カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-882 『追い込む』

2013年08月31日 | 日記






 明日(8/31)の分です。








暑いのが峠を越して、少し落ち着いたら台風が上がって来たね。太平洋高気圧が東の方へ遠慮したら上がって来よる。

まだまだ出張らんかえっ。遠慮すんな。天気図だと、日本縦断の気配だね。

最近は、雨も馬鹿みたいな降りようするから、何処もかも洪水で水浸しになってるよ。「もう、要らんっ」だろうね。





でも、ダムの渇水で悩んでるところは台風を待ちわびている。「どんと、降ってくれっ」 上手くいかんね。

何故か台風に嫌われている大阪なんだけど、来るとすれば土曜から日曜にかけてぐらいかなあ?

来なけりゃ来ないほうが幸いなんだけど、大阪の人は、災害慣れしてないぶん、口ばかりが達者になる傾向があるね。





「どーんと来んかえっ」 カメラ持って時化た海を撮りに行こうかえ。「口だけ達者っておまえのことか?」 みたいだね。















さて、毎度同じことを云うには、ちと憚(はばか)るけど浮いて来ないね。「当たり前とちゃうのん?」 そうかなあ?

「ふつう、そうそう、次から次から出て来るもんじゃないでえ」 そうかなあ?

「そのぐらいで構えたほうがええでえ」 浮かんでこないから、なんか、なぞったようなのが目に付くね。





う~ん、う~ん・・・ウンコして来よか。「それも、まえに使ったろ。そう云うのは下品で記憶に残るのっ、やめろっ」

失礼しました。 「あまり無理すると駄文の質が落ちるで」 駄文にも質があるのか? 「知らん」

なんとしても絞り出し続けねば折れるんだよ。何日を休んだから、少しは冴えたのが書ける約束なんてない。





二日休んで浮かばねば三日に延びる。四日目になって、なんとか納得出来るものが書けた。でも、次の日も浮かばない。

休んだほうが、いいのが書ける、で、また休む。二日目に浮かんで書いたけど大したことがない。

やはり、四日は休むべしなんて云って間隔が広がっていく。今日、明日、明後日を続かぬ奴は、其処どまりだよ。















駄文の強さを見せねばならん。駄文なりゃこその強さを知らしめねばならん。オレの腹ん中の戦いなんだよ。

「そんなに自分を追い込んでどうすんだよ?」 とことん追い詰めて強くするんだよ。

常に緊張感を持たないと、いいお話は出来ない。追い詰めて、眠って忘れたものを目覚めさせるんだよ。





さも、大仰に一人前のこと云って、オレは、自分の世界で遊ぶのが好きなんだよ。「ホントに変わってるね」

人は遊び心を忘れたら無味乾燥だよ。苦しむために生まれて来た訳じゃない。

セメントで固めたような生き方するために生まれて来た訳じゃない。愉しむために生まれて来たと捉えたい。





そう思って、そう生きても、人生は、程ほどに苦しむように出来ている。だから、遊び心が大事なんだよ。





「だとしたら、おまえの遊びはしんどいね」 しんどいけれども愉しいよ。この遊びには観客が居るんだよ。

昔は、なんなりと独り芝居で愉しんでいた。愚かしい自分を眺めて笑っていたよ。

でも、今は、他人(ひと)さんが、オレの話を聞いて笑ったり、怒ったり、相槌打ったり(してるかな?)しているんだよ。















しかし、毎日、絞り出すのは、正直、しんどいね。なんともなく書ける時はいいんだけど、ガラ~ンとなんにもないときは辛い。

日頃は、寡黙なほうだから、その分、ここで話すエネルギーは残ってる。

でも、話題がないのに喋る奴なんて居ない。そこを話す材料探しながら無駄口たたいて徘徊する。




運が良ければ引っ掛かるものがある。擦れも掛かりもせん時ほど困ることはない。











ブログを作成するほうの手製パソコン「ブラックホーク」 やっぱり調子が悪い。「おとん、俺がやったるわ」

忙しそうだから声をかけなかった息子が、気付いて調べてくれた。

いろいろ当たってくれて、「おとん、このウィルスソフトは、おとんが入れたんか?」 いいや。 





本命のウィルスソフト以外に、見覚えないウィルスソフトが入ってる。なにかのソフトに付随しとったなあ。





「これが干渉しとんねんで」 なにかのダウンロードに着いてきたんかな? 「こんなもん、抜いてまお」

それから、スイスイと調子がいいんだわ。「内容調べたけどゆとりのスペックやで。まだまだ上位クラスや」 ああ、そう。

確かに素早いもんね。ストレスなんか、全然、ないよ。息子のお陰で、実に助かるよ。




DELLのi7買ったろかなと、思ってたけど買わずにすんだよ。その分、モニターに回そうかなあ。ふふふふ。













カメレオンの独り言-881 『坂の上』

2013年08月30日 | 日記






 明日(8/30)の分です。







昨日、中2の女子が、読書感想文の宿題で焦っていたんだけど、出題なのか、自選なのかは知らないけど夏目漱石の「こころ」を読むと云ってたね。

ふっと思い出してネットを叩けば載っている。生まれて初めて読んでみたよ。五十四章まで一気に読んだ。

余った深夜の時間、読書もいいね。心の層を幾重にも辿って奥深い。こころは、問えば鏡のように答えが返って来る。





その答えに生涯を懸けて、後ろめたさのこころと向き合い己を処した男の話だね。

この本の「先生」は、喰うに困らず閑居して在るが故の、唯一の、それが仕事だったと、とれなくもない。優雅なもんだよ。

「そんな捉え方するか?」 そんな単純な内容じゃないけれど、ひとつの要素をば指摘してるのよ。









学校はサボるものってのが、オレの定義だったから、読めって云われて読んだ例しが無い。「自慢できるか?」 自慢してないけど後悔もしてない。

オレは、自由な環境でないと頭が回らんタイプなの。根っからの個人型で一匹狼でしか生きていけない人間みたい。

だから、社会では、後が無いって意識が強いからサボったことがない。





組織では、末端がオレの生きる場所。ただ、闇雲に働きまくって我が道行くを通してきた。

いびつな人間に生まれると生きていくのも楽じゃないよ。

なのに、人には疎(うと)まれず、剥けに馬鹿にもされなかった。どういうことなのかねえ? 訳解らんわ。















親方の会社の大卒社員が、毎日、交代で下請け社員のオレを車で家まで送ってくれる。

オレは、いつも馬鹿みたいに笑って話し相手して元気づけてあげるんだね。

「〇〇〇〇さんには、皆が一目おいてますよ」って、云ってくれる。何処に一目おいてくれてるのか解らない。





「〇〇〇〇さん」「〇〇〇〇さん」と、何処に居ても声がかかる。捨てる神あれば、拾う神ありで世は周っているねって思ったよ。





オレは、似合わないけど本が好きだね。「こころ」に続いて、何か読みたい。でも、明日のブログを粗方書いてしまわないと落ち着かない。

若い頃は、自然界の厳しさを描いたものか、サスペンスものか、時代劇か、少しエロがかった内容のものか、そんなのを読みまくったね。

文学なんて、オレの頭じゃ受け付けないって決めてたからお呼びじゃなかった。でも、意外と馴染めるね。そんなのを感じたよ。





死ぬまでに生まれ変わってやろうって思いがある。知らなかったことを知ってやろうかって思いがあるね。

















登(知)る気なら、人が、台やら梯子やら階段になるヒントを教えてくれる。それらを生かして肥やしにしようって思うんだね。

今の時代は、結構だらけで、そこらにそれらがゴロゴロ転がってるよ。

目先の愉しみを満足した訳じゃないけれど、今更、そんなのばかり追いかけて、空っぽのまま彼の世へ行くには芸がない。





あとの五年を十年に、十年を二十年に、二十年を四十年にとれるほど価値あるものに変えてやる。

新しい電池に交換した玩具のキャタビラ戦車が、急な坂を上がる按配だよ。相当の勢いだよ。

「すぐに消耗するよ」 アルカリ単一電池が6個だよっ。「バッテリーか、直流かに交換しろよ」 また今度ね。 「なんだよお~」 





オモチャの戦車だけが先行しても仕方ない。オレが着いて行かにゃあ意味がない。戦車の後に歩兵がくっついて行くだろ?





そして、駄文の帝王になってやる。「そんな帝王に意味があんのか?」 知らん。

だけど、オレにとっては、意味は無くもない、こいつが、今のオレを、坂の上へ引っ張ってくれる原動力だよ。アルカリ単一電池が6個だよっ。

「そればっかし」 遣ると云ったら遣りとおす。もう、夜空を焦がして飛び交う集中十字砲火だよ。「どういうことや?」 

あちこちで炸裂だよ。「おまえしか解らん表現やねえ?」

















不思議なのはね、坂の上で、今は、もう遠くへ行っちゃった彼女が、いつも笑って見てんだよ。












カメレオンの独り言-880 『最期の一滴』

2013年08月29日 | 日記






 明日(8/29)の分です。








暑さも、ほんの少し和らいだ面持ちだね。熱して意気盛んな真夏も峠を越えたかな?

時折、なにか不明なざわめきを胸に感じるんだけど、それに反して、最近、心穏やかな自分が居る。

何ごとも、成るようにしかならない。あれやこれやと想いを巡らせても、結局、こと来たりなばで構えるしかない。





この歳で、ようよう、起きたときに対処を図ろうって気構えらしきものが育ったかね? 「遅いんじゃないの?」 みたいだね。

若い時は。緻密に考えたね。ありとあらゆることの裏まで探って考えたよ。無駄とは思わないけど臆病の裏返しかも知れないね。

いかに自分を守ろうか、いかに自分を通そうか、いかにして自分の立ち居地を確保すべきかなんて、ミッシヨン・イン・ポシブルだよ。
















犬を散歩される人たちの中に、自分の子供のように可愛がって夢中の奥さんが居る。子供たちが散歩に来るのを楽しみに待っている。

愛嬌のあるトイプードルって縫い包みのようなちっちゃな洋犬なんだけど、子供達の玩具になってもおとなしい。

ときたま出くわすんだけど、こいつが、その都度、気が狂ったように短い尻尾を千切れんばかりに振りたくって、オレの脚にくらいついて来る。





よしよしって撫でてやるんだけど、見るからに興奮状態で脚の間に立ったまま跳ね狂ってる。「なんなの~?」

「子供さんらにも、うちの主人にも、こんなのしないわ」って、奥さんが不思議がる。傍に居られたインテリ氏が「解るんだねえ~」

嫌われるよりはいいですね? 「ははは、〇〇〇〇さんは人望だけじゃないね」 そんなもんありまっかいなあ~。





昔から、なんか、なんでもかんでも寄って来るねえとは思ってますけどね。「それが人望だよ」 

インテリさんは、少ない言葉で要所要所を押えて話されるから説得力があるね。そんなもんですかね? 嬉しそうに笑って居られる。

そういえば、そうかも知れないかなあ。どうにもこうにも変わったおっさんが居る。寄らば噛むぞって顔して生きている近所の噂の人。





少し話すことがあって雰囲気通りの人だねって思ったんだけど、上から目線で横柄な口ぶりが、僅かな時間で優しくなるのを感じたよ。

オレは、誰でも一緒の対応だから笑って相手になってたの。

それから、オレの顔を見つけたら、顔から鬱陶しい険しさが消えて、見たことない嬉しそうな顔になられるんだね。「考えたら此れは怖いことだよ」

















オレも、本来なら、その変わった人と似たようなものを持っている。裏の顔ってのかね? 誰も寄って欲しくない。面倒で煩わしいだけだよ。

険しい顔して寄らば蹴るぞなんて顔して歩きたい。でも、救われたのかねえ?、オレは、人が喜ぶのが好きなんだね。

我がごとのように思えて嬉しくなる変態性がある。平和がいい。笑みを忘れたような人が面相壊して笑えば万々歳だよ。





しかし、こいつ、脚の間をクルクル跳ね回り興奮しすぎておしっこ飛ばすのは困るね。

インテリ氏が、ニコニコ嬉しそうに笑ってる。職場に往かれたら、相当の身分の方なんだけど慎み深い人柄だね。

知的な貌を光らせて子供の頃を偲ばせる笑顔をされてるよ。貴方も優しい人ですねえ。貴方の部下になる人たちは、上司の人柄に恵まれて育ちますよ。

















「★★ちゃん、ヤバイわ」 どうした? 明日提出の夏休みの宿題が残ってるって、中2の女子が慌てた顔してる。それは、ひたすらヤバイね。

沢山か? 「読書感想文」 もう、読んだのか? 「少しだけ」 何を読む? 

「こころ・・・」 オレを見る上目は、作者が誰か知ってるかって、僅かに探ったな? 夏目漱石か。「そう」 幸いにも知ってたよ。





「もう、なんでやねん、めんどいわあ」 今、おまえがオレを探ったように、学校が、おまえを探ってんだよ。スコーンと答えたれ。

読みたい衝動の本は読めるけど、興味の湧かない本を一晩で読破は厳しいね。その上、感想文を書かねばならん。夏休み終わりの苦しみの定番だね。

美味いジュースがコップに山盛り、一気に飲んでも、チビチビ愉しんでも、いずれは、コップ煽(あお)って啜(すす)るときが来る。





始めあるものに終わりのないものはない。毎年のことなのに、毎年のように嫌な時期だね。人は繰り返して、知らず知らず人生を悟っていくのかねえ?



























カメレオンの独り言-879 『技は心なり』

2013年08月28日 | 日記






 明日(8/28)の分です。








パソコンの前についてから、はっと気づいたら眠ってたよ。気持ちいいね。睡魔におちょくられるのは暫くなかったなあ。

なんか夢を見ていたような気がするんだけど一場面程度しか思い出せない。

草の蔓が這っているお寺の土塀に、ブンブンがてんこ盛りに群れて蠢(うごめ)いてる。コガネムシとかカナブンとか呼ぶね。





彼らの青味がかった黒い背中をギラギラと日差しが照らしてる。5、6歳だったかなあ、遊び友達らと笑顔でなにやら話しつつ見上げてる。

家の向いのお寺だったね。あの頃も平和な日々だった。現(うつつ)も過ぎ去れば夢が如きだね。

土塀に這う蔦より、蔦に蠢くブンブンよりも、土塀が割れて崩れた部分の土の肌が、触れば埃立つ触感を伴って鮮明だったね。









 ちょっとイメージが違うけど。









さて、何を書こうかいな。浮かんで来ない。こういう時は、脇に立て掛けてある日本刀の鞘をはらい、抜き身をかざして瞑想しよう。

「それ本身かあ?」 云わなきゃ解んないだろうが、馬鹿だね。

「はあん、京都の土産屋で買った七千円の玩具かあ」 どついたろかっ。摸倣刀って云えよっ。オモチャって云ったら。ブリキの刀と思うやろがっ。





重さは、ゆうに1キロはある。造りは、あくまで忠実に模して丁寧だよ。刀身はアルミじゃないよ、亜鉛合金製だと思う。重たいよ。七千円は安かったよ。

もう、まえに書いてバレてたね。意図的に刃のつけようのない金属で造られているんだね。金属の強靭さも、本身の刀の半分以下で、

本格的居合いの素振りにさえ、もたずに折れることがあるらしい。「土産屋の七千円、実質二千円程度の安もんだから、おまえが振っても折れるで」 かもね。





かざして眺めるには、いい雰囲気だよ。土方歳三になったつもりでかざすんだよ。「おまえは、そんなとこが、まるきり子供だね」 そうだねえ。

強度をアップした居合い用の摸倣刀が欲しいね。和泉守兼定、土方歳三が、此れを振り回してたんだね。「なんか、キチガイに刃物って表現だね」

胴田貫正国もいいねえ。斬馬刀だよ。本身が長いんだね。戦国武将が好んで使ったらしい。





拝一刀も愛用してたね。「誰や?」 子連れ狼だよ。シトシトピッチャン、シトピッチャンだよ。「漫画だろ?」 ドラマや映画になったよ。 

萬屋金之助が、ちっちゃな身体に大きな刀を帯びてたよ。でも、彼は、芸力があるから胴田貫を本身のように扱ってたねえ。

役者は、あれでなきゃあいかんよ。実際はバランス悪いのに、それを感じさせないところが凄いね。








 『 和泉守兼定 』







 『 胴田貫正国 』 








居合い用の摸倣刀は、高いんだねえ。五万から十万だよ。「斬れない刀が、五万から十万ッ、どんな奴が買うのっ?」 

居合いの先生なんかじゃないかね? オレも習っておけばよかったよ。袴(はかま)身につけて、本格的に刀を振り回してみたかったね。

手前味噌だけど、オレの性分だったら、いいとこまで行けてたと思うんだよ。極めるまで手を抜かんからね。しくったねえ~。





そして、新撰組に入隊するんだよ。「なに云うとんねん?」 世が世ならの話だよ。









刃物は、縦に置けば、皮が斬れても深みになならない。それを横に走らせることでザックリと肉を斬って骨を断つこともある。

言葉も、それと似ているね。云って責めても刃を置くにとどめ刃を返して引くべきだね。

辛辣な言葉の走りようでは、相手の心を切り裂くときがある。見えない深手を負わせて気づかぬところが刃物より怖い場合がある。





当る当らぬかの微妙な間隙(かんげき)を見切って勝負をつける。これが呑み込めない相手は、打たれたことに気づかず引くことを知らない。

映画にも、そういう場面があるね。観てる側からすれば、解らん奴には、実際に当ててどえらい目に遭わせたれって思ってしまう。

でも、力量の差を知るものは、相手にしないね。 





言葉争いもそうだろうね。解らぬ相手に無駄と解せば、引く度量を持つべきだね。

本当に強い人って、押しなべて器が大きいからね。技とともに習い知るのかね?

どうにも収まらぬときは、負けて勝つを術(すべ)とするんだろうね。技は心なりだね。
































カメレオンの独り言-878 『全うする美学』

2013年08月27日 | 日記






 明日(8/27)の分です。 








予感なんかね? 時折、黒い靄(もや)のようなものが、突然、心を覆うときがある。

昨日の深夜、「〇〇〇〇、ゴミを捨てて来て」って、奥さんが、息子に云ってる。パソコンをやってて、それを聞いた時に襲ってきた。

「やめとけ」って声が出た。「なんで?」 二人が聞いてる。いや、なんか嫌あな感じがした。「何かあんのか?」って息子が確かめてる。





なんだろうかね? 瞬間、嫌あな予感がした。話せば散るんだけどね。話さないで納めると実際に起きる確率が高い。

「やめとこ」 「あんた、そんなもん云うたら、此の子、行けへんやんかっ」 やめとけ、それが無難だわ。

もっと、早く出して行かせろ。「そうや、いつも、こんな時間になってから云うんや」 「なにもあるかいなっ」 あったらどうする?





「なにもあるかいな」 オレも、そう思う。でも、何かあって、あの時、嫌な予感がしたって後で云ったら、こいつは、怒りで気が狂うだろうね。

仕方ない、オレが行ってきたろ。ゴミ袋二つ持って外へ出る。当たるはずがないってのは、オレも思ってる。

案の定、なにもない。外はいつもと変わらない。でも、心を覆う黒い靄(もや)を実際に感じた。何も無ければ、此れ幸いだよ。





不吉な予感ってのは、そうそうあるもんじゃないけど感じたら、経験から、口に出して云ったほうがいい。打ち消して仕舞いこんではいけないよ。

















オレは、公開したブログを読み返すことは少ない。誤字や抜け、おかしな表現がないかいなって確かめついでに目を走らせる程度だね。

「みんな、おかしいんじゃないのか?」 喧しいわ、みんなおかしい中でも、もっとおかしいところがないか確かめてんだよ。出てくるなっ。

で、噴き出してるの。「まあ、いいや」とか「どうでもいいや」とか仕舞いこんで忘れるタイプだから、ブログで云いたいこと云ってる自分が嘘みたい。





よくやるよって自分で呆れてるの。お話が尽きないのは、「どうでもいいや」の忘れてた集合体だね。

本来なら、オレが、ブログなんて書いてること自体有り得ないことだよ。もともと世間に出張るなんて好きじゃないからね。

身を影に潜めて無色透明、人畜無害ってのが、オレのイメージだから、何を血迷ったのかね? だから、その豹変振りに噴き出すの。





「それは、おまえがおまえに対して持ってるイメージだろ?」 そうだよ。「人から見るおまえは、果たしてそう映ってるかどうかは云えんぞ」

らしいね、そんなの、なんかで読んだね。だいぶ、違うように見えてる場合があるらしいね。

「自分自身のイメージをあまり焼き付けて固定化すると、本来の自分の可能性も、気づかぬうちに埋め込んでしまうことになりかねないぞ」 





「おまえは、自由、自由って熱が入るけど、現実、自由なのに渇望してるだろ?」 「おまえは、おまえ自身が自分を縛ってんじゃないか?」

なんで、そんなにオレを分析すんだよ? 「いや、客観的におまえを視てると、そんな思いがするんだよ」

「それも、普通じゃないね、誰も馬鹿らしくて真似のできないほどの抑制から生じているように思えるよ」 もういいよ、やめろ、調子に乗るな、タコッ。





「意味のない怒りはない」 怒ってないよ。「では、図星か?」 語れば長くなる。「話のネタに困らんじゃないか」 だろうね。

















語れば、その程度のことかで流れ去る話でも、当人にしてみれば、其れが、長い人生を引きずるほどに重たい思いが被さってる場合もあるよ。

「若いときに痴漢でもしたか?」 おまえ、前にもそういう無礼なことぬかしたなっ。 「すまん、じゃあ、犯されたのか?」 おまえなあ~っ。

それは、笑いをとってるつもりかっ? 「すまん、男の場合は、犯されたら喜びだもんね、もう一回なんてね」 低俗な奴だね。





謂わば、自分に正直過ぎたってことだよ。嘘のつけない生真面目さが、自分自身の枷になったってことだよ。

何ごとにも器用なんだけど、其処だけは、どうにも誤魔化せずに不器用なまま、長~い年月の付き合いになってしまったね。

「コンプッレクスから来る自信喪失って匂いを感じるね」 云いたいこと云っとけ。 





オレはね、解決を急がない。背負った荷物を生涯懸けてでも構わない。逃げないよ。最期に笑って放り投げれればいいんだよ。全うする美学だよ。














カメレオンの独り言-877 「転ばぬ先の杖」

2013年08月26日 | 日記






 明日(8/26)の分です。










歌手の藤佳子だったかな? 字が思い出せない。ビルから飛んで死んだね。5年で5億をカジノで使ったって豪気なもんだね。

何度も何度も、結婚、離婚を繰り返し、死んだときにも男が部屋に居たらしい。金を振り回したんじゃなくて振り回された人生って感じだね。

有って当たり前の金に価値はない。自分に制御が不能になるってのも怖いね。剥いた話、私生活では、鼻持ちならん人になっちゃたんじゃないかねえ。





「15、16、17と、わたしの人生暗かったあ・・・」って歌ってた彼女も62歳か、誰しも出来ない充分な人生を生きて過去の人になったね。



















久ぶりに大阪に雨が降った。町の草木も、さぞ喜んでいることだろうね。もう、そうこう云ってるうちに9月が近いよ。 秋か。

なにかしら落ち着かないものが、胸騒ぎのような感触をもたらすんだけど、別段、変化が起きるような気配もない。ひょっとして死期が近づいておるんかあ?

まあ、それでもいいか。「諦めがいいね」 彼の世の蝋燭(ろうそく)の火は、神さんの思うがままさ。





そんな線香臭い話はやめて、今年の秋は、リュック背負って外の空気を吸いに行こう。此の前の淀川で気分が変わった。

篭(こも)るときは篭って、出るときは出よう。外へ出れば心身ともに活性する。心に栄養を与えないといけないね。

ブログ1000回は篭って書き上げた。次の1000回は、外の空気から吸収して書き上げよう。見てろお~。





「あまり、大きな声で云わんほうがええんとちゃうのん?」 馬鹿者っ、一旦、宣言したら、もう、止めようのないのがオレだよ。

それに、来年から3年間は、全ての変化を遮断する。こと始めてもロクな結果を生まん。もう、転ぶ訳にはいかんからね。

「じゃあ、憧れのルンペンにもなれんのか?」 そう、悲しいことやねえ~。12年周期の年回りを恨むよ。





「それで3年後に死んだら、どないすんねん?」 そう、悲しいのを通り越して笑ってしまうよ。「酷い話だねえ~」 

転んで立ち上がったとき人は強くなる。七転び八起きなんてのは、あらぁ嘘だよ、格好つけだよ。

転んで人は強くなるけど、ひどい転び方したら、もう、二度と転びたくないから歩かなくなる奴も居るよ。「おまえか?」 年齢的にそうだね。



















救いは、以前から継続されているものはいいんだよ。始めた年回りが良ければ、その年の運気が継続するらしいんだね。

だから、ブログだけは続けて遣れるんだよ。いい年に始めたからね。

当るも八卦、当らぬも八卦の、極めて不確かなんだけども馬鹿にも出来ない微妙な世界の話なんだね。





商売失敗して人生の色が変わった出来事を、偶然、細木和子の占いで最悪の年周りに興したことを知ってしまったんだね。

知らなきゃ知らないままだったんだけど、いいときも悪いときも12年周期で巡って来るんだね。

悪いことだけじゃなく、いいことも当ってるから怖いんだよ。いい年に始めたことは、ずっと息長く良好なの。それが、そのままだね。





全てが当るとは思わない、全てが外れるとも思えないんだね。じゃあ、とりあえず、何もしないことが安心だとなるよ。



















占いをはなから馬鹿にして論外扱いに云う人が居る。人間は、全てが、努力と怠惰で測るを重きと信じる人だね。

まあ、今の自分の立場に満足されている人に多いんじゃないかね? それを運命の働きで為し得たなんて思いたくない。

ひたすら、自分の努力の上の産物と捉えたい。そういうのを驕りって云うんだよ。





草ぼうぼうの野原に綺麗な花が咲いている。道行く人が、その艶やかさにうっとりしてる。

花は、尚更、胸を張り、自分の美しさに我ながら陶酔してる。蜂が飛んできて「おまえは、なんで、此処に咲いている?」「知らないわ」 

鳥が飛んできて「綺麗に咲いたね」って我がことのように喜んでいる。「なんで、あなたが喜ぶの?」





風が吹いて 「おまえを、此処へ運んだのは、俺や蜂や鳥なんだよ。ぼうぼう野草の中で、おまえはとりわけ美しいね」

「雨を吸い込み肥えた土が、おまえに水を与え、太陽がおまえに温もりと栄養を与え、そして、おまえは、ここに咲いて在るんだよ」

「ぼうぼう野草たちが、おまえの美しさを引き立ててくれているんだよ」 一人で咲ける花など無いよ。一人で際立つ花も無い。





気づかぬ恩恵の賜物なんだよ。



















こういうのは下手だね。云わんとすることが通じてるかね? 

「花の生態について説明しているのか?」 そうとるかあ? なんで、ここで理科の生物と環境なんだよ。

「存在自体が天の配剤、人智で測れぬ力が働いている、つまり、運命という作用の中で人は生きているって云いたいんだな?」





解ってるのに無理して逸らして恥かかすな、アホッ。





そう捉えれば、占術が、そういう未知の働きを究明して、それなりの答えを導き出すってのも、あながちデタラメでも無いような気がするんだね。

世の上に立つ人ほど、此れを馬鹿にしないみたいだね。実業家、政治家、皇室でさえ明日の指針の参考にしていると聞くよ。

読みは利くけど、その先は見えない、人生の前途は不明に満ちて約束もない。暗闇に杖、無いよりあるほうが心強い。


























カメレオンの独り言-876 『積み重ねる日々』

2013年08月25日 | 日記





 明日(8/25)の分です。








最近、なんか、このブログを開いてくださる方が、矢鱈と増えてんだけど、どういうことなのかねえ?

いつまで続くのか解んないけど、読んでくださる人が居るから張りがある。でも、その数が多くなると逃げたくなるよ。「なんでやねん」

増えるということは、文句も増えるということだよ。段々、怖くなってくるんだよ。





オレのは、自己陶酔型の内容が多いから、「なにを云うとんねん、このタコがっ」なんて、大人気ない人も混ざってくるよ。

「おまえ、そのほうが失礼だろ」 まあ、オレの場合は、下手なお話だから、笑えるときもあれば、ムカつくときもある。

人の話ってのは、そんなもんだろうね。そいつの価値観や癖ってのが出るわな。





「そんなのは、もう、相当出てるんじゃないの?」 だろうね。 今更、変更できないからね。「そらあ、おまえは、おまえだからね」 そう。

今までの人生、多くの人たちと会話して、その都度、なにかしら得るものがあって、知らず知らず成長の血肉などになってんだろうね。

そして今、こうして、見ず知らずの方々に一方的に話しかけて、一日、一日を終えている。



















話題を振るのも変えるのも、独りで相手を想定して会話を進めて、頃合見つけて 「また、明日」って終わりに持って行く。

客観(視)氏が、喋るなんてのは、ホローが欲しいときに役立つの。考えたら、随分と器用なことをしてるね。

未だに、自分が、わざわざ、恥晒す行為を続けていることに、改めて気付いて、背中に汗をかくときがある。





話して笑わせる、話してイラつかす、話して考える、話して合点する、話して気付く、話して癒す、話して磨く、そんなのが出来たらいいね。

日々の積み重ねほど怖いものはないってのが、オレの座右の銘としてある。今在る人格は、それが為している。

常に、自分を磨くって思って書き続ければ、何か、些細なことでも成長するんじゃなかろうか? なんてのがあるから書いている。



















名無しの権平でも、事実を、常に胸に置いて自分を見ている。話を聞いてくださる人を裏切れない。

此の程度でも、それなりに自信のようなものがあるから書いている。でも、それすら崩壊するときがある。

自己嫌悪に陥るときがある。自分が薄っぺらい枯葉のような存在に思えるときがある。自分の能力と対峙するときは、正直、辛い。





そんな時、時折なんだけど、他所のブログを覗くときがある。犬や猫の、その日の生態写真を毎日のように貼って紹介してるのが多いね。

それで、コメントが矢鱈と多いんだね。「可愛いですねえ~」 「癒されますうwww」 「今日は、少しスネてるのかなあ~?」 

「お大事にい~」 こんなのばっかし。「www」 これってなんなの? 





揃いも揃って、なに、云うとんねん? 普通じゃないで、異様やで、だいぶ、おかしいで。

オレが、おかしいんなら、こいつらも、相当、おかしいで。 

生活ゆっくりしてても、なんか満たされないもんでもあんのんかいなあ? なんて余計な心配するよ。





そして、立ち直る。「簡単やね」 また、書くぞお~と意欲が湧いてくる。

こんな動物キチガイどもも居る。独りよがりのおっさんが居ても不思議じゃない。お蔭で自信を回復させてくれる。

「覗く対象を間違ってるんじゃないのか?」 前にも云ったけど、とんでもない文章を書く奴のを見て奈落に落ちるような馬鹿はしない。


















此れでも、オレは、感化されるのを最も嫌うからね。「成長止めるぞ」 吸収は、違う場でするよ。

井戸の中の蛙(かわず)の愚かしさを知ってるよ。でも、井戸の中の蛙は、限られた世界で井戸の外を想像する力は長けておるかも知れないよ。

オレは、知りすぎて迷う蛙よりは、知らぬことで一途になれる蛙で構わない。





コピペのような知識は要らない。そんなのは、コピペで済ませる。自分が、意にとめてこだわらずに居れない事柄を租借して自分の考えと融合する。

家を建てるのと同じだよ。和風に徹するか、洋風に徹するか、和洋折衷(せっちゅう)にするか、自分の家を築くんだよ。

「どんな家を建てたい?」 ちっちゃな家でいいよ。喫茶店風の玄関フロアがあって、誰彼なしに入って来て、好きにくつろげる家がいいよ。





それに、一日篭って好きなこと書いてられる三畳ほどの書斎もどきが在れば、なおいいよ。















カメレオンの独り言-875 『滅私』

2013年08月24日 | 日記





 明日(8/24)の分です。








最近、忙しいよ。仕事が忙しいのに文句はないけど、遅まきながら、同じ大変なら大変なほどに儲かる仕事がいいねって思ったりする。

あまり、そういうことを考えなかったけどね。「ふつう、考えるで」 そうかねえ?

オレは、一番になりたいとか、天辺に上り詰めたいとかいう欲望がない。





それより、押し上げてやりたいとか、肩を貸してやりたいとか、そんな力のある男になりたかったね。でも、其れはそれで能力が要る。

悲しいかな、オレには、その能力がない。だから、一歩、二歩退いて、我が身を持たせるだけが精一杯の姿勢で生きて来たんだろうね。

昨日、新撰組を書いたけど、オレは、滅びてもいい、自分を貫くってのが好きだね。義を見てせざるは勇なきなり、根は臆病者だけれど、そのためなら死んでやる。





だから、逃げることなく自分を貫いて死んでいった彼らが好きなんだね。存在なんだね、存在する価値なんだね、それにこだわるところがあるね。

風雲急を告げる幕府に忠義を尽くす。一旦、そう決めたら揺るがない、それに命を懸ける。その生きざまに共感するところがある。

その思いが一つになって新撰組がある。諸藩から弾かれて流れて浪人暮らし、武州三多摩の試衛館道場に居候した男たちが夢に賭ける。















試衛館道場師範の近藤勇をはじめ、土方歳三、沖田総司、斉藤一、永倉新八、原田左之助、藤堂平八、井上源三郎、山南敬介、それぞれが己の意思で京を目指すんだね。





オレも、こうと決めたら譲らない。時代が時代なら、それなりの働きをみせる自信がある。滅私の奉公だよ。男気だね。好きだね。

なんの力もない、なんの取り立てて飾るものもない、でも、オレは、ここに居る。その誇りを胸にするところが好きなんだね。だから、自分を落とさないし崩さない。

常に脇に在って背後を守り、信じる者を押して行く、そんな役割が、オレには似合ってると思うんだよ。





出張って花と咲くか、陰で土として生きるか、己の立場に全力する、誇りの持ちようだと思うんだね、人は。 名など残そうなんてはなからない。生きて居るときが全てだよ。







 『 新撰組血風録 』








昨日の新撰組を思い出し、自分ならって考えてたら、明日の分が埋まったよ。





























カメレオンの独り言-874 『嗚呼、新撰組』

2013年08月23日 | 日記





明日(8/23)の分です。









オレは、何ごとにも、大概、偏った見方が目立つんだけど、昨日、新聞で仲代達也が映画への思いを語ってる記事を読んだら、

そうでもないなあと安心したよ。今の日本の映画の衰退を嘆いていたよ。

オレの云ってることが、そう、ハチャメチャな意見でないのを確認できたので、自信を持って語ろうか。







創る者が、商売を意識してはいけない。商売は、その道の仕事師が遣る。創る者は、思いの丈を注いで情熱で作り上げるんだよ。

今の邦画には、創る前から媚びた発想がある。だから妥協の産物しか出来上がらない。

下手糞な歌で名を売ってるような青二才どもを使うな。これからして、もう駄作にしかならんのだよ。







こいつらのための学芸会を創ってる訳じゃなかろうがっ。こいつらの名で客を釣るなんて考え自体が駄作の第一歩だよ。

本当の映画を待ち侘びている人たちに感動を与えろ。その心意気を、今の映画界は失ってしまったんだよ。

名も無き大部屋の役者の卵を使え。先人が残した芸の味を知っている彼らが満を持して待っている。









 『 燃えよ剣 』









芸の拙さは、その役者の必死な姿勢が、かえって新鮮な魅力として花が咲く。機会の種を蒔いてやれ。

行く手に迷い出口の見つからぬときこそ、初心に戻って純な物語で人の心を打て。

若者に媚びるな。時代に媚びるな。若者に教えてやれ、本当の映画の面白さを見せてやれ。







芸も解らぬ若者に照準合わせてろくなの出来るか。妥協せぬところで芸を守れ。過去から築き上げた芸の深さにこだわれ。

プロの誇りを見せろ。昔を軽んじて、それを越えるものなどできるか。昔気質の職人を招集しろ。

昔の映画を知っている団塊の世代を唸らせてみろ。客はごまんと居るぞ。










 土方歳三(栗塚旭)







 沖田総司(島田順次)







 斉藤一(左右田一平)







 近藤勇(舟橋元)










オレの偏っている最もなるところだろうけど、昭和40年、大部屋の役者を総動員して、NETテレビが、

司馬遼太郎の「新撰組血風録」を1時間26週の枠取りで放映した。栗塚旭、左右田一平、島田順次、舟橋元ら、まだ、名もない役者が

東映の斬られ役の役者らと顔を揃え、プロデユーサーの言いなりで、必死に役者の仕事に打ち込んだらしい。







結果、此れよりあとにも先にも、此の「新撰組」を越える「新撰組」はないほどの作品となった。









 『 新撰組血風録 』



















企画は企画担当が徹する、役者は役者に徹する、純な構成、純な思い入れが、誠一筋に生きて散った新撰組に命を吹き込んだんだろうね。

上手いって唸らせるほどの芸力を持ち合わせぬ人たちだったけど、先人から怒鳴られて習った芸の味を身体が覚えて滲ませる。

その懸命さは、歴史に生きた武州三多摩の名もなき侍たちの想いに被さり功を奏した趣だったね。







相手を呼称する「歳さん」「近藤さん」「沖田君」「総司」「斉藤君」「一さん」「新八っあん」と現代に通じる響きで時代劇では新鮮だったね。

中でも、土方歳三の栗塚旭、沖田総司の島田順次、斉藤一の左右田一平は、見事なまでのはまり役と成った。

此の人たちのイメージが焼きついて、のちの新撰組を扱ったドラマや映画では、嘘っぽく感じられるほどの影響をもたらせたよ。




























じゃあ、中味を問えば、先ほども云ったように芝居で見せるほどの達者なものではないんだけど、まだ拙い芸力が実像と上手く噛み合ったのかね?

実際の新撰組の生き吹きを感じさせて一体感となって迫ったんだろうね。

当時の新撰組を髣髴(ほうふつ)とさせて、創った新撰組ではない、まさに実録ものの味わいとなったんだろうね。







効果に用いられるBGMと左右田一平のナレーターが一編を締めるに値するもんだったね。

もう、48年程を経過しても、彼らの雄姿は、当時、観た者の記憶の映像に鮮烈だね。









主題歌 『新選組の旗は行く』


















花の吹雪か 血の雨か

今宵白刃に散るはなに

誠一字に 命を懸けて

新撰組は剣をとる













三つ葉葵に 吹く嵐

受けて立つのも武士の意地

加茂の千鳥よ 心があらば

新撰組の意地に泣け













明日は この身が散らば散れ

燃える命に悔いはない

月に雄叫び 血刀かざし

新撰組の旗は行く




月に雄叫び 血刀かざし

新撰組の旗は行く

























続いて昭和45年、同じく司馬遼太郎原作の「燃えよ剣」 今度はカラーで放映された。 





















昔の作品には、時代の風潮に媚びず流されず、限られたであろう予算の中で、ひたすら面白いものを創ろうと云う情熱があった。

今のような時代だからこそ、これが本物だっていう映画を創れ。

今の若者は、真面目なものを敬遠するなんて失礼なことを勝手に決めるな。








純な美しさを見せずして、対局するものの姿を考えられるか。生きるとは何かってことを考える機会を感動とともに提供しろ。

今時の映画は、へぼな新解釈なんかで、いつの時代か解らんような、悪酔いして見るよな夢物語ばかりじゃないか。

そんなもん、酒呑んで寝たら素人でも見よるわ。すかたんな奴等だよ。








もっと書きたいんだけど、食事したら右の奥歯が滅茶苦茶痛いっ。珍しいよ。歯茎が浮いてるね。疲れが形になって出たね、痛~っ。

浮いて腫れた歯茎を歯ブラシで刺激したろ。「やめとけよお~」 馬鹿者っ、涙こぼれるほどやったら治る。「野蛮人め」

創る前から勘定ばかりが先行する左脳型は引っ込んでろ。どえらい目に遭っても構わん、俺が創ったるいう骨のある奴、出て来いっ。








そろそろ、そういう奴が出てきてもいい頃ではあるんだけれどね。「なんでや?」 創ってる奴等が欲求不満で爆発する頃だよ。























カメレオンの独り言-873 『政治魂』

2013年08月22日 | 日記






 明日(8/22)の分です。







長いこと映画を観てないね。また、そろそろ、ツタヤを覗きにいかんとあかんなあ。

邦画の時代劇、「蠢動(しゅんどう)」ってのが、楽しみだね。洋画では、ブラッド・ピッドの「ワールド・ウォー Z」

犯罪組織に命を狙われる羽目になった2人の若手警官を描くポリス・アクション「エンド・オブ・ウォッチ」






 『 蠢動 』 






「エンド・オブ・ホワイトハウス」「ホワイトハウス・ダウン」「L.A.ギャング ストーリー」「欲望のバージニア」

ボスニア紛争をテーマにしたドラマ「最愛の大地」あたりが新作で出たら借りたいね。

このうち、何本かは、もう棚に並んでいるかも知れない。このうち何本かは駄作だろうね。









ベランダで煙草を吹かして夜空を見上げると、満月かなあ? その前後に近い丸いお月さんが輝いてる。

何年、いや何十年経っても変わらんねえ。朝が来て、昼が過ぎ、夕方から夜になる。一日のサイクルも変わらない。

変わらない自然の中で、生きとし生けるものたちが、次から次から生き死に繰り返して変わっているんだろうにね。





これも、毎日流れる川のように変わっているとは感じにくいもんなんだね。今流れる水は、昨日の水じゃないんだけどね。

自身を取り巻くものを漠然と捉えて、粗方の把握で事足りるその中で自分を生きている。

この決まりきった毎日こそが、本当は無難な幸せなんだろうかね。幸せとは退屈と見つけたりだね。















暑い暑いと空を見上げてしかめる顔を、もう、何日繰り返したかな? 

何処ぞに出かけて姿を消していた子供たちが、知らぬ間に、焼けた顔して戻ってる。夏休みも終盤だね。








レベル2を3に上げたとかなんとか云って、福島第1原発囲んで遊んでおるのかね?

どう処理するつもりで汚染水を溜め込んでいるの? 海へ汚染水が流れ出しているって、未だに進展ないまま慌ててる。

ホンマに収束の可能性があるの? 世間は、インパクトのある事柄には敏感だけど長期に及ぶとなると忘れてしまう。




どう転ぶか解らん恐ろしいものが、手付かずで残っているにも関わらず、戻りましょ、戻りましょって、元の鞘に収めたい。

地面の汚染土を人海戦術で取り除いて何処ぞに溜める。取れば取るほど汚染土は汚染水と同じく溜まり放題。

チェルノブイリほどには悲惨なことには発展していない様子だけど、肝心要の原子炉は、非常に危ないままに残ってる。




関東大震災は、いずれ必ず起こるっていう折に、住民戻して原子炉にダブルパンチ食らったらどうするの?

住民は、また避難で大移動、とんでもない費用かけて汚染土こそぎ取った処が、また汚染されて元通り。なにやってんのんってなるで。

先行き、甚だ、危なっかしい展開に見えるよ。単なる老婆心とは思えんけどね。




ホンマに魚介類は大丈夫なのお~? 回遊魚は、あちこち行っちゃうんだけど、こいつら汚染魚じゃないのお~? 「魚に聞いて」 

おい、魚、おまえ大丈夫か? 「毎日、食べなきゃ大丈夫」 毎日食べたら? 「非常お~に危険っ」 

おまえは、この近海を回遊しているのか? 「全国津々浦々」 ゲッ、体調は?「福島近海を回遊してから調子がおかしい」 なっにいっ?















大なり小なり気がかりなことをケツに挟んで人は生きている。その気がかりなことばかりに専念できずに他事に追われてる。

国もそうなんだろうね。止るわけにはいかない事情にケツを煽られて、泣きたい顔を隠して笑ってる。

でも、浮世じゃ症状出るまで正常扱い。症状出たら休みを取り易い、出なければ我慢のほうが取り易い。





ことが逼迫したら動き易い。巨額な出費も出し易い。こぼれる金も半端じゃない。悲痛な顔して腹で笑える。

そんなのを待ってんじゃないのかねえ? 浅ましい奴等が多いからねえ。

政治家は、先見の明に長けている。時を読んで事に当るってのが常套だろうね。





危急存亡の時こそ盲目(めくら)金が怒涛の如く動くことを知っている。

政治家は、役者でもあり商売人でもあるね。でも、そういう奴でないと政治家は務まらないってのも面白い。

綺麗な政治、透明な政治を歌い文句の奴等は、政治家としてはボンクラだね。役に立たない。





薄氷、蜘蛛の糸、腹を据えて足をかける。駆け引きと座った腹と五分の魂で勝負する。政治家とは、そういうもんだと思うよ。































カメレオンの独り言-872 『或る日突然に』

2013年08月21日 | 日記






 明日(8/21)の分です。








福知山の由良川河川敷の花火会場での爆発事故で被害に遭った3人の人が亡くなったね。気の毒なことだね。

全身火傷で重篤な状態の8歳の女の子と13歳の男の子が懸命の治療を受けているらしく、他にも17人の人が重傷だって云う。

親御さんや身内さんの気持ちを思うと言葉が無い。なんてことだろうね。行かせなきゃ良かったと後悔しきりになるね。




火元の屋台の後ろに在る階段状の土手に居た人たちが、霧状のガソリンを浴びて引火とともに火が走り火達磨になったらしい。

火達磨になった人が、河に向かって走ったことで通りを埋めていた人たちと衝突、これ等の人にも燃え広がったらしい。

予想だにしない阿鼻叫喚の地獄絵図になってしまったね。気をつけていれば遭わずに済んだ事故じゃないから余計に悔しいだろうね。




屋台が立ち並ぶお祭りなんか何度行ってることやら、こんなことが起こり得るなんて考えたこともなかったよ。

時折、どうにも抗しようのない事故が起きる。其の場に居るか居ないかの分かれ目だね。

問題は、どんな事故や事件でもそうだけど、過度の被害に遭われた人々の、これからの人生だね。世間は忘れ去っていく。




この人たちは、前日までの自分ではない自分を生きていかねばならない。忘れようにも忘れられない傷を背負った自分が待っている。

加害者をどれ程責め立てようと前日までの自分には戻れない。事故や事件に遭遇した人たちの最もたる悲劇だね。

その過酷な試練を乗り越えたとき、やっと、その人たちが、呪わしい悪夢から解放される時なんだろうね。




活字で云えば数行足らず、宿命(さだめ)と受け入れ復活されるまでには、時代が変わろうほどの年数を要することもあるだろうね。

















愉しいことばかりを追いかける、軽薄なようにも思えるけれど、愉しいときを愉しんでおくのも人生かも知れない。

光と影だね。日向に生きて日向で終わる人生を生きれるもんなら生きたいもんだね。

野球の練習に励む高校球児が、急発進して飛び出した先輩の車と壁の間に押し潰されて両足を切断する事故に遭ったと云う。




何という事故だろうかね。夢も希望も両足とともに失った。彼の無念の慟哭も世間は、すぐに忘れ去る。

人は独りなんだよ。もともと人は独りで自分の人生を生きねばならん宿命なんだよ。周りに介在する人たちもそれぞれに独りなんだよ。

多くの人に囲まれても、多くの人に自分を売っても、究極は、独りで生きねばならん時が来る。




歩調を合わせて歩ける間が群れを形成しえる時間だよ。歩調が狂えば取り残されて忘れ去られる存在なんだよ。

今の若い人たちは、それを知ってか知らずか、歩幅を合わせることだけに忙しい。ただ、群れに在ることの喜びなんだろうね。

ある意味、その努力だけは旺盛だね。愉しい時間の共有を手放したくない、愉しければいい、誰しも愉悦の時間は恋しい。




事件や事故は、そのまやかしを或る日突然に突きつけて思い知らせるんだね。なんと酷いことだろうかね。

背負わぬときは解らなかったことを、背負い込んでから解らねばならなくなる。呪いたい感情に狂うだろうね。

非情な人生のからくりだね。人生は独りで歩むものと知ってから、全てが見えてくるもんなんだよ。

















こんな状況を改善する唯一の救いは、愛だろうね。これ以外にないだろうね。

歩幅をあわせて歩いてくれる献身的な愛情でしか、その人を世間の忘却の彼方から救う道はないだろうね。

そう考えれば、愛ほど大きな力はない。









事故に遭われた方を例えにするには、甚だ、失礼千万なれど、忘れ去られて積み重なっていく中で、それぞれに想い致す気持ちに嘘はない。

皆が、一日も早く回復されて幸せな人生を歩まれることを祈ります。












カメレオンの独り言-871 『最期の切り札』

2013年08月20日 | 日記






 明日(8/20)の分です。







今、写真を誤魔化して使っているのを、なんとか改善せんといかんのが差し迫っての課題だね。

フリーの壁紙写真でブログやホームページなどにご利用くださいってのを使ってるんだけど、これは、そうだったかなあ?なんてのがある。

個人的に愉しみがてらに、ホイホイ集めた写真とごちゃ混ぜになってるので危なっかしい。






ダラダラ並ぶ活字の息抜きに利用してるので、別段、重きにも置いてないって意識が、また、ダラダラと続けてしまう。

駄文を意図した写真なんかを挿入しようと思ったら時間的にほとんど無理なんだね。

じゃあ、何でも云いかと云えば、そうでもない。当たり障りのない写真が応用に利く。そんな写真を撮りまくらねばならない。






これは大変な労力だね。そう思うと、人の写真の価値を思い知るね。黙って勝手に使うもんじゃないわなあ。

くだらん駄文にしても、それなりに形づけるには労力なくして出来るもんじゃないね。一念発起が必要だね。

撮って撮って撮りまくらねばならん。「何を撮るねん?」 オレが聞きたいわ。





















長く途切れなく思いついては書いてきましたけど、本日、途切れました。「なんかのニュースか?」 うるさいわ。

ネタが、思いつかないってこと。浮いてこないってこと。

「そん時の、頭の中はどんな具合なんだ?」 う~ん、難しいことを聞きよるね。靄(もや)ってるって感じかね。





「それは、いつものことだろ」 馬鹿っ、いつもは霞(かす)んでるだよ。「一緒じゃないか」 あっ、ホントだ、字も一緒だね。

あかんねえ~、なんか、取っ掛かりを得ようと出任せ云っても引っ掛からないね。「この五行は作戦だったのか?」 そう。

実は、今日は、初っ端から作戦中なんだよ。「じゃあ、諦めろよ」 諦めるのは、いつでも出来る。おっ、浮きが反応したね。





















オレが、なんでも、なかなか諦めないのは、捨てるのはいつでも出来る手段だからだよ。つまり、最期の切り札だからだよ。

仕事にしても、夢や希望にしても、人間関係にしても、もう、だめだって思っても明日に繋げるのは、最期の切り札のお蔭だよ。

そう、捉えれば、振り回されているんじゃない、自分が、自分の意思で繋いでいるんだと思えるだろ?





最期の切り札は自分なんだよ。どんな世界に生きても、この札を持っている限り、自分の意思は、其処に存在している証だよ。

期限なんてないんだよ。答えなんてのは、なかなか得れないもんなんだよ。

熱意だよ、想いだよ、執念の粘りだよ。そして運命だよ。





切り札の使いようは、人それぞれだろうけど、自分の努力を測られていることを忘れちゃいかん。

実はね、測っているのは、誰あろう自分自身なんだよ。人は知らぬ間にマゾッ気の世界で苦しんでいるんだよ。

苦しみと切り札を秤にかけて、人は人生を知るんだよ。





哀しいのは、そうして自分を甚振(いたぶ)って何とか成った奴が、人を甚振ることをするかねえ? 急にサドになるな、アホッ。





















「おまえって、独り遊びが上手だね」 子供ごころの為せる技だよ。






























カメレオンの独り言-870 『癒す』

2013年08月19日 | 日記







 明日(8/19)の分です。






休み明けの土曜日、やたら忙しくてバタバタしたよ。昼下がり、一段落して外で煙草吹かせてたら小学生の男子と女子が寄って来る。

誰も居らんなあ。「そう、退屈やわ~」 5年の女子は「★★ちゃん、私はいつも苛められてんねん」 云っておったね。

苛めてんのとちゃうんか? 「なんでやねん、ちゃうわ」 6年の男子が、コンビニ行くのん着いて来てって云ってる。





「おまえ、一人で行けよ」 そう云わんと着いていってやれよ。「ほんまあ~しゃあないな~」  

女子は、大人びるのが早いね。学年下でも、お姉ちゃんぶってるよ。暫くすると帰って来る。 おまえは買わなかったのか?

「うん、要らんわ」 男子は、地面に座ってパックしたようなアイスをしゃぶってる。





女子が、隣に来てオレの顔覗き込みながら「★★ちゃんは、今、幾つや?」 「なんでや?」 「★★ちゃんが、もう少し若かったらなあ~」

おまえ、それは、どう云う意味や? 声なしに笑っとおる。最近の子は早いねえ。呆れるわ。何考えとんかねえ?

オレも、此処にお世話になってから、いろんな人と知り合いになって学ぶところが多かったよ。















この女子は、最近、よく顔を見せる子で、オレが暇な時に話を聞いてやったことがある。

なにやら、抱える悩み事を云いたいときがあるんだろうね。適切な言葉を返してやるほど此方も頭が良くない。

「★★ちゃん、解ってるう~?」って、時折、オレの理解度を測っておるよ。





悩み事ってのはね、相手が在って生じる問題の原因は双方に在るんだよ。どちらにも問題が在るってこと、解るう~?

その問題を解決するってのは、口で云うほど簡単じゃないよ。理屈で解しても感情が許さんなんてのが、互いを素直にさせないの。

女は、特にそうではないかいな? 「そやねん、素直になられへんねん」 こいつ、きっちり理解しとんね。





自分にとって、この問題を解決して、次のドアを開ける価値があるか、ないかを考えてだね、受けて立つか、受けて流すかを見極めるんだよ。

「ないねん」 じゃあ、おまえの生きる世界じゃないよ。避けて通れ。頷いてる。

人間はね、愉しいところからは学ぶものはしれている。苦しくて悲しい中にこそ学ばなければならんもんが詰まってんだよ。





「しんどいなあ」 そう、だから、生きていくのはしんどいんだよ。だから、愉しいことで癒すんだよ。





「千葉に帰って、デズニィーランドへ行くねん」 ほおう、ええやないの。癒して来い。「うん、癒してくるわ」 素直やね。

人には、琴線に触れるってところが在るみたいだね。気づかぬ道を指し示す、前が見える、ゆとりが生じる。

適切な回答でなくても、こころの疎通を感じることで、人は立ち直りの勇気を得るのかも知れないね。















中2の娘が買い物から帰って来た。わざわざ回り道して来る。「何処へ行ってきた?」 「服、買い物」 

気に入ったのがあったか? 「ふん」 なんや、抜けとんなあ。「暑いわあ~」 じゃあ、帰ってファッションショーでもしてくれ。

おまえ、横っちょで、じぃ~と見んなよ。「えへへへへ」 なんやねん? 鼻糞でもついてんかよ?





終業支度してたら 「★★ちゃ~ん」 大きなバック抱えて某私立大学付属の高1の女子が覗いてる。部活か?「うん」

「来週から、1週間休みやねん」 そうか、そらあいいね。夏休みだもんなあ。

窓の縁にカバンを置いて両肘のせて顔を支えてるんだけど、おまえら、なんでそうして、じぃ~と見詰めるの?





時折、なんか、恥ずかしくなるよ。意味ないことして慌ててる自分が居るよ、馬鹿みたい。年寄りをおちょくるな。















お袋が云ってたね、「〇〇〇はん、あんたは女難の相があるって、みんな云うから気いつけや」 ええやないのお~。

親父が、早く亡くなってお袋は、馴染みの易者に先行きの参考によく卦を見て貰ってた。

女難の相か、あるようで全然ないで。全てが、中途半端やったねえ~。





オレは、男だから、モテてるのかなって都合よく解釈するけど、知らず知らず、誰彼なしに癒してんのじゃなかろうかなあ? 















くそっ、日曜出勤だとお~、オレは働くんだけど、仕事に美意識なんか持ったこと無いから実に不愉快だよ。

くそっ、くそっ、パソコンに興じる時間を奪うなんて理不尽だよ。「幾つやねん、おっさん?」 歳なぞ関係あるかい。

ああ~ホンマにルンペンなったろか。好きなことに没頭して自分の生きざまに美意識を持ちたいよ。





宝くじ当れよっ。「なんの関係があんねん?」 手っ取り早く自由になれるじゃないか。オレは、自分の時間を買う。























カメレオンの独り言-869 『ふんで』

2013年08月18日 | 日記







翌日の分を早めに更新して、深夜の0:00時を回る頃に日付を合わせるんだけど、なんか勘違いして18日の分も更新しちゃったんだね。

あれえっ、何処へ行っちゃったのって慌てたよ。ビールに酔って消去しちゃったと思ったよ。

なんか、そこ等で並んでる行列が、いびつに前へ詰まってる感じだね。ミスったね、しまったね、困ったね。馬鹿だね。







 間が空くので、明日(8/18)の分です。







早めに仕上げた意味がないじゃないか。ゆとりが無くなってしまったよ。

だから、馬鹿は嫌なんだよ。インテリの気持ちが解るよ、まったく。

今日は、仕事上がりをゆっくりしようと思っていたのに当てが外れたよ。















さて、盆休みも終わっちゃったね。ふんで、何を書こうかな? 「ふんでって、何処の言葉や?」

いやいや、小学校2年の時の作文で先生に云われたね。「これ、なんなの?」 ふんで・・・ 「だから、ふんでってなんなのっ?」

小さいガキ相手に大人気ない先公やったで。「先生に失礼だろ?」 オレは、相手の人間性を見てたよ。





悪さの長けたのが「そいでちゅう意味やん、なあ~」って助け舟出してくれたよ。オレは、うんって頷いて笑ってる。

「その場合は、それでとか、それからとかあるでしょ」 この先公は、メガネの奥の目が冷たい。「解ったあ?」 はい。

でも、オレは、未だに、ふんでえ?って、平気で使ってるよ。「おまえもおかしいよ」





ふんで、オレは、先生も人間なんだなあと思って尊敬しなくなった。「それしきでかあ?」 それしきが大事で要だよ。

人間が人間に教える。教えるから偉いんじゃない、おまえも教えられて、そうなった。

人間に人が教えねばならんのよ。人間を人に成長させてこそ偉いんだよ。その意味合いでは、あの先公は失格だね。





今となれば、人間性を感じさせないパソコンの方が、下らん影響を与えずに遙かに優れているよ。「極論過ぎないか?」 過ぎるよ。

















ふんで、どう続けようかいな? オレは、ガキの頃から表のその裏に意識が行くひねくれもんだったね。「おまえが悪いんちゃうんかえ?」

そうとも云える。「お前みたいなガキを担任した先生が気の毒だよ」 じゃあ、先生になるな。人を導く器じゃない。

犬でも猫でも相手を見てるんだよ。相手の心ん中を見てるんだよ。奴等からしたら見極めに生死が懸かってる。





昔の先公は横暴極まりない奴が多かった。学び舎に君臨していたよ。そんな権威主義的な世界だったよ。

今、それを変えずに押し通すなら旧き良き先公と認めよう。PTAの馬鹿親どもと戦え。教育委員会の腑抜けどもと戦え。

昔流の教育の持論を押し通せ。教育者の筋と骨を見せろっ。信念なき世渡り上手なサラリーマンどもがっ。「云い過ぎではないか?」 うん。





人生は、其の子の当る先生で、その子の運命も決まると云っても過言じゃない。伸ばすも断つも、おまえ次第だよ。

それほどに重たい仕事なんだよ。聖職者たる誇りは、其処から生まれるんだよ。人知らずして人を導くなんて出来ないよ。

若い先生は、教え子ともども習って行くんだよ。いろんな子供達が、あんたらの教科書だよ。そうして人の心が解っていくんだよ。





オレの2年の担任は、もう五十路を回ってた。成長其処止りのおばはんだった。「おまえなあ~」 お笑いも入れんといかん。

















教え子のスカートの中を盗撮したり、トイレにビデオを隠したり、揚句は、乱暴したり、誰がこんな奴に教員免許を与えたっ?

どんな駕籠にも腐った卵は混じる。時折の一人、二人なら云わん。そんな奴等のオンパレードではないかっ。

ふんで、「ストレスが云々」恥知らずの決まり文句、何をぬかすかっ、世の中で働く人々全てが、ストレスの中で生きとおるんじゃっ。





おまえ等のいい訳通るんやったら、女の子は、一時も外を歩けんわ、アホめがっ。





こんな奴等のいい訳書くなら新聞一面に顔写真を曝せ。一生懸命に先生を貫いている人たちの名誉に懸けて、聖職を汚した奴等を厳罰に処せ。

そこ等のアホが遣ったらボコボコなのに、なんで、こんな卑怯者のペテン師を庇うのか訳解らんわ。先生の面汚しではないか。

先生、先に産まれただけのことやね。駕籠に在る、誇りを忘れて腐った卵の中に、まともな卵も必ず居る。ヒナに孵って大きく育て。

















金八先生まで遣れとは云わん、遣れと云われなくても遣っている、そういう人でなければ本当の先生は務まらないんじゃないんかねえ?





「ふんでから、なんでこんな話になるの?」 オレも解らん。人をケナチョンに攻撃する話は程度が低いね。

書きながら、そんなことを思ったよ。ふんで、日頃のストレスが云わせてしまったと言い訳してるんだよ。

「ふんで、終わるのか?」 そうだけど、やっぱり、ふんでは、おかしいでえ。




「じゃあ、結局、おまえが悪いんじゃないか?」 そういうことになるかね? ごめんなさい。






































カメレオンの独り言-868 『お休み-9』

2013年08月18日 | 日記





 明日(8/18)の分です。







お盆休みも終わりだね、始まる前はいいけれど終わりが見えるとダルいね。なにがあ~仕事じゃクソがっ。

でも、始まってしまうと、すぐに平常に慣れて、なにがあ~仕事じゃクソがってのも薄れるね。

その代わり 「このおっ~クソ野郎がっ」 が、濃くなるね。イッテもうたれっ。




盆明けの日曜出勤なんて、そらあないやろ。ホンマア~年金でルンペンしたろか。「情けない奴やのお~」

















ただのルンペンじゃあないよ。自分が遣りたいことだけに集中するんだよ。他のことなどクソ喰らえだよ。

オレは、成らずとも死ぬまで治らんだろうね。この歳なったら、余計に、そう思うよ。

今年が藻屑に消えたら3年後のオレを見てくれ。「生きてるかあ?」 アホ、そんなもん誰も解らんわ。




花火見物に行って夜店が並ぶお祭り風情を愉しんでいて爆発起こって火達磨なるって誰が想像する。

可哀想に、あんまりやね。なんなんだろうかねえ? 福知山の由良川河川敷だったかね。避けようの無い事故だね。

明日があるって約束は漠然としたもんだよ。筆は先からへたるもんだけど、それも絶対とは云えない漠然としたものに思えるよ。




生きてるってのは、ある意味、仕事なんだろうね。

何かを果たさねばならんことがある限り、死にたくても死ねんちゅうのもあるんだろうね。

使命なんてのは見えない。探り知りようも無い。暗中模索の闇の中、ライトで照らして「無いね」 じゃ、近いうちに死ぬね、なんてね。

















死ぬってことを禁句にするほど毛嫌いする人も居る。生きているってことの意味を知ろうとしない人だよ。

人間の前途に絶対的に約束された唯一の事実だよ。向かい合って生きるべきだよ。生きている感謝を否が応でも感じ得るんだよ。

感謝は謙虚を生む。そこから清廉を知る。そこから限り在る命の大切さを知る。命を慈しむ、互いに思い遣る心が養われるんだよ。




大局的に捉えれば運命共同体ではないか。金持ちも貧乏人も、賢い奴もアホな奴も、皆が同じ運命に生きる仲間ではないか。

優しい心に水をやれ、涸れてはいけないんだよ。枯らしてはいけないもんなんだよ。

仲間の存在の意義は鏡だよ。見えない自分を教えてくれるためにあるんだよ。人は互いに教え合っているんだよ。

















「おまえは説教染みたこと云うのが好きだね」 説教じゃないよ。説教なんて出来るがらかよ。

行く道迷えば地図を頼りにするだろ? 地図を広げておけって話だよ。でも、迷い迷って知ることもあるけどね。

そういう人は、自分で考える力を持っているよ。地図を創る人だね。「誰のために?」 人のためさ。

















「お休み」も、終わりが見えてくると、それなりに真面目になってくるね。嫌だねえ~、この決まったパターン。











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