まったり まぎぃ

愉快な仲間たちの事、日常生活で思う事、好きな事あれこれ。

新聞記事より

2012-06-28 21:18:27 | 介護関連

先日、読んで、もっともだ・・・と思った記事がありましたので、紹介します。

 

シリーズもので、“認知症のはなし”というものです。

今回の題は『長男の憂鬱』

‘両親が寝たきりや認知症になって介護が必要になったとき、昔は親の面倒は長男が見るものとおおむね決まっていました。なんとなく、いざとなれば長男が面倒を見てくれると思っておられる高齢者もまだ多いようです。

ただ昨今、子どもの転勤や都会志向もあり、同居を希望していても、なかなか同居できない家庭が多いようです。ましてや長男が親の面倒をみる事は、家が狭いとか、長男の妻が反対する場合も多く、自宅での介護が次第に難しくなって来ています。

しかしながら、男性の多くは、儒教的な教えをなんとなく身につけている人が多く、親の面倒を見なくてはいけない、見るべきだとの思いはまだ根強いようです。そのため両親の面倒を見たくても見られない状況にジレンマやストレスを抱えている人が多いようで、これを私は「長男の憂鬱」と呼んでいます。

一方で、気兼ねしなくていいからと、長女と同居を選択する家庭も増えて来ています。親の面倒を誰が見るのか、解決は簡単ではありません。子どもに迷惑をかけたくないと、適当な施設への入所を希望する高齢者も増えて来ています。こうした介護の文化は年々変化しているようです。(国立長寿医療研究センター内科総合診療部長・遠藤英俊)’(東京新聞6/26付け 暮らしの欄より)

 

まさに、これです。

長男の憂鬱・・・です、我が家のアルフィー。

あれこれと試してみて、考えてみて、すり合わせてみて、結局今の方法に落ち着いたと思っていたのに、落ち着いてはなかったようです。少なくとも、アルフィーの中では。

家庭がそれぞれ違う様に、介護の方法も違うのが当たり前。

大変なのは、重々承知。

いくら覚悟していても、愚痴だって出るのが当たり前。

どうしたって暗くなりがちで、笑うことだって忘れてしまうようになりがちな日々を、どうすれば少しでも軽くなるか、笑えるようになるか、皆が少しずつ譲歩して行くしかないと思うんです。

その“皆”には、被介護者も含まれると私は思っています。

人気ブログランキングへ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元に戻ったのかな?

2011-03-01 09:06:19 | 介護関連

同居を開始して約16カ月。

先週、義父母の二人は元住んでいた田舎に戻りました。

まぁ、本人の意思と言ってしまえば聞こえは良いですが、意志決定が出来なくなってる今、周囲の事情と言った方が正解かもしれません。

ここに至るまでのすったもんだは、今更ここに並べ立てるつもりはありませんが(mixiでは並べ立ててましたが・・・)。

早く言えば、同居解消。元の場所に戻った・・・ってとこです。

でも、時間は流れてて、周囲の思いも変わってて、環境も変わってて、完全に以前の状態に戻ったわけでは無く、戻れる事も絶対にありません。本人たちの住む場所が元の場所に戻ったってことのみです。

この16カ月の間に、いろんな事が変わってしまいました。

本人たちの認知症は確実にすすんでますし、それを介護する者たちの意識も変化してきています。

 

以前から何度も書いてるように、子育てが家庭によって違う様に、介護の方法も各家庭で絶対に違うモノだと思います。

環境や住む場所、金銭的問題、介護者の考え方・・・etc.

そして、絶対的な正解も無ければ、完全な失敗も無いと思っています。

それに、ずっと同じ方法で行ける事も無いと思うんです。事情に応じて変化していくべきだし、変化せざるを得ないと。

 

ただ思うのは、実際に介護するモノが自己責任に於いて介護方法を選択すべきだということです。

一番状況を把握できてる立場ですから。

周囲の者は、それに対して助言を与えたり相談に乗る事はあっても、決して自分の考えを押し付けたり従わせたり、また、世間一般で言われている教科書的な方法等を強要しないでほしいです。

ニュースで流れている“成功した介護方法”とか“献身的な介護”等は、それが本当に稀な事だからニュースになっていると言う事だと言いたいです。

それらは単に“その状況で、その環境にある、一つの家庭で成功した件”でしかないのです。

 

こういう事を知った自分を、人間的に成長したんだから・・・と慰める事は諦めのように思えます。

出来れば、経験せずに済ませたいと思うのは、あまりにも無責任な考え方でしょうか。

人は必ず老い、認知症にならない人は稀かもしれません。

殆どの人が向き合わなければいけない事だと思います。

だからこそ、自分の老後を子供を含む人任せにすべきではないと思うんです。

意志決定が出来る間に、方向性を示しておくべきだと思います。一番自分にとって、そして、周囲の者にとって負担が少ないと思える方法を選択しておくべきです。

人の考え方なんて、本当に、ころっころ変わります。

こういう私も、実際自分が老いた時、どんな犠牲を払っても子供たちに看取ってもらいたいと我がまま言う可能性は充分あります。

それに、近い将来、離れて住んでいる実家のオンマにも訪れるこの状況に、表彰されそうな方法を選択しろと弟夫婦に強要するかもしれません。

感情が思いっきり入るであろう“その時”の意志は、やっぱり公平な判断じゃないと思うんです。

だから、公平な判断が出来る間に、だいたいの方向性は家族に示しておくべきだと思います。

 

ただ、その状況を目の前にして湧き上がる感情が、冷静さを欠くものだとは思うんですが、それが良くない事だ・・・とまでは、言い切れません。

これが、また悩んでしまう要因でもあります。

 

“まぎぃ限定”の考え方で言いますと。

大事にしたいのは、これから先の縁だと思っています。

自分までつながってきた縁を、未来につないでいくのが自分の役目だと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ショート粉砕!

2010-12-24 15:14:14 | 介護関連

やっぱり、掛って来ましたよ、電話。

義父母が行ってるショートステイ先からです。

毎回、何かやらかして連絡が入り、無事に何事も無く日程をこなす事が殆ど無い二人。

だから、覚悟はしているものの、本当に心臓に悪いです・・・

今回は、義母の高血圧。

前回のショートの時にも、

「血圧が高くて、なかなか下がらないので、もしかしたら、途中で退所してもらうことになるかもしれません。」

なんて言われまして。

もう、どきどくはらはらもんで、過ごしたもんです。

幸い、その時は、日程を消化できたので良かったのですが・・・。

その後、担当医の診察を受け、血圧の薬を新しく処方してもらい、少しずつ下がって来ていたのです。

なのに、今回、またも上昇

「うちは、医療機関じゃないので・・・。」

とな。

結局、体調&機嫌には何の異常も見られないけど、血圧が高いので…と言う理由で、昨晩退所

1泊で帰宅しましたよ・・・

で、本日、本人抜きで、私が病院に相談に行ってきました。

前回の診察の時に、血液検査をしていたし、その時に処方してもらった薬の効き目を連絡に行く事にもなってましたからね。

血液検査の結果、高血圧になる要因は全く見られず

いたって健康・・・と。

で、仕方が無いので、現在飲んでいる薬の量を増やすという処方。

これでしばらく様子を見る事になりました。

「ウチの様な所だったら、そのまま預かってあげられるんだけどね。介護施設じゃ帰されちゃうよねぇ。」

と、先生も看護師さんも同情しきり。

仕方ないな・・・

で、ですよ。

本人は、今現在、いたって元気で何の異常も見られません。食欲もあるし、ぼ~っともしていない。

昨日、

「今晩は、家で様子を見て、明日、ショートの残りの日程消化とか、急遽デイサービスとか出来ませんか?」

と聞いてみたんです。だって、本日病院に私一人じゃ連れていけないし、家に一人残してもおけない。

でも、結論は、無理・・・って。

一旦退所してしまうと、そこで契約は切れてしまうんですって。だから、翌日再度入所というのは出来ません・・・ってさ。

それに、何時も利用していない曜日に急遽デイサービス…と言うのも、これまた無理だって。

結局、アルフィーが仕事を休んで、家で義母を安静にしながら、見てる…って事になりましたよ

 

私の様に、周りに親戚がいないという状況で介護している方って多いと思うんですよ。

流石に、こういう状況の人の世話を友人には頼めませんしね。

だから、急な事態が発生した時に、預かってもらえる場所があれば良いのに・・・と思います。

通常の時は、きっちり曜日とか日程が決められた契約になっていて、それはそれで安心だけど、絶対にこういう状況って起こり得る事だと思うんですよ。

そんな時、いきなりだけど・・・と数時間でも預かってもらえる場所。

そういうのって、無いの

家族だけでの対応に、限界もありますからね。

アルフィーの場合は、どーにか会社に受け入れられてますが、こういう事で職を失う場合もあるかと思うんです。

それって、本当に共倒れ。

子供手当も良いけれど、介護環境の整備も、もっと急いでほしいです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

試行錯誤

2010-10-03 12:08:34 | 介護関連

mixiでは、しょっちゅう愚痴を吐かせてもらってます。

吐き出す場所があると言う事が、こんなに気持ちが落ち着くとは、思っても見ませんでした。気持ちを文字にすることで、考えがまとまったり、意思を強く持つことが出来たり・・・。

 

ここ1、2カ月の間に、義父母の症状は止まることなく日々進んでいます。

人の人間性は、いったいどこまで壊れて行くのか、限界が無いようにも思えて、滅入るばかりです。

 

こうなると、家での生活状況に改善は期待できず、ただただ、デイサービスやショートスティに問題なく行ける事だけが目標となってしまいます。

朝、デイサービスに行って、夕方までの数時間を過ごしてくれる事。月数回のショートスティの間、帰宅を要請されることなく過ごせる事。

これだけを目標に体調を整えているように思えます。

だけど、これが上手くいかない。

 

特に、ショートスティ。

もう、毎回、何らかの問題が発生し、電話連絡が入り、ゆっくりと休む事もままなりません。電話が鳴るたび、もう、ドキドキもんです。

義母が不穏状態になって、自傷行為をする。腰が痛いと叫び、暴れる。或いは、脱力して介護の手に全く協力しない。

義父は、夜、とにかく寝ない。導入剤を飲んでも効かない。何度も夜中トイレに行く。行くだけなら良いけど、その途中で、他人の部屋のドアを開ける。開けるだけじゃなく中まで入る。それを注意すると、注意した職員に乱暴する。

入浴は拒否する…等々。

挙げればきりが無い。

それらの問題行動が起こると、やっぱり、家族としては対処しなくちゃ次からのサービス受け入れに関わってくる。介護職員も人間だし、我が家の二人だけの専用施設じゃないから、他の人への迷惑行為が酷いと、やっぱり、預かれない・・・となるのは当たり前。

 

だから、2週間おきに神経内科のの専門医のところに通う羽目になってます。

主治医は、内科。そして老人医療には長い経験があるけれど、やっぱり、専門医の治療を受けてほしいとの要請があるんです。

確かに、”専門医”という看板は、事業所に対して、大きな力を持ちます。

でも、患者の立場からすると、処方される薬が、老人対象じゃないから、その効き目が不安でもあるんです。

例えば、内科で出して貰ってる睡眠導入剤。これも、効く人効かない人様々で、同じ薬でも、我が家の場合は義母は効くけど、義父には全く効かない。

だから、少しキツメの導入剤を専門医から出して貰ってるんです。

義母が、就寝直前に不穏になり、興奮して大騒ぎをして夜中じゅう騒ぎまくる・・・という状況に、この薬は最適。

ところが、義父は、寝入る時は全く効かず、深夜2時ごろから効き始め、朝起きられない状況になる。

また、これは身体に蓄積されるようで。

義母は、朝起きる時、気力が萎えた状態でとにかく脱力して動こうとしない状況になってきました。義父は、日中、言葉がはっきりしなくなり、声も出しにくい雰囲気に。

これらの症状を専門医に相談しても、年齢が年齢だけに、いったいどの薬が効くのか、それも、こちらが望む程度の効き目を現すのかが、手探り状態だと言うのが判ります。

仕方が無いです。

だから、患者側と医者との綿密な相談が欠かせません。

その上で、出た診療方針を事業所さんに報告するんです。

 

今は、家では導入剤を最低限にしています。

そうして、朝起きる時の脱力をなくそうとしています。寝る事よりも、起きている時の意識の鮮明さを選択した故です。

でも、ショートの時は、そうはいきません。とにかく、夜、寝てもらう…という目的を優先させるために、導入剤を持たせています。

 

薬の効き目を見極め、飲ませたり省いたり・・・。

とにかく、試行錯誤の繰り返しです。

 

だけど、ここ数週間で、事態はますます悪化。

とにかく、二人して正常な時が一瞬でも無い。

朝の準備に、物凄く時間がかかるようになり、とうていデイサービスの迎えの時間に間に合わない事が続出。そうなると、私が、後から車で送って行くしかない。

これが、至難の業。

起き上がって着替えを済ますだけで1時間はゆうにかかります。

そして、朝ごはん。これは、簡単にパンとコーヒー。なのに、30分以上かかる。

その後、投薬。義母は、もうこちらで口に押し込む状態.

でも、その方が、とっとと済んで、マシなんです。問題は、義父。

これが、飲まない。隠す。

注意すると、機嫌を損ね、不穏状態になる。

…等々。

 

で、アルフィーに訴え、仕事を調節してもらい、朝、出勤を遅らせてもらう事にしました。

二人で、近くの事業所には、こちらから送って行くことにし、遠くは、とにかく準備のスピードアップをはかる。

この方法に変えて、約2週間。

私の気持ちの余裕がまるで違います。二人だと、どれほど気が楽か。

一人で二人を見ている時は、とにかく家じゅうを走り回ってました。走らないと、それぞれが違う場所で違う行動をしてるので、おまけに、一人で何をするかわからない状況なんで。

行動だけじゃなく、時には義母が脱力&鬱で、めそめそ或いはきゃあきゃあ。

義父がむっつりと不機嫌或いは口汚く人を罵り、暴力を奮う。

 

夜も、まずはアルフィーが二人と一緒に布団に入るんです。

そして、私が、しばらく起きていて、深夜まで義父が起きてくるのに対応。寝入りばな、どうしてもアルフィーは起きられないタイプなんでね。

その後、私が寝てから、アルフィーが対応。

 

朝は、アルフィーが先に起床して、仕事をしながら、トイレに起きてくる二人に対応。

その後私が起きて、一緒に食事しながら、前日の二人の様子を報告し合い、PCに作ってる日誌にメモ。

二人が出かけてから、掃除、洗濯、買い物。

ゆっくりと買い物をする時間はありません。週一、新鮮組メンバーと会うのが、唯一の息抜きでしょうか。

そういう毎日。

私としては、二人が居ない間は、二人の事を出来るだけ考えたくないんです。そんなときくらい、気持ちを開放したいんです。頭の中から、二人の事を全て消し、好きな事を考えていたいんですが・・・。

 

そういう訳にはいかないです。 

介護方法の考え方の違いは仕方が無いとして、そのどちらを優先するか、どちらが譲歩するか。いつも、そんなことばかりが頭の中で回っています。

もしかしたら、施設入所の決断を、自分でしたくないから、後悔したくないから、こうやっているのかと思ってしまいます。私が、その決断をして、自責の念や後悔を引き受ければ、良いのだろうかとも考えてしまいます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

区切りの判断

2010-06-15 19:12:50 | 介護関連

今日、ケアマネさんと一緒に、かかりつけの病院に相談に行きました。

もち、私じゃなく、義父母について。特に、義母について。

先日のショートステイの時、事業所さんの担当の方から電話がありました。

義母が荒れて、手がつけられない・・・と。

「自傷行為をするんです。」

一瞬

「え

と、言葉に詰まりました。

「自分の頭を壁にゴンゴンぶつけたり、叩いたり、挙句の果てに椅子の背もたれにぶつけたりするんです。」

「あ~・・・

”自傷行為”と言うので、何かもっとひどい事を想像しちゃって言葉に詰まったんですが、実は、そんな行為は全く珍しくないんですよ。田舎の家に居た時だってやってたし、こちらに来ても、勿論時々やってます。

最初見た時は、そりゃぁ焦りました。

でも、今は、傍観する事にしてます。義母の場合、止めようとすると、もっとエキサイトするし、聞く耳を持たないんだから、言うこちらが精神的に参ってしまいます。

どーせ、死ぬほど殴りつけるなんてしないし、血が出た事も無いし、勿論、痣とかを作った事も無い。痛いのは痛いんでしょうが、自分で手加減してるのは見え見え。

そう割り切る事にしたんです。

冷たいと思うかもしれませんが、義母の場合は、鬱もあるけど、その根底には我儘があるから。鬱の症状・・・って言うより、子供がやりたくない事を我儘言ってやらずに済ませようとしてる、あの言動にしか見えません。

人の言う事が聞こえているのに、目も耳も本当にふさいで、拒絶するんですから。

そんな我儘には、付き合わない事にしました。無視です。

 

そのショートの時は、止めようと近づいた義父に殴りかかり、義父は唇を切り、流血事態になったとか。

「専門医の診察を受けることをお勧めします。」

…と言う事なのです。

ヘルパーさんは、本当はこう言いたかったんでしょうね。

「こんな事が続くと、他の方の事を考えても、お世話が出来かねます。」

 

それだけは勘弁

 

で、そこんところを充分把握してくれているケアマネさんが、主治医の先生に一緒に相談に行ってくれると仰ってくれまして。

私一人では、上手く話せるか不安だったんです。有難かったです。

私や主人には遠慮して話してなかったと言うデイサービスでの義父母の様子もじっくりと聞きまして。考えていたよりずっと症状が酷く家以外でも出てる事がわかりました。

 

かない長い時間をかけて、あれこれ先生と話し、ケアマネさんが質問し、結局、市内にある専門医に紹介状を書いてくださる事になりました。

先生も、

「ウチに来た時から、この二人を奥さん一人で看てるのか・・・って看護婦たちも気の毒がってたんですよ。これから先、施設ってことも視野に入れておかなくてはいけないと思います。」

と、心強い事を仰ってくれました。

 

実際、施設って事に関しては、アルフィー&義姉たちと、私とは正反対の考え。

介護するところを変えても、その中に施設って言葉は入ってないんです。

区切りをつける意味が違うんです。私は勿論、施設に入れる…って事。

アルフィーは、田舎の義姉達の手を借りるって事。

これはもう、平行線。

「私が倒れた時が区切りをつける時と考えているのか

そう言い放った時もあります。

 

親を捨てることだと考えているんです。

どーしてそういう考えになるのか、私には理解不能です。

私たち夫婦がばらばらになっても、そして、子供たちを含むこの最小単位の家族が壊れても、それでも親の介護をしなきゃいけないのか。

どうして、楽な介護を選んじゃいけないのか。

苦労する事が介護だと、それはしょうが無いことだと、どーして思うんでしょう。

苦労の度合いで、親への愛情の深さを測ってる、そんな気がします。

何も分からなくなってる、一瞬一瞬意見が違う、親の意思に100%従うなんて、それは変だと思わないのか。

 

これから先、本当に不透明です。

私は、自分の考えを変えるつもりはないし、それは、我儘じゃないと思っています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上野教授インタビュー記事 その2

2010-06-10 11:02:54 | 介護関連

先日の記事に挙げた上野教授のインタビューは、三回にわたって掲載される模様。

だもんで、今日も、その続編をば、ピックアップしました

 

本日は≪進む『選択縁』社会≫ということについて。

“私は都市社会が悪いとは思わない。都市とは、プライバシーのまったくない相互監視のムラ社会から逃げてきた人たちが、望んでつくりあげてきたものだ。関西弁で言うと「気の合わん隣と仲良うせんかてよろしい」という社会が、都市だ。

最近「無縁」という言葉がはやっているが、中世史家の故網野善彦さんがご健在なら、さぞお怒りになっただろう。ベストセラーになった著書の「無縁・公界・楽」にあるように、土地に縛り付けられた村落共同体などとは離れたところ、例えば公権力が及ばない市の立つ場所や神社仏閣の中などで、中世の人たちが築いた関係、それが無縁という名のえにしだ。字面通り「縁が無い」ことを意味するわけではない。

無縁の反対語は有縁。わけあってつくる血縁、地縁、社縁などのえにしは、降りるに降りられない。今、それに代わるえにしが社会にできつつある。私はそれを「選択縁」と呼んでいる。

選択縁は、脱血縁、脱地縁、脱社縁の友人同士のネットワーク。加入脱退が自由で、強制力がなく、まるごとのコミットを要求しない。そういうネットワークを持つ高齢者の幸福度が高いことは、研究結果からも分かっている。

選択縁を持ち、老後をソフトランディングしている高齢者は圧倒的に女性が多い。先行的に選択縁をつくり上げたのは女性たち。私はその集団を「女縁」と名付けて調査した。

選択縁づくりのキーパーソンで一番多いのは、転勤族の妻だった。彼女たちは地域社会の「まれびと」(=よそもの)で、夫のような社縁もない。孤立して追い詰められているからこそ、PTAや生協の活動で実践力をつけ、血縁・地縁に代替するネットワークを築いていった。それが老後に切れ目なくつながっている。

多くの男性に選択縁のニーズが生まれるのは定年後。準備期間が少ない。しかもそれまで属してきた会社組織のように、タテ関係の強い軍事組織的な目的遂行型の集団と、選択縁の集団とは社会化のしかたが違う。男性が持っているノウハウとスキルがなかなか通用しない。そこに難しさがある。

今は過渡期。本人たちの予想を裏切る超高齢化が「死ぬに死ねない老後」を生んでいる。結婚してもしなくても、長生きすれば最期は「おひとりさま」、と予期しなければならない。だが、私たちはすでに高齢期を生きている「おひとりさま」をお手本として、学習できる。このことは大きい。

選択縁への参加が高齢者の幸福度を高めるのは確かだ。ただし、そのことと介護資源とは別。友人に下の世話はさせられない。

「介護はプロに、愛情は家族に」といわれてきたように、家族が果たしてきた機能、つまり「世話や依存」と「情緒的な満足」という二つの機能を分離していく必要がある。

家族や友人を大切にしていくのはあたりまえ。関係を保っていくためにはつね日ごろからの努力を怠ってはいけない。”

(・・・内容が、ちょっと省略出来ない感じだったので、原文そのまま載せました)

 

上野教授の話全てを肯定する私じゃありませんが、でも、常日頃心の奥で考えていたけど、口に出しては憚りが・・・と思っていた事を言い当てられた気分です。

疲労困憊して、最小単位の家族の存在すら危なくなりそうになりながらも、それでも、やらなきゃいけないことなのか。

プロに任せることは、いけないことなのか。

 

だけど、最近思うのは、介護事業所で手に余るようになった時、どーすればよいのか・・・ということ。

見放されてしまうといった事も耳にします。行き場が無くなったら、もう、行き着く所は家・・・なのでしょうか。

「介護はプロに」・・・。この言葉、信じて良いのでしょうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族依存体質からの脱却

2010-06-08 19:48:06 | 介護関連

今日の新聞より抜粋します。

東大教授の上野千鶴子さんへのインタビュー記事です。聞き手は、秦融氏、後藤厚三氏です。

 

題して『家族依存の脱却を』

“「かつては家族の介護力が高かった」というのは神話でしかない。それが多くの専門家の共通認識だ。

~中略~

日本は1980年代まで、「家族は福祉の含み資産」といわれてきた。高齢者は家族に頼り切った老後を送ってきた。それが超高齢化、家族の脆弱化という二つの事情でもちこたえられなくなった。追い詰められた人たちが「姥捨て」「介護殺人」に至る事情は、責められない。

~中略~

家族構成の変化、家族自体の安定性も著しく損なわれてきている。結婚も一生ものではなくなった。

~中略~

家族の介護力は今後、ますます弱まっていくだろう。それなのに、現在の高齢者はあいかわらず家族依存が強く、家族に代わる代替ネットワークを持っていない。ここに一番の問題がある。

10年前に介護保険制度が生まれたのは、こうした流れの中で非常に大きな意味を持つ。

「介護は家族の責任」という常識にずっと支配され、寝たきりの高齢者を世間の目から隠すような社会で「介護は家族だけの責任ではない、第三者の手を借りていい、高齢者の福祉には公的な責任がある」ということを、国民的に合意することで、この制度ができたからだ。これを革命と言わずして何だろうか。

ただ、意識は現実の変化にあとから追いついた。介護の人手を家に入れるのは恥だという意識があったから。

家族研究の経験から、はっきり分かったことがある。危機が起きた時、家族は結束するより壊れる傾向がより強い。家族の結束が美談になるのは、それがめったにないことだからだ。

~後略~”

 

今、我が家でも同様な問題が起こってます。

介護に対する考え方は人それぞれ。そのどれが正解でどれが間違いなのかは、決して判断出来ないと思います。

家族構成、家族の現況、被介護者の状況、経済状態、etc.

それらの要因が様々に組み合わさるわけですから、一つ一つ、絶対に同じ介護状況は無いのです。

だから、比較は出来ても、こちらに合う対処法がもう一つの場合に合うとは言えない。

それが、どーしてわからないのでしょう。

判らない人が多すぎる。

 

そして、何より、今でも根強く残る家族以外での介護方法への偏見。

 

それが悪いと言うのではありません。

それにこだわるのが、”善”で、そうじゃないのが”悪”或いは”怠慢”とみなすのをやめてほしいと思うんです。

例えて言うなら、洗濯機が無かった時代の人が、現代の私たちに手で洗えと言ってるようなもの。自分たちは、そうしてきたのだから・・・と。そのくらい我慢して当たり前・・・と。

 

今の家族を壊してまで介護するのが親孝行なのか。

何もわからなくなってる親の毎回変わる意思に沿うのが孝行なのか。

単なる自己満足にしか、私には思えません。

直接介護にあたる人の意思で進めてはいけないのか。

 

介護方針を決める時、基準となるのは、被介護者の状況と介護者の介護力なんじゃないでしょうか。

何故、直接かかわらない人の自己満足に付き合わなきゃいけないでしょう。

 

上野教授のインタビューの最後に、こうあります。

“変わってしまった社会や家族の現実から目を背けてはいけない。冷静に認識して対応策を考えていくしか、解決の道はない。”

 

自分の手から離れた介護に、ピントの外れた指示は出さないでほしいです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お初のショートスティ

2010-03-13 17:52:27 | 介護関連

こんなに気持ちがゆったりするなんて

今日から2泊3日で、義父母がこちらに来てお初のショートスティです

10時過ぎにお迎えの車に手を振った後、二人で

「いやぁ~っ、こんなにゆったりとした気分、久しぶりだねぇ

と、言い合いました。

そして、さっき挙げた記事のラーメン屋さんの行列にも、時間を気にすることなく並ぶ事が出来まして。

何度も何度も

「時間の有難味が身にしみる~っ

と自由さを満喫しております。

「今日は、外食だーっ

と、こんな時間になってもゆったりとキーボードを叩いてる私です

食事用の買い物をしないと言うのが、こんなに嬉しいなんて

たいてい、デイサービスの日でも、お昼の時間を過ぎたら、もう、

”あと○時間で帰ってくる・・・

と、落ち着かなくなり、焦って来るんです。

だから、のんびりスーパーで今晩の夜食のお菓子やらお酒なんぞを買い込むと言う、何でもない行動が、無性に嬉しい私です。

今夜は、韓国ドラマ&映画を観倒すぞーっ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

介護認定

2010-03-02 11:31:38 | 介護関連

今月介護保険が更新となる義母。

その認定調査の為に、今日、担当者の方が来てくれました。

 

嫌な予感はしてたんですよ。

何がって

義父です。

以前にもまして物忘れが酷くなってるし、物事の理解能力も、殆ど無くなってるので、家に見知らぬ人が来て、あれこれ質問をすると、もう、それだけで不信感丸出しになる事は、容易に想像が付きました。

ケアマネさんや介護施設の方と契約書を交わした時も、もう、その後息継ぐ暇もないくらいに

「あれは誰だ。何に印鑑押してたんだ。」

の矢継ぎ早な詰問。

”詰問”ですよ。決して”質問”じゃない。

当然、今日も、その雰囲気

 

「あの人たちは、何で来たんだ。」

の繰り返し。

何度説明しても、その数秒後には、同じ質問。いや、詰問

 

面談自体は、特に問題も無く終わりましたよ。

義母は、耳も遠いし、人が言う事が聞こえないばかりか、聞こえたとしても直ぐに理解できなかったりすると、もう、

「な~んも、わからん

と、人との会話を拒否する姿勢になるし・・・

ま、それで良かったんです。その様子を、きっちり見てもらえましたから。

もう、知らない人の前で余所行きの体裁を整える事も出来なくなっているのです。

 

でも、問題は、義父なんです。

別室で・・・なんて事は当然出来ませんから、同じコタツに入りながら・・・と言う状況。

面談中から、険しいちょっとマジが入った目つきで私の事、担当者の方を交互に睨み付けてるし・・・

絶対に後でひと悶着あるだろうな・・・とは覚悟してました。

 

やっぱりね

上記した詰問を繰り返してます。

私が、洗濯物を干そうとしてる所まで来て、その詰問

 

わかってはいるけど、自分の体調がイマイチな時は、これが癇に障ります

あ・・・、いや、イマイチじゃなくても

 

とりあえず、今日は、どーにか治めました。

でも、今度は、義母だ・・・

さっきの質問が理解できなかった事なのか、それとも、特に理由も無いのかわかりませんが、とにかく、欝に入ってます

「ど~せ、私ゃ、馬鹿なんよ。」

と来た。

「そーだね。だから、黙って

と言えたら、どんなにスッキリするかしら

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

効きます♪

2010-02-02 15:31:19 | 介護関連

この季節、年をとってくると、身体がかさかさ乾きます。

皮膚の表面が粉がふいた様になってる事もしばしば・・・

私達でもそうだから、90を超えた義父母なんぞ、人間の皮膚かぁと思うくらい乾いてます。

当然、ばりばり掻くのですが・・・。

その掻き方がハンパ無い

血がにじみ、それがカサブタになり、それを掻くもんだから、もう、すっごい状態

もしかしたら、鬼嫁のまぎぃが、折檻してるんじゃないかと疑われそうなくらい・・・

それは、どーもアルフィーの血筋のようで

私は、痒くても、血が出るほど掻いたりはしない。

見た目、本当に痛そうなんですよ

で、その治療&軽減に・・・と、いろんな薬を試してみたんですが、なかなか、これっと言うものに当たらない。

でも、先日見つけてきたこの薬

            

ですよ

なかなかよく効きます

匂いも、さわやかでGOOD

商品名は《近江兄弟社 メンタームEXプラス》

勿論、先日、義母が入れ歯を押し込んでいた代物ではありませぬ

お勧めです

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オカルト映画のよう・・・(ーー;)

2010-01-24 11:35:43 | 介護関連

今日は、朝からとっても良い天気

お日様の差し込むリビングじゃ、ぽかぽかと日向ぼっこ日和です。

で、今、うちの被介護者二人は、座椅子に座ってカーテン越しにお日様の光を浴びて、うとうとしてます

じゃ、タイトルは何だって

実は、先日、私はオカルト映画の様な1シーンに遭遇したんですよ

 

と言うのは・・・。

義母は、何でも片付ける習性があるんですが、それは今でも全然変わっていません。

それどころか、片付けた意識が無いものだから、始末に終えない。

ちょっとでもテーブルの上に出しっぱなしにしておいたら、何でもかんでも、それも、何処にでも突っ込んだり、押し込んだり、はたまた小さく畳んで詰め込んだりするわけです

かなり気をつけてはいるんですが、それでも必要なものが必要になった時、探しまくる羽目になる事も多々あります。

それが又起こったわけです。

 

晩御飯を食べていたら、急に言うんです。

「お肉が口の中から落ちる。」

「え」・・・意味わからないですわ

何の事かと思って、義母の口元を見てみると、確かに、お肉(一口大に切ってあるんですよ)が、口の中で転がってる・・・。

「歯は

そーなんです。総入れ歯の上あご用が無いんです

だから、お肉が噛み切れない。

もう、本人に聞いても埒は明かない

だって、歯が無い事すらわかってないんですから

 

それから、家捜し開始

でも、2時間探しても見つからない。

そのうち、アルフィーが帰宅し、一緒に探してもらっても見つからない。

だから、翌日、歯医者さんに連れて行こうという話で、一応決着し、義父母&アルフィーは床に就いたんですわ。

 

私は、ほっと一息ついて、とりあえず、手のケアに・・・と、マイハンドクリームを塗ろうとしたんです。

そしたら、いつも置いてある所じゃない場所にクリームが置いてある。

”はは~ん、これもお義母さんが置いたな・・・”

と、蓋を取ろうとしたら、何故か蓋がちゃんと閉められてない。

「ん何故

と呟きながら、蓋を取ったら、そこに

「ひぃっ

声にならない声っていうんでしょうか。後で聞いたんですが、その声はアルフィーにも聞こえたようで、

”何

と、不審には思ったらしいです。

 

だってねー、想像してくださいよ

黄色いクリームの中に、半分埋まってるんですよ、上あご用の入れ歯が

なんて気持ちの悪い、怖い映像なんでしょ

もう、ホントに、オカルト映画のようでした

 

そのクリーム、実は、全然効かないと不評な代物。

私は、絶対に使えません一応、アルフィーに

「良かったら、使う

と、聞いてみましたが、ぶんぶんっと首を振ってましたな

きっとこのまま廃棄処分になると思います。勿体無いですが、気分的に無理です

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

判ってもらえるって・・・

2009-12-28 18:51:58 | 介護関連

今日、ケアマネさんが、訪問してくれました。

一応、規則として”1ヶ月に1回以上、家庭を訪問して、現況を把握する事”・・・とあるそうで。

でも、思い起こしてみても、田舎で居た約10ヶ月の間にケアマネさんが来たのは、1回。

それも、立ち話的な状況で翌月の予定表を手渡されただけ。

だから、かなりの間、私は介護保険の使い方等々、全く知識を得る事も無く過ごしていました。

その1回のみの予定表を見て初めて、サービスの利用が、保険点数より遥かに少ない状況で、まだまだ利用可能だと言う事を知ったのです。

なんやかんやと耳障りの良い話はしてくれていたけれど、そういった所謂”為になる”話は聞かせてくれなかったんです。

その時のケアマネさんの考えがどうだったのかは、今となっては確かめようも無いですが、その方は結局、私の事を理解し協力してあげようという態度では無かったと思うのです。

で、私は、

”こんなもんなんだ・・・”

と、ケアマネさんを十羽一絡げにして考えていました

 

本当に済みませんでした、全国のケアマネさんたち

今回、こちらのケアマネさんと知り合う事が出来て、介護に対する意欲や頑張ろうと言う思いが、少しですが(・・・少しです)出たように思います。

長くやっていけるかも・・・という思いも持てるようになりました(あくまでも、少しですが・・・

 

なんといっても、じっくりと話を聞いてくれるところが嬉しいです。

介護をしてる方々は、絶対に胸の中にたくさんの不満や鬱憤を抱えているはずです。

それを、一緒に居る配偶者の方に打ち明ける事も、なかなか出来るものではありません。だって、いくら夫婦と言えど、配偶者の親の事をあまりあーだのこーだのと言われたくはないでしょうから。

そんな時、それぞれの立場に立ってリアルな気持ちを察し、例を挙げて話してくれると、とっても気持ちが楽になります。

理想はこうだけど、現実は、そんなに甘いものじゃないと言う事。現実はこうだから、そういう考えだって持って当たり前だと。

そういう言葉一つで、どんなに助かるか、本当にわかります。

それが、たくさんの介護の現状を見て経験してきたケアマネさんの言葉だからこそ、一層の救いになるのです。

 

だから、私も今日、現状を報告がてら、これからの希望を話し、我が家の介護の現状を理解してもらいました。

それが、夕方、デイサービス帰りの義父母を気持ちよく迎えられた理由でもあります。

鬱憤とか不満とかを吐き出した所為で、気持ちの中に義父母を迎えるスペースが生まれたんです。

本当に有りがたいです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これって、コツ?

2009-12-24 20:31:33 | 介護関連

毎日毎日、夕方になると途端に里心がついて、精神的に乱れ始めるのは、どの老人もそうだとか。
うちでも、義父が、もろ、”帰りたいコール”を連呼します。
そんな時が、一番、要注意!

先日、私がついつい声を荒げて喧嘩腰になったのも、そんな時。

ほんの10秒くらいの間を空けただけで、コールを繰り返す。
それだけでなく、だんだん表情は険しく、口調もきつくなり、目がマジになる。
で、私は”ヘルパーさん”という認識だけしかないから、他人に厳しい義父は、言いたい放題。
堪忍袋が小さい私は、あっという間に限界点に達するわけです。

もう、こうなると、”夕方怖い症候群”になりますわ。

でも、一昨日、ちょいとコツらしきものが判ったんです

それは、一緒にコタツに入って、定期的に会話をすること。
何でもないことなんだけど…。
PCを台所のテーブルでやってたら、どうしても会話は少なくなりますわなぁ。
会話が無いから、余計な事が気になり、心配になり、それが雪だるまのように際限なく膨らんでいくんじゃないかなぁ…と。

私としては、一日中顔を突き合わせるのが苦痛でしようがなかったので、顔を合わせなくて済む位置にPCを置いた訳で。
会話をする事も苦痛になっていたので、一石二鳥だとほくそ笑んでいたんです、実は。

でも、それは、同居には、最悪の状況だったんじゃないかと、遅ればせながら気が付いたんです。
だから、夕方になると、私が居るテーブルのところまで来て、あーだこーだと難癖つけたり、訳のわからない事を何十回と無く言い続けたりするんじゃないかなぁ…と。

だから、一昨日あたりから、試しにコタツにPC置いて、
「ここで、”仕事”して良いかなぁ。」
うまい!あくまでも、仕事と言います。
と言ってみたらexclamation
愚図らなくなったじゃんないですかーっ手(グー)

愚図らなければ、私だって気持ちよ~く介護が出来る。

こんな簡単な事なのに、全然気が付かなかった私。

いっつも、自分が楽になる事だけ考えて、義父母の思いなんて、考えもしなかった。
もう、呆けてるんだから…。
もう、何にも感じないんだから…。
何をやっても、直ぐ忘れて、お世話のシガイが無い。

本当に、こんな些細な事なのに、自分で気が付かなきゃ、全然頭に入らないし、理解も出来ない。納得も出来ない。
多分、もっと早く誰かが言ってくれたとしても、
「そんな事わかってる!」
という一言で片付けて、でも、ホントのところは全然理解できてない状況で終わってたと思います。

よく、息子や娘が使う台詞と同じですな。

ほんの少し、自信が付いた私です。

私も、日々進歩です。
笑わないでください、
こんな小さな一歩ですが、私にとっては、”目からうろこ”だったんですから。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天気が良いなぁ・・・(ToT)/~~~

2009-12-20 12:59:39 | 介護関連

今年も残すところ、あと10日あまり。

早かったですねぇ、今年もまた・・・

でも、ここ1ヶ月間は、長かったです

気の持ちようによって、こんなに相対的な時間の速さが変わるわけです。

 

で、師走の本日、お外はむっちゃむっちゃ好天じゃないですかぁっ

でも私は今日も、義父母と共に、リビングに閉じこもってます

アルフィーは出勤

もしかしたら、現実逃避じゃないかと私は思うのですが・・・

良いよね、逃避する事が出来て

私だって、後顧の憂い無く外出したいよ

一人で行動できる幸せを全然わかってないんだからっ

 

ところで、昨日、義父母のこちらでの主治医を決めようと、近所のかかりつけの医者に行ったのですが・・・

前もって電話で事情を話すと、本人抜きで、相談に来てくださいとのこと。

行ってみると、二人の年齢(95&90)を聞いて、もう、そこで先生は引き気味

で、将来のことを考えると、やっぱり入院設備の整った老人対象の病院の方が良いんじゃないかと。往診もしていないので、私としては責任持ちかねる・・・とのこと。

仕方が無いので、知り合いの病院を紹介してもらい、その足でそちらに向かいました

 

紹介先の病院は、以前ケアマネさんからも話があったところ。

”老人病院”という表現の仕方に、ちょいと気持ちが萎え気味だったんですが、想像に反して、先生も看護師さんも、検査技師さんたちも気持ちの良い明るい方々ばかり。

老人の対応、そして介護者にも慣れてる事もあり、とても行き届いた対応でした。

暗いイメージだったのが、一変

 

ただ・・・、会計業務が遅い

むちゃくちゃ遅い

それさえ無ければ、合格点をあげられたのに

おかげで、私たち、帰宅したのは午後2時

一日仕事でした。大学病院に行った感じよぉ

ま、でも、主治医が決まったんで、なんとな~くほっとしております。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これは、暇?(ーー;)

2009-12-18 18:55:33 | 介護関連

毎日の私の時間は、介護かPC(DVD視聴、ネット遊び等)の二つに分けられます。

だから、会話も考える事も、その二つしか無いって感じ。

と言うわけで、最近、わたくし、会話のバリエーションがありません

話す事大好きなまぎぃなのに・・・。

あーでもない、こーでもないと、いろんな話題を楽しみたいまぎぃなのに・・・

寂しい事です。

つまらないまぎぃです。

話題の引き出しが、2種類なんて

予想のつかない介護老人に振り回され、PCに逃げても、限りがあるし・・・。

一日中家に居て、PCやって、義父母の相手をして、世話をして、苛々するだけなんて、考えようによっちゃぁ、暇なのかもしれません。

それじゃぁ、年末の大掃除すれば

な~んて声が聞こえそうですが。

それも、なかなかストレスが溜まるんですよ。

と言うのは、私が、何かちょっと違う事、例えばアイロン掛けなんぞし始めると、途端に義母がそわそわし始め、

「何かやる事あったんじゃないかなぁ。それが思い出せない。」

と、騒ぎ始めるんですよ

で、一度はさせてみたんですが、当然、

「どーすればよいのか判らない。」

の連呼

結局、余計に混乱するだけ。

全てがそうなんです。

だから、いつもと違う事は、見えないところでやらなきゃ、騒動が勃発するんです。

 

だから・・・、暇なんだけど、そーするしかない

 

だから、会話も膨らまない

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする