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大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

USJ

2024年12月08日 | 催事
11月下旬、孫娘からのライン。
12月4日、大学卒業後の就職先の感謝イベントで、USJへの招待があり家族を1名同伴できるので一緒に行こうとのお誘い。

折角のお誘いですので、相棒も行くことに。
当日、新幹線で来阪の孫娘と新大阪駅で再会、14時から入場とのことですので梅田で昼食を済ませてHEP5屋上の観覧車に乗って時間つぶし。

JRユニバーサルシティー駅から徒歩すぐのUSJ入口へ。大勢の来園者に交じって入場。

まず、今年で最後と伝えられている高さ30m超のクリスマスツリーへ。
コナンの4Dライブショウでは、正面の画面とは別に私たちの目の前で動き回る画面が映りだされるという、大迫力のショウを楽しみました。

ハリーポッターの街では、魔法の国に行く機関車や街並みが再現されており、約90分の待ち時間ののち入場。

私たち3人が座った4人掛け長椅子が向きを変えて出発、いきなり猛スピードで動き出し座席が後方へ倒れ仰向けでの進行は一瞬椅子から落ちるのではとの錯覚を感じ恐怖を覚えます。
そこではハリーポッターが魔法のほうきに乗って空中を飛び回っています。動きが早すぎて写真は撮れませんでした。

孫娘から、「おばあちゃん腰を抜かさないでね」と言われていた相棒は体験後「怖かった!!」と。
外へ出ますと、夕暮れが始まっていました。
ジョウズの展示物を横目に夕食場所へ。
食後、色とりどりに変化するクリスマスツリーを再度パチリ。

鬼滅の刃の展示物を見たりしながら、買い物へ。
相棒と孫娘は、お揃いのスヌーピーのカチューシャを購入し記念写真。

孫娘は就職先の会長の挨拶があるとのことで、ここでお別れ。
孫娘のおかげで、私たちはUSJができた頃娘夫婦と一緒に来て以来二度目のUSJを堪能、誘ってくれた孫娘に感謝しながら帰途に。
久しぶりの夜更かしを楽しみました。本日の歩数計18557歩、相棒は孫娘と一緒に楽しみたいとの思いでよく頑張りました。
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おおさかもん(大阪産)祭り

2024年11月11日 | 催事
昨日、司馬遼太郎記念館からの帰り道、天王寺のてんしばで相棒と待ち合わせて、おおさかもん祭りに行ってきました。
大阪府内で生産された農林水産物とそれらを使った加工品のことを、大阪産(おおさかもん)と呼びます。

大阪産のロゴマークには、「農産物や林産物などをイメージする萌葱色」、「魚介類などをイメージする孔雀青」、「「つくり手」の温かみや情熱など「大阪産(もん)」を支える人々をイメージする金茶色」を3つの「円」で表し、様々な主体の活動や連携の「輪・環」を築き広げることを意味しています。
もう一つの深緋色(こきひいろ)のロゴマークは、「天下の台所・大阪」で長く愛され続けている、お土産や贈り物にもおすすめの加工食品です。

入り口で昼食を頂き会場へ。
子供連れで賑わう会場には、大阪産以外のテントも多くあり大阪府内の観光案内や関西万博のPR・血管年齢の測定等が行われています。
私達も誘われるままに、関西万博の「パビリオン宴」内に掲示される写真提供や血管年齢の測定(結果は二人とも実年齢より数歳若い判定でした)を行いました。

天王寺公園の入り口に2015年に開場したてんしばは、いろいろなイベントが催され住民たちにも憩いの場として認知されています。
相棒は、サトイモ、シイタケ、水ナスを、私はカステラ、おかき、どら焼きを購入しバスで帰宅。
本日の歩数計、7223歩でした。
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ブルーインパルス展示飛行IN天橋立

2024年07月22日 | 催事
昨日、天橋立でのブルーインパルス展示飛行のツアーに参加。
宮津市市制70周年の目玉として招致されたもので、この地では初めての催しです。

難波を8時前に出発、青空に夏らしい白雲の下、名神から舞鶴自動車道を経て与謝天橋立ICから天橋立到着11時前。
目的のブルーインパルス展示飛行は13時30分から14時までですので、その間約4時間ほどが自由時間です。

私は、まずカモメがエサをねだってついてくる遊覧船で対岸の日本三文殊の一つ智恩寺。

智恩寺で参拝後、リフトで天橋立ビューランド山上へ。
頂上駅近くには、カメラ片手の大勢のブルーインパルスの見学者であふれています。

初めてここへ来ましたが、対岸の成相寺からの眺めとは違って眼下に天橋立の東西両岸が正面から望め、とても美しく新鮮な初めて見る風景に改めて日本三景に選ばれたことに納得しました。

少し狭い場所でしたが、股のぞきやカワラケ投げもあり対岸と変わりません。
リフトで下りた後レンタサイクルを利用して、天橋立の松並木の中を北上し対岸へ。

途中、智恩寺文殊堂境内鎮守の天橋立神社(橋立明神)・海に囲まれながら真水が湧き出す不思議な名水の磯清水に参拝。

与謝野鉄幹、晶子夫妻の歌碑・岩見重太郎が父の仇を討った地であり試し切りの石や大正天皇、昭和天皇お手植えの松をはじめ千貫松・夫婦松等いろいろに名付けられた立派な松多数、それらを観賞しながら対岸まで。

対岸では、丹後一宮の元伊勢籠神社(重文の狛犬と共に)に参拝してブルーインパルスの展示飛行を見に天橋立の東海岸へ。

13時半過ぎ、小松基地を飛び立ったブルーインパルス6機が、青いキャンバスに編隊飛行や東京オリンピックを思い出させる五輪マーク・ハート等を見事に描き出しました。

約30分のアクロバット飛行でしたが、素晴らしい操縦技術に感嘆するとともに、この技術がきっと国防にも役に立っていることと思いながら見ていました。
ブルーインパルスとは、航空自衛隊の存在を多くの人々に知ってもらうために、航空自衛隊の航空祭や国民的な大きな行事などで、華麗なアクロバット飛行(これを展示飛行と呼びます)を披露する専門のチーム。

宮津の最高気温37.3度であった中での観光や見学で全身汗びっしょり。(そう言えば明日は、大暑でした)
15時にバスは出発しましたが、多くの見学者での大渋滞にはまり遅々として進みません。
コースを変更して福知山へ向かいましたが、同様の考えを持つ車が多くやはり渋滞、19時ごろから猛烈な雷雨に見舞われ車中にいながら恐怖を覚えるほどでした。(高速のトンネル内で車が立ち往生したための様でした)

何とか高速に乗り、一山超えて兵庫県に入りますと雨は降っておらず、ブルームーンと呼ばれる美しい満月が輝いていました。帰宅してベランダから撮りました。相棒の待つ自宅着21時前。
展示飛行はTVニュースでも放映されていて、相棒は見ていたそうです、ビデオも撮ってくれていました。
本日の歩数計、12910歩、貸自転車のおかげで天橋立を満喫し、炎天下での見学も無事終えることができました。


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アンサンブル フジオーネ

2024年07月09日 | 催事
先日の日曜日、司馬遼太郎記念館での活動後相棒と近鉄八戸ノ里駅で待ち合わせて、東大阪市文化創造館へ。
「アンサンブル フジオーネ」木管合奏団の演奏会が開催されていて、曲目になじみのある曲が並んでいましたので相棒を誘って参加。

曲目とメンバーは下記。


アンサンブル フジオーネ
2018年有志による木管合奏団がイタリアにて現地楽団とミサ演奏をはじめ音楽交流を開催。その時の出来栄えが大変好評だったため、音楽監督だった佐藤兼右先生に打診し2019年、関西では珍しい木管合奏団を結成し第1回演奏会を開催。

小ホールでのこじんまりした演奏会、聞き覚えのある曲が多く木管楽器での演奏を相棒ともども眠ることなく楽しく聴きました。
この楽団では随時団員の募集をされているそうです。

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葵祭(正式名・賀茂祭)

2024年05月16日 | 催事
昨日、葵祭へ相棒と出かけました。
京都駅8時50分集合、地下鉄で丸太町駅下車し京都御所建礼門前の有料観覧席へ10時前到着。

本日の天候は曇りの予報ですので観覧日和、10時30分建礼門院をスタートする行列「路頭の儀」が始まります。

「路頭の儀」は、賀茂社(下鴨神社と上賀茂神社の総称)で「社頭の儀」を行うため各神社へ向かう道中のことで、宮廷装束をまとった511名の人々と馬36頭、牛4頭、牛車2基、輿1台の長さ約1キロに及ぶ大行列で、近衛使代が主役の本列(第1列から第3列)と葵祭のヒロイン斎王代を中心とした斎王代列で構成されます。

先頭が私たちの前を通過後、次々に鮮やかな色彩の平安装束をまとった人々が目の前を通り過ぎていくのを見ていますと、自分がその時代にいるような錯覚を覚えます。

本日の主役である、近衛使代(勅使)や斎王代の衣装は特にあでやかで、ひときわ目を引き本日の主役であることが認識できました。

命婦や騎女も凛として、その役割を演じておられます。

主役以外の人々のほか藤の花で美しく飾られた牛車・風流傘や小道具も立派で、行列の豪華さを演出しています。

葵祭は約1500年前欽明天皇の時代、京都に飢餓や疫病が蔓延した際、勅使を遣わし賀茂大神の祭礼を行ったことが起源となり、平安時代には勅祭とされました。源氏物語や枕草子にも葵祭のことが記され単にまつりと言えば葵祭のこと指したそうです。

とてもきらびやかな平安絵巻を堪能し、相棒も「よかった」と、私も共にご満悦。
これで三大祭すべて観覧できました。
バスで昼食場所へ移動後、京都駅まで送っていただき帰宅。
相棒の歩数計、10867歩、よく頑張りました。お蔭でよく眠れました。
コメント (4)
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