ぶらぶら人生

心の呟き

身辺整理

2016-05-16 | 身辺雑記
 雑用というのは、本当にきりがない。
 <断捨離>を始めて、衣類・靴・帽子の一部を処理した。
 しかし、それはほんの一部、全体の5%以下である。
 そう簡単に、仕事ははかどらない。
 集中力の低下や要領の悪さは、老いと無関係ではあるまい。

 今日は、戸棚の中に、仮に設けた本棚に並ぶテキスト(中国語・英語)を片付けた。
 テキストの中には、一冊ごとにCDが挟んである。
 それを取り出すという作業をした。

 テキストは、今、山積みになっている。
 後日、資源ゴミの収集日までに束ねて、処理しようと思う。
 CDは、18日の埋め立てゴミに出すつもりでいる。

 それにしても、身辺に不要な物の多いこと!
 モノを捨てることができず、ため込んでしまう。
 モノへの執着が強いうえ、整理能力の乏しい私である。

 <断捨離>を始めたのは、残生を考慮し、少しでも片づけをしておこうとの思いであった。
 が、今は、もう一つの意義に気づいている。
 残生が、たとえ一日であっても、一月、一年であっても、私のために残された時間を心地よく生きるために、あふれ過ぎたモノを片付けるのは大事なことである、と。
 住みにくさを住みやすくしたり、能率の悪さを改善したりするためにも。

 テキストの処理の目途はたったが、その書棚のそばに積み重ねてある、たくさんの箱の中には、何が入っているのか思い出せない。
 父の死後、片付けをして以来、20余年が過ぎたが、その間、箱類は積み上げたままである。
 今日、二つの箱を開けてみた。

 一つには写真、もう一つには書簡が入っていた。
 そこには、83年を生きた人生の、僅かな一断片が収まっているだけである。
 まだまだたくさんの写真や書簡類が、別の場所で、処理を待っている。

 今日は雨の一日、身辺整理にはふさわしい一日だった。


 終日降った雨は、夕方上がった。
 7時過ぎ、カメラを手に、戸外に出た。
 庭木の葉は、まだ雨滴を溜めていたが、西空には明日の好天を約束する明るさがあった。

 きっとまた、良い明日が、訪れるだろう。

   (このブログを書いているとき、テレビが、茨城を震源とする地震について報じた。
    幸い、今のところ、大きな被害はなさそうで安堵する。)

           

              
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする