ぶらぶら人生

心の呟き

野を行けば

2010-04-25 | 散歩道
 ダラダラと見飽きることもなく、NHKBS2で放映の、短歌日和? とかの番組を見た。
 全国の人から寄せられた、素人の方の素朴な歌を耳にし、私の感想と選者の評を重ねて考えながら、大賞決定にいたる過程を楽しんだ。
 何となく、心身が不活発なままに。

 その番組が終了したのは、四時半頃であった。
 さて、と掛け声をかけて立ち上がり、散歩に出かけた。
 身体を動かすと、気持ちもほぐれる。
 春の草花が、目を楽しませてくれる。草花だけでなく、目に触れるもの、耳に聞こえるものすべてが…。

 東に向かって歩いていると、白い夕月が目に入った。
 道路標識の上の遥かに、ほのかな白い月として。(写真 上)
 歩く道々、幾度も、空に月を探した。
 海を背にして帰るとき、月はわずかに白さを増し、存在を明らかにしていた。時の経過を告げるかのように。(写真 下)

 (今宵、玄関に出てみると、夕方の白い月は衣替えし、お月様の色をして中天にあった。)

             

      

 野には野の春がある。黄色い花のひとむらがあるかと思うと、小判草かと思える雑草が一区画を占めていた。

             

      

 北浜に向かって歩いていると、三種類の躑躅の花が咲いていた。
 躑躅は繊細さが乏しく、あまり好きになれない花だが、花の一つ一つには趣があるし、また、集団として眺めれば見栄えもする。
 ただ、桜のように、嬉しいにつけ寂しいにつけ、その時々の感情に、そっと寄り添ってくれる花ではない。

             

      

      

 荒地として、放置されているとばかり思っていた田圃に、水が張られていた。
 私が、<鶯の径>と名づけている小径の片側に。
 蛙が鳴いていた。決して美声ではないけれど、耳に季節を聞きながら歩く。
 鶯も、しきりに鳴いていた。

      

 同級生のY子さんに声をかけようかと、丘の上を見上げたが、夕方なのでお邪魔になってはと思い止まった。
 と、前方から、手押し車を押した人の姿が目に入った。Y子さんだった。回覧板を届けに行ってきたのだと。
 膝の怪我でふた月近く入院し、手押し車が必要な身にはなっても、Y子さんには、不満そうなそぶりも嘆きもなさそうであった。こうして歩けるから幸せだと。私も救われる思いであった。

      

 畑に生長した麦の穂を、実に久しぶりに見た。子供のとき以来かなあ、と思いつつ、物珍しく眺めた。最近は、活け花として見かけるくらいだったのだが…。
 一メートルの幅の狭い畑に植えられていた。
 麦穂の色も、若やかで初々しく、春の色である。

 矢車草の花も、畑に咲いていた。
 花を多く知らなかった少女時代、一番好きな花を問われると、<矢車草>と答えていた時期がある。今でも、好きな花の一つである。

              
      
      

 <花づくり名人>と私が勝手に呼んでいる、Sさん宅にも立ち寄ってみた。
 クレマチスの花が咲いてはいないだろうかと。
 アーチ型に、幾種類ものクレマチスが、見事に咲いていたのは、数年前、散歩を日課としていた頃のこと。
 今日は、白い花がひとつ咲いていただけであった。

 花庭に入り、下の花々を黙って撮らせてもらった。

       ラナンキュラス?

       ケマンソウ?

               チューリップほか
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 偏り疲労 | トップ | 4月の庭 (春の庭) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿