ぶらぶら人生

心の呟き

「ほどろほどろ」いう畳語

2010-02-17 | 身辺雑記
 最近読んでいる辺見庸さんの本で、出合った言葉に「ほどろほどろ」という一語があった。

 <牡丹雪がほどろほどろに降りつづいていて、世界がことさら白く容儀をただし、なんだかものみなあらたまったような朝であった。>(『記憶と沈黙』P15)
 
 「ほどろほどろに」
 「世界がことさら白く容儀をただし」
 などの言い回しに表現の妙を感じながら、雪の朝の情景を思い描いた。

 私の語彙に、「ほどろほどろ」はなかった。
 牡丹雪のどんな降り方なのだろう? と、傍の電子辞書(広辞苑)を引いた。
 すると、
 <「ほどろ」の畳語。万葉集(8)「沫雪(あわゆき)の―に零(ふ)り敷けば>
 と出ていた。

 「ほどろ」を改めて調べると、
 <(ホドは散りゆるむさま。ロは接尾語)
 ①雪などが、はらはら散るさま。万葉集(10)「庭も―に雪そ降りたる」
 ②⇒「夜のほどろ」に同じ。(注 「夜のほどろ」とは、「夜がほのぼのと明けるころ」の意。)
 ③ワラビの葉や茎がのびてほおけたもの。(以下、略。)
 と、記してある。

 水気を多く含んだ牡丹雪が、やや重々しく降っている情景だろうか。
 辞書に、万葉集の歌例が引用されているところからも、古くは、一般に使われていたのであろう。また、古歌に親しんでいる人には、もの珍しい語句ではないのかもしれない。

 ついでに、『日本国語大辞典』も調べてみた。
 さすがに詳しく、上記の意味にプラスした説明もあった。
 「ほどろゆきじ」(ほどろ雪路)という項目もあった。
 <まばらに雪がつもっている道路。※赤光<斉藤茂吉>「ゆふぐれのほどろ雪路をかうべ垂れ湿れたる靴をはきて行くかも」>
 と。
 「ほどろ」がきっかけとなり、斉藤茂吉の歌にも出合った。

 最近、「ほどろほどろ」という表現にふさわしい雪の降り方に出合うことは少ないようだ。
 が、目を閉じると、昭和40年前後の、雪の多かった時期の風景が思い浮かぶ。
 当時は、雪の積もりやすい山間の町に暮らしていた。雪にまつわる思い出は様々である。
 近頃は、暖かな冬が多くなって、場所によっては、冬らしい雪景色が見られなくなった。それと同時に、雪にまつわる豊かな語彙も消えてゆくのではと、危惧を抱いてしまう。

 昨日の午後、ポストまで歩いた。
 折から、霙が降り、粉雪が舞っていた。
 が、「ほどろほどろ」という、形容には似つかわしくなかった。


 (写真 昨年の夏からずっと咲き続けたノボタン。その木が、2センチほどの小さな花を咲かせている。これが最後の花。次の楽しみは、訪れる夏を待たねばならない。)

                
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする