草花舎の木の花で、桜に続き、本格的に春を定着させる花といえば、花水木のように思う。
紅白二本の花水木が、前庭の目立つ位置にある。
ただ、今年は、赤い花水木は花が小さく、花数が少ないように思う。
例年のことを知らなければ、それなりに風情のある咲きぶりなのだが、やはり何となく寂しい感じだ。
コデマリやオオデマリの季節でもある。
小粉団と書いて、コデマリと読むとは、歳時記を開くまでは知らなかった。
団子花、小手毬、小手鞠とも表記するようだ。
歳時記の例句に、久保田万太郎の次の句が載っていた。
小でまりの花に風いで来りけり
私がカメラを向けたときにも、微風がそよいで、コデマリの花を揺らした。
ささやかな大気の動きにも、小枝はとても揺れやすい。
オオデマリの方はどっしりと構えて、少々の風には揺れない。
白地に、紅色の小さな斑の入った躑躅が、庭の隅に咲き始め、フリージアやジュウニヒトエも、今が盛りである。名を知らぬ奥ゆかしげな花も咲いていた。
明日から、フランスのアーティスト、ディディエ・ステファンさんの展示会が始まる。
スーザン邸に、すでに到着しておられるようで、午前中、団地を歩かれるディディエさんの後ろ姿を見かけた。
団地の人でも、日本人でもないことは、すぐ見分けられた。
煙草をふかしながら、背の高い黒い服の人は、国道に向かって歩いてゆかれた。
草花舎のTちゃんに、そのことを話すと、
「団地で見かける外国人は、まずスーザンさんのゲストですね」
と、笑っておられた。
間違いなく、ディディエさんだったのだ。
近年は、都会や観光地で、異国の人を見かけるのは珍しくない。しかし、私の住む小さな市の郊外で、外国の一流アーティストと生活空間を共にするのは、少々稀有なことである。同時に、嬉しいことである。
スーザンさんが、知性も品性も豊かな芸術家なので、そこに集う人々も魅力のある人たちばかりである。
紅白二本の花水木が、前庭の目立つ位置にある。
ただ、今年は、赤い花水木は花が小さく、花数が少ないように思う。
例年のことを知らなければ、それなりに風情のある咲きぶりなのだが、やはり何となく寂しい感じだ。
コデマリやオオデマリの季節でもある。
小粉団と書いて、コデマリと読むとは、歳時記を開くまでは知らなかった。
団子花、小手毬、小手鞠とも表記するようだ。
歳時記の例句に、久保田万太郎の次の句が載っていた。
小でまりの花に風いで来りけり
私がカメラを向けたときにも、微風がそよいで、コデマリの花を揺らした。
ささやかな大気の動きにも、小枝はとても揺れやすい。
オオデマリの方はどっしりと構えて、少々の風には揺れない。
白地に、紅色の小さな斑の入った躑躅が、庭の隅に咲き始め、フリージアやジュウニヒトエも、今が盛りである。名を知らぬ奥ゆかしげな花も咲いていた。
明日から、フランスのアーティスト、ディディエ・ステファンさんの展示会が始まる。
スーザン邸に、すでに到着しておられるようで、午前中、団地を歩かれるディディエさんの後ろ姿を見かけた。
団地の人でも、日本人でもないことは、すぐ見分けられた。
煙草をふかしながら、背の高い黒い服の人は、国道に向かって歩いてゆかれた。
草花舎のTちゃんに、そのことを話すと、
「団地で見かける外国人は、まずスーザンさんのゲストですね」
と、笑っておられた。
間違いなく、ディディエさんだったのだ。
近年は、都会や観光地で、異国の人を見かけるのは珍しくない。しかし、私の住む小さな市の郊外で、外国の一流アーティストと生活空間を共にするのは、少々稀有なことである。同時に、嬉しいことである。
スーザンさんが、知性も品性も豊かな芸術家なので、そこに集う人々も魅力のある人たちばかりである。
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