チャンネル桜・瓦版:世論(多数意見)の真逆(少数意見)がほとんど正しい・西村浩一ブログ

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朝日廃刊を目指す:日本文明特有の『見立て』という、融通無碍な「発想力。」の本質

2014-09-20 06:07:24 | 日本文明

 「あはれ。」を題材にした、デュアル・スタンダードの話ですが、デュアルという概念は、「日本には、神と仏がいる。」ということを説明する上でも、有用な議論だと思います。

  神と仏、あるいは、縄文と弥生、それから野性的な「荒ぶる魂。」と和(やわ)らぐ、『和魂』(にぎみたま)のように、2つの概念が、「デュアル。」に、存在していることを、伝えないと、日本文明は、伝わらない。

  『神道とは、何か?』で、仏教と神道の違いを、「神は、在るもの、仏は、成るもの。 神は、来るもの、仏は、往くもの。 神は、立つもの、仏は、座るもの。」という標語で、表現してみました。

  そのように、原理的に異なる、神と仏が、なぜ、本地垂迹・神仏習合のように、『合体』していくことが、できるのかを、考えていくことによって、繋がりえないと思われるものを、メタフォリカル(暗喩的)、かつ詩的に、結びつけてしまう、日本文化特有の『見立て』という、「融通無碍な、発想力の本質。」が、見えてくるような気がします。

  なぜ、そのような「見立て」が、可能かといえば、やはり、日本の自然の『多様』さが、絶対的な要件でしょう。

 日本は、四季移ろいもあり、東西南北に幅広く、少し走れば、すぐ、山から海まで、到達でき、太平洋プレートをはじめ、4つのプレートが、ぶつかり合う、「プレートの十字路。」でもあります。

  まさに、「フラジャイル(こわれやすい)な、日本列島。」です。 さらにいえば、火山や台風や地震などによって、数十年単位で、大『変動』が、起こりうる。 

 千年かかって、滅びた楼蘭のような、長期変動型ではありません。

  だからこそ、日本では「やってくるもの。」を、短期的に、かつ敏速に『察知』する感覚を、研ぎ澄まさなければならなかった。

 「やってくるもの。」と「受けるもの。」との、鍵と鍵穴を、つねに、持つと同時に、さらにその鍵と鍵穴の間に、受け入れのための、ある種の『間』を構えておく。

  こういう、インターフェース(接点)を、文化や生活のなかに築いてきた。 しかも、「やってくるもの。」と「待つもの。」、あるいは「陰と陽。」という関係が、つねに、きわめて動的に意識されていました。

 


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