昨日、「ひがしおおさか狂言会」を相棒とともに鑑賞。
近鉄奈良線八戸ノ里駅から徒歩数分の東大阪市文化創造館(2019年建設)へ開演30分前着。


本日の演目は、
「蚊相撲」・・大名(十四世茂山千五郎正邦)・太郎冠者(茂山千之丞)・蚊の精(鈴木実)
休憩
「御茶の水」・・新発意(茂山茂)・いちゃ(茂山逸平)・老僧(網谷正美)
「鶏婿」・・婿(茂山宗彦)・舅(茂山七五三)・太郎冠者(山下守之)・教え手(島田洋海)


パンフレットの「あらすじ・解説」により、演目のあらすじを理解したうえでの鑑賞でしたので、演者のやり取りがよく判り狂言の面白さを満喫し、相棒ともども大いに笑い楽しむことができました。
狂言は、室町時代から江戸時代の終わりまで武家式楽として武士・公家の特別階級の文化として受け継がれてきましたが、明治時代に入って茂山千五郎家の十世千五郎正重が狂言を庶民にも楽しんでもらおうと地蔵盆・結婚式・お祝いの会など色々な所へ出向いて余興に狂言を上演した。
明治時代でもまだ、能舞台以外での上演はいけない、他のジャンルの芸能と共演してはいけないなど、保守的な考え方が根強かったころ、タブーを犯して活動する正重に対して、お豆腐狂言と称され「茂山の狂言は我々のやっている特別な芸能文化ではなく、どこの家の食卓にも上がる豆腐のような安い奴らや」という意味の悪口を言われました。
しかし二世千作は「お豆腐で結構。それ自体高価でも上等でもないが、味つけによって高級な味にもなれば、庶民の味にもなる。お豆腐のようにどんな所でも喜んでいただける狂言を演じればよい。より美味しいお豆腐になることに努力すればよい」と、その悪口を逆手にとりました。
それ以来、茂山千五郎家では家訓として、これを語り伝えているそうです。

本日も、舞台の上に設えられた簡易な能舞台での熱演でした。
狂言は能ほど堅苦しくなく楽しめる芸能かな、との思いを強くして帰宅。
近鉄奈良線八戸ノ里駅から徒歩数分の東大阪市文化創造館(2019年建設)へ開演30分前着。


本日の演目は、
「蚊相撲」・・大名(十四世茂山千五郎正邦)・太郎冠者(茂山千之丞)・蚊の精(鈴木実)
休憩
「御茶の水」・・新発意(茂山茂)・いちゃ(茂山逸平)・老僧(網谷正美)
「鶏婿」・・婿(茂山宗彦)・舅(茂山七五三)・太郎冠者(山下守之)・教え手(島田洋海)


パンフレットの「あらすじ・解説」により、演目のあらすじを理解したうえでの鑑賞でしたので、演者のやり取りがよく判り狂言の面白さを満喫し、相棒ともども大いに笑い楽しむことができました。
狂言は、室町時代から江戸時代の終わりまで武家式楽として武士・公家の特別階級の文化として受け継がれてきましたが、明治時代に入って茂山千五郎家の十世千五郎正重が狂言を庶民にも楽しんでもらおうと地蔵盆・結婚式・お祝いの会など色々な所へ出向いて余興に狂言を上演した。
明治時代でもまだ、能舞台以外での上演はいけない、他のジャンルの芸能と共演してはいけないなど、保守的な考え方が根強かったころ、タブーを犯して活動する正重に対して、お豆腐狂言と称され「茂山の狂言は我々のやっている特別な芸能文化ではなく、どこの家の食卓にも上がる豆腐のような安い奴らや」という意味の悪口を言われました。
しかし二世千作は「お豆腐で結構。それ自体高価でも上等でもないが、味つけによって高級な味にもなれば、庶民の味にもなる。お豆腐のようにどんな所でも喜んでいただける狂言を演じればよい。より美味しいお豆腐になることに努力すればよい」と、その悪口を逆手にとりました。
それ以来、茂山千五郎家では家訓として、これを語り伝えているそうです。

本日も、舞台の上に設えられた簡易な能舞台での熱演でした。
狂言は能ほど堅苦しくなく楽しめる芸能かな、との思いを強くして帰宅。