ぶらぶら人生

心の呟き

間抜けた話

2010-09-20 | 身辺雑記
 今朝、一雨あった。
 しかし、涼しさが増すことなく、蒸し暑い一日となった。
 秋の勢力は、顔を覗かせたり引っ込んだり、まだ安定しない。

 シオンの花が満開になり、裏庭のタマスダレが一つ咲いた。(写真)

        

        


 どこで、頭の回転が狂ったのか、今日は日曜日だと思い込んで過ごした。
 ゴミ出し日であることも、草花舎に行く日であることも、きれいに忘れていた。
 今日は月曜日? と、疑問に思ったのは、佐川急便で、本が届いたときであった。
 
 読売新聞の書評を読んで、本の注文をしたのは、日曜日の朝だった。
 朝、注文した本が、その日に届くはずはない。
 と、すれば、今日は月曜日なの? と突如、自らの思い違いに気づいたのだった。
 なんと間抜けた話だろう!

 ゴミ出しはともかく、草花舎には迷惑をかけてしまった。
 昼食は、予約制なのである。
 特別なことがなければ、私は月曜日の昼食をいただくことにしている。行けないときには、あらかじめ連絡することにしているのだ。
 気づいたときには、昼食の時間をとっくに過ぎていた。
 草花舎へ電話してYさんにお断りを言い、改めて、明日を予約した。
 

 届いた本は、南木佳士の小説『先生のあさがお』と、同じ作者のエッセイ集『からだのままに』の2冊である。
 
 今日は、日高敏隆著『人間はどこまで動物か』を読み上げるつもりだった。が、注文の本が思いの外早く届いたので、読みかけの本を置いて、南木佳士を読み始めてしまった。
 芥川賞受賞作『ダイヤモンドダスト』以来、好きな作家の一人として、南木佳士をかなり読んできた。気まぐれな愛読者ではあるけれど。

 それにしても、注文した本が、翌日には届くスピーディーさには感心する。

      ×   ×   ×   ×   ×

 朝日新聞にも、読書欄に目を惹く記事があった。
 <on reading>は、画家、安野光雅さんの連載記事である。(その3回目)
 それには、森鴎外の『即興詩人』とアメリカの絵本作家・園芸家のターシャ・テューダーについて書いてあった。
 安野光雅氏は、現在、『即興詩人』を口語訳しておられるという。

 その文章の中で、森鴎外に関して、笑ってしまう記事があった。
 人から聞いた話として、
 「モリオウ貝という貝はどんな貝なの」
 と聞いた高校生がいた、と書いてあったのだ。

 森鴎外が、<貝>の名前と間違われるとは! と驚きもし、おかしくもあった。
 今は、教科書で、鴎外の作品を学ぶこともなくなったのだろうか。
 紫式部や清少納言の名前は知っていても、かえって、明治・大正、昭和初期の作家たちは、読まれることも少なく、その名前さえ知らない人が多くなっているのかもしれない。
 笑い話のように感じるけれど、そこには時の流れが、大きく作用しているのだろう。

 ターシャの庭づくりの本を草花舎で借りて読んだのは、昨年か一昨年だった。
 卒論に森鴎外を選んだので、『即興詩人』も読んだ。
 が、それは、ずいぶん遠い昔のことである。
コメント
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