去る、1月23日 ホテルニューつたや において、令和5年新嘗祭献縠伝達書授与式が市主催で行われました。
令和5年の新嘗祭に私の有機コシヒカリ(愛がも米)と筑西市山崎にお住まいの野口さんが栽培した「粟」が昨年10月末に宮内庁に献上され、その伝達式が須藤市長ご出席のもと厳粛に行われました。
左から 妻 中川 須藤市長 野口様 横田経済部長
受賞者の挨拶
賜りもの(菊の御紋の盃) 桐の容器(この中に精米一升)
令和4年12月に市担当者より新嘗祭への献縠の打診がありました。数多い米づくりの達人がいる中で、長年、有機米コシヒカリに取り組んでいるとの評価はありがたかったのですが、失敗は許されないこと、倒伏をさせてはならないとのお話もあり、軽々にお受けすることが出来ませんでした。しかし、人生最後のチャンスでもあり、名誉なことだと思いなおし、妻と相談の結果、お受けすることになりました。
また、一切、口外無用との通達で、日々高まる重圧に受諾したことを後悔した日もありました。苗づくりに失敗したときのため、種子もいつもの倍を用意し、慎重にその準備に取り掛かりました。
そんな時、毎年合鴨のヒナを導入している千葉の業者から、鳥インフルエンザの発生で今年のヒナは発送不可能という連絡があり、ガーンと頭を殴られた思いでした。
令和4年、5年は全国的な鳥インフルエンザの大流行で、カモ類も同じ病気に罹患したのです。 アイガモの孵化場は全国でも少なく、急ぎ、以前お世話になった大阪の孵化場に連絡を取り、事情を説明し、何とかヒナを分けていただけないか懇願しました。
大阪の孵化場は幸い、鳥インフルエンザの被害はなく、通常に営業していましたが、全国の農家より注文が殺到しているので、確約はできないと言われてしまいました。悶々とする日々が続きましたが、4月に入り、ついに60羽、受注できる旨の連絡が入りました。
「地獄で仏」という言葉がありますが、まさにその心境でした。
4月10日播種、苗の成長も順調で、5月10日には田植え、そして野犬、野獣除けの網を張り、田植え15日後には合鴨も田んぼに放鳥し、一安心しました。
しかし、今度はカラスが早朝から幼いヒナを狙い、田んぼにほど近い鉄塔に現れました。用心はしていましたが、放鳥3日目に3羽連れ去られました。 おびえたヒナたちは円陣を組み、悠然と泳ぐことが出来ません。
それから毎朝4時に起床し、早朝ヒナを狙うカラスとの戦いが約10日続きました。ヒナが一回り大きくなり、連れ去ることが無理だと悟るまで我慢比べです。
天敵の心配がなくなるとカモたちは広い田んぼを隈なく、縦横無尽に泳ぎ回り、水かきにより田んぼは一面泥で濁り、ヒエも、その他の草も育つことはできず、稲だけがすっきり育ちます。また、稲に飛来する害虫もことごとく合鴨が食べてくれます。 田んぼで泳ぐ振動、茎にカモが接触する刺激が稲の生育に良い影響を与えると言われています。
カモも稲も順調に育ち、7月になるとカモをそろそろ育成ハウスに移さなければなりません。今年は記録的な気温が続き、出穂も早く、出穂前に田んぼから引き揚げないと幼穂をカモが食べてしまうからです。
カモがいなくなった田んぼには静寂が戻りました。9月には一面、黄金色に輝き、心配された台風の被害にも会わず、稲刈り、籾摺りも終了し、無事、「愛がも米」を献上することが出来ました。
献縠した「あいがも米」は30K玄米で県の所有する精米機にかけられ、30Kの中から一升を選別し、宮内庁の担当部署に送られたとのことでした。
2月には令和6年の新嘗祭に献縠する市町村から選出された農家の方々と、県庁において令和6年新嘗祭献縠担当者会議(引継ぎ)が予定されており、この日を境に、お役目終了となります。
大変貴重な経験をさせて頂きました。