5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

してみたかった

2015-01-28 22:56:58 | 社会
今日のお帰り電車の車内はいつも見慣れた光景、マスク姿の男女が並んでスマホに見入る姿だ。電車が止まりドアが開いても画面から眼を逸らさない。階段を下りる時も、改札口を抜ける時も。

お仲間KSさんがこんなツイートを発信した。昨晩のことだ。

「よく行く美味しいトンカツ屋さんの向かいのアパートだ、名大理学部1年女子大生の部屋。彼女の12月7日のツイートに『ついにやった』と一言だけ、怖い。」

タイムラインを読んだときは、いったい何のことだろうと思ったが、今朝の朝刊を見てこれだと判った。

「殺人容疑で名大生を逮捕 19歳女子、自室で77歳女性殴る」

犯人を捕らえてみたら若い女性、しかもノーベル賞を出す地元のエリート大学の在校生というのが、殺人事件とはそぐわないという感じがして軽いショックだった。

記事には「女子学生は県警の調べに「人を殺してみたかった」と容疑を認めている。凶器の手おのは事前に準備していたという」と書かれている。さらに「女子学生は少なくとも昨年四月以降、短文投稿サイト「ツイッター」に殺人者への憧れを示す内容の書き込みをしていた」ともある。

これがKSさんのツイートにもある『ついにやった』という一言なのだろう。

『死にたいと思ったことはないが、死んでみたいと思ったことはある。殺したいと思う人はいないが、殺してみたい人はたくさんいる』

これもツイッターに彼女が書き込んだ呟きのひとつだという。エキセントリックなレトリックだが、たしかに、これくらいのものなら、ツイッターを流れるタイムラインに乗ったとしても、ヘンだと指摘はされないのかもしれない。

普通の人なら殺人妄想などが湧いたとしても、己の中にある理性と倫理がしっかりとコントロールするはずなのだが、彼女はそうはならなかった。呟いた通りに実行したのだ。猫の子を殺すように。

警察の取調べが進めば、事件の内容は少しずつ見えてくるのだろうが、女子大生の「してみたかった」殺人からは、日本社会の急激な変質の具合が透けて来そうだ。

今朝のモーニングショーでは、早速「ああだ、こうだ」という犯罪心理の勝手分析が始まっていた。心理のプロではないが、自分はこう考える。ポイントは二つ。

19歳といえば1995年生まれ。WIKIを読むと、この年は阪神大震災や地下鉄サリン事件が起きた騒然とした年だったことがわかる。生年と凶悪犯罪とは直接の関係はないが、これも日本社会の屈折点として捉えることはできそうだ。

先ず、娘の年齢からすると、両親は30代後半の団塊ジュニア、祖父母は60代の団塊世代という図式になる。

戦後の民主教育では、自由放任と受験競争が正しいものとされ、親子孫三代に渡って継承されてきたのだ。一方で、堅苦しい道徳や躾は教師側でそれを放棄した。倫理教育など、したこともされたこともない。

大人しくて受験勉強のよくできる子供であればそれで良し。ダレも文句を言わないで甘やかす一方だ。叱ることも強いることもせず。教師や父母と生徒は今や正しい上下関係を取ることはできず、仲良しの友達同士に擬態しようと無理をしている。

さらに、電車内のスマホ光景のように、携帯電話の普及はこの女子大生の生まれた翌年1996年あたりから急激に伸張している事実にも注目だ。

1999年には、インターネットに繋がり、電子メールが可能になり、カメラも付いた。ガラ携とそれに続くスマホの携帯ネットワーク時代は女子大生の精神生活に長期的且つ甚大な影響を与え続けてきたのだ。

経済的に豊かな社会は我欲だけが拡大する世界でもある。自由放任、勝手気侭な生活スタイルが許される、タブーの無い社会に馴れてしまえば、自分が可愛い、傷つきたくないという心理もますます強くなるだろう。

アクチュアル(人間関係の煩わしさ)から逃げ、スマホ世界のヴァーチャルの心地良さにずっと浸っていたい。いつしか、日本人の多くがそんな気分で暮らすようになっているのではないか。若しそうなら怖いハナシである。

オレオレ詐欺にひっかかる年寄りに似て、見えない他者(それこそヴァーチャルな何か)からの意見誘導、思考洗脳、を不用意かつ無防備に受け入れてしまう弱さも同居する。

明示=アクチュアルを嫌えば、暗示=ヴァーチャルが蔓延るのだ。日本人を人質にとったISILの傍若無人が日本を悩ませている最中だが、人の生命はいかにも薄っぺらいものにいつの間に変質し、他人の死にまるで不感症になってしまった現代のわれわれ。

エキセントリックな女子大生の起こしたこの事件の持つ象徴的な意味を、もっと深く考えて見る必要がありそうだ。





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