平成25年7月3日 帝国ホテルで1000人が参列
田端 義夫(たばた よしお)愛称(バタやん)
戦後を風靡した、我らが「バタやん」
昭和生まれで青春時代を過ごした人間ならば、バタヤンこと田端義夫を知らぬ者は
いないだろう。忘れられないバタやんのあの姿、小柄でいつも愛用のエレキ・ギターを
胸の高い位置に抱えながら、「オース!」と言って舞台に現れ挨拶する、
お馴染みの姿はもぅ見られない。
私の忘れられないのは、私がまだ中学の頃、九州の片田舎の劇場に、バタやんが、
実演に来られた時の事は、今でも忘れられない出来事であった。
エンタツ・アチャコ・ロッパ・金五郎のいた、遠い昔の頃の懐かしい話。
同様に、美空ひばり・雪村いずみ・江利ちえみの、初代3人娘時代でもあった。
戦前~戦後を通じ、多くのヒット曲を世に送り出して大衆に親しまれた、
我らの「 バタやん」の愛称で親しまれ、「かえり船」などの多くのヒット曲で
知られた歌手の、田端義夫(本名田畑義夫)さんが25日午前11時45分、肺炎のため
東京都内の病院で死去された。
1919年(大正8年)1月1日 - 2013年(平成25年)4月25日)94歳。三重県出身
昭和生まれの多くの者は、バタやんの歌を、口ずさみながら荒廃した戦後を、
乗り越え唄で勇気づけられてきた者からすれば、「バタやん」ありがとうの一言だろう。
今はただ、安らかにお眠り下さいと、ご冥福を祈るばかりです。合掌
ここへ並べた「バタやんの歌」ときおり、口ずさむ歌で、忘れる事のない唄でもある。
あの懐かしい唄を並べてみた、
「十九の春(私があなたにほれたのは ちょうど十九の春でした):かえり船:
大利根月夜:島育ち:ふるさとの燈台:玄海ブルース:別れ船:梅と兵隊:かよい船:
親子舟唄」
まだまだ歌えるカラオケで、バタやんを、懐かしみながら歌いましょう。
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