謡蹟巡り~「安宅」、「実盛」を偲んで②~多太神社(謡曲奉納)
私が所属するお謡の会「蒼山会」(山崎健先生主宰)では、毎秋かならず謡蹟巡りの旅に出ます。日帰りと一泊旅行が一年おきです。よほどのことがない限り毎年参加しています。 今年は日帰りの......
👆は昨年の私のブログです。👆にも書いてあるように、今年の「蒼山会・謡蹟巡りの旅」は一泊旅行で鎌倉方面へ行く予定だった。が、新型コロナウイルス感染を避けて一時は中止が決まり、その後日帰りの旅に変更して実施された。行先は、「氷見・藤波神社」と富山県と石川県との県境近くにある「石動山」である。
「石動山」は今回で3度目だ。最初はやはり「蒼山会」から。が、金沢からの帰りに寄る予定が暗くなってしまい、しかも大型バスだったので麓から山上へ懐中電灯をつけて歩いた。ワイワイ言いながら。2度目は「義仲を巡る歴史の会(県民カレッジ)」からだった。
今回は神社で「コロナ収束祈願」の謡曲や仕舞を奉納するので、しっかりとお稽古を積んで来たのである。
👇 バスの中でいただいたパンフレットの表紙。「石川県中能登町 国指定史跡 能登石動山」とある。
👇 「石動山 散策マップ。石動山山頂大御前(564m)に本社跡があるらしい。
👆の地図の右の黒屋根の建物(復元された大宮坊)で連吟、独吟、仕舞、一調を奉納した。
👇 奉納額の縮小コピー。「コロナ収束祈願 奉納」とある。
まず、連吟で「絵馬」。次に、👇 独吟「駒の段」(小督より)。
👇 仕舞「羽衣 クセ」。
その後、仕舞「大江山」。
👇 最後に、仕舞・一調「藤」。
雨は止み明るいのだが、なにぶん暖房がないので寒い。この「大宮坊」は石動山の中心的な坊で、最盛期(中世)には360余の坊、江戸時代には58坊すべてを支配した別当寺として、高い格式と権威を有していたそうだ。焼き討ちに合うなど何度も焼失し、平成10年頃から発掘調査が始まり14年に復元完成した広い大きな建物である。
asaちゃんは一つ大きな仕事を終えたそうで、少し安堵のようすでした。子供たちのために用意していた家を売るのに一苦労されました。
高岡の私の友人にもそんな方が多いです。
貴方は早く息子さん達のおられる所へ移られてよかったのですよ。