チャンネル桜・瓦版:世論(多数意見)の真逆(少数意見)がほとんど正しい・西村浩一ブログ

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チャンネル桜・新創刊『言志』店頭発売、これからの日本をどうしたいのか?:『制度』は、いつかは、崩れる

2014-09-20 09:03:25 | 近代・自我・技術・合理・理性主義を疑う

 ◇、「近代化。」という名の『制度』の見直し

 『制度』というものを、とかく恒久的なものと、思い込みがちです。 だが、ローマ帝国のような、大帝国でも、いつかは、滅びるように、国家でも社会の仕組みであれ、いつかは崩されて、新しい『制度』にとって代わられるものなのです。

 私たちが、今日住んでいる国や社会の『制度』とは、何か?  一口に行って、それは、民主主義をベースに『合理』主義と『技術』主義とを、「2本柱。」として構築されている『制度』であると言えます。

 今日の制度を「現代化。」と言わず、「近代化。」と言っているのは、近代以前の社会(たとえば、『中世』の社会)との対比で、「近代化。」と言っているわけです。

 そして、今日の問題は、この極めてイキの長い(歴史的にいって、ルネッサンス、宗教改革頃から徐々に培われ、フランス革命、産業革命によって、一気に表面化されてから、かれこれ、400年―たかだか)「近代化。」という名の制度を改めて見直し、考え直すことであります。

つまり、「現代化。」とすることですが、革命のようにラディカルな、表面的な力でなく、人々の良識と知恵と反省によって、徐々に「マイルドな形。」で実現して行くことです。

 


宣戦布告!朝日新聞と戦後レジームの解体に向けて:沖縄知事選

2014-09-20 06:55:43 | 沖縄

 本年11月16日に実施される沖縄県知事選挙で、那覇市長の翁長雄志氏が当選することがあれば、沖縄の危機は一気に高まることになろう。

 翁長市長は習近平中国国家主席と懇意なあいだがらであるばかりか、福建省福州しの「名誉市民。」でもある。既に翁長市制の下、那覇市内旧中国『帰化人』租界久米村(現在、久米地区)には、私有地を『無料』で提供して孔子廟を竣工させています。

さらに今年(26年)の年末には、中国(属領)の象徴である一対の龍柱を那覇市の税金1億7000万円をかけて建設する予定である。

 では、わが国はこの脅威にどう対処すればいいのか?  スパイ防止法のない現状で、沖縄をけん制する唯一の手段は、資金使途自由な「一括交付金。」826億円(対前年比2.8%増)を停止し、沖縄県に配分される補助金への会計検査を徹底することである。

 

 


朝日廃刊が、日本を『救う』:ほのぼの、おっとりは、『すれっからし』の感情

2014-09-20 06:14:17 | 日本文化

 ハワイのホノルルあたりのABC(代表的なコンビニ)には、日本のマンガをおいてある店もあります。 夜の9時か10時ごろ、そういう店に行くと、アメリカの小学校高学年から中学生ぐらいの男の子たちが、日本から輸入したマンガのコーナーにむらがっています。

 そして、眼を『ランラン』とかがやかせながら、おさな顔に、巨乳の美少女達があられもない姿をして、飛んだり跳ねたりしているマンガを、一心不乱に読みふけっているのです。

 もちろん、いわゆる『一八』禁の成人向け指定マンガは、そんなところにはおいていないから、内容は、他愛のないものであります。

 でも、カンザスとかワイオミングとかに住んでいる子供たちだと、近所の本屋にたとえ英訳版でも、日本のマンガがおいてあるということは、ほとんどないのでありましょう。

 それより何より、彼らは家に『帰れ』ば、親のクルマに乗らずに、子どもだけで、夜の街を遊び歩くなんて、経験でき『ない」はずであります。

 だから、ハワイのバケーションで、親の監視の目が届かないところに、友達同士で来られた彼らは、ここを『先途』と日本製のマンガに読みふけるわけであります。

彼らを見ていて、『かわいそう』になるのは、中学生ぐらいで、やっと日本の漫画の『性』表現、『暴力』表現の過激さに出会った子どもたちは、おそらく『高校』卒業ぐらいまでは「日本マンガの『それ』以外の要素には、眼を向けないだろうな。」って、ことであります。

 厳重なコミックス・『コード』で縛られて、面白くないアメコミ(アメリカン・コミック)に慣れ切った眼には、日本マンガの性や暴力に関する表現の野放図さは、あまりにも、けばけばしく輝いているのであります。

 だから、ほかのジャンルのマンガは、全部その陰に隠れてしまいそうであります。 もう少し、具体的に言えば、彼らが、『うる星やつら』の魅力は、ラムちゃんが、トラの皮のビキニで、どこにでも出没することだけではないと悟るのは、おそらく『大学』生ぐらいになってからでありましょう。

  当然、アメリカの男の子たちは、「日本漫画。」の超『ベスト』セラーは、一般的に、けばけばしい性や暴力の氾濫するストーリーではなく、「『おっとりのほほん』とした主人公たちが、かもし出す、『しみじみほのぼの』とした『情感』を描いたマンガだ。」なんてことは、想像もつか『ない』でありましょう。

 


朝日廃刊を目指す:日本文明特有の『見立て』という、融通無碍な「発想力。」の本質

2014-09-20 06:07:24 | 日本文明

 「あはれ。」を題材にした、デュアル・スタンダードの話ですが、デュアルという概念は、「日本には、神と仏がいる。」ということを説明する上でも、有用な議論だと思います。

  神と仏、あるいは、縄文と弥生、それから野性的な「荒ぶる魂。」と和(やわ)らぐ、『和魂』(にぎみたま)のように、2つの概念が、「デュアル。」に、存在していることを、伝えないと、日本文明は、伝わらない。

  『神道とは、何か?』で、仏教と神道の違いを、「神は、在るもの、仏は、成るもの。 神は、来るもの、仏は、往くもの。 神は、立つもの、仏は、座るもの。」という標語で、表現してみました。

  そのように、原理的に異なる、神と仏が、なぜ、本地垂迹・神仏習合のように、『合体』していくことが、できるのかを、考えていくことによって、繋がりえないと思われるものを、メタフォリカル(暗喩的)、かつ詩的に、結びつけてしまう、日本文化特有の『見立て』という、「融通無碍な、発想力の本質。」が、見えてくるような気がします。

  なぜ、そのような「見立て」が、可能かといえば、やはり、日本の自然の『多様』さが、絶対的な要件でしょう。

 日本は、四季移ろいもあり、東西南北に幅広く、少し走れば、すぐ、山から海まで、到達でき、太平洋プレートをはじめ、4つのプレートが、ぶつかり合う、「プレートの十字路。」でもあります。

  まさに、「フラジャイル(こわれやすい)な、日本列島。」です。 さらにいえば、火山や台風や地震などによって、数十年単位で、大『変動』が、起こりうる。 

 千年かかって、滅びた楼蘭のような、長期変動型ではありません。

  だからこそ、日本では「やってくるもの。」を、短期的に、かつ敏速に『察知』する感覚を、研ぎ澄まさなければならなかった。

 「やってくるもの。」と「受けるもの。」との、鍵と鍵穴を、つねに、持つと同時に、さらにその鍵と鍵穴の間に、受け入れのための、ある種の『間』を構えておく。

  こういう、インターフェース(接点)を、文化や生活のなかに築いてきた。 しかも、「やってくるもの。」と「待つもの。」、あるいは「陰と陽。」という関係が、つねに、きわめて動的に意識されていました。