Umi kakasi

自分が感じたことを思うままに表現してみたい。

2000年の歴史

2014-06-03 12:00:38 | 日記
おめでたいく御婚約が内定した。


高円宮家の次女、典子女王殿下と島根県の出雲大社の神職
禰宜、千家国麿さんと婚約される ことになりました。

千家国麿さんは、(出雲大社が祭る)大国主大神のお導きの下、この様な素晴らしい
お方と御縁を頂きましたことを大変うれしく思っております、と喜びを語たられた。
一般の結納に当たる「納采(のうさい)の儀」を経て、今秋に出雲大社で挙式の予定。

出雲大社 伊勢神宮:
宮内庁によると、典子さまは平成19年4月、久子さまとともに出雲大社を参拝した際、
千家国麿さんと初めて出会い、その後交際を深められてきた。
典子さまは昭和63年7月22日、平成14年に薨去(こうきょ)された高円宮憲仁親王
殿下と久子さまの次女としてご誕生。23年3月に学習院大文学部心理学科を卒業され、
卒業後は皇室行事への出席などの公務をこなされてきた。

皇族女子が結婚で皇籍を離れるのは、天皇、皇后両陛下の長女である、黒田清子さん
(平成17年11月)が結婚されて以来、9年ぶり、天皇のひ孫以遠の、未婚の女性皇族を
指す「女王」の結婚は戦後初めてある。

  
皇室典範の規定により、典子さまは結婚後に皇族の地位を離れられる。
典子さまは母の久子さまとともに天皇、皇后両陛下に婚約内定を報告された。
久子さまは、娘の婚儀に際し「二人で温かく幸せな家庭を築いてくれることを
祈っております」とご感想を発表された。

千家尊祐 千家国麿
千家さんは、島根県出雲市出身で、出雲大社の宮司を務める千家尊祐(たかまさ)
さんと礼子(あやこ)さんの長男:千家国麿さん、昭和48年9月2日に誕生。
平成8年3月(1996年)に国学院大文学部神道学科を卒業後、乃木神社(東京・港)や
石清水八幡宮(京都府八幡市)を経て、出雲大社で宮司を補佐する禰宜(ねぎ)
として平成17年3月から出雲大社に奉職されている。国麿さんと典子さまのご婚約の
儀式、一般の結納にあたる「納采(のうさい)の儀」で正式に婚約が決まる。
典子さまは千家さんとともに27日午後、皇居内の宮内庁庁舎で記者会見に臨まれた。

宮内庁庁舎での記者会見で、

典子さまは最初にお会いした時も、今も、ですけれど、おおらかで、誠実な方である
と言う印象であります。これに対し、国麿さまは、典子女王殿下の印象を、あたたかさ、
優しさ、そうゆうものが、ひじょうに当初から、印象が残っております。
典子さまは、生まれ育った宮家から、離れると言う事に対しては、少しばかりの
寂しさですとか、出雲での生活に対しる、少しばかりの不安などありますけれど、
それはもう多くの女性が、お嫁に行くと言う時、感じるものと大差ないものでは
ないかと言うふうに思っておりますと会見で語られた。
婚礼までは皇室の慣例に従い行事は進められ、今年の秋、婚儀は島根県出雲大社で
とり行われる運びである。

   
まるで神話が甦ったような慶事ではありませんか、
高円宮家次女典子女王殿下と千家国麿氏と御婚約、千家家といえば、天照大神の
子の天穂日命を祖とする、出雲国造家で、出雲大社の創建以来、祭祀を担って
来られた家系。

この御縁、
神話からひも解くと、天照大御神(アマテラスオオミノカミ)(伊勢神宮)と弟の
須佐之男命(スサノオノミコト)の言いつけで、大国主大神(オオクニヌシノミコト)
(出雲大社)とは、古来からの縁に結ばれた、大社に拘る良縁は、まさに神の導き
なのか、これ程の喜ばしい良縁はないだろう。
此の度、婚約された国麿氏の父親は、第84代国造千家尊祐氏。国麿氏はやがて85代に
なられる方。畏れ多くも天皇家は125代です。
高円宮家は天皇家の外帝皇族ですが。典子女王殿下は大正天皇のひ孫にあたられ。
世界広しと言えども、これだけの歴史を持つ旧家同志の縁組はちょっと、
何処にでもあるものないでしょう。
この縁組、2000年に亘る、日本の歴史を語れる、正に世界に誇る日本の伝統でしょう。

出雲大社は、
古事記によると、稲羽(因幡)の白兎神話から始まる。

 
稲羽の気(け)多(た)の岬に着いたオオクニヌシノミコトは、毛皮をむかれて苦しむ
兎に「今急(すみや)かに此の水門に往き、水を以ち汝が身を洗ひ、其の水門の蒲
(かまの)黄(はな)を取り、敷き散らして其の上に輾転(こいまろ)ばば、汝が身、
本の膚の如く必ず差(い)えむ」と助言する。
傷の癒えた兎は「ヤカミヒメを手に入れるのは兄弟神でなく、あなた様でしょう」
と予言する。これを妬(ねた)んだ兄弟神は、燃えた石を山上から落として
オオクニヌシを焼き殺す。
オオクニヌシの母神が嘆き悲しみ、高天原のカムムスヒノミコトに相談すると、
キサカヒヒメ(赤貝を意味する)とウムカヒヒメ(ハマグリを意味する)が
派遣され、秘薬でオオクニヌシを蘇生させる。


兄弟神の迫害を逃れたオオクニヌシノミコトは、根堅洲の国で(スサノオノミコト)が
与える試練に耐え、スセリビメとともに、神宝を持って逃げだす、そのオオクニヌシに
向かって、須佐之男命は叫ぶ。「宇迦の山の麓で、岩盤に宮殿の柱を太く立、高天原に
千木を高くそびえさせて住むがよい」言いつけに従い、出雲に降り立ったオオクニヌシ
は、兄弟神を神宝で退けて島根県出雲で国造りする。
このように、大国主大神を救った2柱のヒメ(キサカヒヒメとウムカヒヒメ)が
出雲大社の本殿横に並ぶ、天前社(あまさきのやしろ)に祭られています。

永久の昔2000年の歴史を持つ、神が祭られる島根の地に、毎年の神在り月(神無月)に
集まられた神々が、選ぶ縁結びの出雲大社。

大国主命
島根の地、出雲大社に詣でられた皇后陛下は、その大国主神が天津神に国譲りを
なさったことについて大国主神の御業を偲ぶ御歌を詠まれました。
皇后陛下の御歌
「国譲(ゆづ)り祀(まつ)られましし大神の奇しき御業(みわざ)を偲びて止まず」
2000年も前に政権委譲の経験をしていた、この出来事を「奇しき御業」と言う
深いお言葉で詠まれた皇后陛下の想いの下で、
その国譲りをした大神の祭祀を、代々司ってきた禰宜と天皇家・皇族の御婚約。
昨年、伊勢神宮と出雲大社の遷宮が重なったのは、古事記が編纂された
1300年以来初めてのことで、そんな年には何かが起きると言われていましたが、
この両家の御婚約が大神様の神業なのでしょう。

日本の歴史を司る、天照大神命が祭られる伊勢神宮と大国主神が祭られる、
出雲大社の宮司を務める千家家、と2000年に亘る、歴史の中で繋がる
両神宮に拘る両家、高円宮家と千家家の「めでたき御婚儀」に際し、
この度の御婚約を、心より、国民挙ってお慶び申し上げます。


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