大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

鳥羽・答志島散策

2017年11月18日 | 史跡
11月15・16日相棒と共に鳥羽・答志島へ。
上本町から急行を乗り継ぎ鳥羽まで約3時間、車窓からの紅葉を愛でているうちに到着。
まず昼食、鳥羽駅前で美味しい魚で一杯。

駅前の門野幾之進記念館(自宅跡に建設)へ。
門野幾之進は、鳥羽藩の家老の長子で幼少より英才の誉れ高く、慶應義塾で中上川彦次郎らと同門となり慶応義塾では福沢諭吉を助け教鞭をとり教頭・副社頭を務める傍ら交詢社の発展に寄与。後に貴族院勅選議員を経て実業界に進出千代田生命を創業。実業家として成功をおさめ郷土の教育振興にも尽くした。

記念館でスタッフから鳥羽城の歴史も教えて頂きましたので、鳥羽城主九鬼氏の菩提寺常安寺と鳥羽城跡を訪ねました。

常安寺は、九鬼嘉隆の息子守孝が改築常安寺と改名。関ヶ原の戦い後西軍の九鬼嘉隆は答志島にて自害(守孝は東軍)、その短刀や肖像画等を保存。
明治天皇の当地訪問時の宿舎にもなった。

鳥羽城跡
織田信長や秀吉のもとで水軍大将として活躍した九鬼嘉隆が文禄3年(1594年)に築いた。大手門は海に開いた水門で、内陸部には堀を巡らせ四方を海に囲まれた海城。天守は高約20mありましたが明治の廃城令に伴い取り壊された。
野面積みの石垣の一部が相橋や本丸跡等に残っている。現在は城山公園として市民憩いの場となり市役所・小学校等も建設されている。
天守台からは鳥羽の街並み越しに美しい答志島等の島々の眺望を満喫。

鳥羽マリンターミナルから定期船で答志島へ。
乗船約20分で答志島和具港着、迎えの車で宿へ。

貸切状態の温泉(鉱泉)にゆっくり浸かり、露天風呂から沖の行き交う船を眺めながらウオーキングでの疲れを落としました。
夕食は、想像以上のお魚尽くしに飲み過ぎにブレーキを掛けるのが一苦労。

就寝前にもう一度入浴、バタンキュー。

翌朝、6時半の日の出を部屋から鑑賞。太陽の上る場所に雲があり水平線からの日の出は拝めませんでしたが、その雲から出る真っ赤な朝日に感激。
朝食も美味しく頂き部屋で寛ぎ10時前から島内散策。

まず島の南東部にある九鬼嘉隆の胴塚・首塚を目指します。
麓にある自害の場所の胴塚と自害の短刀を洗ったという血洗池から希望の丘展望台で穏やかな海が望めました。
次は首塚へ。首塚には、大隅大権現と刻まれていました。

関ヶ原の戦いで西軍に味方し敗れた九鬼嘉隆は答志島に渡り自害しました。東軍に付いた守孝が家康に父の助命を嘆願し聞き届けられ父に知らせたが、間一髪間に合わず父は自害。首は家康の首実検後この地へ帰り供養された。

その後は、潮音寺・美多羅志神社へ参拝後島の東北部答志地区にて昼食。
私はやはりお刺身で一杯。
お昼時で地元で働く人が次から次へ来られ早めに切り上げました。
店の外で干物屋さんを教えて頂いていますとその店主さんが通りかかり店まで車で案内。
お土産を手に魚市場の見学へ。

この魚市場には約1.3m四方の水槽がずらり。
水槽の中には、タイ・ヒラメ・カワハギ・アジ・エビ等や名前も判らない色々な魚が元気に泳いでいます。
お聞きしますと、基本は生きた魚を売買する由で鳥羽や愛知から仕入れに来ているそうです。

見学を終えて外へ出たところで、巨大なヒラメを仕入れた人からお話が聞けました。
このヒラメも当然生きていて、5キロあり1万円で落札したそうで、大きいですねと言いますとまだまだ大きいのが上がるとのことで豊かな海を自慢そうでした。

答志港から鳥羽へ定期船で移動。
近鉄鳥羽駅で赤福等甘いものを購入し16時30分発特急しまかぜに乗車。
長女が修学旅行土産に御福を買って帰ってきたことを思い出し、相棒は娘とラインで盛り上がっていました。
早速カフェ車両へ、二階席で私は一杯、相棒はケーキセットで暮れゆく景色と共に堪能。
快適さを追求したプレミアムシート、と謳っているだけあって広々とした座席は心地良くまた乗ってみたいと思わせました。
相棒もすっかりご機嫌で今回の旅は美味しい魚と美しい景色に出会えた、まさに美味し国への旅は大成功でした。
コメント (2)
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日根荘園遺跡散策

2017年11月12日 | 史跡
昨日、歴史街道の催しでJR日根野駅周辺の日根荘園遺跡の一部日根野地区を地元ボランティアの方のご案内で散策。
総勢35名が9時30分JR日根野駅集合。

本日のコースは、
ツバメタオル工場見学⇒総福寺・天満宮⇒日根神社⇒慈眼院⇒大伊関公園・ろじ渓⇒泉佐野丘陵緑地⇒意賀美(おがみ)神社⇒茅渟(ちぬ)宮跡⇒北庄司酒造見学で総距離約9キロ。

未明の大雨も上がり出発時には青空、徒歩10分ほどでツバメタオル着。
ツバメタオル・・会議室でビデオを視聴しスタッフから泉州タオルの特徴の説明を受けタオルで有名な今治とシェアーを二分する二大産地であることや当社は大正2年創業で化学薬品使用を減らした有機精錬工程の開発で2008年ものづくり大賞を受賞、オーガニックコットンタオルが看板商品で今治タオルとの最大の違いである後晒し製法による抜群の吸水力とオーガニックコットン使用によりアロマ環境協会賞を受賞し発がん物質除去で赤ちゃんにも優しく人と環境に優しいタオル作りの会社であることをよく理解しました。

総福寺・天満宮・・行基による開山と伝え行基作の十一面観音を本尊とし境内社の天満宮社殿は一間社春日造り檜皮葺の小社ですが、様式手法ともに桃山時代の特徴をよくとどめており国の重要文化財に指定。

日根神社・・日根庄を鎮守する日根神社は和泉五社に数えられる由緒ある神社で大井関大明神として地元の人々からは大関さんと親しまれている。長い参道は流鏑馬行事も行われていたと記録されまくら祭りやゆ祭りが残っています。桃山時代の面影を残す本殿は府の指定文化財。

慈眼院・・飛鳥時代の673年、天武天皇の勅願寺として創建され、日根神社の神宮寺。秀吉の根来攻めにより建物の多くは焼失したが後に秀頼により再興。文永8年(1271年)建立の多宝塔は国宝・本尊の大日如来は府の文化財、金堂は重文。苔むした庭園はしっとりと往時の美しさが偲ばれます。

大井関公園・ろじ渓・・日根神社の脇を流れる樫井川両岸が大井関公園で桜の名所で樫井川の奇岩はろじ渓の渓谷美として親しまれている。

泉佐野丘陵緑地(昼食)・・大阪府の19番目の府営公園。コンセプトは地域のボランティアや企業・団体の協力を得て縁(えん)を結ぶ公園づくりで、元の地形や樹木を利用しながらの公園づくりを目指しています。

意賀美神社・・地元の産土神として、また地域の雨水豊作の神として信仰を集める元式内社。本殿は室町初期の建立で春日造りでは大阪府で一番古く泉佐野市で現存する最古の社殿で国の重文。後方の武塔山には桧が植栽され社殿の桧皮葺きを支えてきている。

茅渟宮跡・・古代から九州・瀬戸内沿岸と畿内を結ぶ交通の要路として開け、茅渟の国と称されて独自の生活圏を構成。古事記と日本書紀に茅渟宮と衣通姫(そとおりひめ)の記述有。允恭天皇は皇后の妹姫である衣通姫を愛していましたが、皇后の嫉妬を避ける為、天皇は姫を都から茅渟宮に移しました。狩りと言っては姫のもとへ通う天皇でしたが皇后の怒りからそれもできなくなった時、衣通姫は「とこしへに君もあへやも いさな取り、海の浜藻の 寄る時々を」(海の浜藻が波のままに岸辺へ近寄り漂うように、まれにしかお会いしておりません)と詠いました。 この歌を万葉漢字で記された石碑が建っています。

北庄司酒造・・大正10年創業の泉佐野唯一の酒蔵。「佳い酒を少しずつの丹念な酒造り」ををモットーに、今日まで守り伝えられてきた手造りの酒造りを継承し、杜氏と全社員の手により高品質の酒造りを行っていて「荘の郷」は新酒品評会で何度も金賞を受賞。

幸い天候に恵まれ紅葉や菊の花・ススキにも出会え秋の深まりが感じながら、日根野荘の史跡を巡り工場見学ではタオルのお土産や新酒の試飲もあり、相棒は少し疲れたようですが本当に楽しい一日となりました。
(歩数計21140)
お世話頂いた歴史街道・地元ボランティアの皆様方有難うございました。

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四天王寺ワッソ

2017年11月06日 | 催事
昨日は、三井ボランティアネットワークのお世話で難波宮での四天王寺ワッソへ。

集合場所のアネックスパル法円坂にてお弁当を頂いた後、衣装に着替えます。
今年も神話時代の耽羅国の神人、高乙那・夫乙那・良乙那にF氏とT氏と共に扮します。
昨年とほぼ同様の古代衣装を手順の記載された表に従い、着替えて出演を待ちます。

13時前会場に向かいパレード順に整列、私達は巡行船に乗り込みスタートを待ちます。
13時30分いよいよパレードが始まります。

雲一つない青空に恵まれたその下を古代、日本と朝鮮半島の友好の歴史を現代に再現したパレード、神話時代からスタートです。
私達3名の名前の旗を持つ3名の女性の先導に従い進みます、昨年は先導役の一人を相棒が務める予定でしたが強風にあおられフラフラしているのに見かねた男性が旗を持ってくれ、手持無沙汰の相棒を船に乗せたことを思い出しました。

数十mの短いパレードですが、当時船で日本まで来ることの困難さと共に伝えられた進んだ異文化を受け入れた先人の智恵に思いをはせました。
その後は舞台に上がり司会者からの紹介を受けた後退場、三井VNETの皆さんとの記念写真を撮って本日の活動は終了。

着替えた後、会場に戻って相棒と共に見学。
いつも活動に積極的な事務局のK氏と本日ご一緒頂いた皆様のお蔭で楽しい一時を過ごせています。
今後ともどうぞよろしくお願いします、有難うございました。



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ミライザ大阪城

2017年11月03日 | 史跡
昨日、インフルエンザの予防注射で国立大阪医療センターへ。
相棒を誘ってついでに散歩、相棒から大阪城天守閣前にミライザが出来てるそうですよ、と。

注射の後、大阪城へ。
相変わらず中国、韓国等からのインバウンドが多数、日本の産業に貢献していることを考えて感謝しましょう。

ミライザ大阪城
天守閣前にある旧第四師団司令部庁舎(元大阪市立博物館)の情緒溢れる重厚な建物の趣を活かしてリノベーションされ、商業施設として再生、10月19日オープン。

この建物は、昭和6年昭和天皇即位を記念し大阪城天守閣再建を計画、大阪市民の寄付を募ったところ予定額を超えて集まった資金で建設され、戦後3年間進駐軍に接収返還後大阪府市警察の庁舎として利用、その後大阪市立博物館(昭和35年~平成13年)として利用されてきた。
募金は、150万円集まり天守閣に70万円、この建物に80万円。

3階建ての建物の1階には土産物店・カフェ・「特別史跡大坂城跡」展示室、2・3階はレストラン・パーティー・ウエディング・チャペル等、屋上はレストラン・テラスチャペル。
玄関を入りますと正面に赤じゅうたんの敷き詰められた大階段があり中央に南北一直線の廊下が走りそれに沿って東西に諸室が並びます。

風が吹き渡る屋上からは天守閣が間近に見え、いつも下から見上げていたねむの木等の樹木を見下ろす気分はよいものでした。

緑の少ない大阪市内貴重な資産である大阪城公園、城内にはまだまだ活用の余地は多くあると思われます。
知恵を絞って歴史遺産を大切に保存活用して頂きたいものです。
大阪のランドマーク大阪城が今後共益々大阪市民に愛され、憩いの場として活用されることを期待しています。

本日の歩数計は、10942.
やはり大阪城は私達の健康にとって必要で大切なものであることを再認識しました。
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