大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

カタツムリ

2017年07月15日 | 鳥・昆虫
先日、高大同窓会大阪カルチャー事業部の下見で奥嵯峨へ。
バスで終点の清滝へ。

下車後、紅葉の時期には素晴らしいであろうと思われる青々したカエデのトンネルを歩いていますと、崖沿いのフェンス大きなカタツムリ(径3センチ位)を見つけました。
帰って調べますと、イセノナミマイマイであることが判明。

イセノナミマイマイ
分布は東海、濃尾平野、伊勢志摩、滋賀、京都などにわたり、主として平野部に広がっている。
地上性であるが樹木や塀などにも登ることもある。民家の庭や雑木林などに広く分布している。
殻の長径は、36~40ミリ程度。

私は子供の頃からカタツムリと呼んできましたが、いつの頃からかマイマイと呼ぶのが正式な名前だと知りました。
カタツムリという言葉は、日本語で特定の生物の種を指すものではなく、陸に生息する貝の総称のようです。

一般的にオナジマイマイ科とニッポンマイマイ科の種類の仲間がカタツムリと呼ばれています。

マイマイの語源は渦巻状の殻「巻き巻き」から来ているそうです。
マイマイが指す生き物も主に「〇〇マイマイ」とつく仲間のことなので結局のところマイマイもカタツムリも同じことを指すと言えるようです。
蝸牛という漢字についてですが、渦巻きの殻を持つ牛のような角(触角)がある虫という意味合いでついたと考えられています。
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北野恒富展

2017年07月10日 | 催事
あべのハルカス美術館での「北野恒富展」へ。
大阪の女性を描き続けた画家、とのキャッチフレーズに魅かれ相棒を誘って出掛けました。

没後70年を記念しての大回顧展、大阪初のなにわの美人図鑑として開催されています。

北野恒富
1880年金沢の生まれで画家を志し17才で来阪。
新聞の挿絵画家としてスタートし明治から昭和前期にかけての浮世絵師、日本画家、版画家。

明治末には日本画家としての地位を確立、妖艶美漂う初期の作品は「画壇の悪魔派」と呼ばれた。
次第に内面表現を深化させた作品を生みだし、そして上品で華やかさを秘めたモダンな感覚「はんなり」に到達し、近代大阪画壇を牽引。
画塾「白燿社」を主宰して不二木阿古、中村貞以、樋口富麿、生田花朝女ら多くの門下生を育てたほか、大正末年には徳島で南海画塾も設立した。

浮世絵と同じ技法による新版画を発表し浪速情緒にあふれた木版画も残し、島成園を少女時代から指導した事も知られる一方で、いわゆる艶福家でもあり、孫娘北野悦子によれば彼女の幼少期、家には「おばあさんと呼ぶ人が三人」いたという。
また祇園や宗右衛門町などでの芸妓遊びを好み、一晩遊んだ後に居続けをすることもしばしばで、息子の北野以悦の結婚式に間に合わず式では参列者の一人が親代わりをつとめ、北野自身は記念写真の撮影の直前にようやく現れた、とも伝えられている。

昭和22年当時在住していた大阪・三野郷村(現在の東大阪市、八尾市の一部)の自宅で心臓麻痺のため67歳で急逝。
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小国鶏

2017年07月02日 | 鳥・昆虫
先日、福知山の観音寺へ行った際境内で美しい鶏に出会いました。
風貌は眼光鋭く、色合いは頸から背中にかけてが白色で腹から尾にかけては黒く、大きなトサカや耳朶の赤色と黄色の足が際立つ姿は立派でまるで尾長鶏のようですが、尾長鶏ほど尾は長くありません。
説明板には「小国鶏」とありました。

小国鶏(しょうこくけい・おぐにどり)
遣唐使によって平安時代にもたらされ観賞用に普及。
五色種、白藤種、白色種と3種ある。(今回出会ったのは、白藤種でした)

闘鶏の一種として古くから飼われ、多くの日本鶏の成立に関わった。
昭和16年に天然記念物に指定され、三重県、京都府で多く飼われている。

鳴き声は長く時間を正しく知らせたことから「正告」または「正刻」とも呼ばれ、尾長鶏はこのトリから改良されたものだといわれている。
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