カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1094 『珍・悪魔のような男』

2014年03月31日 | 日記


 



 明日(3/31)の分です。







今日は朝から本降りの雨だね。昨晩は、時間はないわ、ネタは思いつかんわ、疲れたわで早々に仕上げて寝ちゃった。

目覚めたら10時だよ。よく寝たねえ。ザンザカ降っておるわ。

おっ、右手人差し指の爪の脇の傷みが消えてるね。バンドエイド取ったら綺麗に治ってるよ。オロナイン軟膏は、よく効くね。






「★★ちゃんの手は、年のわりに綺麗やなあ」って、よく云われるから美しく保たねばならない。「なんでや?」 褒めて貰ってんだぞ。

肉体労働でこき使った手にしては、たしかに綺麗なんだよ。そうそう褒めてもらうところなんかないからね。そうして自分を守るんだよ。

だから、どんな人にでも、なにかふっと感じたいいことは、云ってあげればいい。其の場は、兎も角、人は、あとあと嬉しいもんなんだよ。






心地よい余韻は、人を素直にさせるね。諭すときは、まず、褒めてあげろって云うだろ? 我が身で量れば解ることだよ。

















大阪の古い写真を眺めて思うんだけど、常日頃、気にも止めずに通り過ぎる道すがらってのは、今、其処にあって取るに足らぬものなんだね。

そして、有って当たり前のものでしかないから意識に留めず漠然としているんだね。でも、それらが馴染んで安心感に繋がってる。

月日、年月の経過で所々が、模様替えされていることは知っているし、其の前を何度も通って「綺麗になったね」 なんて感じてるんだけど流してるね。






そのうち、あちらも此方もコロッと変わっていることを、今更のように驚くときがある。「へええ~」なんてね。

意識に留めないってことは見ている積りが見てないんだね。人は、変化の中で生きてる。それも目まぐるしい変化だね。

通りのお店なんかは、コロコロ変わる。其のうち、道路なんかも、凸凹なくなって「あれえ?」って、馬鹿ほど綺麗になってて吃驚するときもある。






今昔写真は、そんな変化を形に残して捉えているから、其の変わりように驚くんだね。そして、記憶の片隅に残る昔が懐かしく思えてならない。

何気に通り過ぎる今、其れを重ねて昔になっていく。今更、真似て写真を残しても、然程の年数を重ねる命もない。

そんなふうに捉えてカメラを持ち出すのも馬鹿らしい。でもね、この数年でも、あちこち気を置いて見れば変わってるんだねえ。



















そういうことを知ってね、遅まきながら、この春からカメラを持ってあちら此方を撮りに歩こうと思ってんの。人生に遅すぎることはないらしい。

「広角のレンズも買ったしな」 そうだよ。ブログと同じだよ、最初は、なんでも拙い。続けることで、なんとか見れるものになってゆく。

そういうことも解ってきたよ。ずっとブログを続けていけば、いつか、変化の写真を掲載して皆さんにお見せすることも出来るかもしれんしね。







「そうだな、他所さんのを盗んできて、勝手に貼るような恥知らずしなくてもいいもんね」 痛いこと云うな。懐かしさのあまりだよ。

その方が、人を喜ばそうと掲載されておれば、「それでいいではないか」と笑っておられるよ。オレもそうだよ。「おまえのなんか盗る価値ないわ」

おまえは、人を凹ませて嬉しいか? 「嬉しいよ」 ああ、そう。いろんな人が居るんだね。あのなあ、なるべくなら、持ち上げて人を育てろよ。






オレは、鏡で自分を見るぶんには、普通だと思うんだけど、撮られた写真の自分は自分じゃないで。「どういうことや?」

顔が歪んでるんだよ。息子が「おとんは、本質が不明なんとちゃうか? つまり、実体がないのんとちゃうか?」って、オカルトみたいなこと云うんだよ。

オレが元気過ぎるのと、不思議な予知能力とテレパシーが働いてるような気配から、そういう見方をしてるみたいだよ。






つまりだね、ちょっとおかしいでと思うところがあるようだよ。「だいぶん、おかしいとは俺も思う」 ちょっとだよ。「だいぶんだよ」

息子は、ちょっとと云ってたよ。「このおっさんは、悪魔やで」って奥さんは云う。「だいぶん、おかしいではないか」

「あちら此方と年月過ぎれば、今は昔になっていくのに、おまえは、あんまり変わらんね」 其れも気になるひとつだね。「やっぱり、だいぶん、おかしいわ」



















人の気を呑みすぎたかね? オレが行き当たる答えはそれだね。なんでもかんでも呑んで片付けたからね。

オレが、跳ね返すのは奥さんぐらいだね。でも、呑み込んでるね。

だから、実体がないように感じるんだろうかね? 呑みこむことで潰れるほどヤワではないしね。で、租借するから見えぬものも見える。






「呑んで戻して租借(そしゃく)する、おまえは牛か?」 うっふふふ、ほんとだね。草原の孤高の牛だよ。「狼じゃないのか?」 今は牛だよ。

人は、苦痛から学び取るもんだからね。偏らぬように、この春からは、実体で外界に出てカメラと遊ぶよ。

写った顔が、まともになったら平均がとれた証だろうね。動画では、オレらしく撮れてんだけどねえ? キモイ男だよ。






「悪魔のような男って、聞きように依っては格好いいね」 そうだろう? でも、オレの場合は、其の上に「珍」がつくよ。「落ちるね」 だろ?























カメレオンの独り言-1093 『スランプ、雑談で逃げる』

2014年03月30日 | 日記






 明日(3/30)の分です。







昨晩も、どうでもいいようなこと引っ張り出して、なんとか書き上げた。

事実に基づく話でなくては面白くないから、だんだん、私生活の全貌が見えてくる。「おまえの私生活を知って、なにが面白い?」 知らん。

オレも、正直、他人(ひと)さんの生活の内情を知っても、なにも面白くもなければ興味も無い。なのに書いてる、バナナの叩き売りだよ。






海外旅行行って来ました、もっと行ってらっしゃい。息子が一流大学入りました、じゃあ、もう安泰ですね。 彼女が3人居るよ、4人にしなさい。

家を買いました、いいですねえ、別荘も買いなさい。3億当ったよ、コロスぞっ。「なんでやねん?」 何も無い、オレの領域だよ。「知るか」

今ね、このブログの訪問者の入りが大きな引き潮状態なんだよ。訪れる方が激減りしてるんだよ。「おまえのだけだろ?」 






残念だね、全般にだよ。「なんで解る?」 激減りしてんのに順位は上がってんだよ。「おまえの前を開く人も激減りしてる訳か?」 そうだよ。

1000アップで3000台にいってるよ。何処まで行くんだろうかねえ~? オレにすれば七不思議だよ。閲覧数は、減るどころか増えてるの。

こういう馬鹿げた駄文に人は飢えているのかねえ? 「珍しいんではないか?」 珍獣かよ。






人々が、賢くなり過ぎたんじゃないかねえ? 人は、一旦、上に位置すると落とせないんだね。そんなのばかりで面白味を失ってるんだろうかねえ?

















今日は、土曜なのに出勤、其の上、残業だよ。何がおもろくて残業なんだよ? 人生の大半を仕事で埋めて生きてるつもりかよ?

「じゃあ、働くなよ」 馬鹿かあ? 喰えんじゃないか。クエン酸なんてあったね?「なんやねん、関係ないやろが」 

クエン酸は柑橘類などに含まれる有機化合物で、ヒドロキシ酸のひとつである。漢字では「枸櫞酸」と記される。枸櫞とは中国産のレモンの一種(シトロン)を指す。






レモンをはじめ柑橘類に多く含まれていることからこの名がついた。柑橘類の酸味の原因はクエン酸の味に因るものが多い。また、梅干しにも多量に含まれている。

なんてウイキペディアに書かれてるよ。「なんや? なんでクエン酸の説明が要るねん?」 他所の賢そうな人のブログの真似だよ。「すんな、アホ」

要するに、クエン酸はすっぱいんだね、それだけでいいんだよ。なんで、簡単に済ませないのかね? ヒドロキシ酸なんて聞いたこともないよ。






自分の人生に自分が必要とする知識を蓄えれば事足りる。あとは知恵で応用すればいい。解らぬことは解る人に任せばいい。

そのために多くの人が居る。必要でも無い知識かぶれするから立ち位置に捉われて潰しの利かん奴になってしまうんだよ。

知らぬより知ってるほうがいい。ただ、知ってるより、その知識を生かせるほうがいい。






知ってることを鼻にかけて高ぶるだけってのは、風船と同じで、ただ、軽いだけじゃないの? 「そいで、ええやないかえ」 そうだね。















はあ、はあ、はあ、「なんや?」 息切れしてきた、あと、もう少しだよ。「なにがや?」 今日の分だよ。

なんか話題を振れ。「おまえが無いということは、客観氏(視)のオレにも無いわいな」 なんかあるだろ? 「なんで、そんなに意固地になる?」

意固地にならないと続くかよ。まあ、ええわなんか云うてみろ、明日も明後日も、まあ、ええわになるんだよ。「続けるって大変だね」 そうだよ。






ものごとは、まず、自分に克つことから始まるんだよ。なんかないか? 

「古い写真で繋げよ」 これってのが無いがな。「映画でどうだ?」 また、エライ目にあうがな。

「煙草が、また値が上がるね」 そうだよ。燃やすお金が増えるがな。「考えたら豪気な話しやね」 金を燃やすようなもんだからね。続かんがなあ。






もう、ギブアップやね。今日は、壁を乗り越えることは叶わなかったよ。スランプに陥った選手達の苦悩が解るような気がするよ。最悪だね。

帰って来たのが遅くなって、風呂入って夕食頂いてパソコンの前に着いたのも遅くなったから、どうしょうもないわ。

其処えもってきて、なんにも浮かばないんだからお手上げでした。






今日はごめんなさい。






















カメレオンの独り言-1092 『追い詰められて縫いあげて終わり』

2014年03月29日 | 日記






 明日(3/29)の分です。








こうして思いついたことを気楽にお話してるんだけど周期的にどん詰まりがくるんだね。このときが、ホンマにしんどいんだよ。

なんにも浮いて出て来ない。二日ぐらい前から陥ってるよ。

2時間ほどパソコンに向き合って寝てたよ。はっと気づいたら11時回ってる。大変だよ。「諦めて寝ろ」 余計なことを云うな。






昨日なんか、思いつかないから映画で逃げたれって「天皇、皇后と日清戦争」を手がけたら、此れが手間喰ってエライ目に会ったよ。

「あれしきで」ってお思いでしょうが、あっ、何処に新しいものがございやしょう、あかんわ、またや。「なにを云うとんねん?」

鶴田浩二が背中に憑いとんかえ? 「なんで、おまえに憑くねん?」 知らんがな。






あかんわ、11時21分や、あっ、22分になった。もうすぐ、23分になるで。あっ、なった。かなわんなあ~。

今、右手の人差し指の爪の脇が痛いんだよ。隣の指が触れるとジィ~ンと傷みが響くんだよ。

意図的に触れさせてジィ~ン、無理に隣の中指と親指で挟んでジッジィ~ンって痛めつけてサドってる。あっ、28分になってる。あっ、29分や。






時計ばかりがコチコチと動いているも情けなやあ~、32分になった。こうして、時の流れに身を任せてると、また、眠くなってくるよ。





















ズボンの裾直しでもしようかなあ~。「なんで、おまえがズボンの裾直しをするねん?」 いつもオレだよ。「ええ?」「奥さんじゃないのか?」

奥さんに頼んでたら、いつ出来るや解らんの。だから、オレがする。アイロンかけもオレがするよ。「珍しいおっさんやなあ」 そうか?

ハンガーにぶらさがったままにあるのを、いつも見てるからそんな気になったの。オレは、速いよ、指、針で突くようなヘボじゃないよ。






ほの字の女性(ひと)の前で、針仕事して「痛っ」て不器用売ってる奴が居るね、下心ありありなのに「かして、わたしがしてあげる」なんてアホらしい。

「おまえも、そうしろ」 オレの世界に入って来るなって一生懸命だよ。「それでは、モテんで」 モテなくてもいいんだよ。

表の生地に通した糸が見えてはぶざま、ひっかける程度に止めてゆく。「職人かよ?」 






縫えば生地が引っ張られるので、時折、何気ない顔のまま、パシッパシッと伸ばして戻す。「なんで、何気ない顔やねん?」 プロってる仕草だよ。

針に通した糸がクネクネしては縫いにくい、軽く舌で濡らし指と指で張って弾く。プッチュ~ン。「なんやねん、効果音入りかよ」

クルッと一周止め終えると針を5分ほど突き通し、其処へクルクルッとしりの糸を巻きつけて抜き取り縛り目を作る、クイ、クイ、ふう~終わったぜ。






ふたつ、みっつ縫い返してから余り糸を切る。ガキの仕事だぜ。「なんでラストは江戸っ子になるねん?」 手馴れたもんよ。





















ハンガーにかけて出来上がり。暫くすると「あんた、手荒いなあ~」 なにを云うとんねん? 終わった後でチェック入れとんかえ?

おまえみたいな奴は要らんねん。気に入らんかったら、オレが縫うまでにやっといてくれよ、頼むわ、ホンマあ~。

はああ~あ~、台無しだよ、解らぬままにしておけよ。オレが遣ることに文句は云わんだろ? おまえも、知らんふりしておけよ。






あっ、0時を回って29分ではないか。奥さんの文句書いてる場合ではない。ほんまに、このおばはんは邪魔やねん。

男だから、女だからは、おかしな理屈だね。出来るなら自分でやればいい。出来ぬなら頼んでやって貰えばいい。

助け合って生きればいい、出来るなら、それぞれに生きればいい、其れを笑ってやれる夫婦が理想的だろうね。






些細なことが固まって、あちこち歪(いびつ)が生じて丸さを失い、転びゆかぬ仲になるのも夫婦だね。一緒に転んで初めて解るもんだから困ったもんだね。
























カメレオンの独り言-1091 『映画 天皇、皇后と日清戦争』

2014年03月28日 | 日記







 明日(3/28)の分です。







昨晩、明治時代のお話をしたので、其のあとユーチューブで検索したら『天皇、皇后と日清戦争』を見つけたよ。

映画丸ごと流してるんだねえ、こんなのは問題ないのかね? 「おまえも人のこと云えんだろ?」 そうだよ、鷹揚なのがいいよ。息苦しいよ。

で、観たんだけど懐かしいね。記憶に残ってるシーンも再確認できたよ。古き好き時代の趣だね。






嵐寛十郎の明治天皇、 昭憲皇后役の高倉みゆき、丹波哲郎 の大鳥圭介、幕末、函館まで退きつつ戦った幕府側の指揮官だった人だね。

榎本武揚総督、新撰組副長 土方歳三らと五稜郭で最後まで戦った一人だよ。新政府の縄にかかり投獄後、新政府の役人で返り咲く。

兵隊役で高島忠夫 、御木本伸介、此の人も久ぶりに見る顔だよ。二人は戦友なんだね。




















当時から語り継がれたお話を盛り込んで日清戦争を描いてる。思い起しても、かなり迫力ある映像だったと印象に残ってたけど悪くないね。

フイルムも、小さな画面だったら綺麗に映ってるよ。嵐寛十郎、大きな顔だね。これがいかんのだよ。「そんなん、ええやないか」






日清戦争は、1894年(明治27年)7月から1895年(明治28年)3月にかけて行われた主に朝鮮半島をめぐる大日本帝国と大清国の戦争である。

1894年(明治27年)7月に起こった豊島沖海戦によって、日清両国の緊張は頂点に達し、双方とも8月1日に宣戦を布告。

近代化を進めていた日本と大国の清との戦いは、日本軍が有利の方向で進むんだね。侍魂眠らず、未だ軒昂なり。




















農民の高島忠夫 、御木本伸介等にも召集がかかる。高島忠夫は、老いた母親を一人残して出征することが気がかりだった。

船舶で出立する日、兵隊達の家族が多く見送りにくるが、年老いた母の姿がない、船は岸壁を離れ出航する。

必死に探す、目の前を岸壁沿いに走る母を見つけるんだね。銃を高だか振るが気づかない、傍らの兵が、日章旗のついた銃を貸し与える。


































母親は、ようよう息子に気づくんだね。でも、もう船は岸を遠く離れて声は届かない。愛別離苦、船は無情に離れ往く。













平壌の総攻撃 9月15日、日本軍の平壌攻略戦が始まった。




















写真向って左の兵卒役は若山富三郎だね。なんで、若山富三郎が兵卒役なんだろうと思ったよ。




























覚えていたのは、この戦闘シーンだったよ。兵卒役の若山富三郎が銃剣を刀代わりに持って単身突撃して敵の陣地に斬り込むんだね。

此の人は、よく肥えているんだけど身のこなしが軽いね。昔からだったんだね。当時は、役者の名前なんか知らなかったけど、ここはよく覚えてる。

「大隊長殿、わたしが行きますっ」 敵の銃火をものともせず突進して陣地の城内に斬り込むんだね。




















セイリュウ刀で斬りかかってくる敵を次から次へと斬り崩しつつ城内へ。大隊長も此れに続いて斬りこんで、侍魂、此処に有り。

チャンワンチョンヤン斬り倒す。「なんやねん、それ?」 敵の中国語だよ。強いんだねえ。

城門を内から開け放って、味方の突撃をうながす若山兵卒。













「城門が開いたゾッ、全軍、突撃っ」 行けえっ日本軍って、やっぱり嬉しくなるね。



























怒涛の如く城内に攻め入り市街戦、破竹の勢いで敵をなぎ倒す。チョンニャンカンニャン総崩れ。平壌陥落。


































黄海海戦は9月17日に日本海軍連合艦隊と清国海軍北洋艦隊の間で戦われた海戦。鴨緑江海戦とも呼ばれる。

近代的な装甲艦が投入された戦いとしても知られる。この海戦の結果、清国海軍は大損害を受けて制海権を失い無力化された。

この会戦で、敵艦「鎮遠」の30.5Cm砲弾が、日本艦隊旗艦「松島」の左舷4番12Cm砲郭を直撃し、集積の装薬が誘爆、28名が戦死し「松島」は大破する。





























「松島」乗組員の三浦虎次郎三等水兵が重傷を負いつつも、「まだ沈まずや定遠は」と向山慎吉副長に尋ね、

向山が「戦い難く成し果てき」と答えた、というエピソードはこの時のものとある。

この三浦虎次郎三等水兵をかの有名なスーパージャイアンツの宇津井健が演じていたんだね。資産80億円を築いて宇津井さんは亡くなったね。













一方、金州戦では、高島忠夫 、御木本伸介等の部隊が、金州城攻略戦を戦っていた。





































































突撃、突撃の最中に、奮闘虚しく友は弾丸受けて倒れる。軍歌「戦友」が流れるシーンだね。

(ユーチューブで音楽を載せてあげようと思ったけど軍歌は、gooと共用になってないのみたいだね)「おまえ、中国人か?」

オレは、日本人だ。ただの云いそこ間違いだよ。(gooの貼り付け設定の調子が悪くて、方法が変わったみたいで案内どおりやってみたら動画が貼れたよ)














『戦友』  




ここは御国を何百里 離れて遠き満州の
  

赤い夕陽に照らされて 友は野末の石の下











思えば悲し昨日まで 真っ先駆けて突進し
  

敵をさんざん懲らしたる 勇士はここに眠れるか











ああ戦いの最中に 隣に居ったこの友の
  

にわかにはたと倒れしを 我は思わず駆け寄りて











軍律厳しい中なれど これが見捨てておかりょうか
  

しっかりせよと抱き起こし 仮包帯も弾の中











おりから起こる吶喊(とっかん)に 友はようよう顔上げて
  

御国のためだかまわずに 遅れてくれなと目に涙











あとに心は残れども 残しちゃならぬこの体
 

それじゃ行くよと別れたが 永の別れとなったのか











戦い済んで日が暮れて 探しに戻る心では
  

どうか生きていてくれと 物なと言えと願うたに











虚しく冷えて魂は 国へ帰ったポケットに
  

時計ばかりがコチコチと 動いているのも情けなや











思えば去年船出して 御国が見えずなった時

玄界灘に手を握り 名を名乗ったが始めにて





それより後は一本の 煙草も二人分けてのみ

着いた手紙も見せ合うて 身の上話繰り返し





肩を抱いては口癖に どうせ命はないものよ
  

死んだら骨を頼むぞと 言い交わしたる二人仲











思いもよらず我一人 不思議に命永らえて
  

赤い夕陽の満州に 友の塚穴掘ろうとは











隈なく晴れた月今宵 心しみじみ筆とって
  

友の最期をこまごまと 親御へ送るこの手紙




筆の運びは拙いが 行燈の陰で親たちの
  

読まるる心思いやり 思わず落とすひとしずく






旅順攻略、大平山砲塔攻撃。















































死んでもラッパを離さず、木口小平ラッパ手。(実際は、被弾して倒れたのは、安城渡の戦い)

当時、ラッパは世界の軍隊で「突撃」「進め」「止まれ」「撃ち方始め」「撃ち方止め」など戦闘指揮の号音(号令)を伝える手段として使われていたね。

木口小平ラッパ手は「突撃ラッパ」を吹き鳴らし、兵士の士気高揚に務める最中に被弾、倒れても尚ラッパを吹きつつ息絶える。(実話)


































昭和33年製作の日本映画にすれば上出来じゃないかね? 物語云々じゃなくて描写(撮影)が上手いと思えるところがある。

日本映画は「糞」って、常々、エラそうに云いたいこと云ってるけど、真面目に描いて好ましいね。

今日は、なんにも話のネタが浮かんでこないので、昔懐かしい新東宝の『天皇、皇后と日清戦争』のハイライトでした。






映画を観て我が家に帰ったあと、お茶を呑みつつ親父とおふくろが、それぞれに感想など話している和やかなお茶の間を思い出すよ。






























カメレオンの独り言-1090 『日本人の血』

2014年03月27日 | 日記






 明日(3/27)の分です。







さて、久ぶりに話のネタが、何も浮かんで来ないよ。困ったね。う~ん、う~ん、だめだね、ウンコしてこよ。「あのなあ、おっさん」

瞑想するのはトイレの中だよ。「黙って入れっ、臭いわ、アホッ」 すまん。

「百の説法、屁一つって諺知らんのか?」 百年の恋も冷めるってのは知ってるよ。「似たようなもんだよ、嗜(たしな)みを知れっ」 知ってるよ。






「じゃあ、なんで、冒頭からウンコなんだよっ」 生きてるってことさ。臭いものに蓋するだけが人生じゃないよ。それも事実は不快の一つだよ。

なにもかも知って好きになる、此れが本当じゃないのか? 互いに隠さなきゃもたない仲なんてのは、本当じゃないだろ?

知った上での嗜みだよ。だから、安心が生まれるんだよ。「まあ、そう云われると、そうかなって思ってしまうね」 解ればいい。






「態度がデカイね、で、なにか湧いて出たか?」 そう、うまい具合にはいかんよ。そうだね、オレの好みを素直に書いてるけど、見る人に依れば

完璧な白人コンプレックスな奴だと、お思いでしょうがお思いの通りです。「なんやねん、それはっ、おちょっくとんか?」

違うがな、話していて言葉が、思うように繋がって出て来ない時ってあるだろ? 「それか?」 そうだよ。









 『鶴田浩二』










お思いでしょうがって書いてだね、ふと、鶴田浩二の「傷だらけの人生」だったかなあ? その台詞と重なったから、おかしくなったんだよ。

あの渋い声で歌の合間に台詞を語るね、『古い奴だとお思いでしょうがぁ、古い奴ほど新しいものを欲しがるもんでございます』 なあ、これ。

『何処に新しいものがぁ、ございやしょう、生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左も真っ暗闇じゃあございませんか』 知ってるだろ? 「うん」






で、あっ、違ったと気づいてカーブを切ったら、お思いの通りですってなっちゃったんだよ。「なるほど、丁寧な説明だね」

これでも日本人ですから日本にも好きなのはあるんです。「うん」 歴史では、幕末、明治維新、西南戦争、日清、日露の戦いの時代が好きだね。

大阪西天満の寺町から、同、南区(旧)日本橋筋一丁目に越して来て間も無いころだっかねえ?






千日前のアシベ劇場で封切られた「敵中横断三百里」(1957年12月28日公開)菅原謙二が主役の日露戦争、日本軍騎馬斥候隊の映画を観た。

嵐寛十郎の「明治天皇と日露大戦争」(1957年4月29日公開)「天皇、皇后と日清戦争」(1958年3月14日公開)新東宝が総力を結集して製作した大作だね。

これ等を幼いながらに観て、部分的にではあるけれどもシーンを覚えているし熱くなったのも覚えてる。






此の2本の封切館は、千日前の千日デパート(1958.12.1開業)南隣、通りを挟んだ国際劇場のシネマ館だったと思う。

一年のことで、1958年(昭和33年)公開の「天皇、皇后と日清戦争」の方をよく覚えてる。嵐寛十郎の明治天皇は、当たり役だったね。

「敵中横断三百里」は、残念ながら覚えているシーンが僅かに過ぎない。原作を読んでたから、その挿絵のほうが記憶に焼きついてる。



















これ等に触発されたんだろうかね? 此の時代の出来事に興味が偏ったね。

映画の中の将校らは、遡れば武士だったってのを知って、その出所が気になった。で、調べているうちに幕末まで戻るんだね。

面白いように、彼らの経歴と時代が繋がっていくのが、発見なんだね。点と線が繋がる快感だね。






チョンマゲで大小の刀剣を腰に帯びてはかま姿が当たり前の人間が、5年経つか経たぬかのうちに洋服を身につけ靴を履いている。

その変わり身の早さに驚くね。日本を取り巻くアジアの国々は、いずこも列強国の殖民地下におかれている現状に気づくのも早い。

日本が、軍国化していかざるを得ない事情も解らなくもないね。明治の後半には、日清、日露の戦に戦勝して列強の仲間入りを果たしている。






その一途な姿勢が好きだね。おかれた状況から歩まざるを得ない道を歩み、誤りを知れば改善して世界に通じる道を開いて突き進む。

独自性をもった国民だよ。アジア民族のそれでもなければ、欧米民族のそれでもない、日本特有の血の支えをもった民族だね。

其の血が、誇りを自覚させ礼儀と謙虚を生じて人間の生きざまの美意識を忘れない。そんなふうに感じられる日本は好きだね。




















1776年7月4日にアメリカは独立してから238年、日本は、鎖国から目覚めた1868年10月23日から146年、負けていないね。

著しい発展の能力は、勝るとも劣らぬ力を持っている。独自性、これは大きな力なんだよ。

他国が真似ても血は真似ようが無い。アメリカは、世界の集合体の血、日本は、独自の血で世界に融合して己を見失わない、ともに個性豊かな国だね。






浅薄(せんぱく)では有るけれども、そう解して、邪魔にならぬよう日本人の一人として生きている。
























カメレオンの独り言-1089 『南北戦争・ボニー・ブルー・フラッグ(Bonnie Blue Flag)』

2014年03月26日 | 日記








 Bonnie Blue Flag  明日(3/26)の分です。








ボニー・ブルー・フラッグ(Bonnie Blue Flag)は、1810年に短期間存続した西フロリダ共和国が国旗とした、青地に白い一つ星の旗をいう。

後に1861年の南北戦争時の南部連合で非公式の国旗として用いられた。

また、この旗にちなんだ行進曲のタイトルでもあり、南部連合のポピュラーな軍歌の一つであったらしいね。






映画などで耳慣れた南北戦争当時の軍歌、行進曲などの紹介は、この「ボニー・ブルー・フラッグ」が最後ですね。

アメリカ合衆国の南東部海岸地域(サウスカロライナ州、フロリダ州、アラバマ州、ミシシッピ州、ルイジアナ州、テキサス州

およびミシシッピ川の南部等で起こった主要な陸軍と海軍の軍事作戦行動を南北戦争の南部沿岸戦線と云う。






下の絵、2枚目からは、その南部沿岸戦線を描いたもの。この方面の戦争を背景にした映画は、「グローリー」ぐらいで、ほとんど、お目にかからない。



















The Bonnie Blue Flag



パッパカ消されたら歯抜けになるんだよ。段々、良いのを探す勢いも落ちてくるよ。根性臭いことすんな。







行進曲「ボニー・ブルー・フラッグ」






We are a band of brothers and native to the soil
我らはこの土地に生まれ育った兄弟の衆、

Fighting for our Liberty, With treasure, blood and toil
血と労苦を宝として我らの自由のために戦う。

And when our rights were threatened, the cry rose near and far
我らの権利が脅かされる時、あちこちで叫び声が上がる

Hurrah for the Bonnie Blue Flag that bears a single star!
一つ星の麗しき青旗に万歳!と。




Hurrah! Hurrah!For Southern rights, hurrah!
万歳!万歳!、南部の州権、万歳!

Hurrah for the Bonnie Blue Flag that bears a single star.
一つ星の麗しき青旗に万歳!。



















As long as the Union was faithful to her trust
合衆国政府が信義を守ってきた間は

Like friends and like brethren, kind were we, and just
我々も友人や兄弟のように信頼しあっていた。

But now, when Northern treachery attempts our rights to mar
しかし北部が裏切り、我らの州権を反故にしようとする今、

We hoist on high the Bonnie Blue Flag that bears a single star.
我らは一つ星の麗しき青旗を高く掲げる。




Hurrah! Hurrah!For Southern rights, hurrah!
万歳!万歳!、南部の州権、万歳!

Hurrah for the Bonnie Blue Flag that bears a single star.
一つ星の麗しき青旗に万歳!。



















First gallant South Carolina nobly made the stand
最初に勇敢なサウスカロライナが誇り高く立ち上がると

Then came Alabama and took her by the hand
アラバマが手を携えにやって来た。

Next, quickly Mississippi, Georgia, and Florida
すぐにミシシッピにジョージア,フロリダが続き

All raised on high the Bonnie Blue Flag that bears a single star.
皆で一つ星の麗しき青旗を高く揚げた。




Hurrah! Hurrah!For Southern rights, hurrah!
万歳!万歳!、南部の州権、万歳!

Hurrah for the Bonnie Blue Flag that bears a single star.
一つ星の麗しき青旗に万歳!。



















Ye men of valor gather round the banner of the right
正義の旗に勇敢な者達が集まってくる。

Texas and fair Louisiana join us in the fight
テキサスと典雅なルイジアナも我らと共に戦いに加わる。

Davis, our loved President, and Stephens statesmen rare
我らが愛するデービス大統領とスティーブンズ副大統領も

Now rally round the Bonnie Blue Flag that bears a single star.
一つ星の麗しき青旗の周りに集まる。




Hurrah! Hurrah!For Southern rights, hurrah!
万歳!万歳!、南部の州権、万歳!

Hurrah for the Bonnie Blue Flag that bears a single star.
一つ星の麗しき青旗に万歳!。



















Now here's to brave Virginia, the old Dominion State,
古き自治州なる勇敢なバージニアも

With the young Confederacy at last has sealed her fate,
若き南部連合についに運命を共にする決意をする。

And spurred by her example, now other states prepare
それをきっかけに他の州も同様の準備をしようとする。

To hoist high the bonnie blue flag that bears a single star.
一つ星の麗しき青旗を高く揚げるために。




Hurrah! Hurrah!For Southern rights, hurrah!
万歳!万歳!、南部の州権、万歳!

Hurrah for the Bonnie Blue Flag that bears a single star.
一つ星の麗しき青旗に万歳!。



















Then here's to our Confederacy, strong we are and brave,
強く勇敢な我らの南部連合が結成した。

Like patriots of old we'll fight, our heritage to save;
かつて遺産を守るために戦った愛国者のように。

And rather than submit to shame, to die we would prefer,
いっそのこと辱めを受けるよりは死を受け入れる。

So cheer for the Bonnie Blue Flag that bears a single star.
一つ星の麗しき青旗に喝采を。




Hurrah! Hurrah!For Southern rights, hurrah!
万歳!万歳!、南部の州権、万歳!

Hurrah for the Bonnie Blue Flag that bears a single star.
一つ星の麗しき青旗に万歳!。



















Then cheer, boys, cheer, raise a joyous shout
若き者達よ、歓呼せよ、歓声をあげよ。

For Arkansas and North Carolina now have both gone out,
アーカンソーとノースカロライナも、今また脱退した。

And let another rousing cheer for Tennessee be given,
更に喜ばしくテネシーもそれに加わった。

The single star of the Bonnie Blue Flag has grown to be eleven.
麗しき青旗の一つ星が十一に増えた。




Hurrah! Hurrah!For Southern rights, hurrah!
万歳!万歳!、南部の州権、万歳!

Hurrah for the Bonnie Blue Flag that bears a single star.
一つ星の麗しき青旗に万歳!。




Hurrah! Hurrah!For Southern rights, hurrah!
万歳!万歳!、南部の州権、万歳!

Hurrah for the Bonnie Blue Flag that bears a single star.
一つ星の麗しき青旗に万歳!。






















耳に馴染んだ南北戦争で歌われた軍歌を書いてきたけど、このボニー・ブルー・フラッグで終わります。

当時を背景にした映画の中で流れるんだね。其の都度、なんかワクワクするような思いで聞き耳を立ててたよ。

これ等の曲なんだけど、考えたら何十年間、其の歌詞を知らないままだったね。ブログを気侭に書いていて、其れを知る機会を得たよ。






其れを知ったからどうかと云えば、別段、どうということもないんだけど、内容を読んでると感じる処もあるね。

当時の人たちにとっては、悲惨な戦いを繰り返し繰り返し体験して、何のために戦うかって迷いが生じた折りの初心の目印のようなもんだろうかね。

理想と現実の落差は甚だ激しく大きい。過酷を思い知る。故郷に思いを馳せて、家族を思い、恋人を思う、自分を取り戻すんだろうかね。






そのために銃を取ったことを思い起こして、戦友の屍を越えて、また、立ち向かって行くんだろうかね。

そういう地獄を、実際に生きた人でなければ解ろうはずもない歌だね。

どのようなリアルな戦争映画に慄(おのの)いても、想像の世界、砲弾も弾丸も、此方には飛んで来ないからね。






問答無用の時代を味わうこともなく生きれることに感謝だね。




















カメレオンの独り言-1088 『話は勝手に転ぶ』

2014年03月25日 | 日記






 明日(3/25)の分です。








毎日、開いてくださる方々も多いけど、読んでもらってる枚数が凄いから焦ってしまう。すぐに底をついてしまうよ。

足元すくわれてるみたいで落ち着かないよ。「文句云ってんか?」 馬鹿っ、なんで文句云わなきゃならんのだ? 状況報告だよ。

見ず知らずの人が、オレの駄文で時間を潰してくださる、これほど有り難いことはないよ。「そういうことだね」 そうだよ。







読み進めるほどにオレという人間性も窺がい知れて、マズイね。「覚悟の上やろ?」 まあ、致し方ない。

文ってのは、書いてる奴の人となりが浮かんで出るらしい。回数からして、云いたいこと云いまわしてるから露骨に出てるだろうね?

今更、風呂敷被っても、もう遅い、舞台の上のストリップと一緒だね。「臭いストリップだね」 オレ、正直、見たことないよ。「なんの話しやねん?」







昔から、ネオン街は体質に合わないから行かなかった。行っときゃよかった。「血圧上がって倒れるぞ」 救急車で運ばれたら格好悪いだろうね。

考えたら、オレって、ある意味ふつうじゃないね。ただ、生きて来ただけだね。

オレは、悦びってのは羽根のように感じるんだよ。フワフワと飛ぶんだね。布地が破けて羽毛が飛び出すような感じだね。定着し辛い感触だよ。






当てどなくフワフワ飛んで地に着かず、其のうち、忘れ去られるような儚(はかな)さを感じるところがあるよ。






悲しみや苦しみってのは水だね。染み入る重さが伴ってるような気がする。

器に溜まって溢れて、地に流れ染みて、土を肥やして芽を吹かす、そんな働きもするような、そんなのを感じるんだね。

でも、できるならば、ほどほどでいい。多すぎると沼地になって這い出ることが難しくなる。





















此の世に生まれ来るのは愉しむためって誰か云ってた。なのに苦しみや悲しみを何故味わうんだろうかね?

此の世は、愉しみだけでは悟り知りえないことが多過ぎるような気がする。だから、我が身で泣いて、人の痛みをも知るためだろうと解釈に至る。

優しき人になるために悲しみや苦しみがあるんだろうね。琴線に触れる慰めを必要とする人も、此の世には多くいる。






宙に舞って、ただふわつく羽毛の如きには、解しようもない重たい宿命に泣く人も、此の世に多くいる。

土人と云ってはいけない、ルンペン、乞食にキチガイと云う表現もいけない、上辺の思い遣りでは、誰も救えない。

云ってはいけないけど、思うことまでは行き届かない。其れが証拠に至る所に寄せ付けない大きな壁が出来上がってる。






オレなんか、云いまくってるけど寄って来るよ。関係ないと思うけどね。テレパシーじゃないの? 何かを感じ取るんだろうと思うよ。

「同類と思うんじゃないか?」 おまえの表現が一番の偏見だよ。「すまん」 じゃあ、なにか、オレは土人のルンペン、乞食のキチガイか?

まあ、なんでもいいけどね。寄って来たからって、何をしてあげることもできないけど目の先でドアを閉ざすようなことはしたくない。





















ネット、ウロウロしていて、また『千日前』 の古い写真をみつけたよ。1960年代となってたけど市電の上に見える映画の看板で調べたよ。

「荒野の用心棒」(1965年(昭和40年)12月25日公開) マカロニ・ウエスタン、クリント・イーストウッド主演作だね。

大阪万国博関連事業の一環で道路拡幅工事を控えた頃だね。今里、上六から湊町間の此の道路は上町(筋)通りと記憶していたけど、どうも違うようだね。



















千日前通りだって。そうかあ~? ちゃうでえ。上六から森之宮の通りを上町筋って云うのは合点がいく。上町台地の上だからね。

せやけども、千日前通りなんて、当時、云ってたかなあ? 「おまえの記憶ではの話しだろ?」 そうだよ。「じゃあ、おまえの間違いだわ」 ああ、そう。

では、此の千日前通りを東から西に向って撮影してるよ。写真向って左側に(写ってないけど)千日デパートがある。






此の7年後(1972年(昭和47年)5月13日)に千日デパートが火事になったんだよ。

其のときには、道路拡幅工事も完了し高速が上を走って、この辺(主に北側の道路沿い、写真右手側)の様子ががらりと変わっているんだね。

映画に古さを感じないんだけど「荒野の用心棒」上映してた頃って、こんなに街並みが古かったかなあ~。なんか、ピンとこんな????



















「荒野の用心棒」の看板の隣に「関東・・・」 鶴田浩二らしき上半身の絵が描かれた看板がある。調べてみると「関東破門状(1965年10月31日東映京都)

「関東果し状(1965年12月31日東映京都)となっている。東映任侠映画華やかなりし頃だね。公開日からして「関東果たし状」が臭いね。

やっぱり、此の写真は、1965年(40)~1966年(41)に間違いないよ。オレの記憶のズレを訂正しておこ。「通りの名称もな」 あいよ。 






「おまえなあ、題名、なんでもええわってのが、丸出しやないか」 今日の題名が他に浮かぶか? 中途半端に転んでいるではないか。そのままだよ。





















カメレオンの独り言-1087 『徒然(つれづれ)なる日々の向こうにも未来がある』

2014年03月24日 | 日記






 明日(3/24)の分です。







昨晩は、残業で帰宅が遅くなって、風呂や夕食済ませてパソコンの前に着いたのが10時半回ってた。

此れを見越して、翌日の分を半分ほど仕上げてたから助かったんだけど、扱ったのが映画のお話だから手間喰って焦ったよ。

一生懸命キーを打ってる自分を見て、おまえはどう思う? 「仕事より燃えてるね」 だろ? 「疲れてるのに集中してるね」 だろ?






オレは、独りで、おまえを相手に喋ってお話ししてんだよ。「ちょっとおかしいね」 だいぶん、おかしいよ。

でもね、シラケぬように努めてる自分も何処かに居るんだよ。オレは、過去にも、絵で夢中になった時期があった。噴き上がって来るんだね。

描かずにおれないの。でも、迷路に入って混乱してシラケて描かなくなった。見向きもしなくなったよ。






オレにすれば文を書くなんてのは、不可能に近い分野なんだね。噴き上がって来るから書いてるんであって知識も文法も糞もないんだね。

絵を描いてたときは、パソコンなどなかった。跳ね返りがないから迷路に嵌まるんだろうね。

苦手な文で跳ね返りを得た。他人(ひと)さんが読んで、それを「数」で応えてくれるんだね。オレにしてみれば不足を補ってくれる場所となってる訳だよ。



















大事な他人(ひと)さんたちなんだよ。其れを感謝することでシラケを遠ざけてるんだよ。

ブログを始めたときは、何をどう書けばいいのか解らなかった。だから、忘れてしまった絵を描いて貼り付けて誤魔化してた。

此れが、紙に書いて仕上げてたら全部破り捨ててたろうね。今でもそうだろうね。






自分を積み上げることを知ったよ。どんな賢い奴でも幼少の頃がある。拙い時期があって成長して一端(いっぱし)になる。

行程の事実を知れば破り捨てることはない。恥かきなことですら、成長することで年月の経過のうちでしかなくなる。進み往くことの価値を改めて知ったよ。

「過去の奴か?」 そうだよ。過去の奴は、今のオレではない。今のオレは、未来のオレではないんだよ。「可能性か?」 そういうことよ。






オレは、常に今のオレに満足したことがない。其の日、其の日を、不満を引きずり生きて此処まで来た。

人のせいではない、社会のせいでもない、すべからく自分のせいだよ。だから、黙々と引きずり生きて居る。

黙々と引きずる自分を傍(はた)の知ったことではない。だから、誇りが生まれるんだよ。自分を貫き通す誇りだよ。






そんな奴が書いた駄文を他人(ひと)さんが、読んでくれる。これは大きいよ。大きな励ましを頂いてるよ。1000まで行くよ。「急に変わるな」



















いい天気だね。「なんや、もう、終わりか?」 何ごともあっさりしなくてはいかん。

完結なんてないんだよ、連続だよ。「死んだら?」 夢を託せばいい。

「誰に?」 不肖の親父に不明の息子、それと、彼女だね。信じてやるに不足はないよ。「まだ云うとるわ」 自分に正直で在れだよ。






過ぎ去りし日々は、今日のためにある。過ぎ往く日々は未来のためにある。こう捉えれば、無駄な日はないね。諦めぬことだよ。



















寒い、寒いと身をちじめた冬は去り、もう、桜の季節の中に居る。でも、まだ寒いね。

冬の余韻を漂わす春よりも、夏の余韻を感じて過ごす秋が好きだね。寂(さび)れ往く風情が味わいがあっていい。歳かねえ?

夏も嫌いじゃなかったんだけど「うわあ~、また、暑いんだろうなあ」って身体が拒むよ。歳だねえ。






黒コゲなりそな真夏の太陽の下で帽子も被らず、一日中、川原で過ごしたオレでは、もう、ないね。あの頃のオレは、野蛮人だったね。


































カメレオンの独り言-1086 『映画 ズール戦争・イサンドルワナの戦い』

2014年03月23日 | 日記






 『イサンドルワナの戦い』 明日(3/23)の分です。







なんで、今日(3/22)仕事なんだよ、おふざけもいいとこだよ。「毎日働ける場所が在る、結構なんじゃないか?」 もう結構。「なに云うとんねん」

そいでもって、今日は残業なんだよ、おちょくりもいいとこだよ。「笑って済ませる歳だろ?」 ふつうはね、オレはふつうじゃないの。

ブログ没頭してるほうが、なんぼか遣り甲斐があるよ。「飯喰えんだろ?」 そんなもん、どうでもええんじゃ。「飢えて死ぬぞ」 そうだね。







そんなので飢えて死んだら、テレビでボロクソの馬鹿扱いで報道しよるだろうねえ? 化けて出るぞっ。「もう少し、大人になれんか?」 

見た目は大人、中身は子供、少年探偵コナンで云ってるよ。「アホッ、逆やないか、そんなのまるきりアホやないか」 解ってるよ。

見た目は善人、中身は悪人みたいな大人は要らん。「おまえのことと違うのか?」 そういえばそうかも知れん。「違うと云う自信はないのか?」 







有るよな無いよな。其れはそうと、gooのブログ件数が200万を突破したね。「関係ないやろ」 にも関わらず順位は上がる一方だよ。 

開いてくださる皆さんの為せる技だね。「他人事みたいな感想やね」 そら、そうだろ? 相手任せの順位だよ。落ちだしても止めようはないよ。

此方は、駄文を書いて書いて書きまくるだけだよ。今度は、1000を目指す。猫ちゃん、犬ちゃんの真後ろ辺りに着くんだよ。






しかし、それには、まず、生活スタイルを変えねばならん。穴倉生活よさらば、休みは外界に身を置き視界を変えてものごとを見る。これだね。

「何を見るねん?」 見えるものを見て、見えぬものまで見るんだよ。観察力と洞察力と想像力をフル回転してだね、疲れて帰って寝るんだよ。

「書けないじゃないか」 だから、4年目からは、毎日連載を平日連載に変更しようと思ってんの。月曜から金曜だね。こんなの、前にも書いたかね?






今日(3/21)は、天気はいいみたいだけど寒いよ。スコーンと変わったれよ、気をもたすな。「なに、云うてんねん?」 春に云ってるんだよ。























『ズール戦争・イサンドルワナの戦い』を映画化した『ズール・ダウン』ってのをユーチューブで細切れの動画を拾いつつ観たよ。

バート・ランカスター、ピーター・オトゥールなんて大スターが出演してんだね。日本では未公開の作品。

凄い数のエキストラを使って撮ってるわりに迫ってこない描写が勿体無いね。

















多くのエキストラを使ってるから、それらを画面に広げることばかり考えて撮影するから散ってしまうんだね。昔のソ連製作の戦争映画みたい。

白兵戦のシーンを丁寧に描いて、その画面の隅にそれらを拾うだけでも、観るものは誤魔化しには思えないんだけどね。

創ってる奴がなんで解らんのかね? 多くを撮り込むシーンを増やすと、必ず、フラフラしてるだけの下手糞が写る、観てるもののほうが辛くなるよ。






向こうから土人が攻め込んでくる。応戦したり退散したりの兵士が写ってるのに、手前で背中が写る兵士が、全然動かない。固まっとんか?

見えへんからどけやっ。普通、映画館やったら前の座席の人が座高高いと迷惑するんだけど、こいつは画面の中で邪魔しとるわ。

バート・ランカスターも老いたねえ。老いた上に片腕の男を演じてるから動きが重い、なんで片腕やねんなあ~? 
























ピーター・オトゥールは、イサンドルワナには居らず、本隊の総指揮官チェルムスフォード中将役だね。バート・ランカスターは誰役や?

なにしろ、字幕なしで横文字で喋ってるから、何を云ってんだか解らない。凡その見当はつくけどね。








 実際の『イサンドルワナ』








1879年1月22日、イギリス第三縦隊はイサンドルワナ近くに野営した。指揮官はヘンリー・プレイン中佐。

其処へ、ダンフォード中佐の第二縦隊の一部500人が到着し、野営地の兵力はヨーロッパ兵800人、アフリカ兵900人になった。

ズールー族の接近情報も無視して、当地の地面が固過ぎることから、防御陣地の構築はせずテントを張って通常の野営となった。






そして、午前11時20分、ズールー族2万の大群が、イサンドルワナの野営地に突撃をかけたんだね。

ズールー族は、三方向からなる猛攻をかけ、英軍は、平地に散開して抗戦するが支えきれずに蹂躙され壊滅する。

英軍はヨーロッパ兵806人、アフリカ兵471人が犠牲となり全滅する。武器は槍と斧が主流のズール族は、人海戦術で英軍を呑み込んだんだね。







































ズールー族も3000人が死傷したが、イサンドルワナの戦いは、この戦争中にズールーが得た最大の勝利となった。






アメリカ第7騎兵隊が、インディアンの大軍に包囲され、リトルビッグホーンの平地で円陣組んで抗戦するも敢え無く全滅したのと似てるね。

たかが土人って意識が命取りになったのも似てるよ。奢れる者久しからずだね。

土人って、撃っても撃っても逃げずに、数に物言わせて走り来るのは怖いよ。黒光りの野蛮人は怖い。「おまえなあ、云い方考えろよ」 またかよ。
































偏見じゃないよ、見たままを云ってんじゃないか。撃っても撃っても白いのが走り来るなんて云ったら、読んでる人は混乱するだろ?

英軍が、攻めているのか? なんて迷うよ。「アフリカ人のズール軍と云うべきだよ」 雰囲気が台無しだよ。「なんの雰囲気やねん?」

「土人なんて、今時、禁句だよ」 馬鹿だねえ、今はそうかも知れないけど、当時は土人だよ。そういえば、土着の人で土人だから、みんな、それぞれ土人だね。






黒い土人が、白い土人を全滅させた、黄色の土人も白い土人を全滅させた、似ているねって同種の黄色い土人が書いている。こいでいいのか?

「もう、おまえはズールを書くな」 なんでや? 「前のズール戦争も大概の内容だったよ」 

土人も作戦するんだね? 「当たり前やないか、ズール軍だぞ」 ふんどし一丁だぞ。「関係ない」 関係ある、見栄えが悪すぎる。

























ズールー軍は、約4万の兵力で、1500から4000人の連隊から成っていたらしい。

ズールー王国の建国者シャカ王は「猛牛の角」と呼ばれる戦術を考案した。ふんどし一丁で鼻輪なんかして、よく考えたね。「呆れるわ」

「角」が敵を取り囲み押さえる。これは若く経験の少ない戦士で構成される。

「胸」は最大の集団で、敵を正面から攻める。

「獅子」は予備部隊で敗走した敵を追跡する、これはベテラン戦士で構成される。

三つの集団に分かれるんだね。ズール戦士は大型の槍を装備しており、戦争の初期には銃器を装備した戦士は僅かしかいなかった。
























みんなきれいごと云ってるけど、こんなのが三方から津波のように押し寄せて来てみろ、みんな、口揃えて「土人ッ、土人ッ」って真っ青なるよ。

大きな盾を槍で叩いてバンッバンッ、ズールッ、ズールッって来るんだぞ。嫌だねえ~。

こいつら束なったら輪郭が拾いにくいから塊に見えるよ。地を這うアメーバーみたいだよ。






大部隊も、急襲されて浮き足立つと脆(もろ)いねえ。軍隊の統率力ってのは、こんな場合を考えてのことなんだろうけど、指揮官の能力も試される。

命令で動く教育だから指揮官の指示が、行き届かないと部隊の効力を生かせない。右往左往でバラバラになってしまうんだね。

土人は、神出鬼没、まだ、遠くと思ってたら目の先のくぼ地から湧いて出る。後ろからも前からも横手からも襲い掛かってくる。






鉄砲持ってる奴が、槍で突かれて死んでる。なにしとんやっ。こうなったら鉄砲もこころもとないね。撃っても撃っても切がないからアタフタする。

そのうち、弾込めする時間も失うから白兵戦になる。白兵戦になったら土人も強い。日頃、逃げる小動物突き刺して腕磨いてる。

英軍の軍曹が、奮戦するんだけど僅かな隙をつかれて背後から刺される。部下も一人二人と倒すけど、これも後ろからやられてる。
















































































見るからに英軍劣勢の状況だね。指揮官が、もはやこれまでと、将校に軍旗を託して遺書を書いてる。

野外の簡易食堂の設備に雪崩れ込む土人は、まさしく津波のよう。軍旗を翻して将校は騎馬で駆ける。軍旗は渡せない。

行く手行く手で、味方が追い詰められて殺されてる。1700人ほどの大部隊も散ってしまえば20000の土人が圧倒的になる。






強固な陣営を敷いて向かい合えば銃の威力で撃退も可能だったんじゃないだろうかね。

三列銃隊で円陣を組んで交互に射撃すれば、槍だけが武器の土人なんか死体のボタ山ができるよ。「おまえなあ、土人の亡霊が、おまえだけは殺しに来よるぞ」

来るなら来いっ、相手に為ってやるっ。ふんどしの土人なんかに舐められて堪るかっ。「おまえが熱くなってどうすんの?」









































不甲斐ない。大英帝国軍隊の面汚しだよ。指揮官が駄目だね、慌てて遺書など書くな。バラけた兵隊呼集して円陣敷いて最後まで戦え。

アメリカの第7騎兵隊のアームストロング・カスター将軍は、円陣敷いて最後まで戦ったぞ。彼は、インディアンに憎まれていたんだね。

全滅の後、カスターも部下達も死体はバラバラにされていたらしいよ。さぞかし壮絶な戦いだったんだろうと、うかがい知れるね。








 『ジョージ・アームストロング・カスター』















1876年6月25日にアメリカ合衆国のモンタナ州リトル・ビッグホーン川流域の平原で起こった『リトルビッグホーンの戦い(Battle of the Little Bighorn)』は、

アメリカ陸軍騎兵隊と北米先住民インディアンとの戦いで、カスターもろとも直属の225名が全員戦死した。ちなみに、これは白人側の呼称であって、

インディアン側の呼称は、『グリージーグラス川の戦い(Battle of the Greasy Grass)』であるらしい。これも、いつか詳しくお話したいね。
















話は戻って、以前に書いた1964年度映画 『ズール戦争』は、このイサンドルワナの全滅の後のお話だね。






同年同月の23日未明、イサンドルワナから15kmのロルクズ・ドリフトの伝道所跡に築かれた砦の英軍守備隊へ勢いづいたズール族4000が襲いかかった。

ジョン・チャード中尉の守備隊はアフリカ兵が逃亡してしまいイギリス兵139人に過ぎなかった。

40対1の戦力比にも関わらず、英軍は奮戦して2日間も持ちこたえた。

















イサンドルワナから退却してきたチェルムスフォードの部隊が接近したためズール軍はようやく撤退した。

犠牲者は英軍が戦死13人、負傷14人、ズールー軍が戦死351人。

その奮戦を讃え、チャード中尉以下の守備隊将兵11名にヴィクトリア十字勲章が授与されたんだね。






たとえ簡易であろうとも防御陣地の有ると無いとでは、多勢に無勢の状況では雲泥の差がでるね。














この動画には、字幕が入って画面も綺麗だね。ちょっとのシーンだけどいいですよ。







ズールー戦争/野望の大陸








バート・ランカスターの役は、ダンフォード中佐だったね。投稿してから観たら上の動画で云ってたよ。

第二縦隊(3871人)の指揮官アンソニー・ダンフォード中佐、その部下500人とともに第三縦隊に合流して運命をもともにしたんだね。



(  You Tube - Battle Of ISANDLWANA    http://www.youtube.com/watch?v=d17vfJ7bUVo  )








今日は、残業で遅くなってしまったよ。昨日、半分ぐらい仕上げてたから助かったけど、仕上げが荒くて申し訳ないです。





















カメレオンの独り言-1085 『軽き風船は空を舞う』

2014年03月22日 | 日記






 明日(3/22)の分です。







マレーシアの航空機が行方不明になったまま日は経つばかりだね。航路を飛んでるぶんには問題ないけど舵を切ったら外れるね。

外れたらレーダーが、機影を追うようになってるけど、スイッチ切ったらその限りじゃないらしい。

車で連れ去られるってのは、よくあるけど航空機で連れ去られるなんて、そうそう誰も思わないよ。何処へ行ったんだろうかね?






航空機の事故ってのは、滅多にないけど起きたら乗ってる数が多いから大層なことになる。

異変に気づいて飛び降りて逃げるなんてできない。あんた任せだからどうしようもないね。だから、飛行機ってのは嫌いなんだよ。

あんなの平気で乗る奴の気が知れんわ。「いまどき、そんなこと云ってんのは、おまえだけじゃ」 じゃあ、落ちても消えても諦めろ。

















プーチンは、なんか問題起こしそうな奴だと思ってたけど、やっぱりねって感じだね。ロシアって国の本質は変わらんね。

利害が絡んだときに、その人柄が如実に出る。国際法も糞もない、盗りもの勝ちって姿勢が浅ましい。「もともと我々のものだ」 そんなん通るかよっ。

「文句あっか?」 いや、その、「あんのかあ?」 あるよな、ないよな 「世界を相手にしても我々のものだ」 威圧で無法を通す古風なロシアくん。






訳の解らん文句ばかりでっち上げて傍若無人な中国くん、中国と似たり寄ったりの韓国くん、国民総奴隷でなる朝鮮くん、

君たちには、人間的な成長が認められないよ。どうしたもんかね? 困ったもんだね。

戦争は、非人道的なものなんだよ。日本も恥じる行為があった、中国も、韓国も、朝鮮も同じだよ。ロシア君なんかに至ったらとんでもないよ。






過去の世界の戦争を振り返ってみろよ。参戦した時点で、全てが同罪だよ。視野を拡げて考察すべきだよ。そして愚かを繰り返さぬ努力をすべきだよ。

犠牲になった人々は、其れを一番望んでいるよ。戦争をするはいと容易い、平和を守ることは難しい。上に立つ人間なら、そんなの理解しろよ。

損得でものごと判断するから狂ってくるんだよ。損得は、それぞれに巡り巡り回ってくるもんだよ。道理を弁えて、それを重んじろよ。

















今日(3/20)は、朝から雨だったね。春になると、また、雨の日が多くなるよ。濡れても流石に冷たくて堪らんって感触はなくなったね。

今日は暇な一日だったよ。明日は春分の日かな? 休みだね。儲けたね、のんびりできるよ。

映画を観てないなあ、ハードディスクに溜まってる映画繰って見ようか、観てないのがかなりあるからね。






殺し合いでも観るか、それともヒューマンドラマかねえ? ビールが喉越しいいね。話のネタになるような奴はないかね? 

『息もできない』 借りて、もう1年ほど経つかね? 韓国の映画だね。韓国の映画は、此れで3本目かな? 観てみたよ。

なんとも哀しい映画だね。業(ごう)を背負ったような人たちの生きざまをリアルに描いてる。

















冷徹で粗暴な借金取りのやくざが、勝気で男勝りの女子高生と運命的な出会いから映画は始まる。

強権的で絶対的な存在の父親から逃れられないという似たようなトラウマを抱えた男女が、魂の交流を重ねることで心情が変化していく、なんて紹介されてる。

女子高生のヨニを演じるキム・コッピって女優さんが、特異な個性で光ってる。ベタベタしない男女の情愛の演出がいいね。






 『息もできない』 2008年度 韓国映画























似たような境遇に生きるやくざと女子高生が、夜の川の土手で話すうち、ともに泣くシーンがある。ほろりとさせるね。

心に闇を抱える人たちの生きる道は、これまた誘われて闇に溶け入るが如しだね。這い出ようとする者の息の根を止めて映画は終わる。

やるせない物語を見たあとは、意気が上がらんね。風呂上りのビールの酔いも手伝って睡魔が寝床に誘ってる。早いけど寝よか? そうしよう。

















身体が火照るとあちこちが痒くなる。うわ布団の上の毛布を剥がして熱を冷ましてる。暑いね、もう、羽毛のうわ布団だけでいいみたい。

まだ、暗い、仕事の日と間違って、まだ寝れるなとしがみついてる。あっ、そうか、今日は休みなんだね。目が覚めてる、現金なもんだね。

6時前か、よく寝たよ。雨はやんで曇り空だね。朝も日の出が早くなって明るいよ。






睡眠は、深夜の12時から2時頃までを取り入れると熟睡できるなんて、なんかで読んだね。






その時間を外して3時に就寝しても、オレの場合は熟睡してるけど、こころもち、そんな気もせんことはないね。

一度目覚めると、休みの日は、起きてしまうよ。仕事の日は、絶対に寝なおすけどね。「逆とちゃうんかえ?」 何が嬉しくて早起きしてまで備えるの?

「その根性が、おまえの人生を物語っているよ」 朝型の奴の尤もらしい言い分なんか聞く耳もたんわ。そういう体質を持って生まれたことを喜んでおけ。






夜型は朝は弱い、朝型は夜弱い、至って当たり前の話だよ。「太陽とともに稼動する自然に習った生活だよ」 云うね、その通りだよ。「なんやねん」

解っちゃいるけど体質的に如何ともし難いんだね。歳食ってからは、気分の悪さはなくなったけど、若い時は、兎に角、だるくてどうしようもなかったよ。

定められし運命の序曲だね。「なんや?」 持って生まれた素養の問題さ。優れたIQを備えて生まれる、IQ忘れて生まれるの違いだよ。






世間の上下は、その時点で定められているに近い。此れを神の配剤と捉える奴がいる。傲慢な奴だよ。

そいつに言わせればIQ忘れた奴なんかは、神の廃材品と解釈してんだろうね? 悔しいけど当ってるような気もするよ。「同意すんな、アホッ」

プラスとマイナス、対極があって通電する。世の中もそうだね。宛がわれた役を懸命に演じて生きるのに変わりはないよ。

















上の奴は、落ちたら死ぬ、下の奴は、落ちようがない。よしんば堕ちても強いね。それぞれが役どころで光ればいい。人生は舞台だよ。

「其れは、自分に言い聞かせてんか?」 そうだよ、人生の応援歌だよ。烏合の衆が烏合たるは、個々が、誇りを忘れるところだと思うよ。

身は下層に在ろうとも人間の矜持と、己の誇りを堅持して生きるならば、上層の者、軽きに見えて風船の如しだよ。「ホンマかよ?」 だと思うよ。






上に居ようが下に居ようが、いずれは、くたばることに変わりない。此の世に来るときも身ひとつ、彼の世に戻るときも身ひとつ、ジタバタ馬鹿らしい。






なんでもいいけど明日仕事だね、休みにしたれよ。「こいつ、あかんなあ」




















カメレオンの独り言-1084 『南北戦争・ディキシーランド I WISH I WAS IN DIXIE LAND』

2014年03月21日 | 日記







 『風とともに去りぬ』 明日(3/21)の分です。







ディキシー(Dixie)は、アメリカ合衆国南部諸州の通称。ディキシーランド(Dixieland)とも呼ばれる。

南北戦争時にアメリカ連合国軍の行進歌として使われたことからディキシーという呼び名が広まったとある。

ジョン・フォードの西部劇によく使われる曲だね。此の人は、西部劇の情緒をよく心得た監督だったね。嬉しくさせるのが上手かったよ。






消滅した古き好き南部を思い起させる趣だね。アメリカ人の想いが解るような気がする曲の流しようだったよ。

















映画に流れるような伴奏の奴がないね。仕方がないから、これで我慢しとこ。南部の特産品、綿花をタイトルに使ってるよ。









I Wish I Was in Dixie! - Dixie Land








I WISH I WAS IN DIXIE LAND
(original version)






I wish I was in de land ob cotton,
綿花の土地に帰ることが出来たら

Old times dar am not forgotten,
昔の日々が忘れられない、

Look away! Look away!
遥か彼方の!遥か彼方の!

Look away! Dixie Land.
遥か彼方の! ディキシーランド。




In Dixie Land whar I was born in
ディキシーの土地が俺の生まれた所

Early on one frosty mornin',
ある霧の日の早朝に生まれた

Look away! Look away!
遥か彼方の! 遥か彼方の!

Look away! Dixie Land.
遥か彼方の! ディキシーランド。




Chorus:

Den I wish I was in Dixie,
そんでディキシーに帰れるんなら、

Hooray! Hooray!
万歳さ、万歳さ、

In Dixie Land I'll take my stand,
ディキシーの土地に身を置き、

To lib and die in Dixie!
生活しそして死を迎えたい。



Away, away,
遥かな、遥かな、

Away down South in Dixie!
遥かな南部のディキシーに!

Away, away,
遥かな、遥かな、

Away down South in Dixie!
遥かな南部のディキシーに!

















Old Missus marry . . . Will de weaber,
年老いた女が結婚したのは織工のウィル、

Willium was a gay deceaber,
ウィリアムは陽気な嘘つき

Look away! Look away!
遥か彼方の! 遥か彼方の!

Look away! Dixie Land.
遥か彼方の! ディキシーランド。



But when he put his arm around 'er,
でもあいつが彼女の体に手をまわし

He smil'd as fierce as a forty puncher
あいつが笑うとまるで40人のおまわりみたい

Look away! Look away!
遥か彼方の! 遥か彼方の!

Look away! Dixie Land.
遥か彼方の! ディキシーランド。



Chorus:

Den I wish I was in Dixie,
そんでディキシーに帰れるんなら、

Hooray! Hooray!
万歳さ、万歳さ、

In Dixie Land I'll take my stand,
ディキシーの土地に身を置き、

To lib and die in Dixie!
生活しそして死を迎えたい。



Away, away,
遥かな、遥かな、

Away down South in Dixie!
遥かな南部のディキシーに!

Away, away,
遥かな、遥かな、

Away down South in Dixie!
遥かな南部のディキシーに!

















His face was a sharp as a butcher's cleaber,
あいつの顔は肉屋の包丁みたいに鋭く、

But dat did not seem o greab 'er,
でも彼女は悲しそうに見えなかった。

Look away! Look away!
遥か彼方の! 遥か彼方の!

Look away! Dixie Land.
遥か彼方の! ディキシーランド。




Old Missus acted the foolish part,
年老いた女は馬鹿な役を演じたもの、

And died for a man that broke her heart,
それで彼女は男の仕打ちに心を痛めて死んだ、

Look away! Look away!
遥か彼方の! 遥か彼方の!

Look away! Dixie Land.
か彼方の! ディキシーランド。





Chorus:

Den I wish I was in Dixie,
そんでディキシーに帰れるんなら、

Hooray! Hooray!
万歳さ、万歳さ、

In Dixie Land I'll take my stand,
ディキシーの土地に身を置き、

To lib and die in Dixie!
生活しそして死を迎えたい。



Away, away,
遥かな、遥かな、

Away down South in Dixie!
遥かな南部のディキシーに!

Away, away,
遥かな、遥かな、

Away down South in Dixie!
遥かな南部のディキシーに!

















Now here's a health to the next old Missus,
さてここに隣の年老いた女の安らぎがあり、

And all de gals dat want to kiss us,
それに娘たちは俺たちに口づけしたがる場所、

Look away! Look away!
遥か彼方の! 遥か彼方の!

Look away! Dixie Land.
遥か彼方の! ディキシーランド。




But if you want drive 'way sorrow,
でも悲しみを振り払いたいなら、

Come and hear dis song to-morrow,
明日も来てこの歌を聞いたらいいさ、

Look away! Look away!
遥か彼方の! 遥か彼方の!

Look away! Dixie Land.
遥か彼方の! ディキシーランド。





Chorus:

Den I wish I was in Dixie,
そんでディキシーに帰れるんなら、

Hooray! Hooray!
万歳さ、万歳さ、

In Dixie Land I'll take my stand,
ディキシーの土地に身を置き、

To lib and die in Dixie!
生活しそして死を迎えたい。



Away, away,
遥かな、遥かな、

Away down South in Dixie!
遥かな南部のディキシーに!

Away, away,
遥かな、遥かな、

Away down South in Dixie!
遥かな南部のディキシーに!















Dar's buckwheat cakes an Ingen batter,
そば粉のケーキとインディアン・ビターの飲み物で、

Makes you fat or a little fatter,
あんたは太るよ、それともちょっとだけかも、

Look away! Look away!
遥か彼方の! 遥か彼方の!

Look away! Dixie Land.
遥か彼方の! ディキシーランド。




Den hoe it down an' scratch your grabble,
抑えておいてあんたのgrabbleを掻くんだ    注:(この行は訳不可)とある。猥褻なる表現じゃないかね? むこうは、こんなの平気だもんね。

To Dixie's land I'm bound to trabble,
ディキシーランドへ俺は旅する、

Look away! Look away!
遥か彼方の! 遥か彼方の!


Look away! Dixie Land.
遥か彼方の! ディキシーランド。




Chorus:

Den I wish I was in Dixie,
そんでディキシーに帰れるんなら、

Hooray! Hooray!
万歳さ、万歳さ、

In Dixie Land I'll take my stand,
ディキシーの土地に身を置き、

To lib and die in Dixie!
生活しそして死を迎えたい。



Away, away,
遥かな、遥かな、

Away down South in Dixie!
遥かな南部のディキシーに!

Away, away,
遥かな、遥かな、

Away down South in Dixie!
遥かな南部のディキシーに!















南部で産出するタバコ、コメ、藍、綿は、1800年以降、有力な輸出農業産品となり経済が発展した。

1700年以後、南部の働き手はアフリカ人奴隷によって支えられた。アメリカに運ばれたアフリカ人の暗黒時代だね。

綿栽培の急増によってアフリカ人奴隷は、19世紀初めの南部の経済にとっては不可欠な部分となった。おかげで、南部の暮らしは裕福なものとなったんだね。






1861年、奴隷制度廃止を掲げる合衆国大統領エイブラハム・リンカーンに対し、奴隷制で成り立つ産業を守るため南部11州が合衆国を脱退し、

アメリカ連合国を樹立対向して南北戦争が勃発する。工業系で発展を目指す北部は、このとき経済的には、南部に遠く及ばなかったんだね。

しかし、それ以前に、我が日本に渡航したペリー提督の黒船の後、ハリスが渡航し莫大な資金を持ち帰るんだね。



















ハリスは、当時の日本が世界通貨価値を見誤っていることに気づいたんだね。早々に通貨条約を締結して無知な日本から金を搾り取ったんだね。






ハリスは、日本が認知する小判と対価の銀貨と交換し、其れを香港で換金する方法でとてつもない儲けを生み出した。この黄金の往復を繰り返して

作られた莫大な資金は、北部の軍資金を充足させても、まだ、余りあるものだったんだね。

この経緯は、460回「米国 南北戦争」で紹介しているので省略します。






南部は、負けられない戦争であることを我が身で心得ていたんだろうね。農業生産する土地は広大なるものであっても労働者を失えば成り立たない。






1863年のゲティスバーグの戦いが南部の命運を決めたんだね。敗北の後、南部では、工業系に明るい者は育って居らず、形勢は逆転して北部は栄えに栄えたんだね。

南部の経済は衰退し復活の兆しを見るのは、世紀を越えて第2次世界大戦以降となったんだね。

また、アフリカ系アメリカ人は、奴隷解放の後、差別甚だしい時代を生きて、実際の平等を手に入れるのに1960年代までの年月が必要とされたらしいね。






麗しき南部のたわわと実りし綿花の大地よ、豪奢な邸宅よ、優雅なりし生活よ、南部の人々が華やかなりし昔日に思いを馳せる、其処が、ディキシーランドなんだね。

映画『風とともに去りぬ』で、南北戦争当時の南部の生活ぶりが描かれている。此の映画は、空前の大ヒットとなったんだね。

主演は、クラーク・ゲイブルとヴィビアン・リー。このヴィビアン・リーが綺麗だったね。



















「アフリカ人をこき使って築き上げたもんじゃないか」 そうだよ。其れがどうした? 「悪者じゃないか」 其れが時代じゃないか。

こき使われてアフリカ人は学んだんだよ。そしてアメリカ人になって、今じゃ大統領になってるじゃないか。

歴史の道だよ。過去のことを拾い上げて、どうたらこうたら厭きずに云ってる奴等がいるね、歴史の道は、まだまだ繋がって未知へと続いてる。






愚かを繰り返すかも知れない道は、まだまだ、延々と続いているよ。途中じゃないか。愚かなくして気づきはないんだよ。愚かを知って成長するんだよ。





















カメレオンの独り言-1083 『ガラスのハート』

2014年03月20日 | 日記







 明日(3/20)の分です。







仕事の日の朝、目覚めたら「嫌だああ~」って、心に重石をぶら下げたような息苦しい思いってなんなんだろうね?

「鬱陶しい用件があんのかよ?」 別に無い。「なんやねん、どういうことや?」 だから、「嫌だああ~」って抵抗感が起こるんだよ。

最近、無かったんだけど、今日は、死にたいわと思ったよ。「おまえもしんどい人生を生きてるね」 そうみたいだね。






毎日、そんな抵抗感を味わうことなく皆さんは生きてますか? 「誰に聞いてんねん?」 いや、皆さんにだよ。

「なんか嫌な用件が待ち構えていれば、そらあ、重苦しいとは思うけど無いんだろ?」 若い時からずっとだよ。

「察するところ、それは心の染みだね」 染み? 「満足を生きてない症候群だよ」 なるほど、そう云われれば、そうかも知れん。






「おまえの人生を物語ってるんだよ」 嫌から始まる人生か? そういえば、そうだね。変えねばならんね。「もう遅い」 ああ、そう。

「おまえぐらいになれば、もう、受け入れろ」 受け入れてる積もりだけどね。「いや、受け入れてない。抵抗感が、それを示しているよ」

なんでも来いやっ。「それがいかんのだ」 なんでや? 「呼んでおるではないか」 だから、鬱陶しいことが多いのか? 「そうだ」






「人が冷たく感じるのは、寄せ付けぬ守りを心得ているからだよ。おまえみたいに、なんでも来いやではないんだよ」 ああ、そう。

「苦しければ苦しいまま受けて立つってのは、もう、やめろ」 強くなると思ってんだけど、あまり、効果はないね。「だろ?」 しんどいだけだよ。

「棄てる勇気も大事だぞ」 身に染み付いたかね? 「みたいだね」 知らぬ世界があるんだろうね? 「あるさ、世間は広いぞ」 



















ポカポカ暖かなお日さんが照って麗らかな一日(3/17)だったね。京都のお水取りも終わって、此の彼岸が過ぎたら肌身に感じて春になるね。

おませな小6の女の子が帰って来て「★★ちゃん、これ見てみい」 ランドセルに寄せ書きして貰ってる。ああ、そうか、卒業だね。

「うん、明日」 おまえも、此の春から中学かあ、早いねえ。「せやでえ~」  






数え切れないほどの子達が「★★ちゃん、★★ちゃん」って寄ってくる。みんなが、無事にどんどん成長していく。結構なことだね。

その成長ぶりを木や花に例えて表現されるけれど、まさしく、その通りだね。こんなの目の当たりにしてると、人間って、絶えないねって思うよ。

こんなのに押されて古びていくものが、ポロポロ逝っても、ちゃんと穴埋めされていくんだね。酷いシステムだね。



















今日は、小学校の卒業式って云ってたな、あいにく天気はいまいちだね。今にも降りそうな空模様だけど寒くはない。

「★★ちゃん、帰ってきたで」 おう、お洒落してんね。卒業式からおませな小6の女の子が帰ったきたよ。

おまえも、そうしてお洒落すると見違えて綺麗だね。クルクル回って見せてるよ。うん、合格だね。「★★ちゃん、何センチと思う?」 う~ん、152、3かな?






「そおうっ、ちょっと伸びてんでっ」 大きくなりたいんだね。「★★ちゃん、また、あとから来るわ」 友達等とプリクラだったかな?撮りに行ったよ。

ゾロゾロ、次から次から覗いてキャッキャッ云ってるよ。女の子ってのは、お洒落すると気が高揚するのかね? なんか、いつもと調子が違うね。

そのうち「★★ちゃん、わたしと〇〇〇、どっちが可愛い?」 おまえ、そんなこと聞くな。おませな女の子の連れの子が「わたしは、あかん」って下向いてる。






おっ幸い、片目つむって「〇〇〇やなあ」って気にかけぬふうに答えてる。聞いた子は笑って、顔上げた連れの子も笑ってる。よかったね。

「どちらも可愛いって云えば済むだろ?」 瞬間の判断だよ、それじゃ済まんって勘だよ。連れの子は、自分を知ってるみたいなんだよ。 

兄貴に、毎度、貶(けな)されて哀しい思いをしてんだよ。少し、ふてくされてるところがあって、口の利き方も、わざと悪ぶるんだね。






どちらも可愛いよって云ってみろ、聞いた子がどっちかやんって聞きなおすよ。長引けば、連れの女の子が、心を痛めるよ。しかし、女は酷いとこあるね。



















「おまえの判断は正しかったか?」 知らん。二人は仲がいいみたいなんだよ。聞いた子が、賢ければ配慮ってのを学ぶだろうよ。

「アホだったら?」 勝ち誇って悦に入るのかね? その子もアホじゃないよ。オレが片目を瞑って云った理由を考えてるよ。

子供の時ってのは、知らず知らず残酷なことを平気で云ってしまう失敗をするもんだよ。悪気じゃないんだね。知らないことを知る機会だね。






そんなのを繰り返し繰り返し気づいていくんだね、人の心の弱さを。「ガラスのハートか?」 そうだよ、オレなんか、いつも粉々だよ。

「割れないガラスのハートって奴も居るだろうね?」 アホか、鈍感か、それとも自信の塊だろうかだね。でも、自信が崩壊すると粉々だよ。

いろんな事情や思いを抱えて群れん中に居る。伝わらぬ思いに心はヒビだらけ、その都度、貼ってるセロハンテープで向こうが見えなくなるんだよ。



















友達と連れだって初めて来たのが、中一になったばかりだったかなあ。彼女とは長かったね。今じゃ、もう、大学に通ってる。

オレの繊細なハートがヒビだらけになって、貼り付けたテープで、何も見えなくなったのは、いつごろからだったかなあ? 

脳裡に残る言葉は、「鈍感や」と、付き合ってる奴を「★★ちゃんに似てるから」 テープが邪魔して見えないんだよ。 でも、オレは、そんな奴に似てないよ。






オレにとって、此の娘(こ)ほど苦しんだ相手はいないよ。罰が当たったんだろうね? また、ヒビが走ったよ、上に貼ったら、全然、皆目、見えないよ。

オレは、滅多に本当に好きにはならないタイプだから、此の娘(こ)とは、此の世で会わねばならん宿命(さだめ)だったのかも知れない。

それならば、せめて、会えたことを喜んで胸に仕舞っておこう。「純愛か?」 そうだよ。「いまどき流行らないらしいよ」 流行(はやり)で生きてんじゃないよ。






「おまえ、また書いてるね」 そうだね、まあ、いいんじゃないの。オレが、ちょっと変わってるってのは、皆さん、もう知ってるよ。























カメレオンの独り言-1082 『南北戦争・自由の雄叫び( Battle Cry of Freedom )』

2014年03月19日 | 日記







  『エイブラハム・リンカーン』 明日(3/19)の分です。








1863年7月のゲティスバーグの戦いは、南北戦争において事実上の決戦となった。

アメリカ合衆国軍とアメリカ連合国軍は、双方が総力を結集、南北戦争史上最大の激戦となった。

戦いは、壮絶を極めたが南軍は敗退、北軍の大勝利をもって終結した。結果的に、この戦いを機に合衆国軍が優勢になったんだね。



















リンカーンのゲティスバーグ演説は1863年11月19日の午後、ペンシルベニア州ゲティスバーグの国立軍人墓地の奉献式で行われた。

この国が、1789年ではなく1776年に生まれ、「自由の精神に育まれ、すべての人は平等につくられているという信条に献げられた」







彼は、この戦争を、これら自由と平等の信条に捧げられるものとして定義した。奴隷解放は、国の戦争遂行の一部となっていた。多くの勇敢な兵士が死んだことは無駄ではない。

その損失の結果として奴隷制が終わるのであり、民主主義の将来が保証され、「人民の、人民による、人民のための、政治を地上から絶滅させない」と主張した。

南北戦争が豊富な目的を持っており、この国における新しい自由の誕生と結論付けた。







演説は、僅か272語、時間にして3分間、リンカーンの、リンカーンによる、リンカーンのための演説となって後世にその功績と名を残したね。










Lincoln Soundtrack | 07 | Call To Muster And Battle Cry Of Freedom










歌詞 自由の喊声( Battle Cry of Freedom )北軍版






Yes we'll rally round the flag, boys, we'll rally once again,
Shouting the battle cry of freedom,
We will rally from the hillside, we'll gather from the plain,]
Shouting the battle cry of freedom




そうだ、我らは旗の下に集結する、兵たちよ、我らは再集結するだろう、

自由の喊声をあげながら、

我らは丘の中腹から、平野から集結するだろう、

自由の雄叫びをあげながら!




The Union forever! Hurrah, boys, hurrah!
Down with the traitor, up with the star;
While we rally round the flag, boys, rally once again,
Shouting the battle cry of freedom!




北部諸州よ永遠なれ!兵士たちに万歳!

反逆者たちを打ち倒し、国旗を上げよ。

我らは旗の下に集結する、兵士たちよ再集結せよ、

自由の雄叫びをあげながら!



















We are springing to the call of our brothers gone before,
Shouting the battle cry of freedom!
And we'll fill our vacant ranks with a million freemen more,
Shouting the battle cry of freedom!




我らは先立った兄弟たちの召命に湧き立つ

自由の喊声をあげながら!

そして我らは欠員兵卒の補充となる、百万を超す自由民と共に

自由の雄叫びをあげながら!




The Union forever! Hurrah, boys, hurrah!
Down with the traitor, up with the star;
While we rally round the flag, boys, rally once again,
Shouting the battle cry of freedom!




北部諸州よ永遠なれ!兵士たちに万歳!

反逆者たちを打ち倒し、国旗を上げよ。

我らは旗の下に集結する、兵士たちよ再集結せよ、

自由の雄叫びをあげながら!



















We will welcome to our numbers the loyal, true and brave,
Shouting the battle cry of freedom!
And although they may be poor, not a man shall be a slave,
Shouting the battle cry of freedom!




我らは忠勇義烈の仲間たちを歓迎するだろう、

自由の喊声をあげながら!

彼らは貧しかろうとも、奴隷にはなるまい、

自由の雄叫びをあげながら!




The Union forever! Hurrah, boys, hurrah!
Down with the traitor, up with the star;
While we rally round the flag, boys, rally once again,
Shouting the battle cry of freedom!




北部諸州よ永遠なれ!兵士たちに万歳!

反逆者たちを打ち倒し、国旗を上げよ。

我らは旗の下に集結する、兵士たちよ再集結せよ、

自由の雄叫びをあげながら!



















So we're springing to the call from the East and from the West,
Shouting the battle cry of Freedom;
And we'll hurl the rebel crew from the land that we love best,
Shouting the battle cry of Freedom.





我らは東西からの召命に湧き立つ

自由の喊声をあげながら。

我らは愛する郷土から反逆者たちを葬り去るだろう、

自由の雄叫びをあげながら!




The Union forever! Hurrah, boys, hurrah!
Down with the traitor, up with the star;
While we rally round the flag, boys, rally once again,
Shouting the battle cry of freedom!




北部諸州よ永遠なれ!兵士たちに万歳!

反逆者たちを打ち倒し、国旗を上げよ。

我らは旗の下に集結する、兵士たちよ再集結せよ、

自由の雄叫びをあげながら!




While we rally round the flag, boys, rally once again,
Shouting the battle cry of freedom!




我らは旗の下に集結する、兵士たちよ再集結せよ、

自由の雄叫びをあげながら!

















































南北戦争の双方の犠牲者は、戦死、戦病死者併せて約82万人と云われているね。戦傷者は、約41万人にのぼる。

82万人の兵士は、結果を知らずに彼の世へ逝った。なんだろうかね? 個人から見れば、俺達は、消耗品でしかないんじゃないの? 

「多くの勇敢な兵士が死んだことは無駄ではない」 人も新しい芽を吹かせるには、肥やしとなる犠牲が要るのかねえ?






おもくそ美化して貰わんことには肥やしにはなれんで。




























カメレオンの独り言-1081 『嫌われる男』

2014年03月18日 | 日記






 明日(3/18)の分です。







過去に書いたのは、正直、忘れてしまうのが多い。心の何処かで、下らんこと書いたんじゃないかなあと不安が過(よ)ぎることはある。

恥、垂れ流し、恥を怖れて何を書く。事実とは、不快なるもんなんだよ。だから、不快に慣れればいいんだよ。

「自虐の悦びか?」 変態の話じゃないよ、慣れるってのはね、事実を受け入れて飾らぬ自分を生きればいいと云うことだよ。






何ごとも言うは易し、するは難(がた)しだけどね、向こう岸に行くには、ドブ河に浸かって往かねばならん。躊躇(ちゅうちょ)するね。

でも、渡ってしまえば本当の自分が、其処に居る。ドブ河如きのために、延々と自分を偽って生きる愚かを知るよ。

しかし、抜け出るコツを知ってての話だよ。ドボッと嵌(は)まり込んで上がって来れないなんてのは駄目だよ。もう一つ、不快な事実を増やすばかりだよ。






「おまえは、人をおちょくってんか?」 自分を基準に押し付けるべきではないと云う配慮だよ。オレが出来ても出来ない人も居る。

人が出来るのに、オレは出来ないことが多いから、そのぶん、思い遣りを学ぶんだよ。

オレが出来るから、おまえも出来るなんて軍隊みたいなこと云う奴って居るね。出来るおまえが行って死んでこい。「怒りよるぞ」 冗談だよ。




















今日の朝、夜明けのコーヒーを呑みながら 「何時や?」 10時回ってたね。「朝のコーヒーやろ」 うるさいね。

パソコン起動して編集欄からアクセスの解析を見たんだけど、過去に書いた503回の「ビフォア・サンライズ」を、凄い数の人が見てるの。

503回と云ったら、一昨年前に書いた奴なんだね。心配になってきて 「なにが心配やねん?」 いや、内容のほどが気がかりだよ。







遡って 「ビフォア・サンライズ」 を開いて内容をチェックしてんの。「遅いわ、アホ」 今も拙(つたな)いのしか書けないのに昔に戻るなよ。

映画紹介は、苦手だから余計に慌てる自分が居るよ。「じゃあ、書くな」 でも、それなりに書けてるよ、ほっとしたよ。

此の映画の続々編が公開されるらしいから、以前のを見てみようって人が調べてるうちに紛れ込んだんだね。いいでしょ? 「なにがや?」







いや、映画の内容がだよ。オレのを見て、よし、彼女と行こうなんて思う人も居るかも知れないよ。「おまえのでかあ?」 写真貼りまくりで誘ってんの。

旅に出れば、このような出会いもあるのかねえ? 自分の知らぬところで人は人恋しく思ってるのかなあ?

外国へ一人旅して殺されてる女性もチラホラ新聞に出るね。世の中は、自分と同じ色には染まってないからね。浮き立つ自分を忘れぬことだね。






「愉しい話に持って行けよ」 おまえも殺されるタイプだね。「なんでやねん?」 同色系統が無難なんだよ。カメレオンの技だよ。 



















最近、映画を観てないね。借りてハードに取って眠ってるのが、案外、多いんだよ。調べるのがめんどいから借りに行く。

5本で千円だから5本借りて来て1本は観る、2本目も観る時には観るね。あとの3本はハードに取っておいて置く。この繰り返しだね。

「観てない方が多いじゃないか」 そうだね。「そうだねじゃないだろ? 全部観てから借りに行けよ」 映画ってのは、その気になってこそだよ。







このブログ始めてから2時間のロスは命取りだよ。「大層な」 時間ってのはね、気侭なもんだよ。仕事中の時間は針が止ってる思いだよ。

くつろぎの時は、10秒間隔で飛ばし飛ばし進んでおるよ。20秒の時もあるぞ。だから、映画をゆっくり観ると、あとが怖い。

映画紹介に使えそうな奴ならいいけど、言葉にして紹介が難しいのは、時間食って自殺もんだよ。







グーグルなんかで検索してて、他所さんのブログの映画紹介に行き当たるときがある。難しいぞお~、プロなみだよ。畏れ入るよ。

「おまえのは?」 子供でも書ける内容だねっ。「胸張ってるね」 いいじゃないか、教科書じゃないところがいい。

爺婆でも読めるよ。「おまえな、前から気になってんだけど、なんで、爺婆って云う?」 あのね、お爺さん、お婆さんって書いてたら時間が要るだろ。







オレも爺だよ。爺さんや婆さんは、まとめて爺婆と略すんだよ。「感じ悪いぞ」 意図的でもあるね。「余計に悪いわ、アホッ」

もう、人間から外れてんだよ。「あんなあ~、列記とした人間だぞっ」 邪魔臭いんだよ。「おまえの人間性を疑うわ」 疑え、疑え。

善い人に演出はしない。善いか悪いかは、本質の問題だよ。見てくれ丁寧に書いたからって、その書いた奴が善い人かなんて解らない。






世間一般の常識人ってやつさ。世間一般の常識人は、安心対象ではあるけれども、すべからく常識の名の基、冷酷でもあるんだよ。「ホンマかよ?」 「ホンマだよ」





















非常識が善いって云ってんじゃないよ。常識を弁(わきま)えた上で、習ったことを鵜呑みにしない、自分で考え自分の意思を基に生きて責任をとるだよ。

常識から外れていても、その人間の思いを推し量って理解し受け入れてやる幅を養うべしだよ。

間違っているから許せないって、ただ、ヒステリックに責めるだけの奴がいるんだね。自分の度量の無さを喧伝して恥じない。そんなの嫌い。






でもね、そんな人でも敵じゃないんだね。それで生きてる。自分の主張を支えに必死に生きてる人なんだよ。癖は嫌いでも人を嫌いはしない。

オレの主張を嫌う人も沢山居るだろうね、でも、其れを支えに生きてる。オレと云う人間を嫌わないでね。「なんやねん、媚びてんか?」

人間は、そんなに強くないよ。なんらかの恩恵や庇護を受けつつ生きてる事実に気づくべきだよ。人は互いに支えあって生きてるんだよ。







「爺婆と関係あんのか?」 しつこいなあ~、オレの主張の上において、その表現でいいんだよ。でも、嫌わないでね、だよ。「嫌われるわ」























カメレオンの独り言-1080 『休日の朝の木漏れ日』

2014年03月17日 | 日記






 明日(3/17)の分です。






今日(3/15)の休みは値打ちがあったよ。なんか、この2、3日しんどかったから「ほっ」とした。

しんどくなると集中力が落ちるね。粘りもなくなって、どうでもいいやってなるよ。

何処かへ行きたいね。ふらあっと風の吹くまま足の向くまま、何処かへ行きたいよ。目標の3年目を目の前にして、ちょっと、気が抜けたかなあ?






石の上に三年って云うから、なんとしても遣り通すって意志で此処まで書いて来た。駄文の山が、丘程度に盛り上がったね。

遣り続けていれば、必ず、訪れる人は自然と増えると思っていたけど、今のところ、思ってた通りになったね。

毎日、毎日、数字は上がる一方だよ。駄文で、ここまで人さんを呼べたら大したもんだよ。猫ちゃん犬ちゃん、待ってろよ。すぐ真後ろに行くよ。






でも、なんか引っ掛かる思いがなくもない。果たして、駄文で此処まで人が寄るかあ? どうも、合点がいかんのだね。

どなたかが紹介してくださってるのかなあ? でも、紹介されても面白くなければ去るだろうしね、訳解らんわ。

まあ、兎に角、今、覗いてくださってる方々に少しでもまともな文章をお見せしたいよ。






それには勉強が不可欠だね。遣ったるとは思ってんだけど時間が無い。疲れと睡魔が邪魔をする。遣るべき時期に遣っておくべきだったね。



















「後悔先に立たずだね」 そうだね。でも、嘆いてどうなるものでもない。毎日欠かさず書いてりゃ僅かでも身になるものを得てるかもね。

数字ってのは、カラクリだね。300を目標に書いてたときは、とんでもない遠い数字だった。

270や290なんかが、常になってくると目標を立てた時の位置と同じ思いになってくるね。つまり、剥いた話し、大したことに思えないんだね。






1000以上なんてのが上にごまんと居る。300が、ささやかな数字に思えるんだね。お金もそうだろうね。

無い者からすれば100万はとんでもない額面だけど、100万持ってる人からすれば些細な額面でしかない。

1千万も1億も、持てばささやかな額面でしかないんだろうね。満足と安心なんてのは無いことになる。上を目指すものに休息は無い。常に精進、努力の連続だね。






共通点は、止ってはいけないってことだろうね。弛まぬ努力を続けて維持を図らねば上には往けん。歩き続けるしかないのは同じだね。



















シグマの8-16mm F4.5-5.6 DC HSMのレンズをカメラにセットしてファインダーを覗いたり、ピント合わせたり、拭いたり、いいねえ~。

こいつを撮るのにEOS 24-70mm F2.8L USMの着いたカメラも出してきて、久しぶりに持ってみたら、やっぱり、こいつはいいわ。

値打ちもんだね。今度は、いつかカメラを買わんといかんなあ。マイナーチェンジが速すぎるよ。






オレなんか滅多に使わないから、防湿庫の中で旧式になっちゃってるよ。なんか、オレの頭と一緒の感じがするよ。使わぬままが長かった。 



















今年は、口だけじゃなしに、ホントにカメラ持って出かけよう。そろそろ、なにか気づきが欲しいからね。篭ってちゃ出て来んわ。

ああ、そうだ、オレが、外へ出ないのには、ズボラだけじゃないんだね。他人(ひと)さんのことを好きなように貶したりしてるけど「するな、アホ」

オレは、服が鬱陶しいんだよ。「裸がええんか?」 馬鹿か? なんでオレが、ストリップショーして歩かねばならんのだ。目立つだろうね。






気に入らん服だよ。なんか遊びに出るって云ったら、それらしい服があるだろ? オレは、あれが似合わないんだよ。チンドン屋だよ。

「ラフな服か?」 そう云うのか? 柄の入ったセーターとか、短い脚を強調するためのGパンとか、「そのためかあ?」 違うのか?

オレは、着替えて着飾るってのが好きじゃないの。いつもおんなじ格好でいいんだよ。中身も一緒なんだから。「どんななのが許せるの?」






仕事してるときの格好でいいんだよ。「おまえ、野や山へ出かけるのに仕事の格好するか?」 おっさんなったら、余計にそいでいいんだよ。

「気分転換ならんだろ?」 チンドン屋してまで変えなくていいよ。嫌だと思って歩くとね、自分じゃないんだね。凄く疲れるんだよ。

自分で居たいんだね。「仕事のままかよ」 オーソドックスが一番いいよ。気分に負担を懸けるのが鬱陶しいんだね。






衣装に凝る人って、値嵩の張った服着てるらしいけど、そんなの、オレから見たら、全然、解らんの。こざっぱりしてりゃいいんだよ。



















オレの、その感覚はね、思うに、知らぬ間に洋画で学んだんだと思うよ。イメージに固執するんじゃないかなあ? 自分のイメージだよ。

違うイメージを受け入れられなくしたのかも知れんね。「洋画って、洋画でも着替えてるぞ」 見方の解らん奴だね。

オレの観る映画が偏ってるのかも知れんけど、そうそう着替えないよ。仕事着の上にジャケットなんか羽織って街ん中、デートしてるよ。






オレは、そういうのが好きなんだね。男が出かけるのに上から下まで着替えなきゃ出れんなんて、服屋の陰謀に嵌まってるんだよ。

子供や若者たちに 「★★ちゃん、格好いいよ」って、云って貰えれば、それが自分だよ。それ以上なんて望まないよ。

同色系の上下を交互に着てりゃあ、こざっぱりしてられるよ。着替えて変身を愉しむのは女性の専売特許だよ。オレの分を回してあげるよ。



















「じゃあ、それで行けよ」 それで行きかけるとね、「あんたあ、仕事に行くんかあっ」って、奥さんが云うの。出端をくじかれるんだね。

で、無理して、上下を着替えて表に出ると、心はチンドン屋なんだね。疲れに出るようなもんだよ。

「おまえ、自意識過剰じゃないのか?」 それもある。「おっ、無いとは云わんね」 目立ちたくない、これだね。「誰も、見取らんわ」 






じゃあ、何故、着替える? 全く、意味がないじゃないか。誰のために着替えるんだよ。「そらあ、会う人に対してだよ」 

オレに云わせれば、会う人は、そんなのべつに見たくないと思うよ。服と喋る訳じゃないんだから。

自分で居れる服が自分の衣装だよ。服に着せられて歩くぶざまほど滑稽なものはない。






今年は、徹底して、此れで通して外界に出る。「勝手にせえ」 靴は色を変えようかなあ? セーターは、明る目がいいだろうなあ? 反応がないね?
























カメレオンの独り言