音楽とか映画とかその中身がっていうよりもその時の記憶って言うかさ、
その時の人と人との関係を思い出すことが多いだろ?
そう、つまり記憶というものは決してそれ単体で存在せず、
それを取り巻く環境に支配されているというわけだ
ではもし、その「環境」とやらが自分の思い込みに過ぎなかったらどうだろう?
昆虫が殻を脱ぎ捨てように「環境」が変容したとき、
我々の記憶と我々自身もまた変わらざるを得ないのではないか?
最初の言葉は、このブログでも何度か引用した交響詩篇エウレカセブンの第1話「ブルーマンデー」でストナーが語った最初の台詞。
そして、その次の引用は、『交響詩篇エウレカセブン COMPLETE BEST』のブックレットの収録されているストーリダイジェストの最初の言葉。
そう、この交響詩篇エウレカセブンの第4クールで明かされる、この惑星の秘密、それは実は最も最初の台詞の中に既に予言されていたんですね。
* * *
『金枝篇』をエウレカセブンの本編で取り上げた大きな理由としては2つあるのかな、と思っていて、1つは「王殺し」のエピソードを使いたかった。
もう1つは「地獄の黙示録」が好きだったから、じゃないかと思っているのですが(後者は半分冗談ですけど(笑))、もうひとつくらいあっても良いのではないか?なんてことを感がえました。
最近、『ダ・ヴィンチ・コード』を読んだり、アニメ版の『ひぐらしのなく頃に』を見たり(もちろん原作を思い出したり)してるうちに、何故この交響詩篇エウレカセブンでは『金枝篇』を取り上げたのだろう、と改めて考えたときに、このブックレットの最初の言葉、この言葉とそのもやもやが、いきなり結びついてこんな妄想を生み出しました。
『金枝篇』の本当のテーマって、単に「王殺し」をベースに民俗学、神話学を論理的に解明するだけじゃなくって、それは宗教にも言及していて、宗教の成り立ちを遠まわしに解明していた、そこに本当のテーマがあったんじゃないか?
つまり、信じていたものが角度を変えてみたら実は全く違って見えた、自分を取り巻く「環境」が実は全く異なっているものだとしたら?そのとき僕らはどうなるんだろう?そういうことを『金枝篇』を使って、実はこのエウレカセブンの世界観に、ストーリー展開に遠まわしに暗示していたとしたら?
……てな、妄想です(笑)。
いやー、最近疲れてるんで、妄想もより突飛になってきましたよ(ぎゃー)。
* * *
『金枝篇』がどういう意図で使われたのか?これについては前述の1つめは間違いないとして、それ以外がどうなのかは今となっては分かりませんが、ストナーの最初の台詞だけは、やっぱり「日常と非日常の転換」というか、アイデンティティーロストに近い衝撃(9・11はそれに近いかもしれないなぁ)を作中冒頭も冒頭から暗示していたんだなぁ、とこんなに時間が経って感じ入ってたりして。
エウレカセブンの作中で登場したグレッグ・ベア・イーガンは、もちろん、SF作家のグレッグ・イーガンとグレッグ・ベアをリスペクトしてのネーミングだったんですが、その中でも「クダンの限界」についてはグレッグ・ベアの『ブラッド・ミュージック』が元ネタであることはコンプリートベストのブックレットにも記載されているところです。
もうひとつ、グレッグ・イーガンの作品、サントラ2の曲名にも使われた『祈りの海』という短編作品では、まさにスカブ=かさぶたがはがれた大地が現出したのと同じくらいのアイデンティティー・ロストに見舞われるわけで、それまで信じてきたもの、というのが一気に剥がれる、まさに「環境」が変容したとき、我々の記憶と我々自身もまた変わらざるを得ないのではないか?というのと同じくらいの衝撃を持って描かれているわけです。
つまり、最初の最初からこれらは全て狙ってあの第4クールへ収束していったんですね。
ああ、やっぱり面白い。
余談ですが、『ひぐらしのなく頃に』についても、あれは物理的な怖さよりも、どうしてああなってしまっていくのか?それが全く違う角度でみたらどうるのか?自分が信じていた世界と、実は見えていなかった世界、勘違いや嘘、そしてその連鎖こそが『ひぐらしのなく頃に』で本当に描かれる怖さだと思うんですね。
そう、このまさに、「環境」が変容したとき、我々の記憶と我々自身もまた変わらざるを得ないのではないか?というのが面白いところなんですね。
* * *
しかしながら、僕らが最終話で、否、第4クールで目にしたレントンとエウレカの姿。この二人の姿は、「環境」自体が変容しようとも、たとえエウレカに羽が生えて決定的に人と違うことを見せつけられても、レントンはエウレカを「綺麗だ」と言い、自分が生まれ育ったこの星を好きだと言う。
「環境」が変容したとき、我々の記憶と我々自身もまた変わらざるを得ないのではないか?
この最初の最初に出された問いに対して、エウレカとレントンが1年掛けて出した答え、それはもう皆さんご存知の通り。
あの月のハートマーク(笑)。
そう、変わったんだけど、変わってない。
むしろあの二人はより笑顔になった。
それが答え。
うん、やっぱりエウレカセブンは面白かった。
またこんな作品に出会えることを、心から待ち望んでいます。
■交響詩篇エウレカセブン COMPLETE BEST(DVD付)
![](http://images-jp.amazon.com/images/P/B000EXZKNA.09._OU09_PE0_SCMZZZZZZZ_.jpg)
■交響詩篇エウレカセブン DVD 第11巻
ぬあ、この303「デビルフィッシュ」カッコよすぎ!!
第4クール突入のDVD11巻。
OP映像は何度見ても感動です。
その時の人と人との関係を思い出すことが多いだろ?
そう、つまり記憶というものは決してそれ単体で存在せず、
それを取り巻く環境に支配されているというわけだ
ではもし、その「環境」とやらが自分の思い込みに過ぎなかったらどうだろう?
昆虫が殻を脱ぎ捨てように「環境」が変容したとき、
我々の記憶と我々自身もまた変わらざるを得ないのではないか?
最初の言葉は、このブログでも何度か引用した交響詩篇エウレカセブンの第1話「ブルーマンデー」でストナーが語った最初の台詞。
そして、その次の引用は、『交響詩篇エウレカセブン COMPLETE BEST』のブックレットの収録されているストーリダイジェストの最初の言葉。
そう、この交響詩篇エウレカセブンの第4クールで明かされる、この惑星の秘密、それは実は最も最初の台詞の中に既に予言されていたんですね。
* * *
『金枝篇』をエウレカセブンの本編で取り上げた大きな理由としては2つあるのかな、と思っていて、1つは「王殺し」のエピソードを使いたかった。
もう1つは「地獄の黙示録」が好きだったから、じゃないかと思っているのですが(後者は半分冗談ですけど(笑))、もうひとつくらいあっても良いのではないか?なんてことを感がえました。
最近、『ダ・ヴィンチ・コード』を読んだり、アニメ版の『ひぐらしのなく頃に』を見たり(もちろん原作を思い出したり)してるうちに、何故この交響詩篇エウレカセブンでは『金枝篇』を取り上げたのだろう、と改めて考えたときに、このブックレットの最初の言葉、この言葉とそのもやもやが、いきなり結びついてこんな妄想を生み出しました。
『金枝篇』の本当のテーマって、単に「王殺し」をベースに民俗学、神話学を論理的に解明するだけじゃなくって、それは宗教にも言及していて、宗教の成り立ちを遠まわしに解明していた、そこに本当のテーマがあったんじゃないか?
つまり、信じていたものが角度を変えてみたら実は全く違って見えた、自分を取り巻く「環境」が実は全く異なっているものだとしたら?そのとき僕らはどうなるんだろう?そういうことを『金枝篇』を使って、実はこのエウレカセブンの世界観に、ストーリー展開に遠まわしに暗示していたとしたら?
……てな、妄想です(笑)。
いやー、最近疲れてるんで、妄想もより突飛になってきましたよ(ぎゃー)。
* * *
『金枝篇』がどういう意図で使われたのか?これについては前述の1つめは間違いないとして、それ以外がどうなのかは今となっては分かりませんが、ストナーの最初の台詞だけは、やっぱり「日常と非日常の転換」というか、アイデンティティーロストに近い衝撃(9・11はそれに近いかもしれないなぁ)を作中冒頭も冒頭から暗示していたんだなぁ、とこんなに時間が経って感じ入ってたりして。
エウレカセブンの作中で登場したグレッグ・ベア・イーガンは、もちろん、SF作家のグレッグ・イーガンとグレッグ・ベアをリスペクトしてのネーミングだったんですが、その中でも「クダンの限界」についてはグレッグ・ベアの『ブラッド・ミュージック』が元ネタであることはコンプリートベストのブックレットにも記載されているところです。
もうひとつ、グレッグ・イーガンの作品、サントラ2の曲名にも使われた『祈りの海』という短編作品では、まさにスカブ=かさぶたがはがれた大地が現出したのと同じくらいのアイデンティティー・ロストに見舞われるわけで、それまで信じてきたもの、というのが一気に剥がれる、まさに「環境」が変容したとき、我々の記憶と我々自身もまた変わらざるを得ないのではないか?というのと同じくらいの衝撃を持って描かれているわけです。
つまり、最初の最初からこれらは全て狙ってあの第4クールへ収束していったんですね。
ああ、やっぱり面白い。
余談ですが、『ひぐらしのなく頃に』についても、あれは物理的な怖さよりも、どうしてああなってしまっていくのか?それが全く違う角度でみたらどうるのか?自分が信じていた世界と、実は見えていなかった世界、勘違いや嘘、そしてその連鎖こそが『ひぐらしのなく頃に』で本当に描かれる怖さだと思うんですね。
そう、このまさに、「環境」が変容したとき、我々の記憶と我々自身もまた変わらざるを得ないのではないか?というのが面白いところなんですね。
* * *
しかしながら、僕らが最終話で、否、第4クールで目にしたレントンとエウレカの姿。この二人の姿は、「環境」自体が変容しようとも、たとえエウレカに羽が生えて決定的に人と違うことを見せつけられても、レントンはエウレカを「綺麗だ」と言い、自分が生まれ育ったこの星を好きだと言う。
「環境」が変容したとき、我々の記憶と我々自身もまた変わらざるを得ないのではないか?
この最初の最初に出された問いに対して、エウレカとレントンが1年掛けて出した答え、それはもう皆さんご存知の通り。
あの月のハートマーク(笑)。
そう、変わったんだけど、変わってない。
むしろあの二人はより笑顔になった。
それが答え。
うん、やっぱりエウレカセブンは面白かった。
またこんな作品に出会えることを、心から待ち望んでいます。
■交響詩篇エウレカセブン COMPLETE BEST(DVD付)
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■交響詩篇エウレカセブン DVD 第11巻
ぬあ、この303「デビルフィッシュ」カッコよすぎ!!
第4クール突入のDVD11巻。
OP映像は何度見ても感動です。
![](http://images-jp.amazon.com/images/P/B000F3NUTK.01._OU09_PE0_SCMZZZZZZZ_.jpg)
あれ、今週の太臓はスルーの方向ですか?(笑)
JOJOだけに飽き足らず、ついにはエウレカにまで手ェ出してくるとは、大亜門侮れんヤツ・・!
つか、観てたんだ。あの人。
でも作品自身がまともですから、逆にネタに出来るようなツッコミどころって逆に少ないんですよね考えてみると。
・・・そうなると巷で満載にギャグ同人でネタにされてる種と乙は一体・・・
うう、ジャンプ感想やりてぇ・・・
デスノートが怒涛の最終回だっただけに。
いけないルージュマジックはスルーすべきではない!と本能が叫んでいたのですが、世間の荒波に揉まれた結果砕けて散ってしまいました。
いや、ほんと、観てたんですね(笑)。
つか、今週号でぺとぺとさんネタも持ってきてたよ!!
>ドミニアさんへ
ジャンプ感想、ちらっとでもやろうかなと思うんですが、最近タイミングを逃してしまうんですよね。
やっぱり感想は生もの?ですな。
この機会に読んでみるか~!
ベアは「永劫」もあったよな、え~文庫本は押し入れ押し入れと。
ギャー(((( ;゜Д゜)))、な、ない、ない~~!
ブラッド・ミュージックも永劫もない~!
ギブスンのニューロマンサーも!
ホーガンの星を継ぐものも!
ニーブンのリングワールドも!
アシモフ、ハインライン、クラーク、レムにバラードもかよ!
残ってるのはフィリップ・K・ディックだけじゃね~か!
お、おやしろさまのたたりか~ (((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル
あ、そういや、数年前に全部処分したんだったけ、(^_^;
古典は二度とは読まないだろうし、新作は本棚の肥やしになるだけで手をつけないし。
ディックも30冊以上持ってて半分読んでないな~。
サンリオ文庫が廃刊になる前に集めたのが殆どなんですけど。短編集は一時期、神田の古書街で五桁の値段が付いてたとか。
おいらの唯一のお宝だったんだけど、今はハヤカワから再刊されてます。
良質のSFが見せてくれるパラダイムの変革。
真実だ、現実だと信じていた世界がもろくも崩れ去ってゆく。
自分を支えてる地面や壁がゼリーのように不安定であやふやでふにゃふにゃなものになり取り込まれてしまい、自分がもともとゼリーの一部だったのか、同化されたのかさえ解らなくなってしまう。
自らを取り巻く世界がが砂の城の様にボロボロと崩れ去り、砂粒のような粒子から再構築されてしまう。おとぎ話のような世界なのに、あまりにも緻密で精巧なスタイルのためにどこに魔法が掛けられいるのかさえわからず、現実だった元の世界の方が偽りだらけで虚構のように感じられるようになっていく。
あぁ~ディックなんて、SFの魔力に取り憑かれて向こうの世界にに行っちゃったのか、麻薬のせいであっちに行っちゃって感じたことを書いているのか。
あんな風になりたい、いや、なりたくない!
なんてね~、SFの魔力の虜になっていた時期がありました。(´ー`)
アルバトロスさんの蔵書の中のどれか一冊をきっと長門が読んでるはずです(笑)。
アイデンティティー・ロストという衝撃の展開をしっかりと見せてくれるのはやっぱり良質のSFだな、と思いますね。
アイデンティティー・ロストと日常・非日常の転換ってSFというジャンルだけじゃなく描かれるわけですが、やはり入り込みやすいですよね。
#それに凝りすぎてもまたバランスが悪いですが。
そういう意味でエウレカセブンあたりは、ある人にはノスタルジーを、そしてある人には新しい興味を喚起させてくれるバランスのとれた良作だったなと僕なんかは思いますね。
#あと、SF以外の軸がしっかりとしているところが最も大好きな点なんですけどね。