蒼穹のぺうげおっと

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『祈りの海』と『ブラッド・ミュージック』

2006-07-15 00:05:12 | エウレカセブン
ドクター・ベアことグレッグ・ベア・イーガンと言えば、交響詩篇エウレカセブンに登場するトレゾア技研の巨漢の教授。
その元奥さんであったミーシャの名前はきっとドクター・ベアに対して「小熊のミーシャ」から取られたのではなかろうか、というのは想像に難くない(はず)。

……つか、そんな想像よりももっと簡単に想像できるのがこのグレッグ・ベア・イーガン博士の名前の由来。
これは『交響詩篇エウレカセブン コンプリートベスト』に付属している用語集を見ても載っていることですが、元ネタは

『ブラッドミュージック』のグレッグ・ベア



『祈りの海』のグレッグ・イーガン

というどちらもSF作家から取られた名前ですね。
#ティプトリーおばさんも『たったひとつの冴えたやりかた』のジェイムズ・ティプトリー・ジュニアから。
#モーリス、メーテル、リンクも、『青い鳥』のモーリス・メーテルリンクから、ですね。

この上記2冊に『金枝篇』を加えた3冊が、このエウレカセブンの世界観を現すという意味でサブテキストの意味合いをもっているんじゃないですかね。

* * *

交響詩篇エウレカセブンでは、中心をなす物語の軸は26話「モーニング・グローリー」までをボーイ・ミーツ・ガールど真ん中で、そして27話以降、最終話までの後半では「家族の絆」を描く、というもので、このあたりを丁寧に描いてくれたおかげで僕は何度泣いてしまったか分かりませんでした。

……という話はこれまでの感想でも何度も書いてきているので今回は置いといて、今回はその世界観というか、SF部分のバックグラウンド的なところを理解しておくと、実はもうちょっとこの世界を楽しめるのではないか?というお話しです。

冒頭にグレッグ・ベア・イーガン博士の話をしたのは、やはりストレートに名前を持ってきたこの二人のSF作家の作品を読んでおくとその世界観を理解しやすくなる、という意味でご紹介なのです。

恐らく(というかかなり僕の勝手な妄想なんだけど)、SF部分を通じて制作サイドが表現したかったことのいくつかには、9・11で感じた日常と非日常の境目が実はかなり薄かった、そこから転じてアイデンティティー・ロスト状態に陥ったら?みたいな部分と、世界が変容してしまったらどうする?みたいな部分もあったんじゃないかな?と思うんですね。
#サントラのインタビューでも京田監督はそんな風なことを言っていたし。

それがスカブ(かさぶた)が剥げた下の大地であったり、クダンの限界だったりするのかなぁ、なんて。


例えば、このブログでも何度か取り上げた言葉の一つに第1話で初めての台詞、ストナーの台詞と、それに対する言葉がコンプリートベストのブックレットに掲載されていた言葉、


そう、つまり記憶というものは決してそれ単体で存在せず、

それを取り巻く環境に支配されているというわけだ



ではもし、その「環境」とやらが自分の思い込みに過ぎなかったらどうだろう?

昆虫が殻を脱ぎ捨てように「環境」が変容したとき、

我々の記憶と我々自身もまた変わらざるを得ないのではないか?




これぞまさにスカブ(かさぶた)が剥がれて登場した真の大地=実は遠い昔に捨てたはずの地球だった!!、自分たちが今まで信じていた常識が覆った=アイデンティティー・ロストの危機に陥った、そういう瞬間を現しての言葉なんですよね。
#(深読みし過ぎかもしれませんが)『金枝篇』についても、恐らくは宗教・民俗学を体系的に纏めることによって現在の宗教に対して、今は常識的にこう考えられているけれど、実はこうだったんだよ、という遠まわしな提言をしているようにも思えます。

では、そのシチュエーションのヒントになっていると思われる作品、それがグレッグ・イーガンの『祈りの海』で間違いないと思います。
#サントラ2にも「祈りの海」という曲名があるくらいだし。

グレッグ・イーガン 『祈りの海』



この本は「祈りの海」を中心とした短編集になっているのですが、基本的なテーマとしては日常と非日常が転換する、これまで常識と信じていたものがある日・ある事件を境に崩壊する、しかし、実はその姿こそが皮肉にも真実の姿なのではないのか?と、問いかける、そういう短編になっています。

短編集なので、というか、SFの短編って結構皮肉が利いたテーマが多かったりするのですが、これもかなり皮肉が利いていると思います。

また内容もそれなりにストレートに解釈できないところもいくつかあって、読み応えとしては結構あります。
#つまり、何度か読まないと、ああ、そういうこと!というのが見えてこないときもあります。

けれども、ラストに描かれる「祈りの海」については、文字通り信じていたものの崩壊をさすがSFという形で描いてくれるし、実を言うと、これを読んで『金枝篇』の編纂意図(フレイザーの意図)に気が付いた、というか深読みしてしまったというか、連鎖反応が起こりましたね。

海外モノのSFってクセがあるんで、僕個人としては万人にはお勧めしませんが(というか好きな人は好きなので進める必要がないというのもある)、エウレカセブンの世界観を構成するサブテキストのひとつ、として読むにはお勧めだと思います。
#きっと監督はじめ、制作スタッフの人たちはこういうのに影響を受けて育ったんだ、というのが分かるんじゃないかなぁ。

* * *

次は、スカブコーラル、コーラリアン、そしてクダンの限界、これらのキーワードの元になった小説は間違いなくこれ。

グレッグ・ベア 『ブラッド・ミュージック』


交響詩篇エウレカセブンの中で「スカブコーラルとの合一」とか、スカブコーラルが見せる図書館でのダイアンとレントンの会話で「知識・経験の共有」や指令クラスターという言葉、そしてクダンの限界、まで、この1冊にはこの辺のベースとなるネタが詰まっています。

つか、読みながら、おおー、そういうことだったのか~、とか頷きながら読んでました。
うん、これぞまさにポロロッカ現象だ(絶望先生より)。

何と言うか、これもまた僕の勝手な想像なんだけど、制作スタッフの人はこの『ブラッド・ミュージック』では見ることが出来なかったエンディングを、このエウレカセブンの中に表現したかったんじゃないか、つか、むしろ俺ならこういうラストにしたぜ、くらいの勢いで書いてたら面白いなぁ。


この本を読んでいてまた連鎖反応、というか確信のように感じたことが一つあって、やっぱりスカブコーラルはナノマシンだったんじゃないか、ということですね。

ここからは僕の妄想爆発ですけれども、

1万年前のエウレカ号に乗って宇宙に運ばれたのは、実は惑星をテラ・フォーミングするために人類によって創られたナノマシンだったんじゃないのか?
それが隕石の衝突によって、海に漂着し、コントロールを外れたナノマシンが暴走し始めた、そういうのであっても面白いな、なんて。

もともと人類は遅かれ早かれ地球を滅亡に追いやる、そういう状況にあって、そう遠くない未来に地球を離れなくちゃいけなかったのかもしれない。
だから、他の惑星を改造して、人類が住めるようにテラ・フォーミングしてしまおう、そのためのナノ・マシン、そのためのエウレカ・プロジェクトだったんじゃないか?

でも他の惑星を改造するつもりで作ったナノマシン=スカブコーラルは、因果応報のように地球に漂着し、地球自身をテラフォーミングしてしまう。
かつて、地球が最も美しかったその姿に。

また、漂着した際に、母なる海に落ちたことで、海洋生物との融合をしてしまい、生物が海から進化したように、スカブコーラルもまた進化してしまう。
そして進化の仕方は「融合」だった、それだけが彼らのコミュニケーション手段だった=侵略(と人類には見える)。


で、思うに、ナノマシンはそれぞれがナノレベルで知性を持つ、知性体の集合であり断片=クラスターで、それの上位階層に位置するようになったナノマシンの集合体が指令クラスターになったんじゃないかなぁ。

ただ、ナノレベルの知性体がかつて地球だった地表の殆ど覆う、ということは、ナノレベル小ささの知性体がおびただしいほどの数いるわけで、ナノレベルで観測対象を発見することになり、全てを情報化して処理するナノマシンと、情報化量に対してオーバーロードしてしまう地球の中で思考のブラックホールを生み出し、地球という物理宇宙を崩壊させてしまう、それがクダンの限界、だったんじゃないかなぁ。

……なんて、考えたりしちゃうんですよねぇ。

とまあ、放送終了はしてしまったエウレカセブンですが、未だにこんな感じで遊んでいられるというのは嬉しいものです。
ああ、久しぶりに妄想したので楽しかったです。

とりあえず、この2冊については、SF好きではないけれど、エウレカセブンは好きなので興味あるぜ、という人にお勧めです。
#海外SFは訳者のクセもあってとっつきにくい場合もあるけれど、この辺はまだ読みやすくてよいかもしれません。

つか、ひょっとしたら長門も読んでるかもよ(笑)。

交響詩篇エウレカセブン DVD13巻


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5 コメント

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ほう (ドミニア)
2006-07-16 19:04:00
ニュータイプ8月号に附属していたSOS団の同人誌(えぇ

によれば、長門が読んでいたのは芥川賞だそうです。



あと、石原立也様によると、第一話を『ミクルちゃんの冒険』にしたのは超監督ハルヒ様だそうです(えー!?
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母なる海の (和井八凪)
2006-07-17 09:12:24
和井です~。おはようございます。

私は結構SFラヴなのでエウレカセブンで元ネタを見つけては喜んでいました。

70~80年代のSF黄金期の作品はホントいいです。

エウレカセブンは黄金期のSFの世界観をやりたかったこと、可能性として持ってきた感があり、「地球幼年期の終わり」のオーバーマインドや「ニューロマンサー」の情報体や、そんなものに通じるのでSFの醍醐味は年齢関係ないなあ、って思うわけですよ。

やや、SFまにあの皆々様の間ではツッコミどころ満載として言われているのはわかっていますが、朝7時の子供向けアニメにそこまでの精度を求めるなよ、っていうか(笑)。

でもエウレカセブンは昔の理論は古いし所々辻褄は合わないけど力技で楽しませてしまう壮大さを思い出させてくれる素敵アニメなわけですよ。



そして、私はジャンル関係なく面白ければ何でも読みますよ~(笑)。

長門さんほどの情報処理量は持っていないけども。ああ、悔しい、もっと読みたいよう。

でもWOWOW入っちゃったら映画も月6,7本は見るんでついていかななんだよう。
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異世界からもどったら1年経っていた・・・んだと思う。 (yasu)
2006-07-17 18:39:10
燕さん、お久しぶりです。



「ブラッドミュージック」お読みになったんですね。あの物語の結末が通常のストーリーの運び方なんだろうなと思うんですが、エウレカはそれを超えてましたね。私は実に潔いというか、天晴れと感じましたです。



グレッグ・ベア・イーガン博士が登場したときはびっくらしましたが(笑)、情報力学なるキーワードも飛びだし、設定資料に「ナノマシン」云々とあるのを見て「ああ、これはファンタジーなんだな。」と理解しました。

物理法則を崩壊させるほどの、知性あるナノマシンによって構築された世界となると(ガイア理論も同様ですが)、もはや魔法と同義、何でも有りの「信じる力が現実になる」世界ですから。月の斥力はどうなってんだとか現在の物理法則を当てはめて論じてみても、あらかじめ無効化されてしまってるわけです。

なるほど、これはレントンとエウレカのために用意された世界の物語でしょう。あとはそれを楽しめばいいのだと思っていました。



それでも、どうしてもこだわりたい人には、自分なりの答えを見つけることは可能なんじゃないでしょうか。ヒントは与えられているわけですから。(指令クラスターがやられちゃったら、ダイアン達は死んじゃったんじゃないのと心配してるあなた。グレッグ・イーガンの「ディアスポラ」を読んでみてください。)



私、DVDの方は5巻から購入するようになったんですが、今、1巻からコンプリートしようとすると結構お高くつくので、アメリカ版を購入することにしました。現在2巻まで出ていて1巻5話入り、送料込みで25ドル弱です。バイリンガルなので、英語のヒアリングの勉強にもなるし(笑)ただし、リージョンコードが違うので、そこら辺対処できる人のみお奨めです。



しかし、向こうの声優さん、こちらの声優に声のそっくりな人をよく見つけてくるなと感心しますね。ヒルダとかギジェットとか同じ人じゃないのかと思うくらいですよ。エウレカもいい感じ、ホランドとドミニクはちょっとかっこよすぎ、英語で叫ぶユルゲンス艦長にはしびれます。



ただ、肝心のレントンがあまりにヘタレ声でがっくり。アメリカのファンの間でもとても不評なのが残念です。ラストに向けてメリハリつけようと言うことなのでしょうか。ロボットアニメには拒絶反応らしいアメリカ人の間でも、なかなか評価はいいように思えるので、頑張って欲しいものです。

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身を削るしかない (燕。(管理人))
2006-07-20 05:31:09
>ドミニアさんへ

そう言えば綿矢りさの『蹴りたい背中』が出てきたのは分かったなぁ。

あとは結構SF系の小説を読んでいるイメージが強いんですよね(それは原作にそう書いてあるからか)。

意外と恋愛小説なんかも読んでいるかもね。



>和井八凪さんへ

エウレカセブンではきっと自分たちが影響を受けたSF作品ってのはこれだぜ、みたいな感じで作った感じありますよね。

『幼年期の終わり』や『ニューロマンサー』はまたそのベースになっている作品ですよね。

まあ、ストーリーの本筋はそこには無いので、基本的にSFの部分は視聴者向けの遊びの余地だと思うんですけどね。

込みで遊んで欲しい、みたいな。

情報処理能力よりもタイムマネジメント能力の方が僕は深刻かな(笑)。

もう削る時間が睡眠時間しかない。

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お久しぶりです~ (燕。(管理人))
2006-07-20 23:03:03
>yasuさんへ

お久しぶりです~。きっとyasuさんはこの記事にコメントくれるんじゃないかと密かに期待しておりました(笑)。

yasuさんにお勧め頂いてからだいぶ経ちましたが(実際は中々購入できなかった)、ようやく『ブラッドミュージック』を堪能しましたよ。

うん、まさにyasuさんがエウレカはそれを超えていった、というラスト、僕も全く同じ感想です。

#何となく、制作サイドとしては『ブラッドミュージック』の何と言うかSF的投げっぱなしに対して、その続きを描いた、みたいなそんな感じを受けましたね。

yasuさんもご指摘されていますが、基本的にエウレカの世界でのSF設定は本編を楽しむための演出装置的位置づけなんで、その辺を楽しめれば問題ないと思いますね。

むしろ遊びの余地があるわけで、そこから勝手に色々考えても良し、みたいな。

DVDのアメリカ版は近くにも購入してる人がいました。結構根気がいりますね(笑)。

#声優さんについては非常に興味ありますが。どんな感じなんだろう~。

王道ってのはこの場合、やっぱりロボットものなんでしょうけど、そういう意味ではこの作品自体がサブカル的スタンスに立っているので、それはそれで有り、というか、逆にその辺を楽しんだ者勝ちみたいなところなんだろうな、と思います。

やっぱり面白かったですよ、エウレカセブンは。

最終巻が楽しみです。
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