カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1375 『我は汝に誓う、我が祖国よ (I Vow To Thee, My Country)』

2015年02月26日 | 日記






 『MI5:消された機密ファイル』 2015年2月26日








人が亡くなるってのは風のようだね。いつも顔を合わせれば笑って一言、二言、言葉を交わしていた近所のご主人が肝臓を患って亡くなられた。

4~5日前、外で煙草を吹かせていたら杖をついて来られたので、いつもと変わらず挨拶を交わして、そのお顔を見て内心吃驚した。

真っ黄色だったんだね。黄疸だね。頬が削げ落ち話される声も張りがない。ご主人、寂しいでしょうが入院してのんびりされた方がいいですよ。







「いいやあ、行ったら帰って来れんですよ」って、笑いを浮かべて元気なく応えられる。「脚がねえ、こんなに腫れて歩くのが大変ですよ」

見るからに弱られたのは、つい最近だけど、その進行が速いように感じられた。考えたら、そのときが最期だったね。

何も変わらず一日、二日と過ぎるように、なんの気配すら無いままに彼の世へ旅立たれたね。今日も、何も変わらず流れて往くよ。







生も死も、日常の中のあちら此方に散りばめられて我が身が触れぬ処で、極、当たり前の風景のように流れているんだね。

地球より重たい命のはずなのに、我は、此の世でたった一つという主人公のはずなのに、枯葉が枝から舞い落ちる如きの一生の終わりだね。

オレも、いずれは舞い落ちて風に飛ぶ。風景の中の自分ではなく、オレが飛んで行くと思ってくたばろう。























勝手ながら週単発の更新に切替えたら風呂上りのビールを安心して呑めるよ。仕事から解放されて湯でダコなってビールが美味いっ。

こんな開放感は久しぶりだね。好きな映画も、ゆっくりと観れるよ。船を漕ぎ出したら無駄な抵抗せずに布団で寝れるよ。

春になったら休みの日は外へ出かけよう。ヘボな感性に刺激を与えて生き返らさねばならん。くたばるまで戦ってやる。みちょれ。













『レイチェル・ワイズ、 ビル・ナイ』








映画らしい映画を観たよ。『MI5:消された機密ファイル』 ビル・ナイ レイチェル・ワイズ レイフ・ファインズ出演 2011年度英国

主役のビル・ナイって役者は、あまり馴染みがないんだけど初老の紳士って雰囲気でいいねえ。

静かな映画なの。MI5は、英国情報機関の部署名、ちなみにMI6ってのは、かの007なんかが所属して国内外に活動する部署なんだね。






ビル・ナイは、国内活動が主なMI5で長く活躍してきた諜報員なんだけど、インテリチックで英国紳士を彷彿とさせる人柄。

意味のないことなどペラペラとオレみたいに喋らないの。簡潔な表現で事足りるんだね。無駄がないんだね。

頭の天辺も禿げてんだけど格好いいんだね。知性が、其れをカバーして格好良さに変えるあたり相当の人だよ。






わりと真面目に観ていたんだけど、情けなや、最期が解らない。問題となる機密文書を空港のゴミ箱にポイと捨てるんだけど、どういうことなのお~?

此れが解らなければ何にも解ってないんじゃないの? 心地よい静かな展開のなかに緊張感の線がピンッと張られて引きずられて魅せるんだけど

最期の締めが、いまいち納得いってないんだね。これはどういうことなの? あちら此方でべた褒めしてる映画紹介のネタバレ探してみたんだけど無い。












『ビル・ナイ』








英国首相が隠しおうしたい機密文書を報道させたんだけどテレビで英国首相は笑ってる? 機密文書はゴミ箱へポイ? 解らんなあ~意味不明やなあ~。

「ビール呑んだあ?」 当然だよ、呑んだよお~2缶。気持ちいいんだよ。

なんで、英国首相のレイ・ファインズはにこやかに笑ってるんだろ? ヤケクソか? で、ビル・ナイは、何処となく姿を隠すために飛行機で海外へ?






もう一回観んと解らんね。「こんな紹介だけでは おまえが、何を解らんのかも、何がなにやら、さっぱり解らんやないか?」 

紹介してるオレが解らんのだから仕方ないよ。しかし、映画の醸しだす雰囲気は実に良かったよ。ドタバタ一切なしで魅せる映画だね。

上手い紹介されてる記事が多いから検索して理解して。「なんちゅう奴や、ズボラもええとこやないか」 映画を観れば全てが解るよ。













『ソンムの戦い』








此の映画で、ラストに流れる歌がいいねえ。平原綾香の『ジュピターJUPITER』ってグスターヴ・ホルストの「木星」(管弦楽組曲『惑星』の第4曲)の

旋律のエエとこ取りして創った歌があったね。実は、英国では、1918年に同じく、この間曲に歌詞を載せて歌が創られていたんだよ。

其れも愛国歌なんだね。イングランド国教会の聖歌でもある。『我は汝に誓う、我が祖国よ』 "I Vow To Thee, My Country" 







『惑星』は1916年の作曲らしいね。1918年、イギリスの外交官セシル・スプリング=ライスの作詞とある。

当時、ヨーロッパは第一次世界大戦の最中(さなか)であり、一番では祖国への忠誠心を、二番では平穏の理想の国家について言及している。

ダイアナ妃がこの聖歌を好んだとされ、チャールズ王太子との結婚式で演奏されたほか、ダイアナ妃の葬儀の際には長男ウィリアム王子の要望で演奏された。










World War 1 I vow to thee
  『我は汝に誓う、我が祖国よ』











第一次世界大戦における最大の会戦は、フランス北部・ピカルディ地方を流れるソンム河畔の戦線において展開されたソンムの戦いなんだね。

この戦いでは、大戦中、連合軍側、同盟軍側ともに最大の死傷者をだした。

連合国側のイギリス軍・フランス軍が、同盟国側のドイツ軍に対する大攻勢として開始し、最終的に両軍合わせて100万人以上の死傷者を出した。







此の1916年7月1日から同11月19日までの大攻勢で連合国軍側は、敵領地に侵攻したが最終的に勝ち得たのは、なんと僅か11キロの範囲だったんだね。

この戦いで双方の死傷者は、英国、419,654人  仏国、204,253人  計、623,907人(内死者不明者 146,431人)         

独国、465,000 - 600,000人(内死者不明者 164,055人) まさしく、人的消耗戦の一語に尽きる戦いだね。







両軍が築き始めた塹壕線は、やがてスイス国境からベルギーのフラマン海岸まで続く線として繋がった。いわゆる「海へのレース」である。

第一次世界大戦ヨーロッパ戦線は、この塹壕の奪い合いが主で、1914年7月28日~1918年11月11日の間において、

連合軍側の戦死者 553万人、戦傷者 1,283万人、行方不明 412万人。同盟国側は、戦死者 439万人、戦傷者 839万人、行方不明 363万人。























このソンムの戦いに関わらず、此れに匹敵する多大な損害を量産した会戦も多く、銃砲火の前に生身を曝して突撃する正攻法の繰り返しが塹壕戦なんだね。

スティーブン・スピルバーグの映画「戦火の馬」は、このソンムの戦いが背景になってる。

4年程の年月で770万人ほどの人が行方知れずとなるなんて普通じゃ考えられない数字だね。肉や骨が粉微塵に砕け散って痕跡残さず亡くなったのかね?







累々たる泥沼に填まり、もがき苦しんで死んだ穴が墓地となったのかね? 当時は、まだ、騎士道華やかかりし夢に勇み立ち、我も我もと戦地に

赴く若者が多くあったと云う。当地は、想いとは、はるかに裏腹で地獄の沼に這いずり回り堵殺の様相甚だしく打ち砕かれて弾丸(たま)の中だね。

祖国とは誰のものぞとは、離れて気付くものかも知れん。我が血を流して永久(とわ)に平和にあれと想うものかも知れんね。























『我は汝に誓う、我が祖国よ』の一番の歌詞は、この第一次世界大戦でイギリスが被った多大なる犠牲者たちを強く意識して作詞されたようだね。

これは、戦前に既に完成していた歌詞を外交官セシル・スプリング=ライス氏が戦中に急遽書き換えたとされている。














『フランスのハイ・ウッド・セメトリー イギリスでは赤いポピーが第一次世界大戦における犠牲の象徴とされている』









『我は汝に誓う、我が祖国よ』(I vow to thee, my country)








祖国よ、地上の万物に勝り、

完全無欠にして余すなき祖国よ

我れは汝に誓う、

かくの如き愛を捧げん事を

疑義(ぎぎ)を呈さぬ愛、

試練に耐え抜く愛、

最愛の人 最良の友をも

贄(にえ)に供する愛、

磐石不動の愛、

恩に報いる愛、

怯(ひる)まず至高の犠牲を払う愛を

我は祖国に捧げ奉(たてまつ)らん




I vow to thee, my country,

all earthly things above,

Entire and whole and perfect,

the service of my love:

The love that asks no question,

the love that stands the test,

That lays upon the altar

the dearest and the best;

The love that never falters,

the love that pays the price,

The love that makes undaunted

the final sacrifice.












『ソンムの戦いの実写』







また他なる国あるを

久しき昔日(せきじつ)に我は聞けり

それは、愛する人には最愛の国

知る人にとっては至上の国

国軍は数えること適(かな)わず

国王には見ゆること適わず

その護(まも)りは誠実なる心

その誇りは艱難(かんなん)

そして精霊はつぎつぎて静寂に

その光満てる境は広ごりて

その優しき心のゆくところ

遍(あまね)く平穏が訪れんと




And there's another country,

I've heard of long ago,

Most dear to them that love her,

most great to them that know;

We may not count her armies,

we may not see her King;

Her fortress is a faithful heart,

her pride is suffering;

And soul by soul and silently

her shining bounds increase,

And her ways are ways of gentleness

and all her paths are peace.









Remembrance Day- Poppy Day 2014









I Vow to Thee, My Country









以下は、第一次世界大戦を描いた絵画。写真とは、また違う趣だね。



















































































『GOOD BYE OLDMAN』 フレッド・マタニア作







苦難をともにして戦ってきた愛馬が息を引き取る瞬間、兵士の表情がなんとも云えず切ない絵、と説明書きがある。『戦火の馬』だね。








オレの話は、何処へ飛ぶやら解らんね。





























カメレオンの独り言-1374 『映画 ザ・セブン・アップス 昔ながらの刑事もの』

2015年02月24日 | 日記









 『バニシング・ポイント』 1974年公開 2015年2月24日









ボタンの掛け違えって言葉があるね。その通りだねって思えることがあるね。歯車が合わずに異音が連続して全てが狂いだす。

どちらも悪くないのかも知れないし、どちらも悪いのかも知れない。

笑って流していたことなのに角が立って流れない。滞りが出来ると其処へ引っかかるごとに問題が起こる。






循環が悪くなると支障をきたす、人と人、長く摩擦なく往き通すことは至難の技だね。技でこなせるものだろうか? 

技ではなくパイプの太さ、つまり、口径の大小がそれを自然回避できて成り立つのが相性なのかも知れないね。

引っ掛からないんだろうね。滞りなく流れるんだろうね。これは、人間の出来不出来以前の働きが功を奏しているんだろうなと思うんだね。






世に在ることは、総じて「運」が支配しているとしか思えない現象だね。努力は、それに次ぐ効果だね。

ボタンを掛け違ったところまで戻って掛け直せば修正が可能なはずだけど、互いが辟易して意欲が湧かずに戻れない。努力の放棄だろうかね?

情、愛着、執着等の度数で試みようとするのはいいけど、一方だけでは掛け直しは出来ない互いの問題だから、また、ちぐはぐを生じる結果だね。






心に棘(とげ)が刺さると問題は微妙な反応を含むから、ボタンを掛け直しただけでは元には戻らないしこりを残す。小さな棘が全てを狂わせるんだね。





















相性がいいなんて振り返り見て知ることじゃないのかね? 相性がいいと思っていたのに上滑りの間で成り立っていたなんてあるからね。

大方が、この思い違いに気付いたけれど、今更、どうのこうのと面倒臭いで蓋をするってのが多いんだろうね。

棘の痛みに敏感なもの、棘の痛みを耐え忍ぶもの、棘の痛みに鈍感なもの様々に様々な人の生きる価値観で捉えようも様々だろうね。







棘の痛みに鈍感なもの同士ってのは、悲しいけれど意外と相性がいいのかも知れないね? 痛め合っても堪えない。

難解な数学の問題を解かねばならぬような事柄が、意外と巷に転がってるんだろうね。解けないから愚かを繰り返して日々を殺して生きる。

独りで生きるは寂しいかも知れないけれど、二人で生きても通じなければ、ただただ、互いにこき下ろして喧しいだけで、結局、独りと同じだよ。






独りで生きる。憧れるねえ。「寂しいぞお~」 二人で生きてても寂しいよ。「困るぞお~」 二人で生きてても困ってる。

通じないから言葉数が増えて行き違いで粗くなるから誤解の山が積み上がる。面倒臭いから放置のままで富士山になってるよ。

惰性で生きてるとね、だんだん、自分という人間性が堕ちていくような気がするよ。心の声が出なくなっていくんだね。これが一番悲しいよ。






其れを相手も思ってるだろうね。波風立てぬことに妥協して惰性で人生終るのが正しいのか? 誰のための人生なのかね?




























刑期が7年以上の重犯罪人(題名のセヴン・アップス)を追う、特捜班たちの活躍を描いたアクション。いいねえ、刑事ものの映画は。

隠された犯罪を暴くためなら、彼らは手段を選ばない。「ブリット」「フレンチ・コネクション」のプロデューサー、P・ダントニが

監督を手掛けたポリス・アクションの好編。もちろんカー・チェイスの迫力も言うことなし。特捜班のリーダーに扮して渋い演技を見せるのがロイ・シャイダー。








































































1968年公開の「ブリット」を彷彿とさせるカー・チェイスが凄い。悪く言えば「ブリッド」と展開が全く一緒だね。






「ブリット」でも殺し屋のドライバー役をこなしたスタントマン、ビル・ヒックマンが、

この映画でも同じ役どころでレーサー上がりの腕を見せて1973 ポンチャック・グランド(Pontiac Grand Ville) 4ドアセダンを爆走させてるね。

此れを追うロイ・シャイダーが1973 ポンチャック・ベントレー(Pontiac Ventura )2ドアクーペを転がせて、アメ車の迫力満点だね。































昔の映画は、女性の髪形やファッションなどは、嫌でも時代を感じさせて、古いって雰囲気はいがめないけど、其の分、人間臭さが出るのかしてリアルだよ。

芝居がかったようなセットなんかが妙に人を浮き立たせてワンカット、ワンカットに意識が集中するんだね。

役者の芸に重きをおいて観客の視線を集中させる狙いかも知れないね。そんなのを感じるんだね。芸の見せ所なんじゃないかね?






メリハリみたいな効果じゃないのかね? ロケの撮影が息を抜くんだね。解放されたような感覚を受けるよ。オレだけかなあ?

カー・チエイスなんか爆発したような展開に圧倒されるんだね。ヤボさからの切替えの効果だと思うよ。

1968年公開の 「刑事マディガン」なんか、地味な刑事ものなんだけどワンシーン、ワンシーンが脳裡に沁みるように残ってるよ。






























こんなのを改めて観ると、今の映画は、すべてにおいて整いすぎて流れ去るように展開して消えていくような感じがする。

だから、最近の映画は、観てる間だけ陶酔して終れば消えちゃうんじゃないの? 余韻も糞もないもんね。

精巧なセットの背景に役者が溶け込んじゃって、全体的にストーリーを追うことに焦点おいてるのかね? 



















「ブリット」がカーチェイスの皮切りだったかね? 当時は、これに触発されてカーチェイスを売りものにした映画が次々と製作されたね。

大した内容の映画じゃないんだけど 1971年公開の 「バニシング・ポイント」ってのがヒットしたのを覚えてるよ。

運び屋だったかね? 1971年型の白いダッヂ・チャージャーを陸送するんだね。






コロラド州デンバーからサンフランシスコまでを時間制限の賭けで15時間ブッ飛ばす。

「ザ・セブンアップス」も、この波に乗って出たんだったかね? ロイ・シャイダーも此の時期「フレンチ・コネクション」でジーン・ハックマンの

相棒役で有名になって「ジョーズ2」「マラソン・マン」など大作に出演した。もう、2008年に75歳で亡くなってたんだね。





















「刑事マディガン」リチャード・ウィンドマークも同じく2008年に93歳で此の世を去ってるね。知らなかったよ。

昔と違ってDVDでよく目にするから、いつまでも元気で生きてるような錯覚をおこすよ。






















前回、前々回に書いた「グランプリ」「栄光のル・マン」のスティーブ・マックィーン、イブ・モンタン、ジェームズ・ガーナー等も

みんな、いい役者が次から次へと去っていくね。実に寂しいことだね。ジーン・ハックマンは引退したらしいけど、まだ85歳で健在だね。

なんか、話がおかしいね? なんの話だったかね? 「セブン・アップスやろ」 ああ、そうか。






























一見に値するカーチェイスと昔ながらの雰囲気で綴られた刑事ものの魅力を堪能できる映画だね。ロイ・シャイダーがいいよ。









































役者はいいねえ、命を忘れて永遠に現役だよ。ブッ飛ばせっ。






























カメレオンの独り言-1373 『パターンをぶち割る』

2015年02月21日 | 日記








 『グランプリ』 2015年2月21日








人間、疲れてくると思考も浅くなって語れる程のことも浮かんで来ないね。

そこで、毎日、見て頂く皆さんには申し訳ありませんが、予定より2ヶ月ほど早めて週単発の更新に切り替えさせて頂きます。

もう、限界でございます。「折れたのか?」 早めに折れておかんと、無理して、ずう~と折れっ放しになるかも知れん。






考えたら、もう、間断なく充分に書き続けてきたからね、そう意地にならなくてもいいか、という気持ちだよ。

これしきのことでか、なんて挑発されたら、まだまだ毎日書き続けるけどね。ただ、内容が、今以上に散漫になるのがコワイ。

少しでも上手く成りたいのに下手に落ちていくようでは意味が無い。勝手しますが、ご勘弁ください。






暫く身体休めて、徐々に生活パターンを改善して行こうと思う。井戸ん中、搔き回していても新しいものは出て来ない。

外界に出て新鮮な空気を吸っていれば、なにかしら新しいことに気付くかも知れん。変えねば新しいものは生まれない。

切替えの難しい第二の挑戦だね。「受身でパターン化し易いおまえには厳しい挑戦だろうね」 そうだろうけど、アクセルを踏み込むんだよ。














『グランプリ』








自分で書いた映画案内に刺激されて、ツタヤで『グランプリ』と『栄光のル・マン』を借りてきたよ。どちらもシネラマ作品だから今より凄いよ。

早速、「グランプリ」の最初だけ観たんだけどフィルムがデジタル化されてんかね? 綺麗に映ってるよ。

細切れの記憶で凄いって印象が残ってるけど、ほとんど、忘れてたね。なかなか面白そうだよ。1967年公開だから48年前の映画になる。






ジョン・フランケンハイマー監督、そうだね、当時、この人の名が有名だった。たしか「大列車作戦」「フィクサー」「フレンチ・コレクション2」

も、此の人が監督したはずだよ。「グランプリ」は大作だった。初っ端から、モナコ・グランプリ、モナコの風光明媚な街ん中をレーシングカーが、

爆音轟かせて疾走する。海際の道路を走るシーンなんかいいねえ。休みにゆっくり観よ。






能動的で冒険を好む人ってのは創造力が乏しいからっていう台詞がある。怖さ知らずってことなんだろうね。

起こり得ることをことを細かく想像して躊躇するから想像力の旺盛な人は無茶をしないことになる。そういえば、そうかなって思うところがある。

想像力の逞しい人が、ガソリンのタンクみたいなレーシングカーでブッ飛ばすなんて考えただけで怖くて身震いするよ。













『グランプリ』








窮屈な運転席に挟まれて身動きできずに燃えていくなんて、棺桶に生きたまま入って遺体焼却場の中に運ばれるようなもんだからね。

かたや臆病者ってことになるね。臆病者は、何かを行なわねばならない時は考えないことだろうね。

と、いってもコンピューターと同じで想像は行動を越えて先走りするものだから止められない。いろんなパターンの結果の絵が容易に脳裡に浮かぶ。






それらの絵が取り巻く中、無事終えることの確率が甚だ低いことを知って君子危きに近寄らぬなんてことになる。

実際ではなく想像で判断してしまうことが多くなる。能動的な人が、一歩先んじて往くのは、この性質が起因してるね。

オレも、大した想像力でもないけれど前以ての想像から行動が止まることがしばしばだね。そして、其れが、ほとんど想定内の結果を見るんだね。






夢想派と現実派の垣根の有り様も同じだろうね。犠牲を伴う開拓は能動的な人でないとその進捗に期待はできない。

能動的な人は、現実に感動し喜びを知ることが多くなるけれど嘆き苦しむことも多くなる。喜びは悲しみと隣り合わせだからね。

オレも、遅まきながら行動をもって明日を知ろうって気になってきたよ。想像では明日を越えてるけどね、考えるだけの明日は現実ではない。

























今日(21日)は、土曜出勤、日差しの暖かい一日だったね。急ぎもしない仕事だったけど暇なうちに片付けてしまおうと机に向ってたら吃驚したよ。

おまえっ、急に奇麗な顔を覗かすなよ。グラビア雑誌の表紙に載せてもおかしくない高2の女の子が嬉しそうに笑ってはしゃいでる。

今日は休みなの? 「うん、もうすぐテストやから」 そうか、おまえって、ホンマに奇麗だね。「そんなことないわあ~あっははは」 






別段、用事がある訳でもないし、話がある訳でないしの雰囲気だから、彼氏と上手くいってるか? 「うん」 こんなの聞かれると嬉しいいんだね。

この娘(こ)は、自分から話を向けることは、まだ、できないようだから「おっさん、摑まえて何を話すんや?」 いい天気ですねとか、あるだろ?

覗いたものの、もじもじして落ち着かない様子なんだね。今日は、久ぶりに暇だから、お話しでもしてあげよう。






オレは、喋りだしたら止まらないんだね。ちょっとばかし人生論をぶってだね、「高2の女の子に人生論?」 ニコニコしながら頷いて聞いてるよ。

で、オレの若い頃のモテまくりの振られまくり、商売してた頃のいなせな姿、働きまくりの釣り一本道の青春、「しょうもない話で拷問するな」

なに云ってるっ、手を叩いて興奮して聞いてくれてるよ。「★★ちゃん、料理造ってたん?」 そうよ、身振り手振りでそん時の様子を話してあげるの。






ついでに油が乗ってきて肉体労働の話から、筋肉痙攣からと何から何まで大笑いの内に、ちょうど時間となりました。「なんやねん?」

瞳を爛々と輝かせて、話の山場で手を叩き 「うわあ~凄いっ」なんて合いの手打つから止め処なしよ。「馬鹿やで、仕方なくやろ?」

残念でした。「愉しかったあ~」だって。「★★ちゃん、また、お話し聞かせてもらいに来るっ」 そう云って嬉しそうに帰って行ったよ。






お陰で暇なしょうもない仕事の時間が短縮されたよ。「罰当たるぞ」 しょうもないものはしょうもない、事実とは、往々にして不快なるもんだよ。

しょうもなかろうが糞であろうが、仕事で嘘はしない。精一杯働く姿勢は崩さないってのが、オレのモットーだよ。それで、なんとか持ってんだよ。

しかし、今日の日中は、春を想わせる暖かさに恵まれたね。外に出るとこころが晴れ晴れするよ。青い空はいいねえ。























パソコンを途中で消してツタヤへ借りたDVDを返しに行く。夜は、やっぱり冷えるね。自転車が、時折、ヘンな音を発するよ。油切れかなあ?

クエエ~クエエエ~グリリリイ~、下痢しとんか? そうだなあ、そろそろ新車に買い替えようかな、なんて思いつつ走ってツタヤ。

邦画で「るろう・・・?」なんとかいう時代劇が気になってんだけど役者が訳解らん奴やから、今日も借りるのを思いとどまった。






9時か、明日は休み、帰ったら映画を観よう。こんな、なんでもない日というのは、ふと思い出したら、あっと言う間に去年の話になってんだろうね。




























カメレオンの独り言-1372 『映画 ラッシュ (プライドと友情)』

2015年02月19日 | 日記








 『栄光のル・マン』1971年アメリカ映画公開  2015年2月19日








ルマン、インディと並ぶ世界最高峰のカーレース「F1」 フォーミュラ・ワン (Formula One)を云う。

「F」は「Formula」の頭文字で、サイズ,重量,エンジン排気量などによるレーシングカーのクラス分けを意味する。

一方「1」は、その規定に沿ったレースの最高峰を意味する数字。

 




一般的にフォーミュラカーとは、車輪(タイヤ)がボディで覆われておらず、むき出しになっているマシンのことを云う。















『ラッシュ・プライドと友情』 2013年公開アメリカ・ドイツ合作映画









レーシングカーのレースを主軸に描いた映画は、過去、「グランプリ」 「栄光のル・マン」の大作を封切りの映画館で観た。

「グランプリ」は、ジェームズ・ガーナー、イブ・モンタン、三船敏郎なんてのが出てたね。「栄光のル・マン」は、ステーブ・マックィーンだったね。

ル・マン24時間耐久レース、疾走するレーシングカーの勇姿が大画面に躍ってたよ。雨の中のレースシーンの描写が記憶に鮮明だよ。














『グランプリ』 1967年公開アメリカ映画









「栄光のル・マン」は、梅田シネラマOS劇場、「グランプリ」は、記憶が曖昧だね、なんば大劇場だったかなあ? これもOSだったかなあ?

「グランプリ」を観たあと、暫くは、ステレオでモーリス・ジャールの主題曲を聴いては余韻に浸ってたねえ。

この「ラッシュ・プライドと友情」は、先日DVDで観た。前半と後半に分けて観たんだけど、後半のラスト辺りで、いい映画だなあって思ったね。






レーシングカーの世界のことは、疎いので詳しいことは解らないんだけど、ニキ・ラウダって、レーサーの名は知っていたね。

この映画は、1970年代、毎年2人が事故死するF1世界で伝説となった二人のレーサーを描いてるね。

ジェームズ・ハントは、野性的、毎日を人生最期の日の様に謳歌する豪放なプレイボーイ。勘を活かした走りを得意とするイギリス人。












『向って左が、クリス・ヘムズワース(ジェームズ・ハント)、右が、ダニエル・ブリュール(ニキ・ラウダ)』







ニキ・ラウダは、レーサーらしからぬ真面目な男。工学知識を活かして自らマシンを整備、計算された走りを得意とするオーストリア人。

全く正反対の性格の二人はやがてライバル関係となりレースで競い合う仲になる。

各地で開催されるレースで激しい首位争いを繰り広げ、ラウダのチャンピオンが確実視されていた。






1976年、シーズン成績一位を独走するラウダと、それを追うハント。ドイツグランプリのその日は、朝から豪雨となった。






ドイツ、ニュルブルクリンクサーキットの状態が悪かったため、レースを決行するべきかどうか審議が行われた。

ラウダは中止を主張したが、ハントは決行を支持し、最終的に予定通り開催されることとなった。

ラウダが危惧した通り、ラウダのレーシング・カーはクラッシュして衝突、そこへ後続車が激突してラウダの車は火ダルマになる。
































ラウダは、400度の猛火に包まれ長い時間狭い運転席に閉じ込められる。仲間たちに救われるが大やけどを負って生死をさまようんだね。

瀕死の重傷を負ったラウダは再起を絶望視され、チャンピオンはハントの手中に入ったんだね。

ハントは、彼のクラッシュの原因が自分にあると考えショックを受けるが、その後のラウダが参加できないレースでラウダとの差を埋めていく。






一命を取り留めたラウダは、病院でその様子を見て奮起し事故後わずか42日後にレースに復帰する。

















物語は実話なんだね。物語は見れば解るから、しつこく書いても面白くもなんともないんだね。「じゃあ、映画を採り上げるな」 

今日は、映画でなかったら書くことがないから「ラッシュな」んだよ。

ニキ・ラウダが、不屈の精神で日本の富士スピードウェイのレースに出場するんだね。ちょっと感動するね。






レースに詳しい人に云わすと最高の出来と絶賛なんだけど、レースに疎いオレからすると「グランプリ」の方が凄かったって思うんだけどね?

まあ、通の云うことのほうが確かなんだろうかね。此れが人生なんかなあって思うのは、ジェームズ・ハントだね。

此の人は、モテまくりのヤリまくりで相手にした女性は5000人に上るらしい。凄まじいプレイボーイだね。






「人生は愉しまなきゃあ」って生き方の代表選手だね。でも、この手の人は、何故か早死にする傾向にあるね。生き急ぐのかねえ?

太く短く、ハントは、45歳で亡くなってる。チャンピオンになって、暫くして引退、レースの解説者になったらしいね。

大火傷してカムバックしたラウダは、チャンピオンになった後も走り続けたらしい。引退して、今も健在で奇麗な奥さんと写真に載ってるよ。























映画のラスト、イタリアのポローニャってところの飛行場で二人が再会する。ハントは相変わらず女性たちを引き連れ専属のジェットで遊びに出る様子。

ラウダも自家用ジェットを整備中、二人は再会を喜び合う。

そして語り合ううちハントがチャンピオンになったレースについて互いの思いを語るんだね。






「でも、証明しないと。世界制覇が実力だったと」 「あの事故のお陰だと思われてるから? おまえがそう思うのか?」

「俺は勝った、同じ条件で同じくらい高性能の車で命懸けで走りぬいた」 「あれが勝利?」

「あのレースは危険すぎた、命を粗末にするのは敗北だ」 「俺は命に代えてもお前に勝ちたかった、お前が俺を高めてくれたんだ、最高だったよ」













『実際のニキ・ラウダとジェームス・ハント』








「レースの醍醐味だろ? 死神の鼻を明かすのが、騎士道なみに崇高じゃないか」 「イギリス人はアホだ」

「僕は20%のリスクしか認めない」 「プロぶって確率の話なんかするな、それを云い出したら夢も何もなくなる」






「行くよ、操縦を気をつけてな」立ち去るハントに「ジェームズ」 ラウダが呼び止める。












『実際のニキ・ラウダとジェームス・ハント』








「入院中、最大の地獄は吸引だった、肺から膿を吸い出すんだ  僕のポイントを奪う君をTVで観ながら」 「お前のポイント?」  

「君を憎みながらね そしたら、或る日、医者から忠告された、宿敵の存在を呪わず、神の恵みだと思えと、賢者は敵から多くを学ぶ、その通りだった」

「出会った時、僕らはガキだった、家族から見放されてた、今やお互い世界王者だ、悪くない」 「確かに悪くない」
































レースに疎いオレの眼には、この映画は、レースそのものより人間のほうに重きをおいて描かれていたように思えるね。

レース自体は、そんなに大した描写じゃないんだけどね? 

観てる間だけが命みたいな今流の映画じゃないよ。古めの映画の雰囲気で観たあと余韻を残すね。




















ニキ・ラウダの妻になる女性(アレクサンドラ・マリア・ララ)との馴れ初めのシーンだね。























「グランプリ」のシーンと編集した動画があったので貼っておきます。レースのシーンが長かったし綺麗だったよ。









Grand Prix Movie (1966) Trailer By Nicolas Boucher










1966 British Grand Prix GP The Movie Race won by Jack Brabham in Repco Brabham










Grand prix 66 Circuits d'enfer
















今、仕事が忙しくなったのと、話の浮き具合が悪いのとで波に乗れないよ。今日も写真で誤魔化そう。



























カメレオンの独り言-1371 『話せば見える自分の姿』

2015年02月18日 | 日記







 2015年2月18日








最近、仕事が忙しくて帰って来たらエンジンかからん。夕食の後、ほっとして、立ち上がるまで時間がかかる。

其の上、今日は、残業だったから、もう、あかん。なんなんだよ~っ。「怒ってんかえ?」 自分の不甲斐なさに苛立ってる。

「しんどかったら書かずに寝ろ」 寝るには早い。「じゃあ、テレビでも観てのんびりしろ」 テレビは面白くない。






夕方、と云っても明るいね、おませな中1の女の子が連れの女の子と帰って来た。「★★ちゃん、久しぶりやろ」 そうかあ?

「チョコレート、用意してあんのあげる」 「わたしも」 ああ、そうか、ありがとう。持って帰ろうか。

「★★ちゃん、溶けるでえ」 ホント?じゃあ頂くか。美味いねえ。自分で作るのか? 「溶かして、また固めるだけやで」






なるほど、溶かして、そこへ愛を込めて固める訳か? 「★★ちゃんのには入ってないで」って、すかさぜ連れの子が云う。それは残念だ。

おませな女の子たちが帰った後、中1の男の子が入って来る。どうした? 「家の鍵忘れた」 家の前まで帰って来て入れんとは気の毒やね。

なんだらかんだら話しかけて来るのを相手しながら仕事をする。「★★ちゃんは、怒ったらコワイやろ?」 誰だって怒ったらコワイだろ?






「いや、★★ちゃんは、絶対、怒らへんけど怒ったらコワイと思うねん」 おまえ、人をキチガイみたいに云うな。オレなんかひ弱なおっさんだよ。

喧嘩はね、守るものがない奴が強いしコワイと思うよ。「なんで?」 我が身一つだろ? 大方の人は、家族や仕事を守らねばならん。

馬鹿は出来ないから弱くなるんだよ。勝手気侭に生きてる奴は身が軽いから縛られるものが無い。無責任な人間は無茶が出来るんだよ。























中近東の戦争と同じだよ。死んでもいい、死んだら偉くなれるなんて信じてる人ほど恐いものはないよ。家族の為に、愛する人の為に、

自分の為に死ねないと思う者と、どちらが強いと思う? まん悪くそういう相手に出くわすことを考えれば喧嘩はせぬことだよ。

ごめんなさいって云う勇気も大事だよ。よしんば、其の場で勝っても、そういう手合は暇に飽かしてお礼参りの機会を狙いよるで。






決められた生活パターンで行動を制限されていると自由気侭な奴等の格好の的になって弄ばれるしかないの。狙う奴のほうが強いだろ?

ホントに強い人ほど、あっさりごめんなさいって、まず謝って弱いよ。無駄で無意味なことを知ってんだよ。だから回避するんだよ。

「それでも絡んできたら?」 ごめんなさいだよ。そういう相手と接点を結ばぬように収めるんだよ。「それでも来たら?」 ごめんなさいだよ。






「それでも来たら?」 運命だろうね。「どういうこと?」 とことん謝りまくるか、戦うか、選択を迫られる場面に立たされたんだろうね。

下手に逃げるのも、あまり感心しないね。逃げるものは追われる、相手の狩猟本能に刺激を与える場合があるからね。

それに、ごめんなさいの姿勢が問題だよ。なんで、こんな奴等に謝らんといかんのじゃっ、なんて腹を悟られるようじゃ意味が無い。






素直な気持ちでごめんなさいだよ。相手は、狡猾な奴等だから獲物の姿勢を見抜く眼を持っておるからね。素直さはね、その裏が読めないんだよ。























此の子は、相手が女の子でも、カッとなるとむきになって喧嘩して泣かすんだね。 強くて弱い人より、弱くて強い人になれよ。「うん」 

解ったんかいな? 「★★ちゃん、もう、帰ってるかも知れんから行くわ」 おう、時間を無駄したなあ。「そんなことないわ」 そうか。 

人と話をすると、不思議なことに、話したことが、全部、自分に返って考えさせられる。






人は、自分のために居る、人は、互いに人のために居るってことを改めて思うんだね。互いに鏡を見せ合って人は生きて居るんだろうね。




























カメレオンの独り言-1370 『空っぽ - 映画で逃げる』

2015年02月17日 | 日記







 『ローンサバイバー』 2015年2月17日







春を感じさせるような、少し暖かで穏やかな一日(16日)だったね。三寒四温の通りではないんだろうけど、そんな近いサイクルにはあるようだね。

夕方も日が長くなって明るいうちに終業してるよ。こういう日は、町往く人たちの顔も穏やかだね。ほっとしてんだろうね。

子供たちが公園で走りまわして奇声を上げてるよ。まあ、子供たちは寒くても変わらず平気で走り戯れてるけどね。体温が高いのかね?






うん、今日は、よく働いた。さあ、風呂に浸かって湯でダコなって美味いビールを頂こうか。

キリン淡麗、プリン体ゼロ、糖質ゼロか、こんな表示は初めて見たね。プラチナダブルか、身体にいいみたいだね。味は変わらず美味いよ。

串かつを喰いに行きたくなったよ。ビールと食せば美味いからねえ。焼き鳥も美味い、茄子の田楽も美味いね。






連れとよく呑みに行ったね、そんなに呑めないんだけど炉端焼きで呑んで喰ったよ。遠い昔だね。

しかし、オレみたいに、一般の人が当たり前のように愉しんでることを滅多にしない男も珍しいだろうね。うっふふふ、変わったおっさんだね。

一度味わえば、其れがどんなものかは解る。それでいいんだね。其の分、人が愉しめばいい。愉しみは、ほどほどがいい。味わいの記憶が鮮烈だよ。






「釣りは?」 此れは別だね。自分の世界だよ。時間を贅沢に浪費して自分と向き合うんだよ。オレが永遠にオレであるのは釣りのお陰だよ。


















さあて、今日も話のネタが浮かばないよ。こんな時は、映画で逃げな仕方がないね。






アメリカ特殊部隊の 『ネイビーシールズ・チーム6』を観たよ。2012年度アメリカ作品。

アメリカ同時多発テロ事件の首謀者とされた国際テロ組織アルカイダのビンラディン暗殺作戦“ジェロニモ作戦”を実話を基に描いてる。

此れは、同じく2012年度アメリカ作品『ゼロ・ダーク・サーティ』と、内容は、ほぼ同じだね。どちらも実話に基づいた映画だからね。



















見比べて、どちらが面白いかってなると『ゼロ・ダーク・サーティ』の方が面白かったと思うよ。

『ゼロ・ダーク・サーティ』、このタイトルは軍事用語で午前0時30分を指して云うらしいね。

つまり、2011年5月2日(米国東部夏時間5月1日)、パキスタンにおいてウサーマ・ビン・ラーディンが殺害された時間だね。












『ローンサバイバー』







一昨日だったかな、ネイビーシールズの最大の悲劇って云われた2005年6月のレッド・ウィング作戦を描いた『ローンサバイバー』を、

また観たんだけどネイビーシールズを描いた映画最大の傑作だね。何度観ても凄いわ。

過酷な人生なんてのは、世の中に様々な形で切りなくあるもんなんだね。平和な中で暮らし往ける国に生まれながら他国で悲惨な最期を遂げる。













『ローンサバイバー』







こんなのと比べて思えば、オレの人生の苦痛なんてカッパが屁をしたようなもんだね。「なんやねん?」 屁のカッパって云うじゃないか。

隊員が休暇で帰って来たら奥さんが他の男咥え込んで失神状態で素っ裸でベッドで寝てる。なんなんだろうかねえ。

ヘッドロックで絞め殺せっ。「寂しかったの」なんて云うんだろうね。寂しかったら、他の男と寝ても構わんのか? 枕だけ持たせて表へ放りだせっ。






心を残して戦地へ往く男の身になってやれよ。いやだねえ~、オレだったら鉄砲持って出て行くよ。こんなのと一緒に居る方が寂しくなるよ。



























カメレオンの独り言-1369 『過去と未来の間で眠れない』

2015年02月16日 | 日記








 『アノニマス』 2015年2月16日









国際ハッカー集団「アノニマス」なんてのが出て来たよ。「イスラム国を攻撃する」って宣言してる。世は、いよいよ映画チックになってきた。

「アノニマス」って映画にあったね。オレ、此れ借りてハードに入れたまま見ずにそのままだね。この映画はドキュメントなのかね?

だとしたら「アノニマス」って、前々から存在してんだね? 知らんかったなあ。「なんで映画借りたの?」 なんとはなしに数合わせで借りたね。







イスラム国に対しユーチューブで「お前たちをウイルスのように扱う」と宣言し、サイバー攻撃をかけて機能不全に陥らせたと主張しているんだって。

アルカイダにも同じく宣戦布告してるらしい。世界を脅したり、自国宣伝効果を企む手段を封じられてイスラム国も困るだろうね。

この場合、今のところ、どんどんやっちゃえって感じだね。オレ、この仮面が気持ち悪くてDVDを見ないままなんだよ。「情けないね」











  『アノニマス』 




 

 




「アノニマス」は、「われわれはあらゆる国、人種、宗教、民族から集まっている…われわれはイスラム教徒であり、キリスト教徒であり、ユダヤ教徒であり、

ハッカーであり、クラッカーであり、フィッシング詐欺師であり、諜報員であり、スパイであり、あるいはただの隣人でもある」と述べてるよ。

ネットの世界は、まだまだ、これから、いろんなのが出てきて、もう、収拾不可能な状態になっていくんだろうね? 






今日(15日)の深夜、3時半頃目覚めて、ふっと思いに捉われて考え出したら寝なおしが効かなくなったよ。

天井をぼんやり眺めつつ、漠然としていた事柄の不明な部分が明るみになって、そうかって頷いてる自分がいる。いい話ではないんだね。

ずっと引きずっていたけど答えが見出せなかった過去の脈絡の穴が塞がったような発見だったよ。






枝分かれする基点の穴が塞がったことから枝分かれから枝分かれするに至る事情が理解出来るんだね。そういうことかと頷いている。

解明できたから戻って修復できるものではない。オレなど介在しない遠い昔の話だからね。でも、其処へは今に至るレールが繋がってる。

戻れないレールだね。進むしかないレールだよ。此のレールは嫌だから他のレールを走るなんてできない血のレールだね。
























実際に戻るのは不可能でも、まだまだ調べてレールを遡れば、我が家系の歴史を知ることが出来るだろうね。

其処に至って知らねば良かったなんてことも無いとは云えない。世は江戸幕府の時代、「ええ~っ」って卒倒しそうな事実に突き当たらないとも限らない。

今で云えば資産家、財産家に匹敵するだろうものが明治中期に零落して糞貧乏に転落するにはするだけの因果を背負っていると思えてならない。






知り得る系図を辿る処では、其れを見つけることはできないけれど、それに繋がるのかどうか「?」に行き当たる。

その因果とするところを探り知りたい欲求がないでもない。知ってどうなるものでも無いだろうけどゴミ箱の脇に蠢くウジから湧いた訳じゃないからね。

オレが生きている間に時間的ゆとりをもてる日々があるなら腹をくくって昔の旅に出るやも知れん。






歴史に重きを置く人生は責任を自覚する効果を生む。今と昔は繋がってる。過去から今、今から未来に延びるということを自覚して生きるべきだろうね。

血の脈絡に汚点を残さない、真っ当な人生の重さに克つか負けるかが、次に生きる人の幸不幸にもかかってる。

人は一人で生きて居るのではないってことの初歩の心構えだろうね。子をつくり産むということの覚悟だろうね。其の子の道を守らねばならん。






レールから外れて自由な道路を走りたい。走り続けた結果の目の前にレールは姿を見せる。レールに刻印されて名は残る。

其れが、此の世に生まれた時点で乗り合わせて逃れようのない血統という名のレールだね。

ただ、自由に生きるは容易い。枝分かれして幹から外れても、また、そこから幹は生じる。ゆくゆく害にならぬ生き方が肝だね。





















そんなのを考えていたら朝方の5時を回ろうとしている。思考を断たねば眠れそうにない。起き上がってパソコンを起動する。

昨日一日のアクセス解析表を開くと、また、沢山の量を読んで貰っているね。訪問くださる員数の10倍の枚数を読んで頂く勘定だね。

どういう風な件数の捉え方なのかね、いまいち理解を深めてないけど一枚最大5日分が載っている。その10倍になるのかねえ? 






一日の駄文が、平均2000文字はいってるから、しんどいだろうね? 大変ありがたいことだね。書き続ける意欲に繋がるよ。

なんか満足したら眠気が襲って来た。寝よう。コテン、キュ~だったね。布団に潜り込んだら、すぐに寝てしまったよ。

ピンポ~ンで目覚めたら10時だった。配達さんだったね。寝てたよって寝ボケでドア開けたら笑ってたよ。






昨日と同じくあまり寒くはないね。今日は、早く寝よ。「今、起きたとこやないかえ」 



























カメレオンの独り言-1368 『人生の宿題』

2015年02月15日 | 日記








 2015年2月15日








8時に目覚めて、起きようかなって思ったけど、もう少しって寝直したら9時半になってる。曇ってるみたいかな? 

窓を開け放って顔を洗ってパソコンの前に戻ったら晴れてるよ。寒くないね。日差しが暖かそうだよ。ピンポーンってドアホーンが鳴ってる。

はいはいって覗いたら近所の女の子が「★★ちゃん、これ、はい」 赤いセロファンで包んでリボンで結んだお菓子をくれる。






ああ、今日は聖バレンタイン・デイやね。ありがとう。嬉しそうに笑って行ったよ。そういえば、一昨日、某私立大学付属の高2の女の子が、

「★★ちゃん、休みは家に居てる?」って聞くから、デートの誘いがなければ居るよ、なんて返事したね。「いつも居るやないか」

「う~ん、どうしよう、バレンタインやで」 ああ、そうなの、おまえ、もう、彼氏が決まったんだから撒くのはやめろ。「ええやんか」 






「日曜は? 月曜は?」 なんて一人で時間合わせしてる。「ええわ、★★ちゃん、持って行くわ」 其の分、彼氏に遣れ。「ほなあ~バイバイ」

なんか、ほんの此の前、貰ったばっかりに思えるけどねえ、早いねえ。一年経つのが早すぎるんじゃないか?

白装束に身を整えて棺桶の中に座ってパソコンしてるほうがいいみたいだねえ。「死ぬ用意か?」 世話掛けんようにね。













『バレンタインのチョコは菓子屋の陰謀で、最近は、花屋も、その陰謀に加わったね。「男性から女性に花を贈る日」だって』








チョコは、バッグの中に収めておけるけど、花は、そうはいかんで。やたら目立って「努力が水泡に帰したね」なんて宣伝してるようなもんだよ。

本当に彼女を思ってる男は、なにもしない、出来ないんだろうね。イってまうことばかり優先する奴は、これみよがしに平気で贈る。

贈られて悪い気はしないから外堀を埋めて接近が容易になる。浮かれてうだとい姿でも、合わせて笑って見やってる。






この日は、そんなの見せ付けられて、会社なんかでも、まんじりともせずに苦しんでる純な男は意外と多いんじゃないのかね? ブルーが似合うよ。





















天気もいいし、ちょっと出かけようかなと、その気になったけど、あと一ヶ月は現状維持で頑張っておこうと取り止めた。

3月も半ばを過ぎたら春めいて来る。それまで小遣い貯めておこう。今年は、歌ごとじゃないよ。昔のオレに戻る。

釣竿磨いとこ。「そこまで戻るのか?」 遣りたいことを遣るのさ。行きたい処へ行くのさ。「解禁だね」 そう。






ブログは、書きたい時に書くに切り替える。自分の粘りのほどは再確認した。遣ると云ったら遣り通す自分が健在だよ。

どちらにせよ、近いうちに変わるべきときが迫ってるよ。今年か来年、動き出す気配を感じるんだね。「何が変わる?」 居場所かな? 解らん。

昔から冴えてる第六感だよ。まだ、胸騒ぎまではいってないから緩やかなる予感だね。前々から、なんとはなしには感じてるんだけどね。






「何の変化もなかったら?」 オレの第六感も老いさらばえて役立たずになっただけのことさ。「変化を望むなら起こせばいいって云うよ」

それには歳を食いすぎた。それにオレは、流されて順応する能力はあるんだけど自ら流す術には疎い。「受身か?」 そのタイプだね。

変化の雪崩はいつ起こるか解らない。転がり落ちる先は運任せだよ。「埋もれて死ぬかもね?」 在り得るね。それが生きものの寿命だよ。






寿命も、運も実力のうちってものの一種だよ。尽きるのは、もう、何にも必要とされないからだろうね。此の世のお役御免、晴れて魂は自由になるんだよ。























「それはそれで善いように感じるね」 だろ? 生きて往くのが善いのか、死んで放免が善いのか、生きてる人間には解らない。

此の世の善し悪しの有り様は生きて居る人間の為にあることで、隣り合わせの彼の世の知らぬことかも知れないよ。

よしんば、其の解釈が間違っていたにせよ、彼の世で気づけば、ああ~そうかいなあ、で済む話さ。過去延々、何十億の人間が死んでる。






其の中の一粒に過ぎない自分だよ。そう思って、死ぬまで必死に人間らしく生きればいいんだよ。「どうして人間らしくなんだよ?」 

此の世の善悪に倣って世話になって生きているからさ。魂になってから言い訳せずに済むだろ? 

なるべく清い魂のままに彼の世へ還るんだよ。それが此の世に生まれて来て守り通さねばならん人間の仕事さ。






「汚してしまったら?」 清めればいい。人の為に汗を流せばいいんだよ。自分が大事なら人も大事、それを知ることだよ。

「なんで人の為に汗を流したら清められる?」 自分を滅するってことさ。我欲に負けるのが人間なんだよ。生きて己を殺すは容易じゃない。

出来ぬことをすることで人は磨かれるんだよ。「もともと博愛主義の人間は、其の点、楽だね」 そういう人は、自分を生きることを学ぶんだよ。






人は、何かしら、それぞれに課せられて生まれてくるんじゃないかね? 宿題みたいなもんさ。果たさねば死ぬことも出来ないかもね。

「正しいか?」 そんなもん解ろうはずもないよ。人それぞれに答えを求めて生きているんだよ。

生きるとは、死以前の自分であり、死ぬとは、生きるを終えたあとだね。万物の長は、あれやこれやと理屈が多いのは確かだね。

























理屈を捏ねまくって真理を追求する者が、物言わぬ木を見て全てを悟って死ぬこともあるだろうね。純粋の重みを知るんじゃなかろうかね?




























カメレオンの独り言-1367 『映画 スノーピアサーで調子が狂う』

2015年02月14日 | 日記








  2015年2月14日








週の半ばに休みがあると、すぐに休みが来るね。ずっと、こうすりゃいいんだよ。「なまくらもんがっ何を云うとるかっ」 無理すんな。

何故かと云うと普段の週が、やたらと長く感じるんだよ。土曜出勤ある週なんか気が遠くなるよ。「大層なこと云うなっ」 おまえ誰の味方で怒ってるの?

「働けることの喜びを知らんのかっ」 そんな気持ちの悪いのん知らん。「勤労感謝の日ってあるだろ?」 嘘っぱち。「あかんわ、こいつ」







一昨日の1365『プロビデンスの目』にコメントを頂いてるんだけど、なんか暗号みたいな文面なんだね。

『3477 タイトル「20年後」 長年の疑問が解決すれば幸いです。今後20年間の詳細な情報です』 プロビデンスの目から来たような内容だね。

20年後は、もう、オレは居ないよ。「死んでんか?」 別に慌てて死にたくはないけど、そんなに長生きはしないよ。







「長年の疑問が解決すれば幸いです」 この文句に引かれるものがあるんだけど、おまえどう思う? 「20年後に至る行程がメインではないのか?」

じゃあ、オレ、生きてるね。もうちと具体的にご案内ください。何かの宗教の勧誘かな? 「勘ぐるのは失礼だろ」 そうだね。

兎に角、見て頂いてありがとうございます。拙い駄文ですが、また、見てやってください。お礼申し上げます。






「おまえ、コメントにはコメント欄でお応えする方法があるだろう?」 解んない。「調べろよ」 なんか、そういうのは弱いんだよ。























午後、空をどんより灰入りの雲が覆ったら白いものが降ってきたね。一時、風に舞って吹雪みたいになったよ。予報通りだね。

気温も下がって寒い。大阪も、此の2月から3月初旬の間には、一度は銀世界になるんだろうね。

長い夜も少しづつ短くなってる。ひと山過ぎたら春の兆しが現れる。あと一ヶ月だね。













『スノーピアサー』 2013年の韓国、アメリカ、フランスのSFアクション・スリラー映画








地球温暖化を防ぐべく世界中で散布された薬品CWー7により、氷河期が引き起こされてしまった2031年の地球。

生き残った僅かな人類はウィルフォード(エド・ハリス)が開発した永久エンジン搭載の巨大弾丸列車(ノアの方舟列車版)に

乗り込み地球の深い雪に覆われた極寒の大地を周回し続けているんだね。







車両前方で一部の富裕層が環境変化以前と変わらぬ優雅な暮らしを送る一方、後方に押し込められて奴隷のような扱いを受ける人々の怒りは爆発寸前。

そんな中、カーティス(クリス・エヴァンス)という男が立ち上がり、仲間と共に富裕層から列車を奪おうと反乱を起こす。

有り得ないお話しなんだけど、それなりに観てしまったよ。しんどい映画だね。「最期はどうなるねん?」 観たら解るよ。「不親切なおっさんやで」







なんか夢のある美しい映画はないもんかねえ。観て心が洗われるような物語を映画にしてくれよ。「おまえの選ぶ映画が悪いんだよ」

オレは、こんなの観てもなんの感性の刺激にもならんね。余計に燻(くす)ぶってしまうわ。搾り出しても、もう何にも出てこん。

この続きは明日にしよう。明日は、休みだから気分的にはのんびりできるよ。あれ? なんか、大きな声が聞こえるね?






















外へ出てみて様子を窺がうと、近所の玄関先でドアを叩いて家ん中の人を呼んでいる。赤銅色の月の夜のおばさんちだね。

怒鳴るように呼んでるよ。ドンッドンッドンッドンッて音が響いてる。督促に来てんだね?

「居るんでしょうがあっ?」 居留守を使って、諦めて帰ってくれって息ひそめて祈ってんだろうなあ。







暫く、単発的に大きな声とドアを叩く音が響いてたけどやんだね。諦めて帰ったみたい。ドア叩いて怒鳴るように呼んでる人も大変だろうけど

呼び出されて居留守してるのも生きた心地がしないだろうね。

底冷えのする寒い冬の夜は、恥であろうが、ズルであろうが、卑怯であろうが出ないほうがいいかもねえ。







切羽詰った苦しいときは、季節なりとも味方につけないと気が折れてしまうよ。市の相談所なんかに行ったのかなあ?

「息ひそめて小さくなってるとは限らんのとちゃうか?」 解らんねえ? 家ん中で、ふんどり返って「アホがっ」なんて云って知らん顔してるかもね?

そういう性質(たち)の人も現に居るからね。為さねばならん誠意を知らんものは、全てに堕ちていくしか道はない。自分の問題だね。







車は道路を走るもの、道路を外れて走ると落ちるからね、人の道ってのも、それと一緒だろうよ。「道路外れてもスイスイ走る車もあるで」 4WDか。

それはアウトローな人たちを例えようか。「あいつか?」 「好き好んでなっとる訳や~ありゃせんどお」 おまえも余計な相槌打つなあ~。

「極道には極道の道っちゅうのがあるんじゃ」 ご尤もです。「余計なこと撒いてぇ、命ばあ短こうせんとけよ」 ハイ。「レギュラーやね」



















「そいなぁ~ケツにつながっとる糞、ちょん切ったれ」 「なんのことや?」 おまえのことやないかえ。





























カメレオンの独り言-1366 『パピプペポのかきくけこ』

2015年02月13日 | 日記










 2015年2月13日










ブログを始めて4年目の春が来る。あと2ヶ月ほどだね。最初の頃は、何を書けばいいのかてんで解らなかった。だから絵で誤魔化して日を稼いだ。

1年が過ぎ、なにかしら見えてきたのかね? なんとはなしに話が出来るようになった。それでもオレじゃないんだね。

頼りにしてた昔の勘が戻ってこなかった。その間、一番、苦しかったし、馬鹿らしいし、何度やめようかと思ったか解らない。








別段、やめたからって何の影響もないし、書き続けたからって何の影響もない。でも、毎日30~40人の方が開いてくださる。

書いている内容は、人を惹き寄せるには程遠い稚拙なもの、なんでかなって考えたんだね。

それで、ひょっとしたら、オレの内なる可能性をこの方たちは感じ取っているんじゃないのかな、なんて厚かましい解釈に至ったんだね。








「ホンマに厚かましいわ」 そうか? この方たちは素晴らしい先見性をお持ちの人たちだと確信したんだね。「ほいでえ?」

よしっ、これは裏切れないって思ったとたん、日増しに冷めゆく心が熱を回復し、そしてグラグラと沸騰したのさ。「ほいでえ?」

一日たりとも休まぬっ。昔のオレが目覚めるまでは、とことんやれ書きまくるって決意を新たにした訳だよ。「ほいでえ?」








2年目を迎える頃からかな? なにかしら昔のオレが見えてきたんだよ。あっ、おまえ、久しぶりだなって感じだよ。「自分に云うてるのん?」

まだまだ拙いけれど、ここで気分一新、題名も改めて精進あるのみとタチツテトッ。「なんや?」 ここで遣らねば、ナニヌネノッ、

口から出任せパピプペポッ、恥など恐れずカキクケコッ。こうして「カメレオンの独り言」は、駄文の山を築いて来たんだよ。








「どうでもええけど他に表現方法がないんかえ?」 もう、ヤケクソの必死感が出てるだろ? 























それもこれも皆さんのお陰だよ。それと、彼女の存在だね。無意味に年月を費やすでなしに、明日に繋げることに挑戦しようって気付かせてくれた。

彼女って、別段、何も云わないんだけどね、側に居るだけで気付かせるものを持ってんだろうね。あとは知らん顔だけどね。「当たり前やろ」

なんでだよ? 「彼女は彼女で忙しい、おっさんの世話など焼いてられないの」 オレと彼女はね、不思議な縁で結ばれてんだよ。そんなの感じるの。








「おまえ、滅多なことを云うもんじゃないっ」 云うだけ、思うだけ、それの何処が悪い? そんなのはね、悲しいけれど年月とともに流れ去るんだよ。

オレは、若い時には、モテまくったってよく云ってるだろ。「お~お~云うとるのお~」 でも、積極的に行動しないから、すぐにフラれるの。

オレはね、誰でもいいってタイプじゃないの。心を動かされる女性(ひと)ってのは、ホンマに居ないもんだねえ。







この娘(こ)可愛い、綺麗なんてのは、なんぼでも居るけどね。テレビや映画を観てても、この女性(ひと)いいなあなんて滅多にないねえ。

女漁りなどする趣味ないしね、そんなのに時間かけてんなら釣りに夢中のほうが遙かにいい。

そんな人生で、彼女ほど心に居ついて長く付き合ってる人は居ないよ。アッタマにくることも、実際多いんだけど、顔見たらほっこりして忘れてしまうんだね。







「奥さんは?」 人生の交通事故だって云ってんだろ。「おまえ、随分と失礼やで」 たしかに失礼だね、時期がね、重なり合ったんだね。























商売をやってた頃、毎度、会社の昼休みになると手伝いに来てくれてね、オレは、その頃、あれやこれやと被さる事柄に辟易してた。

奥さんより先に、これも毎日のように昼休みになると手伝いに来てくれてた会社のOLさんで、とても綺麗な女性(ひと)が居てね、その人が、

同じくOLの奥さんを連れて来たんだよ。二人一緒に忙しい時間を助(すけ)てくれたの。お陰で昼は滅茶苦茶忙しくて戦争だったよ。







その人のほうが、はるかに優しくて綺麗だったよ。美人のOLさんが食事を運んで、お茶をお代わりしてお客さんにとっては嬉しい限りだよ。

奥さんとは、不思議と話がし易くて仲良しになったね。その人が後押ししてたみたいなの。その人は、夫婦仲が悪くて別れる寸前だったみたいだね。

奥さんとは、長い付き合いで事情を知ってたよ。おふくろが、まだ健在で、その人と仲良しだったから作戦みたいなもんが有ったみたいだね。







なんだよ、身の上相談かよ。融紅鸞(とおる こうらん)の「あんさん、別れなはれ」かよ? 「なんやねん、それ?」 日本画家だね。

1960年(昭和35年)代、ラジオの人生相談で活躍した関西のタレント文化人の走りと言うべきおばさんだよ。

身の上相談聞いてて、どうもならんような事情だったら、決まって「あんさん、別れなはれ」って云うんだよ。







大阪北区の梅田、富国ビルと曽根崎警察の間の道路を東へ扇町、その真ん中辺りの太融寺町の太融寺(たゆうじ)の娘さんだった人だよ。























なんで話が、融紅鸞(とおる こうらん)になるんだよ? 「おまえが云うとんやないか」 

オレはね、自分の人生を独り生きてるみたいに格好つけてるけど事実はさにあらずだよ。なんか、人の恩恵を受けてるなあって思ってる。

誰かが、支えてくれるお陰で生きて来れたなあって思うんだね。守って貰うほど大した人間じゃないんだけどねえ。







「それは、人からおまえを見たら頼りないんじゃないのか?」 図星っ。「胸張って云う返事かっ?」 放っておけないんじゃないかあ?

「誰をや?」 いや、オレをだよ。取り巻く人たちは、何故か気になって手助けしてくれるんじゃなかろうか? 「そんな都合のええ話があるか?」

昔、妹が云ってた言葉が妙に残ってるんだね。「〇〇〇ちゃんは、人間的には線が太いんやけど、どこか頼りないねん」 「せやけど憎まれへんねん」







かように申しておった。「なんで、急に侍口調になんねん?」 拙者としては如何様にもならず、唯、我を生きるしかござらん。「なんやねん?」

脇に立てかけた日本刀、鞘を被せておけば、ただの棒に等しい。ぞんざいに扱っても怪我などしない。しかし、棒は棒でも、その姿は品位に満ちている。

オレは、そういう人になりたかった。「鞘をはらえば?」 ぶった斬るっ。「危険な奴っちゃなあ」 人は芯があればいいと思うんだよ。














『居酒屋兆治』









おねえさん、ビール、もう一本ね。「はあ~い」 串カツが美味いね。「どういう展開や?」 「お待ちい~、はい、お客さん」 ありがとう。

混んでるね、みんな、真っ直ぐ帰らずに酒でこなくそ蹴り飛ばして明日に繋ぐんだね。「なんで急に居酒屋やねん? おかしいやろ」 

「そんなの笑い飛ばしてやれっ」 「なんや?」 隣りのお客さんだよ。「ややこしいね」 人は、二つの顔が欲しいんじゃないのかねえ? 







「一つに絞るから息が詰まるか」 それを出来ない人が呑むんだよ。「あいつは馬鹿だよ、そうっ馬鹿なんだよ~」 安酒場は不器用者と正直者が集まるね。



















Teresa Teng ( テレサ・テン ) - Kita Sakaba ( 北酒場 )










1982年(昭和57年)おふくろが亡くなった年だよ。まだまだ、元気に生きて往ける歳だったけど親父のとこへ逝ったね。

其の頃、テレビつけたら此の歌が毎度のように流れてたよ。細川たかしだね。此の人の歌唱力ってのはホンモンのプロだね。

でも、このときから、その片鱗はあったけど、今じゃ生際(はえぎわ)が全体的に後ずさりしてコワイね。「関係ないやろ」 







「北酒場」って大阪の北区の酒場じゃないよ。「解ってるわ、アホ」 細川たかしはコワイからテレサ・テンで流しておこう。

しかし、何処其処を臭わす歌詞もない。北のお~で北国かなって感じるんだけど、大阪の北でも北だからね。

何処でもいいんじゃないのかね? 梅田の北新地なんかでも構わないし、北に在ればいいんじゃないかね? 







阪急東通なんかでもいいんじゃないの? 「何処でもええがな」 





























カメレオンの独り言-1365 『プロビデンスの目』

2015年02月12日 | 日記









 『プロビデンスの目』 2015年2月12日









知識は人間の栄養だね。教養を高めるって教えられると煩わしい。朝、昼、晩の食事と同じだよ。そう捉えると自然に受け入れることが出来る。

なんでも食す。嫌な野菜も食せば栄養になる。栄養になってることなんか感じ取れないから拒むけど、実際、栄養になってる。

知っても、すぐには役立たないけれど知識も、実際に栄養になってるんだよ。知力、創造力の礎だよ。「今更、何を云ってる?」







今更の中に見えてないものが山ほど在るのが人生さ。オレは、それを理屈じゃ薄っすらなりとも解ってたけど捨てて来た。

余計なものと思って捨てて来たよ。今のオレに必要なのは気力と体力と知恵力だと思い切って生きて来た。ふるに使ったね。

こうして自分に似合わぬブログを始めて知識の貧困、薄弱、脆弱を思い知ったよ。栄養失調だよ。餓死寸前だよ。ミイラ一歩手前だよ。







「そのわりに、よく喋るね」 そうだね。知恵と気力で喋ってんだよ。持って生まれた無責任な創造性が助(すけ)てくれてんだろうね。

体力は落ちる、気力も萎える、知力は衰えようとも補えば活き続ける。これに気がつかなんだよ。無縁の世界だったからね。

忘れたいような苦しいだけの体験、経験ってのも、後々、生きてくるってのは知ったね。このためだったのかってね。







点と線が繋がる場合がある。人間生きていく行程で無駄なものは無いなって、そう思えるような辻褄(つじつま)の合うことがある。















『プロビデンスの目』 神の全能の目(all-seeing eye of God) 人間の良心の眼みたいなもんだろうかね。









「なんや、覗きの眼か?」 オレは、そこらの写真を話の内容から閃きで貼ることが多いんだけど、写真めくってたら、うん、これだねって感じ。

これはね、プロビデンスの目( Eye of Providence)ではないかいね? 

プロビデンスは、キリスト教の摂理(宇宙と歴史に対する永遠の計画、配慮のこと)という意味で、神の全能の目を意味するらしいね。







光背や三位一体の象徴である三角形としばしば組み合わせて用いらるんだって。「三角形の中の眼の図」って検索したら説明されてたよ。

これが、オレをじっと見てんだよ。悪いことできないよ。親父やおふくろの説教文句 「誰も見んでも神さんが見たはるでっ」 こればっかし。

ちっこい時から云われて頭に印刷されてるよ。でも、この説教は効いてるよ、なんか後ろめたいことが出来ないんだね。テープで塞いだろか。







最近、オレも変わったなって思うんだね。昔は心配性で、なんでもかんでも気にかかって安心を見ないと落ち着かない性分だった。

自分が出れば、全てが片付くかって問われたら、なんにも出来ない癖して心配だけが余計なお世話なんだね。

でも、最近かね? 人は、それぞれが、それぞれに生きている命だってことが解ってきたよ。心配、心配って、自分が安心したい裏返しかも知れないよ。























ホントの優しさってのは、助けを求められた時に手を差し伸べてあげることなんだろうね。

こんなとき、頼りになる人で在りたいねって思うようになってきたよ。「頼りになるか?」 全然。オレが頼りたいほうだよ。

今のオレだったら、一緒に震えるか泣くかのどちらかだろうね。プロビデンスの目ってのは、そんなのもじっと見てんだろうね。鬱陶しいね。







外国の映画で、女子供が勝手な行動して主役の足を引っ張りよるのを観るにつけ腹立たしくなって、早よう殺されてまえって真逆の心裡が顔を出す。

しんどいやないかえってね。「それは、どう思うねん?」 危機を救った主役は、どいつもこいつも揃って喜びさえすれ怒らない? 出来た人間やねえ。

こんな危ない状況でも個人の意思を尊重してる。一個の人として認めているんだね。心配し過ぎるのは失礼なのかも知れないね。







優しいってのは、どんな状況でも、その人の思いを尊重して見守る、そして、受け入れることなんだろかなって思うんだね。包容力なんだろうね。

「放っておいて冷たいんじゃないか?」 冷たさに対極するのは暖かさだからね。安心、暖かさに縛るのは、やっぱり、自分をも守っているからだよ。

冷えて帰れば温めてやればいいんじゃないかって、そんなふうに思えて来たんだよ。洋画の主役は包容力があるんだねえ。「創ったんねんやないか」







人が生きていくってことは、ありとあらゆる場面で、その人の人間性を試されているんだね。「じゃあ、もう、洋画観ててあったまに来ることは減るね」

う~ん、あの苛立ちの克服は、なかなか難しいものがあるよ。あちらの映画は主役が強過ぎるし優し過ぎる。下手したら死ぬんやど。

じっとしてろっじゃなく、どついて気絶させとけ。縛って猿轡(さるぐつわ)かませとけっ。 「プロビデンスの目から涙が出てるよ」 ああ、そう。






















『1525年にヤコポ・ダ・ポントルモの描いたエマオの晩餐。キリスト(中央)の上にプロビデンスの目が描かれている』









プロビデンスの目は「神が全てを見通す目」だと考えられている。

未完成のピラミッド型の建造物の上で、まわりを栄光の光によって囲まれる三角形の3つの目で監視する、という意味。

神の目で人類を監視していることを示しているとされるらしい。




























カメレオンの独り言-1364 『精一杯 ゲッタウェイ・スーパースネーク』

2015年02月11日 | 日記








 『ゲッタウェイ・スーパースネーク』  2015年2月10日









「ゴジラ」に諸に裏切られたので全く期待しないで 『ゲッタウェイ・スーパースネーク』を観た。

まあ、観れないことはないんだけど期待しなくても肩すかしを食らうんだね。カーチェイスも凄いんだけど凄くないような気もするんだね。

「どっちやねん?」 どっちなんかねえ? カーチェイスの描写に流れがないんだね。全体的に車が突っ走る爽快感、臨場感ってのが薄いね。







イーサン・ホーク主演、2013年度作品。誘拐された妻を救うため命がけのカーチェイスに挑む男を描いた本格カーアクション。

元プロレーサーのイーサン・ホークは、謎の人物から妻を誘拐したという脅迫電話を受ける。

犯人に指示されるままに車を盗んだホークは、車の所有者だという生意気な少女とともにブルガリアの街を爆走。







パトカーの群れに追われながらも、犯人が次々と下す指令に従い走り続けるなんて紹介されてるね。其の通りだよ。「ズボラなおっさんやね」

弾かれてステアリング取られて車が空(くう)を飛ぶという一連の描写に欠落があるように感じたね。勝手に飛んで転んでるみたいなのが多いよ。

ジェイソン・ステイサムの「トランスポーター」のカーチェイスなんか流れの中で納得の描写で車がぶっ飛んでころこんで痛快なんだよ。






しかし、最近の映画は語るところがないね。映ってるときが全てで終ったら全て消えるようなのが多いよ。フラッシュみたいだね。














『ケタバス』 コイ目・コイ科・ダニオ亜科ハス属に分類される淡水魚の一種。コイ科魚類としては珍しい完全な魚食性の魚』









熱いお茶を呑みながら、暫しボ~となに考えるでもなしに机の前の棚に並んでるものに目をやってるとカメラやレンズの元箱を積んでる上段に

小型ルアーを入れたシマノの小物入れに気がついた。あれ、なんでこんなところに置いたままなのかな? あれ?小型ボックスも出したままだね。

引き出しに仕舞ったままだと思ってたのに思い出せない。椅子を立って取る。使わぬままの小型のプラグルアーが詰まってるよ。






















久ぶりに手にして眺めてる。小型のルアーーボックス開けたらスプーンやらスピナーなどがびっしり詰まってるよ。

此れはなんて云ったかなあ? ルアーの名称も忘れてしまったよ。オレが生きてる間に使うことがあるかねえって思ってる。

ルアーフィッシングで使ったのはスプーンやスピナーが最初だったね。まだ、ブラックバスやブルーギルなんて居ない頃だった。






淀川の水無瀬、桂川と宇治川の合流点辺りの砂洲の川原で、スプーンをキャストすると面白いほど釣れた。「ケタバス」だったね。

ハスだね。20~30センチぐらいに育つのかね? オレが釣りまくったのは20センチ前後ばかりだった。オイカワと似てるね。

兎に角、素早いんだね、アタックも派手だよ。30~50センチほどの浅瀬で底は白砂、魚影が視認できる、猛然と襲い来るからオモロイんだね。






スピナーにも来る、時折、ウグイが掛かる。30センチほどだから暴れて引くね。キラキラ照り返す川面に水しぶきを上げてファイトするんだよ。























もう40数年前になるかね、そんな記憶のシーンを思い浮かべながら、人生なんて夢幻の如くなり、なんてのを、たしかに感じるね。

進み往く時間は緩やかなれど過ぎたる時間は激流の如くに速しだね。

車窓から眺める遠くの景色は緩やかに流れるけれど目の先の風景は飛び往くように走り去る。時代の中の消耗品だね、人間なんて。






一ヶ月なんて万コロ崩したら「あっ」と云う間もあらばこそ「何を買ったかな?」なんて感じで消えていくよ。

一日、一日の重みを意識して生きたいもんだね。「そうしたら変わるか?」 残念ながら変わらんね、一緒だね。

「どう心得れば変わる?」 人生とは、そういうもんだと解して生きればいいんじゃないの? 






その姿勢から、充実感、充足感なんてのが生まれるのかも知れんよ。幸なるときにも不幸なるときにも精一杯に向き合って生きることだろうかね。

























カメレオンの独り言-1363 『見ちょれ』

2015年02月10日 | 日記








 2015年2月10日








『ゴジラ』を観た。は~い、チンドン屋。ハードから、即、消去。時間を返せっ、くっだらねえ~。取るとこ何っにもない糞駄作。

ゴジラは、日本の縫い包みで暴れて模型壊してるほうが、それなりに絵になってるよ。期待して期待通りの映画ってホンマにないね。

CGグラフィックは実際不可能なことを可能にして驚愕させられるんだけど、あまりに多用するとシラける面があるね。







しかし、なんだろうかねえ? 外国の映画に日本人が出ると見事なほどにマッチしないねえ。どうしようもない駄作になるのが不思議だよ。

ゴジラも悪の怪獣(不細工な怪獣)も真っ暗な中でなにやら暴れてるんだけど、なんかダルくなるような動きだね。しんどいんかえ?

やる気がないんじゃないの? 前作のアメリカ版「ゴジラ」も不人気だったけど、こっちの方が大怪獣らしく暴れておったような気がするよ。






















今日は、冬らしい冬の一日だったね。日中は雪が舞って空気も冷たくて底冷えする寒さだったよ。

夕方、そろそろ終業間際になって、久しぶりにおませな中1の女の子が「★★ちゃ~ん」って事務所に入って来て座り込んでる。

おお、久しぶりだね、生きておったか? 「生きてるわ」 今日は、なんで早いの? 「これからダンスへ行かなあかんから抜けて来た」







そうか、おまえも生温(なまぬる)い小学生から中学生になって根性あるとこ見せたね。毎日、部活遅くまでサボらんでエラいよ。

「あああ~」机にうつ伏せてる。「★★ちゃん、飴ないのん?」 悪いねえ~今日は何にもねえわ。顔上げて横目で睨んでる。すまん。

ほっとするのかねえ? 組んだ腕の上に頭載せて寝てるよ。少しでも休め、そんなの見てたら昔の彼女の姿が浮かんで出たよ。







毎日、毎日、学校から帰って来たら、こんなのしてたね。あの頃の彼女にとって、此処はなんだったんだろう? 

そんなの思い出しながら、傍らで夕刊読んでたら「★★ちゃん、もう、行かなあかんわ」 ダルそうに顔をもたげてる。

そうか、今度早く帰った時は喰うもの置いといてやるよ。「ホンマやで」 あいよ。「★★ちゃん、またなあ~」 おう、行ったよ。







この子が、おませな女の子としたら、あん時の彼女は、相当のおませな女の子だったんじゃないんかねえ? 「何考えてんねん?」

いや、彼女の中1の頃ってのは、もっと姉さんっぽく落ち着いてたね。ハイテンションになったら、やたら子供だったけどね。

頭の回転が速そうで何ごとにも敏感に反応する子だね、それでいてのんびりと構えていたよ。先読みが出来るんだろうね。







それが証拠に「★★ちゃんは鈍感や」って、よくこき下ろして笑ってたよ。見抜いておるんだね。「悲しいおっさんやねえ」 そうかあ?
























よし、時間だよ。冷え切った夕方の外に出て、意識して控えている煙草を取り出し火を点ける。我慢の煙草は、また、格別に美味いねえ。

どんよりグレーの雲が漂ってる、あれは雪雲かね? 気温は3度前後ってとこかなあ? 北の方は、どっさり降ってんだろうね? 

身体の芯まで冷える冷たさだね。帰ったら熱い風呂に浸かて湯でダコになろ。そして、冷たいビールを頂こう。

























いつか、必ず、遠い温泉町の高級旅館に泊まって、気の済むまで、ゆっくり、のんびりと出来る旅をしてやる。みちょれ。「こればっかしやね」




























カメレオンの独り言-1362 『年月は流れ下っても鮎は川を遡る』

2015年02月09日 | 日記









 2015年2月9日








オレって、ホンマにアホやね。昨日の「1361『隙ばあ~見せたら殺(と)られるどおっ』 <広島編> 何処がやねん?」を書いてる時も

更新した後も、読んでは鼻水垂らして笑ってんの。涙も出てきたよ。至って満足できる一編やねえ。この面白味は、オレしか解らんのとちゃうか?

「おまえしか解らんもん書いてもしゃあないやろ」 なんでえ? 退屈なときに見て笑えるがな。







こういうノリで書きたいねえ。転がる先が読めない展開が面白いよ。転がり具合でとんでもない方へ行っちゃうなんてのは最高だね。

菅原文太君には世話になるよ。「エラそうに云うなっ」 「えろおぉ~軽るう見られたもんよのぉ」 「おまえも出てくんな」 「誰に云うとんのお~っ?」 

まあ~まあ~まあ、そげん角ば立てんとからにぃ。「こげんなこと云われて黙っちょれ云うんかいの?」 そげなゴミたれの云うこと放っちょけ。







「おまえ、金子信雄か?」 「親っさん、極道はナメられたら終りでぇ」 だれも、ナメちゃりはせんっ。ナメるんはおなごのアソコじゃっ、うおっほほほ。

「親っさんには~着いていけんのお~」 そっげえなあ~こと云わんとからにぃ。こいちゃらも汗ぇかいとるがの。

「親っさん、わしらをええよう使うのは、親の才覚じゃけえ構わんけどのお~組んために血ぃ流しとるんは誰なあ?」 そげえなあことは解っちょるわっ。







あかん、また、引きずり込まれていくがな。今日はやめとこ。滝つぼに流れる水やね。軽いもんは、ただ、流されて行くね。



















今日は、えらい曇ってるね。窓を開けたら冷たい外気が流れ込んで、弛んで澱む空気を甦らせて、また、一日が始まるって気がするね。

少し、雨が零れてたかな? 昔から寝るのになんの苦労も要らんけど、最近、其の眠りがやたらと深~く感じるよ。

起きた時に体内の浄化を感じるんだね。そんな感触ってないかね? 悪いもんが吐き出されてるような感触だよ。だからかどうか、目覚めがいいよ。







今週は、週の真ん中に休みがあるね、建国記念日か。どこぞへ行くのに焦ることもないね。動くに苦の無い人に任せておこ。

昼前にツタヤへDVDを返しに行ったよ。此れを返すと、なんかほっとするんだね。借りたら返す、これで一つが終るって感じだね。

空は、薄日がさしてんだけど雲が多くて元気がないね。あまり寒いとは思わないんだけど空気が冷たいね。







こんな中、明石海峡なんか見に行ったら、海風が強いから六角堂の影で風を避けつつ馬鹿じゃなかろうかと後悔すんだろうね。

鼻水垂らして、来た早々、もう帰ろが落ちだよ。オレは、外界では釣り以外粘りがない。まず、カラッと晴れていなきゃ駄目だね。

釣りだったら、朝から深夜まで、寒かろうが凍ろうが固まろうが頑として粘るんだけどねえ、極端な差異やね。





















身は外界に在っても思いは我にありが性に合ってんだろうね。「何処に居ても同じだろ?」 違うね、邪魔っけなしだろ、目の前には水だけだよ。

水は心を癒すんだよ。思いを吸い込むようにして受け入れて包んでくれるんかねえ? 

問いかけて応えるでもないのに鷹揚として向き合ってくれてるよ。オレは、人も、こう在るべきかなって思うときがあるんだね。







投げかける問いに答えて欲しい、でも、答えは一つじゃないんだね。納得のいく答えを求めるけどないんだね。それは、自分で試して得るもんなんだよ。

そんなのを教えてくれるんだね。なんにも云わないのに教えてくれる。大事なのは、いつも向き合ってくれる存在なんだろね。

オレは、釣りをしながら、そんなのを考えてんの。だからか知らんけど、あんまり釣れないんだね。記録破りのボウズ釣り師だよ。







入念な準備を怠らない、仕掛けも薀蓄(うんちく)ある自作の優れもんよ。百戦錬磨のこすからい魚も騙されるほどのふかせ仕掛けが底を這う。

「そんな優れ仕掛けで、なんでボウズやねん?」 居ないんだね。居なけりゃ釣れないよ。「なんで解んねん?」 長年の勘だよ。

「居なけりゃ場所変えしろよ」 なんで? オレはね、釣り場には拘るんだよ。何処でもいいなんてタイプじゃないの。







まず、綺麗な処、そして、蛇なんかが出てきそうにない処、乾いてる処、腰掛けになりそうなコンクリートもしくは大きな石がある処、

そう、一言で云えば庭だね。「なにい?」 足場が良くて見栄えのする彩り、雰囲気、景色、ちょっと横たわっても安心な処、

これ等に似合う処が、オレの許せる釣り場だよ。「ファミリー的でお子様連れ向きの安全コースかえ?」 う~ん、ちょっとニュアンスが違うね。





















枯れ木や草ぼうぼうの中を行くとね、そんな理想的な場所ってのが散在してんだよ。そんなとこ見っけたら、ヨシッ此処って決めて動かない。

釣れる釣れないなんて二の次だよ。「おまえ、優れ仕掛け持って釣りに行ってんだろ?」 そうだよ、後は運任せだよ。

昔、妹の婿さんが釣りを教えて欲しいって云うから竿やリールをあげて一緒に釣りに何度も行ったよ。







そこでね、あらまあ~オレみたいな奴って居るんだなあって思ったよ。インテリで朴訥な男らしい人なんだけどアウトドア派なんだろうね?

仕掛けを投入したら魚に竿を持っていかれないように竿尻に大きな石を載せた後、釣り場の環境を綺麗にする活動を始めるんだね。

オレも、そんなの好きだから一緒に汗かいて流木やゴミやゴロタ石なんかを片付けるの。庭造りだよ。







暫く頑張ると砂地の釣り場はゴミ一つ無い綺麗な環境になるんだね。冬場なんかゴロタ石を積み上げて囲炉裏を拵え、其処へゴミや木屑なんかを

放り込んで焚き火にしたよ。「いやっははは、いいねえ、〇〇〇さん」 「うん、いいね」って喜んでるんだよ。

寡黙な人でね、無駄口ないから静かなもんだよ。で、長~い時間、二人して、滔滔と流れる川を眺めてんだよ。





















東京に引っ越して行っちまったね。「あの時が愉しかったね、また、行きたいね」って電話の都度云ってるよ。互いに歳喰ったねえ。

流れ下る水は変わっても淀川は変わらず流れているよ。取り巻く街並みは変わり往くけれど、昔の川原は昔のままに変わらず在るだろうよ。

記憶に残る川原の二人だけが、ともに白髪が増えて爺に変わってる。周りから見れば爺でも、思いは玉手箱開けるまでは若者のつもりだよ。







まだまだ老いさらばえて枯れ行く道は歩かない。青々とした大草原を背筋を伸ばして歩いて行く。みちょれ。




























カメレオンの独り言-1361 『隙ばあ~見せたら殺(と)られるどおっ』 <広島編> 何処がやねん?

2015年02月08日 | 日記









 『菅原文太』 2015年2月8日









最近、話のネタの湧き具合が悪いので、ふっと思いついたりしたら、その話の頭部分だけ紙にメモして置いてる。

昨日の話は、仕事の業者さんと話していて出て来たから、此れ幸いと書き上げた。

で、「で?」 また、何処かへ出かける予定が狂ってしまったよ。「おまえは、もう、穴の中でくたばるね」 そうかなあ?







夕方に出来上がったのを更新して、よし、ツタヤへ行こうって自転車飛ばして行ったよ。

20年前のGパンと三本線のスニーカー履いて気分が若返るよ。ペダル漕ぐ脚も軽やかにひとっ走りよ。「息が切れたろう?」 馬鹿こけ。  

「ガラの悪い言葉だねえ」 軽やかにって云ってるだろうが。スイスイよ。途中で、出来立てのパン買ってツタヤに寄ったの。







おお、ゴジラが出てるよ。なんとはなしに出てるような気がしたんだよ。期待したヤツに限って裏切りの確率は高くなるけどね。

「ゴジラ」「ルーシー」「ゲッタウェイ・スーパースネーク」「ネィビーシリーズ・チーム6」「ザ・マシーン」「スノーピアサー」の

今日は6本だね。観れるヤツ3本ってとこかねえ? 録り溜めて観たい時に観る、ストック多いほうが、そのときの気分で選べるからね。





















一日飛ばすと穴埋めで忙しくなるよ。「馬鹿だね、休んどきゃいいんだよ」 たしかに、そう思わないこともないんだけどね、

毎日、読んで貰う数が、やたらと多いんだよ。半端な数じゃないよ。なんかケツ煽られてるみたいでウカウカしてられないんだね。

くっそお~負けへんどお~なんてね。「おまえって、そんなに意地にならなくてもいいんじゃないのお~」 おまえも、そう思うかあ?







商売してたからね、お客さんが押し寄せるように入って来ると、次から次へと熱熱を拵えて、あいよお~一丁上がりい~2番さんテーブルねぃ。

あらよ~4番さん、行ったげってえ~なんて戦争してた癖が抜けないんだよ。「因果なおっさんやねえ」

商売なんか大嫌いなのに、戦争始まったら、そんなの忘れて愛想の塊だよ。包丁捌きも盲目(めくら)切りよ。「あぶないねえ」







料理は機関銃みたいに造るわ、愛想は振舞うわ、それでいてテーブルの流れを計算するわ、アホンダラッなにやっとんねんなんて怒鳴るわ、

客が吃驚してこっち見たらニコニコ誤魔化すわ、女性の客には色気を振りまいて格好いいとこ見せてシビレさす。「どんなんやねん?」

オレを追いかけて可愛い娘さんが、次から次から来るんだよ。もう、ささらもさらやったのお~。「なんで、急に広島弁やねん?」 







オレはね、身体を使うて頭走らせる仕事やったら、どんな奴にも負けん。客を思うように振り回して喜ばせる術(すべ)も心得てる。

誰も彼も満足させる。待たせて怒ってる客でも笑わせて帰らせる、また来るんだね、仲間を連れてね、不思議だよ。オレの人寄せは芸術だよ。

「ようも、そんなけ云うたもんやね」 まだまだ、云い足らんわ、アホンダラ。「こんな奴の、何処がええねん?」 おまえもそう思うかあ?













『仁義なき戦い』 菅原文太 千葉真一








隣りのお店のあんちゃんが云ってたよ、「兄さんは、格好いいからなあ~」 全然、格好良くないねんけど格好良く見せれるだけなの。

人間の錯覚を利用してんだね。「それは、どういう方法なんや?」 相手を見る目を養うことだよ。そこに答えがあるよ。

一人じゃないよ、其処に居る人たち総じて一瞬に図り知るんだよ。バランスが命だよ。バランスがとれていれば誰一人不快にはならない。







オレは、こんなけの台詞をのうのうと話しても誰一人も甘くは見ない。オレ以上の人が居るってのを忘れないの。築くは大変、潰すは簡単。

隙ばあ見せたらお終いじゃ。「どうしちゃらあ、そんならあ~なれるんかいの?」 おどれを御(ぎょ)せたらなれるんでえ。

何処のどいつもアホッばっかりじゃ、一番、アホなおんどれを思うようにでけたら誰でもでける。「そんならあもんかのう」













『仁義なき戦い』 松方弘樹 菅原文太








要するに、何をすんのもおんなじじゃ、群れん中生きるんには嘘でもホントを見せんと通らんじゃろが。隙ばあ見せたら殺(と)られるどおっ










吹き溜まりの詩 菅原 文太









風が身体を吹き抜けて あとは乾いた夜ばかり

骨の髄まで痩せこけた 影を引きずる 影を引きずる 吹き溜まり




夢という奴、道連れに 当てのないまま踏み迷う

オレは人生、横に見て いつか涙の いつか涙の 吹き溜まり




愚痴と云うなら、それもいい 笑いたければ、それもいい

路地の枯れ葉に おふくろの 子守唄聞く 子守唄聞く 吹き溜まり




俺が死ぬときゃ俺らしく 場所を探しに行くだけさ

花も飾るな 振り向くな どうせ世の中 どうせ世の中 吹き溜まり







 『吹き溜まりの詩』









「なんか、今日のは訳解らんなあ~」 おまえも、そう思うかあ~?



























カメレオンの独り言