った年月の折節節の出来事が鮮明に甦って来るもんだね。

24インチの自転車で、鳥居の石畳を下り来て、小さく盛り上がった石橋をバウンドして渡っては、その瞬間の空中浮遊感に酔っていた。

今は、もう30過ぎの息子と娘の親となった妹も、其の頃は、男兄弟3人とともにおかっぱ頭でおてんば振りを発揮していたね。





高津神社は、貞観8年(866年)勅命により難波高津宮の遺跡が探索され、その地に社殿を築いて仁徳天皇を祀ったのに始まるとある。

昔々のその昔の人々の思い出に混ざりあって、石畳の上にオレの残像も、苦のない笑顔で走りまわってる訳だね。

















カメレオンの独り言-QK-130

2012年07月29日 | 日記








昨日は、土曜日だったけど仕事。暑いね。暑いのは夏だから仕方がないんだけれど「暑いね」

昼過ぎ、携帯が鳴って、見るとメールが来てる。某私立大学付属の中3の女子から「退屈や~」って。

「彼氏ができた」と云ってたんとちゃうんかいな? メール来るのは構わないけど返事を打つのが大変なんだね。






電車からよこしてるね。一言、二言でいいらしいんだね。それでも時間がかかるよ。

2~3回遣り取りして返事打つのに汗かいてると「ニッチャ~」と笑って目の前に居る。「なんや、おまえ歩きながら打ってんのん?」

クラブの帰りって云ってる。「宿題半分は片付けた」とか「貯めたお金でパソコン買う」とか、聞かなくても話してる。



















「彼氏にメール送ってやれよ、喜ぶぞ」 「ええねん」 「なんで?」 此の子は、表情豊かな娘やね。

ニッチャ~と笑って「可哀想やから・・・」 「なんや、それ?」 あまり気に入ってないみたい。お情けのお付き合いなの?

「付き合って解るってのもあるのと違うのん?」 「もう、解ってんねん」 「何処の奴なの?」






「なんで、★★ちゃんにそんなん云わなあかんのん」 「照れてんのか?」 別に知りたくもないけど話の流れやね。

自慢じゃないけど「女の考えてることは解らん」 長く連れ添ってる奥さんでさえ理解できんとこあるのに、若い娘に至ったら皆目解らんわ。

オレの彼女なんか理解不能やで。「あいつは宇宙人みたいな娘(こ)やからね」 オレの勝手な解釈だけで付き合ってるのかも知れんよ。






パソコンの話しから顔、形の話しに移行して「自分の顔なんか見いへん」 「なんでや?」 「あかん、こんな顔」 可愛い顔してるよ。

誰それに似てるって云われたって云うから「誰や、それ?」「う~ん、はぁ~ん」って変な声出して携帯でなにやら探してる。

「☆☆☆は綺麗やわ」 「うん、あの子は、誰が見ても綺麗やね」 「そやろぉ~」 でも当人は、そうは思ってないかも知れないよ。






「なんで~?」そんなもんだよ。他人の芝生は蒼く見えるらしいからね。





















「もう一人居るよ。☆☆、あの娘(こ)はね、武井咲と似てるよ」「ああ~あの子は綺麗で外人さんみたい」「話す表情が武井咲そっくりだよ」

顔は目鼻だち整ってぽっちゃりして、色は白いし、背はあるし、出るとこ出てるし。「なんやのんっ」「「怒るな、お前も出てるがな」 

Tシャツ透けて見えてたのを思い出して「キャッハハハ~」って赤くなって笑っとおるわ。







「あっ、出たわ」 「見せてみい」 チラッ、チラッと、目の前で携帯の写真を回転させるな。「目がおかしくなるわ」

それ、なんとか?関根の娘とちゃうのん? 「そらあ~おまえのほうが可愛いよ」 「そんなこと絶対ないわあ~」

なんか、ご機嫌で帰りよったね。まあ 「楽しい気持ちになれば善し」 だね。







若者の誰もが心捉われ、夢馳せて、喜んだり、悲しんだり、転こんだり、胸熱くして彷徨うようなお年頃なんだろうね。






















今日は、暇なのに残業「最悪だね」 煙草を買ってきておくか。店に入ると「あれ?彼女が居るね」 

カウンターの中で洗物をしながら「★★ちゃん、今日、仕事?」 「ああ」 「今日は5時まで」 ああ~そうなの。

なんか様子がおかしいね。レジーの前辺りで、意味なく若者が立って待っている。お姫さま好みのタイプだね。「いやだねぇ~」







「オレも、こいつみたいに思われているのかね?」 自分の姿に、盲目(めくら)になってるのかも知れないね。

いつも思うんだけど 「おまえから現れる以外のおまえに会うのは憚られるね」 せめて、オレの行動範囲内だけは男漁りは慎めよ。

狭いテリトリーなんだから「無理云ってるとは思わないけどね」































カメレオンの独り言-465 『映画 黄色いリボン』

2012年07月29日 | 日記






暮れて往くのが寂しくて、明けて往くのは希望の光のように感じられるなら、一生通じて明るい日差しに恵まれる道を歩ければいいね。

人生は、日中を笑って歩く人、夜の暗闇を手探りで歩く人、夕暮れを迎えて去り往く日差しの名残に振り向く人、

暗黒の彼方に暁の兆しを感じ取って思わず手の平合わせて感涙する人、そのような諸々の状況下で生きる人々が、混ざり合って此の世は回っている。








喜びごとと、悲しみごとが入り乱れて時は流れて往く。あちらで産声を挙げれば、此方で息を引き取る人も居る。

ともに時間を共有して生きてる人は数え切れない程なのに、人一人が意識して傍(はた)を思うのは、電車一車両に乗り合わせた程度の人の数に過ぎない。

其の関わる数の人々を基準において、無意識なれど秤や定規で比べ合う。








傍(はた)と比べて自分を量るなんて馬鹿らしい。昨日の鏡に映る自分より、今日、映ってる自分の成長を量りたい。








類は類を呼ぶってのは、同じような境遇の仲間、同じ色の仲間の輪に入って孤立感を緩和させたいがためだろうね。

独りで境遇と戦い乗り越えるってのは、大変な精神力と努力が必要となるからね。

人にもたれてはいけない。自分にもたれて揺るがない、そんな自分になりたいね。














『 黄色いリボン』 1949年度作品 ジョン・ウェイン主演 ジョン・フォード監督作品









物語は、カスター将軍率いる第7騎兵隊212名が、リトル・ビッグホーンでインディアンの大群の総攻撃で全滅(1876年)した日から、

或る砦の守備隊のブリトルズ大尉(ジョン・ウエィン)が騎兵隊を退役するまでの残りの6日間を描いている。



















映画は、単なるインディアン対騎兵隊の戦いに重きをおかず、退役を控えたネイサン・プリトルズ大尉の心象風景を軸に描かれている。

ジョン・ウエィンが、いい味出して老け役をこなしているね。



















プリトルズ大尉の最期の任務は、東部へ帰る隊長夫人とその姪のオリビア(ジョアン・ドルー)を駅馬車中継地まで護衛を兼ねて

第7騎兵隊の全滅を機に暴れ狂うインディアンの動向を探ることだった。



















恋人である騎兵隊員の無事を祈る「黄色いリボン」、その黄色いリボンを付けた美しきオリビアをめぐる若い部下の争いを織り交ぜて

大西部を背景におおらかな雰囲気を醸しつつ、名匠ジョン・フォード監督十八番の騎兵隊ものを叙情豊かに詩ってるね。

















Round her head she wore a yellow ribbon
彼女が巻いてる黄色いリボン

She wore it in September and in the month of May
5月と9月に身に着ける

















They asked, they asked the reason why she wore it.
みんなが理由を尋ねると

She wore it for her sweetie who was far, far away
遠くの彼氏のためだとさ



























Far away, far away

And she wore it for her sweetheart

Who was far, far away.

遠く 遠く 恋人想って黄色いリボン



















インディアンの大群が迫っている。兵は疲弊しきって上官の母娘や負傷者を砦まで送り届けねばならない。プリトルズ大尉は、インディアンを川向こうで

足止めするためコーヒル中尉(ジョアン・ドルー)の部隊に、此の地にとどまり持ち堪えるよう命じる。オリビアがコーヒル中尉に駆け寄りキスをする。

オリビアの髪に巻かれた黄色いリボンは、コーヒル中尉のためだったのね。女の娘(こ)って、素直に「好き」とは云わないんだね。

ペネル少尉(ハリー・ケリー・ジュニア)に気があるような仕草でコーヒル中尉をヤキモキさせて「なんなんだろうね?」



















Far away, far away

And she wore it for her sweetheart

Who was far, far away.

遠く 遠く 恋人想って黄色いリボン









John Wayne in She Wore a Yellow Ribbon






















カメレオンの独り言-464 『野蛮人の発想』

2012年07月27日 | 日記






ユーチューブを見だすと止まらないね。次から次へと、よくまあ有ったもんやね。

東南アジアのどこぞの国の洪水かな? 英語が読めないからフィルムだけで判断するしかない。濁流の中、道路が河のようになってるのか、

はたまた、河其のものなのか、河なら堰堤のような状態を想像できるような処を、荷台に多くの人を乗せてトラックが渡ってる。

凄い勢いの濁流が、トラックを堰堤から流し落とそうと盛り上がって叩いてる。ヨロヨロとトラックは負けじと渡ってる。







2~3メートル頑張ったけど、ハンドル取られたのかして落ち込みに車体が向いた瞬間、グラッと傾いて荷台に乗ってる人々が、

箒で掃い落とされるようにバラバラと堰堤下の濁流逆巻く中へはまっていく。上から逆さに引っくり返ったトラックが「これでもかっ」

なんて感じで落ちていく。全員死亡だろうね。「プライバシーも糞もないね」







キャンプかなにかで中州に取り残されたのかして、今や河の中央にある三角型の岩に4~5人がしがみついて、互いに流されそうになる













人を助け合い庇いあい頑張ってる。激流は水嵩増して彼等を大方沈めてる。彼らの後ろは滝となり怒涛逆巻き暴れ狂ってる。














岸辺で「ヤイノヤイノ」と騒いでる。「どうして助ける?」「ロープは?」「そんなん無いっ」「飛び込んで助けるかっ」「アホッ自殺やないかっ」

(騒いでる内容は想像よ)なんて、口々に騒いでるだけで何も出来ない。

もう、しがみついてた岩さえ見えない。一人が流される。其れを庇う人が流される。手を差し出す人が岩から離れる。終局の連鎖が生じて次々と流される。













グウッと浮き上がりグワッと沈んで繰り返し一塊になった彼らは地獄の滝つぼへ引きずりこまれるようにして姿を消した。














流された中には、まだ若い女性も居たね。望みが断ち切られたような状況でも、互いが必死に助け合う。人は、自然には勝てないけれど

最期の最期になっても人の情を失うことなく戦い続けた者たちは、おまえ(自然)に負けない大きな心を持ってるよ。






何処でどのような災いに遭遇するやも知れない人生、どのような状況に置かれようと、見知らぬ人であろうとも「助けよう」「庇おう」の思いを

常に、自身に言い聞かせて実践できる人間でありたいね。勇気とは、其の思いが奮い立たせてくれるんじゃないかね。








遠い昔に、テレビで放映していた洋画(西部劇)の一シーンだけ覚えてるのがある。映画の題名もストーリーも忘れてしまったけど、

アメリカ西部開拓時代、凶暴なインディアンが暴れまわって開拓民が襲われ惨殺される。

地域を警護する騎兵隊から、開拓民に避難の知らせを告げるため隊員をそれぞれに派遣する。






母親と娘だったかな? 馬車に乗り隊員に付き添われて危険地域を脱出するんだけど、運悪く、インディアンの一隊に遭遇する。

隊員は、インディアンに捕えられたら残虐な行為で殺されるのを知っている。一頭立ての馬車では逃げ切れない。

インディアンが奇声を発して迫ってくる。「自分一人では守りきれない」母親は覚悟して、娘共々「殺してっ」って、若い隊員に哀願する。






もう、インディアンは其処まで迫ってる。「是非もなし」隊員は、母娘を射殺する。躊躇が時間を奪って自身も逃げ切れない。

駆け出す馬上で自身の頭を撃って自殺する。落馬した隊員を見下ろし「臆病者の頭の皮など要らんっ」って、インディアンのリーダーが吐き捨てる。






何故か、このシーンだけが残ってる。






拷問に抵抗力のある者の魂を、自分たちに宿して勇気に代えるってのかね? 野蛮人の考えることは解らんわ。


























『 砦の29人 』 インディアンに火あぶりの拷問を受け、上半身大火傷で瀕死の状態の男に「殺してくれ」って頼まれるジェームス・ガーナー







急な危険に遭遇して、急な判断に追われ、急な決断に迫られ実行する。「おまえ、できる?」 「無理とちゃうやろか?」なんてことを考えてたね。

「臆病者」なんて、おまえは云うけれど、守るために母娘を殺して「八つ裂き」されるより一発で死んだ男の身になって考えろよっ。「ほんまあ~っ」

「野蛮人は考えないっ」 こんなの相手に生きなあかん時代って、ホンマに迷惑な話やね。



























カメレオンの独り言-463 『人いきれ』

2012年07月27日 | 日記








芽吹いて日の浅いように思わせる草が、堤防沿いの一面を新鮮な淡い緑の色彩に染めて揺らいでる。

太陽の光線を草面に反射してキラキラ輝いてるよ。「ああいうのを萌えてるって云うのかな?」 「あんなん、ただの草やん」

ただの草でも「生きてる」って感じがするんだけどね。「色淡くて綺麗だろ?」 「ただ暑いだけ。車から見たら綺麗って感じるわあ、

クーラーかかって涼しいやん」確かに暑い太陽の下ならではの光景なんだろうね。淡い緑の色が鮮やかで「好きだね」





















天神祭りに出かけた昨日は、人ごみに揉まれて大変だったらしい。なんでもかんでも報告して「今日はバイト」強行軍だね、おまえの道も。

太陽を、照り返してユラユラ萌える草のように、右に左に風にそよぐような世渡り上手、明るく逞しいおまえを見ていると

「余計な心配だったかも知れないね」 いずれにしても「おまえは、もう大丈夫だよ」 オレより、はるかに、しっかりしてるよ。







親が子を背負う、背負った子に教えられるって、そんな文句が有ったように思うけど、なにを語り合う訳じゃないけれど、

おまえは、存在することで、オレに「気づき」を与えてくれたね。お蔭で、いろんなことを考えさせてくれたよ。「ちょっとは成長したかもよ」







今日は、残業で「退屈な時間が長いねぇ~」って、思ったのは大間違い。オレの残業の予定日を知っとたな~? 

おませな小4の女の子と連れの子が入り浸ってる。そこへ中2の女子が入り込んで、そこへガキども4人が入り込んで、其処へ某私立大学

付属の中3の女子が「あっ★★ちゃん、居てるっ」って入り込んで、其処へ中3と中2の男子が入り込んで、ワイワイガヤガヤ好き放題。







椅子から落ちてガキは泣くは、お菓子は散らばるは「おまえたちね、此処は集会所じゃないのよ」 誰も聞いてない。

其処へ、高3の娘が「★★ちゃん、今日はバイトやねん」って入って来る。その後を追うように中3の男子が嵩高く入って来て、

先の中3、中2男子と合流。息が苦しくなってきた。「さあ、事務所に何人入ったでしょうか?」







「あっ、☆☆ちゃん、ブラジャー映ってる」 おませな女の子の連れが、大きな声で指差してる。「ええ~ほんまあ~?」背をすぼめてる。

Tシャツを透かして映ってるね。「☆☆、胸張ってみい」って云ったら「なんでやのんっ」ケタケタ笑って「★★ちゃん、見えてる?」

「おまえ、そのTシャツはマズイで、透け透けやがな」 前かがみになって「こうしたら?」 「見えへんわ」って声揃えてガキども。







付属の中3の☆☆は、それでも帰らず最期まで頑張って居ったね。「こいつら、なんやねん」

「ほな、★★ちゃん行くわ」って、高3の娘がバイトの時間、「あっ、〇〇ちゃん、お尻が見えてるわっ」 と、おませな女の子。

Gパンからお尻がはみ出てる。「ああ~」 面倒臭い返事して行っちゃった。 「あれがファッションちゃうのん?」ってオレ。







「わざと見せてんのん?」 「そうやろね」 おませな小4の女の子が、両手で口覆って意味ありげに笑ってる。







7時になって、ようようガキどもは帰ってくれた。中高生の連中は向こうでワイワイキャーキャーやってる。溜息出るよ。

「★★ちゃん、コンビニ行こ」って中2の女子「ああ、さっき行って煙草買っちゃったよ」 「おじさん居てるかな?」 「今日は、お兄ちゃんと

☆☆☆やで」 「☆☆☆ちゃん、★★ちゃんのこと好きなんとちゃう?」 おませな女の子の連れが、オレの顔、覗き込んで云ってる。

「おまえね、こんなおっさんを、なんで好きになるの?」 「う~ん」 「じゃあ、おまえは★★ちゃん好きか?」 「いらんわあ~」

「じゃあ、〇〇〇は★★ちゃん好きか?」おませな女の子は「うん、好き、くない」 紛らわしい答え方やね。







アホらしいこと云ってるうちに終業の時間がきて「おい、お開きやぞ」って声かけと同時に「★★ちゃん、事故ってん」って高2の男子が

入って来て、事情聞くと軽い接触らしい。椅子出して先の連中に話し出すのを阻止。「アホ、終わりや」「そんなあ~」「そんなも糞もあるか」

「★★ちゃん、わたしは待ってね」って、付属中3の女子。「おまえもあかんの、出ろ出ろ」 本日終了。







「ああ~、ホンマに疲れたあ~あ~あ~」 お蔭で、ブログ、考える余力も残ってないから、あったことそのまま書いただけ。ゴメンナサイ。

























カメレオンの独り言-462 『映画 ラスベガス万歳』

2012年07月26日 | 日記








駅に向う人の中に華やかな色合いの浴衣姿の女性が目立っているね。今日は、大阪の天神祭り本宮。夏真っ盛りって感じ。

彼女も華やいだ浴衣姿で出かけたね。駅まで送ってあげたけど「なんか暑いわあ~」って着慣れてないから自分じゃない感じなんだろうね。

祭りの中をひと歩きすりゃあ慣れるよ。長い脚さらして闊歩してるおまえも着物を着れば大和なでしこだよ。「綺麗だよ」





祭り情緒に貢献してきな。男も女も、此のときぐらいはね、きばって浴衣姿になって日本の祭りの風情を醸してあげるべきだよ。日本の夏だよ。

















わたしも浴衣をもってるけど袖を通したことがない。ゆっくり祭り見物行く間もなかったね。

遠い昔、軽装に下駄履き姿で、独りウロウロ、天神さんや住吉さんへ祭り見物に出かけてたことがあるけどね。

「お兄さん、粋だねぇ」って知らない玄人っぽい浴衣姿のお姉さんに声かけられて、ニコッって笑顔で答えたけど、正直、怖かったあ~。

「格好つけてるだけで、中味はボクちゃんなの」我ながら情けないよ。







川面に映る船渡御の提灯の明かりなんかを眺めてると「お魚居るのかな~?」なんて若い女の子たちが話しかけてくる。

河だから魚は居るよ。なに云ってるんだよ。なんで、放っておいてくれないんだよっ。







だから、浴衣なんか着れないの。大したことないのに目立つんだね、オレって。「よおう、自分でそんな厚かましいこと言うねえ~」って

皆さんは思うでしょうが、でもね、若いときは、そんなのばっかしだったんよお~。「向こうから来るの。いろんなのが」

「オレは、一人で雰囲気に酔いたいんだよっ」 気持ち悪い奴っちゃなあ~。「ほっとけっ」







こんなの書きながら、背中のテレビで放映してる天神さんの生中継を、振り返りつつ見てると群れて愉しんでる奴等ばかりだね。

やっぱり、オレが変わってたのかね? 昔と違って、総じて品の無い奴等が目につくね。昔は、やっさんがいなせに幅利かせて、

素人はおとなしかった。今は、垣根が消えて、どいつもこいつも「悪」って感じだね。でも、ほんとは「ボクちゃん」も居るんだろうね。







そのうち、また、独りで祭りん中ウロウロ散歩してやろうかな。祭りは、テレビじゃだめだね。













『ラスベガス万歳』 1964年度作品 エルビス・プレスリー アン・マーグレット 共演








道頓堀川を挟んで両岸に建つビルの壁面に大きなネオンサインが華やかだね。其の中でもグリコのネオンが有名。

其のグリコの向え側のビルの壁面にスクリーンがあって、遠い昔、映画の予告編を放映していた。

戎橋筋、道頓堀筋、そして心斎橋筋を行き来する人々が、暫し、涼みがてらに橋の上に立ち止まり予告編に見入るんだね。

















まだ、テレビよりも映画が娯楽の筆頭だった時代で、あたかも映画館で予告編を観るような期待感が其の場に漂っていたよ。

いろんなのを観た覚えがあるんだけれど、覚えているのは、アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」とエルビス・プレスリーの「ラスベガス万歳」

だったね。アン・マーグレットと歌い踊るシーンを何度も観たね。当時は、ホンマに「格好よかったねえ~」



















Elvis Presley Viva Las Vegas











夜の光が眩しくて

今夜も心が騒ぎ出す









金に糸目はつけないぜ

イチカバチかの大勝負









クラブは美人が勢揃い

俺を待ってるぜ









悪魔も心を奪われる

遊びに命を懸ける街









ビバ・ラスベガス

ビバ・ラスベガス

















24時間じゃ短か過ぎる

夢のように時が過ぎる

一日が48時間あっても

眠ってなんかいられない









ブラックジャック ポーカー ルーレット

勝負は時の運次第

強気で押しまくるだけ

ビバ・ラスベガス

ビバ・ラスベガス









自動賭博機がガチャンと鳴れば

全財産もドブの中 ビバ・ラスベガス









夜が明けても夜の街

一度行ったら運の尽き

人生が変わってしまう

楽しみを求め続ける

財布がカラにまるまで









オケラになっても 楽しい思い出が残る

賭けるぜ 最後まで









幸運の女神よ ダイスにいい目を

振るたびに最高の目を









ビバ・ラスベガス

ビバ・ラスベガス

ビバ・ラスベガス









ビバ・ビバ・ラスベガス!!





エルビス・プレスリーってポチャポチャした顔してキューピーさんみたいなんだけど、声はいいし、なんか格好良かったんだね。

この人の映画のストーリーなんて、有って無いようなものばかり。兎に角、歌って踊ってキメるとこはキメるって感じで流れてる。

アン・マーグレット、セットも衣装も「古いなあ~」って感じるね。でも、当時はステキだったんだね。






























カメレオンの独り言-QK-129

2012年07月25日 | 日記







今日は、ちょっと腹具合が悪いんが手伝ったのかね? 暑さにあてられたような症状になって体調を崩した。

情けないね。暑さにあてられたなんて初めてだよ。腹具合も良くないし、帰宅してダウン。

爆睡して先ほど目が覚めた。腹具合が変わらず良くない。鬱陶しい。なんなんだよっ、治れっ、このおっ。





無病息災なんて長いこと遣ってると結構さってのが希薄になってるね。

病や、災いなんてのに練れてないから、ちょっと調子狂うと弱いね。これがオレの弱点って意識は、忘れずに常にはあるけどね。























今日は夕飯を抜く積りだったけど、カシワのから揚げとサラダが冷蔵庫に残してある。チンして暖めてビールの栓を抜く。美味いね。

いつも遅くまで起きているのが当たり前になってる。今日は、早めに寝ます。「おやすみなさい」





























カメレオンの独り言-461 『洋画の女優さん』

2012年07月24日 | 日記




此の長い間、映画は大方DVDで観ている。映画館へは長く行ってないね。映画は、本来、映画館で観るもんなんだけどね。

映画館の独特の雰囲気が大好きなんだけど、長く行かない間に封切館は入れ替え制が当たり前みたいになってるらしい。

自由じゃなくなったんだね。観たところから観たところまで、もしくは、面白かったら2回でも3回でも繰り返し観れた昔のほうがいい。







映画館で観た最期は「ブラックホークダウン」だったね。今は無くなっちゃった大阪難波の南街劇場でゆっくり観賞した。

子供時代からよく通った、其の南街劇場も無くなったのは寂しい。大きくて観易くていい映画館だったのにね。

大のお気に入りの、なんば大劇場、松竹座、梅田のOS劇場、北野劇場(?)そして南街劇場、みんな無くなちゃった。「昭和は遠くなりにけり」だね。











マリリン・モンロー (アメリカ)








洋画の最近作を観ていて感じることがあるのね。其れは女優さんなんだけど、今の女優さんからすると、昔は個性の強い美人が多かったね。

男優さんも同じくなんだけど、今回は、女優さんに焦点絞りますけど、これも昭和は遠くなりにけりの感がありますね。

あくまでフィルムの上での評価になるんだけれど、昔の女優さんは、総じて迫力があったね。売られたイメージが被さって

受ける印象が増幅される錯覚を伴ってはいるんだろうけど、まず「個性」が強かった。大画面に負けない存在感があったね。







  ブリジッド・バルドー (フランス)







  ソフィア・ローレン (イタリア)







  オードリー・ヘップバーン (アメリカ)







  グレース・ケリー (アメリカ)








オレの想像力でもの云えば、これら女優さんと実際に対面したら「コワイ」って感じがするだろうね。

綺麗なんだろうけど「こいつら人間かあ?」って、まず思うだろうね。異人類の女性、馴染めないだろうね。ブリジッド・バルドーや

ソフィア・ローレンなんか、フィルムだけで会いましょうって感じだと思うよ。








 クラゥディオ・カルディナーレ(イタリア)







 ジーナ・ロロブリジータ(イタリア)







 アニタ・エグバーグ (アメリカ)







 エヴァー・ガードナー (アメリカ)








アニタ・ハンバーグじゃなかったエグバーグだったね。「なんなの、このお乳」 こんなので抱きしめられたら窒息するよ。「ママッコワイッ」








 アンジー・ディッキンソン(アメリカ)








 モニカ・ビッティー (アメリカ?)








 エリザベス・ティラー (アメリカ)









まだまだ、有名な女優さんは居るけれど、切がないので写真紹介は此のぐらいにしておきますが「懐かしいね」 一世を風靡して銀幕の華の人生だね。

貴女方が、歳老いてお婆さんになったり、彼の世に旅立っても、若かりし頃の美しく悩ましい貴女は、そのままに活き活きとしてスクリーンに生きている。

世界中の人々に「夢」を振り撒き、何万何百万の片思いの恋人を擁して人生を生きた女性などざらには居ないよ。「凄いことだね」







知的で気品に溢れたグレース・ケリーは、その美しさにひと目惚れしたモナコ王子に求愛されてモナコの王妃になったんだね。

幸せな皇室生活を送る中、まだ若いうちに交通事故死だったかな? 彼の世に召された。太く短い人生を華麗に生きたね。







クラウディオ・カルディナーレって云えば「ブーベの恋人」 ソフィア・ローレンなら「河の女」 映画館の大看板で見たのを覚えているね。

アンジー・ディッキンソンは「リオ・ブラボ-」で脚線美を披露していた。なんか、そのために特別、設定したようなシーンだったね。

モニカ・ビッティーは「唇からナイフ」を試写会で観た。気だるそうな色っぽさって感じだね。







それぞれに魅力のある女優さんばかりで、それぞれに強烈な個性があったね。ただ綺麗だけじゃ、この世界は駄目なんだろうね。









 ソフィア・ローレン、色っぽいね。










今日は、ホンマにネタ切れで「お遊び」で繋いでおきます。























カメレオンの独り言-460 『米国 南北戦争』

2012年07月23日 | 日記






昔から、アメリカの独立戦争当時、其れと南北戦争当時に凄く興味があって、特に南北戦争と日本の幕末の時代を同じくするところが

無性に引っ掛かっていたんだね。「なにかしら関連性を感じるんだね」

別に特段、調べまくって解明しようなんてことなどしないんだけど、ロマンって言うか、ずっと変わらず持ち続けてるの。







だから、映画でも幕末ものや南北戦争を背景にしたものなどは「観たい」って反応するんですよ。



















小学生の時に、お袋が買ってくれた絵本の中に「リンカーンと南北戦争」ってのがあって、長い間、大事にしていたね。

リアルな絵で、広大な草原を北軍の兵士が横隊列で星条旗を前列になびかせ突撃態勢で進撃する場面が見開きで描かれていたね。

サイトをウロウロしてると、其れと似た絵に行き当たったらハードに取り込みコレクションしている。



















『リパブリック讃歌 』 アメリカ合衆国北軍





Mine eyes have seen the glory of the coming of the Lord;
眼(まなこ)に浮かびし主の栄光

He is trampling out the vintage where the grapes of wrath are stored;
鬱積し怒りの葡萄 主の御足にて踏み潰されん

He hath loosed the fateful lightning of His terrible swift sword;
神速の剣 宿命の稲妻を放てり

His truth is marching on.
主の真理は行進を続ける



















Chorus:

Glory! Glory! Hallelujah!
栄光あれ!ハレルヤ!

Glory! Glory! Hallelujah!
栄光あれ!ハレルヤ!

Glory! Glory! Hallelujah!
栄光あれ!ハレルヤ!

His truth is marching on.
主の真理は行進を続ける


















今日は、退屈なので南北戦争に関連する事柄を調べていて「意外やっ」って云うか、「やっぱりっ」って云うか、私の思い込みが

全くの的外れでない事実を発見したの。南北戦争に「日本」は、大きく関与していたんだね。

其れは、黄金の国ジパングの金だったんです。








南北戦争は宣戦布告のないまま開戦したらしいですね。初期は、北部も南部も軍隊や銃器などは備えがない状態で、戦争するにも用意がなかった。

南部は綿花の産地でイギリスと取引盛んな上、奴隷制度で安い人手に困らない。裕福な土地柄を誇っていたんだね。

しかし、北部は製造業を主軸として成り立っていたが、まだ経済が潤うまでには発展していない。








政府が、イギリスとの綿花の貿易に高い関税を設け、奴隷制度廃止の動きを見せたことから、南部が反撥、ミシシッピ州、サウスカロライナ州、

フロリダ州、アラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州、テキサス州、バージニア州、アーカンソー州、テネシー州、ノースカロライナ州の11州が

合衆国から離脱、アメリカ連合国(南軍)として独立を宣言した。こうして南北戦争が勃発。








南部は、イギリスから軍資金を負債できる信用を綿花で積んでいるが、北部は軍資金など無いに等しい経済状態だったの。

4年間の戦争で200万人を動員して、それぞれに銃器を持たせて戦いおうせたのは、我が日本が鎖国で世界経済に疎く金の通貨価値を

大きく見誤っていたがためなんだね。








1853年にペリーが黒舟で来日、後にハリスが訪れ、日本の金の保有量に吃驚するんだね。

嘉永六年(1853)の黒船来航から始まり、慶応三年(1867)の王政復古の大号令、日本の世情も混乱期にあった。








当時、メキシコ銀貨四枚で、金貨一枚と交換が世界の金相場。

ところが、日本では、メキシコ銀貨一枚と一分銀四枚が等価で、一分銀四枚と慶長小判一枚が等価だったんだね。

つまりメキシコ銀貨一枚を持って日本に行くと、慶長小判一枚と交換してもらえる。

その慶長小判一枚を香港に持ち込むと、メキシコ銀貨四枚と交換してくれる。

つまり香港と日本を一往復するだけで、手持ちの金がなんと四倍に増える。








嘉永7年(1854)日米和親条約、その翌月に交された和親条約の細則「下田条約」でハリスは金と銀の両替相場を固定したんだね。

ハリスは、香港と日本を往復するだけで巨万の富を手中。なんと京の位まで儲かったと云う。京は、一兆の一万倍ですよ。








北軍の軍資金も、南軍が敗北した後の南部の負債処理も、そして、驚くなかれ、ロシアからアラスカを買い取ったのも、全部、我が日本の

金の垂れ流しから得たものだったんっだってっ。「なにっしとんねんっ」 まだ付録があるのよ。








南北戦争が終結して3年後、慶応四年(1868)にはじまる戊辰戦争(薩長対幕府)では、其れぞれにイギリスとフランスが

バックアップしていたんだけど、銃器の購入先でもあった訳だから薩長も幕府も挙(こぞ)って購入した。その銃器は、南北戦争で不要となった

廃棄(実用)品だったんだね。アメリカは、イギリスとフランスを介して、両軍に捌いたほうが有益と図ったんだね。








「これも馬鹿ほど儲かったらしいよ」 つまり、日本は「ケツの毛まで抜かれた」んやね。 








時代を同じくするだけでなく、なにか不思議と関連性があるように感じていたんだけど「商売上手と無知とケツの毛」の関係だったんだねえ~。



















Chorus:

Glory! Glory! Hallelujah!
栄光あれ!ハレルヤ!

Glory! Glory! Hallelujah!
栄光あれ!ハレルヤ!

Glory! Glory! Hallelujah!
栄光あれ!ハレルヤ!

His truth is marching on.
主の真理は行進を続ける




















THE BATTLE HYMN OF THE REPUBLIC


























カメレオンの独り言-459 『映画 荒野の決闘』

2012年07月22日 | 日記






喜びから学ぶことは上滑りなことばかり。

高揚感から来るから定まりがなくてフワフワしていて、今を充足させて余韻に酔わせて活力の源になる。

今日を、明日を、明後日を支えて勢いはくれるけど、未来には、なにも残してくれないように思える。「喜びは、向って行ける原動力だね」








苦しみから学ぶことは骨身に染みて痣となるほどこびりつく。

倦怠感から来るから、何ごとも重く停滞して、今を幻滅させて、常に克服の努力を強いては溜息ばかりが漏れるだけ。

今日を、明日を、明後日を重たい空気で包み込むけれど、未来には、嘆いた分を喜びに代える根が繋げているように思えるんだね。

「苦しみや悲しみは、喜びを作り上げる原動力だね」



















苦しみや悲しみから逃げてはいけない。逃げた分は、必ず、きっちり再び来る。

消化することだね。人生に素直に向き合う姿勢で生きるべしだね。「いつでも、なんでも向って来い」ってね。「此れは極意だよ」

悲しみに負けたら泣けばいい。苦しみに負けたらもがけばいい。弱さを知るものが、本当の強さを知っているんだよ。








終わりの無いような苦しみも、いつかは、必ず、癒えるときが来る。春の来ない冬はない。

「そうかなあ~? 春の気配がしないんだけど」 馬鹿だね、もう春を越して夏じゃないか。「ええ~?」 こんな人は基板自体が狂ってるね。論外だね。

なにを考えて生きてるの? 「べつにい~」 こういう人もたしかに居るね。なんなんだろうね? 正直解らんわ。












原題は“My Darling Clementine”。ジョン・フォード監督による西部劇映画の古典的な作品。主演はヘンリー・フォンダ。

詩情溢れる西部劇の傑作として名高いらしいね。わたしも、まだ生まれてない時代の映画なんだけど古くはあっても、今でも充分観れるよ。











『荒野の決闘』 1946年度作品 アメリカ映画。









ワイアット・アープ兄弟とクラントン一家が、OK牧場で決闘した実話を下地に描かれた西部劇。

もう語り継がれて物語の内容は、大方の方が周知の事実なので粗筋は省くけど、この映画も、いつまでも記憶に絵となり残るシーンがあるね。

お洒落なダッジシティの保安官ワイアット・アープが、軒下の木の椅子に腰掛け、前の柱に足をかけてバランスをとりつつ調子をとっている

なんでもないシーン。東部から来た淑女クレメンタインを誘って、町外れの教会前に設けられたダンスステージへ赴きダンスに興じるシーン。



























とりわけ、決闘を終えて、故郷の父親に兄弟の死を伝えるため旅に出るワイヤットが、クレメンタインに別れを告げるシーンが

いとしのクレメンタインのバラードとともに残ってるね。


























「故郷の父に兄弟の死を伝えます ー」 「また、牛を追ってきたら ー」 「必ず寄りますよ」

























ワイアットがクレメンタインの頬にキスする。


























このシーンで「いとしのクレメンタイン」のバラードが流れる。






In a cavern, in a canyon 
洞窟に、谷の奥に

Excavating for a mine,
金の鉱脈を求めて掘り続ける

Dwelt a miner, forty-niner 
1849年の金鉱掘りが

And his daughter Clementine.
その娘、クレメンタインと一緒に住んでいた。

















馬上の人となったワイアットが、見送るクレメンタインに 「実にいい名だ ー」
















Oh, my darling, Oh, my darling,
おお、愛しの、おお、愛しの

Oh, my darling Clementine,
おお、愛しのクレメンタイン















You are lost and gone forever,
おまえはもうここにはいない、ずっと遠くへ行ってしまった















Dreadful sorry Clementine.
すごく悲しいよ、クレメンタイン









白黒映画なのに、西部の情景を見事に捉え、その時代に、その地に生きた人々の息吹きさえも感じさせる描写の細やかさは

名匠ジョン・フォード監督ならではの感性なんだろうね。オレが生まれる前に、もうアメリカは、これだけの名作を生んでいたんだね。

生きている人々から感じ取る感性が素直なんだろうかね? 








「白人コンプレックス」なんて云われようとも「いいものはいい」んだよ。

























カメレオンの独り言-458 『映画 必死剣鳥刺し』

2012年07月21日 | 日記




「必死剣鳥刺し」藤沢周平の原作を映画化。死を覚悟して、悪政の元凶である藩主の愛妾を刺殺した剣豪・兼見三左エ門に寛大な処分が下されるが、

その裏には権力闘争に繋がる陰謀が隠されていた。主演は豊川悦司(兼見三左エ門)。









『 必死剣鳥刺し 』 豊川悦司





正統派時代劇だね。主演の豊川悦司は、好きな役者じゃないけど時代劇を遣るだけの芸力があるね。

こういう役者の存在を知ると安心するよ。日本の映画の役者がタレント化して質が低下していくのは「見るに忍びんわ」




江戸時代、東北の小藩、海坂藩の藩主・右京太夫(村上淳)は藩政を疎かにして、愛妾・連子(関めぐみ)に溺れる馬鹿殿。













連子は右京太夫の寵愛を盾に政治への介入を続け、家臣も民も悪政に苦しめられていた。

間違いを戒めた老臣に腹を切らせ、貧窮に耐えかねて一揆を起こした農民を武力で弾圧し首謀者の面々を尽く斬首の刑。



















その悪政を止める者は、もはや誰もいないかに思われた。




藩の行く末を案じた兼見三左エ門(豊川悦司)は、能見物を終えて表廊下を引き上げる右京太夫や藩士たちの目の前で連子を刺殺する。

この刺殺するに至る一連の身のこなしが、作法を思わせる動きを見せて実に良い。




















この覚悟の行動は、最愛の妻である睦江(戸田菜穂)を病で亡くした彼の死に場所を求めての最期のご奉公でもあったんだろうね。

なんて時代だろうかね。ただの馬鹿殿に奉公して腹を斬るなんて、そこらの奴となんら変わりないのを「殿、殿」って上げ奉り馬鹿みたい。




























中老の津田民部(岸部一徳)の取り成しにより、彼に下された処分は一年間の蟄居閉門と扶持の半減という異例中の異例ともいえるほど寛大なものだった。

中老の温情に背くこともできず、三左エ門は素直に刑を受け入れる。

一年間の処分が明けた後、元の役職に復帰が許され、再び藩主の傍に仕えることになったが、どこか釈然としない。















連子が亡き後も身勝手きわまる藩政を行う右京太夫に仕える己れに迷い苦しむが、

亡き睦江の姪である里尾(池脇千鶴)の献身的な支えだけを心の拠り所に、一度は捨てた命を再び生きるのだった。





ある日、津田民部から秘密の藩命が下る。それは、右京太夫の従弟であり、直心流の剣の達人でもある帯屋隼人正(吉川晃司)を討てというものだった。

帯屋隼人正は、藩内では右京太夫に臆することなく苦言を呈することのできる唯一の存在だった。















隼人正は、現在の藩主(馬鹿殿)を廃して、家臣や百姓の安寧を図り、江戸在住の若君を据えようと画策している。

津田民部が、三左エ門に密命を下した理由は、彼が隼人正に優るとも劣らない天心独名流免許皆伝であることと、

藩主への名誉挽回の機会を与えるためだという。




今こそ“負の過去”に決着をつける時だと悟った三左エ門は、中老の命に従うことを決意する。















三左エ門は、自分をこれまで支えてくれた里尾を嫁がせようとする。緊迫する藩内の情勢を考えて、彼女の安全を案じたのだ。

しかし、里尾はその申し出を断っただけでなく、三左エ門へ寄せる想いを口にする。

戸惑いを隠せない三左エ門だったが、彼女の気持ちを真正面から受け止め、一夜を共にする。

「遣ること遣ってから」なんやねん、それは。 里尾を実家へ帰す三左エ門は「必ず、迎えに行く」と約束するのだった





或る雨の日、度重なる悪政、悪行に我慢限界、右京太夫に天誅を下さんと登城した隼人正は剣を引っさげたまま面会を要求する。

家臣たちが「お太刀を」 と止め立てするのをなぎ払いつつ、隼人正は城内に単身進み行く。















事の事態は、殿を警護の三左エ門に伝わる。「隼人正殿が太刀を持たれて、此処に向われています」




















帯屋隼人正の前に立ちはだかる兼見三左エ門。 「通せ」 「なりませぬ」 「うぬが兼見三左エ門か、大きな男よのぉ」 













「刀に賭けても通さぬか?」 













「お手向かい、致しますぞ」













隼人正は、諌める三左エ門に耳を貸そうともせず、剣を抜く。三左エ門は身に帯びた脇差で応対し、激しい戦いが繰り広げられる。

語り合えば、ともに思いは同じくするところ、侍の立場が敵対するんだね。












「邪魔立てする者は斬るっ」



















「おやめなされいっ、正気の沙汰ではござりませぬぞっ」 「・・・・・・っ」

































「斬れる」って恐怖感を感じさせる殺陣だね。「嬉しくなるね」まだ、日本の時代劇は健在だった。





















藩命に従い忠義を示すはずの行為を中老津田民部は「乱心である。この者を斬り捨てよ!」と命じる。

三左エ門は遅まきながら全てを悟る。自分が先の事件で寛大な処置を受けたのも、隼人正を亡き者にせんとする藩主と中老の陰謀だったのだと。

三左エ門を援護するために控えていた侍たちは中老の命に最初は耳を疑うが、上意至上、時を移さず一気に斬りかかる。













「やめろっ、やめてくれっ」 三左エ門は斬りかかって来る者に恨みはない。柔術で払いのけるうち襖の影から脇腹を貫かれる。











相手の太刀を奪って、尚、刀を反(かえ)してみねで打ち倒す。いかに剣豪でも万事休すの状況に追い込まれていく。












外は、しのつく雨。庭に転げ落ちての斬撃の刃(やいば)も雨に似て、次から次から三左エ門に降りかかる。





















三左エ門は、みねを反す。斬らねばならない。「どりゃあっ」斬りかかった相手が、断ち割られて転倒するを抱え止める。腕の中で断末に「兼見殿・・・」















斬らずともよい者を斬った。「おのれっ、津田民部っ」















腹を突かれ、肩がけに斬られ、頭部に太刀を浴びせられても、三左エ門は最後の力を振り絞って武士の意地。






















津田民部に一太刀浴びせねばっ、三左エ門は満身創痍の身体を気力で引きずり、座敷で見下ろす津田民部に迫る。













座して太刀を構えるが精一杯の三左エ門も遂に力尽きて動かなくなった。津田民部が目で指示をくれ、腹心の武士が背後からとどめを刺す。














背中肩先から腹部まで刺し貫かれて三左エ門は突っ伏して果てる。















恐る恐る近づき脈をとって「こと切れております」一同に安堵の空気が流れる。

無念の死で映画は終わるのかと、武士道の悲哀が主旨かなって、それなりに頷きたいほど観てる者も疲れてる。

突っ伏して果てた三左エ門に近寄りつつ 「兼見よ・・・」と語りかける津田民部・・・















とっか、三左エ門が幽霊が如く跳ね起きざま、握り締めた大刀を津田民部の左脇腹から背中上方まで見事に貫き通す。










































これこそ「この剣を使う時には、私は半ば死んでいるでしょう。」と三左エ門が語っていた「必死剣鳥刺し」だったんだね。





凄まじさに圧倒されたね。岸辺一徳は役者だね。口跡も渋くてよく通り、奸智に長けた男を遣らせたらピッタリだね。

こういう正当派の時代劇にふさわしい芸達者な人々が、脇を固めて創り上げた映画が、これからもどんどん出てきて欲しいもんだね。





映画の終わり、時は流れて、幼子を抱いた女が街道筋を見つめている。「今日も来なかったね」とわが子に語りかけるその女は、

「必ず迎えに行く」と約束した三左エ門を待ち続ける里尾だった。幼子は三左エ門の子なんだね。一夜の交わりで? 「必死剣〇〇〇刺し」だね。ゴメン。












映画『必死剣 鳥刺し』予告編








































カメレオンの独り言-QK-128 『絞り出し』

2012年07月21日 | 日記





アハハ・・・時たま、なんにも浮かばない、なんにも書くことないって日があるね。「困ったね」

飛ばす訳にいかんし・・・「こんな時なのね、煙草の本数が増えるのは」 彼女には内緒だね。今日買ったばかりだから「まずいね」

彼女が居ない時に買い足しておかんといかんね。なんとか云いつつ字数を稼ぎながら、繋ぎが頭に出て来ないか待ってるんだわ。






アハハ・・・出て来ないね。なにも浮かんで来ないときは、映画紹介で逃げるんだけど、意外と手間がかかるから今の時間からじゃ無理だね。























「あっ、出た」映画を観ている時って、集中しているから回りの気配を忘れるというか、気づかないって時があるね。

映画の出来具合に寄るけど、皆がスクリーンに向って集中してる。

バットマンの新作「ダークナイト・ライジング」っていうからアクションになったら館内は割れんばかりの大音響に包まれてる。






銃撃戦のシーンなんかになったら凄まじいからね。隣の人が弾かれるようにのしかかってきて座席と座席の間に転げ落ちる。






瞬間、なにがなんだか解んないだろうね。スクリーンでは映画が続いてる。そのうち銃撃音がダブってる。煙が立ち上がる。

大音響でないと面白くないのに「じゃかましいっ」って怒ってる。ピューン、ピューン、バシッバシッなんてそこらで唸ってる。

暗いし、喧しいし、煙で目は痛むし、飛んだり跳ねたりタイツ姿のバットマンが馬鹿みたいに見える。「鬱陶しいっ」






振り返ると騒然としてる。弾き飛ばされて倒れる人のシルエット。「アトラクションか?」なんて鈍い人も居たかも知れない。

スクリーンが絶叫上げてる。館内でも絶叫上げてる。毒ガスマスクを着けたような奴が、パコン、パコンと乾いた銃声響かせて乱れ撃ちしてる。

ドタン、バタンと座席の間にひっくり返る人のシルエットが面白い。「アトラクションか?」って、無理やり思いたい人も居たかも知れない。





















米西部コロラド州デンバー郊外の映画館で20日午前0時半ごろ(日本時間同日午後3時半ごろ)、男が銃を乱射し、

少なくとも12人が死亡、38人が重軽傷を負った。地元警察当局は乱射事件との関連が疑われる男1人を現場近くの駐車場で拘束した。

映画館ではバットマン・シリーズの最新作「ダークナイト ライジング」がレイトショーで上映中だった。







米メディアなどによると、男は24歳。上映中に突然、防弾チョッキにガスマスク、ヘルメット姿で現れ、催涙ガスを放ち、無差別に銃を乱射した。

映画館は若者らで混み合っており、一時騒然となったが、銃声を効果音と思い映画を見続けていた人もいたという。







やっぱり居たね。知らぬは仏やね。しかし、アメリカは時折、とんでもないこと遣るのが出るね。武装して街ん中歩けよ。

おかしなの出たら、みんなで応戦して殺ってしまえよ。ナイフや包丁じゃないよ。遠くに居ても殺傷能力ある武器持ったキチガイだよ。

館内は、さぞかし騒々しい状態だったろうね。「こんなのを、面白おかしく書くおまえもちょっとおかしいで」 ゴメンナサイ。






「なんとか繋いだね」























カメレオンの独り言-457 『人とのめぐり合わせ』

2012年07月20日 | 日記







湧き出る水が泉となって、小川に名を変えやがては河となるような、そんな流れで拡がるような・・・「なんかないかね?」

「なにを考えているの?」 「解らん」 いつも、頭の何処かで問うているんだよ。

湧き出る水が枯れぬなら、水は泉と為して流れ行くもんでしょう?  







単独で小川になれても、河になるには幾筋かの支流が寄り合って拡がりを得るんですよ。「なるほどね」

それと雨ですね。「う~む、湧き出る水に融合して、その勢いを増すのが雨なんだね」

全ての要素が寄り合って、名のある河となるんですね。「粗筋は出来たね」 「なんの?」 「解らん」




















「三人寄れば文殊の知恵ですか?」 「う~むっ、其れ、其れ、其れだよ。何も無いのに見えるものが有るんだよ」 「訳解らんわ」






遠い昔、何も無いのに、夢を追いかけていた頃の、無責任な勢いと現実離れした発想の片鱗が、甦ってきたような感触だね。

遠回りした人生の垢を調味料に生かせれば、また違う味わいで描く「絵」になるやも知れないね。

なんでもいいから「書きまくっている」と、思考に釣られて忘れていた自分が甦ってくるもんなんだね。「お久しぶり」




















自分には真似のできない大胆さ、実行力を持った人が居たね。力もあった。出入りする業者の社長さんで、困ったら「知恵を貸して」って来る。

貸すほどの知恵など持ち合わせてないけど、思いつくままに意見を云うと「なるほど、そうかっ」って、すぐに実践して、その成果を

報告に来られた。「当時、こういう人に恵まれて居たらなあ」って、勝手ながらに想ったね。







世間話やら技話に、毎度、事務所で顔合わせるうち、若い頃の話に至ったら「わしが遣ったるさかい、もう一度、発想しいや」って水向けてくれたね。

我オレの仲になったから「気を使うこともない」もう、暫くしたら、ゆとりがもてるから「そのときは社長頼むわ」 「任しとき」って

明日が明るく感じたね。「あとを背負う人材を育てる時期が来てるよ」って、口酸っぱく云い続けたけど、叩き上げの社長は引き時を

捉えることに疎いのかね。懸念していた通りの結果を見たね。悠々自適な生活ながら閉業して田舎へ戻られた。







人材云々を力説して「このままだと先が見えないよ」とまで意見を言わせて貰ったが、身内の人間関係にまでは口は出せなかったね。

悪い展望が、ものの見事に的中した。「社長さんよ、オレの段取りも狂うじゃないの」なんてっことがあったね。





















なにかしら、ことを成らすということは、全てがピタリと填まって適材適所の能力が揃った時なんだろうね。

そして、運気なんだね。此ればっかりは如何ともしがたいね。いや、「純な想いだね。欲を持たない純な想いは運気を呼ぶね」 不思議だね。

いかんね。写真が底ついて貼るのが無いよ。なんの脈絡も無い奴で埋めまくってるね。活字ばかりじゃ疲れるからね。 


























カメレオンの独り言