Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

メルヘンおやべの「大歳の市」 & 金沢「慈善能」

2012-12-18 | 能楽

 12/16(日)は、蒼山会の総会と忘年会。例年通り、その前に金沢へ「慈善能」を見に行くことになっていた。もちろんこれは希望者だけ。時間があればできるだけ観に行くようにしている。車に便乗させてもらえるのもありがたい。
 今年は、SIさんの車にSUさんと私が乗せてもらうことになり、道の駅「メルヘンおやべ」に集合となった。折しも、道の駅は「大歳の市」で賑わっていた。小矢部市民のSIさんは、すでに朝一番で野菜をたっぷり買ったそうだ。早めに着いたSUさんが、「面白い人気のお餅を売ってるよ」と、私にも買ってくださった。↓の「昆布餅」がそれである。はとやさんの品、100円です。笹ずしも買って、能楽堂のロビーのベンチで食べた。いろいろな刻み昆布を混ぜて、おにぎりのように外側につけてある。がぶりと食べると中はお餅。この食感が何とも言えず美味しい。味もよく、人気商品だそうだ。ぜひお試しください。
   

  笹ずしは、さけ、さば、茗荷の3種類。芝寿しと違い素朴な味で、具がたっぷり。家用にかぶら寿司も買った。藪波のかぶら寿司で、私の好みにぴったり。  

 

 ↓は、SIさんのいとこの方。各種お餅を売っておられた。

 野菜も安い。写真はないが、(有)耕(たがやす)さんの豆腐も人気らしい。新鮮な豆乳を買った。      

 さて、この日は、能が2番で「夜討曽我」と「殺生石」。他に狂言「二人大名」、舞囃子「養老」と「葛城」、仕舞が10番、連吟「枕慈童」など。

 ここでは、「夜討曽我」を紹介します。今年は、「小袖曽我」や「禅師曽我」と、曽我兄弟の話に縁があった、この二つは仇討の前と後の話。「夜討曽我」は、富士の裾野の巻狩での仇討そのものの場面を描く。

 シテ(五郎時致(ときむね)):渡邊茂人
 十郎:藪俊彦  鬼王:佐野弘宜  団三:佐野玄宜  
 五郎丸:藪克徳  古屋:高橋憲正  立衆:高野秀幸、島村天
 間狂言:野村祐丞、荒井亮吉
 大皷:飯島六之佐  小鼓:住駒俊介  笛:片岡憲太郎

 《あらすじ》 (前場):曽我十郎(ツレ)五郎(シテ)兄弟と、家来の鬼王、団三郎兄弟の四人は、頼朝の富士の裾野での巻狩に参加し、機を窺って父の敵の工藤祐経(すけつね)を討とうと、相談します。しかし、このことを母に告げていないので、鬼王・団三郎に形見を持たせて故郷に帰そうとします。二人は主君と最期を共にしたいと言い張りますが、母への使者は二人しかいないと説得され、泣く泣く故郷に帰っていきます。(↓の写真はネットから。最初の場面)        
 中入り):曽我兄弟が祐経の寝間に討ち入って来たので、吉備津宮の神主である大藤内は命からがら逃げ出して来ます。後から追って来た狩場の男に呼び止められて、夜討の様を物語り、刀と帯だけを持って逃げ出して来たと言います。男は、大藤内の背中が斬られている、とか、曽我兄弟が追って来るに違いない、などと言って逃げていくので大藤内も後を追って逃げて行きます。

 (後場):兄弟は首尾よく敵を討ち果たしますが、狼藉者とみて捕らえようとする軍勢のために散り散りになります。既に兄十郎は討たれたとみえ、五郎の呼ぶ声にも応答がありません。五郎は一人で奮戦して、一歩も引きませんが、薄衣を被った御所五郎丸を女と思い、油断をしたところを大勢に取り囲まれ、遂に縄打たれてしまいます。    

 と言うあらすじだが、実のところわからない事だらけだった。事前に山崎先生にあらあらの話をお聞きし、グーグルで調べてもいたのだが、なにぶん、本を持っていないのが不覚だった。また、全員が直面(ひためん)なので、面をつけたシテが後場で登場するのかと思ったり、シテの茂人さんが違って見えたこと、十郎が弟を呼ぶ時「五郎」と呼ばす、時致(ときむね)と呼んでいたこと…、でも確かシテは五郎のはずだし…などなど前場はアヤフヤで観ていた。だが、鬼王、団三郎兄弟を若い佐野兄弟が演じられ、形見を預かり泣く泣く別れるシーンはジーンと来るものがあった。

 中入りは、上に書いたのと違うかもしれない。間狂言が二人で、そこだけ狂言として独立しているかのように、二人のやりとりが面白い。仇討ちがすんだことが話され、二人とも逃げていく。

 いよいよ、勇壮な後場である。まず、頼朝の軍勢が登場する(大勢だがここでは4人)。そこへ、早笛とともに松明をかかげ、刀を抜いた五郎が登場し、斬り合いになる(地謡側の席だったので、この場面がよく見えなかった)。最後に、御所五郎丸に羽交い締めにされ、組み打ちになる。いろいろな演出があるそうだが、藪克徳さんの「飛び安座」(足を組んで飛び上がって空中で安座の構えになって着地する)の型や空転の演技が披露された。内村選手みたいで拍手をしたい気持ち。
 そして五郎は捕えられ、頼朝のもとへ引かれて行き、「引っ立ててこそ めでたけれ」 で終わるのである。権力者頼朝から見てめでたいことである、と言うわけだ。

 前場、後場を通してドラマティックで面白い能だった。舞いがないのも珍しいのではないか。