「父さんが・・・。」
電話の向こうの弟の声が止まった。沈黙の中に、堪え切れずにもれる弟の喉の音が聞こえた。
問い返すのが辛かった。察しはついたが、確認するのが怖かった。
「どうした?」
[入院した。今度は危ないかも・・・。」
「わかった。帰る。あんたは大丈夫?」
「・・・うん・・・。」
実家が遠い事が、これほど辛く感じた事は無かった。
その後、母からの連絡が入った。
「今度は、喪服を・・・。」
「わかった。」
まだ亡くなった訳ではない。それなのに、喪服の準備をと言わなければならない母の例え様も無い悲しさが伝わって来た。
私が帰るまで息をしていて欲しかった。だから、延命措置をと弟に頼んでいた。しかし、母は言った。
「延命措置がどんなに大変な物か知ってる?見ていられないよ。これだけ頑張ったおとうさんに、これ以上の苦しみを与えたくない。自然にしてあげたい。」
異存は無かった。
その夜は、弟が一晩中父に語りかけていたらしい。今までの事、これからの事。静かに、枕もとで一人で語りかけていたと母が言った。
父が健在だった頃、弟はよく父に叱られていた。私には甘かった父だったが、弟には殊更に厳しくあたっていた。おそらく、かなり反発心も持っていただろうが、同じ仕事を始めて、先輩としての父と接するようになり、尊敬するようになったと、いつか話していた。そんな気持ちを順々に語りかけていたようだ。
やっぱり父は待っていてくれた。翌朝早く、私が子供達と駆けつけるまで・・・。その後も、次々と訪れる親戚達を全て無言で迎えて、そして静かに眠った。
いつ眠ってしまったのか、誰も気がつかなかった。呆気ないほど静かだった。そして、信じられなかった。私自身が夢の中に居るようだった。
悲しみが襲ってくるのは、ずっとずっと後になってからだった。