5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

しはせの大晦日

2016-12-31 20:11:26 | くらし
今日ははやくも大晦日、2016年が終わる。

TVでは紅白歌合戦が始まった。戸外の街路は車の動きもすくなく静かである。結構なことだ。

12月の古名は師走、シワスというのだというのは、当然のこととして受け取ってきている。

年の暮れはあちこちで仏事が行われるから、それに呼ばれた僧侶たちが走り廻るのだということで「師はせ月」というのがなまって「シワス」になったという説が一般的だが、これは「作った感じをまぬがれない」とおっしゃるのは「ことばの歳時記」の金田一春彦せんせいだ。貝原益軒説と折口信夫説を合わせて解説をしてくださる。

まず益軒の説は、日時がはつる月だから「しはつる月」、それがなまって「しはす月」となったのだろうと云い、大分にある四極山は「シハスヤマ」と読ませるという例も挙げて論考しているのだそうだ。

折口説もこれに似て、やはり「シハツ」の転だが「仕事が終わる」の意味だろうと云ったのだそうだ。

さらに折口によると、昔は「霜月」で一年が終わっており「しわす」は年末の数日を指すことばだったのだそうだ。「しわす」は月をつけて呼ぶことを昔からしておらず、これも30日間あるヒトツキとは違っていた証拠だというわけだ。

今日は家人に頼まれた買い出し2日目。排尿トラブルが増えてきた高齢被介護の年寄のおしめ(恰好よくパンツと呼ぶ)を買いに出た。幸いに大手ドラッグは営業中で無事に1パックをゲット。暗くなった道を小走りで帰ってきた。

こうして大晦日になっても雑用は終わらず「慌てて駆け回って」いる自分としては、人口に膾炙した「師はせ月」の方がやっぱりしっくりきそうだ。もっとも坊主ではないのだが。

今宵の巷は「年越し蕎麦~除夜の鐘」というコースらしいが、我が家はスーパーで買ったパックの蕎麦で我慢しながら「師走月」を締めくくろうと思う。



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