5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

君恋し

2008-11-06 22:22:21 | 音楽

歌手のフランク永井が10月の末に亡くなった。76歳だったという。

YOUTUBEをブラウジングしていて、そこアップされている彼の歌と映像にヒットし、「有楽町で逢いましょう」や「お前に」や「君恋し」といったスタンダードを、思わず知らず一緒に歌ってしまったのだが、それはちょうど彼のなくなった日にちあたり。偶然とはいえ、不思議なことはあるものだ。

フランク永井といって思い出すのは、こちらが働いたことのある名古屋駅前のホテルのクリスマスディナーショーでのこと。時は1967年と1968年。彼はそれ以前からこのホテルのディナーショーに連続出演した常連の歌手だった。

朝霞の米軍キャンプ出身でジャズから始まったキャリアなのだから、当時はまだ珍しかったホテルのディナーショーは、米軍キャンプの雰囲気を感じさせるところもあったのだろうか。

新入りのこちらが、彼と直接話をするなどということはなかったのだが、マネジャーとは何度もやりとりをする機会があった。チェックインしたマネジャーが持ってくるのが、ステージ衣裳。

すでに、横にやや広い体型だったわりに、着る衣裳は体にしっかりフィットした細身用、スーツの襟を細い糸瓜型にした簡易タキシードのようなものが多かったし、ネクタイもすべて細身でそろえていたと記憶する。

衣裳がプレスされている間、本人は営業時間外のホテルバーにいつづけ。発声練習をするかと思いきや、高いスコッチをストレートでグビグビ。マネジャーが外から買いこんできたり、ルームサービスで持ってこさせたりと、常にウイスキーボトルと一緒だった。いわゆるアルコール中毒である。

これでステージは大丈夫なのかと心配したが、そこはプロ。一旦ホールが暗くなってオーケストラが鳴り出せば、いままでふらついていた脚がシャンと伸び、声も嗄れず、自信溢れる舞台に破綻をきたすことは無かった。舞台が無事終わったあとの、夜食には、料理長特製の肉厚ヒレステーキが、部屋に運ばれていったと記憶する。

ディナーショーで、彼がどんな曲を歌ったのかはもう思い出せないが、当時すでに、彼のゴールデンヒットはほとんどスタンダード化していたから、「東京しぐれ」「大阪ロマン」「加茂川ブルース」といった直近のご当地ソング連作を歌ったのだろう。

こうしたヒットソングの数々よりも、その合間に入る、彼のお笑い小噺で場内がなんども爆笑の渦になったことの方が印象的だ。趣味だった落語の和式の「間」の取り方と、駐留軍のスタンドアップコメディの米式の「間」の取り方とを、巧みにMIXしたディナーショーの演出は、口パクばかり流行る現在のディナーショーでも充分参考にできそうだ。

その十数年後に、「フランク永井が自殺未遂」と新聞報道されたときは、「やっぱりウイスキーの飲みすぎだったか」と思ったほど。事故の遠因がアルコールだということは、大きく語られずとも間違いないだろう。

こうして、50歳以後の彼の歌声は、結局誰も聞くことはなかったわけだが、若しリハビリが成功していたとしたら、晩年の彼のステージはどんなものになったのだろうと思う。相変わらず細身のスーツにネクタイで、ウイスキーを楽屋に持ちこんでいたのかもしれない。

大人の歌手がまたひとりいなくなった。しかし、エバーグリーンの「低音の魅力」は、これからも日本人のこころの中に生き続けていく。







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