カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1196 『丸型サングラスと伝統の扇子』

2014年07月31日 | 日記






 7月31日







自分のお小遣いで、もう1本夏場のスラックス拵えておこうかな? 「なんでや?」 明るめの色合いで外往き用だよ。

此処の誂えはしっかりしてるよ。もう、オレも歳だからね、落ち着いた雰囲気がいいだろうねって思うんだね。「薄い髪の毛に合わせるのか?」

薄くて悪かったな、歳相応ってやつさ。この前、ネットで丸型のサングラスが安かったので、試しに買ったれってボタンを押したの。






本当は、2万位のが狙いだったけど似合わなかったら勿体無いから試しに買ったの。其れが届いて鏡の前でかけてみたよ。マッサージ師だったよ。

「云ったろ、エロマッサージ師って」 濃い目のガラスだから目が透けて見えないくらいだね。でもね、意外だったよ、外すと男前が引き立つよ。

「なんやねん、それ、あのなあ~もう、なあ~、内面も大人になれよ」 レイバン調だよ。「聞いてんかよ?」 残りの人生を可愛く愉しむのさ。






世の常識にあわせて、それなりにって生きて死んだら哀しいだろ? オレがオレらしく生きてくたばるべきだよ。「エロマッサージ師でか?」 云ってろ。

ただね、この丸サングラスはだね、よくよく見ると夜店でばら撒いて売ってるようなヤツだったってのも悲しいね。「なにがレイバンじゃ」

試しだよ、試しに買ってみただけだよ。「なんぼやった?」 2980円、レイバンのはずがないわな。「精々200円ぐらいのヤツやね」 ガクッ。






まあ、いい、高けりゃいいってもんじゃないよ。此れかけて出かけようか。「何処へ行く?」 墓参りにでも。「墓参りに丸サンかけて行くの?」 いいじゃないか。

















くだらん衝動買いだったね。もう1本のスラックス代に回しておけばよかったよ。「アホじゃ」 

この前、事務所に立ち寄られた同年代のインテリの御仁が、「〇〇〇〇さん、これ、どうだい?」って、扇子を差し出されて見せられるんだね。

ほおう、値の張る一品って感じですね。スラッと広げて扇子の骨の部分を指差し「此れですよ」って様子で悦に入られてる。細工が凝ってますね。






「京都で買ってきたよ」 いい趣味ですね。「ここんところが外れて高〇屋へ修理を頼んだんだけど、うちが販売したものでないから引き受けできないって云うんだよ」

扇子を形ならしめる要の止めが抜けたらしい。天下の高〇屋も商売っ気が無いですね。「そうだよ」 損して得取る術を知らんのでしょう。笑っておられる。

で、京都で新調ですか? 「そうだよ」 鞄から、もう一本扇子を取り出しオレに手渡される。「〇〇〇〇さんにあげるよ」 ええ、いいんですか?






親指磨るように広げると、ス~と心地よくひらいて黒い布に祇園祭りの鉾提灯が並んでる。へえ~粋ですねえ。「粗品の限定品だよ」 上客さん用ですね? 

オレのは、広げたら漫画の骸骨の絵が描かれてるよ。キャンペーン用だね。ありがとうございます、大事に使わせて貰いますよ。

嬉しそうに笑っておられる。この御仁は、控えめで知的な人柄が、辺りを涼しくさせるような雰囲気を漂わせて、上に立つ器を感じさせるね。






ふつうなら、オレなんかが話せる相手じゃない。「この前ね、赤穂の浅野内匠頭(たくみのかみ)の末裔と同席して話したんだけどね」なんて云ってるよ。



















高尚な趣味を愉しむ。知識と教養が誘(いざな)うんだろうかね? それは、やがて人柄となって身の一部となる。「丸サンと違うね」

たしかに、そんなことを感じるね。「それに近づくにはどうする?」 語らぬことに徹するって手はあるね。概容を知って含蓄とするんだよ。

嗜好や趣味の世界には、そのものの味や技など伝統がある。これに人間の歴史を併せ持って物語が膨らむわけだわね。






夢に酔う、所有する歓びって部分は、丸サンと同じなんだよ。歴史、伝統を重んじる意識、これを心得れば厚みは増すね。絡めて誇りと責任が生じて重みを増すんだね。

人も同じくだよ。湧いて出て自分が在る訳じゃない。血から血へと受け継がれて今の自分が居る。そして、其れを継承して子に託す。

事実を軽んじない、事実の上から歩き出す、地に足着いた生き方を云うんだろうね。ものごとも、同じくそうして受け継がれて往く。






オレは、すべて不完全だけれども不明な事柄の骨だけは知ろうと努力してんだね。骨に身を被せて皮を載せれば形を成す。脚色も豊富で容易だよ。

相手の腐り加減も骨まで染みてると知れば治しようもない。断つのも骨を斬れば後腐れが無い。皮を斬ったり肉を痛めたり、ねちねちしないで済む。

そういう姿勢で生きてると、人や物事に対して本質まで見抜く目が養われるだろうね。オレには、まだまだ遠い話だけど養いたい。「生きてるか?」






彼の世へ逝っても鬼の面構えだけで、ただ、ビクつくんじゃなしに、そいつの心根まで見抜けば選びようもあるよ。「おまえ、鬼は地獄だろ?」

三途の川原で子供を苛めてる鬼も居るらしいよ。ビシッと諭してやるよ。「鉄棒でどつかれるぞ」 奪い返して戦う。「また、妄想かよ」

年端も往かぬ、訳の解らぬ子供を苛めるような輩に骨のあるやつなんか居らん。腐れ外道がっ。「また始まったよ、劇画調やね」 怒りだよっ。








 京都の風情だね。








「真面目に話し通すことが出来ないのか?」 みたいだね。書いててね、一度、吹くとね、あとボロボロだよ、愉しいね。







今日(7月30日)は、自分のブログの編集欄に入ろうとしたら、全然、二進(にっち)も三進(さっち)もいかんぐらいに動かないんだね。

固まるってのを久ぶりに経験したよ。なんなんだよ、こっちとら気が短いんだよっ、腹立つなあ、ホンマア。gooはやる気があんのかよ、なんてね。

「エラそうに云うな」 いいじゃないかあ、ハエが、一匹狂ってるだけだよ。





「原因は、なんだった?」 アホか、そんなもん解ろうはずがなかろうが。再起動しても状態は一緒だったから、こっちじゃないね。























カメレオンの独り言-1195 『世間話』

2014年07月30日 | 日記







 7月30日







医学も行き過ぎると乱交パーティーだね。夫が夢精子症だから、その夫の父親の精子で子を産む。「双子の子供が出来て幸せ」だって。

子が授からぬのは、自分の人生と捉えるか、何が何でも産みたい、産む権利がある。この際、相手は誰でもいい。

母親の女性としての欲望から生まれた子は、女の満足の生産品、両親の愛情からの誕生じゃない。この発端が、先々、子に影響せぬことを祈るよ。






「子を産む機械」と誰かさんが云って人格を疑われたけれど、こんなのを見ると、あながち外れている意見とも云えない気がするよ。「おまえも疑われるぞ」

いろんな人生の物語がある。昔は、種無し夫の目を誤魔化して間男してでも子を孕む。もう男女の愛ではないんだね。欲望なんだね。

おまえらは、何をしようが満足すればいい。生まれ来る子の道筋を考えたことがあるのか? 知らさなければ解らないけれども事実は付き纏う。






哀しいことに知るときが来るんだね。それは、おまえの業(ごう)を子が背負うからだよ。迷惑至極だよ。

こんなのを云うと「古いんだよ」って云う奴も居るだろうね。時代錯誤は確かにある。でも、新旧入れ替わりは時代であって人じゃない。

過去延々、未来永劫、人間は変わらないってことを肝に銘じて判断しなければいけない。血と云うものの重さを知らねばいかん。






愚かの因果は、我が身だけに戻るものではないんだね。血を受け継いだ子らにも、その愚かの代償を求められることがあるんだよ。

















「人を殺してみたかった」 「解剖してみたかった」 「金属バットで襲いかかる」って、ニュースにスーパー(字幕)が出てる。

クラスメートの女子を殺してバラバラにしかけてるところを逮捕されたらしいね。加害者は16歳の女生徒。16歳でマンションの独り住まい?

母親は、癌で亡くなって、父親は、半年後ほどに再婚か、子が20歳に成長するまでは、親は、どのようなことがあっても、今を変わってはならない。






母を失い、父親までが、他の女性の方を向く。安定性のない年頃だね、向き合ってやらねばならない歳頃だよ。血に大きな烙印を押してしまったね。












ちょっと時間が余ったので書きました。 下は、オレ用のメモ代わりですので飛ばしてください。







 『GODZILLA ゴジラ』







『GODZILLA ゴジラ』 ギャレス・エドワーズ監督、特撮怪獣映画『ゴジラ』をハリウッドで再リメイク

『ビヨンド・ザ・エッジ 歴史を変えたエベレスト初登頂』 1953年に快挙として報じられたエベレスト初登頂の実話を描くヒューマンドラマ

『アンナプルナ南壁 7,400mの男たち』 危機的状況に陥った登山家を12人の仲間たちが救った実話に迫るドキュメンタリー

『グッド・イブニング・ニューヨーク・シティ』 ポール・マッカートニーNY生誕350周年を記念し、NYを愛する4アーティストの伝説のライブを上映する第1弾

『ラストミッション』 ケヴィン・コスナー主演、余命宣告された特殊工作員の最後の任務を描くアクション

『フライト・ゲーム』 リーアム・ニーソン主演、旅客機搭乗中のテロ予告に立ち向かう男の戦いを描くサスペンス

『柘榴坂の仇討』 浅田次郎の短編小説を映画化、主君の仇討を命じられた不器用な武士の生きざまを描く時代劇

『クライマー パタゴニアの彼方へ』 世界一登頂が困難な“セロ・トーレ”に挑む登山家たちの姿をとらえたドキュメンタリー

『インサイド・アウト』 ボン・ジョヴィ NY生誕350周年を記念し、NYを愛する4アーティストの伝説のライブを上映する第4弾







 『オール・ユー・ニード・イズ・キル』







『オール・ユー・ニード・イズ・キル』 トム・クルーズ

『アイアンクラッド ブラッド・ウォー』 13世紀のイングランドを舞台にケルト人に挑む剣士たちの戦いを描いたアクション

『さまよう刃』 東野圭吾の小説を韓国で映画化、娘を殺され復讐を誓う男と彼を追う刑事の姿を描く

『ザ・ヘラクレス』 古代ギリシアの戦士ヘラクレスの戦いを描くレニー・ハーリン監督によるアクション

『K2 初登頂の真実』

『ポンペイ』 火山の噴火で一瞬にして灰となった、ポンペイを舞台に奴隷戦士の活躍を描く歴史アクション

『オールド・ボーイ』 パク・チャヌクの同名作をハリウッドでリメイクしたサスペンス

『300 スリーハンドレッド 帝国の進撃』『300 スリーハンドレッド』続編、ペルシャ軍に対抗するギリシャのテミストクレス将軍の戦いを描く







 『ハミングバード』







『ハミングバード』 ジェイソン・ステイサム主演、元特殊部隊の男が復讐のために戦うアクションスリラー

『ローン・サバイバー』 マーク・ウォールバーグ主演、タリバン掃討作戦の実話を描いたアクション

『ウォールストリート・ダウン』 ドミニク・パーセル主演、金融機関に利用されていた男が復讐をするアクション

『さよなら、アドルフ』 第2次大戦敗戦直後のドイツを舞台に、ナチス将校の家で育った少女と弟妹との逃亡劇を描くドラマ

『キリングゲーム』 R・デ・ニーロ&J・トラヴォルタ共演、戦場で地獄を経験した元軍人たちが戦うアクション

『ファントム 開戦前夜』 エド・ハリス主演、冷戦時代のソビエト海軍の実話を基にしたアクション

『THE ICEMAN 氷の処刑人』 家族に正体を隠し100人以上を殺害した伝説の殺し屋を描くサスペンス

『デッドマン・ダウン』 コリン・ファレル主演、妻子を殺された男の復讐劇を描くサスペンス・アクション






「なんやねん、これは?」 ゴタゴタが落ち着いたらツタヤで借りて観ようかなって映画だよ。下から10作程は、もう棚に並んでるかも知れないね。






















カメレオンの独り言-1194 『来るもの拒まず去るもの追わず』

2014年07月29日 | 日記







 7月29日







書く側の編集欄のトップにいろいろと説明が載ってる。ツイッターとか何処其処と繋がると訪問者が増えるとか云ってボタンが用意されてる。

頭は読んでも詳しく知ろうとしたことがない。今日も、気付いたよ、「ブログ・ランニング」ってボタンがあるね。

これも、「此れに参加すると訪問者が増える」って誘ってる。どちらも気持ち悪いから知らん顔してる。「なんで気持ち悪いねん?」






此方から呼び込むもんじゃない。それほどの中身じゃない。偶然でいいんだよ。駄文を書きまくって行き当る人に読んでもらえれば充分だよ。

その人の意思だよ。「くだらん」 さようなら。そいでいいんだよ。「おまえ、それでは、商売人にはなれんで」 なる気ない。

考えたら、オレの書いてる内容は日記じゃないね。いろんなジャンルが有ってカテゴリーが有って、適した処へ分類できるんだね。






「読む人が、迷わずに済むんじゃないか?」 みたいだね。前にも、このより分けが気になったことがある。「じゃあ、利用しろよ」

そうか、此れを操作して、オレのが何処かへ消えちゃうんじゃないかと不安になって、いらわず終いだったんだよ。「消えるか?」 解らん。

パソコンは大好きだけど、とてもコワイんだよ。自信ないことして収拾つかんようになったら悔やまねばならんし、めんどい。






「説明を読めよ」 めんどい。「おまえの駄文に付き合ってる人たちの苦労を考えろ」 さぞかし、疲れるであろうね。いずれ慣れるよ。「厚かましい奴やね」

















「解析」も見慣れると、当駄文の立ち位置がよく解るね。今はだね、ずう~と、長い間、引き潮状態が続いてんだね。

オレ自体、ブログ書き出すまで、こんなとこ入ったこと無いもんね、馬鹿らしい。「なんやねん、その台詞、裏切り者じゃないか」 そうか、正直者じゃないのか?

つまりだね、このgooブログコーナー全般へのアクセスが落ち込んでいるようだよ。しかしながら、当駄文はだね、実に健闘しておるよ。「売り込みか?」






馬鹿だね、事実の報告だよ。皆さんが気にされてるかも知れない。「誰がするか」 当駄文の進行状態は恙無(つつがな)く前進を続けておるよ。

一万位前後を行ったり来たりの後、7千位辺りから5千位辺りを往復して、4千位から3千位で休憩して、現在、3千位から2千位を彷徨っているよ。

何よりも、読まれてる閲覧数が感動だよ。よく、此処まで読んで貰えるもんだねって感心するよ。当駄文に、相当慣れて来られたようだよ。「態度がデカイんじゃ」






まあ、このような順位ってのは、人さん任せで成り立ってるもんだから今を感謝して喜んでいればいいんだよ。「よう解ってるやないの」 そうだよ。

オレが、嬉しいのは、オレの意見に聞く耳を持たれる方々が居るってことだよ。通じてるんだよ。一理あるって頷いて貰ってるんだよ。

「中には、くだらんものも在る」 当たり前やないか、そうそう、まともなことばっかし書けるかっ。まあ、雑草のなかの花一輪ってとこかねえ。

















「今日は、書くことが浮かばんようだな」 解るか? 「おまえが報告だの解析だの云うときはネタ切れのときだよ」 そうだよ。

映画紹介で逃げようかと思うんだけど、流石に、今、映画を観ようって気分になれないんだね。苦を引きずると愉しもうなんて気が起きないね。

歯茎が、また、痛んでね。「疲れてんだろ?」 医者も云ってたよ。「また、医院へ行ったんか?」いいや、オレは、滅多なことじゃ医者要らずだよ。






深夜、痛くて堪らなくなって、あっそうだ、前の残りの薬が在ったなあって思い出したの。で、それ呑んだら朝までぐっすり、後、回復したよ。

あうっふうう~ 「なんやねん、それ?」 深い溜息だよ。「おまえの溜息の表現はおかしいで、ふつう、はあ~とか、ふ~とかだろ?」 どうっうふうう~。

人生は、テレビのチャンネルだね。底の抜けた馬鹿らしいタレント番組を変えたら、その裏側で家族が爆撃で亡くなって悲しみの絶叫を挙げてる。






もっとも、最近のテレビは、何処を回しても底が抜けた番組で埋まってるけどね。「世相がストレス抱えてるから息抜きだよ」 其処どまりの解釈だよ。

贅沢に慣れきった上でのストレスってのもあるんだよ。爆弾降ってきたら目が覚めるよ。「うんだ、うんだ」 おっ、昔のひとだね?

贅沢に慣れるか、苦しみに慣れるか、それが問題だよ。糞テレビめ、おまえは、若者たちにとって百害あって一利なしだよ。

















ミツバチの大群が空を覆って飛び狂ってる。最初、ビルの出入り口から外の様子に気付いたときは、得たいの知れない虫に見えた。でかいハエ程の虫だね。

あまりの多さに怖くなるよ。同じく気付いた人たちも 「いやあ~なんやのんっ?」 「うわあ~」って悲鳴をあげてる。

やがて、マンションの2階のベランダの壁に寄り集まって、其れが盛り上がって群れになり蠢(うごめ)く座布団が張り付いたようになった。


















女王蜂を追ってオス蜂どもが群れ狂ってんだろうね。馬鹿どもが。こんな糞暑い日に、暑苦しい姿だねえ。

う~ん、孤児(みなしご)ハッチの姿は見受けられないね? 「本気で云うとんか?」 どいつもこいつも、その他一般が寄りたくって蠢いておるわ。

無個性の集団って気味悪いね。火炎放射器で一網打尽に焼き殺すぞって妄想してる。「危険な奴なね」 






去年かな? 工事関係者が、施行場で野球ボール程度の蜂の巣を見つけた。足長蜂が威嚇して飛び回るので、スプレー缶を噴射して火を点けたら

小型火炎放射器になって、それで蜂の巣を焼き潰した。蜂ってのは、火に弱いんだね、羽根が一発で燃えちゃうから飛べなくなるらしい。

ポロポロポロと巣から落ちて地面を這ってるから、次から次へと踏み潰しました、あっはははって笑って云ってたよ。なんか、酷いね。「急にええ子になるな」

















ミツバチの大群は、役所の手配で業者さんが来て、刺激を与えないよう慎重に専用の掃除機で全部吸い取って「完」ですわ。




















カメレオンの独り言-1193 『似非(えせ)酔漢の気侭節』

2014年07月27日 | 日記






 7月27日






仕事帰りに服屋さんに頼んでいたスラックスを貰い受けに行った。「試着されますか?」って勧められたけど、めんどいからせずに帰って来たよ。

オレは、合うか合わぬかは広げられたのを一見して大方解る。ハズレはないね。いいのが出来てるよ。

気に入ったら、これから、このお店のお世話になろう。9月に入ったら秋冬ものが出るらしい。其の頃に、また2、3本作って貰おうか。






しかし、何という暑さなんだよ。不快指数にドップリだね。全身汗まみれだよ。早速、風呂に入ってさっぱりする。

ああ~、表替えって、なんと爽快なる気分。此処でビールを呑まなきゃ嘘だよ。扇風機の風が心地いい。「クーラーは?」 好きじゃない。

カッシュッ、よく冷えた発泡酒「麒麟淡麗」をグラスに注いでゴクゴクゴクッと一気飲みだよ。ああ~此の世の天国だねえ~。夏場は、毎日、天国と地獄の往復だね。






さて、気分良く試着してみる。おお~いいねえ。2本ともバッチシやないのお~。これは、また、男前が上がるで。

女どもを払い除けるのに苦労すんだろうなあ~。「おまえって幸せだね」 独りで云いたいこと云ってんだから迷惑ならんだろ? 

寄るんじゃねえ、不幸になるぜ。「古い台詞だねえ~」 そうか? じゃあ、怪我するぜか? 「ただのD・V男じゃないか」 危険だね。






この服屋さんはいいね、ブレザーも拵えて貰おうかな。欲しいのが有るんだよ。『恋におちて』のロバート・デ・ニーロが着てたようなやつだよ。

「それは、ロバート・デ・ニーロが着てるからいいんだろ」 其れを云うなっ其れを云ったら、全てが灰色になるじゃないか。

















終業間際、夕刊を広げると、ダンプカーに自転車ごと引き摺られて600メートルの道路上に身体の一部が散乱した性別不明の遺体が見つかったなんて載ってる。

ぐちゃぐちゃになった自転車が道路に転がってるって通報が入って警察が発見したようだね。同じように野菜類も散らばっていたらしい。

買い物の途中かね? 暑い中、買い物済ませて次なる予定が待っていたろうに、道路に擂(す)り潰されて亡くなるなんて予想だにしないねえって、思って読んでると、






肩をパシって誰かが叩いてる。おう、長い間、見なかったね。某私立大学付属の高2の女子がニッタラ笑ってる。「★★ちゃん、ただいま」

もう、夏休みに入ってるんだろ? 「和歌山から岡山、岡山から・・・」って早口で云うから、何処から何処?って、聞きなおし手の平出して指を折ろうとしたら

オレの手を掴んで「和歌山やろ」って、指折って「岡山やろ」 指折って「香川やろ」って、手に手をとって順々に丁寧に教えてくれたよ。「子供かよ?」






合宿か、よくやるねえ。「試合やねん」 ああ、部活か? 「8月に入ったら自由やねん」 そうか、じゃあ、気をつけて行けよ。

「★★ちゃん、帰ってきたら、また、来たげるわ」 恩着せがましい表現やね。あいよ。ニッタラ、ニッタラ流し目で帰って行ったよ。

お嬢様育ちで優雅なもんだね。他府県に行っても海外へ行っても、大方無事に帰って来るもんなんだけど、行き慣れた近所に買い物行って還らぬ人も居るんだね。

















翌日だったかねえ? 近所の子供たちが、「★★ちゃん、コンビニへ着いて来て」って云うから、糞暑いのに付き合う。

コンビニで煙草とコーラと氷金時を買って帰り道、車道を綺麗なお嬢さんが自転車飛ばして来る。あれえ、おまえ帰ってるの? ニッタラ笑って「うん」

じゃあ、次は岡山か? 連続じゃないのか? 「そうっ」 汗かきまくりのオレたちとは違って、なんで、おまえだけ、そんなに涼しそうなの? 「暑いよ」 






「なんかお姉ちゃん白い」 子供たちが云ってる、傑作だね、しかし、ホンマやね。いつも制服姿だから見違えるね。

白っぽいワンピースってんかね? 広がったミニスカートから真っ白けの脚が伸びてるよ。おばあちゃんとこへ行くのか?「うん」 勉強か? 

「静かやから集中できるねん」 なるほど、じゃあ、これ持って行け。「コーラあかんねん」 じゃあ、これは? 「あっ、それがええわあ~」






ニッタラ、ニッタラ笑って氷金時を受け取ってる。よし、気をつけて行けよ。「ありがと、ほなあ~★★ちゃん、行くわあ~」 おう。






若者は、誰も彼も頑張ってるねえ。高2のサッカー男も真っ黒けになって帰って来て「★★ちゃんやったら、もう死んでるでえ」なんて、

オレを殺して練習のきつさを例えてる。子供たちが、鬼ごっこを一緒にやれって云うから、おもくそ20メートル程走ったら、ホンマに死にそうになったよ。

そろそろ、棺桶入る練習しておこかな。「そんなもん、練習せんでも無理やり入れて焼きよるわ」 儚(はかな)い人生やねえ。「そんなもんや」

















あったこと、そのまま書いて今日の分を埋める日もある。成らぬことを成ったように妄想して今日を慰める日もある。

本当を生きるか、嘘に目をつむって生きるか、人それぞれだろうね。一回こっきりの人生、出来るならば、己を正視して恥ずかしくない本当を生きたいね。

しかし、社会は、正しいはずの本当を生き辛くする矛盾を抱えてる節がある。茨の道は、悪だけではないね。純粋に本当を貫けば進み往く道は茨に通じるね。






独りで生きようって想いは、そこから生じて居るのやも知れない。矢を射れば、返り来る矢は己れの身のみ貫いて済む。痛い思いは我が身だけで充分だよ。

「なんで、急に、こんな話になるねん?」 そんなもん、オレの勝手だよ。「勝手だろうけど筋道ってのがあるだろう?」 

筋道で、どれだけの人が泣いてると思う? 「なに?」 社会の規範ってのは、正しいけれども右に倣えで一辺倒なとこがあるんだよ。






そういう矛盾で泣く人のことを思うとだね、筋道なんか蹴り飛ばして、理解の一語なりとだね、書きたいことを書いてるだけだよ。

滝壷に、一様に流れ落ちるのが社会だよ。留まりたいとか、怖いとか、気が進まないなんて思いも何もかも連れもって流そうとするね。

大方は、常識と云う名の下、問答無用の導きが支配してんだよ。個の意識なんて気侭の一語で抹消だよ。社会に生きる上の責任が被さって隙間が無い。






飼いならされたロボットの社会、よくSF映画の題材になってるよ。反逆の男が英雄扱いになってるのが、これまた不思議、奇天烈(きてれつ)で笑ってしまうよ。



















今年の祇園祭は、意識外のうちに終わってしまったよ。今日(25日)は『大阪天神祭り』の本宮だね。35度の炎天下、沢山の人が見物に出てるんだろうね。

「★★ちゃ~ん、行ってくるわあ」 某私立大学付属の高2の女子が浴衣姿で手を振ってるよ。「おう、行くのか、よく似合ってるよ」

「★★ちゃん、下駄が怖いわ」 階段慌てるなよ、一段、一段、踏みしめてな。「せやなあ、ほなあ~行ってくるわあ」 カラン、コロン、行っちゃったよ。






祭りか、長くご無沙汰してるね。来年は、一丁、下駄履きで出かけようか。「誰とや?」 独りがいいんだよ、思うがままさ。

夕方、仕事上がりの時間、外で一服してると携帯が鳴った。「★★ちゃん、居ててな、見せに行くから」 彼女からだね。「ああ、いいよ、待っててあげる」

浴衣姿の彼女が来たよ。あれ?去年の着物じゃないね。女の子だね、いろいろ選んで着飾るんだね。着こなしが、随分と上手くなってるよ。






駅まで送ってあげたよ。来年は、オレは、もう居ないよ。「死ぬんか?」 アホんだらっ、まあ、実際、解らんけどね。下駄を鳴らして祭りに出かけるんだよ。

昔を思い出すね、賑やかな人通りを独りで気侭に悠々と歩くんだよ。「寂しいだろ?」 黙れっ、ど素人が。

行くところ、行くところ花盛りだよ。ニコッて笑いあって僅かな疎通で充分だよ。そんな擦れ違いには夢があるよ。禿の糞爺になる前に、もう一度愉しんでおこ。






「それから棺桶入るのか?」 なにっ、おまえは、オレを殺したいのか? オレが、くたばったら、おまえも自動的に終わりやぞ。「ああ、そうか、まだ、早いね」






















カメレオンの独り言-1192 『凹むほどに打たれて知恵育つ』

2014年07月25日 | 日記







 7月25日








大阪は、梅雨らしい雨もほとんどなく暑さと湿気で蒸しかえるままに真夏に突入したね。

毎年、梅雨明けを知らせるように、一斉に鳴き出す蝉も、今年は、早くからなんか迷いつつ単体で鳴き出してたね。

早鳴きの蝉を 「こいつは狂っとおるで」 なんて云われて気を悪くしたものの、当っておったから、今じゃ遠慮なく絶叫して鳴いておるよ。






そんな蝉たちの鳴き声の下、昼休みに公園を眺め見て一服吹かせてると、小4の男の子が寄ってきて眩しそうに空を見上げながら聞くんだね。



















「★★ちゃん、太陽に何処まで近づけるの?」 う~ん、たしか、地球とは1億5千万キロ程離れているはずだよ、で、この暑さだからね。

其処から3、4千万キロも近づいたら溶けちゃうんじゃないの? 「1億5千万キロって、どんなん?」 オレも知らんわ。

知らんけど真上の太陽を見てごらん、あそこまでの距離だよ。太陽の直径は、地球の約110倍だったかなあ?、約140万キロもあるそうだよ。






直径約140万キロってのは、航空機ノンストップで周回したら200日近くかかるらしい。半年以上だよ。とんでもないデカさなんだよ。

そんな化け物が、あんなに小さいってことは、1億5千万キロって云う距離が途方もないもんなんだろうね。実感が湧かないね。

例えば、時速300 キロの新幹線で行くとすると片道50年以上かかる。オギャアと生まれて出発して、仮に到着したらだね、50代のおっさんになってるんだよ。






光は、凄い速度で走るね、カチッと云う間に秒速30万キロ先まで届く。一秒でだよ。「あっ」だよ。

太陽の光は、この地球に届くのに8分かかってるらしい。480秒だよ。カチッ、もしくは「あっ」が480回だよ。今の太陽の光は8分前の光なんだよ。

オレの頭を痛めまくって云う解説が理解できるか? 「滅茶苦茶遠いってことやろ? 近づいたら溶けるんやろ」 そうだよ。「解った」 まあ、そんなもんだろうね。



















正直、太陽の正体や位置関係なんてのには興味が無い。照ってりゃいいって感じなんだけど、不思議といつも感謝も忘れないね。

太陽なくして緑の地球は有り得ない。洗濯物も乾かない。「なんやねん、他にあるやろ?」 大小交えて恩恵に預かってる表現だよ。

しかし、暑いねえ~。もうちとバックして貰えんかね。「後退するということは、前進も有り得るぞ」 定位置でじっとしてていいよ。






「★★ちゃん、あそこのアスファルトの道が滅茶苦茶暑いねん」 私学の中1の男子が、帰りに寄って顔をしかめて云ってるよ。

「照り返しがきついわ」 アスファルトは、色が黒いから紫外線や可視光線の反射は少ないんだけどね。「コンクリートにすればいいのに」

アスファルトの場合は、照り返しじゃなしに、含んだ熱気を上昇させるのかも知れんね。実際は、コンクリートのほうが照り返しはきついらしいよ。






「じゃあ、どっちも暑いねんな?」 夏だからねえ~家へ帰ってクーラー利かせて熱冷ませ。「うん」 顔が火照っておるね。

この連休で海や川に人が繰り出したらしいね。初っ端から溺れて死んでる。5人死んで3人が行方不明だったかなあ? 行ったまま帰らないって寂しいね。

毎年、同じことが繰り返されるね。でも喜びの勢いに悲しみは掻き消されて、海や川や湖は、芋の子洗うが如く人に埋まって公衆風呂だね。






そんな不幸は、自分には、有り得ないって信じてる人ばかり。でも、其んな中から不幸が出ることが事実なのに、自分には有り得ないと頑(かたく)なだね。



















今、なんだらかんだらと悩み事や考えごとが多いので、ブログも飛び飛びに更新させて貰ってる。そんな中、

知らぬ間に顔も引きつるような思いだから夏休みを挟んで9月になったら会おうぜって、此の前、彼女に云った。聞いたか聞かずの姿勢で帰って行ったね。

煙草吹かせるつもりで外に出たら「あっ、★★ちゃん」って云って彼女が来たよ。 あれえ? こいつは、やっぱり、オレの話しを聞いてないね。






おまえ、9月になったら、また、会おうぜって云ったろ? 「来(け)えへんはずがないやろ」 どう云うことなの? こいつ、オレの言葉が通じてんか?

人間の中に宇宙人が紛れてるって云う説がある。こいつ、ひょっとして宇宙人か? 

E・Tみたいな化け物じゃないところが喜ばしいよ。E・Tも人間も猫も、なにかしら想いに従って行動してんだろうね。「なんで猫やねん?」 写真貼ったから。






勉強に追われて3日ほど寝てないって云ってる。こいつ、いつ寝てんだろうかね? 「しんどい~」って云うんだけど、なんか元気そうだよ。

気を張ってんだろうかね? 毎日、あちら此方と駆けずり回ってるって感じを受けるんだけど、オレとは対照的な娘(こ)だね。

じっとして喜ばしい性格のオレと、じっとしてられない性格の彼女と、相容れられないような二人なのにね。こういうのを腐れ縁って云うのかなあ?

















ある時は、何怒ってんの? ある時は、男漁りを披露して、ある時は、とても機嫌がいい。なんなんだろうかねえ? 今日は、ある時は機嫌がいいねの日だね。

こんなの、8年間、なんにも変わってないから不思議だね。「おまえの男漁りなど見たくもないわっ」って頭にくるんだけど、やめないね。

得体の知れない生きものなんだけど、でも、笑ってる顔を見たら、よかったねって何故かほっとする。いつも、後ろに居てやろうって思ってしまう。






でも、オレは、だらしないのは好きじゃない。だらしない中に組み込まれるのも好きじゃない。

頼りないオレが見守ってやらずとも、この娘(こ)は、いくらでも力のある奴を配して困らないだろうね。オレをB型の女にしたような子だよ。

此の娘(こ)の存在は、太陽に通じるね。其処に在るのに遠い、遠いけれども熱は近いってやつだろうかね。






そろそろ軌道を修正して死滅寸前の星から遠ざかってもいい頃だよ。ここで、また、一発、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」 の心境だよ。



















しかし、オレって、現実の悩み事と創作の世界との切り分けが実に巧妙だね。

「おまえが辿ってきた生活苦の中から得た知恵じゃないんか?」 かも知らん。「マイナスはプラスを生むって、いつも云ってんだろ?」

飄々(ひょうひょう)としていながら実は緻密な計算の上に其れが有り、無欲で有りながら、其れは大欲に似たりってのも有るからね。






「誰のことや?」 誰でもないさ、正体の無い奴は居ない。みんな、それぞれ自分だけが知っている自分と向き合って生きて居るんだよ。





















カメレオンの独り言-1191 『足元の花』

2014年07月23日 | 日記







 7月23日







「なんや、上の写真はE・Tか?」 なんや、それ? 「映画のE・Tだよ、スピルバーグの」 ああ、あれは、片方が宇宙のタコのかたわれだろが。

こそばゆい物語だったね。「なんでや?」 有り得ないおとぎ話だよ。あっちの奴の好きそうな夢だよ。オレも、妄想し放題だけど、あんな、こそばゆい夢は見ないね。

宇宙のタコは、動物や人間までもさらっては解剖して調べ上げて、やがて来る審判の日を繰ってるんだよ。恐怖の侵略者だよ。「コワイ話やね」 そうだよ。






これは、親子のスキンシップじゃないの? 面倒臭いけど相手になってやってる親と、僅かのチャンスにしがみついてる子供の手だね。「そうかあ~?」

もしくは、親のしつこい要求に仕方なく指先を合わせてやる子供の手かも知れない。「はい、はい」ってね。「逆やろ?」

















リュックにもいろいろあるんだね。前にも探して「此れだ」って決めたけど買わず終いだった。

オレは、滅多に当てなく外をうろつかないんだけど、出るとなったら荷物は背中に背負うほうがいい。両手が塞がらないから行動し易い。

アマゾンのバックやリュックのコーナーを見てたけど 「エパーソンマウンテニアリング」 のリュックは派手だね。






同じメーカーのリュックが道で擦れ違っても、気にならない色や造りがあるけど、此れは、電車の中なんかでカチ当ると、なんか嫌だね。

まあ、今じゃ、一方的に向こうの子が嫌がるだろうね。おっさんが同じもの背負ってる、きっと、棄てよるで。

その意味合いで少し欲しいなあと思ってる。「感じの悪い奴やなあ、歳を考えて選べよ」 黒系か茶系か? 厭きたよ。






赤がいいね。ベルトも赤だよ。今、使ってるのはね、もう、16、7年前に大阪梅田の阪神デパートで買ったやつだよ。真っ黒けだよ。

オーソドックスなスタイルだけど気に入ってる。金無かったけど貰った商品券で張り込んだよ。「そんなん、云わんかったら解らんやろ」 だから云ってんだよ。

今度は、オレの小遣いで買えるよ。「値段は?」 3万ぐらいかな。「ええっ?」 でも、4、5千ぐらいでいいよ。「はじめから、そう云えっ」

















それと、サングラスが欲しいね。「えらい格好つけるね」 長いこと仕舞ったままだった「アイスバーグ」のサングラスをかけて出かけたんだけどいいね。

歪んだ顔が均整とれていい男だよ。「どんな顔やねん」 いいものは、やっぱりいいね。2万3千だったからキラッと光るよ。「安もんでも光るよ」

お洒落ってのはね、張り込んだ小物、一点か二点身に着けてりゃ充分なんだよ。あとは安もんでいいんだよ。お洒落なんて自己満足の世界だからね。






上から下まで高級品って、自分に自信のない証拠だよ。中身が田吾作なんだよ。だから、飾り立てるんだよ。馬鹿だよ。「放っといたれよ」

「何処のサングラスが欲しいねん?」 そんなもん知らん、オレが知ってるのは、此のアイスバーグとレィバンだけだよ、それと眼鏡のミキだね。

「眼鏡のミキ? それはおまえ、眼鏡売ってるお店だろ?」 ああ、そう。






映画「トップ・ガン」でトム・クルーズがレィバンかけてニコッって笑うシーンがある。サングラスは、あっちの奴のためにあるね。全てが格好いいわ。

あんなの観たら買う気が失せるね。丸型の老眼鏡にしとこか。1、5だよ。ちょっと、色つきが欲しいよ。「エロマッサージ師か?」

其れをかけてニヤッと笑うんだよ。「みんな逃げていくよ」 静かでいいよ。

















オレも人の子だから、あれも欲しいなあ、これも欲しいなあって思うんだけど思うだけで満足しちゃうのかねえ? 続かないんだねえ。

あそこへも行きたい、此処にも行きたいって思うんだけど思うだけで疲れて面倒臭くなるんだね。「なんやねん、なんで疲れんねん?」 知らん。

世の中には、愉しそうなものや、美味そうなものや、素晴らしいものが溢れてる、オレからすると、どうでもいいものばかりだよ。「なんでや?」






他所の奴等が愉しめばいいんだよ。幸せに笑っていれば、それでいいんだよ。「嘘を云ってるなあ?」 べつにぃ~底の知れたものに興味はないの。

「何処が、底知れてんだよ?」 人間は、意識で生きてんだよ。視、聴、嗅(きゅう)、味、触の五つの感覚を満足したいんだよ。それは切がないんだよ。

オレは、客観で満足してしまうんだよ。大方、想像で満足してしまうんだね。だからか知らんけど、一度いいなあと思ったものは厭きないんだね。






いつまで経っても何もかもが新鮮なんだよ。でも、取りきれるものは無いんだよ。物が人の前を通過するのか、人が物の前を過ぎ去るのか、どっちだろうね?

オレは、意外と後者なんじゃないかと思うんだね。物は、残るんだね。人は去るんだよ。

夏の夜空の花火だよ。壮観だね。煙が夜空を漂って宴は終わる。でも、来年がある。繰り返して「あと何回観れるかなあ」って云うのは人間だよ。






「そんなの見越して底が知れてんか?」 じゃないけどね。ものごとの根本だよ。自分が、確実に取り込めるのは歳だけだよ。「シラケタ奴やねえ」

















愉しいことは上滑りだね。滑って行って何処かへ消えちゃうよ。なんでかね? 逆に、嫌で苦しいことは身に沁みる。いつまでも染みになって残るんだね。

だから人は、愉しいことで嫌なことを忘れようとする。人生は愉しまなくっちゃあ~なんて、お金もかかる。

嫌で苦しいことに慣れればいいんだよ。「ヘンタイか?」 タイヘンなる心境だよ。些細なことが、やけに嬉しくなるもんだよ。安くつくよ。「ケチか?」






アホんだらっ、ケチになるほど金に縁は無いわ。人生の方程式に疑問を持つだけだよ。

些細な歓びごとに人間の本当の安らぎと癒しがあるんじゃないかと想うんだよ。

みんなが挙(こぞ)って登る高い山の裾野に忘れられた大事なものが在るんじゃないかと云う話だよ。

















まあ、田舎のドサまわりの芝居小屋で演じられる時代離れした演目だね。「イヨッ、日本一っ」 日本一だって。飛び交う祝儀(しゅうぎ)の雨霰(あられ)、5円かよ~。






















カメレオンの独り言-1190 『奥深き人々の道』

2014年07月22日 | 日記






 『清荒神』 7月22日







休み(20日)に早起きして阪急宝塚手前の清荒神(きよしこうじん)さんへお参りしてきたよ。前々から、一度行こうと思ってた。

遠い昔、親父が「お参りに行こうか」って、云ったら清荒神さんだった。家族みんなでよく行ったよ。七味唐辛子は、ここの参道で買うんだね。

でも、あの頃とは様子が変わってたね。当たり前だね、もう50年近くもご無沙汰してんだから。七味唐辛子が、何処にも無いやないの。


























参道を埋めるほど賑やかに軒を並べたお店も減って閑散としていたよ。出店なんかは境内入り口辺りにポツポツと在るだけで、七味唐辛子とともに消えたね。

清荒神さんは神社とばかり思ってた。お寺でもあるんだね。真言(しんごん)さんか。清荒神清澄寺は、創建1100年真言宗の総本山なんだね。

親父が「きよす荒神さん」って云ってた謎が解けたよ、清澄寺(きよすてら)を頭に載せて清澄荒神なんて云ってたんだね、創作だね。

















昔、家の台所に祀られた神棚があった。三宝荒神さんだったよ。台所と火の神さんなんだね。

本堂に大日如来、弘法大師、あともうひとかた誰だったかな? 「覚えとけよ」 すまん、あっ、不動明王だったよ。御祭りしてあったよ。

オレにしたら、珍しく、順に倣ってお堂を巡り全部手を合わせてきたよ。親父が喜んでるような気がしたよ。





家は先祖代々浄土宗なんだけど、なんで、親父は、他宗の真言の清荒神さんによく行ったんだろうかね? 拘らないんだね、オレと一緒やね。

















行きも帰りも阪急電車、思うんだけど阪急宝塚線って、ええとこの奴等が沿線地域を固めておるね。乗客の雰囲気がほかと違うね。

「おまえは浮いたか?」 オレは、何処でも浮くよ。「どんな奴やねん?」 こんな奴だよ。

これでも、昔は、阪急沿線に住んでたよ。「何線や?」 京都線だよ。「3番手やね」 何処をもって3番手なんだよ? 「おまえが居たから」 





まあ、残念ながら、育ちってのは、正直、醸し出されるもんだからね。即席では続かない。

息苦しい世界なんだろうね。「貶してんかえ?」 褒めてるんだよ。「息苦しいってどういうことや?」 自分に克つが日々の生活だと思うよ。

人間の品というのはね、己れに厳しくあって身につくもんだよ。此処と云うところは、自分を殺してでも頑として守るってやつさ。





自分を制する力と覚悟だろうかね。下々の者には解らない世界なんだよ。「時代劇かよ?」 そうだね、日本の歴史が生きているんだろうね。

















大阪梅田の人間どもは、なんなの、群れ狂っておるね。何処から湧いて来よるのかね? 「おまえも、そのうちの一人や」 そうだね。

暑いのに、人ごみに押されるようにカッパ横丁、此処においしいラーメン屋さんがあったはず。コタンだったかね? 「行って来たとこやろ?」 忘れた。

チャーハンとギョーザと味噌ラーメンのセット、汗かきまくった、その上に熱いラーメンを喰う。此れが美味かったあ~。生き返ったよ。





少し自分のことは捨てて、物言わぬ亡き父母のために労して汗をかく。下々の者は、これしきで疲れて帰って来たよ。「恥ずかしいのう」 






















カメレオンの独り言-1189 『心の潤滑で人は軽やかに走る』

2014年07月21日 | 日記







 ちょっと早めに書けたので、7月21日(月)の分です。







「★★ちゃん、★★ちゃん」って足元の前にも後ろにもまとわりついて、小さな子たちがわじゃわじゃと離れない。

大きな身体を動かせないよ。猫じゃらしでくすぐるから「だははは」なんて芸して相手になるから止らない。「おまえが悪いねんやないか」 そうか?

こんなのが、小中高とでかくなって大学行く頃には、オレを追い越して賢くなってる。






そんな奴等が、「★★ちゃん、相変わらずやね」なんて顔して笑って行くよ。10年ひと昔、10年なんて「あっ」と云う間だね。

成長が止って何十年、変わらないのはオレばかりなりだね。「★★ちゃんのいいとこは、いつまでも変わらないとこや」って、大学に通う奴らが云うよ。

変わりたいんだけど変われないの。困った自分を持て余してるオレの心の声が聞こえるか? 猫じゃらしで摩られると、ホンマにこそばゆいね。






身震いして「おお~ほっほほほ~」 キャッキャッっと声挙げて嬉々としておるよ。此の子達の僅かな喜びの瞬間を共有して裏切らない。それだけだね。

















ああしてみたい、こうしてみたい、ああなりたい、こうなりたいなんて望みがあるね。

叶えられるに越したことはないけれど、其の階段は上に通じている。つまり、切がないのが望みだね。上を求めて飽きることがない。

欲望は走る機関車、石炭焚いて蒸気を噴かせて突っ走る。轟音響かせてホームを煙で巻いて走り抜けるよ。






煤(すす)臭い空気に包まれて、ごくろうさんと田舎の駅で見送るオレだね。「なんやねん、見送ってんかよ」 こんな人が上の世界に犇(ひしめ)いてる。

さぞかし勢いのある人たちなんだろうね。得るものは多い、人生を展望台から見渡して視野も広くなる。

でも、石炭焚いて蒸気を噴かせて突っ走る間に気づかず失くすものも多いことだろうね。上に居ても、下に居ても、変わらないのは人間ということだよ。






まあ、ぼちぼちと階段上がろうかい。「日が暮れるぞ」 オレの場合、寿命が切れるよ。「もう、じっとしとけ」 上がる努力をせねばならんのも人間だよ。

















我欲に素直な人は機関車になれる要素がある。人生の展望台に立っても我欲に固まったままの人が居る。攻め落として守りに入ったままの人も居る。

上から下はよく見える。下から上もよく見える。上に立つ人格が問われるんだね。天狗の鼻みたいな軽薄な奴は、なお目立つ。場違いなんだね。

生活の向上は人格の向上と並立せねばならん。上がるということは、そういうことなんだろうと思うよ。






人はこぞって、いい生活は真似たがるし羨むし嫉妬する。でも善い人を真似たがる人って少ないね。哀しいことだね。ただただ浅ましい奴等だねえ。

「おまえって、人のことをどうたら、こうたら云ってるけど、おまえはどうなんだ?」 オレか、オレのことは、人さんが云ってるよ。「誰や?」 知らんよ。

上ぼり詰めた展望台のラウンジで、静かに呑む酒は極上の味わいだろうね。綺麗な女性と下界を見下ろして勝者の酔いに浸るんだろかね? 






不思議だね、綺麗な女性が付きもんだね。豪邸に別荘に高級車、ボートにヘリコプター、食卓は、常に贅沢なお料理が並んで、お決まりのコースだね。

人間の贅沢も、底が知れてるね。「凄いじゃないか」 有って当たり前になったら感動も無くなっていくんだよ。サンマが食いたいってなるの。

オレは、こんな人たちの生活を見て、素直に、一番、いいねえって思うのは、ゆとりだね。これは、大きな価値だと思うよ。






少々のことでは、アタフタしなくて済むよ。だから、オレは、宝くじが当って欲しいんだよ。「誰でもじゃ」 だろうね。

















人の心を癒して、明日に立ち向かう勇気の欠片でも気付かせてくれる、そんな人の存在に恵まれることが、人間の本当の幸せかも知れないね。

物ではないんだね、其の人の存在なんだね。物に満てても心が空虚なんて人は、今の時代、多いんじゃないかね。

心が満ててこそ、明日を建設的に生きようって勢いが出るんだよ。難しいことじゃない、認めてあげることだよ。其れが勇気に繋がるんだよ。






車も高級、ガソリンも使い放題、でもオイルが切れてる人が多いみたいだよ。心は、常に潤滑の働きをせねばならんのだよ。























カメレオンの独り言-1188 『影を跨いで嵌まらずがベスト』

2014年07月19日 | 日記







 7月19日







振り返って自分の駄文を読んでると、偏ってるねって思うね。おっさんだから仕方がないか。

広く生きても、狭く生きても、いずれは渦に巻かれて漏斗(じょうご)の口に吸い寄せられて、彼の世へ吐き出されるように往かねばならん。

どちらの世界で生きたからって終わりのないものはない。願わくば、自分なりに、精一杯、人生を生き切りたいね。「どう、生き切る?」 後悔せぬことだよ。





「後悔先に立たずっていうよ」 立たぬ後悔は、舐めねばならん宿命(さだめ)だよ。自分の人生の脈絡の一部さ。どう処すかを試されてる。

そんなこと云ってるけど、突飛ようしもない出来事に遭遇したら、アタフタして我を忘れて見っともないもいいところだろうけどね。

そんなのも含めてだね、乗り越えて糧にするか、懺悔に泣くか、いずれにしても、自分の人生に負けぬことが生き切ることだよ。





「しんどいだろ?」 生きるってことは、しんどいのさ。苦しみは、遅いか早いか、大きいか小さいか、多いか少ないか、差は有っても、必ず、やって来る。

だから、楽しめるときは、おもくそ愉しめばいいんだよ。愉しむためには金が要る、だから、人は働くんだよ。

昔と違って、今の人は愉しむことに事欠かない。善いことと悪いことは背中合わせ、誘惑が多すぎて苦しみが増すが如しだね。





「なんで苦しみが増すんだよ?」 手に余る歓びごとに塗(まみ)れる人生が続くと思うか? 「思うよ」 結構だね、じゃあ、思ってろ。

















人は、掃いて捨てるほど居る、我が身に起きぬとも身内に起きれば歯車が狂う。スイスイ回転する奴が多すぎるから目立たないだけだよ。

目立たない中で苦しまねばならんのが、今の世の中だよ。それが、順繰り巡るんだよ。

皆が注視してる芸能界だって、知らぬ間に消えたりする人が居るだろ? 傍(はた)が賑やかだから目立たないけれど落ち目で泣いてる奴はごまんと居る。





光が当れば影も濃くなる。光陰落差が大きく生じて返しを受ければ奈落は深い。

世間も似たり寄ったりだよ。亡くなったとか、病気だとか、事故とか、職を失うとかアクシデントは頻繁だよ。狂った歯車を戻せれば結構だけどね。

今を見て秤にかけて羨むほど浅薄はない。誰もが、何かしら影を引きずり生きてる。手堅く生きるとは、この返しを極力微小に抑えて慎重なることだよ。





「おまえは?」 大した光も当った覚えもないわりに影は濃かったね。返しを喰らって谷底へ真っ逆さまだよ。ようよう落ち着いて、また、穴へ嵌まったよ。

「そんなのは、どういうんだよ?」 単に運が悪いんだろ。こういう奴も居るんだよ、世の中には。

そんな奴はだね、くだらん人生のクジを引いたと思ってだね、くじけず、めげず戦い続けて生き切るんだよ。「お気の毒さま」 ありがと。





人はね、知らず知らずに種を撒いて生きているんだろうね。どんな芽がふくんだろうかね? いずれにしても、撒いた種は、刈らねばならん。



















 『シルヴィー・バルタン』








1964年(昭和39年)「La plus belle pour aller danser」 邦題『アイドルを探せ』 が世界中で大ヒットしたね。フランスの娘さんだね。

大阪千日前のスバル座で、映画になった 『アイドルを探せ』 が公開されてた。

「La plus belle pour aller danser」の歌が映画館の前に流れるんだね。公開中、学校帰りに立ち寄って写真や看板を見てたよ。





今でも、時折、この人の歌は聴いてる。現役ながら、昔懐かしい人だね。2度の交通事故にも負けなかった、強運の女性だね。







シルヴィ・バルタン(SYLVIE VARTAN) - アイドルを探せ(LA PLUS BELLE POUR ALLER DANSER)








当時は、レコードだったから大枚払ってLPを買ったよ。今の嵩の低いCDじゃなしに大盤だから買ったって気になるんだね。

千日前筋を道頓堀筋に向ってスバル座をこえて、この両筋が交差する手前右側(東)にレコード屋さんがあった。たしか、そこで買ったんだね。

ステレオで何度も何度も聴いたよ。一曲が当れば、もう、普通の娘(こ)じゃなくなる。不思議な作用だね。





すぐに廃れると思ってたけど息の長い歌手に育った。ザ・ビートルズの時代だったね。なんだらかんだら長髪のグループが竹の子みたいに生えてたね。















買ったLPのジャケットはこんなの(上の写真)だったね。机の前の棚に立て掛けて飾っていたよ。オレなりに夢中だったんだね。

当時の千日前筋の写真は無いね。下の写真は、今の道頓堀筋から千日前筋を撮ったものだろうね。南東側の角(現、赤鬼)には、天津甘栗屋さんがあった。

暮れになったら、必ず、買ってたよ。その並びの奥の方に小さなレコード屋さんが在ったんだね。今も在る「喫茶アメリカン」の向え辺りだったかなあ?













此の辺りの風情も、昔は良かった。そんな台詞を吐く歳になってる自分なんだね。信じられんわ。

中身は、シルヴィ・バルタンに夢中だった頃のオレのままなんだけどね。「成長がないのか?」 う~ん、あんまり変わらんねえ。「そらあ、大変やで」

いや、実際、あんまり変わらんで。「だから、影ん中の谷底へ嵌まるんだよ」 う~ん、云われてみれば、そうかも知れん。





オレは、飯食うより夢食うほうが、はるかに好きだからね。昭和の夢追い人、夢は時代の後先構わず自由に闊歩するんだよ。























カメレオンの独り言-1187 『太陽は燃えている/Love Me With All Of Your Heart 』 

2014年07月17日 | 日記







 7月17日








心おきなく幸福(しあわせ)ってのは、花一輪の幹に似て、なんと、か細いものなんだろうかね。

ほんの差し障りが生じても、こともなげに変色して萎え落ちる。身に支障生じて尾を引けば、裏返って不幸と名が変わる。

心おきない幸福を維持することの、なんと厳しきことかと思いを致すんだね。「そうかあ~?」 腫瘍です。「・・・・・そうやねえ」






此の土曜日の深夜に用事の出先から電車がないのでタクシー飛ばして疲れ果てて帰って来た。もう、3時回ってたね。

凄く疲れて、バタンキューで爆睡したよ。休みだったので、目覚めたら昼の2時過ぎだった。

起き上がったら家の天井がグルーン、グルーンって回るんだね。倒れてしまったよ。めまいだね。糞っ、オレも歳食ったね。






手足の薬指の爪の生際を強く押しては離しを繰り返せば治るらしく、暫く、揉んでいるとめまいは止った。

こんなのが、もし、止らずに続いたら気ぃ狂うだろうね。日頃、正常が当たり前って思って生きてるけど約束はないね。疲れてめまいだなんて記憶にないよ。

翌日、日曜の朝、蝉が鳴いてるね。「何処に鳴いてるの?」 ベランダの奥さんが眉間に皺寄せて 「それは耳鳴りやがな」 本格的に疲れてるね。






頭頂部と両耳の下辺りにツボがあるらしい、木製のツボ押し器でおもくそ押えてる。「なんでも加減があるでっ」 たしかに痛過ぎるね、でも、治ったよ。

















何処か夏の緑でも見に行こうかな、夏の海もいいだろうね。でも、暑いだろうね、緑も海も逃げないね、慌てることはないね。「どっか行けよ」

おまえ、行って来い。「あかんわ、こいつ」 さて、パソコンやるか。「それしかないんかえ?」 幾らでもあるけど、今は、パソコンだよ。

「しかし、おまえの歳で16、7時間ぶっ通しで画面睨んでて平気なおっさんも珍しいのとちゃうか?」 相性がいいんじゃないの? なにごとも相性だよ。






家を出たら緑に包まれて森林浴なんていいだろうね。時が来たら無理しなくても環境が変わって向こうから来るよ。「ズボラなおっさんやで」

しかし、そんな処へ行ったら、オレの場合、都会へなんて出ることはないだろうね。田舎の土だね。

窓を開け放って、いつも音楽を聴くよ。昔の洋楽を聴きながらコーヒーを呑みつつ、心痛めることもなく自分勝手な楽しいだけの妄想に酔うよ。








Engelbert Humperdinck - Love Me With All Of Your Heart








太陽は燃えている/"Love Me With All Your Heart"




Love me with all of your heart
その心の全てで 僕を愛して

That's all I want, love
それが僕の望み          

Love me with all of your heart
その心の全てで愛するか   

Or not at all
見捨てるかどちらかにして




Just promise me this               
これだけは約束して              「間奏」から繰り返し

That all you'll give me All your kisses
君のキス全部を僕に与えてくれると

Every winter Every summer Every fall
冬の日も 夏の日も 秋の日も




When we are far apart
二人が遠く離れていても 

Or when you're near me
傍らにいても

Love me with all of your heart
その心の全てで 僕を愛して  

As I love you
僕が君を愛するように




Don't give me your love
ほんの一瞬かわずかの時間で

For a moment As you loved me
終わる愛なんて欲しくはない

Love me always
ずっと愛し続けて欲しいんだ

As you loved me From the start
はじめて巡り合えた時から

With every beat of your heart
君の胸の鼓動がときめくたびに愛してくれたように  

















エンゲルベルト・フンパーディンクの『太陽は燃えている』 トム・ジョーンズとともに1960年代から70年代にかけて、

女性を中心に人気のあったイギリスの歌手だね。いい声してるねえ、顔は暑苦しいけど。「関係ないやろ」

あの頃の、洋楽を聴いていると人生の全てが甦ってくるね。思い起しても、然程、大した思い出もないけれど懐かしいねえ。






「真っ赤に燃~えたあ(る?)~太陽でぁ~からあ~・・・」なんて日本の歌謡曲があったように思う。 ホンマにドサまわりの芝居小屋って感じだね。

こんなの聴いてもなんにも浮かんで来ないよ、すっこんでろって蹴りたくなるよ。「おまえは、そうだろうけど、いいなあって思う人も居るよ」 あ、そう。

















道か、選んだ道じゃなかったね。歩かねばならんから歩いて来た。そんな道だね。今更、自分の道を探そうなんて思う歳でもない。

この道の行き着くところが解ろうはずもないけれど、途絶えそうで途絶えない道って感じはしてるね。この道よりオレのほうが、先に途絶えるよ。

オレを、何処まで導くのかね? 文句を云わずに歩いて来て文句も云わずにくたばるのかね? どうにでもしやがれ。






















カメレオンの独り言-1186 『流されて、流されて、また、流されて』

2014年07月15日 | 日記








 『完全防水 ウイングチップ サイドゴア レインブーツ』 7月15日








長靴(レインシューズ)も、もっとお洒落なものにしろよなんて思ってた頃があった。

バカボコの刳(く)り貫きみたいな長靴なんか履いて誰が通勤するの? 一見、普通の革靴もどきぐらい作れるだろうにってね。

革靴は雨に弱い、だから、いい革靴濡らすのが嫌で、雨の日は、みんなが休む。「うそつけ」 






何気に、アマゾンの中をウロウロしてたら雨靴のコーナーに出くわした。へええ~って時代の変わりように驚いた。「オーバーだね」

普通の革靴もどきみたいな雨靴が並んでるね。やっと目覚めたか。これなら一見革靴のようだよ。男性用の雨靴もスタイルを考えるようになって来たんだね。

オレの好きなウイングチップの模様が入った雨靴もあるやないの。う~ん、いよいよ雨靴界も先進国なみになってきたようだね。








 『紳士靴風レイン・シューズ』








価格は、¥3700~¥5000程だね。「買うつもりか?」 どうだかね? 

歩いたらガボ、ゴボ、ボコなんて音が鳴るだろうね。「コツ、コツとはいかんだろ」 履いてる人に気がついたら後ろについて歩いてみよ。

しかし、一旦、目覚めるとアイデアってのは数珠繋ぎだね。リーガルもどきのレイン・シューズか、やるね。






「そんなの随分前から有ったんじゃないの?」 かもね、でも、オレは、今日知った。なんでも早く知ったからって其れがどうした? 「べつにぃ~」

物を買うときは、1年ほど(知らずに遅れて)待って買うのが賢いよ。流行(はやり)で飛びついてロクなの当らない。

良いものなら持続もすれば、より改善もされて、なお、理想的なものになっていく。其の頃に買えばいい。早買いの奴等はモルモットだよ。






まあ、そんなことはどうでもいい。買える人は買えばいい。屁理屈云ったり迷ったりするほどの値段じゃないね。でも、オレは痛い。「貧乏人があ」

でも、もう、此の手の靴も必要じゃなくなるかもね。「なんでや?」 田舎に住むんだから刳り貫きのドタ雨靴で充分だよ。

最近、思いがけない出来事で、そろそろ、今の仕事にピリオド打って引っ越そうかなんて話が持ち上がってる。






都会暮らしの貧乏人から田舎暮らしの貧乏人に変化するんだよ。「変わらんやんけ」 そうだね。まあ、どっちでもいいけどね。

もともと田舎暮らしには憧れがあるから心機一転という気になってる。「なにすんねん?」 細々と年金暮らしかね。「おまえがか? まだ、早いんじゃないか」

おまえも、そう思うか? 「不似合いだと思うよ」 意外と似合ってるかも知れんぞ。田舎で、また、なんでもかんでも笑い飛ばそうか。






パソコンは都会にも繋がってるからね。「其れを云うなら逆だろ?」 オレ主役。しかし、人生ってえ~不思議なものですねえ~。「歌かよ?」

















まあ、ことは成り行き次第だね。見てろお~、此のオレの底力、死ぬまで終わりはないっ。「もう、おとなしく釣りでもしとけ」

なに云ってるっ、そんなのは、他人(ひと)さんに任せておくよ。オレは、常に突撃あるのみよ。「しんどいやろ?」 しんどいよ。

奥さんは、田舎暮らしは好きじゃないんだね。だから「あんただけ行き」って云ってるよ。私は、郊外ぐらいで住むわだって。これ幸いだけどね。






奥さんの、おかしいのはね、金も無いのに、どういう計画で云ってんのかさっぱり解らんよ。「お金なんか、どうにでもなるっ」 なるかあ~?

オレのジンクスからすると、何故か、家には困らないんだね。用意されてるみたいな按配だよ。それも、わりと綺麗な家なんだよ。

「運なんてのは、いつかは切れるもんやで」 脅すなよ~ヘボヘボなってから切れるなよ。もう、一回、繋いでおけよ。






オレは、パソコンが出来ればいい。ほかは要らん。息子も同じこと云ってるね。こいつのためにも、一度、自然の中に置いてやりたい気がある。

長く止水に身を置きすぎた。流れる水に身を託し往かねばならん処へ運ばれようか。「そんな歳とちゃうやろ?」 誰が決めた? 「世間かね?」

そんなのは、他人(ひと)さんに任せておけばいい。オレは、昔から教科書とは縁遠い。自分自身が指針だよ。針の指す方向へ往くまでよ。

















身は何処に在ろうとも想いは変わらない。そんな自分のままに駄文を書き続けたいね。このまま進めば、オレの駄文に肥溜めの臭いが漂うかも知れないよ。























カメレオンの独り言-1185 『頬にかかる涙/Una lacrima sul viso』

2014年07月13日 | 日記







      『頬にかかる涙』ボビー・ソロ 7月13日








南海上で荒れ狂った台風を、上の世界から見下ろせば地球を隠して巨大なる雲海が塒(とぐろ)を巻いてるね。

そんな写真も、もう、珍しくもない。正体見破られた台風も、なんか、せいのないことだろうね。不明だから怖ろしさが増す。

行き先勝手に予想もされて、その通りに進むなんてせいのないことだろうね。「昔は、良かった」と台風の声が聞こえて来そう。






偏西風の吹き方や、太平洋高気圧の強弱や、前線への影響や、なんやらかんやらと手の打ちも見透かされて、せいのないことだろうね。

勢いの強弱までを測られて気分が悪い。ヘクトパスカルなんて気圧を測って見透かしよる。985ヘクトパスカルだって、すぐに温帯低気圧だね。「糞っ」

あとは、台風の意地だけだね。台風何号の上に暴れた地域の名を残して冠(かんむり)付けたるっ。北太平洋に抜けて温帯になりました。「糞っ、糞っ、糞っ」






正規軍ってのは、強力だけども行動を読まれやすいのが難と云えば難だね。其処へ行くと、神出鬼没のゲリラは、規模は小さくとも影響力は大きいね。

最近は、低気圧がもたらす脅威のほうが読みが利きにくくて不気味だよ。

台風だ、地震だ、竜巻だと無くてもいいものが周期的に襲って来る。人生もそうだね、予想もしなかったことに遭遇して振り回されることも起きる。






退屈な変わり映えのない生活ほど幸せはない。無くして解るしあわせだね。逃れようのない試練なんだろうかね?

彼女が来た。8年間変わらぬ仕草が続いてる。そんな彼女に「笑っても引きつる顔が哀しいね」って元気の無い笑顔で云ってる。「面白くなければ笑わなければいい」

なるほど、そう云われればそうだね、なんで、オレは笑ってんだろう? たしかに、今日は、笑える気分じゃないのにね。






そう云ってるおまえもオレと同じだね。オレ以外の奴には、別人みたいに愛想と愛嬌の塊なのにね。「帰るわ」 ふいっと目もくれずに帰って行ったよ。



















これといって話をするでもない。ほんの僅かな時間だね。長い時間を共に出来た頃は他の男のことで忙しい。笑ってしまうよ。「顔、引きつってるぞ」 ホント?

オレは、不快は、我が身の鍛錬って解釈してる。「なんで、おまえが不快になる?」 オレの勝手な思いが、そうさせるんだろうね。

心を強くしてくれるよ。己に克つってのは、其れがあって出来る。「目頭濡れてるぞ」 煩いわ、アホンダラッ、寝不足じゃ。






思い起しても、今も変わらず、彼女の場合は、其れが多すぎるよ。目頭濡れるどころか乾き目だよ。「目薬さすか?」 頬にかかる涙か? 「歌の文句だね」










Bobby Solo - Una Lacrima Sul Viso










1964年サンレモ音楽祭入賞曲 『頬にかかる涙』 ボビー・ソロだね。当時、ステレオでよく聴いた。








Da una lacrima sul viso ho capito molte cose
頬の涙からたくさんのことがわかった

dopo tanti tanti mesi ora so cosa sono per te
何ヶ月も何ヶ月も経って 今わかった君にとってボクが何なのか

Uno sguardo e un sorriso m'han svelato il tuo segreto
見つめる目と微笑で 君の秘密がわかった



che sei stata innamorata di me ed ancora lo sei
君はボクを愛してくれていたんだね そして今もまだ

Non ho mai capito non sapevo che che tu che tu tu mi amavi ma
わからなかった 知らなかった 君が 君が ボクを愛していただなんて でも

come me non trovavi mai il coraggio di dirlo ma poi
ボクみたいに 君も見つからなかったんだね そう言う勇気が でも



Quella lacrima sul viso e' un miracolo d'amore
あの頬の涙は 愛の奇蹟

che si avvera in questo istante per me
この瞬間に起きた奇蹟

che non amo che te
ボクは君だけを愛しているという奇蹟













間奏(バックコーラス)



Non ho mai capito non sapevo che  che tu che tu tu mi amavi ma
わからなかった 知らなかった 君が 君が ボクを愛していただなんて でも

come me non trovavi mai  il coraggio di dirlo ma poi
ボクみたいに 君も見つからなかったんだね そう言う勇気が でも

Quella lacrima sul viso e' un miracolo d'amore
あの頬の涙は 愛の奇蹟

che si avvera in questo istante per me
この瞬間に起きた奇蹟

che non amo che te
ボクは君だけを愛しているという奇蹟







此の歌は映画にもなったね。たしか、千日前の端っこの通りに在ったオリオン座で観たよ。ラスト、岸壁を離れる船のシーンで別れのふたり。

「君のことを好きだって言える勇気が、そんな少しの勇気が僕にも君にもあったなら、もっと早く気付くことができたのに」って歌詞の歌が被さって、

彼を乗せた船はゆっくりと岸壁を離れて行くんだね。その船を見送りながら少女は泣き崩れる。






思いの疎通が叶わずに別れ行く人も居れば、疎通が行き届きすぎて恋心を湧き立たせることなく他人同士のままに終わる人も居る。

ほんの少しの勇気って云うけれど、勇気を阻むものが桁外れにデカイんだよ。おまえから云うたれよ。「この男は受身タイプなんだよ」 オレと一緒だね。

傷つく心が可哀想。 「オカマか?」 ここだけオカマ。成らぬ恋は永遠(とわ)に美しい。






そんな思い出沢山抱えた人と一緒になったら、常に秤にかけられて哀しい思いよ、こんにちはだよ。「なるほどね、厭きられた頃から秤が目につくだろうね」

















ユーチューブって、もう、聴くこともないだろって思ってるような曲と巡り会えるね。当時は、歌詞の内容も知らずに聴いてた歌が多かった。

映画は、その不明を補ってくれるんだね。歌が流れて歌詞の意訳もスーパー(字幕)で流れる。シーンに被せて流れるのが大好きだった。

今も変わらず、そんなシーンがあると、何度も、何度も観るんだよ。不思議だね、草花が水を含んで命息吹くように元気になれるんだよ。






彼女はね、顔を会わせると、そんな思いを感じさせてくれる娘(こ)なんだよ。
























カメレオンの独り言-1184 『空間を大事にするカメレオン』

2014年07月11日 | 日記







 7月11日







今日こそは、早めに寝ようって思うときがある。洗濯されてパリッとした敷布に横になり、バスタオルで包んだ枕に顔を擦り付けるようにして目を閉じる。

夏布団は、お腹回りに被せて半分は抱え込むようにして寝るの。落ち着くんだね。心地よい誘惑だね。

なのに、パソコンの前で頑張って、早めの時間はとうに去りて追われる時間に変わってる。う~ん、いつも一緒だね。





味を占めると、明日も明日もとなるのが恐い。そんな思いが、尻を重くするんだろうかねえ。疲れて、ただ、ぼ~としてることのほうが多いのにね。

また、パソコン周りを片付けないといかんね。なんで、こんなに要らないものが増えるんだろう?

用を済ませたものは棄てるべきだね。また、いつかって思うから次々と増えて行き、結局、ゴミでしかなくなって場所を食い荒らすだけ。





用を済ませたら、もう、そのものの価値はないと断じよう。そう、言い聞かせているのに、いつも一緒だね。



















必要最小限度の家具、電化製品、衣類は春夏秋冬それぞれに三揃え程度、シャツやアンダー、靴下は2ダース程度揃えてストックして、

フローリングの部屋に大きな机と贅沢な椅子、装飾は、でかいの張り込んで陶器の猫でも犬でも虎でもひとつ飾ってあればいい。

ダニなど虫の巣食いやすいベッドは嫌い。マットを敷いて、其の上に布団を敷いて、起きたら、日差しに干して押入れに仕舞って片付ける。



















50インチの液晶の前にソファーを添えて小さなテーブルにコーヒーかお茶があれば、他に、なにも要らん。

必要最小限でも、なんだらかんだら有るのが現実だから、一部屋殺してロフトにして整理収納、待ち出しても、必ず、戻すのが鉄則だね。

家具やら置物などの隙間の空間に暮らすなんてダニやらゴキブリと同じではないか。物と人一対一でこざっぱりした部屋がいい。夢だね。






掃除するとき邪魔になるものがないから腹も立てずに済む。掃除機の届かない隙間が無いから埃も溜まらない。拭き掃除も一直線でこなせるから喜ばしいよ。

引越しなんかも2トンの荷台で事足りる。デカイお部屋も要らないよ。ああ、実に素晴らしい生活スタイルではないかいな。

余計な家具は家具屋に、電化製品は電気屋に、飾り物やらの雑貨は雑貨店に預けていると思って、どうにも欲しくなったらお店に行って堪能すればいい。



















云っておくけど、金は無いけどオレはザルだからケチの発想ではないよ。ケチは人間が小さくなるから好きじゃない。無駄を省くだけだよ。

風通しのいい生活空間を大事にしたいだけだね。飾り棚に埃が雪のように白く積もっても、飾り物をいちいちどけるのが面倒だからなんてお笑いだよ。

物を増やせば、それに応じて掃除も手間隙かかれば生活空間も狭くなるしダニも増える。そんな馬鹿げたことを排除する発想だよ。






地震だ、火事だという時に、どれだけの物を守れる? どうせゴミだと潔く腹を括るのはいいけれど、ゴミと一緒に暮らしてたことになるではないか。

オレだったら、そんな時、愛着のある僅かな家具と理想の空間を失ったことを悔やみたいよ。所有欲ってのは、ゴミ収集と似てるよ。

馴染むまでが花だね、馴染んだら、ただの物になり厭きたらゴミだね。異性を追ったり追われたりの輩と同じ宿命(さだめ)だね。






そこへいくと、やっぱり、田舎の家はいいねえ。物に圧迫されることなく生活が成り立ってるよ。実に家だね。虫やら爬虫類が居なけりゃ満点だね。

「おまえ、爬虫類を恐がるのに、なんでカメレオンなんだよ?」 そうだね、おかしいね。

まあ、なんとはなしに、ふっと湧いて名づけたからね、理由は無いよ、閃きだよ。カメレオンが足元へ来たら、ヒエ~って逃げるよ。






まあ、強いて云えば保護色だろうね。危なくなったら周りの物と同化して誤魔化す。どんな色にでも変わるってことかね。「カメレオンみたいな奴やね」























カメレオンの独り言-1183 『明日の答えは鏡の中にある』

2014年07月09日 | 日記







 7月9日








7月初旬になって大阪もようよう入梅(つゆいり)したようだね。空がふって雲が泣くんだね。「なんやねん?」 

空が雲(異性)をふってだね、そいで雲が泣くんだよ。其処へ、風(別の異性)が現れて雲は流れて気を持ち直すんだね。

でも、風は気紛れだから雲は、また、ふられて泣くんだよ。太陽(別の異性)が現れて湿った雲を乾かせてフワフワ気分にさせてね、笑うんだよ。





男と女なんてのは、その程度のもんさ。結局のところ、誰でもいいんだよ。似たり寄ったりの烏合の衆だよ。「白けてるね」 そうかなあ?

















前回書いた「遙かなる西部の花たちよ」を見直して、やっぱりねって思ってる。自分で書いて噴きだしたのは、必ず、言葉がダブってる。

鼻水出して笑ってんの。自分の世界では、ホンマにおもろいの。笑いながら書いてるから慎重さに欠ける。「人はどうだか解らんだろ?」 そんなん知らん。

考えたら映画も小説もそうだよ、片やアホらしい、何がおもろいねんって思う人も居れば、片やケッサクだと笑う人も居るよ。





その片やケッサクだと笑ってくださる方々が居ることを信じて噴き出しつつ書き続けるんだよ。浮世は、それでもってんだよ。

100も無ければ0もないんだよ。ただ、拡げて繋げたら、こいつ、おもろいわって思ってくださる方々を裏切ってはいかんのだよ。

なにごとも、そうだね、裏切ってはいけない。見えない疎通のパイプをひたすら延ばす、これに尽きるよ。





「だったら、高める努力もしろよ」 努力はしてるよ、遅々として進まないんだよ。侘しい脳味噌の為せる業(わざ)だねえ。

息子の書いた文を読んだことがある。無駄のない表現や語彙の豊富さに驚いたよ。そして、オレを奈落に突き落としたよ。真っ暗。

仕方がないんだね、オレが、一発発射したら千発返って来る、辺りは蜂の巣でボロボロだよ。





最新式の銃を相手に火縄銃では歯がたたない。でも、一発必中の機会はあるんだね。それを狙ってんだけども、生憎、目が悪い。「なんやねん」

耳も悪いんだよ。「知るか」 頭は悪い、目も悪い、耳悪いって三重苦じゃないか、はははは、ヘレン・ケラーだよ。「喜んでんか?」
















最近、苦の先取りをしなくなったね。変われば変わるもんだよ。気が小さいから先読みするのが常だったよ。備えるんだね。備えがないと不安なんだね。

おかげで、ものごとを多方面から観察する術を心得たよ。駄目なところも引っくり返せば、いいものを産んでる場合もあるね。

つまり、不利で負けが見えていても最後まで諦めないって粘りを持つことで状況の変化に恵まれることもある。実際にあるよ。





襲い来る苦痛は喜びの前兆だよ。「ホンマか?」 苦痛に立ち向かってこそだよ。逃げれば、またぞろ襲って来る。今、流行の倍返しだよ。

清算を果たすんだよ。喜びのあとの満足より苦痛を乗り越えて解決したあとの充足と解放感なんてのは、安っぽい満足感なんかとは比べようもない。

マイナスがプラスを生むことを知るよ。支える自信が身につくんだね。そんなの繰り返して頑張れば、なんでも来いって自分になってるよ。





「おまえもそうか?」 う~ん、オレの場合はだね、ちょっと違うね、オレの場合だね、なんか、シークレット・サービスが先回りして片付けてくれるの。

「シークレット・サービス? おまえは、何処の大統領や?」 ごめん、シークレット・サービスみたいな人だね。そう、感じさせる人だよ。

なんか、自発的に動いて負担を軽減してくれるんだね。「結構な話だね」 そう、オレは運が悪そうで良いんだよ。





長い人生で、そんなのを感じることが多かったね。だから、人は生かされてるって思ったりするんだよ。
















幸せになりたかったら、人の幸せを喜び応援してあげることなんじゃないかね。思いは返るって云うよ。

人を落としこんで幸せ築いても長くは続かないよ。恨んだり憎んだり、人の不幸せを願ったりして善いこと返って来る訳ないよ。

なんでえ~?って不納得な展開に立てば、まず、自分の全てを鏡に照らせば、其処に、必ず、答えがあるよ。





明日は、自分が創っているんだよ。





















カメレオンの独り言-1182 『遙かなる西部の花たちよ』

2014年07月07日 | 日記







 7月7日







ささの葉さらさら

のきばにゆれる

お星さまきらきら

きんぎん砂子(すなご)



五しきのたんざく

わたしがかいた

お星さまきらきら

空からみてる



オレの願いは、ひとつだね。






2014年も後半に入ったね。前半に、とりわけ、何をしたってこともなく、同じような日々を積み重ねて峠を越えたって感じかね。

「七夕」の笹を持って帰って来る親子の姿をよく見かけるよ。夢や希望を短冊にしたためて笹に括って願いを込める。

古い日本の禊ぎ(みそぎ)行事を「棚機(たなばた)」と云ったらしいね。






乙女が着物を織って棚に供え、神を迎えて秋の豊作を祈ったり人々の穢れを祓うというもので、選ばれた乙女は「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれた。

清い水辺にある機屋(はたや)にこもって神のために心をこめて着物を織る。そのときに使われたのが「棚機」(たなばた)という織り機なんだね。

やがて仏教が伝わると、この行事はお盆を迎える準備として7月7日の夜に行われるようになったらしい。「七夕」を「たなばた」と当て字読みする所以だね。






朝顔を別名「牽牛花(けんぎゅうか)」って云うらしい。昔、中国で、朝顔の種が薬として非常に高価で珍しいものだった。

其れを贈られた人は牛を引いてお礼をしたことからそう呼ばれているんだって。平安時代、日本にも伝わり薬として重宝された。

その後、江戸時代になると、七夕の頃に咲いた朝顔は「ひこぼし」と「おりひめ」が、年に一度出会えた事の表れだとして縁起の良いことだと云われたんだね。






可哀想なふたりだね。
















ネットを散策していて映画紹介の中に紛れ込んでウロウロしてると、昔、騎兵隊ものの映画に目が無かった頃のがあったよ。

1964年度米映画の『遠い喇叭』 翌年公開の同映画 『栄光の野郎ども』 どちらも、似たり寄ったりの出来栄えの映画なんだけど格好良かったねえ。

『遠い喇叭』は、恋愛映画で甘いマスクで売ってたトロイ・ドナヒューが将校役で、夫を亡くした未亡人役にスザンヌ・プレシュットが共演。







 『遠い喇叭』







大阪千日前の千日デパート横手、国際劇場隣りの国際シネマで観たよ。スザンヌ・プレシュットに参ってしまったよ。

「好きなタイプか?」 う~ん、好きなタイプと云うんかねえ? なんか、綺麗だなあって思った人だね。映画雑誌で、まじまじと見直してたよ。「クッサイねえ」

で、翌年、今度は、大阪なんば高島屋1階にあった「なんばロキシー」で『栄光の野郎ども』を観たよ。







 『スザンヌ・プレシュット』







 『栄光の野郎ども』







Riz Ortolani music score from Arnold Laven's THE GLORY GUYS (1965) Main Titles.









トム・トライオンって役者が騎兵将校役してんだけど、堅そうというか、暑苦しいというか、むさ苦しいというか、いまいち主役が気に入らんかったね。

この映画では、トム・トライオンの相手役にセンタ・バーガーが共演してた。このセンタ・バーガーに参ってしまったよ。「なにい?」この女優さんは、グラマーなんだよ。

「好きなタイプか?」 う~ん、好きなタイプと云うんかねえ? なんか、綺麗だなあと思った人だね。「おまえは、誰でもええんか?」 そうでもないけど。







 『センタ・バーガーとトム・トライオン』







どちらの映画も、もう、あまり写真が残ってないみたいだね。そこらに落ちてる間に拾っておこ。「落ちてるのんとちゃうぞ」 捨ててるのか? 

まあ、そんな映画でした。「どんな映画やねん?」 凶暴なインディアンと騎兵隊の戦いだよ。悪者は、当然、インディアンだよ。「なんでやねん?」

野蛮人は野蛮人らしく見苦しい、騎兵隊は騎兵隊らしく格好いい、実にけじめだった内容の映画だね、そうでなくてはいけない。「おまえなあ~」 







 『チャールトン・ヘストン』


『ダンディ少佐だね、これを格好いいと云わずしてなんと云う? 封切り当時、なんばロキシー映画館の大看板見上げて、陶酔しておったよ』






物分りのいいインディアンなんか見たくない。場が極端に白ける、台無しだよ。トマホーク振り回して奇声挙げる残忍なインディアンだから面白いんだよ。知性は要らん。

「それはインディアンさんに失礼ではないか」 なに、インディアンさん? もう、厭きるほど西部劇を観てきたけど、そんなん初めて聞いたよ。

あれほど全盛を誇った西部劇が衰退したのは、マカロニウエスタンという害虫と、偏見というヒステリックな益虫もどきの繁殖によるものだよ。






インディアンだから、みんなが悪いって誰も思ってないよ。白人だから、みんなが善い人なんて有り得ない。

しかし、映画の物語では、悪いインディアンが幅を利かし、善い白人が迷惑して困り果て、野蛮人に云って聞かせて解るものでないからやっつける。

実に、簡単明瞭な筋運びだよ。綺麗な女性と格好いい騎兵隊将校の恋、なんと白人世界は美しい。







 『馬上の二人』より


『陸軍主催の舞踏会の夜、リチャード・ウィドマークが、シャーリー・ジョーンズに告白のキスをするんだね。いいシーンだったね』






 『リンダ・クリスタル』


『同じく「馬上の二人」 インディアンに長く拉致されて白人世界に救出された女性を演じてる。彼女は綺麗だったね。参ってしまったよ。「またかよ」』







それに引き換え、野蛮人どもの、なんたるむさくるしさの対比が映画を盛り上げる。「おまえな、それがイカンねんっ」 

寝てる顔踏まれたような面して、ふんどしで格好つけてる積もりか? 「男前もおるで」 それは、あまりに酷いから白人が色塗ってインディアン役してんの。

チャールズ・ブロンソン、バート・ランカスターなんてのが、インディアン役こなして彼らのイメージをアップさせていたけど焼け石に水だったねえ。







 『バート・ランカスター』







 『チャールズ・ブロンソン』







焚き火の周りを奇声挙げて太鼓に合わせて「エッホ、ヤッホ」踊り回る輩を、どう、格好良く映せと云うのだ? ハリウッドも困ってしまうよ。

1955年(昭和30年)4月に封切られた 『ベラクルス』 ゲリー・クーパーとバート・ランカスター共演の西部劇。

粗野なガンマンのランカスターが、軒下で楽器を鳴らせて仲間が憩う場に入って、即席で踊るんだね、此れをカッコイイと云うんだよ。







 『ベラクルスのバート・ランカスター』







「エッホ、ヤッホ」 背中丸めてふんどしユラユラ、蟹股で土蹴り、蹴り、焚き火を回る姿の何処が格好ええねん? 100年の恋も冷めるわ。

また、やっちゃったね。「おまえは白人贔屓(びいき)が甚だしい」 正直な感性の結果だよ。

1961年(昭和36年)5月劇場公開だった『馬上の二人』っていうジョン・フォード監督の西部劇は、当時、観に行けなかった。ずっとあとだったね。






映画雑誌の紹介で写真を追いかけて観たような気になってった。ジェームズ・スチュワート、リチャード・ウィドマーク、リンダ・クリスタル、シャーリー・ジョーンズ。

映画は、美しくなくてはならない。心を濡らして温めて、ほのぼの癒して希望の花を咲かせてくれなくてはいけない。

そして、そこに格好良さを添えて気分を満足させるね。インディアンは、それらを引き立てる、なくてはならない縁の下の力持ちなんだよ。






世の中には、人種など関係なく、こんな役回りの人々が沢山いるよ。そして、自分の存在と仕事に誇りを持ってるよ。オレもそうだよ。






















カメレオンの独り言