11月22日はダラスで凶弾に倒れたJFケネディの命日。
事件は1963年だから、今年はすでに45年目になる。ダラスではメモリアル式典が行われたようで、週末のNBCポッドキャストも、ケネディのインタビューを放送している。
当時、ゆうぜんは大学生だった。今となっては記憶がはっきりしていないが、11月の連休を利用して上の姉の家族と一緒に、当時東京にいた下の姉のところを尋ねて汽車旅行をしたのだ。谷中に姉のアパートはあったから、信越線まわりで上野着だったように思う。
「今日(11月23日)はアメリカから衛星TV中継のある歴史的な日だ」というので、姉のアパートの黒白テレビをつけてテスト映像が映るのを待っていると、突然のアナウンスで、ケネディ暗殺のニュースが飛び込んできた。記念すべき太平洋を越えるテレビ中継の映像は、大統領暗殺というテロ事件の実況レポートに切り替わってしまったのだ。しばらくは、誰も何も云わずに画面を見続けていた記憶がある。
テレビといえば、自分の政治的キャンペーンにテレビを始めて有効利用したのがケネディであって、選挙戦でのニクソンとのTV討論は、その後の大統領選にも引き継がれたし、大統領就任式の有名なスピーチも十二分にテレビ的効果を狙ったものだった。
それから、ほぼ半世紀が経った今、アメリカはケネディの再来ともいわれるオバマが新しい大統領に就任しようとしている。
1961年生まれのオバマは、ダラス事件の時にはまだ3歳の幼児だったわけだが、彼の意識の中には、先輩政治家としてのケネディをひとつの政治的理想像として持っていそうではないか。
アイルランド系のケネディとアフリカ系のオバマ、いずれもマイノリティ出身であること、同年齢層での大統領就任ということ、ケネディが黒人の公民権運動に力を入れたこと、どちらもハーバード出であることなど。オバマの演説のレトリックや雰囲気がケネディのそれによく似ているのは、オバマの意識の現われなのだろう。
メディアを有効に使うのも二人の類似点だろう。半世紀あとのオバマはインターネットやメールやブログを使いこなして、幅広い有権者の支持を得ようとしている。マケインのハンデはメディア使いにもあったのかもしれない。
ニュースによれば、オバマは大のブラックベリーファンなのだそうだが、大統領就任後はセキュリティの問題で便利なガジェットは持たせてもらえないのだとか。
「一国の大統領として、思いも寄らない問題を、思いも寄らない決断で、実行に移さなければならない。言うは易く行なうは難しだ」というのが、NBCで放送された大統領就任2年後のインタビューでケネディが語った言葉だが、オバマは就任早々、まさにこの状況と直面する。「自分が《大統領として》国に対して何が出きるのか」をよくよく考える毎日になることだろう。
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