5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

女の意地

2013-07-29 22:18:05 | 社会
「張り通す女の意地や藍ゆかた」

杉田久女の夏の句を挙げているのは坪内稔典の「季語集」。明治生まれの女流家人の先駆けだった久女が好んで着た浴衣は。のりがよく利いてピシッとしていた感じがする。もちろん藍色が涼しさを増幅していると坪内は書いて、浴衣は近年、若い人に好まれ、時代とともに浴衣の風俗が変化していると世情を観察してコメントしている。

風俗変化は時の流れだろうが、若者たちの浴衣の選び方やその着方についてはもう少し伝統的な約束事に拘ってもらいたいとも(爺は)考える。

ツイートにこんなものを見つけ、その通りだと可笑しくなってリツイートした。

(……きこえますか…きこえますか…全国の…浴衣男子の…みなさん… 今… あなたの…心に…直接… 呼びかけています…浴衣の帯は…腰骨の位置で…しめるのです……腹では…ありません……腰でしめるのです……あなたの…ウェストが…細いことを…知ったところで…誰も…嬉しくありません…)

このツイートの主は自称漫画家だとあるが、常識眼でもってしっかりと観察しているではないか。

さて、浴衣男子がこんな風だとすれば、浴衣女子にも文句を云っておきたい。

昨日の日曜日は、隣市が主催する商業まつり(花火)だった。電車に乗り込んできたのがひとりの浴衣女子。ボーイフレンドにピックアップしてもらう前、精一杯格好よく着付けてきたと本人は思っているのだろう。ドア横に立ったまま、壁面の鏡に映った自分の顔を百面相で眺め回している。

彼女も半帯を腹の位置でしめているのは、先の浴衣男子と同じだ。問題なのは、帯の上にはピンク色の化繊の帯揚げが胸元で大きなリボン結びを作っている。ありゃりゃ、これでは「廓の遊女」ではないか。どっかの爺がそんな下卑た評価を下しているとは思いも寄らないのだろう。

二十歳前の彼女には責任はないのかもしれない。

浴衣を買い揃える時にアドバイスをしたもの、着付けを手伝ったもの。彼女の母親だったり、着付け師だったり、浴衣販売店の売り子だったりするのだろうが、こうした彼女の先輩たちからして和服を着るものは誰もいないのだろう。帯揚げを外に出したり、帯のタイコを後ろ前にするのは、玄人筋の女の着付けだったということすら知らないのだろう。

ここが問題なのだ。日本人が和服を着なくなって半世紀。昔ながらの歴史や伝統は、知らぬ間におおきく変質して来ている。腹で帯をしめることや、遊女のスタイルが「かわい~い」となる世の中。やっぱり、どこか変だ。

張り通す女の意地は何処へいってしまったのだろうか。





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