カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1519 『帰郷』

2015年11月30日 | 日記







 2015年11月30日







27日金曜日は、さっむかったねえ~っ、今年一番の冷え込みだよ。12度なんて寒いうちに入らないんだけど、矢鱈、寒く感じたよ。

これから、もっと寒い日が来るだろうけど27日の寒さはインパクトがあったよ。季節の切り替わりだね。

今日は、久ぶりに晴れたね、お日さんに当たると暖かく感じて、ずっと日向ぼっこしてたい気持ちなんだけど多めの雲が流れて来ては邪魔して遮りよる。





太陽は常に照っているはずなのに陰なる雲がたなびけば陽たる光を遮断する。空を見上げて、独り、人生だねって呟いてる。陰なる雲か・・・。





















なにも浮かんで来ないので自分の書いた駄文を読んでいたよ。馬鹿だねと思うんだけど面白いなあとも思ってる。オレが書いたのかよって笑ってる。

笑いながら、次をクリックして読んでいる。これ、おもろいでって自分に云ってる。言葉が澱まず流れているよ。

流れる水は腐らない、つまり生きてんだよ。不完全だけれども面白い。「自分で云うか?」 自分で云うよ。





でも、パターンを変えたいね、なんだろうかね? 解らんね、混ぜ合わすって閃いたんだけど何をどう混ぜ合わすかだね。真面目さかね? 

明るい太陽を遮る雲、陽と陰、何ごとにも対極する両面がある、緊張と緩和、怒りと笑い、喜びと悲しみ、前と後に上と下というようにあるからね。

一方向で決め付けて成り立つものはないね、いろいろと考えるんだけど、あまり難しくすると話しも出来なくなるからねえ。





「頭が着いて来んか?」 そう、着いて来なけりゃ来ないで、それなりの表現方法が無いわけではない。知識じゃなくて知恵だね。

オレは、知恵だけで生きてるところがあるからね、ホローするのは心だね、足らぬ分は心で埋めてんの。ああ~あ、知力が欲しいね。

子供や若い子が勉強を疎ましく云ってると、オレは云うんだよ、火事や地震で逃げ出す時に何を持ち出せる? どれだけの物を持ち出せる?





それなりに考えてんだね。命を持ち出せ、それだけでいいんだよ。生きてる頭は身の内だろ? 頭に財産を蓄えておけば身を助けるんだよ。

手に職も同じだね。身につけるってことの大事さを考えさせると大方の子は深く頷くよ。

「そんなん、どうなとなるでえ」なんて云う奴は知恵走った子だね。「おまえみたいな奴か?」 オレも、そう云って来たからね、狼男だよ。





















1516回で映画『レフト・ビハインド』のニコラス・ケイジをボロクソに云って、こんなの創ってたら客が見限るぞ、なんて感想書いたろ?

「端(はた)の駄作で自分の駄文にホッとしてか?」 嬉しい突っ込みだね。「嬉しいかあ?」 そのとおりだからね。

そいで、もう一本借りてたろ? 『ラスト・リベンジ』ってヤツ、観ないで消したろかと思ったけど、一応、映してみたの。





オレの小言が利いたのかして真面目に創ってあったよ。「なんで、ニコラス・ケイジがおまえの文句なんか知っとるんやっ」 ネットだろ?

「ネットでも、おまえの駄文なんか見るかっ」 解らんで、毎晩、見てるかも知れん。そいで、クッダラナイ駄文だね、なんて言い返してたかも知れん。

えらい熱演だったよ。数年後には認知症になるって診断されたCIA局員が、昔、自分を捕えて拷問をくわえたテロ男を執拗に追うんだね。





テロ男も難病で薬で生きてる状態、薬の出所探って処方する医師を見つけテロ男の居場所をつきとめる。テロ男はアフリカに潜伏している。

折から医師を脅迫して診察に来させようと画策しているのを知って、その医師に成りすましアフリカへ飛ぶんだけど認知症が発症して、時折、おかしくなる。

時間がないんだね。CIAからも退職を強制され、生死不明のテロ男の捜査も、生きていても難病で「いずれ死ぬ」からと協力を得られない。





















局の同僚の一人がクビを覚悟で協力してくれるのが救いなんだけど、怒りっぽくなったり、幻覚症状に迷わされたり、手が震えたりと行動に支障をきたす。

それでも、ようよう、潜伏するテロ男と対面する。おつきの部下を影で片付けてテロ男の前で変装を解く。驚く病人のテロ男。

病魔に冒されて当時の頑強そうな面影もないテロ男。互いが、病魔と闘う身、ニコラス・ケイジは虚しさを覚えて復讐もせず立ち去る。





恨みを捨てて帰国を前にホテルで同僚と過す二人。しかし、テロ男が放った部下の襲撃に合い同僚が撃たれる。怒り狂ったニコラス・ケイジは襲撃犯を射殺、

車を飛ばしてテロ男の隠れ家へ着くなり格闘となる。テロ男は昔のままに凶暴で手強い、なんてストーリーなんだけど最期まで観れたね。

どんな人でも最期は来る。映画のニコラス・ケイジの末路は、本人が医者から宣告されて前が読める訳だね。観るものも解ってるから気分も晴れない。





晴れないものを見せられて爽快感などないね。いずれは、そう感じている自分の番が来るのに他人事だね。人間って、考えたら馬鹿だね。

その時が来るまで他人事なんだね、この切り分けは無意識だね。今、日本の国民の32.3%が60歳以上なんだね。数で云えば約4000万人以上。

昔ならバタバタ死んでる歳だよ。18.1%(約2200万人)が70歳以上だね。癌は怖い、でも、認知症も怖い。救いは患ったら死の恐怖も忘れる。





無責任な自分がいつまで生きるか、それが怖いに変わるけど患ったら忘れる。そんな自分を考えたら患うまでに死にたいけど死ねなかったら怖い。





















血管詰まって死ぬか、癌と戦って死ぬか、認知症(痴呆症の改称)で無責任曝して死ぬまで生きるか、

その他諸々でくたばるか、其処まで来てても解らないから他人事で笑って生きてる自分がコワイ。「じゃあ、3ヵ月後って云われたら?」 鬱病なるだろうね。

こんな馬鹿なこと書いて自分で笑ってる奴の明日も解らない。つまり、解らないから元気に生きてるだけなんだね。解らないってことが人生の肝だね。























雲垂れ込んで寂しさは灰色の雲、不安と不吉は黒い雲、空を水で濡らせて雨が降る。空を凍らせて雪が降る。金切り声で風が吹き、狂おしくももがいて渦を巻く。

青空に浮かぶ真綿のような白雲に夢を重ねるときもある。晴れている、その向こうは、常に太陽が変わらず燦燦と輝いている。

陽たる日差しの其の下で陰で遮り人を惑わす層がある。層を境に真実と嘘の世界が分かれてる。何も解らぬ世界が其の層の下にある。





何も解らぬから学んで知って疲れて務め果たして層の上へ戻る。其処は生まれ来る前に居たところ、務めを終えて還るところだと想うんだね。人は、其れを死と云うね。






























カメレオンの独り言-1518 『壁にぶち当たったら、もたれて煙草を吹かせて休めばいい』

2015年11月28日 | 日記







 2015年11月28日







午前中は、身体を動かせば少し暑く感じてたんだけど、午後からは、だんだん、冷えてきて風が吹いたら寒いがなあ。

グレーの雲が垂れ込んで降りそうで降らない曇り空、パラパラと枯葉が枝から離れて飛んでいく。これから冬に任せて秋が去っていくね。

今年も変わらぬままに流れていくねえ、「其れが浮世の流れと云うものさ」 奥歯の下の歯茎が痛むよ。「疲れたか?」 自覚はないけどね。





バタバタして落ち着かない時に新聞だったかね? ネットかなあ? 素人の物書きや絵なんかを求めてる会社?があるんだね。

わりと引く手あまたで求めてるらしい。オレなんか役に立たんかね? 「無理だろ」 それなりにレベルを上げるよ。「どう上げるねん」 知らん。

なにか産み出したい欲求があるんだけど閃かないね。何かオレの中で眠ってるような気がするんだね。「叩き起こせ」 





「カメレオンさん、何か面白いのを書く気はないかね?」 なんて話はないもんかね? ええっ? オレなんかに出来るでしょうか? 「無理っぽいね」

なら、余計なこと云うなっ。オレの感性を理解しておらんねえ。感じたままの想いの言葉、解らん奴には解らんだろうね。

解る人にも解らんところが欠点だろうかね? 「全部あかんやないか」 教科書みたいな文章を好んで読む人には向いてない。





日頃、あまり文を読まない人が釣られて読んで次も読む、これだよ、これがオレの駄文の魅力だよ。そして、なるほどって笑って貰うのが夢だよ。























最初は、きっと読み辛いと思うんだよ。でも、なんとか癖を掴んで貰えれば口頭から流れ出る言葉に親しみを覚える。「誰がや?」 読んでる人やがな。

「何、云うとんや」と、反撥を覚えつつ笑ってしまう。「誰がや?」 読んでる人やがな。

「もうちと何とかならんのか?」と、批判めいた思いもするけど頷いてる。「誰がや?」 読んでる人やがな。





頷けるところもあるけれど認めがたい駄文ってのが、この「カメレオンの独り言」ではないか? 「自分で、そう思うのか?」  思う。

「認めて貰えるような正しい文を書けるよう改める気はないのか?」 

もし、仮に改めるだけの能力があれば、その他大勢の駄文になってしまう。「云うねえ」 云うよ。次の表現方法を見つけ出すまでは、今の個性を貫く。























毎日、読んで頂く枚数は半端じゃない。最近なんか3000字以上が平均だよ。覗かれる方の頭数の6倍から10倍の閲覧数なんて信じられないよ。

解析の数字と読まれた題表示から、なにかしら読み取れるのは、好みの題材の駄文を読み切られると去る。

去るもの追わずで生きてるオレではあるけれど、ようよう行き当たった人が去っちゃうってのは、駅前の一等地で店張ってるのと同じだよ。





「なんかエエように聞こえるね」 そうか? 「一見(いちげん)さんか?」 溢れるお客さんには困らないけど常連、顧客のお馴染みさんが着かないんだね。

「垂れ流しか?」 臭い表現すんな。これが、オレの駄文の欠陥だね。留め置く魅力に欠けているんだね。

なんだろう? 「ムカつく内容に行き当たってキレるんじゃないか?」 なんじゃっ、この野郎っなんてか? 有り得るね。























導きが欲しいと思う時があるよ。自分じゃ見えないからね、そうではないかと思えることはあるけれど、自分じゃ、其処どまりだね。

同じ器の中を掻き混ぜても、それ以上のものは出て来ない、解っちゃいるけど掻き混ぜてるんだね。

だから、「カメレオンさん、何か面白いものを書く気はないかね?」なんて云ってくれる人はおらんかなって思うんだよ。





その人は、オレのを読んでるからこそ声をかけてくれるんだから、ムカつく意見も云ってくれるだろうしね。クソッ。「なんだ、其の態度は」

「こんなんじゃ駄目だよ、なんて云われたらどうする?」 ふっふふふ、ただ済まんぞ。「弱い癖して格好だけは強がりだね」 そうだよ。

どうすればいいでしょうか? 「駄目なもんは駄目なんだよ」 なんじゃ? 「くだらないんだよ」 なんと? 「なってないんだよ」 あれま?





こんな奴は出て来んでもええで。活かせてやろうって思いの人だよ。ハナから貶(けな)すような奴には、鉄拳制裁だよ。

肉体労働上がりで毎度100回の腕立て伏せで鍛えてる腕っぷし拝ませてやろうか。「俺は空手極真拳5段だよ」 失礼しました。「なんやねん」

世の中を甘く見てはいけないというお話だよ。一発でやられてしまうよ。貶されて骨折られて散々だよ。手負いの狼は、独り、ヨロヨロと山へ帰るよ。





「手負いの狼は山でどうすんねん?」 どうせ世間から弾き出された半端もん、今更、どうにもなりゃあしねえんだよ。 かあちゃん、許してくんない。

























「おまえってオモチャ要らんね、独りで遊べるね」 だから駄文なりとも1600回も書けるんだよ、バカヤロオオオオ~「なんや?」 遠吠えだよ。

ちょっと、休もうかなと思ってる。疲れも溜まってるのかして奥歯の下の歯茎も痛いし、考えねばならんことも多いし、

無理して書き続けても同じことばっかしで新鮮味もないし、目の前に壁らしきものが見えてるし、「乗り越えられないのか?」 脚立で越えられるかな?





オレは、とことん自由でなければ書く意欲が極端に失せるね。あれやこれやと考えねばならんことが足を引っ張りよる。ああ~あ、しんどいね。

「ちょっと休むって、どのくらいや?」 解らん、気が乗ったら書く、乗らなかったら書かない。重症か? 軽症だよ。「なら休むな」

ただ、書き続けるだけが能じゃないで、休んで脳味噌一新するんだよ。どうも、そん時が来てるね。





「そんなこと云って、明後日には更新すんだろ?」 良いように疑われてるね。「おまえは、休むって云って休んだ例(ためし)がないからね」

須(すべか)らく明日のことは明日になってみなけりゃ解らないもんさ。

この須らくって言葉は、本来、「当然、ぜひとも」で使う人が41%、本来の意味ではない「すべて、皆」で使う人が39%とある。





オレは、後者の39%の部類だね。公に出すなら須らく正しくあらねばならんけども、まあ、オレの場合は、須らくいい加減だね。「胸張るな」、






























カメレオンの独り言-1517 『映画 誘拐の掟 ・ 悪の出来栄えで映画は決まる』

2015年11月26日 | 日記







 『誘拐の掟』  2015年11月26日







リーアム・ニーソンの『誘拐の掟』を観たよ。物語の世界だけでいいような内容だけど、そういう意味では面白かったね。

此の人の映画は、安心して観れるよ、裏切りがないね。いい雰囲気を醸して生きてる人だね。

実際に会った人じゃないけどスクリーンを通して、其の人の人柄ってのは出るもんなんだろうね、生きざまかね? 人生積み重ねて出る味だろうかね。





包容力のある人って感じるね。強いだけが男じゃない、優しくなければ男じゃないってコピーがあったように思うけど

リーアム・ニーソンは、其れを地で行ってるように思えるよ。賢そうだしね、「おまえに無いもんやね」 放っとけ。

しかし、この知的ってのは、勉強せんことには身につかないもんだろうね? 「勉強したから、必ず、着くってもんでもないんじゃないの?」





活かしようを知ってるのかも知れないね? 知性、教養なんてのは、人のために役立ててこそだからね。

そういうことを心得て生きてる人は知的な香りが漂うのかも知れない。「そうとも限らんだろ?」 そらあ、賢いんだから賢そうには見えるけど

ただ、賢いだけって人も居る。つまり、活かしようを知らない人なんじゃないか? 「自分の努力で得たものって抱え込んで悦る人か?」





嫌がられるんだね、そういう人は。人望が欠落してんだろうね。導く優しさを兼ね備えて与えるものが湧き立つような人が知的なんだろと思うよ。














『誘拐の掟』








女性をさらって縛り付けて乱暴して切り刻む。乱暴だけにしておけよ。「アホか」 切り刻むってなんなの? なにが面白いのか訳解らんわ。

口にテープ張られて縛られて身動きできない状態で弄ばれてる女性の貌がアップで映し出される。

男なら、心が歪めば興奮するよなことをして愉しんでる奴の気持ちは、この描写だけですぐに解る。「同類か?」 ある意味、同類だろ? 「危険な奴やねえ」





見落としたけど女性の頭上から捉えた画面に何か危険なものを持つ手が映るんだね。声を挙げられない女性が、其れを見て恐怖に顔を引きつらせてる。













『誘拐の掟』







こういう類(たぐい)の映画は描写力がものを云う、戦慄を与えるんだね。このタイトルのシーンだけで誘拐犯の異常な猟奇趣味が窺がえるよ。

オレは、刑事もの警官ものって映画が好きだから相手が手強くて残忍な奴という設定には文句は無い。

でも、こういう類の猟奇犯を扱う映画は、世によからん影響をもたらすんじゃないかと、一抹、心配にはなるね。「同類を刺激するかもね」 そうだよ。





1991年のニューヨークが舞台なんだね。刑事のマット・スカダー(リーアム・ニーソン)が警官はタダ呑みができるバーに立ち寄る。

4人席に腰掛けウィスキーとコーヒーを併せ呑みしてると数人の客が入って来る。

背中越しに、なにやら話し声に続き銃声が轟く。男たちはバーテンダーを射殺して逃げる。すぐさま後を追ったマットは、銃撃戦の末、彼らを仕留める。





しかし、銃撃戦で、その場に居合わせた少女が目に流れ弾を受け死亡する。表彰はされたものの自責の念でマットは、警官を辞職するんだね。

日頃から酒びたりで銃撃戦の時もウイスキーを呑んでいた。辞職後は、禁酒会に参加して酒を断って無免許の探偵稼業で飯を食っている。

1999年、或る日、同じ会に参加する画家の男ピーター(ボイド・ホルブルック)に「兄の依頼を聞いてやって欲しい」と頼まれる。













『誘拐の掟』







兄のケニー(ダン・スティーヴンス)に会ったマットは、妻を連れ去った誘拐犯を見つけてくれと頼まれる。「FBIの仕事だ」と云うマットに

建築家ながら裏で麻薬仲介人をして稼いでるケニーは、警察には頼めない事情を臭わす。そして、身代金を支払ったにもかかわらず妻を殺害されたと云う。

一旦は、依頼を断るマットだったが、翌日、ケニーから犯人から送られた殺害テープを聞かされて、その残忍さに昔の刑事魂が甦る。





ニューヨークの裏町になるんだろうかね? 冴えない風景のなかマットの捜査が始まる。図書館で類似の誘拐事件を調べたり、別件であろう事件で

バラバラにされて殺された女性の足取りを追ったりして猟奇犯との接点を詰めていくんだね。こういう捜査の一連の流れが、オレは好きなんだね。

リーアム・ニーソンがいいねえ。過去の自責を背負いつつ生きて往く男の哀愁かね? よく味を出してるよ。














『誘拐の掟』 マット役のリーアム・ニーソン








身代金を払ったにも拘らず、なかなか妻を帰さない犯人に振り回されてケニーが雨の中を右往左往させられ、揚句、道路端に放置された車に居ると

指図されて駆けつける。ボロボロの車の座席には妻の姿はない。トランクを開けるとナイロン袋に包まれたレンガほどの大きさの荷物が数積まれている。

一つを手に取りナイフで包みを切ると血が溢れ出る。切り刻まれた妻の変わり果てた肉塊だったんだね。茫然自失のケリー。














『誘拐の掟』








そういう恐怖のシーンを織り交ぜて物語は展開する。ワゴン車が徘徊する。一人の女性の後を付け回し帰宅した家を覗き込み在宅看護師と解ると

「雇われだったら金は出さんな」 誘拐を断念して立ち去ろうと道路を走り出すと、その邸宅から少女がイヌの散歩で父親と出て来る。

「待てっ」 停めた車の前を横断する少女を見る猟奇犯の二人。捜査が進むに連れて別件と思われたバラバラ殺人がケニーの妻を襲った猟奇犯と接点する。





其の事件に絡んだ死体発見者を調べるうち、この発見者が被害者、加害者ともに関係していることを掴んだマットはアパートの屋上で彼を詰問する。

被害者は、男のアパートの向かいに住む女性で、その頃付き合っていた猟奇犯の二人がさらって惨殺する場に居たことを自白する。

気の弱い男で、自白後、アパートから飛び降り自殺するんだね。この飛び降りのシーンが妙にリアルだったね。





一方、猟奇犯たちは、目をつけた少女の家に忍び込んで連れ去る。少女の父親はケリーと同じく裏で麻薬仲介人をして稼いでいる。

表沙汰できない父親は、同業のケニーからの紹介でマットに事件の解決を依頼する。

此処からマットが、猟奇犯と真っ向勝負するところが痛快だね。父親にかかってきた脅迫電話を取り上げ一歩も引き下がらぬ姿勢で相手を畏怖させる。














『誘拐の掟』 マット役のリーアム・ニーソン








予告編で「殺したら殺す」の台詞どおりで、「おまえの名前を知っている、レイ」って言ってのける。電話の向こうでたじろぐ猟奇犯。

此の映画の猟奇犯の二人は実在したらしく、ローレンス・ビッテイカーとロイ・ノリスをモデルにしてるらしい。陵辱、惨殺の模様をテープに録って残してる。

実際の事件の裁判で、それを聞いた死刑反対論者を賛成派に鞍替えさせ、裁判では傍聴席の女性達が耐え切れずに退席するほどの凄惨な内容であったらしい。





1978年頃のアメリカで10代の少女ばかり5人を立て続けに拉致、殺害した二人組がローレンス・ビッテイカーとロイ・ノリスなんだね。

彼らもワゴンを購入して犯罪に利用、13歳から18歳の少女を拉致しては、車内で陵辱の限りを尽くした後、

飽きるとワイヤーハンガーなどでじわじわと首を絞めたりアイスピックで少しずつ耳を突き刺したりして殺害したという。





彼らは、この様子を録音しており、そのテープには、陵辱、拷問の一部始終を被害者自身に何をされているかを涙ながらに実況させている。

絶叫する被害者の声や、ハンマーで関節を殴られたり局部をペンチで捻り上げられたりしているうめき声や叫び声、阿鼻叫喚の地獄絵図だね。

被害者の叫び声を聞きながら「もっと泣き叫べ!」と嘲笑する二人の声などが収められていたとある。何処の国でも鬼畜は居るんだね。














実在の猟奇殺人犯 『ローレンス・ビッテイカー』(向って左)IQ138だって、と『ロイ・ノリス』









聞くのも観るのもおぞましいような内容の映画を好んで観る。どういうことなのかねえ? 「おまえやないか」 正義と悪、其れが人の中に棲んでんだろうかね。

怖ければ怖いほど面白い、残忍なら残忍なほど面白い、下手な描写は許さない。リアルに徹した描写は賞賛される。おかしいんじゃないの?

「おまえがおかしいねん」 いやいや、世間全般だよ。モデルになるものが在って、其れを題材にリアルに描く。其れを観て触発されて実際に行う馬鹿が居る。





で、また題材にする。悪の上に正義が在って、正義の上に悪が栄えて、切のない構造に正義は妥協して或る一定の線で悪と手を結ぶ。「ホンマかいな?」

水清ければ魚住まず、或る程度、汚れた水にこそ餌となるもの多く生き物は好む。正義だけでは、何の面白みも変哲もない社会が出来上がる。

あるのは、眠気と欠伸(あくび)ばかりだろうね。其処から怠惰な悪が芽を吹いて崩れ堕ちて悪を生む。





其処へ刺激を求めて人々は群れ集まって、やがて、其れは散りばめられて至るところで悪習慣が宿り風俗となす。また、元通りの妥協の世界となる。














『誘拐の掟』 マット役のリーアム・ニーソン








「喰らえっ正義の弾丸」 悪を粉砕、破壊する醍醐味だね。悪無くして得られぬ快感。悪ければ悪い奴ほど、其の滅びるさまは痛快至極。

これだね、この快感を得るために悪は在るんだよ。だから、悪ければ悪い奴ほど面白いんだよ。 然るに正義と悪の戦いは永遠だね。

「ストーリーの後はどうなるねん?」 ネタばれって断り書いてる人が居るよ、新しい映画は、ケツまで書かないほうがいいみたいだよ。





よしんば、オレが最後まで書いても 「いまいち解らんなあ」という強みはあるけどね。「其れを強みと云うかあ?」 云うよ。






























カメレオンの独り言-1516 『映画 ターミネーター新起動/ジェニシス ・ レフト・ビハインド』

2015年11月24日 | 日記







 『ターミネーター:新起動/ジェニシス』  2015日11月24日







なんかホッとして気が抜けちまったね。グッスリ眠れたよ、今日の土曜は休みだから3連休あるんだね。

オレの提案に反対して平行線、頑として聞き入れずに自論を主張する奥さんが朝から機嫌が悪い。教科書通りでしかものを考えられないんだね。

動かなくても動かざるを得ないときが来てるだろ? 早いか遅いかだけの違いで機会を逸したら臍(ほぞ)を噛むことになる。





次の展開を予想したら準備を怠り待つだけでは脳がない。ここでマイナスだったことをプラスに変える機会だよ。「思うようになると思てんのん?」

絶対の答えなどない、一つの答えを知って苦しんだのは何のためや? 今、行動すれば違う答えを導けるかも知れんだろ? 感情を抑えて説く。

疲れた気を休めてからでいい、慌てることはない、時間は充分にある、その時間を活かさんと知恵がなさ過ぎるで。





困ったときは、受け皿は多いほうがいい。同じ一つの皿の上では、また、同じことしか望めない。変えたければ、こちらが変わらねばならん。

「それでもあかんかったら、どないすんのっ?」 また、変わればいい。縛られる訳ではない。「そらあ、そやけど、しんどいなあ」

無意味なことでしんどいより可能性のあるしんどいほうがええやろ? 「まあなあ」 今朝は、わりと素直に聞きよったね。





よし、道筋は出来た。道筋が出来たら目的に到達するまで歩かねばならん。それには健全な心と身体が頼り、暫くは、疲れた心を映画など観て癒そうか。














『ターミネーター:新起動/ジェニシス』








店内をゆっくりウロついて10本借りたよ。どうでもいいのが多いね。「どうでもいいのなんか借りるな」 放っとけ。

『誘拐の掟』 『ターミネーター:新起動/ジェニシス』 『レフト・ビハインド』 『アナーキー』 『カイト』 『ザ・ゲスト』 

『ファイティ・シェイズ・オブ・ゲレィ』 『プレッシャー』 『マッド・マックス』 『ラスト・リベンジ』 





『誘拐の掟』 『ターミネーター:新起動/ジェニシス』 『レフト・ビハインド』 『マッド・マックス』以外は、帰って来たら忘れてる。

思い出すのも面倒臭い。誘拐の掟とターミーネーター、レフト・ビハインドは、年内にリリースされるって知ってたから、よしよしと抜き取った。

マッド・マックスは、いまいち気が進まんから抜いては戻し、戻しては抜き取って、結局、借りた。しょうもないんだろうね。





あとのは、何がなにやらさっぱり解らない。数撃ちゃ当たる範囲だね。気が向いた時に観るもの置いておかんと寂しいからね。














『ターミネーター:新起動/ジェニシス』








ニコラス・ケイジの 『レフト・ビハインド』を観たよ。この人の映画は、B級オンリーだね。解ってんのに借りちゃった。 

突然人間が消える? 飛行中、激しい揺れに襲われた旅客機、搭乗する乗務員や客が衣服から抜け出たように忽然と消える。

馬鹿らしい。みんな真面目に驚きパニックになってる。機内の様子なんだけど僅かな空間でエラい狭いね。セットをケチってるね。





信心深いと云うより狂信的な妻に愛想をつかせたパイロットのニコラス・ケイジは、スチュワーデスと浮気が忙しくて家に帰らない。

空港内で娘と偶然会って言い訳してる。この娘がブス、「関係ないやろ」 関係あるよ。此の映画、出てくる女が全員ブス。

同じく空港で知り合ったジャーナリストが、意味なく厚かましく下手な演技で出張って、何故か消えた副操縦士の席に座ってる。目茶苦茶やね。





「おまえの解説が滅茶苦茶やないか、訳解らんわ」 解ろうとすんな、解れば、尚更、馬鹿らしい。

浮気相手のスチュワーデスとニノコラス・ケイジ、空港で偶然知り合って恋仲なったジャーナリストと娘、他、どうでもいいその他少数の乗客。

地上では、弟と出かけた娘が街ん中、ショッピング街で激しい揺れに遭遇、弟が衣服を残して消える。















『レフト・ビハインド』









周りのあちらでも、こちらでも相手が消えて絶叫してる。地上でも、同じ馬鹿らしい現象が起きているから交信が出来ないで困ってるニコラス・ケイジ。

パニック状態に陥ってる街の極一部分の中を弟を探しまくる娘。「どういうことや?」 ケチってるから大仰に描けないんだね。

誰も居ない一角でドアのガラスを割って忍び入るようにビル内に入り込む娘、何処へ行くのかな? 





結局、ワアワアと皆がパニくってる玄関に出て来て同じように走ってる。何の意味もない。ビルを裏から表に出て来ただけなんだね。

お粗末もいいとこやね。思わせぶりに侵入するから、なんかいなって思うがな。

騒ぎに乗じて略奪する者を散弾銃で撃ち殺したお店の経営者が通りかかった娘にも銃を向ける、なんでしつこく照準合わせるの? 出て来る奴がみんなおかしいわ。














『レフト・ビハインド』








操縦席に誰も居ない無人旅客機が迫ってくる。ニコラス・ケイジが「こちらの航路へ侵入してる」 相手に交信しても通じない。

ギリギリで交差して接触した部分から燃料が噴出したから目的地まで燃料がもたない、空港へ交信を繰り返すが応答が無い。娘の携帯に連絡をとってる。

娘は、高~い鉄塔の先端に立ってるよ? 「先端に立ってる?」 ごっつい吊り橋の先端だね、どうやって、そんなトコへ行けんねん?





携帯が繋がってニコラス・ケイジと互いの状況を確かめ合ってる。「どこか着陸するとこないか?」 そんなの娘に聞くかあ? 

娘は、そこ等の乗り捨てた車に跳び乗って、どこやらへ一目散。工事中の道路に来るとコーンや柵を弾き飛ばして滑走路を造ってる。「なんやねん」

夜間だから 「誘導灯が無ければ解らないっ」 娘は積まれたドラム缶にガソリンを撒いて火を点け爆発させる。「あっ、あれだっ」 ホンマかいな?





爆発の火柱頼りに強行着陸、道路を滑走して止まらない、目の前にガソリンタンク車が停めてある、ぶつかる~っ、ギリギリで止まって助かる。アホラシ。















『レフト・ビハインド』









「消えた人らはどうなった?」 知らん。「なんでやねん、観てたんやろっ?」 半分寝てた。ようも、こんな馬鹿らしい映画を創れたもんやね。

オレも、毎度、下手なりに真面目に書いてるけど、こんな糞映画、どうでもええわって不真面目に書いたから目茶苦茶だよ。

B級からC級に落としても、自分の名前で客は入るって自負心だろうかね? コスト浮かして欲ボケプラスの小遣い稼ぎで創っておるね。 





こんなの創ってたら客は見限るぞ。世の中、そんなに甘くないぞ。「おまえ、もう、一本、ラスト・リベンジもニコラス・ケイジやで」 あれえ? 















『ターミネーター:新起動/ジェニシス』









『ターミネーター:新起動/ジェニシス』 回を重ねるごとに馬鹿らしくなっていくのが常だから、正直、期待してなかった。

アーノルド・シュワルッツネッガーも歳をとりすぎて無理が利かないのは、最近の映画を観て解ってるし、

ストーリーも変わり映えしないし退屈しのぎ程度だと思って借りたの。でも、流れのいい仕上がりでT-800ターミネーターの老け具合がいいね。





人間味のあるターミネーターの味が限度を心得て程好く出てるよ。老けたアーノルド・シュワルッツネッガーに無理のない自然さがいいね。

最期まで文句無く観れた。これは、オレからすると「ターミネーター」で一番良かったような気がするよ。

SF好きの人からすると逆にポコペンかも知らんけど、なんか、ホンワカしたような空気が漂って、いい余韻が残るね。此の手の映画では珍しいね。














『ターミネーター:新起動/ジェニシス』








最近、オレの感性が枯れてきてるって思ってたけど、この映画は、それを活き返らせてくれるような情緒と爽快感があったよ。

「生きかえったんかえ?」 解らん。「解らんのに云うな」 ああ、そうだ、オレの行くツタヤに云いたい。「なにをや?」 

オレは、日頃、馬鹿かして 「ふんふん」自分の歳を意識しないんだけど、でも、ツタヤへ行って棚を追いながら角を曲がると鏡に自分が映るんだよ。





此処の鏡は人を萎えさせるね。瞬間、他所の人って思ってしまうよ。えええっ? 完全な爺ではないかっ。中身と全然吊りあってないんだね。

オレは、子供のままの中身で生きてるから外身も其の積もりなんだよ。「馬鹿か」 其の落差に愕然とするんだよ。

鏡のオレは、今日のアーノルド・シュワルッツネッガーと一緒だよ。「エエように云うな」 違うがな、老け具合がだよ。「事実、老けてんだよ」 信じられん。





鏡を見た後のオレの動きは、スイッチョン、スイッチョン、スイッチョンって骸骨(T-800)になったアーノルド・シュワルッツネッガーだよ。

ふざけてるよ。「おまえが、ふざけてんだろうが」 気を取り直してレジーに行くんだけど、客に負担を被せる鏡を変えてくれ。

「レジーの人に云えよ」 そんなの云えるかあ? 笑われるよ。 「解ってるやないの」 





しかし、オレは負けない。勘定済ませてドアを出る時、「I'll be bacK.」(アイル・ビー・バック)って呟くのさ。 「ホンマかえ?」










ターミネーター: 新起動/ジェニシス メインテーマ曲










映画『ターミネーター:新起動/ジェニシス』第2弾予告編




































カメレオンの独り言-1515 「現実蹴飛ばして夢見る男になるんだよ』

2015年11月22日 | 日記






 2015年11月22日






現実の波ってのは容赦がないね。夢見る親父は波に巻かれて気がつけば足の届かぬ海原を浮き沈みしてるよ。「おまえ、泳げないんじゃないのか?」

そうだよ、浮世の波に弄ばれて沈み沈んで底を這ってきた。呼吸を殺して最後の最後に底蹴り上げて空を見たよ。

でも、泳げないから犬かき猫かき馬かき猿かき必死に浮いて此処まだ来たよ。「立つ瀬があったのか?」 在っても、いつまでも、じっとはしておれんがな。





ええい、ままよ、足の届かん深場に身を投げ出して犬かき猫かき馬かき猿かき疲れるよ。ようよう陸場に上がって一息入れて人並みに歩けたよ。

フラフラ歩き来て落ち着いて、その場に馴染んで腹から笑える日々を堪能できたよ。で、また夢見る男に目覚めて駄文の王を目指してる。

「駄文の王?」 そうだよ、なかなかこんなの追う奴いないよ。苦手の物書きの海へ身投げだよ。「自殺か?」 浮いてるよ。





何故か沈まず浮いてるよ、なのに、その足引っ張る出来事に遭遇して、今、沈みそうになってる。もう、やめてくれやっと云いたい。

云いたいけど喚(わめ)いたら沈むから、首を伸ばして犬かき猫かき馬かき猿かき必死のパッチ、考えたら、オレって可哀想。

なんか、恨みでもあんのんかえ? 此の歳なったおっさんに、まだ、どうせい云うんやっ、出て来いっ、「誰に云うてんねん?」 神さまに。





溺れそうになっても駄文を書いている、頭が良ければ新聞記者にでもなるべきだったかね? 出来ぬ話はくだらない。現実蹴飛ばして夢見る男になるんだよ。





















気分が滅入って、どうしようもないねって、仕事を抜けて表で煙草を吹かす。ふうう~、煙がくねって空へ飛ぶ。雨が続いて今日は曇ってる。

人間ってのは、マイナス傾向の時は、ああでもない、こうでもないと思考を巡らせてるね、いつもより何層か下まで掘り探って考えてるよ。

建物の基礎の杭を打ち込むときは、悩みの多いときがいいんじゃないの? 届かない杭が無くなるよ。





全ての扉を叩いて可能な方法を探し求めたけれど万策尽きた。残す処は不本意だけれど致し方ない。腹を括って覚悟を決めた。

其れしかないなら、これも運命、ジタバタしても仕方ない、ままよ、時来たりなば為るように為れ。胸を焼くよな不安を押し殺したよ。

深夜、閉ざした諦めの扉が開いたよ。ええっ? えええっ? 我が耳を疑った。悩みの元から解決の扉を開いてくれたよ。





先行きが読めない不安と焦燥が消えた。じっとしてられずに家ん中をウロウロと行ったり来たりしていた緊張感から解放されたよ。

悩みが消えた訳じゃないけど救いの道は開いた。良かった。ありがとうの言葉が口から漏れ落ちたよ。遣るだけやって覚悟を決めて好転した。

まだ、運は残ってる。同じことを繰り返さない、与えられた機会と時間を活かさねばならない、昔は、解っていても出来なかった、今は出来る。





喉元過ぎれば熱さ忘れるって云うけれど、人間は惰性に流されやすい。常に緊張を迫られていると鈍化して歩調を合わせるところがある。

そのパターンから抜け出せなくなるんだね。一念発起、ここが気合の入れどころだね。外を見やれば誰一人、苦しむ人など見当たらない。

我が身だけが日向(ひなた)の中の暗黒のように思えるけれど、実際は、なんの苦も無き水鳥の足に暇なき我が思いかな、なんだろうね。





ぎっしり建て込む家々の屋根をめくってよくよく見れば物語のない家は無い。最近こそは、ようようそう思えるようになったよ。歳かねえ?























善は急げ、諦めていた扉が開いた瞬間を殺せない、深夜、即、行動して僅かな機会を活かすことができた。百の難問が一挙に解けた思いだね。

苦痛は逃げてはいけない、全力で向っていかねばならない。それが結果的には、逆に苦痛を追いやることになることを知らねばならない。

戦いだね、戦って勝たねばならない。紐の上に立つような安寧にズルズルとしがみついてはいけない。





僅かの睡眠時間しかなかったけれど目覚めたら弛緩してる自分が居る。裏と表の変わりようを見る思いだよ。「何があったか、さっぱり解らんではないか?」 

そいでいいんだよ、オレが云いたいのは、何ごとも想いに忠実、捨てる勇気で一生懸命実行すれば救いは訪れるってことだよ。代価なんだろうかね?

勇気なんだろね、実行は勇気が支える、勇気は奮い起こさねば出て来ない、捨てて裸になって思いで突っ走る。捨ててこそ拾う救いかね?























晴れてるね、青空に染まってるよ。この機会を無にすることなく、苦痛を和らげて、全てが好転するような絵を描きたいね。描いてみせたる。























また、更新を間違ったよ。「しっかりしろよ」 






























カメレオンの独り言-1514 『雑草は、「もうアカン」と萎えて枯れようとも、また、青々と甦る』

2015年11月20日 | 日記






 『哀しみのパリ』 2015年11月20日






「田舎へ帰りたい」 なんか痛切に想うときがある。

オレには、田舎なんてないのに言葉が漏れ出てくるんだね。

出口のない苦しみに巻かれると、いつもの決まり文句だね。





過去に何度となく味わった苦しみの折々に口から漏れてたよ。

耐性ができてないのかね? 今も、また、同じ思いに捉われてる。

気のせいかね? 目の先、真っ暗闇なんだけど視線を遠くにやると地平線を這うように明かりが横走って広がってる。





日が登るのかえ? この暗闇は底か? 暗ければ暗いほど暁(あかつき)は近いって云うね。 今が、そんときじゃないかあ?

「田舎に消えてしまうのは早いぞ、おっさん」 そうかな? トンネルを越すまで、もう、ひと踏ん張りするか? 「しろ、しろ」

そんなこと想像して自分を騙し騙し奮い立たせる気持ちだね、今は。なんか、運気が低迷しておるね。地に這ってるって感じだね。





















今日は、もう、こんなので終りたいんだけど、あまりにも愛想がない。駄々文を追加しときます。






最近、ツタヤへ行ってないんだね、今日、ネットで調べたら次のようなのが近日リリースなんて出てる。これは凄いわっ。

『誘拐の掟』 『ターミネーター:新起動/ジェニシス』 『キングスマン』 『レフト・ビハインド』 『カリフォルニア・ダウン』

『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』 『あの日の声を探して』 『奇跡の2000マイル』 『ボヴァリー夫人とパン屋』 

『ロシアン・スナイパー』 でも、この10本観て満足できるのは5本いうとこかなあ? 気を病むことが落ち着いたら借りに行こ。





















『ロシアン・スナイパー』の下の予告編を観たけど 『アメリカン・スナイパー』より遙かに面白そう。これ、愉しみだねえ。

アメリカ製作、ジュード・ロウの『スターリングラード』って映画があったけど、これもロシア側から描いた狙撃兵が主人公の物語だった。

エド・ハリス演じるドイツ将校の狙撃兵と対峙してしのぎを削る戦いに挑む。観応えがあった。





対ドイツ戦を背景にして今度は、実在した女性狙撃兵を主人公にしてるみたい。ロシアとウクライナの合作らしいのが、ちょっと、心配だけど。

「どう心配なんや?」 ちょっと、感覚がズレてるとこがあるからね。映画に投入される物量的なものにはアメリカ映画に負けないんだけど

そのわりにスカベみたいな演出が目立つんだね。映画慣れしてないのかね? 昔よりは良くなってると思うんだけどね。







ロシアン・スナイパー









この数日前から、他に気をとられることがあって、正直、上の空って感じでキーを打ってる。見て頂く皆さんには申し訳ありません。
































カメレオンの独り言-1513 『映画 0011/ナポレオン・ソロ と 当時の思い出話し』

2015年11月18日 | 日記







 『The Man from U.N.C.L.E』  2015年11月18日 







前回の分(1512『番号が番号を管理する時代』)を更新する積りが下手に慣れた手つきでパッ、パッと操作したら間違って次の分を出しちゃった。

「ワッ」って慌てて差し替えたんだけど、ほんの僅かな秒間に7人の方が見ちゃったね。gooのいちびりが新たに設けた

リアルタイム解析って表があって、更新するとアクセスの状況が数字とグラフで表れるの。クルクルって数字が回ってグラフが伸びるんだね。





更新したら「あっ」と云う間だね。なんか、「書いてる途中」でお古になっちゃったような感じだね。題名でも変えてオニューに戻そ。





昔、テレビでアメリカの30分映画『0011 ナポレオン・ソロ』って番組が毎週放映されていたね。原題は、『アンクルから来た男』

其の頃の、うちのテレビがモノクロだったのか、映画自体がそうだったのかは定かでないけど観ていたのは白黒だったよ。

1966年(昭和41年)から1970年まで4シーズンにわたり放送され第1シーズンはモノクロ、以降はカラー放送だったらしい。













『ナポレオン・ソロ役のロバート・ボーン』  『イリヤ・クリヤキン役のデビッド・マッカラム』







ナポレオン・ソロ役のロバート・ボーンが、最もロバート・ボーンらしき役柄だったね。知的でダンディーなスパイが絵になってたよ。

アメリカン・トラディショナルなスーツ姿がよく似合ってた。

相棒役のデビッド・マッカラムって役者が金髪のイリヤ・クリヤキンを演じてた。これも知的な風貌で華奢な人だったね。





ロシアのKGBから派遣されてアメリカCIAのナポレオン・ソロと組んで国際的悪の組織スラッシュと対峙するってのが最近になって解ったよ。

アンクル本部は、ニューヨークの国連本部近くのビルの中に在って外観は古いが内部は最新設備が整っている。

メンバーが本部に入るには、ビルの表通りに面した半地下にある洋服店を利用する。





中に入ると、洋服屋の親父がアイロン台のレバーを操作する、試着室の壁の仕掛けが作動して本部内に出入りできる仕組みだね。

これが毎回、タイトルで始まってストーリーが展開するんだったね。この頃、1966年(昭和41年)の洋画封切り館では、

『ブルー・マックス』 『バンボーレ』 『男と女 』 『おしゃれ泥棒』 『パリは燃えているか』 『エル・ドラド 』 『バルジ大作戦』





『007/サンダーボール作戦』 『テレマークの要塞』 『ドクトル・ジバゴ』 『砦の29人』 『メリー・ポピンズ』なんてのが上映されてた。













『当時、上映中のバンボーレの看板に埋まってる道頓堀松竹座が 「昭和の大阪写真集」に紹介されてるよ』









邦画では、森繁の駅前シリーズ、社長シリーズ、植木等の無責任シリーズ、大映の『大魔神怒る』なんてのが上映されてた。

ジョージ・ペパードの撃墜王の映画『ブルー・マックス』と『007/サンダーボール作戦』は、封切り前の試写会で観たね。

御堂筋の南御堂ホールだったかなあ? ジョン・ウェインの西部劇『エル・ドラド』は、後、2番館で観たような記憶だね。





『バルジ大作戦』は、何故か阿倍野のアポロだったかなあ? 『砦の29人』は南街劇場で観たね。





『パリは燃えているか』を何故観に行かなかったのかが思い出せない。松竹座の前を通りすがりに何度も写真を見てたんだけどねえ?

そん時のお小遣いの加減だったかねえ? 先立つものが無ければ我慢しかないからね。オレの人生、大方、こればっかしだよ。

此の映画は、不思議とツタヤに出ないんだね、そいで諦めてたら、この前、アマゾンで1000円で売り出されてたので衝動買いに近い反応だね、





チョン、チョンとクリックして買っちゃった。翌日、配達されてDVDが手元にあるよ。少し映してみたら、残念ながら音質が悪いね。

今時、海賊版かよって思ってしまうよ。英語版なんだね、アラン・ドロンが英語で喋ってるよ。

フランス人はフランス語、英語圏は英語、ドイツ人はドイツ語でないと安っぽく感じるね。そんなのを我慢して暇な時に観てみます。














『グラマー女優のセンタ・バーガーがゲストで出てたんだね、知らんかったなあ、映画版(8作程)のほうかも解らんね(左)』













『リメイク最新作 アンクルから来た男』 ナポレオン・ソロ と イリヤ・クリアキン








話が飛んだけど、なんで、国際的悪の組織スラッシュと対峙するってのが、今になって解ったかってのは、『それ行け、スマート』と同じく

このナポレオン・ソロがリメイクになって帰って来るんだね。 リメイク版の『コードネーム U.N.C.L.E.』の粗筋を読んで思い出したの。

出来が良いのか悪いのか解らんけど、昔を知ってるオレからすると懐かしいのも手伝って期待してしまうよ。





『それ行け、スマート』のリメイク『ゲット・スマート』は期待を裏切らずおもろかったね。99号のアン・ハサウェイが良かったよ。














『ゲット・スマート』の99号のアン・ハサウェイ









懐かしいからと取上げて語るんだけど時代は変わったね。カビの生えたような昔のドラマや映画が電波にのって現代の茶の間のテレビに映ってる。

今の人が観れなかった映像は、デジタルになって綺麗に甦って映ってるんだね。消え往くのは、当時を肌身に感じて生きた人ばかりなりだね。

昔の映画などを語ると、その当時の映画館や町並みや暮らし往く人々の様子や時代の背景などのほうがウェイトが重く感じられるよ。





1966年(昭和41年)にビートルズが来日してんだね。親父をうしろにどけて、白黒テレビで兄弟揃って彼らの姿を追いかけてたね。

ビートルズに刺激されて日本でもグループサウンズが湧き出した。音楽は、まだしも、まともに見れる奴なんかおらなんだ。「どういう意味や?」

日本の総人口が1億を突破したのもこの年だね。尺貫法が廃止されて日本でメートル法完全施行になったのもこの年だよ。





世の女性たちは、誰も彼もがロングブーツを履いて御堂筋や道頓堀や心斎橋を闊歩しておったね。オレは、この時、なんで男用のブーツを造らんのか不満だった。

騎兵隊が履いてるブーツだよ。ああいうのをズボン下に履いたら足が長く見えるんじゃないかと、踵で誤魔化す女どもがズルく見えたよ。

「おまえは、若い時から見栄えが優先してるね」 そうだよ。オレはね、女性の靴の踵を脚の一部として見てしまうマジックの作用が未だに不思議だよ。





綺麗であって欲しいという男の願望が、そうさせるのかも知れんね? ハイヒール考えた奴は、ホンマのデザイナーだよ。

実際、履く女性は、しんどいかも知れんけど、美しく在りたいって願望が我慢させるんだろうね。

上の写真のアン・ハサウェイの綺麗な脚もハイヒールを一体として見てるもんね。これを脱いだらドシッと落ちてここまでには写らんだろうね。





脚の長い外国女性でそれだから日本女性なら尻からすぐに踵だよ。まあ、どうでもいい話だね。「解ってるなら云うな」 歩ければ恩の字だよ、














『1966年(昭和41年)6月、千日前筋の大阪劇場(大劇)今は、もう無いね』 日本は、古い建物を大事にしないね。









日産自動車 サニー1000、トヨタ自動車、カローラ1100が登場、ビールは、サッポロ一番、酒の肴は柿ピー、お菓子は、ポッキー、この年だね。

今と比べるから古いんで在って、当時は当時で街ん中を歩いて、別段、古いなんて思わなかったね、やっぱり、街ん中は賑やかで進んでいる意識でおったよ。

写真や動画で見ると街並みもそうだろうけど人間が古いね。でも、それも当時は、古いなんて思ったこともないよ。そん時は、全てが新しいんだよ、だったかな? 














『1966年(昭和41年)3月、大阪梅田阪急百貨店前』









「時代跨いできたおまえは古新しいのか?」 新古品のことか? 「それは使ってない新品のことだろうが」 中古品か? 残骸か? 違うで。

面白いね、時代の流れに乗って常に新しいと意識して、ともに生きて来てんだね。くたばるまで、そう思ってんだろうね。

古い写真を見てると、そんなことも考えてしまうよ。この時代を思い返せば、いつも決まって堺筋の周防町交差点辺りが甦るんだよ。





天気のいい日でね、北西角の富士銀行の建物が日を受けて玄関の石段が光ってるのが思い浮かぶの、真新しい街ん中ってイメージで在るんだよ。





























カメレオンの独り言-1512 『番号が番号を管理する時代』

2015年11月16日 | 日記







 2015年11月16日







『間違って、今、書いてる途中のを更新してしまったよ。「馬鹿め」 わって云って慌てて削除して今日のと差し替える』





「★★ちゃん」 おう、お帰り。「今日は、また、えらい怒られたわ」って嘆息ついてるよ。「俺ばっかし怒りよるねん」

そうか、おもろくないね。でもね、不幸ごとはね、そう思わせるようになってんの。それを俯瞰して捉えれば、そうでもないかと思えるもんだよ。

消防隊に入隊して1年が過ぎる若者が、時折、顔を覗かせては愚痴を零すんだね。おまえ、来年、春で2年目だね。「そう」





オレから見れば、おまえ、随分としっかりした人間に成長してるよ。「そうかあ~一緒やで」 自分じゃ解らん部分かも知れないね。

「今日もなあ、昼飯前で時間もない時に後輩がボンベの取扱いで困ってるから、俺、解ってるから遣ってあげてん」「オレがするほうが早いから」

で、「飯喰った後、呼び出されてボロクソや、なんで、おまえが遣ったのかって、あいつ、俺が嫌いやねん」 そう思える奴は、たしかにおるね。





でもね、人間の癖は別にしてね、その逆を重きにおいてる場合もあるぞ。そのボンベは、命に関わるもんではないのか? 

消防隊員が背中に背負ってるボンベやな? 煙に巻かれても自在を利かすためで自分の命を守るもんやね? 「う~ん、そうや」 

その思い遣りは後輩を殺すぞ。「ええっ?」 おまえ達の仕事は、みんなが逃げ出す処へ向かっていく仕事やろ? 「そうやなあ」





其の都度、隊員何名殉職なんて続いてたら隊員が足らなくなるよ。笑ってるよ。助けることが使命でも、まず、自分を守らねば、それは叶わないな?

現場でボンベの扱い慣れていなければ煙に巻かれて後輩は死ぬかも知れんぞ。「ああ、そうかあ」 其れを助けようとした仲間も危ないぞ。

自分が現場でやるべきことを習得していないと、そいつも、そいつと連携して動く者たちも危ない状況に置かれるんじゃないのか? 「そうかあっ」
























「なんで、報告をせんのかってボロカスや」 そういう世界だよ、命懸けて戦わねばならん世界なんだよ。連携で成り立ってるんだよ。

失敗の取り返しのつかない仕事だから、行動のノウハウも上下連絡も鉄則なんじゃないか? 一本のレールだよ。

機転でポイント操作したら、其れを報告し周知徹底して脱線を防ぐんだよ、そういうことをボロクソに怒って気付かそうとしてるね。「そうかあっ」





なんでガミガミ怒るか? それはね、印刷してんだよ。消えないように肝に沁み込ませるんだよ。「そういうことかあ」 

おまえの気に入らん上司は、困ってる奴を放っておかない奴って、おまえの人間性を高く買ってるよ。でも、今は、情よりも規則遵守が第一なんだろうね。

「そうかあ~そういうことかあ~」 10年もしてみろ、今度は、おまえが嫌われ役して若い奴等を導いてるよ。全て、世は順繰りに回転してんだよ。





「★★ちゃんは、なんでも知ってるなあ」 知らんよ、口先だけに過ぎんわ。おまえにボンベ手渡されたら、解るのは、重いねえってだけだよ。

オレが遣った方が早いと思ったんだろ? 「うん」 一年前は、まごついてたろ? 「せやなあ」 おまえは、確実に成長しておるよ。笑ってるよ。

「★★ちゃん、ありがとう」 〇〇〇君、溜め込むなよ、くだらんことは発散して実だけを残す、実はすくすく育って一人前の木に成長すんだよ。「うん」























十年、百年、千年さえも言葉で表せば一言で済む。振り返りて見る過去と似てるね。

実際は、一日、一日積み重ねて往くしか到達はできない年数だね。人生とは、其の日々の繰り返しの中で紡がれる物語を云うね。

人それぞれが自分の人生を生きて往く。おおまかに見れば、然程の変わりもない一生だけど、全く同じ一生はない。





同程度の顔の面積に配置された目鼻だちなのに同じ顔がないのと一緒だね。常にまじまじ確かめることも無いけれど、常に無意識に、其れを視認している。

マイナンバーなんて国民番号制が実施されたけど、人間は、生まれたときから二つとない指紋で個人を識別できるものを持っている。

マイナンバーは管理的に利便性が高い、国民を把握するに容易な方法だろうね。時代が時代なら、国民を一つ皿に載せて思うが侭という怖さも併せ持つ。





対極的に、こういう時代だからこそ、管理する方もされる方も個人意識を高めることに目覚めねば成らんのじゃないかねえ? 

個人名よりも番号が優先される時代、人の命は、番号に変わった。其れを扱う人間も番号如きとなったら肌寒いものを感じるね。

それぞれの国民性、風俗風習、価値観、志向性など、それぞれの特性の者たちが融合して築き上げたアメリカのように多種多様性の民族にならねばならん。





個性を主張し個人である意識を高め、互いを尊重し合い、そして皆が繋がる先は自由でなくてはならない。自由は個人を象徴する思想だからね。














『三菱リージョナルジェットMRJ』









話が飛んだね。日本製の航空機もデモンストレーションで飛んだね。「なんやねん?」 日本にとって半世紀ぶりの旅客機の開発らしい。

新型の小型ジェット旅客機「三菱リージョナルジェットMRJ」だよ。素晴らしいことだよ。

MRJは、日本製旅客機としては、1962年に初飛行したプロペラ機「YS11」以来となるんだね。日本は、技術面では不可能のない国だよ。





そういう血の要素を欠片でも身に宿し日本人として此の世に生まれて来た。残念ながら、国に対してなんの貢献も出来ない体(てい)たらくな人生。

此の歳なっても己れ個人を支えるのが精一杯、オレの番号は、どの辺にあるのかね? 「うんと下のほうじゃ」 切り落とし易いところだね?

「その思想が怖いんじゃないのか?」 そうだよ、簡単だろ? 番号が番号を切るんだよ、心も痛まないよ。





オレは、一匹狼だってうそぶいててもチョンで終わりだよ。「儚(はかな)いね」 儚く生きてる奴の最期に似合ってるけどね。

しかし、オレは、自分の出来ることで、まだ、諦めずに、なにか可能性を追ってる。

山の奥で遠吠えしてオレを主張してんだよ。「山奥で遠吠えしても聞こうへんがな」 奥ゆかしい狼だよ。山往く旅人が耳にしてくれてるよ。























人、一人ひとりが思い悩み戦い生きて居る。其れを紡いで物語を創って往く、消防服に身を固めれば誰もが同じ消防隊員にしか見えない。

でも、悩み苦しみ迷い律して隊員の責務を果たしている〇〇〇君のような人たちの集合体なんだね。

束ねた番号は軽くとも、その一つ一つは、実に糞重たい人生であることを忘れてはいけない。管理する側の番号は、これを肝に銘ずるべしだよ。





実に糞重たい人生ではあるけれど、その間隙、間隙に訪れるそれぞれ、それなりの幸福感に生きている喜びを満喫して人は在るんだよ。













                        『2015年11月13日夜、フランス・パリでテロ発生』












『13日夜(日本時間14日早朝)、フランスのパリで多くの犠牲者を出すテロ発生、無事を喜び合う一般市民』









花の都パリで大変なことが起こったね。試合中のサッカー場、コンサートホール、レストランなど6箇所で爆弾破裂、銃撃が発生したという。

現在で127人の人が亡くなったらしい。テロだね。「アラーの神は、偉大だ」って叫んでテロの実行犯が7人自爆、1人射殺。

戦争は、中近東だけに非ず、関係諸国にも同じ痛みを思い知らす、このテロ攻撃は、果たして歯止めが利くのかね?





「守るもんより攻めるもんが強いんじゃ」っていう台詞が「仁義なき戦い」の映画にあったけど、日常、守るための費用は馬鹿に出来ない。

なにも起こらぬ日のほうが遙かに多い、無駄に近い費用が費やされて精神消耗して油断が忍び寄る頃に起こる。

攻めるほうは、虎視眈々として隙の穴が出来るのを待ちながら緻密な攻撃方法の作戦と武器搬入に時間を生かせるね。





まともに戦えば一挙に殲滅できる小規模な敵だけどゲリラ戦法で来られると、いかに大国でも弱い。国民を守らねばならないから

思う様に動けず足をとられる。敵は、その一般市民は、的であり、盾であり、人質であり脅威を表す材料であるから見境なしに利用できる。

外国は、これを犠牲としてでも強硬な手段に出なくもないところが頼もしくもあるけど、巻き添え喰らった一般人にとってはオソロシイ。













『大丈夫かなあ~?』







わが日本で、もし、同じことが起こったら政府は、どのような対応をとるんだろうかね? こいつらには、眠たくなるお家芸の持久戦は通じんだろお~?
































カメレオンの独り言-1511 『中~途半端やねえ~』

2015年11月14日 | 日記






 2015年11月14日






なんかね、最近、オレの体内を流れる血の循環に変化を感じてるんだよ。「どういうことや?」 なにかワクワクするような流れだね。

「其れは興奮したような感覚だろ? スポーツ観たりエロ映画観たりしたら、そうなるんじゃないのか?」 ああ、そうかあ。

いや、違うね、昔の血が溶けて混じりだしたような感じだよ。「昔の血が溶ける?」 そう、固まってしまった血だよ。





「脳溢血が危ないなあ?」 違うがな、忘れていたオレが目覚めたような感覚だよ。若い頃の創作活動の根が目覚めたんじゃないかな?

「駄文の影響か?」 そうじゃないか? なんか滅茶苦茶でも形に変えたるって勢いだよ。「刺激されたのかな?」 そんな感じだね。

「どう変わっていくねん?」 解らん。「解らんって、おまえの中身の話しだろ? おまえしか解らんだろうが」 





おまえには解るんじゃないか? 「なんでやねんっ そんなもん、ああ、そうか、俺もおまえの中身だね」 客観氏よ、しっかりしろよ。

「そういえば、垣間見れないこともないかなあ?」 どういうとこや? 「出たとこ任せと云うか、なんとかなるさと云うところが、最近、大胆だね」

ふむふむ、そいでえ? 「思考から発してると云うより感性から発しってる言葉の流れを感じなくもないね」 ホンマかいな?























つまりだね、忘れていた昔の自分は、ハチャメチャな発想が湯水のように湧き出て無責任な妄想劇場なんか次から次へと止め処ないんだよ。

此れが正しいなんてのが積みあがった邪魔ッけなバリゲードをグシャグシャと轢き潰して乗り上げ越える戦車の如くだよ。

枠に捉われずに想うさまに駄文を書きたいね。ハチャメチャに流れても終りで締めるような落ちを入れれば話になる。それで人の心をうてればいいね。





稚拙、軽薄、無知無能なんて誹謗中傷の弾あられなんか、カキーン、コキーン、バキーンって跳ね返して痛くも痒くもない戦車だよ。

そんな自分が復活してきたような感じなんだね。「今でも、大概、目茶苦茶ではないか?」 もっと目茶苦茶なんだよ。

理屈じゃないんだよ、感性だよ、絵と同じだよ。閃くままに創り上げるんだよ。人はね、意外と身近で感動してることが多いもんだよ、たとえば、





トイレがカチ合うときがあるね、ウンコ模様してトイレに行ったら 「あっ」 カチ合ったおっさんが先に入ったっやんかっ。「このおっさん長いっ」 

グッグッウ~「あかんっ」 押し出るような閘門、指で押えてる。しかし、トイレからブウウ~と屁の音一発でカシャと出て来たよ。「ハッ?」 

「屁で便意が無くなったわ」 地獄の予想を裏切って早すぎるっ、か、感動だよ。トイレに飛び込む、バンッ、破顔一笑目尻に涙だよ。





「バンッという音は、なんやねん?」 腰掛け便所のフタ開けるのももどかしい、「クソッ」 バンッだよ。「フタを開けた音かいな」 























そんな話をする積りじゃなかった、いかに駄文をカメレオン流で高めていくか、そんなのを考えながら日々書いてる中で気付いたことを云ってるわけ。

すぐに形になって出るのかどうかも解らない。ものを創る作業は、気分だね、気分が凹むと途端にトーンが落ちる。

発想も止まる、ウソみたいに前が消えるね。「なんや、なんかあったんか?」 話をして気分が上向く人と崩落するような気分にさせる相手が居る。





意図してんじゃないんだろうけども滑り落ちさせるような物言いをする相手が居る。相性だろうね、独りがいい。

消えたら消えたでいいわ、で、此処まで来たけど、日々、日常をこなしつつ、これ如きでも創作ごとは厳しいよ。あかん、完全に消えてしまった。

今日は、頭を悩ますことがあって、それについて話をすることがあって答えのないままに気分が落ち込んで明日に引きずることになったよ。





いつもの調子で気分転換ができないよ。中途半端だけど悩み事の解決がズレ込む見通し測って一回分として更新しておこ。

























ああ、そうだ、今日あったこと書いておこう。終業間際に、「★★ちゃ~ん」って、おませな中2の女の子の連れの子が「久しぶりやろ?」

おお、そういえば、長いこと顔合わせてないね、剣道部の女の子と帰って来たという。「ア〇〇は、残って、まだ頑張ってんねん」 そうか。

カ〇〇は、塾で早上がりか? 「そう、鬱陶しいわ」 時間が、まだ、あるからそれまで此処に居よって入って来る。「ええなあ~ここはあ」





どうええねん? 「ホッとすんねん」 背を測ってだとか、今度、ア〇〇と来れる日をカレンダーに記したり、自分たちの予定を話したり、

「★★ちゃんは、いつまでも変わらんなあ~」とか「毛が寂しくなっただけやなあ」とか、感想を述べたりリラックスしてるよ。

其処へ 「よお~、今日はおったなあ~」 新聞配達のおじさんが来て「これ、とっときな」ってチョコの箱を渡してる。





「ありがとう、ちょうど、口が寂びしかってん」って、早速食べて「美味しいわあ。なっ」剣道部の女の子に同意を求めてる。「うん」

嬉しそうに、おじさんが、なにやら喋ってるけど返事がない。「★★ちゃんやで、おっちゃん、★★ちゃんに喋ってんねんで」 

ああ、オレにか? 「全然、聞こえへんねやろ? ★★ちゃんは、左耳があかんねん」 おじさんに左向きだね。ああ、おっちゃん、ごめんね。





「ええねん、ええねん、どちみち、★★ちゃんは、テレビのこと何も知りよらんから」 そうだね。「ほな、行くわ」って手を振って配達に行ったよ。

























「★★ちゃん、これ食べて」 一袋、封切ってないよ? 「美味しくないねん」 おじさんの手前、美味しそうに頂いてたわけか? 

カ〇〇は、礼儀を心得てるね。「うん」って、あまり喋らない剣道部の女の子が頷いてる。

なにからか、おっちゃんも、あと少しで、ここともおさらばを予定してんのって云ったら、「それは、あかんわあ~」二人声揃えて否定してるよ。





「★★ちゃんは、死ぬまでここに居ときい~」 「せめて、私たちが二十歳になるまでは、ここに居ときい~」 あと、ヨボヨボやないか。

「なれへん、なれへん、★★ちゃん、若いから~」「髪の毛が無いかも」 うるさいわ、アホ。 「もう、ツルツルにしたらええねん」

ジェソン・ステイサムみたいにか? 「誰や、それ」 薄くなっても強くて格好ええ人や。「★★ちゃん、弱いやろ?」 そう、そこだけ違うね。





「★★ちゃんも辞めたら寂しいで」 と、思うだろ? それがそうして貰えない、なんだらかんだら寄って来るんだねえ。途絶えないんだね。

「せやなあ、ここでも、そやもんなあ」 この女の子(剣道部)もそうだよ、あまり、喋らないのに、よく居るんだねえ? 笑ってるよ。

おっちゃんの夢はね、ワンルーム程度の部屋借りて自分の城にして暮らしたいの。「おばちゃんは?」 あんなもん要らん。「云うたろ」





「わたしらが遊びに行くわ」 いいよ。ピンポ~ン、はいはい、あっ、江美子、ピンポ~ン、はいはい、あっ、瑠璃子なんてね、忙しいよ。

たしかに、もう、数え切れないね。ちっちゃい子からおばちゃん、おじちゃんまで、みんな、いらしゃい。

「★★ちゃん、この仕事しながらでも夢は追えるやろ?」 しんどいんだよ、起きたら寝るまでの丸一日の仕事だよ。老骨には堪えるよ。





「★★ちゃん、若いから堪えへんみたいやで」 見た目だけさ。「★★ちゃん、よお~考えや」 あいよ。 























帰りかけたら「★★ちゃ~ん、間に合ったわ」 某私立大学付属の高3の女の子が走ってきて、ニチャニチャ笑って 「(彼氏と)うまくいってるで」 ご馳走さん。































カメレオンの独り言-1510 『妄想のなかのサングラスの男』

2015年11月12日 | 日記







 2015年11月12日







しとしと雨が降ってるよ。こんな日にぶらりと電車に揺られて遠いところへ一人旅、雰囲気まかせで似合わぬことして、しまったなあ。

濡れぬところから眺める景色は悪くはない。濡れるところで辺りを見回せば、しとしと、パチパチ、滴が冷たいし誰も居ないのにご苦労さん。

肩からぶら下げたカメラにゃナイロン被せてる。ポテッ、ポテッ、ポテッ、日頃、見ぬ景色ではあるけれど此処に住む人にとっては見飽きた景色。





あまり履かない舶来のカジュアルな靴が濡れてるがな、革製品は水に弱いって何処ぞで読んだね。チッ、スニーカーにしておけば良かったかなあ?

駅を降りたら、其の一角は、ちょっとした町風でオレの住んでる近くの駅と変わらんよ。ローターリーにタクシーが2台停まって客待ちしてる。

何処行く当てもないからバスにでも乗って往くとこ任せだね。売店でケントとお茶のペットボトルを買ってバス停へ行く。





駅前は、人がまばらにウロウロしてるよ。折りたたみの傘は携帯に便利だけど使って濡らすと途端に不便だね。

たたんだりさしたりすると、やたら手が濡れるではないか。夏の雨じゃないから冷たいよ。テントが張られたバス停で時間表を確かめる。「ゲッ」

行った後だね、殺風景な辺りを見回して、帰ろかな、なんて思ってる、「来たとこやないか」 来たとこで帰ってはいかんって誰が決めた?























雨の日は、景色も煙ってボヤけてる。シャアアーって、濡れた道路を白い乗用車がローターリー回って走っていくよ。車は濡れなくていいねえ。

ベンチに腰を降ろしたけど、「バスは何時に来るねん?」 来る時に来るのさ。駅のトイレでウンコしてたら行っちゃったんだね。「なんやねん」

ああ~あ、ケントを咥えて火を点ける、いいねえ~、駅前独り占めで副流煙を撒き散らしても誰も嫌な顔する奴は居ない。ふうう~美味い。





煙る向こうの景色を眺めててカメラは要らんかったねえ、って思ってる。要らんとなると邪魔なだけだね。被せたナイロン濡れてるから取り出すのも面倒。

安もんの携帯だして駅前周りを撮ってる。「どこやねん?」 丹後宮津線、日本海はすぐ其処の北の町さ。「北の町って、ふつう東北方面を云うんじゃないか?」

大阪からしたら北方面の向こうなしだよ。安上がりな北の町だよ。丹後バスか、大阪方面行きがあるね、其れ乗って帰ろかなあ。





しかし、何処へ行っても、然程の変わりがあるもんでもないね。人も一緒だよ、「当たり前やろ」 車もヤマト宅急便も一緒、自転車もバイクも一緒、

町並みも似たようなもんだね。山が近くに在るから田舎って感じを受けるけど神戸なんか山が隣りに迫ってるよ。

「ようこそ丹波の宮津へ」 なんて看板だけが、其れらしく迎えてくれてるね。天橋立でも立ち寄るか。























雨の天橋立なんか行っても空も海も鉛色だろうね。「天橋立へ行きますか?」 ドア越しに運転手さんに聞いてる。「天橋立行きです」 格好悪るう~。

「行き先表示見ろよ」 他所見してたら前に停まってんだよ。ああ~ああ、よいしょっと。「おっさんかよ?」 おっさんだよ。 空(す)いてるね。

広い後部座席に着いてカメラを確かめる、濡れたナイロンをタオルで拭いて取り払うと、よしよし、濡れてないね。「写真ですか?」 へっ?





後部座席の窓際に座ってる女性がニッコリ笑って聞いてるよ。ああ、下手な癖して持ち歩いてんですよ。「大きなレンズですね」 格好だけですよ。

旅行ですか? 笑ってるよ。「天橋立撮るんですか?」 雨降ってんのに、ふらりと電車に乗ったら此処まで来てたんですよ。

何処でもいいんですよ、こんなの嵩高いもの持って出るんじゃなかったですよ。あれ? オレ独り喋ってるよ。























窓の桟にひじかけ頬を支えて窓の外を眺めてる。ガラスに雨滴が当たって流れてる。毛糸の帽子を被ってる横顔が、ちょっと彼女に似てるね、

なんて思ってる。此の子も少し大柄だね、前の席の背中が窮屈なのかして通路側に斜めに逸らしてる。「細かいチェックしてんね」

言葉で書いたら長いけど、そんなの瞬時に解ることだよ。拭いて乾いたナイロンをカメラに被せて底で縛って、これでよし。





Gパンってのは、気楽だけれど苦しいね。「おまえが肥えたんだろうが」 そうかね、うん、雨がやんだかな? 宮津湾が寂しく煙ってるね。

バスが府道に入って海沿いを往くよ。此処は、昔、車で何度か来たよ、あの頃と変わってないね。着いたね。

前の席の人たちが降りるのを待って、どうもって横っちょの女性に会釈して後に続く、潮の匂いが漂ってる。雨、やんでるね。























石畳の道をぶらり歩いて土産物屋の前で軒先に並べた品々を見るともなしに目をやりながら、傘を軽く振って滴を落とし小さく畳んで

Gパンの尻ポケットに挿しこむ。ちょっとのことで身軽になった感じだね。

うん、いいねえ、足を進めて土産物屋の入り口にぶら下がってるキーホルダーを手にする、可愛いね、オレは、昔からこんなのに引かれるよ。





宮津湾の西側沿岸流で砂礫が海流で運ばれ堆積して形成されたってのが天橋立だね。ちょいと歩いてみようか。

可動橋を渡って右が宮津湾、左が阿蘇海、「ああ、そうかい」 なに云うとんねん。ああ、そうだ、波の打ち寄せる音を聞きながらのんびりしよう。

8000本の松林、白砂青松の海辺がある。幸い雨もやんで薄日が差してる。目的ができると脚も軽やかだよ。





砂嘴(さし)の中程まで来たかね? 海辺を眺めるように白砂にテーブルと椅子がしつらえてある、よし、ここで時間を潰そうか。

うん、サングラスをかけてと、「なんでサングラスをかけるねん?」 オレはね、サングラスをかけると顔が厳しく怖く見えるんだよ。人が寄らない、

人が寄り来ると煩いだろ、海を見ながら独りのんびりと夢想に耽るんだよ。それに雰囲気も大事だよ。「雰囲気?」 演出だよ、「演出?」





男が独り、海を眺めてなに想うってね。「くだらん妄想してんだろ?」 無礼者っ。馬鹿には云わせておけ、煙草吸い放題だよ。天国だね。























雨がやんでくれて助かったよ。テーブルに背中もたげて眺めれば、目の先、海が広がって、来て良かった。打ち寄せる波音は子守唄だね。

誰か近くの辺りでラジオの音楽流してるね? 見回すと浜の並びの松の下で爺さんがシートに横になって聴いてるよ。

誰に邪魔されることなく自分の世界に浸ってんだろうね。歌謡曲か、こんなところで耳にすると、雰囲気、合ってるね。のんびりするねえ。





「此処、いいですか?」 ええっ? 寄って来たがな。振り返ると、ああ、バスの、「おじさんの後を着いて来たの」 嬉しいけど困るんだなあ~。

ああ、いいですよ、どうぞ。咥えてる煙草を慌てて消してる。これはだね、いつも彼女が怒るから反射的な癖なんだよ。

携帯の灰皿に吸殻入れてカシュッとフタを閉じる。斜め隣の椅子に腰掛け、オレと同じように両足交差して伸ばしてる。長い脚だねえ、こちとら萎縮するよ。





ニコッと笑って「おじさんは、なにかスポーツされてるんですか?」 ええ? 聞こえねえんだね、心地良かった波音が喧しく感じるよ。

困ってると、勘のいい娘(こ)だね、身体を寄せ耳元に顔を近づけて 「スポーツなにかされてるの?」 ホ、ホッペが温もるよ、「このドスケベめ」

ああ、ごめんね、耳が遠くなっちまって爺は嫌だね。昔は、真っ黒けの肉体労働者だったからね、安上がりだよ。





笑ってるよ、「そんな雰囲気じゃないみたい」 根がオカマだからでしょ。声出して笑ってるよ。「おじさんって格好いいですね」 みんな云いますよ、あっ、

しまったあっ、いつもの調子で云っちゃった。「馬鹿め、墓穴を掘ったなあ」 「おじさんって正直な人ですね」 ホッ、救われた。「救わなくていいのにぃ~」

ごめんなさい、いつもの調子で馬鹿云ってしまったよ。また、海の彼方を眺めてる、なにか、悲しいことでもあったのかな? 頬に浮いてた笑みが消えて





沈黙の時間が流れて、打ち寄せる波音に合わせるようにおじさんのラジオの歌謡曲の唄だけが辺りを包んでる、泣いてるね? 

言葉は要らないね、外したサングラスかけなおして彼方の海を二人して見つめていたよ。

笑って泣いてる人もいるよ、心で慟哭してる人もいる、頬を濡らせて流れる涙は、いつかは乾いて忘れる日が来るよ。



















おじさん、お気に入りかしてボリュームアップしたね。低音が利いてるよ。









高倉健 .八代亜紀 - 挽歌









『高倉健が八代亜紀と、こんな唄、歌ってたんだね? 歌謡曲は、滅多に聴かないから知らんかったよ、色っぽくていいね』

いいんだけど、次から次へと消しよるね。何度、変えて貼っても消しよる。 しゃあないね。

オレも負けないよ。あれ? これまえに消しよったやつやね。じゃあ、また、貼っておこう。







「今日のは、なんやねん?」 う~ん、そうだね、ちょっとした妄想劇場だね。






























カメレオンの独り言-1509 『寄り添うこころで人は救われる』

2015年11月11日 | 日記






 2015年11月11日






何年か前にブログの訪問者数と閲覧数について不明な事柄を相談している知恵袋を見たことがある。

誰かさんが、その問いに丁寧に答えている。時折、起きる大津波を受けたのかして閲覧数が飛びぬけて多かったらしく、その理由を問われている。

これに対して、題名、もしくは文面の中に、今、流行の事柄が含まれていると検索にかかり易くなることが考えられるって答えられている。





閲覧数が、300~500なんてのは、余程、面白い、奇抜、有名なんて要素がないと実際、なかなか続く数字じゃないと仰ってる。

訪問者数も、普通、50~70前後がいいところですよって教えておられた。其れを読んでから、此れがオレの基準になって久しい。

こんな話を何年か前に書いた記憶がある。ブログ事情も変わってきてはいるだろうけど、今も、これがオレの基準になってるね。





訪問頂く数は、波があって定まりが悪いんだけど、今は、平均160~200を行ったり来たりで推移してる。

この2、3年は訪問者数は数ヶ月ごとに変動が大きかったね。200~300なんてのが続いたりするんだね。そん時の閲覧数は2~3倍ほどの数になる。

時折、訪問者数が2000~5000なんて吃驚するよな数になる時があるね。まあ、そんなのは、何かの間違いなんだろうけど問題は閲覧数なんだね。





この10月頃から大方、毎日のように1000を越えてんだね。1000~1500の駄文の数を読んで頂いてるんだよ。これは由々しき一大事だよ。

猫ちゃん犬ちゃん可愛い癒されるなんてのじゃないよ。どこぞの料理と我が家の料理なんてなもんじゃない。旅行ガイド風や散策日記でもない。

時代から、ややズレ落ちた独り善がりの狭っ苦しい視野での2000~4000字の駄文だよ。ふつう読むかあ? 辛いと思うよ。 世界七不思議に突入だよ。





よくぞ、ここまで苦しい思いを堪えてお付き合い頂き、大きな数をご紹介できるようになりましたこと感謝の一語に尽きます。ありがとうございます。

ここで苦しいながらお付き合い頂いてる皆さんにお約束しましょう。「何を約束すんねん?」 いつか視界が大きく拓けることが有ったなら

其れを、オレが感じて思うことを駄文でご紹介しますからね。皆さんを窒息状態から解放してあげるんだよ。「箱に穴を開けるんか?」 出来たらいいね。























オレが長く生きて来て、そういうもんだろって云い切れることが一つあるね。心を添えてしてあげたことは忘れるね。

無償の思い遣りってのは覚えていないんだね。記憶を辿れば甦ってはくるけれど、流れの一コマって感じで常日頃の自分の中には残っていないんだね。

あの時、此の時、わたしがしてあげなかったら、どうだった、こうだったって云う人が居る。有償の思い遣りなんだろうかね。迷惑だね。





配当を計算した思い遣りなんて要らないよ。思い遣りは、心の施しに過ぎない。あげたものを返せって云うようなもんだろうね。

昔、東映の侠客映画を観ていて、その男意気や女意気に感動するのは、まさしくそういう純な人の思いが伝わるからだろうね。

あこぎな奴は、「あん時の義理を忘れたのかあ?」 なんて被せて気侭を押し通す。相手に負をかませて思うように動かそうとするんだね。





義理の重さが男の世界、なんにも云わずに礼ごと述べて、あこぎな言い分背中に背負(しょ)って恨みのない人を斬らねばならん。

好きな女性(ひと)を誤解の哀しみに濡れさせても黙って筋を通して悪にもならねばならん。正義は、我慢と二人連れ、身は汚れても心は清い。

困る人を救って心を分ける、分けた心など流すように忘れ去る。我が身を痛めることは厭わないけれど、あこぎに泣く人は見過ごせない。












『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』 風間重吉役の池部良







人の道に横車押し通して傍若無人な奴等に仮借なし。「許してくんない」 誰に詫びるか、背中(せな)の唐獅子。ドスを片手に雪のなか、素足の雪駄も構わない。

「秀次郎さん」 土蔵の影からふらりと風間重吉が「ご一緒させて頂きやす」 「重さん」 黙って往く気かえ? 「とんでもねえ、これはぁ・・・」

「秀次郎さん、あんた一人を往かせちゃあ、あっしの仁義が立たねえ」 黒い着流しに白地の帯の重吉が 「往きやしょうか」 「・・・・」





人を見抜いて心が動く、命懸けても付き合うぜ。 ちゃーんちゃんちゃんちゃちゃちゃちゃーんちゃちゃん・・・・「なんやねん?」 唐獅子牡丹の唄だよ。











高倉健「唐獅子牡丹」











真似事でも男(人)で在りたいね。男も、女も、心と誇りを忘れちゃお終いよ。「前回、貼りまくった写真の影響か?」 それもある。「単純なおっさんやね」

昔ね、どうにもならない身の在りようから想いの道を挫折して、我れを顧みることなく牙を剥き、何もかもを敵にして孤立無援の男がいたよ。

誰も彼もが能無しで頼れる奴など周りに居ない我が身を憂いて、ほとんど救いようのない哲学被って通じる言葉もない奴がいたよ。





顔を会わせればミソカスに罵倒されながら、いつか必ず疎通するときが来るって儚(はかな)き思いで付き合った。右を言えば左、上を指せば下を指す。

人の思いを諭せば俺の思いはどうなるって噛んでくる。オレが付き合わねば、おふくろの身がもたん。

怒涛のような言葉の応酬に朝から晩まで逸れて捻れてかわして合わす。もう、精も根も尽き果て辟易して疲労困憊なのに、また、一から始まることなど当たり前。





そんなのが終ることなく飽きることなく、毎日、毎日が奴隷の如き兄貴だったね。もう、死ねって思ったこともあった。そのほうが救われるぞってね。

懸命なんだね、其の時、其の時が懸命に尽きる思いだったよ。塹壕に身を隠して飛び込み来たる敵兵と格闘して必死の思いで殺す。

泥に塗れて息つく間もなく次が来る。ゼエゼエ息を切らして止めを刺すけど次が来る。そんな絵がダブるような毎日だった。多くの方には理解の外だね。





こいつを救うなんて出来ないと諦めてる、でも、ひょっとしたらって期待が何処かにあるんだろうね。疎通の笑いを幻に見るんだね。



















涙の十年だったね。「おまえは、とんでもない人生を生きてるわりに文句を云わんね」 解らぬものに理を諭して生きて来た者が文句を云えるか?

自分が瓦解するではないか。心一杯に徒労して、其の返しを望むことが出来るか? 己れのまごころ踏み潰す愚かではないか。

オレが、オレで解らぬままに凄いねって思ったのは、地に潜り込みそうなほどの屈辱と苦しみと虚しさを味わっているのに笑っていたことさ。





今、思い起せば鮮やかに甦るけれど、ことが収まれば忘れて生きて来たよ。其の時が、其の事に一生懸命であって寄り添い心を砕いただけのことだよ。

くだらぬことで身を責め悩んだだけのことなんだけど、なんとはなしに我慢辛抱やるかたない人たちの想いが解るような気がするんだね。

人生は長い、今から十年と思えば気は折れるけど、振り返れりて思えば十年なんて、彼方の道すがらで空き缶蹴り飛ばして来たようなもんさ。





心は惜しまずに使うことだよ。いろんなことを真の底に教えてくれるよ。「それは忘れないのか?」 善いとこ取りだよ。「お返しか?」 かもね。


































カメレオンの独り言-1508 『金とこころを秤にかけりゃ金が重たい浮世の世界』

2015年11月08日 | 日記







 『藤純子』  2015年11月9日







オレは、子供の頃、洋画の戦争映画なんか観て満足して帰ってくると、その晩、寝床に入るといろいろと考えるんだね。

なんで、敵はバタバタと死にまくるのに主役は死なないのか? ちょっと、おかしいで、なんてね。

そうか、実際に生きて帰って来た人をモデルに主役にしてるのか、なるほどって納得してた。





あんな戦争なんか行ったら、落ち着いてウンコもしてられへんのとちゃうんか? テッシュなんかポケットに入れてても水に浸かったりしてたら

肝心な時にはボロボロになってて使えないんじゃないか? パンツはウンコがついて臭いんじゃないのか?

ああ~そうか、だから、水ん中、服のまま浸かって戦いながら洗ってんか、なんて納得こじつけしてた。





で、だんだん戦争映画もリアルになってきて便所のシーンも挿入されて、ああ、こんなゆっくりした時間もあるんだなあって謎が解けたよ。

四六時中、撃ち合ったり爆発したり走り回ったりしてんかなって思ってたよ。

で、今度は、そんな時間から死ぬかも知れない最前線に行く時は、其の都度、生きるか死ぬかの恐怖と戦わねばならんのかって息が詰まったよ。





緊張と緩和、緊張から緩和に向うときはホッとするけど、緩和から緊張に追いやられるときは、辛いだろうなあって思ったね。














『緋牡丹博徒』 なんの関係もない写真が続きます。








世間の苦痛は命までは獲られない、嫌だと思うことは、しばしば有るけれど戦場の彼らと比べれば大したことではないわいなが癖になったよ。

従軍した人は、根性が鍛えられて潰しが利くってのは、理に叶ってるね。底の苦痛を知ってるからだろうね。

上辺の苦痛など笑ってしまえる幅が出来上がってるんだろうね。苦労は人を造るっていうけれど、そんなのも、その一つなんだろうね。





「おまえも糞しょうもない人生で人が造られたか?」 誰にもの云うとんねんっ? 戦争を知らないボクたちにとっては、厳しい道だったよ。

「誰にもの云うとんねんって云って、ボクたちはか」 いいじゃないか、生温(なまぬる)い世代の雰囲気を言葉で表してんだよ。

戦争は勝利、生還の二つだよ。ボクたちの世代は、金と教育の二つだよ。全てが金、金、金だよ。金無き者は人に非ず、教育無き者も人に非ず。





「その二つの無いおまえは敗残兵か?」 おまえなあ、それはオレには云ってもいいけれど、間違っても他人(ひと)さんには云うなよ。「あいよ」

オレには、脱走兵と云ってくれよ。 「もう一つ悪いんとちゃうんかえ?」 世間に背を向けた親不孝もんだよ。かあちゃん、許してくんない。

どうせ、世間から弾き出された半端もん、今更ぁ~どうにもなりゃあしねえんだよ。「それ、高倉健のつもりか?」 そうだよ、雰囲気貰ってんだよ。









高倉健 望郷子守唄



『すぐに消されるだろうけど貼っておこうか』








敗残兵には敗残兵の生きる道はあるよ。アウトローな道なんか粋でいいんだけど度胸が要る。斬った張ったが男の世界だからね。オカマでは無理だね。

脱走兵が、どうして生きて往けるか、生きて見なけりゃ解らない。我流が育つね、創り上げる力が育つよ。そして、限度を知って謙虚を学ぶよ。

「何が残るねん?」 オレみたいなのが出来上がって何も残らないよ。生きることは消化だということを学んで清廉を知るね。














『日本残侠伝 唐獅子牡丹』 








最近ね、映画や事件や事故を取上げた駄文が検索に引っ掛かって覗いてくださる方が、オレの我がごとを書いた駄文を読んでくださる数が凄い増えてるの。

これは、一大事だよ。大恥広げて顔出せないよ。「出さなくていい」 どんな奴やって思ってる人も居ると思うよ、特に女性の方に多く見受けられるよ。

「なんで、女性の方って解んねん?」 なんとはなしに。オレの直観力は並じゃないよ。黙って座れば全てが解る。「占い師か?」





なぜ嬉しいか? 映画や事件などに被せたコバンザメ商法ではなくなってきたところだよ。こんな奴も居るんだなあ、これがいいんだよ。

他人(ひと)さんの心ん中、他人(ひと)の家ん中ってのは、なかなか解らないもんだよ。

だからウソはいかん、事実でなければいかん、そういう真摯な思いで書かねばならん。で、書けば書くほど大恥だよ、ケッサクだよ。





それはそうと、今年の年末ジャンボは、1等前後賞併せて10億円だって。もし、当たったらショックを喉に詰めて死ぬんじゃないか?

「ショックを喉に詰める?」 そうだよ、衝撃の強さで息するの忘れて死ぬんじゃないか?

ようも張りこんだもんだね。「おまえみたいな奴等が欲かいて空クジをワンサカ買い込むから賞金奮発しても赤にはならないんだよ」そういう仕組みか?





しかし、当たれば一夜にして財閥だぞ。「大層な」 政界と癒着だぞ。「財閥が鼻先で笑いよるぞ」 














『日本残侠伝 唐獅子牡丹』








此の前買ったオータムジャンボの番号合わせしたんだけど末等300円の定番だよ、オレにしたら縁起のいいオータムなのに愛想も糞もない。

散らかしたクジ集めて、あれ? おおっ下3桁581、1万円当たってるがな。当たりそうで当たらない10万以下の賞金、今回は当たったね。

そういえば、最近、滅多に夢を見ないのに、今日の深夜、大きな蛇が出てきて片手で首根っこ掴んでる夢を見たよ。鋼鉄みたいなギラギラした蛇だったよ。





もう、10年ぐらい前になるかね? 2年間でジャンボの1等組違い6本当たったことがあった。オータムが跨いで続いたよ。だから縁起がいいんだよ。

当たり前だけど組以外6桁全部当たってんだよ。全部ジャンボだよ。そうそうあるもんじゃ無いよ、こんなの。

もし、これが全部組も当たっててみろ、オレは、今頃、フランスの城で暮らしてるよ。「なんで、フランスの城やねん?」 ポッと浮かんだの。





言葉や習慣の不自由は金で補うよ。ああ~取っとき給え~なんてね。 「そんな馬鹿には当たらん」 みたいだね。

しかし、10億かあ、現状の生活続けたら働かなくても金減らんで。「10億当たって、なんで貧乏暮らし続けなあかんねん?」 哀しい癖さ。

「習慣が本質になってんか?」 そうかも知れん。金減らんでも寄付なんかしないよ。あんなもん、何処へ流れて消えてるや解らんからね。













『日本残侠伝 唐獅子牡丹』








「君たちい~今夜は銀座辺りで豪遊だあ~みんな俺の奢りだあ~」「うわああ~豪勢っ」 なんて、おまえらに寄付したんじゃないだろ。

勘違いも甚だしいよ。あぶく銭、身につかずだよ。そんなら街ん中歩いて、見るからに困ってる人にネズミ小僧の真似するよ。

ばあちゃん、風邪引くぜ、これで服でも買って暖かい正月を迎えなよ、「ええっ? こんなにっ あっありがとうございますう~」 





此のほうが、直、間違いなしだよ。1千万ほど手渡しだよ。「ええ~っ? いっ、いっ、1千万っ?」 ケチはしねえぜ。そうして、みんな撒いちまったよ。「ゲッ」

婆ちゃんは、嬉しそうにペコペコお辞儀しながら横丁を曲がって、其の脚で銀行へ入って行き 煙草咥えて 「貯金ね」 「毎度有難うございます」

支配人が出てきて磨り手よろしく 「〇〇〇様、まあたあ~株のご利益ですか?」 「落ちて来たんだよ、ホヘホヘホヘ」 「まあたあ~ご冗談を~」





「なんやねん」 お人好しは居ても、善い人なんて、この世には居ないという話しだよ。得てして、あぶく銭は身に着かんもんなんだよ。

「創り話しでもババアをどつきたいわ、おまえもおまえじゃっ、ケチでボロボロしてる守銭奴に1千万もっ、開いた口が塞がらんわっ」 ワナワナワナワナ。

そう、怒るな。「何がネズミ小僧じゃっ」 「金が金を呼ぶんだわさ」 「このババア、話しに割り込んできとるわっ」 「身は冷えても懐は暑いわさ」 













『日本残侠伝 唐獅子牡丹』








「こいつは身も懐も冷えてるけど心は熱いわいっ」 「そんなもんが何になる? 昔から貧乏人はそうじゃっ」 そういうとそうだね。「アホか、おまえは?」

「そんなもんに穿(うが)ってどうすんじゃ」 「心が熱い? そげなもんで身の冷え温もるかっ、ひもじさ満てるかのお~?」 無理だろうね。

苦しさってのは、段階があるんだろうね? 「なんじゃ?」 行程だよ、心の熱ってのが人を救えるのは究極の苦しさかも知れんね。





「どんなんや?」 う~ん、端的に云えば金じゃ救えん苦しさだろうかね。「精神的なものか?」 実際生活に於いては、この糞ババアの云うとおりだろうね。

「誰が糞ババアじゃっ」 黙れっ、ど糞ババア。貯め込むだけ貯め込んで乞食のなりしてくたばれっ。おまえはそれだけじゃ。「なっなんとっ」 心がポキッ。

「おまえのほうがキツイで」 冷たい金に包(くる)まれて凍えて死ね。「なっ、なんとっ」 信念がポキッ。支えがポキッ。





「ババア、元気がなくなったな?」 「どうしましょ、ホヘホヘホヘ」 「此のババア泣くのも笑うのも一緒やね」 金は生きてる間に使うもんだよ。

そうすりゃ、友達も気の合うジジイも寄ってくるよ。「そ、そうでしょうかっ?」 人を喜ばせてごらん、喜びが還って来るんだよ。「はっはいっ」

「心入れ替えた婆さん、邸宅立てて友達に囲まれて優雅に笑って暮らしてるよ」 ああ、そう。「おまえは?」 貧乏のままだよ。「やっぱり、金だねえ」














『日本残侠伝 唐獅子牡丹』








金と心を秤にかけりゃ金が重たい浮世の世界、幼な馴染の観音様にゃオレの心はお見通し、背中(せな)で泣いてる貧乏男。 「今日のは、なんやねん?」





























カメレオンの独り言-1507 『玉は磨けば光る、人間は弛まぬ努力で人となる』

2015年11月07日 | 日記






 2015年11月7日






毎度、我がごとばかりが続いていたので、前回は、ちょっと長編書いたれって思って「第7騎兵隊」を取上げたんだけど、これだけでは持たんから

「サンドクリークの虐殺」を併せて書き出したら終らない、これは失敗したなあと後悔したけど、もう、戻れない。

深夜3時を回って目も回ってる。仕事上がりの僅かな時間にするもんじゃない。クタクタなってバタンキューで死んでしまった。「馬鹿やでえ」









皆さん、老後を心配してる人って意外と多いみたいだね。苦は尽きまじだね。悠々自適の生活を送れる人でも、それは同じみたい。

ゆとりだね、他に考えることがないのかね? 

オレなんか、好むと好まざるに拘らず死ぬまで現役やっても片付かんこと抱えてるから老後なんてのはないに等しいと意識してるよ。





「そう思うだけや、歳は嫌でもとっていくし身体も劣化していくんだよ」 一般的なものの捉えようだね。

歳を食えばこそ突撃あるのみだよ。砕け散れだよ。「そんなのはイメージだろうが?」 そうだよ。 

「ヨボヨボで突撃しても這ってるようなもんだろ? どうして砕け散れる?」 馬鹿め、横に走って這う如きなら縦に落ちればいいんだよ。





ニュートンのリンゴの法則を用いれば、若者とスピードは変わらんよ。「自殺か?」 方法は一つではないという喩えだよ。

癌だ、脳溢血だ、心臓病だって先取りして心配するから健康なときから病人なんだよ。

為ったら為ったときが100年目だよ。寿命が尽きたと覚悟して苦しい老後に挑めばいい。「おまえが為ったら?」 どうしましょっ。そいでいいんだよ。





動ける間は動け、止まって生きてるなんて、ただ、生きてるだけじゃないか。なんか役に立つことないか? これだよ。「ないよ」 困ったね。














『花見月の赤い実』








暇な土曜日、事務所で人生を考えておったらね、「仕事してんかあ?」 気になる奴がせっせと働け。

近所の退職して優雅なインテリさんが、ひょっこり顔覗かせて老後の話をあのねのねって話される。人生の今を愉しめよ、なんて思って聞いてる。

「あそこのお家のお名前は、なんていうのかね?」 どこですかって聞いて、あの人のことかなって合点して「〇〇〇〇さんでしょ?」





「ご主人、どんな人?」 う~ん、鬼瓦みたいな顔されてますよ。「ああ、それ、そうだよ、〇〇〇〇さんかあ」って、通じてんだね。

「いつも、散歩の道すがらお会いしてるもんだから」 鬼瓦で通じてるんですね? 「ホントだね」って笑ってるよ。

なにからか、そろそろ仕事を辞めようかと思ってる話をすると 「仕事は辞めちゃいかんよ」って仰る。「辞めたらボケるよ」 





成るならぬは二の次、元気なうちに夢を追いたいって、夢絵空の想いを話すと「〇〇〇〇さんは、いいねえ、俺なんか会社辞めたらなんにもねえよ」

頑張って残すものを残したら、あとは愉しめばいいんですよ。生きることを愉しむんですよ。「なるほどね」 自由人じゃないですか。

社会にがんじがらめに括られて生きてきて解放された喜びを満喫すべきですよ。過去に自分を置いてきぼりはいかんですよ。「そうだね」 始まりですよ。





「この仕事を続けながら遣れるんじゃないの?」 行動の範囲の問題ですよ。クレバス(氷河上の氷の割れ目)を跨いでるようなもんですよ。

どちらにもウェイトを置けずに股開きで動けない。もう、どちらに転んでも悔やむ歳でもない。

独り苦しみながら死ぬ絵を覚悟ならって思ってんですよ。「〇〇〇〇さんの才能が云わせるのかも知れないね」 才能なんてないですよ。





ヤケクソがあるだけですよ。焼けた糞から何かが芽を吹いてくれたら、馬鹿らしい人生を生きて来た価値を見出せると思ってるんですよ。













『花見月の赤い実』








突撃あるのみだよ。「何処へ突撃すんねん?」 解らん。そういう姿勢と心意気だよ。「実際に方向決まったら尻込みすんじゃないの?」 鋭いね。

「口の達者な奴は、総じてそういう腑抜けが多いもんだよ」 随分だね。でも、それでいいんだよ、その時が戦いの始まりなんだよ。

オタオタして当たり前だよ。人間は、慣れないところは不安なものさ。克服して実践する、何ごとも自分との戦いから始まるんだよ。





何から何まで格好いいなんて有り得ないの、格好悪く始まって格好良くなれればいいんだよ。よしんば格好悪いままでも構わない。

望むことが実現できたら、それで恩の字だよ。目標は、それであって、格好良い悪いなんかは付随したもんだよ。

オレは、今も今までも、ずっと格好悪いままだよ。それでも笑って生きている、これだよ。自分が思うほど人は見てないんだよ。視界の端だよ。





それだけね、人は人で我がごとが忙しい。他所のおっさんなんか知ったこっちゃないよ。うっふふふ、いつでも、おいで。「誰に云うてんねん?」 

世の中はね、縁のもんだよ、縁が無ければ運もないから諦めよう。人に縁がなければ魚に求めよう、竿と浮きと餌、相手になってくれるよ。

「おまえは、善い人間か?」 なんだよお~藪から棒に、はっきり云って悪い人間だね、人間性は極悪だよ。「どんなんやねん?」 





救いはね、善くなろうという思いと努力の百戦錬磨だね。人は、もともと汚い、綺麗に保つ努力なければ臭いんだよ。外見も中身も同じさ。





















空は晴れ渡り青一色だね。気持ちいいねえ。この青空を背景にすれば木々の枯れ気味の葉っぱも、それはそれで映えて見えるから不思議だね。

こういうのは大好きだよ。11月に入って秋たけなわ、過ごし易くて心地よい季節だけど朝夕になると寒さに身がすくむ、そう長くはないことを感じる。

追いやるように厳しい冬がすぐに来るんだろうね。俺の人生みたい。南国の空の下で何の苦もなく生きてみたいね。





「そんなので生きたら馬鹿のままだぞ」 南国だよ、馬鹿でもアホでも幸せだよ。バナナ食ってりゃいいんだよ。






























カメレオンの独り言-1506 『壮烈 第7騎兵隊の最期 と サンドクリークの虐殺』

2015年11月05日 | 日記






 『ソルジャーブルー』 2015年11月5日







『壮烈第7騎兵隊』(1941年公開) 『最後の一人まで』(1959年公開) 『カスター将軍』(1968年公開) 

『小さな巨人』(1971年公開) 『ソルジャー・ブルー』(1971年公開) オレが知ってるところでは、第7騎兵隊を扱った主な映画はこんなものかね?

『小さな巨人』『ソルジャー・ブルー』は、インディアンの視点で捉えられてる。此れを機に全盛の西部劇に翳りが出だしたんだね。





アメリカの西部開拓の汚点であり騎兵隊の汚点となった 「サンドクリーク大虐殺」を描いて、今までの正義の味方騎兵隊のイメージが地に落ちた。

特に 『ソルジャー・ブルー』は、騎兵隊の残虐行為の顛末を描いて、其れが事実であったことが痛烈に影響したんだろうね。

実際、この「サンドクリークの虐殺」は、インディアンの女子供に対して目を覆うような殺戮が行われたんだね。





虐殺の嵐が収まって、ある男がインディアンの死体を数えた数では、総勢で123体だったといい、うち98人は女と子供だったという。

また、インディアンのシャイアン族の報告によると、死者の内訳は、女、子どもが110人、男が53人だったという。

その死体は、全て、頭の皮を剥がされ、切り裂かれ、バラバラにされて原型を留める死体はなかったと云われてる。恨み骨髄の蛮行だったようだね。













映画 『ソルジャーブルー』








この虐殺に先駆けて、白人の大集会が開かれ、有志の寄付によって「インディアンの頭の皮の買い取り資金」として5000ドルが集まった。

「耳まで付いている頭の皮」なら、25ドルの高額な賞金が設定された。

金鉱に群がった採掘者たちにとって周辺のインディアンは開拓を害する障害にすぎなかった。「野蛮なインディアンの絶滅」は、入植者の悲願だった。





コロラド準州の近辺でもインディアンと白人開拓者との激しい戦いが続いていた。両者ともに、ぞっとするような残虐なやり方で死者の身体が損傷され、

互いの憎しみ合いは果てしがなかった。シャイアン族の襲撃は、ことにデンバーの白人たちを恐れさせていたなんて経緯がある。

尤も、アメリカ原住民のインディアンと白人との間では、血を血で洗う如しの戦いの歴史は、1498年、クリストファー・コロンブスが





此の地に第一歩を踏んだ時点から火蓋を切ったと云ってもいい。西欧からスペイン、イギリス、フランス等の軍が次々と上陸して、其の都度、インディアンは

いいようにこき使われ騙され殺され散々な目にあってるからね。頭皮を剥ぐ行為は、スペイン軍が教えたものなんだね。

相手方を殺した証明に持ち帰らせたことから、それが、いつしかインディアンに浸透したらしい。














『遠い太鼓』 1951年製作アメリカ映画









殺し殺され恨み憎しみ積み重なって双方ともに受け入れ難い仇となって久しいんだね。1776年7月4日、かくして白人社会のアメリカが独立したんだね。

東部を中心に栄えるんだけど、こちらでも当地を根城のインディアンの部族が発展を阻害する。

フロリダ周辺のセミノール族の掃討を描いたゲイリー・クーパーの『遠い太鼓』なんて映画があった。地方でインディアンの趣きも違うね。これ前に書いたね。























そして19世紀、西欧から続々と開拓者がアメリカに渡ってきて、まだ、手付かずで野ざらしの西部に向って幌馬車隊が突き進んだんだね。

西部開拓時代とは、1860年から1890年辺りまでをいう。自分たちのテリトリーに入植する開拓民をインディアンが襲う。

西部劇の背景になってるのは、大方、この時代なんだね。殺しても殺しても開拓者たちは押し寄せて来て自分たちの食料となるバッファローも





凄まじい勢いで狩猟されて撃滅する。インディアンにとったら侵略者でしかない。殺しても殺しても出て来るゴキブリと同じで叩き潰しても切が無い。

恐怖を思い知らせて牽制するけど効き目がないから残忍性がエスカレートする。それでもゴキブリは湧いて出て来るから気が狂うほどに殺しまくる。

騎兵隊が駆けつけたら開拓者のバラバラの死体が転がってる。デンバーの地元新聞は、インディアン撲滅を煽り政治家は票取りを目論み開拓者の強攻策を支持した。













『シャイアン族やカイオワ族、アラパホー族インディアンの5人の酋長たち』 実写








1864年9月、州を挙げた「インディアン皆殺し政策」が進められる中、コロラド準州デンバーにある米軍のウェルド基地で、

周辺のシャイアン族やカイオワ族、アラパホー族インディアンの5人の酋長と、コロラド準州のジョン・エバンズ知事、ジョン・チヴィントン大佐ら、

同地の白人高官との和平会談が開かれた。






和平協議では、インディアンによる襲撃について白人側から抗議が出された。シャイアン族の酋長の一人ブラックケトルは白人たちに対し、

「自分は心から白人との平和を願っている。血気にはやる若い戦士たちを抑えられなかったことは残念に思う。

今後そういうことのないよう出来るだけ努力する」と答えた。そして、彼ら酋長たちは、彼らの集団を説得、実際に米軍のライアン基地近くへ集団を異動させた。














『ブラックケトル酋長』 実写








白人指揮官らは彼らに食糧を与え、「どこか遠くの狩りで暮らせる場所へ移れ」と命令した。ブラックケトルの属するシャイアン族の集団は、

サンドクリークの湾曲する流れのそばにティーピー(テント)を建て、野営を築いた。ブラックケトルとホワイトアンテロープらは彼らの部族員と協議を行った。

交戦派の意見が優勢だったが、一部は、和平派のブラックケトルに賛同し、この和平派の野営地に残った。





ブラックケトルは、シャイアン族の温厚な酋長だった。彼は和平会談で表明したとおり、白人との対立を望まず和平を結びたがった老賢者だった。

アメリカインディアンの社会は、完全合議制民主主義であり権力者は存在しない。白人が指導者だと思っている酋長は、実際には、調停者であって、

部族を率いるような権限は持っていないんだね。。インディアンは、大いなる神秘のもと全てを聖なるパイプとともに合議で決定するのであって、





個人の意思で部族が方針を決定するというような社会システムではない。しかし、当時の白人の認識では、酋長は指揮者であるから彼らと盟約すれば全部族員を

従わせる立場に在ると解釈していたんだね。ブラックケトル酋長を大指導者だと誤解したんだね。

実際は、部族民を従わせたり、強制するような立場ではない。そんな立場はインディアンの社会には存在しないらしい。





そういえば、ジョン・ウエィンの西部劇によく出てくるね、酋長の薦めで互いにパイプを吸い合って話し合いを始めるんだよ。














『米軍コロラド軍管区の指揮官ジョン・チヴィントン大佐』 実写








白人はブラックケトルを大指導者だと勘違いしているから、彼個人の意思がシャイアン族の総意だと思い込んでいる。

ブラックケトルは、調停者として最大限の努力を約束はしたものの、これ以上の要求は、もはや無理難題でしかない。白人たちには、これが全く理解できなかった。

米軍コロラド軍管区の指揮官ジョン・チヴィントン大佐は、もともとは牧師だった。のちに従軍して、やがてインディアン絶滅を力説する好戦的な軍人となった。





また現役の協会長老だった。この年の州議会総選挙で、彼は州議員候補に名乗りを上げていた。チヴィントンは選挙演説で、、

インディアン嫌いを隠そうともせず、次のような言葉を残している。「インディアンに同情する奴は糞だっ」 「私はインディアンを殺さなければならない。

そして神の天国のもとでは、どのような方法であってもインディアンを殺すことは正しく名誉あることであると信じる」 ほとんど病気だね。





チヴィントンはインディアンをシラミに喩えるのが好きだった。彼はこの虐殺事件の数か月前に、白人大衆を前にこうも演説している。

「小さいのも大きいのも、すべて殺して頭の皮を剥ぐべきです。卵はシラミになりますから」 こういうのが頭になると身体は同調せざるを得ないね。

この言い回しは、チヴィントン大佐のお気に入りのもので、彼の軍隊のキャッチフレーズになった。













映画 『ソルジャーブルー』 チヴィントン大佐








これはナチス・ドイツのハインリッヒ・ヒムラーの、特定民族の抹殺について 「シラミを駆除するのと同じこと」とした発言に、半世紀先駆けるものだった。

この血に飢えた虐殺者も、インディアンの文化が理解できていなかった。チヴィントン大佐にはブラックケトルが大指導者に見えていた。

「インディアンを殺すなら、まず大指導者から」と、チヴィントンは、その偏見に満ちた頭で考えたんだね。





「赤銅色の反逆者どもを殺すことこそ、平和と平穏を達成する唯一の道だという考えに私は十分に満足している」 こんなのが、いつの時代にも居るんだね。

「おまえも、その口じゃないのか?」 そこまでは偏ってないと思うよ。「野蛮人どもなんか、やってまえっていつも云ってるだろ?」 そうだったかねえ?

でも、云っとくけどね、映画での話しだよ、実際は、そんなに単純じゃないよ。「信じられんなあ~」 信じてよ。













映画 『ソルジャーブルー』








1864年11月29日、まだ南北戦争の最中(さなか)だね。南北戦争は、 1865年4月9日まで続いたからね。

寒い早朝に、チヴィントン大佐率いる800人の陸軍騎兵部隊が、ブラックケトル酋長達の和平派のシャイアン族、アラパホー族の野営地に近付いた。

野営地には、男たちはバッファロー狩りに出かけて留守で600人ほどの女、子供、それに35人の戦士たちと老人合わせて60人ほどが居た。





彼らは、陸軍管理下にあり安全が保障された保護区で静かに暮らしていたんだね。猟に必要な銃以外の武器は一切軍に差出し従順な姿勢を通していた。

チヴィントン大佐は、馬上にあって、居並ぶ騎兵隊、歩兵隊に、こう叫んだ。

「殺せ! どいつもこいつも頭の皮を剥げ。大きいのも小さいのもだ。シラミの幼虫はシラミになるからな!攻撃っ」





殺戮の号令一過、騎兵と歩兵が、このシャイアン族とアラパホー族の野営地に突入し、男も女も子供も問わず、無差別銃撃を浴びせた。

人々は散りぢりになり走り始めた。チヴィントン大佐は、大砲を最初にインディアンのうろたえて右往左往している集団に向けて発射すよう命令した。

ホワイトアンテロープ酋長は英語で「やめろ! やめろ!」と叫んだが、意味がないことを悟り腕組みをして矢面に立って殺された。














映画 『ソルジャーブルー』









女子供は、泣き叫びながら後ろの砂山の方へ逃げた。丸腰の戦士たちは抗議しながら川上へと退却した。

ブラックケトル酋長は、戦う意思がないことを白旗と星条旗を掲げて必死に訴えたが、やがて妻を連れて退却した。

彼の妻は9発も撃たれたが命を取り留めた。白人たちは、ブラックケトルを仕留めたと思い、そう報告したが、実際には彼は生き延びた。





白人による無差別攻撃は、午後になっても続けられた。シャイアンの僅かな戦士たちは、交戦を試みたが人数も武装も足りず戦闘と呼べるものではなく

老若男女を問わない一方的な殺戮であった。凄惨を極めて原型を留めぬ惨殺体がサンドクリーク流域の脇にある野営地を累々と埋め尽くした。

案内役を強制されて同行し、この惨劇を目撃したシャイアン族と白人の混血のロバート・ベントという人が、当時の状況を述べている。





数少ない男たちは、全くの丸腰だった。女たちは自分たちと子供たちを隠すために、死に物狂いで土手の砂を爪で引っ掻いて穴を掘っていた。

私はインディアンたちを保護しようと、そちらに近付いて行った。土手の陰に、5人のインディアンの女たちが隠れていた。

軍隊が近づいてくると、彼女らは走り出て自分たちが女であることを知らせようとしたが、兵隊たちは彼女らを撃ち殺してしまった。 





30~40人の女子供が穴に隠れていたが、女たちは6歳くらいの女児に白旗を持たせて送りだしたが数歩も進まぬうちに射殺された。

穴の外に4~5人の女がいて慌てて走り出した。彼女らは全く抵抗の気配もないまま殺された。殺されたインディアンたちの全てが頭の皮を剥がれていた。

一人の女は腹を斬り裂かれて胎児を引きずり出され、その胎児は脇に転がっていた。これは、虐殺に参加したスーレ大尉も事実であると証言している。














映画 『ソルジャーブルー』 








私は、死んだインディアンの数を400~500人だったと判断しなければならない。ほとんど全て、男も女も子供たちも、頭の皮を剥がれていた。

私は、不具にされた1人の女性に会った。どの体も恐ろしく切り裂かれており、頭蓋骨が叩き割られていた。

私は、彼らが射殺された後、このようにされたものと判断している。指輪を取るために指が鋸で切り取られており、また、男だけでなく女も、





いくつかの身体が兵士によってのこぎりで切断されていた。次の朝、私は男の子がインディアンの死体の間でまだ生きているのを見た。

私は、第3連隊の少佐がピストルを取り出して、この男の子の頭を吹き飛ばすのを見た。私は、一部の男たちが指輪を奪うために死体の指を切り落とし、

銀の装飾品を奪うために死体の耳を切り落しているのを見た。インディアンの女が、殺される前に頭を打ち砕かれるのを見た。





私は、何人かの男たちが、殺したインディアン女から女性器を剥ぎとったあとに棒を突っ込んだことに抗議した。女、子供の死体は、見るもおぞましい方法で切断された。

私は、わずか8人しか見ていない、それ以上はとても正視に堪えなかった。彼らは、とてつもなく切り刻まれていた。

彼らは頭の皮を剥がれて、酷いやりかたで切り裂かれていた。ホワイトアンテロープ酋長の死体は、鼻、耳、男性器を切り取られて転がっていた。














映画 『ソルジャーブルー』 








一人の兵士が、「この酋長の陰嚢で煙草入れを作るのだ」と言っていた。女たちは女性器をえぐり取られていた。

ありとあらゆる略奪が、彼らの身体に加えられた。彼らは頭の皮を剥がれ頭は打ち砕かれていた。男たちはナイフを使って女性を切り開き、

小さな子供たちは、銃尻で頭を潰されて脳味噌を飛び散らせていた。彼らの体を損壊したやりかたは、どんな言葉でも言い尽せない。





それはこれまで見たこともないものだった。女は全員バラバラに切断されていた。

まだ生まれて2、3ヵ月の乳飲み子から戦士まで全ての世代がそこに転がっていた。

人とは、悲しい生きものだね。本能に組み込まれて封印された残忍性なのかね? 恨みが募れば、その封印が解けるのかねえ?





恐怖の対象を抹消したい、全てを跡形なく滅ぼしたい、再生を絶ちたい、無にしたい、勝ち誇りたい、欲求の餓鬼に変貌するのかね?























シャイアン族とスー族とアラパホー族の3部族の戦士2000人がレパブリカン川の流域で協議を開き、白人侵略者に対する徹底抗戦を決定した。

その一人はこういった。「我々は何のために生きていかねばならないのか?」 「白人どもは我々の国を奪い、我々の狩の獲物を殺した」

「それだけでも飽き足らず妻や子までも殺してしまった。これ以上おとなしくはしておられない。我々は死ぬまで戦うのだ」





この決起に際して、シャイアン族は命を捨てて白人と闘う集団、「犬の戦士」が立ち上がった。

翌年1月、インディアン戦士団は、ランキン砦の騎兵隊をおびき出し45名ばかりの兵士を殺した。彼らは白人兵士に、彼らがされたのと同じ行為でお返しをした。

つまり、兵士の死体をズタズタに切り裂いたんだね。また砦周辺の牧場を襲って白人を惨殺し牛馬を奪った。目には目を刃には刃をだね。





こういう経緯から、インディアンは凶暴な蛮族となり開拓者の恐怖の的となったんだね。「どちらが悪い?」 インディアンが悪い。「なんでやねんっ」

西部劇を観ていたら、あんなもん、ええ奴とは、とても思えない。格好いい騎兵隊員を殺し、綺麗な女性も犯して殺す不届きものだよ。

「そういうふうに創ってあるんだろがっ?」 そういうふうに創らざるを得ないんだよ。「どういう意味や?」 





ふんどしのインディアンが主役する映画を誰が観る? インディアンしか観ないよ。興行的に彼らは失格なんだよ。「おまえはチヴィントンか?」














映画『最期の一人まで』








一方的な大虐殺は、地方新聞や当地の開拓民の喧伝に煽られて、大勝利と讃えられジョン・M・チヴィントン大佐は英雄に祭り上げられた。

チヴィントン大佐は軍司令部に 「私は今日の夜明けにシャイアン族の一を攻撃した。このには、戦士の数約900~1000人だった」

「我が軍は、ブラックケトル、ホワイトアンテロープ、リトルローブの3酋長の他に400~500人のインディアンを殺した」と報告した。





虐殺から二週間後、デンバーでは、記念行進が行われ市民は熱狂的にこれを迎え、チヴィントンは再び英雄となった。

新聞は 「コロラドの軍人は、再び栄光に包まれた」とこれを讃えた。しかし、議会は、調査団を派遣した。調査団の報告のいくつかは、議会を震撼させた。

チヴィントンの「英雄行為」の真相が明らかになるにつれ、東部白人社会の世論は一変し、チヴィントン非難の声が高まった。





ユリシーズ・グラント将軍は、コロラドのエバンズ知事に対し「これは合衆国の庇護下にあるインディアンに対する連邦軍の謀殺以外のなにものでもない」

と認めている。陸軍法務部長ジョゼフ・ホルトは、憤りも露わにこう発言した。

「これは卑怯かつ冷酷な虐殺であり、加害者には拭い去れない汚名を着せ、アメリカ人一人一人の顔に恥辱と憤激を塗りつけるには十分なものだ」





白旗を掲げた和平派のインディアンを虐殺した行為は、軍事裁判にかけられることとなり、チヴィントンは名声を失って不遇のうちに没した。























サンドクリークの虐殺に対するシャイアン族の怒りは凄まじかった。その怒りの矛先は開拓者に向けられて凄惨な事件が頻発した。

合衆国は、8千人の軍隊を南北戦争から引き揚げて、この西部の地に派遣することとなった。

生き残ったブラックケトル酋長は、この4年後に起こったウォシタ川の虐殺で、カスターの第七騎兵隊によって、再び、虐殺を受け殺されてしまうんだね。





戦いというものは非情だね、わが日本でも戦国時代、織田信長の皆殺しの命による比叡山焼き討ちも凄惨を極める虐殺があったね。その数、女子供含めて何千人。

大阪夏の陣、徳川方の雑兵達が大坂城下の民衆に襲い掛かり、首は刎ねるわ、女は犯すわ、やりたい放題でその犠牲者数え切れず。

そんな事実を数え上げれば切がないほどにある。そのなかでも、キリスト教徒弾圧、これは、もっとも酷い虐殺だったんじゃなかろうかねえ? 





何処の国も歴史を紐解けば、平常では、想像し難い惨劇の事実が記されてる。本能御し難し、悪を善に塗り変えて鬼と化す。

唯一、其の事実を認めて悔いて改める姿勢があるかないかで人は問われる。悪を悪と認めてこそ、人となりをうかがえる善なのかも知れないね?
























第7騎兵隊(7th Cavalry)は、正式には、アメリカ陸軍の第7騎兵連隊(7th Cavalry Cavalry Regiment)。公的な愛称は「ギャリーオーウェン」

当時の他の米陸軍連隊と同じく、第7騎兵連隊でも軍楽隊が編成されて、この際にアイルランド民謡「ギャリーオーウェン」を連隊歌として採用した。

以後、「ギャリーオーウェン」は第7騎兵連隊の愛称としても知られてゆく。










Garryowen: 7th cavalry March












1866年から1881年にかけて、第7騎兵隊はカンザス州、モンタナ州、ダコタ準州などを転戦、アメリカ先住民族のインディアンと戦った。

騎兵隊は、西部開拓時代には開拓者の保護を主な任務として活躍したが、この第7騎兵隊は、指揮官ジョージ・アームストロング・カスター中佐が

功名を焦り作戦から抜け駆けして行動を起こしたことからインディアンの大軍に包囲されて全滅したんだね。





1876年、陸軍相ウィリアム・テクムセ・シャーマン(南北戦争当時はシャーマン将軍)は、ギボン隊、クルック隊、テリー隊の編成部隊をもって、

モンタナ州南東部のスー族の本拠を三方から包囲し掃討する作戦にカスターを第7騎兵隊の連隊長として参加させる。

世にいうリトル・ビッグホーンの戦いは、6月25日に米合衆国のモンタナ州リトル・ビッグホーン川流域で行われた騎兵隊とインディアンとの戦いである。























ジョージ・アームストロング・カスターは、南北戦争では勇猛果敢な騎兵将校で突撃に注ぐ突撃を繰り返し敵の南軍に多大な損害を与え北軍の勝利に貢献する。

常に激しい戦闘の渦中に在りながら無傷の強運を誇り若干二十歳前半で将軍に昇進した異例の軍人なんだね。

南北戦争終戦後、カスターは身の置き所ない状態を陸軍相シャーマンの計らいで第7騎兵隊の指揮を任され、西部のインディアン鎮圧に赴いた。















『ジョージ・アームストロング・カスター』 実写









時を同じくして、カスター中佐は、南北戦争時代の上官フィリップ・シェリダン将軍の推薦もあり程なく名誉少将に昇進した。

1876年6月25日、カスターが西部に着任してから10年目、運命の時が来た。

騎兵連隊のギボン隊、クルック隊、テリー隊の編成大部隊の集結を待って、インディアンへの攻撃を画策していたが、先着して待つに忍びず





功を焦ったカスターは、第7騎兵隊をマーカス・リノ少佐の一隊、フレデリック・ベンティーン大尉の一隊の3隊に分け単独攻撃を開始した。

第7騎兵隊の存在を早くから察知していたインディアンの連合軍は、本隊から分かれて迂回攻撃にまわるリノ隊、ベンティーン隊の2隊を引き離し、

これに波状攻撃して敗退に追い込む。迂回部隊は川向こうの林に逃げ込み身動きが取れなくなる。





孤立した本隊は、一旦、引き下がるべきところ、此れをよしとせず単独で攻撃を継続するという勇気を通り越して無謀に近い攻撃を遂行したがために

身を隠す障害物も無い平原のど真ん中でインディアンの大軍に包囲されたんだね。

両軍戦力については、インディアンの数には諸説あるが1800人を超えたという点では一致しており、対する第7騎兵本隊は208名だった。






















かくしてインディアンの大軍が総攻撃を開始、カスター将軍は、平原の一角に馬を盾にして円陣を組み防戦態勢でこれに応じた。

圧倒的な数で取り囲み、円陣の周りを怒涛の如く幾層にもなって騎馬が駆け巡り、その馬上から連発式銃の射撃、弓矢を射掛ける、槍を放り投げるの雨霰(あられ)。

騎兵隊員が面白いように転び倒れる、2人が18人を相手にするような喧嘩だね、すぐにボコボコに顔面腫らして為す術なしの体だろうね。























命中精度の高いスプリングフィールドのカービン銃は、一発撃っては弾込めしての射撃が功を奏すのは、インディアンの騎馬軍が円陣を取り巻き駆け巡る間で

円陣内に突撃してくると弾を込めてる時間のロスは命取りになる。銃を逆さに持ち替えて銃床で相手を殴り落とす手段しかなくなる。

多勢に無勢、一人に構う時間が隙を作って円陣内は敵だらけになり大混乱を呈する。もう、前も後も入り乱れて白兵戦が展開される。


































身体の処構わず弾が当たり、矢が突き刺さり、槍が貫く修羅場と化して、みるみる生存する隊員の数が減っていく。各自携帯の弾薬は124発ほどで単発の軍用銃。

当時としては命中率の高い高性能ライフルだけど白兵戦如き戦では用を足さない。これに対してインディアンは、連発銃を使用して発射率は格段に高い。

バタバタ倒れて円陣に穴が空く、其処へ騎馬諸とも突入してくるから堪らない。トマホークが唸って兵隊の頭を割る。サーベルで貫き通して叩き落とすけれども

































馬は暴れる足元は死体だらけで思うさま動けない。次から次から野蛮人どもが雪崩れ込んで来る。積年の恨み晴らさいでかっ、槍が飛ぶ、トマホークが空を切る。

カスターは右手にサーベル、左にリボルバー、北軍騎兵の誇り高き男は、襲いかかる野蛮人どもを撃っては切り裂き、貫いては撃ち倒して、

円陣の中央に立てて靡(なび)く星条旗と隊旗を守り通す。命あるものが寄り来て見やれば円陣は、もう、既に崩れ去って部下達の躯(むくろ)の山ばかり。





最期の時が来た、見渡す限り数の減らない敵の中、カスターは、死の間際に「万歳っ野郎ども、奴らを片づけて本隊に戻ろうぜっ」と叫んだと云われている。

誰が聞いたのだろうか? 誰一人、この円陣から生き延びたものはいない。リトル・ビッグホーンを吹き渡る風が伝えたんだろうかね?

此処がジョージ・アームストロング・カスターの36年間の人生の最期の地だね。























一説によると、この全滅したカスター将軍をはじめとする第7騎兵隊員のことがとくが頭の皮を剥がされ全身切り刻まれてバラバラにされたらしい。

十数年前のサンドクリークの虐殺の恨みは深く為すものは為されて還る因果だね。























今日は、コピペを多用、カメレオン流で編集してます。  『この後の写真は見ないほうがいいと思います』








         『閲覧注意』 当時の騎兵隊員の素っ裸にされた死体が写ってます、実写。





















『殺されたケロロ フレデリック 軍隊G第7米国の騎兵隊員 1867年スー、アラパホー、シャイアン がこののちバラバラにしたとある』 実写































カメレオンの独り言-1505 『予定は未定のおっさんは何処へ行く?』

2015年11月03日 | 日記







 2015年11月3日







解析の欄を見ていたら1452回が二つもあるの、 あれえ? よく見たら1499回の次が1450回になってるの。馬鹿だね。

直す回数が5回分で済んだから助かったよ。「題名なんか、どうでもええなんて云ってるから間違うんだよ」  

大事だと思ってた回数を間違ってんだよ。どうでもええと思ってた題名は問題ないのに、これはどういうことなの? 「どうでもええわ」





土曜の今日は仕事だったんだけど、今日はハロウィーンなんだね? 「おまえの仕事とハロウィーンと、どう関係あんねん?」 休みじゃないの?

「カボチャで、なんで日本が休みやねん?」 休めばいいんだよ。世間はカボチャで騒いでオレは家ん中でのんびりする。

「ハロウィーンが休みならクリスマスは、もっと早くから休みのはずだろ?」 聖バレンテイン・デーも休みにすべきだよ、反対しないよ。





「そんなので休日してたら働く日がなくなるわ」 充分にあるよ。ホワイト・デーも付き合いで休みにすればいい。

十日戎も桃の節句も父の日、母の日休みにしても、まだまだ働く日は充分にあるよ。ああ~いいだろうね。「なんやねん、書くことないのんか?」 

書くことに尽きることなどないよ。「じゃあ、まともなことを書け」 尽きぬほどに有るにも拘らず書けないなんて不思議だね。





それは、自分の感性が其処へ行き当たらぬから書けないんだろうね。当たって感じて思いを語る。世間が狭いと当たることも少ない、それかねえ? 























オレは、昔から不思議とモテるんだけど 「まだ自分で云うかあ?」 まだ云うよ、女の娘(こ)の顔を見れない恥ずかしがりなとこがある。

「それがどないしてんっ?」 その物言いは邪魔臭いんかえ? 見てても見てないようなところがあるんだね。「ふんでえっ?」 おお、ふんでえと来たな。

オレが、昔、小学生の頃、日常に使っていた言葉だよ。云わば「それでえ?」「そしたらあ?」って意味の大阪弁だよ。





五十路半ばの担任のおばはんが 「なに、これ? ふんでえ~?」なんて眼鏡の向こうに冷たい目を光らせて、オレの作文の言葉にイチャモンつけよった。

オレは、おとなしい子だったからモジモジしてたら脇から 「そう云うやんなあ」って、ヤンチャ小僧の友達が助け舟だしてくれたよ。

「そしてとか、そうしたらとかあるでしょ」 オレは笑ってたね、決まったことしか云えんのか、なんてね。「ウソつけ」 ババアの顔はキッチリ見てたね。





小さな女の子が「★★ちゃん、飴」って、窓越し背伸びして遠慮気味におねだりしてる。引き出し開けたら何も無い。「飴ちゃん切らしてるねえ」

どう反応していいのか迷ってるね? よし、おっちゃんが買って来てあげるから待っとくか? 「うん」 笑ってるよ。じゃあ、此処で待っときな。

コンビニへ買いに行ってやる。オレはコンビニ経由の菓子屋かよ。小さな子を肩透かしはできないからね。























すいません、これねって、レジーに飴袋を置くと店員さんがカウンターの中のドアを開けて様子を見つつ 「〇〇〇〇さんが待ってて」と伝えてるみたい?

ああ、そう、彼女居たの? じゃあ、もうちょっと買い物探そうかなんて店内に戻りかけたら 「★★ちゃん」って、彼女が出て来たよ。

あれ、おまえ、今日は、ハロウィーン行かないのか? 「何処も行かへん」 そうかって、チラッと顔を見たら、なんか、いつもの彼女と違ってたかなあ? 





「どういうことや?」 彼女は常にスッピンなんだけど、なんか薄化粧してたような感じを受けたよ。初めて見たよ。綺麗だったよ。

写真のシャッターみたいな感覚だね、瞬間のインパクトってやつだろうね、焼きつくよ。

オレは、女の子を見るのは、そんな感じかねえ? 見てんだけど見てないんだね。まともに見る度胸がないのかねえ? 死ぬまで初(うぶ)なとこだろうね。





お客さんがうしろで待ってるので、彼女に頑張りよって云って店を出た。オレは、何故か必要以外の時間を取るのが苦手だね。愛想なしの男だよ。

戻ってきたら壁に隠れて小さな女の子が待ってるね、近づくと、「あっきゃきゃあ~」って飛び出して来たよ。満面笑みをこぼして、この瞬間、幸せだねえ。

昔、お菓子屋さんに行くと、紙をくるっと巻いて底を折って袋にしてくれる。其処へお菓子を入れてくれるんだね。





封筒を二つに切って袋を持たせ、角を押えて口を広げておきなって云って、其処へグミをボロボロ入れてやる。じっと見てるよ。

よし、おまけだよってポロと足してやる、満足してるね。嬉しそうに袋を持ってステップ踏んで公園へ行ったよ。

ほんの些細なことで人は幸せになれるんだね。

























毎度、定期的に来る設備の点検業者の二人組みが笑って覗いてる。おお、ご苦労さん、今日も仕事か? 「〇〇〇〇さんこそ、お休みじゃないんですか?」

そうだよ、貧乏人は働くだけが人生さ。もう、二人とも笑ってるよ。今日の点検は、設備に支障があって、ちょっと、てこずったって報告を受けたので、

ああ、ホント、じゃあ、ちょっと見ておこうか。設備の箇所へ一緒に行ったんだけど、今更のように 「〇〇〇〇さん、背が高いですねえ」って見上げてる。 





いつも座ってるとこしか見てないね? 後から来る若いお兄ちゃんが 「格好いいわ」 そうだろ、みんな云うんだよ。「あっつかましいおっさんやねえ」 

仕事はね、真剣なんだけれども、笑ってリラックスしてメリハリ心得て向き合う、それでいいんだよ。そのほうが覚えも早いし失敗も少ない。

オレはね、此れをあちらの映画で悟(し)ったの。悪くはないけど真剣は切り一杯だよ。インパクトの時にフル稼働すればいい。あとはリラックスだよ。





笑いはCRCの556だよ。二人とも笑い転げてるよ。「全てに潤滑を良くする」 そう、死ぬまで大方働くのに真剣だけでは息が詰まるよ。

オレが見て解るもんじゃないけど説明を聞いてるとサッサッサと操作の手順も手馴れたもんで澱みがないね。

ちょ、ちょっと、待てよ、スローモーションで頼むわ。若いのが笑ってるよ。流石、プロだね、電気知識マスターせんと話しにならんね。「〇〇免許持ってます」























ど素人のおっさんは、此れと此れと此のダイヤルスイッチを覚えれば緊急のときは用を足すね? 「そうです」 紙に書いておこ、今は解ってるけどね。

何日か経てば忘れてしまうよ。そん時は、助けてくれって電話するけどね。若いのが笑い詰めだよ。

オレもね、あと数ヶ月で此処を退職する予定は未定だよ。笑っとおるよ。「そんなあ、〇〇〇〇さん、辞めてもらっては困りますわ、ずっと居てもらわなあ」





愛想でも、そう云って貰えるうちが花だよ。格好いいって云って貰ってる間が旬だよ。旬が過ぎればクソだよ。魚は、そんなの解らないから相手選ばんよ。

此処を辞めたら釣り師になる予定は未定だよ。笑ってるよ。この二人さんは、ホンマッに愉しそうだね。

「〇〇〇〇さん、宝くじは?」 うっふふふ、喜んでくれ給え、当たる予定は未定だよ。大笑いだよ。幸せの瞬間だね。





















見上げれば、夕陽に照らされて柿色に染まった雲の隙間をジェット機が白い飛行機雲を引いて飛んで行くよ。笑いが絶えない職場にありがとう。
































カメレオンの独り言