Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

梅花の季節~能「東北(とうぼく)」

2011-03-09 | 能楽

 3/6(日)は薄曇りの日だった。気温は低い。金沢能楽堂の隣は護国神社だが、その境内の2本の梅の木が開花を迎えていた。まだ固いつぼみもいっぱいあるが、ぽつッぽつッと開いている。右の写真、ボケている花に焦点を合わせたつもりが逆になってしまった。       

    

 能「東北」を観る前に梅の花に出合えたのはラッキーでした。

 京都東北院は、左京区浄土寺真如町にある天台宗の寺だそうだ。 かつて、藤原道長が創建した法成寺の東北に娘の上東門院・藤原彰子の住いとして建てられた。後に、彰子に仕えた和泉式部に与えものと伝えられているそうだ。
 
和泉式部が東北院に植えたと伝わる「軒端の梅」と呼ばれる白梅の老木が境内にあるそうで、その梅も今頃は見頃かも知れない。
 小さなお寺の片隅で、ひっそりと咲いている和泉式部ゆかりの白梅、一度見てみたいものだ。

 さて、能「東北」は、世阿弥作。 

 東国の僧(ワキ・苗加登久治)が都に来て、東北院の花盛りの梅を眺め、所の者(間・清水宗治)にいわれを聞くと、和泉式部の植えた梅で和泉式部と呼ばれていると答えます。そこへ一人の女(前シテ・福岡聡子)が現れ、それは和泉式部の植えた「軒端の梅」であり、いつもいつも目を離さず彼女が眺めていたものであると教えます。僧はあらためて香り高く咲く梅を眺め、和泉式部の雅なこころをたたえます。そうしていると、女は、私はこの花に住むもの、梅の主です、と言って、夕暮れのなかに紅に咲く花の蔭に消えてゆきます。(中入り)
 僧が花のもとで夜の読経をしていると、和泉式部(後シテ・福岡聡子)の姿が現れ、かつて上東門院に仕えていた時、「門(かど)の外(ほか)法(のり)の車の音きけば我も火宅をいでぬべきかな」と歌ったこと、今は火宅(迷いの多い現世)を出て成仏し、歌をよんだ功徳によって、歌舞の菩薩となって東北院に住んでいること、さらに、東北院の庭が仏の道に通じる清らかな美しさをたたえていることなどを語ります。そして、最後に、梅の花の雅やかな美しさをたたえ、極楽の花のうてなに帰ろうと言って消えたかと思うと、僧の夢はさめたのでした
。(ちらしの説明より)

 話の筋よりも、和歌を聞いたり、舞を楽しむ曲かと思う。舞はクセ舞と序の舞が入る。序の舞はとてもゆっくりとした長い舞で笛(矢郷由香子の方は息長く吹くのは大変だろうと思った。太鼓はなく、大皷野尻哲雄)、小鼓(河原清)だけ。シテの女性の方は声もよく透り聞きやすく、序の舞は美しく、梅の精・和泉式部であるかのようだ。
 この梅の季節に「東北」を観られたのは嬉しいことだった。高岡古城公園の梅園の見頃はまだだろうか。今週末に、水戸偕楽園の梅見物に出かけるのがいっそう楽しみなって来た。