
10/25(火)に京都「渉成園」を訪ね、11/6(日)に金沢で能「融」を観た。金沢の定例能は、11月は「楊貴妃」と「融(とおる)」と能が2番あった。「楊貴妃」についてはすでに書いたので、今日は「融」を紹介します。
河原の左大臣とも言われた源融(みなもとのとおる)は、嵯峨天皇の第12皇子、源の姓を賜って臣籍に下った。「源氏物語」の主人公、光源氏のモデルの一人とも言われている。
能「融」 作:世阿弥元清
《あらすじ》: 秋の名月の日。都に上った旅の僧(ワキ)が六条河原院まで来てみると、汐汲みの老人(前シテ)が現れます。六条河原で汐汲みとは、と意外に思う僧に、老人は、この河原院はかつて河原左大臣といわれた源融が、陸奥の塩竃の景色をそのまま都に移して作って住んだところだと謂れを語ります。折から中秋の名月が出てあたりを照らし、秋の夕景色が2人の眼前に広がります。(↓は、ネットから)
庭の景色を眺めつつ、僧と老人がなおも言葉を交わします。融は、毎日難波から潮を汲ませて、庭で塩を焼かせて一生の楽しみとしたが、後を継ぐ人もなく、この河原院は荒れ果ててしまった……。そう嘆く老人は、求めに応じて都の四方の山々の名所を教え、興に乗じて潮汲みの様子を見せた後、姿を消してしまいます。(中入り)
近くに住む者(間狂言)から、河原院と融の大臣(おとど)の物語を聞いた僧は、先ほどの老人が大臣の亡霊だったと思い当たり、眠りにつきます。夢の中に在りし日の姿で融の亡霊(後シテ)が現れ、月光に照らされながら華麗に舞い遊びます。融は、時を忘れたかのように月夜に興じていましたが、夜明けとともに、名残惜しい面影を残して、再び月の都へ戻って行きました。(↓は、ネットから)
シテ:渡邊茂人 ワキ:北島公之
間狂言:野村祐丞
大皷:野尻哲雄 小鼓:住駒充彦
太鼓:徳田宗久 笛:瀬賀尚義
地謡:前田繁 北村修吉 大澤永靖 田屋邦夫
高橋憲正 藪俊彦 寺田成秀 藪克徳
さて、↓は、「渉成園」内の印月池の中に建つ源融の供養塔。塔の上に鳥が止まっていた。何の鳥だろう?前の枝が邪魔だが位置を変える暇もなく…。
↓は、塩釜。縮遠亭(茶室)のある築山の麓にある井戸。今は水が枯れている。塩を作る塩釜と、それを屋根で覆う塩屋に似ているので「塩釜」と呼ばれる。
↓は、塩釜の手水鉢(ちょうずばち)。これも縮遠亭の傍に何気なく置かれ、気づかぬほど。鎌倉時代の制作と言うから、やはり融の時代から程遠い。
と言うことは、融の時代を偲ばせる物が残っているがそれその物ではない。
ただ、「渉成園」を訪ねた後すぐに観た能「融」は、格別感慨深いものがあった。旅の僧(ワキ)が、「楊貴妃」の勅使(ワキ)の重々しさとはまったく違う。僧は、六条河原院で融(シテ)の亡霊と共に月を愛で、僧が眠ると夢に融が現れ京の風景を語る。僧は案内役で控えめだが大切な役。
そして融の亡霊は「中将」の面をつけ若々しく優雅である。「早舞」のお囃子も舞も、乗りに乗って聞き惚れ見惚れているうちにあっと言う間に終わりため息が出るほどだった。
ところで、この金沢定例能鑑賞は、なはさんと二人、JRで出かけた。車内でブログの話が出て、お孫さんのお世話でそろそろブログをオープンすると仰っていたが、その後すぐに公開されたのでビックリ。下に紹介します。
ブログ名は「きまぐれ草紙」。ぜひ一度覗いてみてください。↓は、URLです。
http://miwakawa78.at.webry.info/
どこで、どう重なるのか、言われが後から付いたものなのか、・・
それが、現代まで伝えつがれている、・・
あってほしいとの願いか。
いずれにしても、そてがあるから物語が出来るということも・・
でしょうね。私は前半を諦めて素通りし、奥へ直行しました。せめて…と思って。
清涼寺や大覚寺、平等院など融に係わる建物がたくさん残っているようですね。
実在の人物だから謂れがいっぱいついて回るのでしょうか?そのあたりがまた面白いです。
お能の「融」を彷彿とします。汐汲みの老人も融の大臣も写真に撮りたくても撮れなかったのですが、これを見せてもらって満足です。
渉成園を思い出し、融のお能をまざまざと思い起こします。優雅な舞も、こういうお庭や塩釜など作らせた生活の中から生まれたものとして、世阿弥元清が創作されたのですかしら。
お庭とお能をこうして繋いで下さると、一層印象深く、忘れられないものになりました。
最初、「融」の塩釜の話を聞いた時、貴族の風流な遊びとだけ思いました。
でも、天皇家に生まれながら臣籍に下された鬱積から?などと推測すると、新たな興味も湧きますね。
先日は朝からごめんなさいね・・・また顔見に行きますね。
能は・・・ごめんなさい。さっぱりで
先日は、たくさんジャガイモをいただきほんとにありがとう。
ようこ姫さんにはまだ会っていませんが、今日、手術をして松葉づえ生活の友人にお裾分けしましたよ。
買い物にも行けなくて大変そう。車も運転できないそうです…。
古城公園本丸広場も発掘していますね。
昔の物が出てきたり、昔の様子を模して復元したり、当時を知るのは面白いと思うのです。
詩吟も歌われている場所を訪ねる企画もあるそうです。様子がよくわかるでしょうね。
そうですね。親類に詩吟をやっている人がおられ、春日山など訪ねる旅を計画中とか言っておられました。
中国など、面白いでしょうね。
融の大臣は、やはり何かあったと、思います。男性(光る源氏)の我儘、奔放、独善を暴いたなど言えばそうとも言えますし、女性の哀れを描いたと言えば、そうも言えるでしょうし。
「求めても求めても、埋まらぬ洞窟を(幼い頃母を亡くし、真に抱きしめてくれる人に巡り会えなかった)抱えていた。とも思います。だから、源氏は正義とは言いませんが。
融の大臣は「塩釜」の景色をよほど愛していた、贅沢が出来る身分であった。
時に思うのですが、「源氏物語」や「枕草子」の時代の庶民は、どんなだったろうか!と。
背景を知り、現場を見、お能を見るとより深く心に響きますね。
ご自分で塩釜、手水鉢、供養塔など探されたんですが?見所一杯のお庭ですね。