毎年、富山大空襲の犠牲者を偲び8/1に「富山まつり」が開かれるが、その前夜祭として行われる「富山薪能」が、今年で34回を迎えた。入場無料なので、県民会館で開かれていた頃からずっと、日が合えば見に行くようにしている。
今年の演目は、「羽衣」。狂言は「樋(ひ)の酒」、他に舞囃子や仕舞、会員の素謡の発表がある。↓のポスターは、我が家の玄関にずっと貼ってあったもの。天女の舞姿である。
有名な三保の松原の「羽衣伝説」は、日本人にとってあまりにも有名。それを世阿弥が能にした曲です。8/24(日)に高岡瑞龍寺境内で行われる「高岡薪能」も、偶然にも能は「羽衣」なので、少し詳しく紹介します。
高岡市民でありながら、「瑞龍寺薪能」を一度も見たことがないと言う人がけっこう多い。今年は、私たち平米公民館組は素謡で「三笑」の地謡を受け持つが、急に出られなくなった友人のチケットを預かった。音訳ボランティア「あかね」でその話をすると、1度見てみたいと言う方が何人もおられ嬉しいことである。
駿河の国(静岡県)三保の松原に、白龍と言う漁夫がいた。ある春の1日、棹を肩げて釣に出てみると、浜辺の松に見慣れぬ美しい衣がかかっている。
囃子方が登場し、舞台正面右から、笛、小鼓、大皷、太鼓の順に並びます。右横には地謡方8名座ります。後見が作り物(松の立木)を運んで登場し、舞台中央に置きます。次に、畳んだ朱色の羽衣を持って出て松の枝に掛けるように置きます。松の緑と衣の赤が鮮やかです。
白龍は、衣を家の寶にしようと思い手に取り家に帰ろうとする。「その衣は私の物だ」と呼びとめる声がして、美しい乙女が現れる。「それは天人の羽衣で、人間に与えるものでないから返してほしい」と哀願する。天人の羽衣と聞いて白龍はいよいよ喜び、国の寶にするから返されぬと言う。
天女は、羽衣なくては天上に帰れないと、雲の流れ雁の渡る姿を見て泣き悲しむ。それを見て、白龍もいたわしく思い、「天人の舞を見せればこの衣を返す」と交換条件を出す。天女は喜んで承知し、返してもらった羽衣を身につけ、月世界の美しいさま、三保の松原の春景色を讃え、君が代の万歳を寿ぎながら舞いつづけ、次第に天空へ舞いあがって行く。
白龍は衣を松にかけて返します。天女はそれを手に取り、舞台の左奥で後見に着せてもらいます。これを「物着(ものぎ)」と言いますが、着終わるまで太鼓以外のお囃子が奏で続けます。衣を着終わると、トンと足拍子で合図をします。(「中入り」と言ってシテが楽屋で着替える能もあり、その場合は「間狂言」と「ワキ」で話が進みます)
天女と白龍のやりとりの中に、白龍が衣を返すとそのまま舞を舞わずに逃げるのではないか、と疑うのに対し、天女が「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」と答え、白龍も「あら恥ずかしや」と素直に衣を返す場面があり、能を格調高くしています。誰もが知っているあらすじなので、言葉もかなりハッキリと聞きとれると思います。
舞いは「序の舞」。盤渉(ばんしき)と小書きがついている場合は(富山の能も、高岡の能もついている)、序の舞の途中から型が変わり、「破の舞」も舞わずに最後の地謡になります。また、盤渉調では笛の調子が高いのです。これらのことは、私たちの謡の先生、山崎先生が詳しく教えてくださいます。盤渉調でない場合は、おシテさんの天女は気高さよりは愛らしさを強調、地謡と掛け合いで謡いながら乙女らしい舞を見せ、「破の舞」も舞い、サービス精神が旺盛な天女だと言われ、思わず笑いました。
「富山薪能」のおシテさんは、宝生流家元の宝生和英(かずふさ)師、いつもは若くきびきびした切れのある動きが美しい。が、この日の天女は、優しくも神々しく凛とした舞だった。面を伏せたり、首を傾げたりの所作が美しいと、友人たちは感想を言い合っていた。
シテ(天人):宝生和英 ワキ(白龍):殿田謙吉 ワキヅレ(漁夫):平木豊男、北島公之
後見:佐野由於、佐野玄宜
大皷:飯島六之佐 小鼓:住駒幸英 太鼓:麦谷暁夫 笛:片岡憲太郎
地謡:前田 晴啓 他
さすが、専門的に書いていますね。
参考にさせてください
「羽衣」の素晴らしいアップありがとう。
思い出します。きれいな舞いにうっとりしていました。
身軽な活動的なお家元という印象が強いのですが、こんかいののしっとりとした舞いはまた素晴らしかったですね!
山崎先生の話は、一寸聴けないような内容で面白いですね!お能には遊びのような部分もあるのですね!
お陰様で素晴らしいお能を見る事が出来ました。
高岡の薪能も楽しみです。
初めて、高岡で能「羽衣」を見る人のために頑張って書きました。事前に読んでおいてね、とメールをするつもりです。あらすじを知っていても、見どころがわからないと退屈するかな、と思って。山崎先生にもインタビューしました。山崎先生の話はネットに書いてあるのと一味違い、面白いのです。
謡の本には、省略されているシテ謡も地謡も書いてあるのですよ。もちろん、破の舞が入る部分も。世阿弥は入れて書いたのでしょうね。
でも、短くしたのはなんででしょうね。長い歴史の間に演出が変わって行ったのが面白いですね。片岡先生の笛はお稽古では普通の笛を使われるそうです。でも、本番は必ず、あのヒョロヒョロと言う音色の笛で…。舞うおシテさんは、自分で唱歌(しょが)を言いいながら舞うのだとか?
聞けば聞くほどお能は奥深いですね!
世阿弥などという人はどんな頭の持ち主かと思います。
今でいえば脚本家,なのかもしれませんが・・・・。
それを演じる方々も素晴らしいですね!
山崎先生も何事も御存じで・・・。
このブログを見て「薪能」に沢山の方が来られたらいいですね!
片岡先生のお笛は、知らない人間はやっとやっと吹かれている初心の方のかと思います。
あらすじを拝読し、返す返すも、姫さんから誘われていたのに、行けれないと断ったことが残念です。
お能の脚本(謡本)にときどき「小書き」と言うのが書いてあり、演出の違いがあるようです。
これは後世の人が考えたのでしょうか。世阿弥が最初からいくつかの演出を考えたのでしょうか。これもぜひ山崎先生に聞いてみなくてはね。高岡の薪能にたくさん来られるといいですね。時間など相談して一緒に見られたらいいですね。
高岡薪能(8/24)は、いかがですか。コレはチケット代が有料ですが。
富山はお家元がおシテさんだと言うので観たかったのですよ。最初、1か月以内に同じ曲と聞き、「なんで?」などと言ってましたが、見比べ鑑賞するのもいいかもしれません。
折角のお誘いですが、27日の法人役員会に27年度からの新制度への移行のための規約やら規則の改正案を出さなければならず、先日来、浅学菲才の脳味噌を恨みながら作成中ですので、行けれません。本当は観劇してリフレッシュするくらい余裕があればいいのですが・・・
皆様のブログを夜な夜な訪問しては生き抜きしてますが・・・
第一線でご活躍ですから、「ねばならないこと」がたくさんおありなのですね。ボケる暇もなくけっこうなことですよ。
では、次回は映画の紹介をしましょう。