5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

伊吹に残る雪

2014-02-09 22:13:32 |  文化・芸術
昨日の春の雪に行方を阻まれたひとも多かったろう。特に関東地方は20センチ以上の記録的な降雪になったというニュースだった。

しかし、名古屋近辺の平野部はさいわい気象庁の注意ほどには大雪にもならず、日中の気温が上がったこともあって夕方にはほとんどが融けてしまった。

明けて日曜日の今日はすっきりと晴れ上がった。雪をもたらした低気圧が空中の汚染物質を吹き飛ばしたせいか、名古屋市内からは岐阜県境の山々がくっきりと山襞を見せている。眼を西にめぐらすと鈴鹿山脈の北端、濃尾平野への風の道が望まれる。その奥には雪を被った伊吹山があるはずだが、山の頂は雲に覆われて見えない。

「木枕の垢や伊吹に残る雪」

これは、蕉門の俳人丈草がつくった早春の俳句である。高橋睦郎の「百人一句」に載せられている。

丈草、元は内藤林右衛門という尾張犬山藩の武士だったが、若くして遁世し、京に上って在京中の芭蕉に入門した。芭蕉の死後、大津の膳所・竜ヶ岡に師追悼の法華経塚を建て仏幻庵という庵に暮らしながら、清貧のまま元禄17年(1704年)43歳で亡くなっている。

この句は、同門の友人惟然が芭蕉の法要に出席の為に丈草の庵に滞在しその別離の際に詠んだものだという。

放浪旅にあっても枕にだけは贅沢な惟然に垢の付いた古枕でしか供応できないことを詫びながら、それを遠くから見慣れた伊吹山ののこり雪とでも思って許して欲しいといった意味の句である。

惟然は美濃関、丈草は尾張犬山、どちらも東側から伊吹の山景をつねに見ていた二人というベースがあってこの句が生きるわけだ。

夜になって風が出てきた。日本海を渡った北風は若狭湾から伊吹の西を廻って美濃・尾張そして三河の平野部を吹いて過ぎる。二人の俳人が生きていた300年前も冬の伊吹おろしは厳しかったはずである。






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