里山日記

NPO法人「里山を守る会」における活動の内容。
その日にあった様々な出会いと、感じたことをつづりたい。

「他人の命を奪う」 ということ

2015-03-22 05:12:18 | Weblog

過日、テレビ、新聞、週刊誌と連日マスコミで取り上げていた川崎市中学1年生の殺害事件も今は下火となり、マスコミに取り上げられる頻度も少なくなった。

長崎で起きた女子高1年生の同級生殺害事件、名古屋で起きた女子大生による老女殺害事件。いずれも被害者に対し、恨みもなく、「殺す体験がして見たかった」というのが動機である。

平成9年、神戸市で起きた少年(中1)による連続殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)を彷彿とさせるが、実はこの事件が「里山を守る会」設立のきっかけともなった。 あれから18年が経過し、同じような事件が連続して起きる現実になんとも言えない苦く、重い気持ちになった。

他人の命をいわば興味本位で奪う、その心はどういう世界(環境)から芽生えるのか? 深く真剣に検証する必要がある。

なぜ自分が殺められたのかわからないまま亡くなった被害者、そして、そのご家族の思いはいかばかりであろう。・・。

一方、加害者の家族も、なぜ、我が子がこのような事件を起こしてしまったのか、右往左往し、途方に暮れ、この事件を境に、世間から殺人者の家族として地獄のような毎日を送ることになってしまう。住み慣れた場所から離れなければならない事態に陥るかもしれない。

被害者の家族も加害者の家族も共に不幸だ。

人の命を奪うということが、どんなことなのか、生きているものが動かなくなり、「死ぬ」ということがどんなことなのか、本当にわかっていないのではないだろうか。

今、竹や木を削り、ナイフで自分の指を切った経験を持つ子が何人いるのだろう? 食事の用意をしながら包丁で指を切った子が何人いるだろう? 火を燃やし、やけどをした子が何人いるだろう? 喧嘩をし、殴られた子が何人いるだろう?、木に登り、落ちた子が何人いるだろう。

自分自身が体験として、痛い思いを知っている子は、体験から来る抑止力が働き、人を刺したり、傷つけたりすることを躊躇するはずである。

「そんな体験をしなくても人は殺さないよ。」というかもしれないが、指を切り、ズキン、ズキンと痛んだ思いは一生忘れない。

人間以外の動物は、親の行動を見て、真似て、体験のみで、生きるすべを学ぶ。それ以外にできない。

人間は、言葉を使い、文字を読み、豊富な知識を持っているが、実体験に乏しくなっている。

これからもこうした事件は繰り返されるかもしれない。 「特殊な事件で自分の子は大丈夫。・・・」とほとんどの親は思う。しかし、このような事件を起こしてしまった子の親御さんは、自分の子を特殊だと思っていたのだろうか?

命を育む教育は、学校だけではできない。

私は幼年期、少年、少女期、の外遊び。しかも複数の友達との遊びの体験にそのヒントが詰まっていると思えてならない。里山で遊ぶ子供たちは、生きるすべを訓練しているように見える。

 

 

 

コメント (2)
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