ぶらぶら人生

心の呟き

秋めいて

2010-09-24 | 身辺雑記
                 

 起床後、枕もとの窓を開けて網戸に替えると、庭のミズヒキソウが目に入った。哀れげな咲き方ではあるけれど、猛暑に負けなかったのもあったかと、嬉しかった。(写真 上)

 雑草の草取りをするとき、ミズヒキソウは、いつも特別扱いする。今の季節、細い花茎に小さな赤い花をちりちりとつけるのを楽しみに、抜かないことにしているのだ。
 特に前庭には、幾本ものミズヒキソウがある。
 ところが、今年は葉が日焼けし、花茎も錆びた針金になっているのが多い。

 ここまで書いて庭を見ると、一つだけ心細そうな花茎が見えたので、デジカメに収めた。(写真 下)

          


 昨日、墓参の後、妹宅からもらった朝顔の3鉢を持ち帰ってくれないかと頼んだ。虫のいい話だが、来年また種を蒔き、今年同様、ある程度育てて届けてほしいと。
 妹夫婦は快く引き受けてくれた。ただ今日の車には積めないので、日を改めて取りに来るとのことだった。

 
 もう花は咲かないものと思い込み、最近は、鉢に水遣りをすることもなかった。
 今朝は、爽やかな朝だったので、家の周りを一巡した。
 ついでに朝顔の枯れ茎を処理しておこうかと、鉢に近寄ってみると、まだ花が咲いていた。小ぶりの種ばかりではあるけれど、8個も。(写真)
 明日も咲く花があるかもしれない。最後まで水遣りを怠るまい。

          
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ツチバチ?

2010-09-23 | 身辺雑記
 今日は秋分の日。お墓参りをしてきた。
 未明から激しかった風雨が、9時過ぎには上がり、無事に墓参を終えることができた。

 お墓参りをするだけで、大仕事をしたかのような疲れを覚えてしまう。
 夕食は、妹から<おはぎ>をもらったので、簡単に済ませた。
 昨日、街に出たときにも、おはぎを買ってきた。
 昔は大好物で、一度に三つくらいは平気で食べていたのに、夕べも今晩も、一つがやっとだった。
 食が細くなったな、と思う。年齢を考えれば当たり前なのかもしれないけれど……。

 玉蜀黍ももらったので、電子レンジでチンして、賞味した。
 自分では買い求めることのない玉蜀黍。
 久しぶりに、子ども時代の夏が蘇る。

 夜になって、アマゾンから本が届いた。
 先日注文した『昆虫図鑑』である。
 早速、昆虫の世界のとりこになった。
 ページを繰っているうちに、疲れは吹っ飛び、夜更かしをしてしまった。

 過日(9月18日)のブログ、「いずれも、些細な事ながら」に、ランタナに来た昆虫のことを書いた。
 その虫の正体を、まず突き止めたいと思った。

 「アカアシハラナガツチバチ」のオスでは? と思ったのだが、どうだろう。(写真)
 足が赤かったかどうかは観察不足。が、<ハラナガ>の条件は満たしていたような気がする。
 <ツチバチの仲間は、触覚が長く>という説明が、最も当たっている。

 とにかく一応、<ツチバチ>の仲間ということにしておこう、と勝手に判断。
 こんないい加減な判定をすれば、昆虫学者に怒られるかもしれないけれど。

        


 夜更けて、玄関が明るんでいるのに気づき、外に出てみた。
 秋分の日の月が冴え渡っていた。自らの右下に、光度の明るいお星様を伴って。(写真)

       
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中秋無月

2010-09-22 | 身辺雑記
 庭に佇むと、空がほのかに明るんでいる。雲の彼方に名月はあるらしい。
 無月ながら、月の気配が感じられる。
 気配だけで、名月を愛でる。
 『歳時記』によると、今晩のような風情を「無月」というらしい。「中秋無月」とも。
 「雨月」(これも季語)にならなかったのはまだしもと思う。

 朝から雨が降ったりり止んだりした。久しぶりの慈雨であった。
 正午からは、雲に覆われたままの空であった。が、雨は降らなかった。夜になった今も、雨の気配はない。
 ただ、夜更けても、名月を望むことはできそうにない。

 今日は、病院で、定期健診を受けてきた。
 血圧良好。
 出かける直前に、腰の不具合を感じた。久しぶりの不快感。しかし、主治医に相談すほどでもないと思い、そのままにした。
 テレビで見た100歳のお年寄りに負けじと、日頃し慣れぬ体操をしたせいかもしれない。
 嗚呼! なさけない。
 街へ出て、お彼岸のお供え物など買い求め、タクシーで帰ってきた。
 
 午後のひととき庭に出て、鉢植えのススキやランタナに来た蝶を眺める。

         鉢植えのススキ

         ランタナと蝶
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9月21日の月

2010-09-21 | 身辺雑記
        夕方6時の月

        9時の月 鉢植えのススキと

 明日は中秋の名月の由。
 だが、雨の予報となっている。
 今晩は、雲のない空に、まるいお月様が冴えている。
 幾度も、庭に出て、空を仰いだ。

 戸外は、夜になっても蒸し暑い。涼しさが全くない。
 今晩は、熱帯夜の予報である。
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9月の庭 (百日紅、空高く)

2010-09-21 | 草花舎の四季
 1時過ぎ、草花舎へ出かけた。
 今日もまた、30度を超える暑さ。
 日差しの濃い庭を歩く。
 風のわずかな戦ぎもなくて、蒸し暑い。
 季節の移ろいといえば、法師蝉の声が衰えたくらいだ。

        入り口の眺め 赤い彩りは薔薇

        後ろ庭の百日紅と空 

        葉の上の虫

               通草

 通草(あけび)は、まだ口を開けていなかった。
 一週間前に見たときより、縮んで小さくなった感じがした。水分不足であろうか。

 通草に近づくには、草むらを歩かねばならない。蜘蛛の巣を壊さないようにしながら、足元にも注意して歩く。
 ひどく虫に喰われた植物があった。よく見ると、残りの葉を食む虫が、ぞっとするほどたくさんいた。
 虫といえども、生き物。毛嫌いしてはいけないのだが、どうも苦手である。
 通草に近づくために、通り道を変えてみたけれど、そこにも虫。(写真)

 何虫だろう? この種のものは、いずれ蝶になるのだろうか?
  
 植物に関しては、父の形見の本が幾冊かある。
 が、昆虫の本は一冊もない。
 最近、日高敏隆氏の本を読み、急に昆虫への関心が高まっている。
 今まで、ごく身近な虫にも関心が乏しく、あまりにも無知であった。
 過日、家のランタナに来ていた大型蜂のような昆虫も、その正体が分からないままだし、少しは虫たちのことも知りたくなった。
 そこで今夕、初歩的な<昆虫図鑑>をアマゾンに注文した。

 
 スーザンさん主催の、ワークショップ(コンテンポラリーダンスの振り付け)が、今年は松江で、9月下旬に開催されることは、前々から聞いていた。
 スーザンさんと草花舎のTちゃんは、昨日、松江に発たれたそうだ。
 昨年同様、今年も、諸外国のダンサーたちが参加されるようだ。
 10月3日が、発表会とか。スーザンさんの指導のもとに、きっといい会になるに違いない。
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間抜けた話

2010-09-20 | 身辺雑記
 今朝、一雨あった。
 しかし、涼しさが増すことなく、蒸し暑い一日となった。
 秋の勢力は、顔を覗かせたり引っ込んだり、まだ安定しない。

 シオンの花が満開になり、裏庭のタマスダレが一つ咲いた。(写真)

        

        


 どこで、頭の回転が狂ったのか、今日は日曜日だと思い込んで過ごした。
 ゴミ出し日であることも、草花舎に行く日であることも、きれいに忘れていた。
 今日は月曜日? と、疑問に思ったのは、佐川急便で、本が届いたときであった。
 
 読売新聞の書評を読んで、本の注文をしたのは、日曜日の朝だった。
 朝、注文した本が、その日に届くはずはない。
 と、すれば、今日は月曜日なの? と突如、自らの思い違いに気づいたのだった。
 なんと間抜けた話だろう!

 ゴミ出しはともかく、草花舎には迷惑をかけてしまった。
 昼食は、予約制なのである。
 特別なことがなければ、私は月曜日の昼食をいただくことにしている。行けないときには、あらかじめ連絡することにしているのだ。
 気づいたときには、昼食の時間をとっくに過ぎていた。
 草花舎へ電話してYさんにお断りを言い、改めて、明日を予約した。
 

 届いた本は、南木佳士の小説『先生のあさがお』と、同じ作者のエッセイ集『からだのままに』の2冊である。
 
 今日は、日高敏隆著『人間はどこまで動物か』を読み上げるつもりだった。が、注文の本が思いの外早く届いたので、読みかけの本を置いて、南木佳士を読み始めてしまった。
 芥川賞受賞作『ダイヤモンドダスト』以来、好きな作家の一人として、南木佳士をかなり読んできた。気まぐれな愛読者ではあるけれど。

 それにしても、注文した本が、翌日には届くスピーディーさには感心する。

      ×   ×   ×   ×   ×

 朝日新聞にも、読書欄に目を惹く記事があった。
 <on reading>は、画家、安野光雅さんの連載記事である。(その3回目)
 それには、森鴎外の『即興詩人』とアメリカの絵本作家・園芸家のターシャ・テューダーについて書いてあった。
 安野光雅氏は、現在、『即興詩人』を口語訳しておられるという。

 その文章の中で、森鴎外に関して、笑ってしまう記事があった。
 人から聞いた話として、
 「モリオウ貝という貝はどんな貝なの」
 と聞いた高校生がいた、と書いてあったのだ。

 森鴎外が、<貝>の名前と間違われるとは! と驚きもし、おかしくもあった。
 今は、教科書で、鴎外の作品を学ぶこともなくなったのだろうか。
 紫式部や清少納言の名前は知っていても、かえって、明治・大正、昭和初期の作家たちは、読まれることも少なく、その名前さえ知らない人が多くなっているのかもしれない。
 笑い話のように感じるけれど、そこには時の流れが、大きく作用しているのだろう。

 ターシャの庭づくりの本を草花舎で借りて読んだのは、昨年か一昨年だった。
 卒論に森鴎外を選んだので、『即興詩人』も読んだ。
 が、それは、ずいぶん遠い昔のことである。
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空の秋

2010-09-19 | 身辺雑記
         

 空にも、秋の風情が漂い始めた。
 空の秋、雲の秋。

 今日は、食品が底をつき、買い物のため、街に出た。
 戦中戦後でもないのに、食品不足の状況は、買い物を怠れば、今後も起こりうることだと思う。(<買い物難民>と呼ばれる状況の中で…)
 あの食糧難の時代と異なるのは、お米、お餅、ソーメンなど主食には事欠かないことだ。
 生鮮食品は、商店にあふれていても、足を運ばなければ入手できない。
 私はときに、せっかくの野菜など、冷蔵庫で傷ませてしまうことが多いのだが、昨日から、保存のきく馬鈴薯、玉葱や人参、昆布や若布などの乾物以外の物が、みな品切れになってしまった。果物は林檎と梨があるだけ。
 葡萄やバナナもなく、卵もお豆腐も、さらに新鮮な野菜やお魚類もない、と気づいた途端、なんだか、とてもみすぼらしい気分になり、思い切って買い物に出かけたのだ。

 バスの窓から空を眺めた。
 形の面白い雲が漂っていた。秋の雲。(写真)

 いつもはKスーパーで買い物をしている。
 が、帰途、タクシーを使うなら、少しでも近い方がいい。そこで、バスを途中で下車し、たまにしか行かないSスーパーに行った。
 売り場が広いし、慣れない陳列棚から、必要な食品を探すのに、いつもより時間がかかった。が、ボケ防止には、時には知らないお店で、品物を探すのがいいと、テレビで言っていたような気がする。
 売り場案内の表示を見ながら、根気よく一巡した。
 
 そして、タクシーで帰宅した。

 今日は一日早く、地区の敬老会があった。75歳以上が招かれるのだろう。
 町内の班長から出欠を尋ねられたので、欠席する旨伝えておいた。
 集団で、お弁当をいただいたり、ステージでの催しものを見たり…(参加したことがないので、あくまでも想像なのだが)、それを楽しめそうにもない私というのは、変わり者なのだろうか。
 不参加者には、班長を通じて、社会福祉協議会からのタオルセットが配られた。

 こうした催しは、全国的なものだろうか。
 なんだか形式的な行事のような気がしてならないのだが…。
 「ありがとうございました」と、タオル入りの包みを受けとりながら、これまた形式的なお礼に過ぎなくて。
 
 <敬老の日>に、様々思う老人は、私ひとりではないような気がする。
   
       ×   ×   ×   ×   ×

 9月19日のお月様。叢雲に見え隠れしていた。(写真 7時40分)
 その後も、輝いている時間より、雲隠れしている方が長そうだ。
 

          
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いずれも、些細な事ながら

2010-09-18 | 身辺雑記
 朝日新聞の<be on Saturday>に「筑摩書房のロゴ」の話が出ていた。
 そんなものがあって、書籍に刻まれていようとは全く意識していなかった。迂闊なことかもしれないけれど。

 この記事には、筑摩書房の社名の由来や歴史も記されていた。
 ロゴは、かの有名な青山二郎氏の作品の由。

 <「空を截(き)るタカ」をあしらったがカメにも見え、社内では親しみを込めて「泥亀」と呼ぶ。>
 と、あった。
 筑摩書房の初期の業績として、
 <社の礎となった『現代日本文学全集』は全99巻で、計約1300万部を記録した。>
 とも、記してあった。

 私の書棚にも、その全集がある。そんなに売れた全集とは知らなかった。
 1300万分の1が、手元にあるということだ。
 1ページ2段組で、しかも活字が小さく、決して読みやすくはない。ただ、現代作家の作品が網羅されているので、必要に応じて、今もよく開く。
 筑摩書房刊の蔵書としては、もう一つ『世界古典文学全集』も持っている。こちらは飾りのように並んでいるだけである。
 全集以外の筑摩書房刊の書籍としては、中村光夫著『文学のありかた』が見つかった。

 いずれも堅牢な箱入りの本である。
 その気で見ると、箱の後ろや書籍の裏表紙に、ちゃんとロゴが入っているのであった。
 初めて、それを意識し、改めて見直した。
         
         
        筑摩書房のロゴ(今日の朝日新聞より)

         
        同上(『文学のありかた』より)


            ★   ★   ★   ★   ★

 1本の青紫蘇が裏庭にある。
 崖の草刈りや溝周辺の草取りをしてもらった折、10センチ足らずの、2本の草が取り残されていて、不思議に思っていた。
 意識的に残してある草が、私には、雑草としか思えなかった。が、成長してみると、一つは朝顔であり、もう一つが青紫蘇であった。いずれも肥料不足で、ひ弱であるけれど。
 朝顔は、在来種の清らかな青色の花を合計7個咲かせて、今は枯れ色である。
 青紫蘇の方も、なんとか育った。薬味に使いたくなるような生気のある葉に成長はしてくれなかったけれど。
 今朝は、穂状に咲いた小さな白い花を、自らの葉の上にこぼしていた。
 人知れず<移ろう時>を、私に告げるかのように。

               紫蘇の花

            ★   ★   ★   ★   ★

 パソコンの前に座って、ぼんやり窓から花壇を眺めていると、ランタナの花から花に移動している昆虫が目に入った。
 蝶? 蜂? なんだろう? と、目を凝らした。
 先日来、日高敏隆氏の本を読んでいるので、余計に自然界の営みが気になるのだった。

 そっと、庭に下りてみた。
 見たことのない昆虫である。
 蝶ではない。
 蜂に似ているが、蜂のようでもない。
 なんだろう?
 初めは1匹だけだったが、どこからかもう1匹が現れ、互いを意識し合うふうもなく、自在に飛んでいた。
 口から細く長い針金のような、ストロー状のものが伸び、一瞬、花心に差し込まれているように見える。が、あまりにすばやい行動なので、仔細は分からない。
 
 人間の思わくなどとは無関係に、ここでも、花と昆虫の世界が、ひそやかに繰り広げられているのだった。

         ランタナと昆虫

         同上

            ★   ★   ★   ★   ★

 窓を締めようと広縁に立つ。すると、真正面に月があった。
 暮れ残る空にある、白い月。

         今夕の月(6時10分)  
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山口へ (夕べの月)

2010-09-17 | 身辺雑記
 山口へ行ってきた。
 気温は、また30度近くまで上がったけれど、9月上旬までの暑さとは違う。
 空には、真夏のものとは違う、やさしい雲も浮かんでいて。
 島根・山口両県とも、田んぼの稲は大方刈り取られ、田園の風情も、やはり秋!

 早い年には、この時期、沿道に曼殊沙華を見かけることもあるのだが、今年はまだ、赤の点じられる光景はなかった。

 帰宅後、菅内閣の発足に関するニュースを見ているうちに、夜の時間が少なくなった。


          (添付写真 今夕の6時前に見たお月様。)

        
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刻一刻… 

2010-09-16 | 身辺雑記
 今朝は、昨日の朝よりさらに涼しかった。
 こうして、少しずつ秋は深まるのだろう。

 裏庭に出て、地面を覗き込む。
 曼殊沙華が、頭をもたげ始めていないだろうか? と。
 毎年、茎が地を割る瞬間を見たことがない。
 今年こそは、見逃すまいと思っているのだが…。
 今、地下にあって、どんな準備がなされているのだろう?

 曼殊沙華は、寒暖の影響を受けやすいと聞く。
 猛暑日と熱帯夜の繰り返しの中で、
 球根は、天上に花を咲かせる日を
 どんなふうに計っていたのだろう?
 刻一刻の変化は、人の目には見えない。

 前庭に回ってみると、紫式部が色づき始めていた。
 その隣には、白式部も。
 いずれも、つい最近まで、緑の球だったのに、
 今では、個性の違いを発揮し始めている。

 それぞれ、自らを純紫と純白に飾るまで、微妙な変化を続けるのだろう。
 刻一刻と…。


         紫式部

         白式部
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