カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1439 『田んぼの水口(みなくち)を開く』

2015年06月29日 | 日記







 2015年6月29日







深夜、開け放った窓の外で激しい雨音がする。これは、相当の降りだねって煙草を一本を取り出しベランダに出る。おお、よく降ってるわ。

バチバチバチ、ボコボコボコって激しい音が響いてるよ。煙草に火を点けて、路面を激しく叩いて跳ね散る滴が白く曇らすような雨脚を眺めてる。

濡れずに眺めるぶんには、空気をしゅんと湿らすような中に在って心地いいね。暫く眺めていよう。





煙草をふた吸いほどしたら、あれっ? 嘘みたいに小降りになっちゃった。なんやねん、もうちょい、怖いほどに降り続けろよ。

大阪の生温(ぬる)い人間に刺激をくれよ。こんなのと比べたら、昔から、九州、東北の人は強いってのが納得いくね。

6月も、もう終りか、梅雨が明けたら夏だね。同じことを繰り返しても季節は変わるけど哀しいぐらいに変わらないオレが居るよ。





今日(27日)は、土曜出勤で残業の会議でパソコンの前に着いたのが遅くなった。

なんか間尺に会わぬ思いを胸にビールを呑んだから、回りが速いのか眠たくなってきたよ。

仕事は誠意に尽きる、目先の儲けより損をしてでも信用を重きに励めば、必ず、その信頼に託す仕事が周って来る。





なんで、そんなのが解らんのかねえ? 人は、目で見るより肌で感じて心に響くんだよ。人を甘く見てはいかんよ。





















上のボンクラが指図するから仕方ないでは情けない。情けないけど仕方ないでは落ちていっても仕方ない。そんな妥協は同じ穴のむじなだよ。

オレが、一匹狼で生きようとするのは、流されるのが嫌だからね、頼りなくても力が無くても誠意を貫きたい、ホントの仕事をやりたいからだよ。

そんなの云ったら、なんだらかんだらと解ったような講釈でポコペンに遣られるのは解ってるから組織なんてのは根っから性に合わない。






防犯と防災対策の相反する功罪と似てるね。先に起こった災いが其の隙間の矛盾を暴露する。仕方ないから仕方ないの部分だろうね。

「おまえは、其れを云わんのか?」 オレにそんな権限は無いよ、単なる報告のみだから聞いてるばかり、だから、見えないものが見えるんだよ。

上に物言える立場の奴が、その会社の命運を握ってるんだよ。そいつの正義感と誠意と器にかかってるよ。人を圧倒する情熱だよ。動かぬ岩も動くよ。






組織、組織ってご立派に聞こえるけど、剥いていえば、狡(こす)っからい商売人根性丸出しの奴等の集まりに過ぎない。

利になるほうに転ぶんだよ。躊躇する者も還元されれば妥協するし身も安泰、浪花節では身が持たんわ、無能扱いされるわ、負け犬だわと弾かれる。

組織に働くということは、我が身を売ると云うに等しいね。其れが世の中ですよと罷り通らすアスファルト・ジャングルの抜け出せぬ迷路が実体だね。






アスファルト・ジャングルってのは、生存競争の激しい索漠(さくばく)とした大都会をジャングルに喩えて云うね。

「貧乏ジャングルを彷徨い続けるよりはいいだろ?」 生きるために自分の魂を騙す、真の誠実を捨てる、組織の正論で武装する、価値観の違いだよ。

無能、甲斐性なし、役立たず、情けなくて哀しくて立場がなくて手段に乏しいけどね、本来、誇りを失わぬ貧乏ほど清いものはないんだよ。




















今日(28日)は、目覚めたら11時だよ。よく寝たねえ、すっとしたよ。

今日は、第2段階作戦の行動開始だね。オレの先読みが当るかどうか、少々、出費を伴うけど何もせずに意味なく日々を消化してはいられない。

ことを起こして、其の展開に対処して道を拓く。無駄な汗をかくことになるかも知れないけど田んぼに水を通さねば始まらない。泥に塗れて豊穣を願おうか。





其方のほうに思考がいってブログのネタが湧いて来ないよ。こういう日は、あっさり終っておこうか。




























カメレオンの独り言-1438 『果報は練って(寝て)待ての心境』

2015年06月27日 | 日記







 『果報は寝て待つ虎』  2015年6月27日







何か、転ぶものの上に居るって感覚が解るか? 「転ぶものの上?」 仮に畳み一畳ほどの板の上に居る。

其の板の下に丸いゴロゴロと転ぶものがある。「ボールか?」 そんなものだろうね、沢山あるんだよ。

「不安定なことやね」 そう、そんな感覚が、最近、やけに感じられるんだよ。自分は動かないのに、その板が動こうとするんだよ。






オレ自身は、どうにも動きようがないから、至って落ち着いてはいるんだけど急かれるような胸の焦りかね? これは、なんだろうかね?

この二つの感触が身に付き纏ってるね。オレは、過去の体験から何かが動くなって感じてるんだけど、其の正体は解らない。

まあ、いい、人智の及ばぬ運命ってのがユラユラ揺らせておるならば勝手に動け。こちとら、もう、棺桶に入ってスタンバイだよ。「死ぬんか?」






仮に死ぬ予兆と捉えれば、他に何が起きようが、其れ以上のものはない。棺桶入ってると図太くなれるね。新発見だよ。なんでも来んかえ。














『縁起のいい白虎が怒ってる』 








今、ホンマに究極の貧乏になってしまったよ。1100円しかないよ。あと4日、なんとかこれで持たさなくてはならん。

来月から、生活を立てなおさねばならん。まず、煙草を節煙する。「禁煙しろ」 アホか、できんこと云っても意味が無い、可能な処で改善する。

今度は放射能がどうたらこうたら報道されても影響されない意志力だね。「M2.5は?」 関係ない。ボンビーが金燃やすなんて考えられないよ。






経済苦からの決意だよ。「一日何本や?」 う~ん、まず、10本からいくか。「よしっ聞いた」 もう、気重たくなってきたよ。

オレから煙草取ったら、あと何があるの? 「ツタヤのDVDと・・・あれえ? おまえって、ホンマになんにもないね」 だろ、可哀想だろ?

何を楽しみに生きるんだよ? 「よく笑って生きてるねえ?」 まあ、いいか、パソコンやモニター、600ミリレンズなんてのもあるからね。






温泉へ独り旅ってのも金が要るしね。「口だけで終るのではないのか?」 いろいろ想像してたら行った気になっちゃうんだよ。「安上がりやね」























某私立大学付属の高3の女の子が「★★ちゃん」ってニッチャラニッチャラ笑って覗いてるよ。おう、お帰り。「★★ちゃん、もう入試やねんで」

ああ、ホンマか? 付属でもエレベーター式に上がれるんじゃないんだねえ、秤にかけるのが好きだね。

一発と3回の試験の総合点での二通りらしい。どや、見通しは? 「一度で受かりたいっ」 ほう、云うね、自信の程は? 「あかんね~ん」






う~ん、オレの直感では一発で受かるね。「ええっ、ほんまあっ?」 オレの直感はコワイほど当るよ。男子どもの高校入試は全部当てたよ。「へえ~」 

「ほなあ~★★ちゃん、帰って頑張るわあ」 おう、彼氏のええ影響受けてヤル気も出るだろ? 「うん」 嬉しそうに帰って行ったよ。

暫くしたら「★★ちゃ~ん、帰って来たでえ~」 中2のおませな女の子と連れの子がドカドカと入って来たよ。こいつら、真っ直ぐ家へ帰れないの?






いつも、嬉しそうに此方を見て会釈していく高2ぐらいの女の子と道路で会った。ニコッと笑って「ただいま」 ああ、お帰り。

おねえちゃんは、お名前は? 「〇〇〇〇です」 ああっそうか、ごめんね、お顔は知ってるんだけど、弟さんらはよくお話ししてるの。「はい」

女の子が居らしたんだね? 頷いて笑ってる。もう、覚えたよ。「ありがとうございます」 ニコニコと明るく上品な子だね。






そこで合点がいった。「なにがや?」 いやね、高2の男子が、テレながら、髪の毛の長い高校生の女の子は、何処の子って聞くんだよ。

其の子の雰囲気を云うんだけど誰のことやら解らない。いろんな女の子の顔を思い浮かべても出て来ない。今日、あの子に会って解ったよ。

お嬢さんって感じの子って云ってたね。なるほど、あいつの好きな女性のタイプだね? 変わらず品行方正に学校生活してんなら教えてやろう。























「書くことが思い浮かばんのか?」 バレバレだね。今日は何にも浮かんで来ないよ。久ぶりに「ウェバーケード」ってゲームサイトに入って

スロット・マシーンをやったよ。メダルは、フリーメダルを貰えるからチョコンとクリックしたら最高の100枚が当ったよ。

それでもって、しつこく遊んで気分転換を図ったんだけど何の効果もないね。オレは、昔からスロット・マシンだけは強いんだよ。






遠い昔、難波の南街劇場の脇(劇場に向って左側)の階段下るとゲームセンターが在った。いつも決まったポピュラーが鳴っていたね。

「同じのばかりか?」 いや、オレの耳に心地よく響くから、その曲だけが印象深く残ってるの。「何という曲や?」 知らん。

この前、ユーチューブの古いポピュラー聞いてたら、おおっ、久しぶりやねって、嬉しくなって聴いたけど曲名気にしなかったから知らんままだよ。






「普通、曲名見るやろ?」 そうか? 曲名を聴くわけじゃないから意識外だよ。「変わったおっさんやで」 

遊んだあと、イエローがかった大理石風の螺旋階段を上がって来ると二基のエレベーターが並んだホールに出る。ホールには出入口が二つある。

左側に出ると南街劇場の館内出入口で、右側へ出ると劇場脇の御堂筋で視界が拡がる。外気が新鮮でホッとするんだね。






たしか、此処のゲームセンターで馬鹿ほどコインを取ったよ。スロットやってるときは夢中なんだけど、コインがお金に変わるわけじゃないから

取りすぎて悦に入ったら、次は、貯まったコインを抱えて、これどうするのって興醒めが待ってる。

あちら此方のゲームセンターでも一緒だったね。スロットに夢中になったら青い大き目の箱2杯分ぐらいは取ったね。






ドッシャッ、ドッシャッってお皿に溢れるほど出て止まらないときが最高だね。連れが、其れを他の遊戯でドンチャカ遊んで消化しよるんだよ。























後にゲーム・ボーイだったかね? 息子が夢中だったピカチューだったかね? そんなのが出て来るソフトなんだけど、アイテムが欲しくなると

「お父さん、はい」ってスロット・マシーン屋さんの場面になったゲーム・ボーイを差し出すんだね。パチンコ屋さんみたいに台が並んでる。

よし、任せとけって、台を選んでスロットを始めるの。親指でボタンを押し捲る。最高の9999個を何十回って出してあげたよ。出すのが早いんだよ。






なんでもない自慢話で年月は経ち、こうしてオレは棺桶の中に居る。「おまえ、もう、死んだみたいな表現やないか」 似たようなもんさ。

「気持ち悪いわ、アホ」 この2、3日連続で読まれてない方は、混乱されるだろうかね? 「幽霊が喋っとんかっ?」 

すまん、人生も、このようにスロットマシーンのように行かんもんかいな。もしも、そうだっら、オレは、もう、とうにフィーバーしておるよ。






ああ、思い出した、ポケット・モンスターだね。「なんやねん、今頃、なんかいなって思うだろ」 まだ、繋がる距離だよ。

「国語の問題を問われて、次の授業の理科の時間に答えてるようなもんだろうが」 先生は、変わってるのか? 「一緒だよっ」 じゃあ、通じるよ。

「ズボラなおっさんやで」 中途半端で終るか、遅れても補足して終るか、此処にその人の人間性が醸し出されるんだよ。「エエように云うな」






ただ、生きてたって感じの平坦な駄文だね。こんな人生を生きて死ぬなんて退屈臭い人生だね。味わってみたいけど。「じゃ、云うな」

起きて喰って垂れて寝るの繰り返し、資産家の家に生まれて苦もない境遇に在りながら、我が手でそれを放棄する馬鹿も居る、腐るのかねえ? 

マラソンや競歩や散歩やらと我が身を責めて健康を守ろうと汗をかく。苦痛なき道に楽はないってことだろうね。






「早めに棺桶に入ってるおまえは、どやねん?」 無駄に足掻いて見苦しい、為すがまま為されるがままの果報は練って(寝て)待ての心境だよ。





























カメレオンの独り言-1437 『懐かしいけれども戻りたいとは思わぬ昔』

2015年06月25日 | 日記







 2015年6月25日







昼過ぎ、外で一服してたら「★★ちゃ~ん」っておませな中2の女の子と連れの子が手を振って帰って来たよ。おお、久しぶりだね。

もう一ヶ月になるんじゃないの? 「そう」 今日は、なんで早いの? 「テスト一週間前」 それは可哀想、早く帰れたら勉強か、堪らんね。

〇〇〇、おまえ、また、伸びたんとちゃうんか? 「せやねん、この子、また、伸びてん」と連れの子が応えてる。






事務所へ入って行って壁に背もたれ測ってる。ファイルを定規代わりに当ててやると「2センチ伸びたあ~」 確かに以前の線より上回ってるね。

「★★ちゃん、飴」 引き出し開けてやると「うわっ、ハイチューや」って、二人で分けてる。

無理に狭いとこ入って来なくても良かりそうなもんだけどねえ。包み紙捨てるのにオレに覆い被さるように後ろの灰皿に捨てる。挑発してるの?






思えば、オレの彼女も一緒だったね。オレは馬鹿だから、クサイって嫌がられるよりは、ええかいななんて思ってたよ。「喜んでたのか?」 お恥ずかしい。

「それが爺のクサイところではないか」 ああ、そう。膝の上にチョコンと座って「お話しして」 なんて云ってた子が、もう、大人並に大きくなってる。

歳月の流れる速さは夢幻の如くだね。連れの子が「★★ちゃん、〇〇歳やなあ」なんて念を押しておるよ。それがどうしたの?






窓枠から覗いて 「★★ちゃん、〇〇〇綺麗やろ?」 ああ、綺麗な女の子になったね。オレの目を覗き込むように 「せやろ」って笑ってる。

この連れの子は、何が云いたいの? おまえも綺麗になったよ。声崩して笑ってるよ。〇〇〇が 「★★ちゃん、また、来るわ」 あいよ。

午前中からのバタバタした忙しさも片付いてる。二人が帰った後、暫くぼ~としていたよ。





















お掃除のおばさんが、「ちょっと疲れてるみたいですよ」 そうかなあ? うん、休み貰って何処かへ独りで行きたいねえ。「独りで?」 うん。

「そやねえ、独りがええかも知れんわなあ、そや、独りでゆっくり行ってきたらええねん」 温泉なんかいいだろうね。

「何処も、あんまり、行きはらへんみたいやからスッとするえ? 晴らさなあかんわ」 気苦労の垢でも落して来るかあ。「口だけやったらあかんで」






よく知ってるね。何処へも行けないんじゃなくて行こうって勢いが湧かないんだね。こればっかしはどうしようもないわ。

でも、もょっと小遣い貯めておこうか、貯まった頃に休みが取れたら思い切って出かけてみようか、ひょっとすると知らぬ自分が居るかも知れん。

決まりきった毎日から抜け出て知らぬ処でオレの魅力を発散するか。「どんな魅力や?」 あり得ぬことも起こす魅力だよ。






「有り得ぬことも起こす魅力?」 凡人には解らんよ。「大きく出たね」 小さく出ても一緒だよ。「糞生意気な」 

オレがひとたび詐欺師になれば不可能はないよ。オレは、いつも思うんだけど、オレは役者の要素を持っているなって感じとってる。

どのようにでもなれるね。相手に合わせて人格を変化できるよ。「それっていいことか?」 解らん、相手が喜べばそれでいい。






「本当は?」 真面目だよ。だから、使わないで納めてる。時折、羽目を外して使ってやろうかって思う時があったね。「危険な香りか?」 そう。





















使わず終いで爺になった。真面目なオレが邪魔をするからね。「真面目でなかったら?」 今頃、千人斬りの猛者になっておったろうね。

オレの好まぬところだよ。そんなのに価値を見出せないから面倒臭い。一日違いの生まれ日で世界のドンファンになっていたってのは頷ける処があるよ。

「それだけの独り善がりをのうのうとよく云うね」 オレが云ってるんじゃないよ、血が云わせるんだよ。どうしようもないんだよ。






其れを気付かすように占い師が云ったんだよ。二人だよ、それも見てくれって行ったんじゃないよ、偶然だよ。これ、前にも書いたね?

そんなのが、オレの背中の何処かに出てたんだろうね。こんなのは、人格、人間性以前のオス・メスのフェロモンに係わる要素なんだろうね?

其処に、オレ、独特の優しさを加味すれば千夜一夜の如くだよ。「よくもまあ、其れだけのことを、さも事実の如くに云ったもんだ」 事実なんだよ。






「話題がみつからないからって、何を語ってもええってもんじゃないで」 羨ましいか? 妬ましいか? ざまあ見ろ。「誰に云うとんねん?」

しかし、オレは、そんなのに現(うつつ)抜かすほどの興味がない。吾を忘れて誰彼なしに疲れてベタベタネチネチ気持ちが悪い。「どういうことやねん?」 

好きでたまらない女性(ひと)一筋だね。そんなのが好きだよ。でも、それも夢の中を彷徨って迷子になって消えちゃったね。






だから、遅まきながら、オレの魅力をだね、ちょっと、旅先で振り撒いてやろうか、なんてのは、どうだろうかね? 

「其れが棺桶入ってるおっさんの云うことか?」 冥土(めいど)の土産よ、あっちでペラペラ喋る話のネタさ。「なんちゅう奴や、棺桶で寝てろ」

馬鹿だねえ、棺桶でゆっくりしてるオレを引っ張り出しよるんだよ。〇~さん、出てらっしゃいっ、なんてね。 「蓋してクギうっとけ」苦っしいやないか。






テレビは、食事時のニュースだけ、時折、野球、それと旅番組かね。人が旅先で、「ああ~気持ちいい~」って云ってるのを馬鹿らしいけど観てるね。





















中3の女子が入って来て「今日は、暑いわ~」 うん、昼前頃から暑くなって来たね。「お祭り行きたいわあ」 そういうと、そうだね。

この6月の末になったら愛染(あいぜん)さんだよ。「知らんわ」 大阪の三大祭りの一つだよ、天神さんに住吉さん、それに皮切りの愛染さんだよ。

「天神さんに行きたい」 いいねえ、友達と行ってくればいいんだよ。「中学はあかんねん」 ああそうか、「来年やなあ~彼氏と行くねん」






おお、いいねえ、明るい予定やね。「せやねん、そいでもアカンわあ」 自信ないのか? うなだれて笑ってる。夢を持てよ。

オレもね、祭りは好きだよ。下駄履きでね、よく行ったよ。今だったら浴衣だね、いなせな着流しよ、あっ、ステキ、なんて娘たちが騒ぐんだよ。

もう、こっちは、高倉健か、菅原文太かって気になってる。オレに近づくと怪我するぜ、どや、ええやろ? 「そんなん昔やろお~?」 






高倉健も菅原文太も昔になったんかねえ? 「おまえもやろ」 せやねえ、夢も希望もないね。今の祭りは、どんなイメージなんかね?

もう、長いこと行ってないね。笛や鐘太鼓の囃しは遠い彼方で聞こえるばかりだね。

うちの奥さんが、憎まれ口叩いた後、「ああ、あんたなんかと一緒になったのが身の不運や、若いときに戻りたいっ」って、よく云う台詞だよ。






戻ればいい、戻りたいって思える昔があるのは幸せだよ。オレは戻りたくないよ、だから、独りになって思うさま生きてみたいって思うのさ。































カメレオンの独り言-1436 『脱いで洗って干して着て、また、汚すような独り言』

2015年06月23日 | 日記








 2015年6月23日








最近、書くことが前より愉しく感じてる自分が居るよ。もともと嫌いじゃないから愉しいことは愉しいんだけど、

駄文でも、少し、まともな文らしくなったかなって思えるところが嬉しいね。書くには、調べものが付きものだから、これに時間を割く。

調べものしてたら、枠から越えて拡がるから、お陰でうろ覚えのものの輪郭がはっきりしたり、発見したりと独りで酔える部分もある。





間違った解釈のままでいたことに気付いたり、記憶の点と線が繋がったり、忘れていた昔の自分が目覚めたりと副作用が働くね。

乾き切った大地に水が沁み入るような感触を覚えるよ。まあ、今の処は、水が少ないから、すぐに、また乾いちゃうけどね。

一つの事柄を明かされた事実で表せば同じものしか出来ないけれど解釈で表せば百万通りの事柄に膨れ上がらすことも可能だね。「ホンマかいな?」





理屈と同じだよ。筋の通った理屈は一本だけど、これに屁をかませば百万本だよ。「どういうことや?」 屁理屈ってのは、其の中の一本さ。

オレは、学校ってのが、どうも性に合わないから自分で蹴ってゴミ箱に放ったんだよ。当時は、まだ、中卒、高卒ってのが多かった時代だね。

40~50人の子供が一つ部屋に閉じ込められて脳味噌測られて振り分けられて賢い奴等の引き立て役で卒業して、また、進学して同じことを繰り返す。





其れが、まるでロボット製作所のように感じたんだね。等級のついたロボットだよ。オレは自分の等級は自分で付ける。人に付けられて堪るかっ。





















「おまえが付けた等級は?」 誇り高きサービス業及び消化労働用ロボットだよ。自分で決めるとね、不思議だよ、屈辱感が緩和されるよ。

自らを末端労働用としたのは、現実社会の在り様を認識した上でのことで卑屈な根性で与えた訳ではない。そして、それに素直に倣ったよ。

何処の馬の骨だか解らん奴等に、オレのレベルを測らせる? ふざけるなっ。人間の価値なんてのは、死ぬまで未知数なんだよ。





人間が人として生きて往くために無くてはならんのは、誇りと優しさと揺るがぬ信念だよ。人として向上しようという弛まぬ努力だよ。

そして、流さねばならん汗を惜しまねば堂々と生きて往けるんだよ。「しんどいやろ?」 しんどい奴は、狭い教室で測ってもらえ。

知能を研磨して向上することは至って大事、多くの有能な人たちに育って貰い日本の屋台骨を支えて貰わねばならん。





其れ等の恩恵に依って有象無象も生きて往ける。それが感謝というものさ。オレみたいなのばかりだったら日本は音立てて沈没するよ。

「何処の馬の骨やも解らん人たちにもか?」 当然だよ。指導する者がいて習い育つんだからね。「なんか回ってるね?」 そう、地球は回っているんだよ。

「おまえの話は、聞くものを煙(けむ)に巻くようなとこあるね」 中国人か? 「がが抜けたね」 巻いているのではない、単なる選択と調和の話さ。





しかし、その指導する立場に在る教育界から変態が後を絶たないってのはどういうことなの? 人間性が低下しているとしか受けとれないね。

今の優秀ロボットたちは、生産性を重きに置き過ぎて製造したがために自己制御機能の教育は本人任せで捌いてる。

指導する立場の教育界から変態が続出するってことは、上から下に水は流れるように並以下って奴が増えてることになる。





教育は、人間を人に創り上げつつ知能を育むべき場だよ。鉄砲が先か、それを持つ者の人間性が先かの問題だよ。





















オレは、最近、我(が)に通じる誇り、う~ん、この場合、プライドって云うほうがピッタシ来るね。其れを風呂敷に包んで質屋へ入れようかと思ってる。

「金にはならんぞ」 言葉の綾さ。つまり、突っ張ることをやめようって思ってる。「一匹狼をやめるのか?」 

一匹狼は、死ぬまで一匹狼なんだろうけど牙を剥かずに尾を振ろうと思うんだよ。「日頃の仮面のおまえだな?」 人聞きの悪い云いかたすんなっ。





そう在るべきと思う心がさせてんだよ。オレは、お前(客観視)のお陰で常に自身も含めて俯瞰して状況を把握している。

それは、背水の陣とも云える立場に常に自身を置いて生きて来たから冴えわたって隙が無いほどだよ。処世術から生じたプライドだね。

相手のコマも見通せるから次の手が読めるのと同じだよ。「俺のお陰だな?」 本当は、もっと繊細にだよ。「俺の他にも客観視を保有しておるのか?」





おまえは、お笑いだよ。「随分だね」 まあ、云うならば添え物だよ。 「其れは冗談か?」 それすら解らん程度の能力だよ、腹が立つだろ?

「腹が立って泡吹くわっ」 それだよ、今度は、オレが、それをモロに受けて本当に強くならねばならんと思うんだよ。

おまえを使って先を見越して回避する。其の上にサルも驚くほどに知恵奔ってそつがない。器用なだけで本質の鍛えにはなってないんだね。





「表現方法に俺を出汁にしたのか?」 まあ、そういうことだよ。「しかし、おまえは、常に、ひ弱な一匹狼の正体を晒しておるではないか?」



















酒に酔って階段踏み外して引っくり返ってドタマおもくそ柱の角で打ってコブから血を吹く痛みは黙って堪えるわなあ? 此の痛みの度数を8としよう。

失敗を詰(なじ)られて 「この、ドアホッ」って拳骨(げんこつ)でどつかれて頭にコブできた痛みの度数を2とする。

では、この二通りに於いて、心に及ぶ衝撃度数は、どちらが大きいでしょうか? 「俺が答えるの?」 そう。「前者のほうじゃないの?」





もう、おまえは廃業して田舎へ帰れ。「肉体に及ぶ衝撃に比例して心に受ける衝撃も大きいではないか?」 こんな客観視を当てにしてたオレも馬鹿だよ。

相手がおらんではないかっ。相手がおらん衝撃は心には応えない。応えるのは相手がおるからだよ。これが衆目の中でなら、より襲撃度数が上がる。

どつかれた人が繊細であればあるほど痛みなどよりも遙かに心への衝撃はきついんだよ。「相手から跳ね返るんだね?」 そうだよ、それが心に突き刺さる。





我が身を晒して一方的に自分を貶(おとし)めても心は痛まない。恥じる思いで背中に汗をかいても跳ね返りを受けないから衝撃はない。

オレは、社会の眼、第三者の眼で自分を常に見ている。其れを尺度にして自分を量ってる。今までは、世を渡る上で最小限度の能力でも生きて来れた。

それから生じる負を自身で消化できれば然程の苦痛でもない。分厚い本のページを淡々とめくるが如しだよ。





それらの処世術に付加して、オレの直感能力は優れているから 「自分で云うか?」 その場、その場の左右選択の判断は凡そ当る。



















「云わんとするところは、おまえなりの百戦錬磨の鎧兜(よろいかぶと)を脱ぎ捨てるってことか?」 厳しいだろうかね? 

「其れを脱いだら、おまえは、まるっきりの子供になるで」 流石におまえはオレを見てるね。「おまえなんか見透かしておるわ」

「ただの単純馬鹿ではないか」 やり返してるのか? 「今まで以上に自虐に酔いたいのか?」 もう、自身を苛める時期を逸したかね?





オレはね、弱い自分を曝してこそ、人の痛みを理解できるんじゃないかなって、最近、そんなことを想うんだね。

「小賢しい鎧兜で自身を守ってることに羞恥を覚えたか?」 ホントじゃないからね。「事実を見失ってないだけ救いだよ」

オレは、人を見る時は、無意識に裸の自分で見ているよ。「それは救いだよ、だから、おまえは、誰に対しても優しく在れるんだよ」





「おまえがよく云ってるだろ、無駄なものはないって。悪しきに思えることも生かしように依っては毒が変じて薬にもなる」 まともなことを云うね。

「其れがいかんのだ、鎧兜でもの云うなっ」 人は、二つの自分を持ってるんだね。強さと弱さが同居して一人だね。

強い本質で在りたかったと、最近、つくづく想うんだね。「強いだけが人間じゃないよ。弱さは、相互の緩衝の役を担って和を保つんだよ」





「ものは考えようさ、鎧兜を必要としない人は、悪くすれば、傲慢、思い遣りに欠けるなんてのに繋がり易い、自身の中で葛藤がないからだよ」

そうか、今更、自分を変えようなんてのは、作用に対する理解が乏しいってことかね? 

「そうだよ、あらゆることを正しく理解することが、世に必要とされる人間性を創って行くんじゃないでしょうか?」 なんかの宗教番組か?



















しかし、口一杯にもの云うのは、一匹狼の遠吠えに似て、他を警戒させて寄せ付けないだけで、あまり褒められた姿勢じゃないね? 「気付いたあ?」

素で生きる努力をするよ。臆病者で小心な男で生きてて舐めてきやがったら鎧兜を着ることにしようか。「それをしたら今と変わらんやないか」

兎に角、変わろうと思ってんだよ。もう、突っ張るのは、歳に似合わんからね。裏も表も、なんでも呑める優しい人になろうと思うんだよ。





「心境の変化か?」 う~ん、ここで、毎度、事実、事実と解ったようなことを云ってて気付いたのかねえ? 

「じゃあ、これから、おまえは腰抜けか?」 アホンダラッ、舐めるなよお~。「また、戻って回ってるね」 そう、地球は回ってるんだよ。






























カメレオンの独り言-1435 『映画 エクソダス 神と王』 と 『十戒』

2015年06月21日 | 日記







 『 旧約聖書の「出エジプト記」』 2015年6月21日







『エクソダス 神と王』(Exodus: Gods and Kings) 2014年度アメリカ映画。監督はリドリー・スコット。主演クリスチャン・ベール。

このリドリー・スコットって監督は、個性的なものを持ってるね。此の人の撮った映画は、訴えようとする意図を感じ易いね。

「他にどんな映画を撮ってる?」 よう、知らんのだけど、「知らんのに云うな」 いいじゃないか、知らんものは知らんのだよ。





オレが、うん、良かったって思った映画の監督に此の人の名が何度か在ったように記憶するんだよ。「その程度か?」 そうだよ。












『エクソダス 神と王』(Exodus: Gods and Kings) 2014年度アメリカ映画







此の映画は、旧約聖書の「出エジプト記」をもとにして、モーゼに率いられたヘブライ(ユガヤ)人が400年の奴隷から解放、エジプトを脱出する

に至る過程を描いた作品だね。 モーゼの生涯を描いた叙事詩で壮大なるスペクタクル映画だよ。久ぶりに満足したよ。

この映画では、字幕で 「モーシェ」って云ってるね。でも、ここでは、一般的に「モーゼ」と称するよ。コロコロ変えては困るね。






昔、1956年度作品のチャールトン・ヘストンがモーゼに扮した 『十戒』を千日前のスバル座で観たけど、紅海が二つに割れるシーンと

神のおわす山で石版に十戒を掘り込み山を下ってくるシーン、ユル・ブリンナーの王が息子を失い悲しむ姿など途切れ途切れしか覚えてない。

なのに、凄いなあって印象は残ってるよ。昔は、神話や伝説、英雄の功業などを物語る映画が多かった。





オレは、正直、この手の映画は苦手で西部劇や戦争映画に好みが偏ってたね。いつか書いたと思うけど、なんで嫌かというと裏切り、姦計、拷問なんてのが

お決まりのように展開する物語が鬱陶しかったんだね。安心して観てられないんだよ。昨日の友が今日の敵、兄弟仲良し大人になったら敵(かたき)同士。

親も子も互いに信用ならん。親友の彼女をイッテまう 「おまえ、幾つやってん?」 おませなオレには解ってた。





主役も彼女のことが心配で安心して城砦から出て戦えない。彼女は不細工に限る、「なんでや?」 襲われないから主役も気にかけなくて済む。














『急遽、それらしいのを収集した写真なので女優さんの名が解らん、向って右は、かのジーナ・ロロブリジダだよ』 やらしいねえ~でも、こんなの大好き








オレは、この手の映画を観て、いつも疑問だった。「なにがや?」 この時代の女性は薄い透けたエロチックな衣装を身にまとい、

決まってロングスカートの切れ目から綺麗な脚を太腿から曝け出すんだよ。ついでに大きな乳房の谷底のぞかせて、まるで挑発してるような姿だよ。

権力ある悪い男は我慢ができないよ。次から次からオレのものってなっても仕方が無いよ。で、泣いてるの。おまえが悪いんじゃっ。





よく腹が立ったもんさ。そんなの思い出しながら相生通りのガソリンスタンド脇で仲間とベッタンで遊んでいたよ。「どんなガキやねん」 

やる奴は悪い、やられる女も悪いってことだよ。ソフィア・ローレンなんか妖しい肉の塊だよ。ジーナ・ロロブジリタとかロザンナ・スキャフィーノ

名のある女優は、皆、綺麗でグラマーで、それがストリップのいでたちで悪い男と二人きり、これで何も起きなければ女のプライドにキズがつくよ。





真面目で勇敢で正義の人は、勇ましく戦って帰って来たら彼女はボロボロ、人間性も変わって悪い男にしなだれかかってる。ああ、無情だね。

これが面白いの、この時代の正義の人は踏んだり蹴ったりの人生ばっかしなんだよ。オレとおんなじだよ。「何処がやねん?」

正しいことを主張してんのに排斥されて奴隷になったり、剣闘士にされたり、島流しにされたり、ろくでもない過酷な人生を強いられる。





映画の中の苦労は新幹線だよ。過酷な10年20年なんか「あっ」と云う間に過ぎ去って巡り会いよろしく力のある人物に救い出されて返り咲く。














『ソロモンとシバの女王』








まあ、昔から此の手の映画の凄いのは、絢爛豪華なセットと大群衆だね。その中を苦節うん十年、正義の人は地位を得て戻って来るんだね。

ラッパの吹奏、大群衆の歓声が喧しいぐらいに出迎える中、もともと勇敢なる正義の人は、悪い奴に引けをとらない権力の上に在る。

玉座に悪と並んで迎える昔のボロボロ女が「まあ、ステキ(新鮮)」 おまえの根性が臭いって目で切り捨てる正義の人。でも、何処か未練も覗く。





「まあ、ステキが、なんで新鮮なんだ?」 悪の男ともうん十年だよ、男女の情は湧いても飽きもくる。昔の正義の人を新鮮に感じるんだね。

もう、すれっからしの女になって新し好みのエロ女に堕ちてるんだよ。ホンマにそおかあ? 観るものの取りようは、いろいろだよ。

今更、助けてなんて、誰が助けるかっ。悪と一緒に串刺しだよ。「おまえの取りようは、此の手の映画そのものではないか」 感化されてんだよ。














『エクソダス 神と王』 モーゼ役のクリスチャン・ベール








紀元前1300年、多くのヘブライ(ユダヤ)人が暮らす古代エジプト。増えすぎたヘブライ人の男児を殺すようファラオ(エジプト王)が命じる。

殺戮の手から守るため赤ん坊だったモーゼも川に流される。しかし、エジプトの王女に拾われ、王子のラムセスと兄弟同然に育てられる。

成長したモーゼ(クリスチャン・ベイル)は、ラムセス(ジョエル・エドガートン)と共に兵を率いてヒッタイト帝国との戦いで敵を撃破する。























勇猛果敢で才知に恵まれたモーゼは、エジプトでは人気が高く王国での地位を確立しつつあったんだね。

王子ラムセスよりもモーゼを跡継ぎに考えるほどにファラオ(エジプト王)の信頼も厚かった。だが、モーゼは、ラムセスが王座に着くことに異論はなかった。

ヒッタイト帝国との戦いを前に占い師が「王子を助けた者が王になる」と予言する。激しい戦闘の最中、ラムセスの危機をモーゼが救うんだね。
























『エクソダス 神と王』 戦闘シーンも迫力あるね








救われたラムセスは、瞬間、その予言が脳裡に奔る。モーゼも同じくだったけども打ち消すんだね。戦いに勝利した後、ファラオ(エジプト王)は亡くなり

ラムセスが王座を継ぐ。モーゼは、40万人を越えるヘブライ人が従事する大建造物の工事区域を視察する。

そこでヘブライ人の長老ヌン(ベン・キングズレー)から、自分がヘブライ人であることを知らされて愕然とする。俄かには信じ難い話だったろうね。





この話を盗み聞きした二人のヘブライ人が、ラムセスに密告したことから、モーゼの人生は急転直下、奴隷の身分に落ち追放される。

ヘブライ人の扱いには、何かと救済の進言を行ってきたモーゼだったが、知らぬ我が血のなせるものがあったのかねえ?

1956年の『十戒』も、当然、同じストーリーだったんだろうけど全然覚えてなかったっよ。ラムセスがユル・ブリンナーだったんだね。













『十戒』1956年 ラムセス王役のユル・ブリンナー










『エクソダス 神と王』2014年 ラムセス王役の ジョエル・エドガートン 此の人、なんかズングリムックリって感じが付き纏うね。







このユル・ブリンナーって役者は、下手ではない。下手ではないけど一本調子の役者だったね。スキンヘッドが光ってる。「関係ないやろ」

前年度作の『王様とわたし』のシャムの王様でアカデミー主演男優賞を受賞したとかしないとか興味ないけど大スターになったね。

でも、この『十戒』のラムセス王も、なんか一緒の調子だった。そして、『荒野の七人』(1960)のガンマンもシャムの王様だったのが悲しい。












『荒野の七人』のガンマン役の ユルブ・リンナー 此の人の銃の扱いは、どう贔屓目に見てもガンマンならんもんがあった オレのほうが上手いよ







「そらあ、おんなじ人間だから無理を云うな」 アホッ、それなら役者やめろ。コロッと人間変わらなあかんのが役者やないか。

『十戒』にデボラ・カーが出てきたら、この男は、手を叩いて「シャウィダンスッ」なんて踊りだしよるで。監督が慌てよるで。

こんなのと比べたらモーゼ役だったチャールトン・ヘストンなんか不器用そうなんだけど、そうでないね。












『エル・シド』のチャールトン・ヘストンとソフィア・ローレン







此の人は、叙事詩的な映画にははまり役だった。史劇に相応しい顔かたちで大画面に負けない大きさを感じさせる役者だったね。

西部劇の「ダンディ少佐」(1965)なんか、モーゼなんて知らん、エル・シドも知らん、ベン・ハーも知らんと云い切れる別人だったよ。

この人はうまい役者だなあと感じたのは。「大いなる西部」(1958)を観たときだよ。全くの別人を生きていたよ。





子供ごころに、そんなことを思いながら、2番館のキリンビルの映画館から出てきて宗右衛門町通りを渡り心斎橋筋に入って、

心斎橋筋の中ほどに在る不二家でドーナツを買って貰って親父やおふくろの前や後ろを兄弟と走り回ってほたえていたよ。

「ホンマに、其の時に、そんな感想をもってドーナツぶら下げて走り回っていたのか?」 そうだよ。「ずっと後に感じたんだろ?」 違うよ。













『十戒』1956年度作品 紅海が二つに割れる大スペクタクルシーン

















































「ホンマか?」 ホンマだよ。其の頃から、オレは、こういうのを見切る卓越した批評の眼を持っていたのさ。オレの眼は誤魔化せない。

「まあ、ええわ、おまえ自体の思い違いってのもあるからね」 どういうことや? 「後年、ビデオで観たとか、テレビ放映で思い出したとか」

なるほど、其の手があったか。「どっちやねん?」 そう云われれば、今昔、混ざり合ってるってことはあるかもね。「エエ加減なおっさんやで」














『エクソダス 神と王』 モーゼの妻になるセファラ なんで、主役の奥さんや恋人は、揃いも揃って、皆、美しいの?











「そんなのは、神さんに聞いてくれ」








追放されたモーゼは、放浪の末にシナイ山の麓に辿り付き、そこで羊飼い達に救われた。

彼は、族長のジェスロから仲間として認められ、7人姉妹の長女・セファラを妻として新たな生活を始める。このセファラを演じてる女優さんは綺麗だね。

或る日、モーゼは山の頂に登っていく。其処に少年が現れる。神の化身なんだね、モーゼは、汝がヘブライ人をエジプトより導き出せと啓示を受ける。





『エクソダス 神と王』は、『十戒』を簡略化して描いてるね。『十戒』は、4時間の長編だったから旧約聖書の「出エジプト記」に倣って筋立てや

登場人物などが丁寧に描かれていたね。妻のセファラに「必ず、帰ってくる」と言い残し、モーゼはエジプトに戻る。

人望のあるモーゼは、昔の部下だった兵の導きで王のラムセスの前に現れた。ヘブライ人を解放するように求めるがラムセスは認めようとはしない。





モーゼは、神からの「十の災い」がエジプトを襲うと警告する。その言葉通り国土は次々に災禍に襲われる。それでもラムセスは頑として首を縦に振らなかった。

しかし、最後の災い(門に子羊の血を塗らない家の長男は全て死ぬ)がエジプト全土に広がりエジプト人の長男が次々と死んでいく。













『エクソダス 神と王』 モーゼ役のクリスチャン・ベールとラムセス王役の ジョエル・エドガートン











『十の災い』 尽く当らぬ女占い師は首を吊られて処刑される 占いでごっそり儲けてる似非占い師は、これを見て反省すべきだよ











ワニは狂い暴れて人々を喰い、魚は死に絶え、イナゴの大量発生と血の水に穀物は萎える、「十の災い」の一つカエルの大量発生を描いてるね











『十戒』 エジプト全土を覆い尽くす恐怖の影は、家々の長男の命を奪って往く「十の災い」 ラムセス王の王子も、その犠牲になる











『エクソダス 神と王』 幼い王子の死にラムセス王は打ちひしがれる









ラムセスの息子も最後の災いの影に襲われ死ぬ。ラムセスは打ちひしがれて、遂に「ヘブライ人は、此の地から出て行くがよいっ」 とモーゼに告げる。













『エクソダス 神と王』 かっては、実の兄弟の如く育ち助け合う仲だったラムセスとモーゼ









かくして、400年の奴隷から解放されたヘブライ人たちはモーゼに率いられてエジプトを脱出、約束の地「カナン」(現在のパレスチナ)を目指して旅立つ。

しかし、エジプト王のラムセスは、息子の葬儀を終えると「この軍勢では彼らを連れ戻せません」と進言する将校に「連れ戻すとは云ってないっ」

モーゼの一行に追いつき殲滅するために大軍を指揮して出撃する。呪わしきはモーゼの出現から始まった。モーゼ諸共ヘブライ人どもを駆逐する。





この映画の凄いところは、大エキストラを起用して、今流行(はやり)のCGばかりに頼らない描写だね。2頭だての二輪戦車を駆って断崖絶壁の山道を

連なるように突っ走って追跡する。苦難の山を下るとモーゼたち一行の目の前には青々とした海が広がり往く手を遮る。

この海は、アフリカ大陸とアラビア半島の境目に在る紅海だね。紅海のどの辺りを渡ったのか? 地図では細長く見えるけど実際は約200キロの幅がある。























200キロを歩き渡ったとすれば2日はかかる。映画では、そんな悠長な時間はない。となると紅海を北へ上がるとナイル川が地中海に繋がってる。

紅海から地中海、ナイル川を海と称しても当時なら頷ける。また、向う先の約束の地「カナン」(現在のパレスチナ)も近い。

しかし、この映画では語ってないけれど、彼らが其処に到着できたのは、紅海を渡って40年後なんだね。「何処をウロウロしとったんや?」 知らん。













「邪教を信じる異教徒の奴隷ども、一人残さず殺戮する」 王子を失ったラムセスは、邪教の脅威を払拭するためにヘブライ人を追う 








振り返れば彼方の山肌をラムセスの軍勢が追ってくるのが見える。『十戒』では、モーゼが海に向って叫ぶ、海の彼方に火柱が逆巻き立ったかと思いきや

往く手の海が二つに割れて覗いた海底が道になるんだね。一方、『エクソダス 神と王』では、為す術もなくモーゼは愛刀を眼前の海に放り投げる。

暫くして海は激しく流れ出し、その勢いは激しさを増して海底深く突き刺さった愛刀の柄が海面に姿を現す。驚く浜辺の皆みなさん、「なんやねん」





















「渡れっ、わたしに続けえっ」 有名な奇蹟だね。海水は干し上がるように流れ去り道は対岸まで続いている。「急げっ」 ラムセスの軍勢が近づいている。

アメリカ大気研究センターの研究によると割れたとされる「葦の海」について、紅海だとする説が一般的だったが、これは誤訳であり、

実際は、ナイル川デルタ(三角州)北東部に存在したタニスという都市付近にできたラグーン(潟湖)であると云う。























様々なデータを用いて、当時の地形状況や気候をコンピュータモデルで再現。東から強烈な風を吹かせると嵐のようにラグーンの水面が波立ち、

海水が西へと追いやられることを確認した。時間にして4時間程度だったというんだね。

また、19世紀後半、エジプトに軍事介入した英国軍の記録にも、現地で強風が吹きラグーンの水が完全に無くなっていたとの記述も残っている。























































海底に現れた奇蹟の廻廊を進むヘブライ人、後を追うラムセスの軍勢もついに、其の回廊に差し掛かる。「騎馬っ」 屈強な男たちが乗馬して

迎え撃つ態勢を組む。徒歩にて対岸に逃げる仲間たちに時間を作らねばならない。「走れっ」 怒涛の如くラムセスの軍勢が迫ってきた。

「モーゼっ」 指差す西の空に届くが如き波柱が立って巨大な海の壁が海幅一杯に向ってくる。「モーゼっ」 浮き足立つ。





「行けっ」 モーゼは、騎馬して迎撃態勢のヘブライ人たちに対岸へ逃げろと指示して、自らは動かず向かい来るラムセスと対峙する。

































此の一連の描写は、現代ならではのリアルに徹したもので創りものとは思えない凄まじいものがあるね。

此の映画を観て感じたのはね、役者の質が、より一層問われる時代が来たということだね。壮大にしてリアルな背景、それに頼って成り立ってる役者が多い。

背景をも呑みこむほどの存在感を発する役者でないとバランスが崩れるように思えるよ。圧倒するような臨場感は、圧倒すような芸幅が締めるんだね。





で、ないと、ただただ凄かったで終っちゃうよ。味を締める出汁のコクは人間が出さねばならないからね。それが味わいの余韻だよ。











































一方、ラムセスの軍勢も「あれを見てっ、逃げましょうっ」 ラムセスは聞く耳をもたず2頭立ての戦車にムチをくれるっ。軍勢は、引き戻す態勢に転じる。

巨大な海の壁は、もう其処まで達してる。馬上のモーゼに戦車のラムセスがあと一息の間隙、巨大な波がのしかかって藻屑も藻屑、

爆走した分戻れずに軍勢も総藻屑。全てを嘗め尽くして大波が元の海幅を埋め尽くし、やがて、とうとうたる海原に還る。軍勢どもや馬等が海中を漂い全滅する。



















































モーゼは、渡るべき対岸に打ち上げられ、ラムセスは戻るべき岸辺に波が持ち上げる。その他大勢は、皆、沈んだまま。どういうことやねん?

これって、一般人を馬鹿にしてんのとちゃうか? その他大勢になるもんじゃないね。都合で生かして都合で殺すな。

ラムセスの軍は、彼だけを残して波間に消えていった。ラムセスは妻の元へ戻り 「彼(モーゼ)の神こそ真実の神だ」と語ったらしいね。



















モーゼが、石版に掘った「十戒」とは、次の戒めの言葉だね。





 1.主が唯一の神であること

 2.偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)

 3.神の名をみだりに唱えてはならないこと

 4.安息日を守ること

 5.父母を敬うこと

 6.殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)

 7.姦淫をしてはいけないこと

 8.盗んではいけないこと

 9.偽証してはいけないこと

10.隣人の家をむさぼってはいけないこと





紅海(葦の海)を渡って自由になったヘブライ人達は、神に対する信仰を忘れ、金の子牛に対する偶像崇拝を始めて享楽に耽った。

山を下りてその有り様を見たモーゼは、「神の怒りを知れっ」と、その十戒を刻んだ石板を金の子牛像に投げ入れると、

大地が割れて火が燃え盛り、罪深き人々は、その割れた大地の間に落ちていったってんだね。



















神は、かくして怒り、ヘブライ人に罰を与え、彼らを40年に渡って荒野を彷徨わせた。やがてヨルダン河のほとりのネボの山麓に辿り着いた。

ここでモーゼはヨシュア(モーゼに付き従った人)を後継者として杖と衣を与え、妻セファラに別れを告げて約束の地カナンを目指す彼らを後にして、

神の前に行くべく、ただ一人ネボの山を登っていったと映画にはない物語が続いてる。モーゼは、120歳まで生きたらしいね。



















脅迫や過酷、事故や事件を前にした時、その対なる人々を総じて「罪なき人々」と憐れに云う。別段、それでも構わない。

でも、ホントに罪なき人々かと問えば 「?」と過(よ)ぎるような人も必ず居る。

解放されて自由になって好き放題になれば本音が出る奴も沢山居る。厳密に云えば、罪なき人なんて居ないんじゃないの? 





「罪を働かずに済んだ人」が正しいように思う。それほどに、人は、善と悪の間を彷徨い往かねばならん宿命(さだめ)の生き物のように思うよ。












『十戒』 殺戮の手から守るため赤ん坊だったモーゼも川に流される 使命をもって生まれた人だね








此の手の壮大な叙事詩的映画ってのは、意外と人間の本質に近いところを描いてんじゃないかね? 

衣を脱ぎ捨て飾り物を排除した裸に近い者同士の精神性の高さを感じるね。「惑わしてんじゃないのか?」 堅さをほどよく柔らめて観る者を誘う。

よう、解らんけど、そんなふうに感じるんだね。単純なように捉える行為の裏側、人間の心裡ってのを読み解くにはいい映画だと思うよ。





此の世に産まれ出(い)でて何をすべきか、何を信じるべきか、人間としての正しい在り様なんか、こんなのを観て習うべきだね。


























『ドゥラ・エウロポスのシナゴーグから出土した3世紀頃の壁画。モーセがナイル川から拾われる場面を描いている』








ドゥラ・エウロポス(エウロポスの砦」)は、ヘレニズム時代からパルティアおよびローマ帝国の支配下の時代にかけて繁栄した古代都市。

その遺跡は現在のシリア東部、イラクとの国境付近にあり、ユーフラテス川右岸(南岸)の高い断崖上の平地に位置してるらしい。












ドゥラ・エウロポスのベル神の神殿跡 (ウィキペディアより)




























カメレオンの独り言-1434 『赤銅色の月 Part4 ツキノワ熊の出る山』

2015年06月19日 | 日記







 『スコッティシュ・フォールド』 2015年6月19日







赤銅色の月の夜のおばさんが、家を引越しして一週間ほど経ってから、毎度のように借金の督促で訪れていたおじさんと会った。

「おりまへんなあっ?」 ああ、引越しされましたよ。「いつっ?」 もう一週間になるかな。「あの婆あっ」 怒ってる。

「何処へ越したか知りまへんか?」 さあ、そらあ知らんね。引越しも大変だったんですよ。





気の毒なのは引越し屋さんですよ、「こんなの生活の荷物やあらへんで」なんて、次から次から出るわ出るわの荷物積みながら嘆いてる。

転居先はエレベーターが無いから階段利用で上がらねばならない。6トン車3台でも乗り切らない。作業員さんは4人だったかなあ?

朝早くから作業にかかり深夜の2時まで延びたんですよ。「へええ~?」 2台が満載の荷物を転居先へ運んで、戻って来たのが夕方だったかね?





引越し前の見積もりが甘かったのかねえ? 2回目の積み込みも出るわ出るわで大きなダンボールの荷物が終らない。

大変だねえ、「これは、なんの荷物かいね?」 呆れてる。「家ん中、歩く所もないほど天井一杯に積み上がってまんねん、考えられへんわ」 

他所からどんどん運び込んでるのは見たけどね。大手の引越屋さんじゃないようだね。一軒の家の荷物ってことで引き受けたらしい。





夜、9時頃、残っていたトラック併せて3台に満載、それでもようよう積み終わったようで、見てるこっちもホッとしたよ。





















パソコンしていて、そろそろ寝ようかなと思った頃、トラックのバックブザーが鳴り響いてる、うん? 深夜の0時を回ってる。

外を覗いて見ると、あれえ~? 引越屋さんのトラックが帰って来てるがな。2台は、離れた道路に停めおかれてるね。

一台が家の前に駐車してホロを開いて荷物を降ろし掛けてる? どういうことや? 煙草を買いに行きがてら、どうしたの?





もう、精も根も尽き果てたように「向こうに入り切らんのですわ~もう、無茶苦茶やわあ~」 追い出される家に、また、荷物を戻してる。

えらいクジを引いたねえ。リーダーのような強面(こわもて)の兄さんが道路にひっくりかえってる。「こんなん知らんわ」って云ってるよ。

これは、気の毒だね。あとの3人が黙々とくたびれた身体絞って荷物を元の家へ戻してる。





其処へ、赤道色の月のおばさんが、娘と3人で自転車走らせて戻って来る。暗がりの道路の端で強面の兄さんに頭下げ下げ話してる。

娘の妹のほうが、同じく横に立って、何やらお願いしてるね。姉のほうは、反対側の道路の端で壁にもたれて煙草吹かせてるよ。なんやねん?

強面の兄さんの苛立った声が聞こえる、おばさんが、また、泣いてるよ。料金の話しだろうね。





「あのおばはんは、泣いたらなんでも片付く思うってけつかんねん」 泣くしかないんじゃないの? 「わしも、貸して欲しいって泣くから出したんや」

「それを、なんも云わんと砂かけて行きよるっ」 おじさんほど大したことは出来んけど、オレにも泣いて来たよ。「せやろっ」

「ほんまあ、何処ぞで遇うたら、わしの田舎の山に連れてって放ったらかしにしたるっ」 どういうこと?





「でかいツキノワが出よんねんっ」 熊かいな? 「そや、猪のでかいのも、ようけ居る、猿もなっ」 やめときぃな、犯罪やで。

「あかんっ、あの婆あも犯罪やないけっ」 おじさん真剣やね。 「利息が山積みになるわっ」 高利かいな?

人は金銭にはシビアだねえ。そのために働いてる。生きるために稼いでる。情け無い立場に泣かずとも済む、だから、がむしゃらに働く。



















その金には、その人の込めた思いの価値が載る、高利は、其処から発生するんだろうかね? 人の金に対する執着を久ぶりに目の当たりにしたね。

「おまえの金は?」 おばさんと一緒に羽根をフリフリ飛んでったね。「そらあ、あかんわ、金が寄らんで」

「女と一緒じゃないか? 好きだ好きだと攻められて悪い気はしないから、いつしかその気になって一緒になる」 なるほどね。





飛んで行きたいほうへ行け、では心は通じないんだろうね。「そうだよ、お金も執着するほどの愛情に寄り来るのかも知れないよ」

羽根をフリフリ飛び往く姿ばかりを見ることになるか、金も女も、好きなほうへ往けばいい。「おまえも治らんね」 

「その残った荷物は、どうなった?」 次の休みに家主さんと赤銅色の月のおばさんが立会いで、市の職員さんかね? 7~8人で道路に山積みに出して





清掃車に放り込んで処分したよ。まだ、ごっつい家具も残ってたけどね、其れも一緒にバリッバリッと呑みこんじゃったよ。

駆りだされたのは生活保護関係の職員さんたちじゃないかな? 保管能力の無い物まで守る支援はない、致し方ないね。

昔、オレも引越の仕事をしたことがある。荷物を搬出してトラックに積む。転居先まで車で身体を休めることができるから遠い方がいい。





そう思って乾いた喉を種類選ばず炭酸のサイダーで潤した。転居先は目と鼻の先と解って、しまったって思ったけど飲み干した後だった。

角を曲がって暫くって感じで搬入作業に入った。重い荷物を持って階段を駆け上がる。何度か繰り返して道路にブッ倒れたよ。

死ぬかと思った。ゲロは噴出る、身体は震える、汗噴出す身体が寒いんだよ? 荷台の上に寝転んで、治れ、治れって焦ってたね。





















エライ目に遭った引越屋さんは、泣くおばさんに仕方がないねって感じで「帰りますわ」って挨拶されて引き上げられた。情けは人の最期の救いだね。

腕時計を見たら深夜の2時を回っていたよ。ご苦労さん。

また、明日があるだろうけど、帰って風呂に浸かってビールを呑んでバッタリ死んだみたいに寝てください。





「お世話になりました」っておばさんが挨拶してる。おばさん、家は人のために在る、要らぬ荷物を処分して空間を広げなさい。

「はい、片付けてそうします」 「お世話になりました」娘さんは、あまり見かけず顔も知らない。お母さんを手伝って、喩え一部屋でもゆっくり出来る

空間を作るべきですよ。心が和みますよ。「はい」 兎に角、おばさん、一歩前に進んだね。「はい、おかげさまで有難うございました」 





誰一人、好んで貧しい生活なんかしたくない。悪習と怠慢から始まって惰性と不運と仲良しになって慣れという沼に浸かる。堕ちるは易しい。

なにが厳しいかと云うと、其処から這い上がることだろうね。沼の岸辺は心地よいほどに滑らかで、力もうが、突っ張ろうがヌルヌルと気を抜くんだね。

気が抜ければ、また、浸かる。何度か繰り返して沼の中、誇りも泥にまみれて人任せの自分に仕上がっていくんだろうかね。





人は足の裏に固さを感じ続けて生きねばならん。ヌルヌルと柔らかい感触に気付けば気を引き締めて真っ直ぐに立てる固い地盤に向わねばならん。





















人の家の中をとやかく云える我が家でもない。常に一部屋だけでもすっきりとした状態を守り通したかったけれど、正直、それも叶わなくなった。

沼には断じて浸からない。誇りを泥で汚さない。みっちょれえ~っ。「最近、それ多いね」 

多かろうが少なかろうが、そんなことはどうでもいいのっ。気合を入れておるんだよ。足の裏は、まだ、固い。腰据えて構えるには充分だよ。





オレの焦燥が解らんか? 「何を焦ってんねん?」 変化だよ、昨日より今日、今日より明日だよ。みちょれ。

「気合ってのも面白いね。力入れて云うより、あっさりのほうが斬れ味があるね」 そうか? じゃあ、これから、あっさりにするよ。

ツキノワ熊のおじさんも 「ほな、こっちへ寄ったら、また顔見せますわ」なんて云って帰って行ったよ。





前々から、胸騒ぎ的なソワソワ感ってのを感じることが多くなってるね。胸辺りが落ち着かなくなるんだよ。昔からの予兆めいた感覚だね。

必ず、何かが起こる。「悪いことか?」 いや、追い詰められて来ると起こるんだよ。予想しない変化かね? それで救われもした。

これを一つの症状とするならば、ケセラセラ症候群だね。つまり運命なんだよ。「ホンマかよ?」 解らん。





「解らんことを尤もらしく云うな」 いいじゃないか、オレに云わせれば、生き往く道は、解らんことばかりだよ。だから、人は考えるんだよ。



























カメレオンの独り言-1433 『映画 ファントム開戦前夜』

2015年06月18日 | 日記







 『ファントム開戦前夜』  2015年6月18日







昔から大事にしている決断を書き入れる小さな紙がある。書いては消して、また、考えて書き込むこともした。紙は、其の都度、薄くなっていく。

今、決断したことを書き込もうとすると、もう、書き直しはできないほどに薄く擦り切れそうに心細い。最期の決断になりそうだね。

書き込めば消すことは出来ない。消せば紙は破けて、再度の書き込みはできないだろうね。機会を失うことになる。






やり直しは利かない。そして、後は、もう、ない。神に手渡す真実の決断を書かねばならない。そんな選択の三叉路に来てるように思えるんだね。

「切羽詰った話だね」 そうだよ。決断とは覚悟だよ、決断とは、責任だよ。そして決断をすれば全力だね。自分を賭けるんだね。負けられない。

自信なくして下せない。「あるのか?」 ないがな。「やめとけ」 無謀とは、そういうことを云う。オレの周りは無謀が取り巻いてるよ。






自信が欲しい。欲しいからって買ったり拾ったりして身につくものではない。実践から身についていくものだからね。この際、一石二鳥を狙おうか?

「石は大きく外れて、二羽の鳥に糞かけられて臭い終わりが見えておるではないか、そんな情け無い姿で、どう責任をとる?」

前に進めず、後ろに引けず、上に上がれず下がりも出来ず、後は窮鼠(きゅうそ)猫を噛むしかない。今の自分の在り様が、そんな風にとれるんだね。






「まあ、そう、自分を追い込むな」 喰われて果てるのか? 「おまえを追い込んだ猫の気が変わらぬとも云えんだろ?」 奇蹟か? 

「その言葉があるなら、その事象もなくはないんだよ、・・・川の流れを見て暮らすってのは、まさしく今のおまえの状況を唄ってんだよ」 なるようになるか?

「あっちの国でもケセラセラ(なるようになる)って歌ってるだろ? 独りの力で成るものはないって教えだよ」 ホンマか? 「と、思うよ」






と、思うよって、自信がないのか? 「俺も無いんだよ」 一緒か? 同類相憐れむじゃないか? 「いいじゃないか」 このオチは、なんやねん?



















『ファントム開戦前夜』 2013年アメリカ映画  ソヴィエト海軍潜水艦 艦長役のエド・ハリス








『ファントム開戦前夜』を観たよ。米ソ冷戦時代、旧ソヴィエト連邦のKGBから派遣されて同乗した実行部隊がソヴィエト海軍潜水艦内で艦の指揮権を強奪、

その旧式潜水艦を中国潜水艦に見せかけてアメリカ第7艦隊を核ミサイル攻撃し、米国の報復を中国に向けさせ両国の壊滅を図った極秘作戦を実行にうつす。

この事実を知った艦長以下乗組員たちは、この暴挙を阻止するため命を賭して敢然と立ち向かう。狭い艦内での戦いをリアルに描いているね。観れたね。






1968年に、ソ連の潜水艦K-129が通常の作戦海域を大きく逸脱してハワイ近海で謎の撃沈を遂げた事件を題材にしている。

ソヴィエト海軍潜水艦K-129 艦長役のエド・ハリスが渋い演技だね。副艦長に ウィリアム・フィクナー、この人は、「アルマゲドン」で機長役してたね。

KGBから派遣された急進派の実行部隊の隊長役は、 デイヴィッド・ドゥカヴニー、昔、TVの「Xファイル」のひ弱そうな主役だった人だね?











『副艦長役の ウィリアム・フィクナー』










『KGB急進派の実行部隊の隊長役の デイヴィッド・ドゥカヴニー(向って右側)







実際に、海の藻屑となったソヴィエト海軍潜水艦と発射されたが起爆せず海底に沈んでいた核ミサイルが回収されたことから事実にあったとされている。

KGBとは、ソ連国家保安委員会(情報部及び秘密警察)国家の中枢に位置して、その権力たるは、泣き叫ぶ赤子もニッコリ様子笑いするほどにコワイ。

こんなの頭に置いてソ連も北朝鮮なみに恐怖政治で国民を支配しておったんだね。自由に導いたゴルバチョフこそがロシアの救世主だよ。






映画の随所に、そのKGBの絶対的支配をうかがわす脅威が存在してる。かのナチ一党独裁下に在ったドイツ軍人等の物言えぬ正義の反撥を連想させるね。












『かくして運命の核ミサイルは発射された』 こんなの観たら、明日なんて必ずあるとは思えないよ。影でコソコソとんでもないことしとるんだね。







しかし、今、ロシア国民は、元KGBだったプーチンに国をお任せして堂々と国際社会の中で横車を通す国家を応援してる。体質は変わらんからね。

酷寒の地は正常な判断を狂わすのかね? 生きるために暖を取る、盗り込むことで暖を確保する。食料に対してもシビアなものがあるんじゃないかね?

生活の知恵が血となり常識となって疑いが無いのかも知らん。南国の人たちの気性なんかを比較したら当らずとも遠からずだよ。風土が人を創るからね。





我が日本人があっさりしているのは、厳しい冬を越せば春になったら、なんとかなるさ、これがイカンノダヨ。すぐに厳しさ忘れて陽気になって危機感薄い。

なのに、器用で知恵走って真面目で勤労、我慢強くて愛想がいいから国際社会に受けがいい。簡単に盗り込めそうで盗り込めないんだね。

中国も北朝鮮もプーチンもイライラするんだけど、ちっこいわりに知識と技術と金を持っておるから頼りたいところもある。だから余計に腹がたつ。





いざとなったら、何をしよるか解らん武士道精神を血にもっておるから、なんか馬鹿に出来ない威圧にもなってるのかね? 読み通せない国民だね。





















『ファントム開戦前夜』でなんとか今日の分を格好つけてケセラセラで終っておこう。




























カメレオンの独り言-1432 『映画 ワイルドカード J・ステイサムをただの格闘筋肉馬鹿にすんなっ』

2015年06月16日 | 日記







 『ワイルドカード』 2015年6月16日







ジェイソン・ステイサムは、いつものジェイソン・ステイサムなんだけど、作風と創り手が変わると、こうまでノリが悪くなるもんかね。

あくまで格好よくハチャメチャ強い男でいいって云ってんだろうがっ。しょうもない思い入れなんか要らんのだよ。コルシカのヨットがどうしたんだよ?

そんなもん、何処でも浮いとおるわ。この男に悩みや弱みは要らん。神出鬼没、ここぞという時に出てくればいいんだよ。少々、無理でも構わない。






背中に重いものを乗せて身動きとり辛い男なんかオレだけでいいんだよ。スカッとしたいのに、其の上に、また重くなるではないか。

「トランスポーター」のような男でいいんだよ。バッチシ極まっておるではないか。無敵なんだよ。彼の魅力が解らんか?

君たちは、映画の世界で何年生きておるんだよ? 折角、創り上げたヒーローを潰す馬鹿が何処に居る? 






アーノルド・シュワルッツネッガーとかシルベスター・スタローンとか頑強な体躯でスターになってる役者が多いけど、

このジェイソン・スティサムは、ちょっと異色だよ。此の人は、表情に優しい雰囲気が漂っているように思えるし知性も感じられる。

「じゃあ、他の連中は?」 ただ強いだけではないけどね。つまり、人間味があるよ。このタイプでは貴重なキャラクターだよ。






昔、サム・ペキンパーって監督が居たけど、この人は暴力描写が長けてた。でも、やたらスローモーションを多用すんだね。瞬間の美学が死ぬんだよ。

目にも止まらぬ瞬間に観客は酔うんだよ。見落とすぐらいの速さの中にでも一瞬の格好良さを捉えているんだよ。そして、其れが鮮烈なんだよ。

この「ワイルドカード」の格闘シーンに其のスローモーションを取り入れてる。一言、馬鹿だね。何が美味しいかってのを解ってないねえ。






最近のTVで紹介されてるごちゃ混ぜのアレンジ料理と同じだね、こねくり回して本来の味を殺してる。喰えた料理じゃないんだよ。













『ジェイソン・ステイサムの映画は、此のワイルドカード以外にこんなけ観たよ』








安っぽくない格好良さ、安っぽくない強靭さが肝だよ。これも簡単なようで難しい。スタイルを維持する微妙な境界線を踏み外すなよ。

奥深い芸をこなせる役者じゃない、持ち味生かして使い切れ、剛速球の投手だよ、経タリが来た頃には芸も精進して変化球も覚えるさ。

それまでは、剛速球の鉄腕投手の魅力を思う存分に発揮させろ。今時の映画を創る奴等は馬鹿か? キレのいい格好良さで痺れさせろ、この野郎っ。






『ワイルドカード』の何処に痺れる要素がある? 時折、湧き出る幻想に腰もおぼつかない、ギャンブル馬鹿勝ちして、欲かいたがためにオケラになって

トイレでヤケクソ暴れて酒に酔ってぶっ倒れて気が付いたら暗い顔、なんやねん、ただ強いだけってなるではないか。ただの格闘筋肉馬鹿ではないか。

「エクスペンダブルズ」なんて馬鹿みたいな映画を撮った監督か、あんなのシリーズで創り続けること自体がおかしいよ。












『エクスペンダブルズシリーズ、観なくても解る馬鹿映画』 「ホンマかいな?」 S・スタローンが昔の夢にしがみついてんだよ。








酒の入った身内同士がワッショイしてる馬鹿祭りではないか。シナリオライター君、真面目に仕事しろよ。手抜きは、いつまでももたないよ。

また、裏切られたよ。今回借りたDVD5本の本命だよ。映画館に通って観てくれる時代の収入源とは違って、今では映画館はもとよりDVDでも稼げる。

駄作でも生き延びが利くんだろうかね? 安穏としておるのかねえ? 誇りと緊張感の抜けた仕事に冴えたものは生まれない。





期待して金を払って裏切られても、そいつの文句も聞こえない。苦情係なんて部署があるのかね? 下手の独り善がりが横行するね。

「名だたる評論家の批評に晒されるではないか」 そんなの金が舞う世界だよ、パラパラと撒いたら「どのようにでも致しましょ」 あいつらはゴミだよ。

どうにもこうにもならん堅物の評論家は、理解不能な作品を褒め称えて悦に入るばかり。常軌を逸している倒錯者だよ。「おまえなあ~」





国際サッカー連盟「FIFA」の理事連中を見ても解るだろ? 走り回ってボール蹴って汗かきまくって、実質、客を呼ぶのは選手達だよ。

其の上に立って稼ぎまくるのは老獪な奴等ばかりだよ。頭の切れる奴等に律する心が伴わないと奸智に長けた狡猾な人間が出来上がる。

何ごとも現場在りてが基礎だよ。儲かりゃいいが基準になったら、現場の純粋な想いは後退して商売根性丸見えの糞駄作ばかりになっていく。













『ジェイソン・ステイサム』







「では、儲けにもならんのに、しんどい目して駄文を撒き散らすおまえは?」 純粋なんだよお~、これほど純粋なものが何処に在る?

オレなんか、恥をかきつつ、今日は、少しでもうがって貰ったかな? 少しでも笑って貰えたかなって思わぬときはないよ。「目的は?」 精進だよ。

それと、変態的ではあるけれど、面と向って話せぬ思いの吐露とか、流行らぬ主張なんてのを発散してはいるけどね。お陰で抱える袋が軽くて済む。





一時、桁外れの訪問者数や閲覧数が続いた折には、吃驚して、その推移が気になったことがある。ここでも何度か書いたけどね。

あの手この手と増やす方法もあるらしくgooの編集欄のあちこちボタンだらけに配置して誘っておるけど誘い入れる程の内容でもない。

「その物言いは謙遜か?」 事実だよ。「じゃあ、今読んでくださる人たちに対して無礼だろ」 ここに留まる方たちは許容も度量も大きいんだよ。





それに、商売してる訳じゃないからね、自然の流れに任せて袖振れ合うも多生の縁、気と癖が合えば目を通して貰えれば結構なんだね。





前にも書いたけど、何より嬉しく勇気を貰えるのは、毎日、閲覧される数が半端じゃないところだね。それがオレの駄文の秤だよ。

他所さんのを比較して量った訳じゃないから、そんなもんだよってものかも知れないけど、オレの基準からすれば半端な数じゃない。

ど素人の書いた駄文を、何もするあてなしに暇をあかしても読める数ではないよ。





駄文でも思いが通じている。有り難いなあって思うんだね。其れが勢いになってるんだよ。だから、感謝を返さねばならん。

裏切らぬ駄文で返さなければならんから書くんだよ。「裏切ってないか?」 う~ん、これだけは神のみぞ知るだね。一生懸命以外解らへんがな。

「コメントの反応がないからね」 頂くのは実に有り難いけど無いほうがいい。オレは、頂くと畏まって対応するから時間が無くなるの。コメンナサイ。














『ジェイソン・ステイサム』








物創りは独り善がりから始まる。共感する、感動する、納得するなんて人が後押しして、それは一つのスタイルになって往く。

ジェイソン・ステイサムの「トランスポーター」なんかそうだね。昔は、ショーン・コネリーの「007」だね。

なにが夢中にさせたかをその映画に関連する全てを分析して的を外さぬ答えを弾き出す。其れを忘れてはいかんのだね。初心忘れるべからずだよ。





しかし、飽きの来ぬものはないから、いずれは脚色せねばもたなくなる。賞味期限が切れる頃だね。それに時代が大きく影響するからね、これは運かね?

創り出せない要素だろうかね。偶然の一致を得たら爆発的に支持されてフィーバーもいいとこだね。これは狙って狙えぬギャンブルだね。

それらの要素を無視は出来ないけれど、要は、面白いものを創って共有する喜びに酔おうって純な思いに他ならないね。





オレもそんな思いで駄文を書き上げたい。でも、あまりにも稚拙が故に想いとは噛み合わない。これは技術の問題かね? 「頭じゃないか?」 致命傷だね。





























カメレオンの独り言-1431 『料理を作るが如く人生を創る』

2015年06月14日 | 日記







 2015年6月14日







或る程度、先を見越して読めるものを持っていると思ってる。今までも先を見越して心構えや身支度整えて「何処か旅行にでも行くのか?」

うるさいわ、言葉を間違ったんだよっ。それなりの備えを以って対応してきた。こうだよ。

でも、今は、見越せないんだね、あれこれ思い図って考えるんだけど見えて来ない。





今のレール上に在る先は読み取ることは可能だろうね。経過した道のりで得た事例に倣って進行の程を計算できる当てがあるから組み立て易い。

思いどおりに行かぬ場合を想定して対処の策を何通りか用意も出来る。しかし、このレールを外れた場合の先が見えないんだね。

灯り一つない洞窟を手探りで歩き往くのと似てる。出口が在るのか無いのかも解らない、未踏の道だね。





でも、オレは歩くのをやめない。良くも悪くも、一歩、一歩の積み重ねの大きさを知っている。だから見えなくても歩き続ける「穴へ嵌まるぞ」

それは運命だよ、致し方ないならお受け致しましょう。こんな状態だね、今のオレは。「彷徨う一歩に価値があるか?」

よく云った、「なんやエラそうに」 灯りが無ければ何も見えない、何を頼りに進んでる?「だから、彷徨い歩けば穴へ嵌まるぞって云ってんの」





自分を信じる力だよ。前へ進むって信念だよ。なんの手立ても無ければ、なんの当ても無い、向こう先も見えない。信じるしかないんだよ。いいねえ~。





















こころ惑わすことがらを望遠で眺めれば喜びも悲しみも肌理(きめ)細やかに跳ね返ってくるね。

広角の視野で捉えれば視界は広がり跳ね返りは薄まって知らぬ間に流れる風景は入れ代わっていく。「処世術か?」

地球を丸ごと眺めれば、この小さな球に60数億の人間が居る。総人口の数が頭に過(よ)ぎるね。





鈴木さんも佐藤さんも田中さんも、そして自分も微生物のようになって判別できない。

現在では、地球の年齢はおよそ45億年ないし46億年と考えられているんだね。地球が生命の住める星である期間はあと17億5千万年らしい。

過ぎ去り往く年月も人間の寿命なんて、この規模で考えれば鼻糞に過ぎない。「今の総人口数と地球の寿命年数は似てるね?」 ホンマだね。





地球が誕生して今に至る年数を45~6億年と聞けば気が遠くなりそうだけど、この球に生息する人間はそれ以上に居ると思うと気持ち悪いね。「なんでやねん?」

気が遠くなりそうな数の人間が居る。一生、顔を会わすことない人が60億以上居るんだね。怖ろしいことだね。「なんでやねん?」

なのに人は、自分を取り巻く僅かな数の人の中で、それが全てと決め込むような、人生を左右するほどのことと捉えたりして生きている。





人は、望遠レンズでしか見ることの出来ない生きものなのかも知れないね。「僕は、世界中を飛び回って生きているぞ」 それがどないしてん?

「待てよ、僕は、超広角で世界を見ていると云ってるんだよ」 ご苦労さん。「コラッ、先端を生きていますねって驚くように云えよ」

世界中飛び回っても根性は望遠だね。「先端を生きてる僕を馬鹿にしているのか? 僕を誰だと思ってるっ?」 知らん。「〇大卒だよ」 





より多くの現実を取り込める環境、境遇に居る人は、それに応じて人間が大きく育たねば意味がない。で、なければ、ただの抜け出せない物知りでしかない。























最近、迷いから来るのかどうか気の滅入るときが多いね。知らぬ間に落ち込んでる自分が居るよ。「穴に嵌まったんじゃないか?」

気分転換に映画を用意しておこう。昨日(12日)の夜遅くツタヤへ自転車を走らせて借りに行ったよ。店の前まで来ると少し焦るね。

目当ての新作2本が棚に残ってた。ラッキー、サッサッと箱から抜き取り確保すると、なんかホッとするね。











『エクソダス 神と王』 『ワイルドカード』








今日は、前から観たいと思っていた潜水艦ものの2本を丹念に探したよ。有ったあ~、エド・ハリスの『ファントム開戦前夜』 こんな処に隠れていたのね。

題名を、あいうえお順に並べられてるから、観たい映画の題名を覚えていると探し出すのは容易だね。

「カタカナ地獄で苦しむのは自分のせいと解ったか?」 解ったよ。しかし、もう1本の 『K-19』は置いてないみたいだね。





「店員さんに聞けよ」 オレはね、なんか映画の題名を云うのが恥ずかしいんだよ。「なんでや? スケベな映画なら解るけど、K-19ならいいだろ?」

丹念に見て確かめて無いんだから無いんだよ。あとは数合わせだね、と云っても無いんだねえ~。オレの感性にマッチした映画がないよ。

『アンナ・カレーニナ』か、キーラ・ナイトレイだね、レイ・トルストイを観ておこうか。もう、限界がきてるね、しんどくなってくるんだよ。











『仮面の男』 『アンナ・カレーニナ』 『ファントム 開戦前夜』








粘りの限界、『仮面の男』なんでもええわ。「仮面の男、おまえのことか?」 どういう意味や? 「タイタニック」の主役だよ。

「名前を云えよ」 ややこしい名前の男だよ。これ、観たかなあ? なんか、昔に借りて観たようなあ~? あやしいね。スリルとサスペンスだね。

以上、5本を借りて帰って来たよ。映画に対する趣も昔とはコロッと変わったね。凄く利便性が高まっていいんだけど情緒感覚ってのかね、失せたね。





映画一本に対する期待感なんかが全然違ったね。実際に観るまでの想像力を駆り立てる興奮、観賞後の余韻なんてのは独特の味わいがあったよ。

パソコンで取り込みやりながらツタヤのパンフを読んでると、背中のテレビでDVDを借りに来る人々にインタビューする番組が流れてる。

店内を「何を借りられますか?」 「お仕事は?」なんて聞いて歩いてる。聞かれた人は素直に答えておられる。「仕事の帰りです」





僅かな時間のインタビューの問答で世の中の人々の人生を垣間見た感じがしたね。「自分のしたいことにウェイト置いて独身を続けています」って、40代の男性。

オレも、こう在るべきだった。声の吹替えの仕事をされて、その帰りに立ち寄ったと仰ってる。付き合う女性は、「仕事、仕事」と口を揃えて云うらしい。

母と子の二人暮らし、ピアスを飾った今時風の青年、「お母さんも愉しめるようなのを探してます」幼い頃に両親は離婚、父親の顔形はおぼろげな記憶。





十何年ぶりの再会を果たした折に、「あれもこれも云ってやろうって思ってたけれど、親父の話を聞くうち、その人の人生を考えると云えなかった」

自分の学校当時の運動会などでは、「ずっと影ながら見ていてくれたって、嬉しかったです」 目頭熱くなる思いがしたよ。

「俺の、この格好見て解んない?」 建築業に働く50代の男性、妻も子も外国で暮らしてる。フィリッピンの女性なんだね、子は7~8歳かな?





写真を見せながら 「あと10年は働いて仕送りして、俺もあちらへ行こうっと思ってる」 家を建てられたんですか? 「あちらは安いよ、70万円だよ」

リュックを背負って棚を見上げる男性に声をかける。「60ですよ、離婚して独り暮らし、警備員の仕事でなんとか生きていますよ」 

人それぞれが、自分の物語の中で生きているんだね。そんなことを改めて考えさせてくれる番組だったよ。





NHKか、淡々とした波長のなかでインパクトが効いていたよ。そこらに転がる日常の風景に哀愁が漂っていたね。

「おまえにインタビューしてきたら?」 今忙しいって知らん顔するか、気分によっては、聞かれないことまで赤裸々に止め処なく喋る。「アホやないか」

オレのサービス精神がさせるんだよ。「番組壊すね」 かも知れん。カットされたりして無駄な汗さ。「もっと、落ち着けよ」 恥かきもんさ。





















いつも来る業者さんがね、業務の報告した後、二人してオレの話を待ってんだよ。そうそううがれる話が在るもんじゃないんだけど、

なにかしら話し出すと芋づる式に話題が広がるね。二人して腹抱えて笑ってんの。そいで「いい話を聞かせて貰いました」なんて仰る。

中身の無いよな話なんだけど、ここだけは、お兄さん聞いときや、なんてポイントを指し示す。真面目に 「はい」って、聞いてくれるよ。





「おもろいおっさんやなあ」って、云い合って、次の仕事場へ向う気分も軽ろやかに「よし」って、やる気も起こる。そういうのは上手いんだぜ。





食卓に並ぶ料理には、贅沢なものから質素なものまで、いろいろとあるけれど、皆、それぞれに、それなりの味わいがある。

甘いものから辛いものまで濃いものから薄いものまで、美味いものから不味いものまで、それなりに味が存在する。

人の生活も、これに似て物語の中に味が存在する。料理は捨て置けば腐る。生活も戦いを放棄すれば断ち枯れる。





味わいが失せてゆく無味乾燥の生活ならば惰性を排して料理を作り直せばいいという手もあるけれどもう遅い。独身の味をみせたろか?

「第17捕虜収容所」みたいに捕虜になって一生を囲いの中で終るか、「大脱走」して自由を目指したものの失敗することもある。

諦めることなく、再度、「栄光への脱出」を試みて「脱走特急」で雲を霞と消えて往く? 「あまり、ええ雰囲気ではないね」 そうか?













『第17捕虜収容所』 『大脱走』 『栄光への脱出』 『脱走特急』







先週は、毎日のように大学帰りの彼女が顔を見せたよ。ちょっと気分的に萎えてるオレだからいい按配だよ。彼女と会うとなんか元気になれるんだね。

棺桶が近いよ。「もう入ってんのとちゃうか?」 なんちゅうことを云うんだよ。そうだね、首を指して、ここまで入ってるんだろうね。「ほな、全部やんか」

気苦労ばかりが増えるんだね。「気苦労がある間は、死なれへんねんで」 そうだね、そう云うね、「★★ちゃんは、98歳まで生きるわ」





98という端数が言葉に信憑性をもたらすね。長生き出来るなら、それは結構なことだけど我が身のことが我が身で処せるまででいい。

其れを大往生って云うんだよ。最近の彼女は人間的に幅ができたね、もう、安心だよ。自分をコントロールできる器になれば人をも制することが可能だよ。

彼女と付き合って9年になる。オレの後悔は、吾を忘れることなど有り得ないのに、想いに落ちてる自分に気付いて戸惑ったことだね。それから言葉を失った。





もっと、気楽に話して聞かせて聞いて、この娘(こ)の成長に微々たりとも役にたちたかったね。「馬鹿だね」 そんなの仕方がないよ。

オレも知らないうちだよ。気が付けば犯罪だよ。でも、オレは、そのお陰で知らぬことを多く学んだよ。「子供だからね」 そう、う~ん、まあいいか。

「今は?」 棺桶に入ってんだぜ、そこまで馬鹿ではないよ。みっちょれえ~、棺桶とともに大空を飛んでやるっ。「スズメもカラスもビックリッ」





オレの最期の戦いだよ。負けて終わってもいい、戦い続けて死んでやる。「自分の想いとは、真逆の道ばかりだね」 人生とは、そうしたものさ。





























カメレオンの独り言-1430 『悪魔の復活』

2015年06月13日 | 日記








 『酒鬼薔薇聖斗』  2015年6月13日








あの 『酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)』が18年目に帰って来たね。本名 東慎一郎(32歳)が手記『絶歌』を出版するって騒ぎになってる。

10万部を用意して、この騒ぎの煽りを受けた好奇心で瞬く間に完売するんじゃなかろうかね? 一冊1500円。

1500×10万部=1億5千万円、その10~20%=1500~3000万円を楽して現金収入になる。





「1997年6月28日。僕は、僕ではなくなった」 手記の帯には、そう記載された 『絶歌』は全294ページ。

「精神鑑定でも、関東医療少年院で受けたカウンセリングでも、ついに誰にも打ち明ける事ができず、20年以上もの間、心の金庫に仕舞い込んできた」

として事件前からの性的衝動を明かし、犯行に至るまでの自身の精神状況を振り返っているらしい。





当時14歳だった元少年Aは、1997年2~5月に同じ区内に住む児童5人を襲い、小4の女児と小6の男児を殺害、3人に重軽傷を負わせた。

小6の男児に至っては、人体切断、首を切り落とし両目をズタズタに切り裂き両耳から切り開いた口に「警察への挑戦状」を咥えさせて

自身が通う神戸市立友が丘中学正門前に置いたんだね。当時は大変な事件として大報道されたね。『酒鬼薔薇聖斗』の見出しばかりだった。





異常な性衝動を伴う猟奇殺人で、首を切り落とす時、首を弄ぶ時、正門に置いて眺めている時等、なんども射精し続けたという。














『神戸市立友が丘中学正門前』  










男児の口に咥えさせた「挑戦状」には 『さあゲームの始まりです 愚鈍な警察諸君 ボクを止めてみたまえ ボクは殺しが愉快でたまらない

人の死が見たくて見たくてしょうがない 汚い野菜共には死の制裁を 積年の大怨に流血の裁きを

SHOOLL[33] KILL 学校殺死の酒鬼薔薇』 と書かれていたんだね。






置いた首を眺めながら 「性的興奮は最高潮に達し、性器に何の刺激も与えてないのに、何回もイッてました」って、供述しているんだね。














『殺害された土師淳君(小学6年生11歳)』








この男の怖いのは、人を殺すこと破損させることに快楽を感じるところだね。憎いから、恨みがあるから、腹が立ったからなんて感情制御が叶わず

ではないんだね。11歳の小学生を殺す手段も念が入って凄まじい。腕が痺れるほどに首を絞めるが、それでも死なないから、押さえつけつつ靴紐を抜き取り、

馬乗りになって、これを首に巻きつけ後ろから前から締め上げ、それでも死なないから男児の顔や頭を踵で蹴ったり殴ったりとただただ殺すことに専念した。






1997年(平成3年)2月10日の夕方頃、神戸市須磨区の路上で小学生の女児2人がゴムのハンマーで殴られ、1人が重傷を負った。

同年3月16日昼、神戸市須磨区竜が台の公園で、付近にいた小学4年生の女児に手を洗える場所はないかとたずね、学校に案内させた後、

「お礼を言いたいのでこっちを向いて下さい」といい、振り返った女児を八角げんのう(金槌の一種)で殴りつけた。女児は脳挫傷で病院で死亡した。













『山下彩花ちゃん(小学4年生10歳)』








さらに、別の小学3年生の女児の腹部を刃渡り13センチの小刀で刺して2週間の怪我を負わせた。

ナイフの刃先は胃を貫通して背中の静脈の一歩手前まで達していた。仮に静脈まで達していたら、救命は不可能だったという。

ウィキペディア「神戸連続児童殺傷事件」に犯行の詳細が記されている。コピペして転記するのもおぞましいよ。













『土師淳君が殺された通称タンク山のケーブルテレビの施設』








殺人容疑などで逮捕された中3の少年(当時14歳)は、逮捕から8年後の2005年に関東医療少年院を退院して社会復帰している。

出所を前に順調に改善傾向にあったと云うんだけど、この男は、関東医療少年院で担当だった精神科の女医のカウンセリングを受けていて

女医に襲い掛かり暴行を働こうとしたんだね。性的衝動なんて云わなくても解るけど、これで改善傾向にあったのかね?






攻撃性に性衝動が結びついている状態で解放される。法務省は判決に倣って事務処理的に犯罪者を定められた年数、社会から隔離して時が来れば解放する。

社会復帰と云っても本人は自身を隠し続けて生きねばならない、些細な事故や事件に関連すると全てがあからさまに晒されるから

生きて往くのは楽ではないね。ある意味、永年執行猶予の刑と同じではある。そんな中で、生きて往くには「これしかない」の思いの出版らしい。






其の切羽詰った思いを、理解できなくはないけど、おまえに息子や娘を殺されたり傷つけられたりした人々、この所業を知る世間からすれば、この行為は、

世間を逆手にとって正義を小馬鹿にしたような挑戦にも受け取れるね。頭がそれなりに働く小賢しさを感じるよ。

8年間の医療少年院暮らし程度では、滅びることなく悪魔は健在で あの忌まわしい 『酒鬼薔薇聖斗』が復活したようにもとれるよ。













『酒鬼薔薇聖斗が、神戸新聞社に送りつけた犯行声明文』








世の中のゴミは正義では掃きとれぬ。はらせぬ恨みをはらし 許せぬ人でなしを消す いずれも人知れず 仕掛けて仕損じなし 人呼んで仕掛人。 

のさばる悪をなんとする 天の裁きは待ってはおれぬ この世の正義もあてにはならぬ 闇に裁いて仕置する 南無阿弥陀仏

実際、必殺仕掛け人や仕置き人ってのが要るよ。法律は、世の秩序を守って在るけれど、警察は、それを履行して活躍するけれど法の裁きが甘過ぎる。






悪人でも人権は、たしかに大事。大事、大事と重きが偏りすぎて、罪なき人々の人権は軽く危くなるばかり。秤の目盛りが狂ってんじゃないか?




























カメレオンの独り言-1429 『気分がいまいちの時は、茶漬けでさらさらと済ませておこ』

2015年06月11日 | 日記







 『マレフィセント』   2015年6月11日







今日(9日)は久ぶりに暇でハッピーだったよ。「不心得もの」 ずっと忙しかったからね、正直な感想だよ。

オレは、これでも仕事を溜めるのは嫌いだからね、忙しいときは、無駄なく捌いて、極力、明日に残さないんだよ。

昨日の残骸で今日をもたつくのが嫌なの。雨になりそうなこと云ってたけどパラパラ程度で、一日、曇り空でもったね。





昨晩は、時間が余ったので、ディズニー映画『マレフィセント』を観てみたんだけど、やっぱりディズニーは、お子様映画だね。

『眠れる森の美女』のリメイクなんだね、そのオーロラ姫を演じてるエル・ファニングって女優さんは、美女まではいかないね。

「おまえの好みでもの云うな」 オレの好みで云わなきゃ誰の好みでものを云う? そんなもん、人の好みなんか解るかいな。「そう云えばそうだね」





マレフィセントを演じる アンジェリーナ・ジョリー が主役だからオーロラ姫のトーンを下げたんかいな? 「映画の感想は?」

感想? 呪いで眠りこけるオーロラ姫は、ずっと寝ててもいいよ。「どういうことや?」 呪いをかけた者が呪いを解き放つんだけど

グラウンド一周して戻って来たような映画だね。時間を損したよ。躊躇わずに消去だね。こんな題材はアニメのほうがいいよ。





ジェイソン・スティサムの新作 『ワイルドカード』を借りておけば良かったよ。この人の映画は、スカッとするからね。

この休みにちょっと用事で出たついでにツタヤを覗いたんだけど、新作の棚に『ワイルドカード』が少し残ってた。

やったって、さっとDVDを抜き取って他を探したけど何もないんだね。一本だけかよ。また今度だねって元に戻して帰って来たの。




















10日

金に依存できて生きれたら楽だろうね? 「なんやねん、急にまた」 人間って、ふっと思う時ってあるだろ? 「う~ん、そういう時ってあるね」

「しかし、毎度、解ったような講釈たれてるおまえの台詞とは思えんね」 屁理屈に依存して生きてるより実質愉しいで。「そらそうじゃ」

なんでもかんでもコキオロシテ蹴飛ばしてるだけやないか。「気がついたか?」 しかし、金、金、金、金、金、金って念仏みたいに唱えても縁は繋がらん。





最近は、宝くじ買うのも馬鹿らしくなって、延々と買い続けていたジャンボもついに見送ったよ。「へえ~、おまえが見送った?」 そうだよ。

苦労もせずに入って来る金はロクなことがない。「解って買ってたんだろ?」 オレの場合は大丈夫って思ってたの。「一番危ないわ」

金は、額に汗して稼ぐものだよ。糞、糞、糞っ、矢尽き刀折れて、ついでに複雑骨折して腰抜けたよ。





「エラい打ちのめされて、どうしたの?」 敗軍の将、兵を語らずだよ。「どういうことや?」 あれやこれやと云い訳しないってことさ。

みっちょれええ~、「矢尽き刀折れて複雑骨折して腰腰抜けたんとちゃうんかえ?」 気のもんだよ。今度は、正攻法でいったるっ。

「今までは?」 ゲリラ戦法だった。 「口から出任せ戦法じゃなかったのか?」 それもあった。





過去は語らない、在るのは今と未来だよ。「なんか都合のええ台詞やね」 めそめそしてても始まらないんだよ。これ以上、湿気を増やしてどうする。

「気分的ダメージを受けたときぐらい静かにしてろ」 そんなのは、金にもたれて息抜ける奴等に任せとけ。オレは負けないっ。

「おまえって、ムチでしばかれるのが好きみたいだね」 もっとお~、もっとお~ってか? なるほど、不運な奴ってのはM系に見えるか?





















美しく妖しい女性が、艶かしい網タイツなどを身に着けて黒いハイヒール光らせて、オレをぶつんだよ。パチィ~ンッ、ほへえ~。パチィ~ンッ、くええ~。

もう、いいの? 「駄目よ、許さないわ」 パッチィ~ンッ、のほおえ~なんてね。しかし、オレも歳とともに魅力は落ちてきた。「よくいうよ」

S系の網タイツの女性もオレに飽いてくる頃だよ。そろそろ、他の奴にバトンタッチしてくれんかなあ? もう、苛められるのは、ホトホト飽いたよ。





しかし、こんな趣味の奴ってホンマにおるのかねえ? 映画や小説の世界だろ? 「なんでもモデルはあるんだよ」 じゃ、ホンマに居るのか?

「実際は、やり手にM系が多いんだよ」 金に満ててしばかれたい? じゃあ、オレがどついたろか? 「馬鹿か、妖しい女性にしばかれたいんだよ」

バリバリ仕事出来て金に恵まれてM系に憧れる? それならオレみたいなのはS系に憧れることになるのか? うっふふふふ、「おっさん、何考えとんねん?」





オレはね、ムチや、ロウソクや、カンチョウなんてのは趣味じゃないね。「よう、知っとおるやないか」 ネチネチとHなことして弄ぶのが好きやねえ~。

「その表現はカンチョウよりいやらしいわ、もっと具体的に云え」 馬鹿か? 此処まで堕ちてもいいんかいなと不安になっておるんだぞ。

「そんなもん、男どもは、皆、おんなじじゃ」 男どもは、皆、おんなじじゃって見たのか? 「見てないけど、男は、そんなアホな生きものだよ」





相手考えてやらんと人格疑われるんじゃないか? 「なあんのお~、おなごも、負けずに好きなんじゃよお~ホヘホヘホヘ」 急にエロ爺になるなっ。













『これ、おまえSM女じゃないよ、キャット・ウーマンじゃないか』 なんでもええ、間に合わせとけ。








そうかあ~そうだったのかあ。「なんか改めて納得してるね」 しかし、それは来世の愉しみにしておこう。「生まれ変わらないって云ってたぞ」

そんなの聞いたら生まれ変わらねばならないっ。「今からでも遅くはないぞ」 歳は喰ったわ、金は無いわ、ええとこないわじゃ駄目だね。

「政治家や財閥のおっさん連中の顔色がテカテカしてるのは、そんなので生気貰って若いのかも知れんよ」 互いが納得で嬉しいんなら罪はないよ。





今回のブログは、一番品がないね。「みたいだね」 しかし、新しいジャンルを開拓したね。「そんな、たいそうなもんか?」

オレはね、少しでも知ってることなら何でも書きたいの。オレの思いを融合させてオレなりの解釈で語りたいんだよ。

一つの事柄に対して、オレなら、こう思うよって、こうでなきゃあおかしいよ、なんて意見を話しに纏めるの。それが面白いんだね。



















話は変わるけどね、この休みにツタヤへ行ったときね、棚をぐるりと回って来て角を曲がったら突き当たりに真白髪のおっさんが立ってるんだよ。

鏡に映ったオレだよ、あれえって思ったね。こんなに白髪になっちゃてるのかよって、改めて吃驚したよ。

いつも家で顔を洗うときなんかに手洗いの前に行くんだけど、其処の大きな鏡に映ってるオレは、そんなに真白髪には見えないんだけどねえ。





これは、ショックだったね。無邪気に子供をやっておれないよ。正直、男で髪の毛染めてる奴は、軽薄って看板、顔に貼ってるように思うんだけど、

軽薄でも白痴でもいいからオレも染めようか? 「何色や?」 濃お~い焦げ茶なんかどうかね? 「ダークブラウンか?」 ああ、英語。

限りなく黒に近い焦げ茶だよ。「スコッチグレインか?」 ああ、また英語。エライい差をつけるね。染めたって解らないのが理想だよ。





どんなだろうかね? 取って引っ付けたみたいで奇妙な按配だろうね。「自然がいいぞ」 真白髪なら禿げたほうが格好いいかな?

息子が云うには、「おとんは、黒々してるより、やや白髪のほうが格好いいで」って、身内贔屓(びいき)で云ってくれるけどね。

まあ、外では鏡を見なけりゃ解らんことだけど、しかし、オレも歳を喰っちまったね。老兵は死なず、ただ、消え去るのみの時が近いね。





今日は、出たとこ任せだね。ふっと、嫌な思いに捉われて、ちょっと、気が滅入った。毎度、風船みたいに飛んでられないね。

気晴らしに外へ出て街灯に照らされて咲き乱れる紫陽花(あじさい)を見てたよ。

鮮やかな赤やら青やら白やらと綺麗なんだけど、なんか哀しいような切ないような翳りを伴う花だね。この花見てても元気は出ないね。



















こういう日は、ジェイソン・スティサムの映画を観たらスカッとすんのにね、借りときゃよかったなあ~。






























カメレオンの独り言-1428 『処世の構えとは程遠き現状をもたらす、もったいないという貧乏根性』

2015年06月10日 | 日記







 2015年6月10日







賃貸物件を探してる。安くて綺麗で駅から近いとこないかいな? 「あるかっ」 ホンマにないね。5万ぐらいなら出してもいいよ。「足るかっ」

家なんてのは、雨風が凌げて寝れればいいんだよ。「それは、究極絞っての話だろ?」 そうだよ、あとに何がある? ああ、トイレと風呂だね。

綺麗なのがいいね。温水器も有るほうがいい。3箇所給湯だよ。光ファイバー、ケーブルTV設備も要るね。これが無ければ糞だね。






「広さは?」 広いほうがいい。「理想は随分だね、出せる金と相談しろ」 5万だよ。4万でもいいよ。「おまえは、今の日本を生きてるか?」

生きてるよ、死んどったら要らんがな。「公団へ入れよ」 考えないことはないんだよ。5階建てのEVなしだから1階がいい。

騒音の迷惑及ぼすより受けてるほうが気が楽だからね。これが解らんのだよ、集合住宅に入る人は不思議と上階の方を好んで選ぶんだね。






忍び足の生活かよ、泥棒みたいじゃないか。我が家で泥棒して何がおもろいねん? ネズミ小僧はおらんのか? おったら沢山置いて行って 「おるかっ」

まあ、建物の外観、築後数年、耐震設計なんて拘ったら4~5万じゃないわな。「最低、1DKで10万は要るだろうね」 絶句。

「息止まったか?」 仕方が無い、妥協していくことによって活路を見出そうか。まず、建物の外観、築後数年、耐震設計なんてのは金持ちに任そ。






垢を削ぎ落としたように身軽になった思いだよ。「建物の外観、築後数年、耐震設計が垢かよ?」 絶対壊れない家に住んでいても地震が来た時に

雑居ビルの出入口不明ないかがわしい店で呑んでいて、停電するわ、趣味の悪いシャンデリアは落ちてくるわ、酔うてフラフラ、地震でフラフラ、

右も左も解らない。「きゃあ~火事ぃ~」 金切り声が響き渡るわ、ハイヒールで蹴られるわ、「おっさんっどけっ」 なんて信じられない豹変喰らうわ、






「君ぃ~」 「君ぃ~」 皆、知らん顔。そのうち黒煙噴き出すわで、煙に巻かれて壁に爪立てて死ぬ場合もある。「えらい細かな描写やね」























何も知らない奥さんは、着飾ってお買い物の帰り地下鉄止まって、「きゃあ~」 川底にヒビ入って底抜けたように水が雪崩れ込んできて絶体絶命。

息子は、おやじのBMWで 「どけえっ貧乏人ども」なんて彼女を脇に格好つけて高速道路をフルスピードで落ちた道路を飛んで行って絶体絶命。

娘は、好きな男のアパートでいちゃいちゃしててボロアパート崩壊して下敷き。そして家だけ無傷。「それは嫌味やろ」 無いとは云えないさ。






見かけの綺麗な家が建ち並んでいるねえ。もったいない。「なんでやねん?」 オレだったら、外観なんかに金かけない。極、普通の家なりでいい。

その代わり、家ん中に張りこむ。訪れる人の予想を裏切る綺麗なものにしたいね。外がボロだと大した金使わずとも映えるんだよ。

みんな、口揃えて家、家、家って云うけれど、この世に経たれと飽きないものはない。済んで一年もすりゃあ、文句が出て来るから不思議だよ。






あの時の感動は、何処へ行った? 横丁の新築に入居した家族のとこへ行ったのさ。「なんやねん、感動があちこちウロウロすんのか?」

まあ、他人(ひと)さんのことを語って字数を稼ぎ、我がごとのほうに戻ろうか。こうして改めて見ると、現実はシケてんなあ~。

しかしね、面白いもんだよ。賃貸住宅情報のサイト開けて片っ端から見ていくとね、ああっ、こんなのいいなあって思うのが紛れてるよ。






「どんなんや?」 もう築後50~60年、年期が入ってるねえ、阪神大震災も切り抜けて来たんだね。「どこやねん?」 ほん近くだよ。























「平屋の一戸建て?」 そうだよ、3Kだぜ、「台風で飛んでいくぞ」 馬鹿だね、本体があばらでも両隣が守ってくれるってのがあるの。

両隣が2階建てで強そうだから、すっぽり平屋で風を受けないよ。昔ながらのつつましい佇まいだねえ。

オレ独りなら、ここでいいよ。「なんぼや?」 一戸建てだからね、5万5千となってるよ。「いよいよ、煙草をやめねばならん時が来たね」






なるほど、まだ、其の手が残ってるなあ~、考えようで、これもゆとりだね。健康のために断つ、金が余る、幅が出来る。吸ってたお陰だね。

「おまえの発想は昔の貧乏学生だね」 人間はねえ、生きようと思えば、どうなとなるんだよ。貧乏で死ぬ奴の気が知れんよ。「嫌になるんだよ」

オレだって、とうの昔に嫌になってるよ。誰が好んで貧乏してる? 貧乏で夢までは失わないよ、いや、失いそうにはなるけどね。






貧乏なればこそ失ってはいかんのだよ。夢は支えてくれるものだからね。成るならぬの以前の問題だよ。いつか、いつかが手を引いてくれるんだよ。

「で、其処は光ファイバー設備はどうなってる? 設備・サービスの欄にインターネット対応になってるよ。「ひとつクリアしてるね」

毎月払っていくんだからね、安ければ安いに越したことはない。なにかしらお気に入りを組み込もうとするとね、其の僅かなことで後で泣く。






目がヘタヘタになるまで探したけど、結論として公団を申し込んで、安さと広さと頑丈さと見てくれの悪さを取って没個性で行くかあ。





















見た目は、同じ形の箱が並んで劣化して汚いけど、意外とね、中は綺麗なんだよ。完全リフォームして設備も整ってるとこなんか、オレ流だよ。

今、住んでるとこは、外観は、エライいいんだけど。中は、もう、経たってるからね、スタイルを逆にするようなもんだよ。広くなるよ。

まあ、前から云ってる第二段階作戦に取り掛かろうか。「どういうことや?」 其れは内緒。内緒の話はあのねのね~「喋っとおるやないか」






守らねばならん家宝があるわけじゃない、格好つけて知的に生活ぶる中身も無い、オレの大事なものちゅうたらパソコンとカメラ関係ぐらいじゃないの?

それから無理して探せば、最近富に増えた靴と何十年間着てる衣服ぐらいだよ。あとはガラクタばかりだよ。

ああ、そうだ、映画のDVDが嵩高くあるね。こんなん、もう一回観るんかねえ? 「おまえが溜めたんだろうが」 こんなの見直してたら寿命が尽きるよ。






DVDに焼かずにハードに録っとけばよかったよ。薄っぺらいDVDも数になると嵩高くなるもんだね。いざ、地震ってなっても絶対に持ち出さないよ。

パソコンは、ホンマに有り難いよ、なんでもかんでもハードに取り込んで嵩張らない。貧乏人の味方だね。立つ鳥あとを濁さずが容易だよ。

引越しとなっても2トン車一台で充分のゆとり、オレはこんなのが理想だね。「ガラクタは誰が溜めた?」 オレだよ、もったいないって意識は馬鹿だね。






ガラクタ引きずって途方に暮れるより身を軽くして気侭に生きる、そのほうが好きなんだけどね、なのに物は増えるばかり、貧乏根性の哀しさかね?























くたばるまでに、自分の思いを実現したいね。ハードの中に自分を溜めて、此の世をさらばの時には最後の力でクリックして全てを消去する。




























カメレオンの独り言-1427 『雲仙普賢岳 恐怖の火砕サージ pyroclastic surge』

2015年06月08日 | 日記







 『襲い来る火砕流』  2015年6月8日









5月29日午前、九州南海上屋久島付近の口永良部島の新岳が爆発的噴火したけど、その写真を観ていて昔の火砕流を思い出したね。

同じく、九州島原の雲仙普賢岳が大規模な人的被害をもたらしたのは1991年(平成3年)6月3日16時8分の大火砕流だね。

1990年(平成2年)11月17日に山頂付近の神社脇の二か所から噴煙が立ち上り噴火が始まったんだね。






しかし、12月には小康状態に入り道路の通行止めなども解除され、そのまま終息するかと思われたが、翌年2月12日に再噴火、

さらに4月3日、4月9日と噴火を拡大していった。5月15日には降り積もった火山灰などによる最初の土石流が発生、

さらに噴火口西側東西方向に延びて多数の亀裂が入りマグマの上昇が予想された。5月20日に地獄跡口から溶岩の噴出が確認されたんだね。






溶岩は粘性が高かったために流出せず火口周辺に溶岩ドームが形成され桃状に成長し、やがて自重によって4つに崩壊した。

溶岩ドーム下の噴火穴からは絶え間なく溶岩が供給され山頂から溶岩が垂れ下がる状態になった。新しく噴き上げるマグマにドームが押し出され

斜面に崩落することにより、破片が火山ガスとともに山体を時速70~100kmものスピードで流れ下る火砕流と呼ばれる現象を引き起こした。






ハワイ島のキラウエア火山の溶岩は、対照的に柔らかで火口から噴出して川のように流れ下るんだね。あれはあれでコワイけどね。













『九州島原 雲仙普賢岳の全景』









凄まじい勢いで走り下り猛煙が怒り狂うように辺りを包み込むんだね。これをメラピ型火砕流と呼ぶらしい。

この普賢岳の火砕流は、世界で初めて鮮明な映像として継続的に記録されたとある。折から梅雨時の豪雨も重なり

堆積した火山灰が流出する土石流も発生して、これらが流れ下るコースに当たる水無川沿いおよび島原市の千本木地区が大きな被害を受けた。






5月24日に最初の火砕流が発生して以降、頻繁に起こる小規模な火砕流の到達距離は、溶岩ドームから東方に約3kmに達していた。

火砕流の先端が民家から500mに迫った26日、水無川流域にある北上木場町、南上木場町等、五町に対して島原市から避難勧告が出された。

この状況を映像に捉え、世間に報道することの意義に燃えて報道各社は、普賢岳を真正面に捉えることが出来る北上木場町の県道を撮影ポイントとした。






この地は、溶岩ドームから4km離れており、さらに土石流が頻発していた水無川から200m離れた丘陵地となっていたんだね。

当時、報道各社は紙面にカラー写真を多用し始めており、普賢岳災害においても各社はカラー写真で競い合っていた。

5月28日に毎日新聞が火砕流の夜間撮影に成功すると競争は更に激しくなり、連日、10数台もの報道関係者の車両が並ぶ状況となった。






水無川沿いに土石流、火砕流が流れ落ちる勾配から、このポイントは、その脇に位置して小高い丘陵にもなっていることから安全と誤認したんだね。























いつしか、彼らにとって、この地を「正面」もしくは「定点」という呼び名が定着した。6月3日15時30分以降、小・中規模の火砕流が頻発し、

午後3時57分には最初の大規模な火砕流が発生した。この火砕流と火砕流から発生する火砕サージは報道陣が取材に当たっていた「正面」には

至らなかったものの、朝から降り続いた降雨に加えて火砕流から発生した火山灰が周囲を覆ったため、「正面」付近の視界は著しく悪化した。



















「正面」の撮影地に他局の者らと日本テレビ報道局の小林浩司(当時26)カメラマンと狐崎敦(同30)ビデオデレクターが居た。

「おぉ~こりゃあ大きいぞ」 狐崎「NIB1からNIB3 中継車さんどうぞ」狐崎「これはデカイぞ」狐崎「3時59分」狐崎「NIB3から中継車どうぞ」

他局記者「手前民家に迫る勢いの非常に大きな火砕流が発生しています」狐崎「噴火」本部「NIB1からNIB3号さん」狐崎「NIB3です」



















雨が降りしきる中、記者たちは中継に必死の様子。最期までカメラを回し続けた小林浩司カメラマンの焼け爛れたビデオの中のカセットは無事だった。

小林浩司は入社して2年目、必死に撮り続けた。狐崎敦はアフガンから帰って、其の足で普賢岳取材に赴いたんだね。

狐崎「今、凄い土石流です」 興奮したのか火砕流を土石流と称している。狐崎「今、凄い土石流です、今までで一番最大規模だと思われます」






狐崎「え~民家まで迫る勢いです、どうぞ」本部「了解」狐崎「今、回ってます」小林「レンズが濡れてるんです」狐崎「撮れ、撮れてるの?ちゃんと」

小林「はい、撮れてます」 黒煙が襲っている。狐崎「これ、来るよ、これ、火山灰こっちへ来るよ」狐崎「小林、ちょっと小林」 異臭が鼻をつく。

記者「4時6分になりました」記者「我々のところに到達した火山灰が周りを取り囲んでいます」






記者「非常に焦げ臭いような、土の匂いのような複雑な匂いが立ち込めています」「周りが霧がかかったような、茶色い霧がかかったような、そんな状態です」



















火砕サージとは、火山の噴火の際に発生する現象のひとつで、火砕流に似ているが火山ガスの比率が高いため密度が小さく高速で薙ぎ払うように流動する

現象をいう。流動中の火砕流の先端からガスがジェット状に噴出することがあるらしいね。当然、高熱で全てを焦がし尽くす。

爆風の如く襲い来るんだろうね。猛烈な熱風が瞬時に辺りの木々を焦がして煤化した粉塵とともに突き進んでくる。熱湯を浴びるような感触だろうかね?






「火砕流:高温の火山灰、軽石などがガスと一団となって猛スピードで移動する現象で、通過域では焼失などの破壊等壊滅的な被害が生じる。

速度は時速100kmを超える場合もあり、発生後に避難することは困難。

火砕流の先端や周辺は火山灰を含む高温・高速の気流(火砕サージ)で、火砕流本体よりも広範囲かつ猛スピードで移動する」と云われてるね。






小林「臭いわ、これ臭いわ」 ターンしたビデオにパトカーが映っている。警察「大変危険な状態になっています」

「大変危険な状態になっています、下のほうまで避難されてください」「大変危険な状態になっています、下のほうまで避難されてください」

午後4時7分 「現在、大変危険な状態になっております」記者「ちょっとじゃあ、リポート一発とりますので」本部「NIB1からNIB3号さん」






現場が、相当、混乱している様子。パトカーに擦れ違って待機中のタクシーが移動している。

狐崎「3です、どうぞ」本部「3号さん、感度いかがですか?」狐崎「マルチの4です、どうぞ」

午後4時8分、一回目を上回る大規模な火砕流が発生した。「なんの音っ? やばいなっ」






小林浩司カメラマンの焼け爛れたビデオの中のカセットの録画録音は、ここで切れている。














『島原市・北上木場地区の民家を飲み込み水無川下流へ迫る大火砕流』 島原市白谷町から6月3日午後4時10分撮影。










もうもうととぐろを巻くような、怒り噴き上げて盛り上がるような煙の化け物が猛り狂ったように山肌駆け下って襲って来た。

その大火砕流は、溶岩ドームから東方3.2kmの地点まで到達した。

そして、其の火砕サージは、更に溶岩ドームから4km先にある北上木場町の報道陣がいる「正面」を襲ったんだね。






報道関係者は不測の事態に備えて即座に逃げられるよう、チャーターしたタクシーや社用車を南に向けてエンジンをかけたまま道路右側に止めていたものの、

視界が悪かったこともありほとんど退避できなかった。不測の事態は、不測であって事態発生に於いて、其の状況を思い知らされるんだね。

一方、同地の農業研修所の消防団員は火砕流の轟音を土石流が発生したものと判断し、水無川を確認するため研修所から出たところを火砕サージに襲われ、






多くの団員はそのまま自力で避難勧告地域外へ脱出したものの、重度の熱傷と気道損傷を負ってしまった。この消防団員の方が、

粉塵に覆われ視界の悪い山道を、焼け爛れて皮が垂れた両腕を前方に差しだし「逃げろ~、逃げろ~」って降りてくる姿が映像に映っていたね。

お茶の間のテレビのこの報道シーンには衝撃を受けたよ。広島原爆被災者の姿がダブるような映像だった。






人というのは、このような時、我が身よりも他人(ひと)さんを案じて危険から守ろうとする純な思いが優先するもんなんだろうかね。













『火砕流の犠牲となる約1時間前に撮影、北上木場町の報道陣がいる「正面」ポイント』









「正面」で火砕サージを諸に受けた北上木場町の報道関係者は学生のアルバイトも含めて16名、

クラフト夫妻と案内役のアメリカ地質調査所のハリー・グリッケンら3名の火山学者、警戒にに当っていた消防団員12名、

報道関係者に傭車され独断で避難できなかったタクシー運転手4名、避難を呼び掛けに来た警察官2名、

市議会選挙ポスター掲示板を撤去作業中だった職員2名、農作業中の住民4名の合わせて43名の死者・行方不明者をだす大惨事となった。






このように火砕流による多数の犠牲者が発生したのは、その危険性について、当時、充分な認識が広まっていなかったことが背景にあるんだね。

5月24日に発生した最初の火砕流は衝撃的だったものの、当時の報道関係者の認識は「かなりの高温ではあるが、熱風(火砕サージ)を伴うものとは知らず、

車で逃げ切れるだろうと思っていた」「熱いと知っていたが焼け焦げるまでとは知らなかった」という程度だったんだね。






これは翌25日の気象庁臨時火山情報にて、火山学者や専門家が議論の末、「24日の崩落は小規模な火砕流」と発表したものの、

住民の混乱を恐れたため火砕流の危険性について具体的な言及が一切無かったんだね。本来の「地質学的に小規模」の意味が、

「人的被害を出さない程度の規模」と、報道関係者は受け取ったんだね。























5月26日には、水無川上流の砂防ダム工事関係者が火砕流により腕に火傷を負ったが、「火傷程度で済むならば長袖のシャツを着ておれば大丈夫」と

いう噂が流れるなど、危険性について情報が広まらなかった。さらに5月25日から6月2日までの火砕流の発生回数は小規模なものを含めて165回に達したが、

その中で比較的規模の大きな火砕流であっても全て水無川上流の砂防ダムでせき止められていた。






こうしたことから報道陣に火砕流に対する馴れが生じてしまい、避難勧告地域内ではあったものの溶岩ドームから4km離れた上、

小高い丘陵地であった「正面」への安心感も手伝って、この一帯への取材が過熱することになったらしいんだね。

オレが、いつも云ってるだろうが、自然をなめてはいかんのだよ。「よう云うてるな」 そうだろ。自然から見た人間なんて蟻と一緒だよ。






しかし、解(げ)せんのは、「古い台詞やねえ」 クラフト夫妻と案内役のアメリカ地質調査所のハリー・グリッケンら3名の火山学者が、

このような事態を予測できなかったってところだよ。当然、火砕流には、火砕サージが伴って、火砕流到達地点より先走ることを理解していたはずだよ。

報道関係者らと違って火山学者だからねえ、火砕サージの恐ろしさも認識してるはずなんだけどね? 














『火山学者モーリス・クラフト・カティア・クラフト夫妻』









フランスの著名な火山学者モーリス・クラフト、カティア・クラフト夫妻は、この20年間に調査と撮影のため、世界の120箇所の噴火中の火山をまわり

この時も西インド諸島の火山調査に訪れていたが、早めに切り上げて爆発兆候にある雲仙岳に赴くため5月に来日した。。

ヘリコプターの調達が不調に終わり、仕方なく「正面」地点よりも前の3km地点に陣取り火砕流を写真に収めようと構えていたらしい。






「正面」地点から3km先といえば、もう、火口に真近だよ、溶岩ドーム崩壊とともに焦げて無くなる位置になる。






普賢岳は、通常の火口からの噴流ではなく噴出した溶岩ドームが崩壊して火砕流が発生するんだね。考えられないけど読みを誤ったのかね?

クラフト夫妻は、1000度にもなる火口付近まで接近して多くの迫力ある火山映像を提供することで知られていたんだね。

雪山は死んだ山、火山は恋人と云うほど活火山に惚れ込む気の入れようの二人だったらしい。本望だろうね。






日本の火山学者も、この二人の研究や映像に恩恵を受けているから指図するようなことも云えず、学者グループは、報道陣の「正面」より、

なお、噴火口に近い、まるで、噴火口の真下まで接近して、カメラポジジョンを取っていたという。ほとんど自殺行為だね。























わざわざ他国の火山活動を調査に訪れてんだから、それらの認識を新たに構えていそうなもんだけど、この大火砕流は、彼らの予測を上回ったのかねえ?

察するところ、噴煙と降雨が重なって視界を奪われ火砕流の発生の予測が働かなかったために判断が遅れたのかも知れないね?

君子危うきに近寄らず、読みを利かせて難を逃れる手でいかんとエライ目に遇う。避難を呼びかけに向って巻き込まれた警察官2名が気の毒だね。






前線に行かずして生の報道あり得ずの精神の記者たちは戦死だね。この記者たちよりも後方に居ては役割果たせずで警戒に当った消防団員12名は

職務を全うして殉職した。この消防団員のほとんどが地元農家の跡取り息子だったことは、その後の農業復興に甚大な被害をもたらしたんだね。

雇車のタクシーで待つ運転手4名は、咄嗟に走り出せば車内に守られて逃げれたかも知れない。でも、仕事に忠実だったが故に機を逸したね。






この悲劇は、報道関係者の勇み足が、要らぬ犠牲者を増やした要因として糾弾され報道の有り方に猛省を促す警鐘となった。

市議会選挙ポスター掲示板を撤去作業中だった職員2名、農作業中の住民4名については、なんで、また、こんな非常時にと思ってしまうね。「アホ」

「上司が行けって云ったんだろ」「こげぇな時にぃ?」「仕事にこげん時あげぇな時ってねえっ撤去すろ」 その上司は、どんな気持ちになっただろかね?






ど田舎だろ? 一日、二日ズレても支障ないで。火砕流が頻発してんのに農作業って、退屈だったのかねえ? 田舎の人の考えは、よう解らんわ。























今から24年前の出来事だったね。先人の犠牲から学んで早々に避難した口永良部島の島民は、全員が無事脱出できて幸いだったね。














『大野木場小学校を襲う火砕流』 円形の部分、校内から子供が飛び出して逃げてくる。とある。









『町民が避難した小学校の脇を奔り下る火砕流』 凄い写真だね。









『火砕流の直撃を受けた様子だね』








『普賢岳火口付近の神社』








『島原城の後方に猛煙を上げる火砕流』









『この上下の写真は、被害の状況から火砕流の直撃は免れているが火砕サージの熱風を受けたようだね』











































仕上げを急いだので、写真の説明を取り込むのを忘れたよ。全て、写真は、雲仙普賢岳火砕流に関するものです。































カメレオンの独り言-1426 『遙か遠き夢の的を射るのは難しい』

2015年06月06日 | 日記







 2015年6月6日







阪神ロッテ戦、昨日と同じく悪夢を見るんかいなと最悪の展開になったけど、10回裏8対8のワンアウト、下位打線で満塁、

打順は一番に戻って鳥谷、デカイフライでいいんだよ。これ勝っておかんと嫌なムードを引きずることになる。

一方的試合で8点リード、今日は楽勝で昨日の悪夢を払拭できるって安心してたらワンイニングで8点返されて動転なんて信じられないよ。






「動転してんね?」 あっ間違った、同点だよ。ライトのエラーが全てだったね。続いてセカンドもエラーしよったから、

藤波の32イニング無失点記録も止まれば、絶好調の気も折れて、瞬く間に4点返されて降板、次の覇気のない投手がポカスカ打たれて同点だよ。

なんやねんと我が目を疑うよ。誰もエラーしたくてエラーする訳じゃないけど自分のエラーから相手の反撃が止まらない。






ライトの伊藤にとって、この長いイニングは辛かったろうね。なんでもないボールがワンバウンドで飛んできて処理したんだけど腰が逃げてんだね。

メンタルが崩壊して持たないって見たベンチが伊藤を変える。伊藤はベンチ裏で泣いてんだろうね。なんとしても勝ってやらねばいかん。

冴えわたった投球で次々と三振に斬ってとった6回までが嘘のよう。降板した藤波も信じられないような展開にベンチで呆然としてる。






満塁は不思議と点が入らない。ワンアウト、気負わずに大フライでいい、3塁走者がホームを踏めば勝てる、職人風の鳥谷が期待に応えてくれたよ。





















勝負の世界に生きる人々は、明日の我が身は華か糞かだね。厳しい練習で肉体も精神もとことん鍛え上げておかないともたないね。

今なら、メジャーにでも行こうかなんて自他共に認める選手になれば、糞を喰らっても明日の挽回を期待されて華で返せる。

下位打線辺りで入れ代わる選手たちは、糞の汚名が染みになる。人間を噛み締めて生きる人たちだね。






プロになる選手なんてのは、総じてその持てる技量は並外れたレベルなのに、其の世界には其の世界のレベルが存在する。

どんな世界にでも華となる才能を持ち合わせた人が居る。努力だけでは、到底、勝てない人たちだね。

でも、世は、そういう天性のもので輝く者も含めて、全て努力の結果と云うんだね。解らん振りしてんのかよ? ハッキリ見えておるではないか。






メジャーへ行けば8倍の年俸になるらしい。野球は個人プレーで成り立つスポーツじゃない。チームワークだ、団結だって熱噴いてんだろ。

華と輝き活躍する奴は、人間噛み締めて戦ってる人たちのお陰で名が売れる。努力と言い張るのは、その矛盾で選手が居なくなるのを防いでる。

「おまえって、単純に愉しむことができないのか?」 アンダラッ、人の好いのもエエ加減に目覚めろ。






8倍の年俸貰う奴はおまえじゃないんだよ。なのに世の馬鹿どもは、我がごとのように喜んでる。勇気を貰った、貰ったじゃなしに自分で育てろ。





















人間なんて、どれだけ時代が発展しても成長のないままだね。ローマ時代となんら変わらんよ。コロシアム(闘技場)で剣闘士の生死を懸けた

戦いに熱狂する民衆、主催者は、なんだらかんだらと褒美を宛がい戦わす。相手の首がコロこんだら拍手喝采、殺せば殺すほど人気は上がる。

野次やら怒声やらと投げまくり、果たして自分は何も出来ない奴ばかり。自分を戦う戦士に被せて悦ってんか? 






ほいで、汗まみれ、土まみれ、血まみれで勝ちよったら、勇気を貰ったなんて都合のええ解釈やのお。

弱い癖して闘志満々、必死に戦う剣闘士に向って野次やら怒声だけは一人前。剣闘士も戦う相手間違ってるよ、客席の卑怯者どもを叩っ斬れっ。

「なんやねん、滅茶苦茶やないか」 捌け口、ガス抜きなんだろうね。闘争心旺盛な人々の憂さ晴らしなんだろうね。






社会の秩序を守るための一つの手段でもある。其れを意図したローマ時代から、現代も、なにも変わっておらんよ。





















今日は忙しかったよ。昼下がり、片付けてしまいたい仕事を遣り出したら「いやあ、〇〇〇〇さん」って同業の社長さんが来られた。

うわ、かなわんな、なんて思いつつ、ああ、いらっしゃいなんて笑って迎えてる。

仕事の話を済ませてからが長い「いやあ、昨日の阪神ロッテ戦は、なんでんねん」 ワンイニングで8点は酷いでんな。






この方は、スポーツに目がない。休みは、出かけなかったら、一日、ゴルフや野球やサッカーやと追い掛け回して観てるって仰ってる。

だから、なんでもよくご存知で合わせるのが大変なんだね。こちとら不明は多いわ、耳も悪いから充分に聞き取れないわで、なお厳しい。

話のポイントを抑えた積もりで、二言三言、意見を云って笑わせて繋ぐんだけど、何とか的を得てるのかして顔を真っ赤にして喜ばれる。






なにか蓄積されたストレスをはかしたい、そんな思いになったら気晴らしに来られるんだろうね。

オレが、このブログで書かずともいいことを書いて恥かきまくるように、社長さんは、若い頃から今までの自分の人生の物語を話される。

自分の歩き来た道を改めて見直すように語られる。戻ろうにも戻れぬとこまで来ると、どのような道にしても不思議な愛着が湧くんでしょうね。






「そうですな、しかし、未だに此れでよかったのかなって思いますよ」 それは社長の若い血の仕業でっせ、なんて云ったら身体捻らせて笑ってる。

なんでもいい、くだらないと思っても身体捻らせて笑って気が晴れるなら、この時間は無意味じゃない。

2時間近くを話されて「いやあ、〇〇〇〇さん、此処へ来るのが愉しみでね、スッとしましたわ」 笑う顔を真っ赤にして席を立たれた。





















遅れた仕事は明日だね。社長さんと話してる間に覗き来る子達が途切れない。「★★ちゃん」って来た子に覚えがあったのか、

「あらま、今の子は、たしか、まだ幼かったですなあ」なんて吃驚されてる。「いやあ、こっちはそれだけ歳喰っておるんですなあ」 

長い道を引きずっていながらに転がり下るのは速い、坂を上がる子達は、未踏の長い道を前にして無邪気にスクスク大きくなるのが速い。






幸い、陽は長くなって外は昼間のように明るいよ。すぼんだ思いは夏場がいい。老けた思いを忘れさせてくれるね。「老けたように思うのか?」

社長さんを代弁してんだよ。「おまえは?」 無邪気そのものよ。「アホか?」 アホでもなんでもいい無邪気そのものよ。

人生を坂と思うな、人生は丸ん中だよ、上がりも下がりも繰り返す円周の中なんだよ。つまり、人は、何処を歩いていても変わらないんだよ。






「ハツカネズミか?」 おまえはオレの云わんとすることを茶化しておるのか? ハツカネズミの円周は回っておるではないか。進まんじゃないか。

「じゃあ、円の上に差し掛かれば進めんじゃないか」 何のために学校で雲梯(うんてい)にぶら下がった?

このときのためだよ、歯を食いしばってぶら下がって進むんだよ。「しんどいぞ」 苦労ってのは、そんなもんだよ。「喩えに無理があるね」




















夕食時、阪神ロッテ戦、若手が活躍して阪神が3対0で勝った。投手は岩貞だったかな? もう、一人は大賀なんて名の子だね。

活躍してお立ち台に並んで笑ってるよ。華が後押ししてくれるような選手に育てばいいね。「おまえも応援してるやないか」 誰もがそうなればいいんだよ。

人の不幸を笑うような腐った根性なんて持つな。人の幸せを我がごとのように喜べる人になれ。「じゃあ、年俸8倍を喜んで何が悪い?」






喜びの的の射りようが強欲な夢を被せて浅ましい。「おまえのとりようが浅ましいんじゃないか?」 そうかな? 微妙なとこだね。




























カメレオンの独り言-1425 『今日は話のネタ浮かばないから行き当たりばったりでこなす』

2015年06月04日 | 日記







 2015年6月4日







「いや~〇〇〇〇さん、帰ってきました」 おお、どうでしたか? 「いや~凄いですなあ、外国なんか初めてでっさかい圧倒されましたなあ」

わっははは、其れは良かったですなあ。「いやいや、完全なおのぼりさんですわ、あっちウロウロ、こっちウロウロ、さっぱり解りまへん」

景色の印象は? 「そらあ、綺麗っちゅうか、なんっちゅうか、外国でんな」 わっははは、そらあ、オーステラリアは外国でっせ。






真面目でおとなしくて少し気弱そうな御仁で、4~5日、奥さんと一緒に「〇〇〇〇さん、行ってきます」って、大きなスーツケース転がして

行かれたんだけど、もう、あれから5日経ったんだね。海に潜ったけど「あんまり、透けてまへんねん、何にも見えまへんねん」

ホテルで、ツアーの若者たちが、其れを聞いて綺麗な海のほうへ一緒に連れて行ったげたら良かったなあって、云ってくれたらしい。






「そんなん云うてくれても、おっさんから、お願いできまへんで」 それより、食事のオージービーフが美味かったらしいね。

手振りもオーバーに肉の厚みを説明されてる。「ほんなん、もう、こんなんでっせ、〇〇〇〇さんに見せてあげたいわ」 

お話し聞いてると景色に圧倒されて美味い食事に酔われて随分満足されたようだね。「それとね、あっちの人は、〇〇〇〇さんと一緒でっせ」






「誰も彼もニコニコされてねえ、垣根がおまへんねん」 廊下で会おうが、エレベーターで一緒になろうがニコニコ笑って気持ちよろしいでえ」

〇〇〇さんは、どうしまんねん? 「英語なんか解らんけど笑い返してまんねん」 いいですねえ。

「食事してる時、わしが、慌ててスプーン床へ落としましてん、ほなっ、隣りの席の人が、英語で何やら云ってスプーン差し出してくれまんねん」






「其れがなんでもない風にでっせ、嬉しいでんなあ、で、顔見合わせて笑ってくれまんねん」 善い人たちに恵まれましたね。























事細かに報告して頂いた。心の触れ合いの喜びで日豪親善に一役かわれたね。いいことだよ、言葉は通じずとも心は通い合うんだね。

オーストラリアか、遠いね、宇宙の果てって感じがするよ。煙草を取り出し一服吹かす、あっ。

「シャッチョウ、マタ、スッテルネ」 英語の先生のアメリカ人は目敏(めざと)いねえ。最近、あんまり見ないでしょ? 「ウ~ン」






「ソウイエバ、スクナイカナ?」 努力してんですよ。「ホント?」 青い目、横目にして疑ってるよ。話題を変えよ。

〇〇〇〇-さん、お母さん長く見ない(来ない)ね? 「オウ、オカアサン、トシネ」 なるほど、日本は遠いか。「カエッテアゲルヨ」 

「コンド、シャッチョウサンモイッショニイクカ?」 オレがあ? 「シャッチョウサン、ハツオン、グッドダカラネ」 一言じゃないか。






外で子供たちを相手してたら、「オウ、ミンナゲンキカネエ?」 なんて寄ってきて 「コレイエル? 〇〇〇〇〇」子供たちに英語を促してる。

なに云ったか忘れたけど、はにかむ子供たちに 〇〇〇〇〇って云ってあげろ。「オウ~、グッド、シャッチョウ、ハツオンイイネエ」 なんて

エライ真面目に褒めてたね。スティーブ・マックイーンふうに云ったのよ。「ホンマかよ?」 映画の雰囲気で云えばいいんだよ。






宇宙の果てのようなとこまで行かなくてもアメリカが会いに来てくれるよ。それも、わざわざ日本語で相手になってくれてありがとう。























自転車も、愈々、罰則のある交通法規の中に組み込まれて走り辛くなってきたね。信号遵守、歩道の徐行運転、余所見運転なんて取り締まりの

対象になってる。歩道と車道を上手く利用してブッ飛ばすなんてのは駄目なんかね?

切符切られたら強制講習を何千円も払って受けねばならない。すっぽかすと罰金が発生するんだね。






よく道で行き当たるよ、交通ルールなんて無視だね。吾さえ良ければ傍(はた)のことなど眼中にない。その人の生き様が垣間見えるよ。

他人(ひと)さんへの配慮なんて微塵も感じられない爺婆ってのが多い。情けないね。おっさん、自殺するつもりかよ? 

車が流れてる大通りを平然と渡ってる。ダンプのあんちゃんよ、「こらあっ、おんどれっ何処渡っとんじゃっ」って、一発かましたれ。






交通事故死が年間5000人弱に落ちてるらしい。其の中で、自転車の絡んだ事故が、矢鱈と増えているから余計なお世話で縛られる。

事故死は、爺婆が筆頭らしい、放っておけばいいんだよ。どのみちお迎えは近い、自由にさせてやれよ。「おまえなあ~人命軽視甚だしいぞ」

人の命まで管理するな。本人の納得の人生だよ。「あたしゃ赤でも渡る」 ドンッ 我(が)を通して死んだだけのことだよ。






歩くのもヨタヨタ、走るのもヨタヨタ、其のうしろ、徐行でヨロヨロ走るのかよ? ママゴト遊びでツタヤへ行ってんじゃねえんだよ。

「おまえって悪やね?」 皆さん、善い人って云ってくれるよ。「おまえの実体を知らんのだよ」 

人は天使と悪魔の顔を持ってるんだよ。日々、戦ってんだよ。オレはね、自分さえ良ければいいってのが嫌いだね。






こんなヨタヨタに限って歩道の真ん中行きよるんだよ。フラフラだから危なっかしくて追い抜けないんだよ。脇を行けよ、其れが配慮っての。

何故、お節介してまで人工を減らさない? 戦国時代の日本の人口は520万人程度だったんだよ。今は、1億2千万人、多すぎるよ。

「云ってる間におまえも其の中に入るんだぞ」 だから? 「守って貰えんぞ」 守って貰ったことなぞないっ、とは云えんね。





















人は、なにかしら知らぬ間に守って貰っているんだろうね。だから、今が在る。「そら見ろ、爺さん、婆さんも守ってやらねばいかんだろ」

可愛い人はね、守ってあげずとも遠慮も謙虚も知っている、そして自分の立居地も心得て居られるからバカをしない。

傍(はた)に迷惑及ぼしてまで守ってあげようとする爺婆ってのはね、厚かましいわ、憎たらしいわ、吾知らずやわの鼻持ちならん人たちだよ。






そんな連中に、わざわざ交通規則を教えなくても飛ばされて轢かれたら気がつくよ。「遅いがな」 遅くてもいいんだよ。

「そんな人たちばかりじゃないだろ?」 そらあそうだよ、歳忘れて無茶して飛ばされてから、自分が年寄りって気づくのもいる。「おまえみたいな奴やな」

若い奴等にしてもそうだよ。携帯見ながら交差点左右確認なしで素通りして飛ばされた、信号無視で轢かれたなんてのは自業自得だよ。






とんでもない常識外れが居るからね。こんなのを飛ばしたり轢いたりして警察のお世話になる人が気の毒だよ。我が家に帰れんじゃないか。

こんなので死んだ奴のことを迷惑の掛け捨てって云うんだろうね? 「旅は恥の掛き捨て、もじってんか?」

人生、爺婆と云われるまで生き通して世間に迷惑かけない行動ってのが理解できないなんて、もしやして考えることがなかったのか? アホか?






反社会的な人たちだったのか? 羊の皮を被った一匹狼の成れの果てか? 「おまえやないか」 バカモノッ、こんな恥知らずと一緒にするな。

オレは、中途半端な人間でも社会の規範は守る。一匹狼の名誉に関わるわ。謂わば良い子の一匹狼だよ。「なんやねん、格好悪う~」 なんでや?

「一匹狼って社会に牙剥いてでも孤高を守るってイメージだろうが?」 一般的なイメージに捉われて固まるな。オレはオレなりの一匹狼だよ。





















何の話をしておるのかねえ? 「自分で云うとるわ」 交差点素通りして車に当ってバッタリ 「死んだかな?」 行き当たりばったりな話しやね。 




























カメレオンの独り言