カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

独り言-177 『被災地』

2011年08月31日 | 日記








新聞に福島原発の汚染状況が報道されていた。チェルノブイリ以上の汚染地区が明らかになっている。

ネットの情報はモット深刻なもので原発周辺に関わらず相当の広範囲に汚染が拡大しているらしい。

放射能は今も放出されたまま収束の目途も立たない状況で、福島、宮城、茨城県民は土地を捨てて他県に避難してもおかしくないほど

汚染が拡散する一方とのこと。「流言飛語」が尤も恐いって当該地の人々が口を揃えて仰るが、






現状を「大丈夫」と言って農作物や観光を売り込む宣伝こそが「流言飛語」なのかも知れませんよ。

放射能は見えない、被害も見えない。家屋も人も洗いざらい流し去った大津波の恐怖はまざまざと見せ付けられた。

当地の人は津波の恐怖があまりに鮮烈だったが故に、頭では理解出来ても正体の見えない放射能の脅威にはインパクトがない。






月日は経って辺りの景観も以前のように、緑は萌えて蒼い海は太陽にキラキラ輝く美しさを取り戻してくると尚更だ。

対比して「怖ろしい状況」ってのが欠けている。「津波はあっと云う間で怖ろしい。

放射能はジワジワと侵蝕し被害が形となって現れ出したら津波より怖ろしい」ですよ。



















個人は敏感だ。複数人でも伝え合う速さで敏感を共有できる。集団になると感覚のズレともたれ合いで敏感さが失われる。

群衆ともなると人は混乱し判断は人任せになって鈍感になる一方だ。正しく先導すべき政府が鈍感なヘボ政権なんだから「どうしようもない」






ネットから流れる情報の全てが「正しい」とは断言できないけれど、今の政府が流す情報よりは内容は詳しく、

先取り情報の後を政府の情報が着いて行ってるって感じですよ。大手の新聞社も少し引いているって感じますね。

混乱を避けるための配慮なんでしょうが「知らない人たちには知らないまま」






今は控えておきましょうって操作かいな?それは「当該地の人々を見捨てている」ってことやないの?「どこぞの国みたいなことすんなよ」

犠牲者の捜索も検証もせずに慌てて穴ぼこ掘って事故列車を埋めた高速鉄道の事故の件はどうなったの?

プッツリとニュースから消えたね「コワイ国やねぇ」





















休憩-23 『お土産』

2011年08月30日 | 日記






仕事に追われて「ほっ」としたところに彼女が帰って来た。いつになくエライ勢いで事務所に入って来る。

「あ~しんどぉ、暑いわぁ」「ちょっとましじゃないの?」「★★ちゃんはじっとしてるからっ」「そう云やぁそうかな?」

鞄の中をゴソゴソしてるかと思えば「はい、お土産」ってシンガポールのボールペンのお土産をくれた。





「嬉しいね」貰ったりあげたりの行為がいまいちピンと来ない私だけど、こうして手渡されると嬉しいもんなんだね。

「ありがとう」使わずに大事にするよ。私は物の遣り取りに疎いね。ケチではない。

どちらかと云えばザルなんだけど。「幾らでもあげたいんだけれど何をあげればいいのかさっぱり解らない」考え過ぎて「もういいや」って感じだね。





そう言えば、昔も貰ってばかりの記憶しかないね。「これってマズイんじゃないのかな?」マズイだろうね。

常に思っているとか、忘れていないとかの証なのかな?それならちょっと勉強せんとあかんね。

自分ではロマンチスト系って思っているけど実体は程遠いんじゃないのかね?





























独り言-176

2011年08月28日 | 日記







私の机の横っちょに窓がある。其処から見えるのは隣の建物の白い壁。壁までの2、3メートルの間隙に草花が咲いている。

其の隙間の開口部が南に面しているから、日差しが差し込んでくるぐらいで夏も冬も見た目は変わらない。

ちょうど此の十四、五年の私と同じだね。変化がないのは結構だけど「退屈な人生になっちまったなぁ」と思うときがある。





金がないときは自由だった。金に困らなくなったら自由が無くなった。

苦しい時代はもう結構だけれど「自由」を秤にかけたら「貧乏」もまた善しなんて勘定の出来ない男は「そう思ったりする」

人それぞれ「不満」を抱えて生きてんだろうね。





傍から見れば、結構の上に胡坐をかくような不満でも、その人にすれば我慢を強いられる不満なんだろう。

悟りを啓いて「心頭滅却すれば火もまた涼しい」なんて袈裟着た坊主みたいにはなれないし、凡人は不満解決を求めて彷徨うか、

諦めるかの路を歩くんですね。実際、不満が日々の活動の原動力ってサイクルで世の中回っているけどね。「本当の満足なんて無いんとちゃうのん?」

















日差しのきつい公園で中学の野球部の連中が群れてほたえてる。「何かを求めてウロウロするんだろうね」あんた達もスタートしたね。

人間は死ぬまで答えを求めて「ウロウロ」する生き物なんだと思うよ。






















独り言-174 『人生最期まで解らない』

2011年08月27日 | 日記







「他人(ひと)が私を見ている自分と、自分が見ている自分って一致してるのかなぁ?」おそらくしてないだろうね。

自分のことは自分が一番知っているんだろうけれど、自分自身の気づかない部分ってあるんだろうね。

意外と他人(ひと)は其処を自分よりしっかりと見ているのかも知れない。






無意識の部分なのかな。人を見るように自分の生の全身(顔や頭や背中)を我が目で見ることは出来ない。

鏡や映像を介してでしか見ることが出来ない。見えないから気の配りようのない部分ってのと同じかな?

其の隙間から他人(ひと)は相手を窺い知るのかもね。とりわけ隠す気もないけれど、漏れてる「自分」が気にならないでもない。






自分を殺して生きるのも、自分を伏せて生きるのも長い年月こなさざるを得なかったから、我慢が必要な行程が「苦になる」ほどではない。

その経験から「忘れる」ことを身に付けた。覚えていて身にならぬことは切り捨てて忘れ去る。

関わっていて、其れが「苦」を生むことなら断ち切って忘れる。未練たらしく「醜悪」に繋がる展開なら身を斬る痛みを伴っても断ち切る。






漕いでる舟は小さい。その載積の許容を超える物を乗せる浮力がない。簡単に云えば「甲斐性がない」事実は常に不快極まりない。

だから夢絵空事が楽しくて嬉しい。だから「夢」は捨てない。生きることに通じることを捨ててはならない。

「人生最期まで解らない」が私の座右の銘。朽ちた昨日より新芽の明日を摂る。一日、一日、明日を見て生きている。






息子は「オレはお父(とん)教が好きや」ってよく言う。「潰した人生を張りぼてで形付けるような生き方なんかやめとけ」って諭していると

「あんたが教えたんやんか」と、また奥さんが口を出す。「違うっオレの考えでお父教がええ云うとんの、左脳派のお母さんには解らんわなぁ」

「そんなん右脳も左脳もないわっ」「型に填まらんと安心できんちゅうのが左脳派やっ」言い争わな話ができんのかいな。






「右脳派は苦労するぞ」「お父さん、オレはお父さんと違って左脳派のお母さんの血も受け継いどおるから計算高いねん」「なるほどね」

「ほほ~ん、其の安心なとこは、わたしのお陰やなぁ」憎たらしいヤツやなぁ。





























独り言-173 「ペース』

2011年08月25日 | 日記







何の話からか、息子が「仕事じゃないんだから毎日欠かさず投稿しなくてええやん。お父さん、仕事と間違ってんのとちがう?」

う~ん、そう云えばそうみたいやねぇ。「多く投稿する人でも二、三日に1回ぐらいのペースやで」あっそう?

「3ヶ月に1回って人も居るよ」あれまぁ。「この人は何でもこの調子、配分と云うのを知らんねん」また奥さんが口出してきた。






「絵の勘と慣れを取り戻すためにやね、描きまくるちゅうのが目的やの」「疲れるやろぉ?」「そやね、疲れるね」

「毎日書くことあるほうがおかしいわ。よぉ、居眠りしてるやないの」こいつ、テレビ観ながらきっちりチェック入れとうるな。

衝立の効果が薄いな。「何を書いてんのん?どうせ口から出任せやろ」失礼なオバハンやで。






「何ごとも誠意は大事やで。口から出任せは、おまえにだけや」あっちゃぁ~言うてもうた。

「そぉらなあーっ、本音やろ?」「いやいや、売り言葉に買い言葉や」「ちゃうなあー、本音がでたでぇ~」鬱陶しいやつやねぇ。






「そんなん関係ないやろっ」息子よガンバレ。「なんで、お母さんは、そういう方に話を持っていくねん?」そうそう。

「仕事した後に居眠りせなあかんほど書かんでもええ言うてんのっ」「そや、本音も糞もないやろがっ」息子は頼りになるね。

「お父さんの歳で、まだ何か遣ろういう姿勢は大したもんやで」「まぁな、しんどい、しんどい言うてお酒呑んでダラダラ寝てるよりはマシやわな」






「お父さんは無理のないペースを考えたほうがええと思う」「なるほど、かも知れんね。無理が祟って出来ないと言い訳多くなるもんね」

私は元々ダラダラが好きなんですが、何か遣りだすと「自分を追い詰めるほうがのってくる」って変態な処があるみたいです。

でも、周りの意見も取り入れて無理のないペースを考えヨ。






夏休みも終わりが見えてきたね。私が子供の頃は、此の辺りで「今までの三十数日間は夢やったらええのになぁ」とか

「学校潰れて無くなれ」とか最悪の気持ちに落ち込んでいたね。

「友達に会えるから嬉しい」「休みは退屈」なんて言う奴が居たけど、犬が猿を見るような、豚が蛇を見るような理解不能な生き物に映ったね。






高校生は一足先に始業式で、久ぶりに彼女が現れた。ニコニコと元気そう。

ホームスティでの話を聞くと「此の娘は置かれた状況がどうであれ、地からマイペースを通せる図太さを備えているな」と感心する。

根っから勉強嫌いなのに成績がどんどん上昇しているらしい。元々頭のいい娘であることは解っていたが流石だね。






社会に出たら即戦力になるタイプだろうね。吸収力があるから無駄になるものがないだろう。

経験から得たものは血となり肉となりそれらを活かすべき時と術も心得ているように思う。此の娘はマイナスから学び取ることの大きさを知ってるね。

「学生時代も云ってる間だよ」「まだまだや、★★ちゃん、そん時はヨボヨボやん」面相崩して笑いよる



















大事にしていた指輪が折れて、新しいのをお母さんに買って貰ったと喜んでいる。「綺麗な手だから余計に良いものに見えるよ」



















独り言-172 『ファイト一発』

2011年08月25日 | 日記








「有名人がどうしたこうしたがどうしたの?」って、世の中が騒ぐのが理解できない。「島田紳介が芸能界引退」「あっそう」でいい。

世間はヤイヤイ騒ぐわりには忘れ去るのも早い。名もない人々が事情は違っても進退迫られることなどごまんとある。此の人だけの問題じゃないでしょう。

他人(ひと)の人生に立ち入り過ぎですよ。平地もあれば山もあり谷もあるのが人生、55歳で定年退職なんだから珍しくもない。

心配など何処吹く風でゆっくり暮らせますよ。






それより「好き嫌いは別にして、話術で一世を風靡したんだから、タレントとしては一級の人だったんでしょう」






私も役者の好みがありますから「あいつの主演作は期待できる」とか「こいつの持ち味が堪らん」とかひいきにしますが、

其の人たちのプライベートにはなんの興味も湧きません。彼らの芸力に引かれるのであって、その人個人の人生にまで興味を持ちません。

一皮剥けば皆同じ人間ですから知らないほうが良い場合も多々ありますよ。当たり前のことだと思いますけどね。






マスコミは、此の人たちを有名にする力添えになったり、褒めたり貶したり、過去を暴いて晒したり、奈落に落とす致命傷を与えたりと、

生きている人を解剖して隅々までネタにするハイエナの如き輩と思えるときがある。

屋台に立ち寄る客を相手に生計を立てる商売もあれば、日本中もしくは世界中の客を相手にする商売もある。






市場がデカイほど、当然、転がり込む金も大きい。芸能界で儲けるってことは、まさしく「自分を売る」と云うことなんでしょうね。





















最近は「金が儲かる」から芸人になる奴が多いんじゃないんですかね。「芸を極めることに精進する。一流の役者になりたい」って志を

貫くホンモノが減っているように思えます。「金は後から着いてくるもんですよ」芸力が落ちていますよ最近の役者は。

きれいに生きていては本当の役者にはなれないでしょうね。何人もの女を泣かせる浮名も芸のうちって云いますからね。

漂う味わいは習って身につくものじゃないでしょう。






「純粋に役者を志しても質が合わないってのもありますね」例えて云うにはなんですが、

TVの筋肉番付と云う番組で過去に何度か優勝した青年がいましたね。

ケイン何とかだったかな?栄養ドリンクのコマーシャルで「ファイト一発」なんて気張ってる青年です。






此の人は真面目そのもので潰しが利かない堅物ってイメージが濃過ぎるんですね。






「芸能界には全く合わないタイプ」役者を見切って違う世界で活路を見いだすべき典型でしょうね。

ただひたむきな姿勢を貫けば、一本調子の三船敏郎を大スターに育て上げた黒澤明のような人と廻り合うってことも否定はできませんけどね。

些細なことでも創作の真似事するってのは大変やね。島田紳介も見えない処で相当の努力が下地にあったんだろうね。

























独り言-171 『悪の栄えた例(ためし)なし』

2011年08月24日 | 日記






ふっと浮かんだ事柄を下手な文章で書いてますが「こんなの続けて何になるの?」ってのが常に頭の片隅にある。

此の思いがもたげてくると意欲が減退して眠気が襲ってくる。強烈な眠気やねぇ~。

キー打ちながら「もや~あぁ~っ」と来るので気づいて吃驚するように我にかえる。





背後のテレビの声に振り返ると、天王寺区のバラバラ死体遺棄事件の容疑者が逮捕されたと報じられている。

日本の警察は優秀やね。逮捕されたのは50代の男で被害者はなんと妻と息子だと云う。

親子で殺しあうのが当たり前の世の中になって久しいが、バラバラにして捨てるに至っては鬼畜の上をいくやないの。





本人は否認しているらしいが、事実が解明されるのに時間はかからないだろう。

「鬱陶しい腐った奴が多いね」此処までさせた動機がなんにせよ、あんたは地獄へ堕ちるしか道はないよ。





独裁政権のカダフィー大佐も追い詰められて風前の灯(ともしび)だね。





徹底抗戦なんか選ばずに国外退去で政権を手放しておれば他国でのんびり出来たものを

「欲の皮突っ張った奴はしがみついて、揚句、全てを剥奪されて終わる」40数年間の独裁政権下では、

こいつも鬼畜が如き恐怖管制の基、国民を牛耳って居たんだろうから目一杯の報復を喰らってしかるべき奴だろうね。





日本のお隣の国の将軍様も「よそ事とは思えない」って戦々恐々のことだろうなぁ。



















「天網恢恢(てんもうかいかい)祖(そ)にして洩らさず」(天の網は抜け穴だらけ隙だらけのように見えるが、

結局は悪は必ずその報いを受けるの意味)「悪の栄えた例(ためし)なし」念入れて似させるのもバカらしい。
























独り言-170 『隠さず晒せ晒せ』

2011年08月22日 | 日記







長くお世話になっている髪の毛だけど天然パーマって奴は、どうも気に入らんままにくたばるんだろうね。

右に分けたいのに左にクネったり、ドライヤーで綺麗にセットしても湿気が多いとクルクルカーブして鳥の巣みたいになりよぉる。

若い頃の憧れは、顔を軽く振ってパサッと自然に髪が整う仕草だったね。素直な髪の毛が羨ましかった。






不精なのか無頓着なのか、其れ以外に頭や顔を構ったことがない。顔洗ったあとに何かしらのクリーム塗るのが大嫌い。

爽快感を損なう気がする。わざわざ埃を吸い寄せているようで気持ち悪い。

今まで、考えたこともなかった禿げを最近意識するね。頭のてっぺんが薄くなってきた。






「はははは」白髪も増えたし薄くなってきたし歳相応の趣ではあるね。「禿げたら禿げたで、其のまま堂々としとけ」なんて人のこと云ってたけれど、

私の番が来たようだね。偉そうに云ってたてまえ堂々と晒していかんとアカンね。

テレビで「そんなん乗せるなよ」って云いたくなるよなカツラ男をよく見かける。「余計に無様やないの」なんて笑ってる。






こうなって来ると天然パーマの糞髪でも有るほうがいいのかな?人生すべからく「無いものは無いのだ」オレは其れでイコ。

なんでも外人がいいってなるけれど、あっちの人は禿げでも堂々としているのがいい。其れは其れで格好いいしね。

「なんでやねんやろね?」ジーン・ハックマンやショーン・コネリーなんか禿げているから格好いい。






社会の先端を生きてるような学者や教授や医者やエリートサラリーマンなんて、頭禿げてもどうってことないのん違うのん?

中身で勝負できると思うけどね。堂々と光らせて歩けばいいのに。テレビのコメンテーターなんかで出演依頼来るんだから大したもんだと思うよ。

なのに頭の片側の髪の毛だけをやたら伸ばして天辺の禿に被いかぶせて隠したり、見るからに解る黒々しいカツラかぶしたり






「もっと自分そのままに自信持てよ」築き上げた地位や名声が泣くで。






上っ面なんか気にすんな。「誰もそんなの見てないことないでぇ」違った「見てないでぇ」やった。

給料も大した額になるだろうに、どうしても禿げ隠さんと人前に出辛い奴は「もっと金払ってええやつ付けろよ」

アデランスなんかで宣伝しているやないの。見分けつかんようなのあるで。






デカイ金稼いでる奴の特権やで。「ケチなんか?」「安物被せて笑いをとってんのんか?」「売名行為か?」






福島原発の状況説明で毎度馴染みの保安院の偉いさんが、大変な状況のなかで「デートを繰り返している」とかなんとか

週刊誌の見出しにデカク載っていたね。「そんなのプライベートなんだから放っといたれや」と思うけど、

此の人もハッキリと解るズラ男やったね。或るサイトでボロクソにヤラレていたなぁ。






「あれから出てこないね」女性に対する態度が随分と高圧的だったらしい。そんな奴なら「カツラ剥いたれよ」痛くて弱いとこ突いたらなアカン。

高慢な奴でも禿げを隠す心理って「たかが禿げ、されど禿げ」と云うほどにコンプレックスなんかね?

「私なんか、禿に関わらずコンプレックスの塊みたいなもんよ」隠しようがないから晒し慣れた揚句に笑って生きてるって感じですよ。



















仕事終えてコンビニへ買い物に行くとレジーに彼女が居た。「久ぶりやね」レジーに居る彼女はいつも控えめ。

「なにがぁー?」なんて日頃の勢いは影潜めて女性的。外国の「お土産持って行こう、思ってるんやけど」って嬉しいね。

束なった休みを大事に使いな。また学校が始まってからでいいよ。





















休憩-22

2011年08月22日 | 日記







長くモメることもなく静かな我が家だったが、息子が「オークションで机を購入する」って言い出したことから母と子の絶叫の嵐。

「そんなん止めときっ」「オレは調べた揚句の決断やのっ」「なんで中古の机なんか買うのっ?」「原価15万の机やぞっ」

「そんなもん、どうなと云えるわなっ」「お父さん、言うたれよっ」オレのほうに振るなよ。






「こんなオッサン何も解れへんわなっ」もう、巻き込まれてるやないの。「オークションで問題多いのは家具類やで。

評価欄を覗いて見い。何処もかしこもモメてるで。まあ、まともな出品者も居るけどね」「オレの買う云うとこはストアでまとも」

「何がまともやのん、送料に1万5千円やでぇ」「うーん、高いなぁ。どの位が終了額になるのん?」「込みで3万5千円」

「実際のを見んとコワイで」「写真で厳密に紹介したんのん。小さな瑕が9箇所」「なんで3万5千円も出して瑕だらけを買わなあかんのんっ」

「サイズと材質とデザイン」「大塚家具で買いなさいっ」大きなこと云いよんなあ。






「あんなとこ高いがなぁ。3万5千円に見合ったものしかあらへんがなぁ」「なっ、なっ、何も解ってへんねん。

ただ何でも反対するだけで思考が浅いねん」「お母さんの勘やっ」此の人もカリカリ言い出したら止まらんからなあ。

「ほんまぁ、頭にくるわ。ケチつけんなよぉ」






ギャアギャアと喧しい。外にまる聞こえやないの。「休みにやめてぇな」って云ったら、

恐い顔して奥さんが「ホレ、自分のことだけ考えとぉるわ。お父さんはそんなんやねんっ」「いや、お父さんのそういう処がオレは好きやねん」

「そんなエエ加減な親父の何処がええのんっ」机となんの関係があんのん?






結局、解決してないのに奥さんはテレビ、息子は風呂入って寝てる。「なんやのん?今までの絶叫は発作かいな?」






自分の城に一部屋有るに越したことはないけれど、有れば有ったで用事も増えれば金もかかる。

三枚衝立で仕切りを設けて一畳分のこじんまりした書斎?があれば充分だと思うけどね。掃除片付けも楽やし見られて困る悪い秘密の数も減る。

「ええ歳してまだ秘密かいな?」「何を仰る、Hに関わる秘密の一つや二つはまだ有るよ。うっふ~ぅ」






しかし、もうそろそろ処分(消去)せんとあかんなぁとは思う。「でもパソコン遣ってたらなんぼでも出てくるもんねぇ~」



















いつか書いたけど、あの世に持って往ける訳じゃないのに溜め込む手間は無意味に思う。「此れからはスッキリと必要最小限に絞って城造りしよう」





















独り言-169 『今にみちょれっ』

2011年08月21日 | 日記







息子が部屋の模様替えをしている。自分で考え限られた小遣いの枠で机や本棚を購入して汗を流している。






まだ新しいデスクが余るので「お父さん、これ使いいや」云ってくれるのは有り難いけれど模様替えがこっちに飛び火するやないの。

デスクを見ると「ええやつやないの」「寸法的に余るねん」私のデスクはもう20年は使ってボロボロ。

60センチは幅広になる。「う~ん、粗大ゴミにするにはもったいない。






だけど模様替えはしんどい」昔、人は寝ては一畳、起きては半畳と云って、其れだけあれば事足りる教え?があったけど、

私のプライベートテリトリーも半畳そこそこのスペース。狭くても其れなりに工夫して「城」を築いている。

拡げるとリビングが狭くなる。「オレって狭くても文句云わないけど奥さんは文句云うからなぁ」






息子の部屋は足の踏み場もない。デスクを片付けないとどうしようもない。






「よし、人助け」仕事終えてから6時間ほどかけて模様替えする。

半畳広がって一畳分に城が拡大したけど、頭使ってリビングはもとのままに広々した状態を保てた。机上が60センチ広がるとゆとりがあるね。

2台のディスクトップパソコンのモニターとオーディオ(此れも息子から譲って貰う)も脇に並べてグレードアップしたね。






「お父さんは遣る云うたら早いねぇ」息子も喜んでいる。






風呂上がって冷蔵庫開けるとビールがない。深夜2時頃、コンビニに買いに行く。家に居る深夜と外の深夜ってのは感覚にズレがあるね。

片田舎の深夜なんてのは「ホンマに真っ暗、漆黒と云ってもいいぐらいに暗い」のに、街ん中の深夜は遠くは暗く感じるけれど、

自分の行動範囲は薄暗い程度で夜のしじまの落ち着きを味わえる。仕事で活動している人も居るしコンビニも営業している。






錯覚するんだろうね。若い女の子が自転車で走ってる。「何考えて生きてるのかね?」強姦されたり殺されたりしても「あんたも悪いよ」

悪い奴は明るい時はねぐらに居て、暗くなると活動するのがパターンなんだよ。かち会う確率が高くなるんよ。諭(い)っても聞かないだろうね。

餌になるものが居て狙うものが居る。こういうのも相対性理論ちゅうんかね?



















スッキリと落ち着いたデスクの前に腰掛けビールを呑む。「美味いっ」「なんか出世したような気分やねぇ」

奥さんは向こうの部屋で鼾(いびき)かいて寝てる。「お父さん、此の家も限界やなぁ」買って来た焼き鳥を息子と食べながら

「う~ん、工夫の隙間が無くなってきたなぁ。まあ、待て、そのうち宝くじが当たるわな」呆れておるね。






「時期は解らんけれど、お父さんが言ったことはいつか必ず成るよ」笑っておるね。正常な反応ではあるけれども「奇蹟」ってのは無くもないんだよ。

「半次郎」の映画で、郷を捨て京に向かう半次郎を妹が見送りつつ「今にみちょれっ」「今にみちょれっ」って叫ぶ。

半次郎が口癖の台詞なんだろうね。私も常日頃よく口にするね。明日に繋がる向こう意気がいい。そう「今にみちょれっ」で生きるんよ。




















独り言-168 『さだめ』

2011年08月20日 | 日記







大阪天王寺区でバラバラ死体の一部を其々の18リッター缶に入れて公園や通りに長い間、放置してあったって云う事件が報道されていた。

其れも一人の死体ではないらしい。「なんてことすんの」私が子供の頃、遊び回っていた辺りだと思う。

「猟奇事件か?」韓国映画の「悪魔を見た」っていう猟奇殺人を扱った作品の予告編を観たけれど映画顔負けやないの。






人生をこんな形で終えねばならなかった被害者を思うと「すこぶる哀しいね」






遣った奴は普通の顔してその辺を徘徊してるんでしょうね。怖ろしいことを遣ってのける人間が尽きない。

生まれたときは皆可愛い赤ん坊だったのに、何処でどうなってこんなことが出来る人間になるんでしょうかねぇ。

そうではないと信じたいけれど、多くの子供さんを見ていると、其の中に、ことの善悪が理解できて居らず性根がねじれて矯正が難しく思える子が居る。






環境と境遇は人を造るって云うけれど、辿れば善きにせよ悪しきにせよ当たらずとも遠からずと思える家庭に突き当たる。

人の基礎はまず親が造る。親の責任は重い。なんでもかんでも教育委員会に直訴して学校の教育方法に難癖をつけて子供を過保護で腐らせる。

もしくは放任で構うことを放棄して子供の心が枯れていく。野良で彷徨う犬や猫も人を慕ううちは救われるけれど、

牙や爪を剥くように敵愾心が身につくと孤立して改善が難しくなる。






其の子のもって生まれた性格や性質も大きく影響する。劣悪な家庭環境の中ででも曲がらぬ子は曲がらない。

冷めた水の中に居ても暖かさを忘れぬ子も居る。苦境を反面教師にして傑物に成長する者も居る。

・・・・結局「人は其々に持って生まれた星の元に生きて行く宿命(さだめ)なのかなぁ?」






実際の戦争を体験していないので決め言葉は言えないけれど、一昔前のベトナム戦争で帰還した多くの兵士が、

戦場と平和な環境とのギャップで精神がイカれて、通常の生活に復帰できなくなる症候群で苦しんでいるって記事で読んだことがある。






何もベトナム戦争に限ったことではないだろうけど、殺すことを目的に生きる環境に慣れると残酷が残酷でない精神状態がつくられ、

首や手足がバラバラに転がる中で平気で居られるらしい。そういう荒んだ世界に慣れてしまうと、今度は平和な世界に馴染めなくなる。

純粋で正直な人ほどその症状は顕著に現れるんじゃないんですかね。器用に切り替えが利かないんでしょう。





















荒んだ環境でねじれた人が、冷めた心で自分の世界を構築して生きているならば、其の人の生きる世界では残酷が残酷でない通常なのかも知れませんね。

























独り言-167 『ショーン・コネリーの007』

2011年08月19日 | 日記







盆休みに次から次へと映画(DVD)を観ましたので、お話のネタも映画になります。







ショーン・コネリーから始まってジョージ・レゼンビー、ロジャー・ムーア、ティモシー・ダルトン、ピアーズ・ブロスナン、

そしてダニエル・クレイグと役者が変わってもシリーズは延々と続いているね。







私が12歳頃にショーン・コネリーの「007は殺しの番号」(ドクター・ノー)が封切られたと思う。

この時は大阪の梅田新道交叉点辺りに大きな看板が掲げられていたのをバスの中から眺めていた記憶がある。

もうこの時から「あっちの人は格好いいなぁ」って思っていたもんね。

ショーン・コネリーが黒のタキシードに蝶ネクタイ姿で片足を台の上に掛けて、

その膝の上で腕を交差させて右手に銃、左手にブランデーグラスを持ってキメていたように思います。







私がこのシリーズを最初に映画館で観たのは第3作の「ゴールド・フィンガー」でした。

ダイバー姿で陸に上がり敵の見張りを足蹴りで一発に倒し、施設に爆薬を仕掛けて後、ダイバースーツのジッパーを下ろすと

下には白のタキシードに蝶ネクタイ姿(有り得ないけど格好いい)周りを見渡しながら胸にバラの花一輪を挿す。







場所は変わって近くの酒場に現れる。爆発の大音響、慌てる人々をそ知らぬ顔で踊り娘の部屋へ。

上着を脱いでガンショルダーとともにハンガーに掛け踊り娘と抱擁する。落ち着かない踊り娘の瞳に背後から迫る暴漢の姿が映る。

格闘してバスタブに放り込む。ハンガーに掛けたショルダーから銃を抜き取ろうとする暴漢。

すかさず傍らの電気スタンドを払い飛ばして感電死。「ショック、ショックター・ショックテスト」とか何とか吐き捨てて去る。







短いプロローグで一つの任務を終了してタイトルに入り本題に移る。

プロローグでジェームズ・ボンドって強くてスケベで格好いいってのが皆さんに解る設定なんです。







今、DVDで観ると流石に全てが古臭くて当時ほどの興奮は味わえませんが、007と云えばショーン・コネリーってイメージは不動です。

4作目の「サンダーボール作戦」も面白かったです。

其のあと「二度死ぬ」は日本が舞台で丹波哲郎や浜美枝、若林英子などが共演するって前宣伝が大きかったけどイモ。

日本出したらどんな洋画も揃ってイモ、イモ、イモ。なんでか不思議なくらいにイモ。悲しいくらいにイモ。笑ってしまうほどにイモになる。








「ダイヤモンドは永遠に」「ネバーセイネバーアゲイン」ではショーン・コネリーが歳を喰い過ぎて動きが重い。

本人も「もう007を引退したい」なんて云ってるのを無理やり引っ張り出したような記事があったね。

2代目はジョージ・レゼンビー、それなりにって感じだったけれど本国での受けが悪くて「女王陛下の007」1作で降りてしまった。

3代目から5代目は007は名ばかりで観る気もせず。そして6代目のダニエル・クレイブでようやく007が復活したって感じですね。

ただ女版「M」(007の上司)が気にいらん。なんで、こんなオバハンを「M」にしたの?いつから「M」がオバハンになったのかな?








ほんのりとイアン・フレミング原作の匂いが感じられるような007(尤もイアン・フレミングの原作は地味ですけど)に戻って欲しいですね。

ダニエル・クレイグの007も派手なシーンが満載ですが、この人のもつ大人の味わいと孤独感漂う個性にハードボイルドを

感じさせるものがあるように思います。






















ダニエル・グレイグ「カジノ・ロワイヤル」「慰めの報酬」次回作が楽しみです。「この人の似顔絵難しいわ」此の似顔絵もイモです。






















独り言-166 『中村半次郎』

2011年08月18日 | 日記







お盆休みは家でのんびり骨休め。

うちの奥さんは実家の連中と岐阜方面へ二泊三日の旅行に出かけましたので息子と二人気ままな生活「やめられんなぁ」

暑いのに「わざわざ出かけて汗かいてご苦労さん」って感じ。ツタヤでDVDを借りて映画を堪能。疲れたら寝る「いいねぇ」






邦画の「半次郎」をDVDで観賞しました。






西南戦争を背景に薩摩の桐野利秋(中村半次郎)の生涯を描いています。

1877年(明治10年)に現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において西郷隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱が西南戦争です。

桐野利秋は幕末時代には中村半次郎と呼ばれ「人斬り半次郎」の異名で知られてます(これは後世に西南戦争を起こした






張本人として悪名高いレッテルを貼るがためにつけられた異名らしいです。西郷隆盛を推してことを挙げた戦争責任者の汚名を被りました)

幕末、土佐の岡田以蔵、鳥羽藩の田中新兵衛等と同じく人斬りの異名で有名です。

貧乏士族の半次郎が西郷隆盛に拾われ幕末の京都で活躍して名をはせ明治維新で陸軍少将に出世するが、






西郷は主張する征韓論が通らぬ政策に失望し辞職する。半次郎は西郷に倣い軍を除隊して薩摩に帰郷する。

西郷を信望する私学校の生徒らの暴挙から反乱の導火線に火が点いて西南の役へと発展する。

薩摩武士が「きえぇぇぇーっ」と悲鳴のような気合を発して斬り込みますが、当時の薩摩剣法に倣ってるんでしょうね。






半次郎役を榎木孝明が演じていますが、この人、ちょっと痩せたのかして険しい顔つきになってますね。






脇を固める役者が上手いのか下手なのか「おかしなのが」揃ってます。

こいつら何処かのバンドか歌手じゃないのん?こんなん使わな役者が居らんのんかいな?

真面目に作られているので観れないことはないですが、茶髪や赤毛や金髪のアンちゃんはないでしょう。「AKIRAって歌手かいな?」






幕末や明治維新時代の歴史に興味がありますので、珍しく西南の役を描いているのを知ってDVDで貸し出しになるのを楽しみにしてました。

「裏切られた」ってことはなかったですね。それなりに最期まで観れました。「きえぇぇぇーっ」って首絞められる鶏の絶叫みたいな気合が耳に残ります。

戦争シーンの塹壕のセットや爆発など洋画風に描写して其れなりに見せてますね。



















道しるべをもたない若者たち、そして、道しるべになれない大人たちに、この「半次郎」を届けます。榎木孝明 「ラストのタイトルにこう書かれてました」




















休憩-21 『盆休み』

2011年08月11日 | 日記








ずっと睡眠不足が続いていますのでパソコンの前に腰掛けても居眠りの時間のほうが長いです。

いつも覘いて頂く皆さんには大変勝手致しますが、ちょっと(一週間程)夏休みさせて頂きます。再開致しましたらまた覘いてやってください。



















カメレオンの独り言