5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

天皇賞のルーツ

2019-05-01 21:25:17 | スポーツ

5月1日。今日から令和の時代のはじまりだ。あいにくの雨になったが名古屋駅前は恒例のGW商業祭とあってけっこうな人出。「令和」サインを付けた巨大なシンボル人形の前にはスマホで記念写真を撮るカップルがずらりと並んでいた。

新天皇誕生の話題ばかりの一日だったが、天皇といえば、先週4月28日は競馬のG1「天皇賞」が行われて、ルメール騎手騎乗の〈フィエールマン〉が一番人気の期待どおりに見事な勝負を見せてくれた。平成最後の天皇賞馬となったわけである。わが期待の〈エタリオウ〉はレース気分が乗らずといった様子で4着に留まった。

今回は第159回と長い伝統のある天皇賞だが、そもどうして天皇賞なのかという獏とした疑問は今まで解決できずに来ていた。それを今日の中日夕刊「スポーツ・ストーリー」欄が説明してくれている。

1880年に横浜・根岸で行われた「天皇の花瓶賞」というレースが今の天皇賞のルーツなのだ。

競馬ライターの石田敏徳氏によると、優勝馬キエン号の馬主には天皇御下賜の花瓶が授与されたが、皇室からの賞杯を競馬競争に下賜したのはこの時が初めてだった。今でこそ様々なスポーツで天皇賜杯を授与しているのだが、競馬の御下賜品競争の歴史は飛びぬけて古いのだ。

「天皇の花瓶賞」はその後も根岸で続けられたが、1905年になると、競馬奨励の為という名目で、レース名を固定し毎年継続して下賜されるように運営団体が宮内省に働きかけ「エンペラーズカップ」が誕生、翌年には「帝室御賞典」と名を変える。

一時は全国で年10レースが行われた帝室御賞典だが、1937年からは春秋2回制に。戦争による中断の後、戦後の1947年秋からレース名を「天皇賞」に、御下賜品を「天皇盾」として再開し現在に続いているというのが説明だ。

天皇賞のルーツは明治時代にあったということになる。

皇室の守り神ともいえる伊勢神宮には、神が騎乗する馬として神聖視される「神馬」が大切に飼育されている。嵐寛壽郎が演じた明治天皇は格好よく馬に乗った。昭和天皇も鞍上から閲兵を行っている写真が残されている。こう書くと天皇賞に多少ヘンテコな色が付きそうだが、天皇と馬との縁には深いものがあるのだ。

明治天皇が下賜した花瓶に始まった天皇賞、その後も大正、昭和、平成と、レガシイとなるほどの名馬、名勝負を残してきているわけだが、令和の時代には、どんな天馬が現れるのだろうか。秋の天皇賞が楽しみになった。




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