とくにイギリスはいま、地獄の一丁目にいるのです。 財政赤字は危機的レベルで、対外『債務』10兆ドル(GDPの『4年』分)、金融機関に政府が提出した金額は、1兆4000億ポンド(=198兆円=イギリスのGDPと等しい)にものぼっています。
リーマン・ショック以降、格付け機関は、英国債の格下げを警告していました。 しかも、英国債は、ほとんど海外投資家が保有しているため、市場の信認をなくせば、あっという間に売り浴びせられ、ギリシャの二の舞となることは、避けられません。
まあ、国家が破たん状態だとしても、民度(倫理観)が高く、「武士は、食わねど、高楊枝…。」ということもあります。
日本は、「エコノミック・アニマル。」といわれたように、なりふり構わず、やってきた時期もありました。
2012年2月の若年者失業率は、スペイン51%、イタリア32%、スウェーデン24%、イギリス22%であります。 (日本は、9%)
「経済が、良ければ、良いではないか…。」というもの、ではないわけで、「日本の若者は、政治意識が低い。」と思われますが、(民度の高い)エリート主導の欧州の経済状況は、かなり、厳しものがあるようであります。
英国の治安状態は、かなり劣悪になっており、ロンドン・オリンピックの開催にトラブルが、予想されているとのことです。
英国・各都市での若年者デモで、ソニーなどが焼き討ちに遭いましたが、「貧すれば、鈍する。」ということに、ならねばいいのですが…。
昨年、スペインや東バスクの学生都市・ペルピニャンに行きましたが、あれほどの若年者失業率など思わせないように、街を挙げての市民マラソンで、盛り上がっていました。
やはり品性ある、民度の高さなのでありましょうか???
日本の指導層(上層・エリート)は劣り、中、下層は、同等という感じであります。 そういえば、戦後、マッカーサーから、「日本人は、12歳…。」といわれたこともありました。
民度(倫理観)の高さ=政治家のレベルというのも、なるほどと思います。 トニー・ブレアは、「スコットランドのイートン校。」として知られる、エディンバラのフェテス・カレッジから、オックスフォード大で、法律を学び、しっかりと、エリートとしての、レトリック学も身に付けた、俊才だといいます。
1997年に首相となり、2007年迄、内政、外交に活躍しました。
ところで、その当時からの英国経済は、どのようになっているのでしょうか? 私は、すぐに「経済は、どうなっているのだ?」(儲かりまっか?)という、品性の卑しいところが、出てしまうのです…。
お説、ごもっともというのでは、話が終わってしまうので、何か、探してみます…。
ノート<ユーロ非加盟、イギリスの真実>
イギリスの対外債務の長短比率はGDP比240%が短期債務、102%が長期債務であり、しかも金融機関の対外債務が、突出しています。
すなわち、短期で低金利マネーを借り、長期で高金利運用をするという、キャリー・トレードで儲ける側の資金構造になっているわけです。
早い話が、ギリシャやポルトガル、スペイン、中東諸国が、デフォルト(債務不履行)したら、もろに被害をこうむるのは、イギリスなのであります。
2009年秋から続くソブリン危機は、確実にヨーロッパ全土を覆う風土病と化しつつあります。
『イギリスは、ポンドを守って成功した。』、『ギリシャ危機でも、ユーロ圏に属さないイギリスはうまくやっている。』と、イギリスを高く評価するエコノミストが少なくないけれども、とんでもない勘違いであります。
イギリスは、ユーロに加入したかったのであります。 しかし、入れてもらえなかった。 これが、事実なのです。
グローバル社会は、人、物が、自由に流通するのみならず、今では、デジタルハイウェイにより、大金も、様々な情報も、瞬時に流通する。
それは、各国の、様々な格差や、価値観の差を、浮き彫りにし、衝突や摩擦を、惹起することもある。
それを阻止するのは、各国が、誇る歴史、文化などのアイデンティティであり、それを理解し、敬意を払ってこそ、真の地球社会のグローバル化が、形成されるものと思う。
しからば、わが国が、誇るべきアイデンティティとは、何であろうか?
それは、「やまと心。」と、「皇室の存在。」ではないか?と思う。 それを、日本最古の古典、古事記から、みてみたい。
◇、本居宣長の「やまと心。」
古事記は、知られているように、ヤマト朝廷、すなわち天皇の系譜を語る、日本で、最古の古典文学である。 本居宣長の結論は、古事記は、源氏物語と並ぶ、わが国、最古の古典である日本書紀が、儒教的な、中華思想であるのに対し、古事記こそが、「やまと心。」であるとした。
古事記が、伝えるところによると、天、土が、姿を見せ、そこに、七柱の神が、成り出る。 高天原で、イザナキ、イザナミの二柱の神々が、交合し、多くの神々を生みなす。 そのイザナキから、天照大神とスサノヲの命が、生まれる。
スサノヲは、暴れ者で、天照大神は、恐れをなして、天の岩戸に籠ってしまい、世の中が、闇になる。 それを、オモヒカネ(思慮の神)の智略で、天の岩戸から引き出し、スサノヲを、高天原から、追放する。
スサノヲは、出雲で、ヤマタノオロチを退治し、クシナダヒメを娶り、「やくも立つ、いずもやえがき、妻ごみに、八重垣つくる、そのやえがきを。」と呼んで、平和に暮らす。
その六世の孫、大国主命は、因幡で白ウサギを助け、苦難の末、地上界を、初めて統一する。
天照大神は、高天原から、それを見て、大国主命に国譲りをさせ、直系を日向に、天孫降臨される。
ここまでが、高天原と地上界を、跨ぐ神話である。 その孫が、初代天皇、神武天皇であり、神武天皇は、東征し、畿内に、ヤマト朝廷を作る。
飛んで、第12代天皇の子に、倭建尊が、登場する。 父に、うとまれるが、命じられるままに、九州の熊襲を平定し、続いて、関東を平定するが、帰路、三重で没する。
天皇になれなかった、英雄伝である。
以降、第15代応神天皇、仁徳天皇と繋がるが、武烈天皇に日嗣のこはなく、応神天皇の5世の孫を、越前より迎え、第26代継体天皇となる。
古事記は、以降、第33代推古天皇までの系譜を、様々なエピソードと、熾烈な継承の争いを交え、語っている。
女王卑弥呼や邪馬台国など、必ずしも、古事記と対応がつかないところも多い。 中国や朝鮮の文献が、語る、古代日本の王たちは、ヤマト王朝以前の国だったのかもしれない。
ヤマト王朝の歴史の輪郭は、第10代水神天皇からは、実在の可能性があり、第15代応神天皇朝は、中国、朝鮮と深く交流し、第21代雄略天皇は、実在の証拠があり、また、第26代継体天皇以降の系譜は、かねがね、史実であるとされる。
本居宣長のいう、「やまと心。」について、古事記が語る、神や人の心の有り様から、考えてみたい。
また、当時の外国、すなわち、中国からの使節団から見た、やまとの人々の有り様やらは、聖書、ギリシャ神話との対比からも見てみたい。
以上
内田樹の『日本辺境論』が、興味深いのは、日本が、辺境であることを批判するだけではなく、そのメリットを、しっかり認識しているからであろう。
「辺境人『学び』は、効率がい。」の章は、辺境を意識するがゆえに、日本が、中国文明やヨーロッパ文明を、『学び』、日本化できたことを、明らかにしている。
特に、心引かれたのは、日本語の特殊性を論じた章だ。 日本は、中国から、漢字を入れ、仮名を作った。 そして、表意文字(図像)と表音文字(音声)を併用している。
これは、世界的にも、「きわめて例外的な言語上候。」だという。
また、外来語の漢字を真名、つまり『真』として、『政党』の位置に起き、土着語を仮名、つまり、『仮』として、『暫定』の位置に置いた。
明治に入って、西洋文明を急速、かつ大量に移入したときも、この原理が働いたという。
英語やフランス語を、真名として『政党』の位置に起き、翻訳として、土着語になじませた。 真名と仮名の併存性は、ここでも、維持されたのである。
しかも、この操作は、外国語(英語、仏語)を、外国語(漢字)に、移し替えるだけだから、さほど、難しくなかったわけだ。
現在、自然科学、社会科学のなかで、使われている術語のほとんどは、明治に作られている。 『社会』が、societyの訳語であることは、よく知られているが、『自然』も『科学』も、翻訳語だった。
また、西周は、phirosophyを、『哲学』と訳しただけでなく、主管、客観、概念、命題、肯定、否定、理性、悟性、現象、芸術、技術などの翻訳語を、次々と作り出していった。
こうした状況は、中国や韓国にも、東南アジアにもない。 中国は、翻訳語を、日本kら移入していったが、自ら、作り出していない。
日本は、極めて、ユニークな、翻訳文化国家であり、一見、矛盾するものを、両立させる、不思議な国なのである。
人は、生まれながらに、喜び多い人生を歩み抜く力(生命力、世に役立つ、運命の力)を秘めて、誕生しています。
しかし、この力は、穏やかな心、豊かな心『調和』の心を持って暮らして引き出さないと、『登場』して来ないのです。
たとえば、「家庭で、仕合せになる。」という力を、持っていたとしても、それを、引き出すような生き方をしていなければ、その「仕合せな、家庭の姿。」は『実現』しないのであります。
どうだろう、いつも「不機嫌で、いらいらしていて、家族に当たり散らしたり。」して、自分のことばかり考えて「我がまま身勝手に(調和せず)、文句ばかり言っている。」という、荒れた生き方をしていたら、「和のある、仕合せな家庭。」になるでしょうか?
「『原因』があって、結果となる。」というのが、世の中の『真理』(仕組み、原理)です。 「仕合せ。」(結果)になるためには、「仕合せになる、生き方。」(原因)をすることが、必要であるのが、『道理』です。
そのためには、人生の『正道』(感じ方、受け止め方)とは、どのようなものであるかを、『知る』(学ぶ)ことが、大切になります。
人生には、いろいろなことが、起こります。 言われたように「山あり、谷あり。」というのが、現実です。
今日は、「環境変化も、激しく…。」と言われている通り、(何も問題が、なければいいのですが…)不安定な、環境であればどうしても、影響され「不安定な生き方となり、不安定な人生。」を送ることにもなります。
そこで、「人生の正道。」(あるべき、感じ方・考え方)を『知り』、「ああ、そうか。 こういう生き方をすれば、いいのか…。」と心で、分かり、『調和』(譲り合い、お互いさま)という基本(感謝・大きく受け止める心)が持てれば、「仕合せになる力。」が、引き出されてきます。
けれども、そのような生き方を、心の手本としてもつべきだとは、分かるのだけれど、「(自分の性格などから)どうしても、そういうふうにできない、こういう心があるんだ。」ということを、語って、心を預けることが、必要になるのです。
このことを、繰り返し、繰り返し、続けることが、大切で、そうすることによって、「自然と(徐々に、徐々に)、仕合せになる力が、引き出されて、充実した、日々(人生)。」を、過ごすことが、できます。
現代の社会は、物が豊かになり、自分の思い通りに、生きていきたいという、自分中心の『個』(エゴ)の利益を、求める風潮が、蔓延してしまいました。
けれども、人間が生きていく、本来の「あり方。」(正道)は、「人間は、一人では生きられないもの、集団(家庭・地域・社会)にあって、人との関わりのなかで、支え合っていくもの。」というのが、『真理』(この世の仕組み)であります。
そして、今の時代(世界)は、人間本来の「譲り合い。」(協調・お互い様・調和)という、本当の世界に戻るべく、『真理』(生きる知恵)を求める時代へと、大きく変わる節目の時期を迎えています。
そうした、大きく流れを変えている時代に、『逆行』する(自分だけ良ければという)生き方は、きっと、ダメでありましょう。
つまり、いろいろな問題が出てしまい、人生が、上手くいかないことに、なりましょう。